巡礼者のかく語りき

自由気ままに書き綴る雑記帳

自立の魂、そして反撃の刻へ!!!ーRun Girls, Run!4th Anniversary LIVE Run 4 You!!! 東京公演参戦レポ

 12月19日。代々木の山野ホールで開催された『Run Girls, Run!』の4周年記念ライブ
Run Girls, Run!4th Anniversary LIVE Run 4 You!!!』東京公演に参戦して来た。


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 自分にとって、現地参戦というヤツは大体1年半ぶりぐらいだったりする。
だから、今のこの状況下(コロナ過)で開催されるLIVEのレギュレーションで参戦するのも初めての経験であった。

公演中は、マスク着用というのは当然であり声を出すのも駄目。問診表の記入を済ませないと入場不可。勿論、入場の際には検温や手指への消毒。更には、チケットの半券は係員に見せて確認の後自分の手でもぎる等、本当に感染対策を徹底して行っていた。

これらの事は、何もライブ・イベント会場だけのモノじゃない。今のこの状況下で生きている人達はもう当然の事として生活の一部になっている。特に、エンタメ業界は何かと風当たりが強烈で悪者扱いされてしまっていたから、徹底した対策に心血を注ぐのは当然なのだと。

 ずっと耐え忍んで、黙々と続けてきていただけたからこそ、今こうやってライブやイベントに参戦して楽しめるのは、裏で戦っておられるスタッフの人達がいるからなんだなと改めて感謝しないといけないし、出来得る限り協力しないといけないのだなと襟を正す思いです。


 そして、この公演では(昼夜共に)今の状況下ではスタンダードになりつつある有料配信で観る事が出来る。それを観ながら現地参戦で感じた事を掘り起こしながら参戦レポを書き殴る事も可能ではあるが……本稿においては、その映像は一切観ないでこの参戦レポを書き殴っていく。

記憶違いとか多々あるでしょうが……参戦して、見て感じたインプレッションを余すところなくぶちまけようと思う。で、披露された楽曲の所感については昼夜観た時の総評的な感じで記述している。(片方のみで披露されたのは個別)


という事で、刻の経過に伴って薄れゆく残念仕様である自分の脳ミソの記憶の扉を叩いて感じたインプレッションを掘り起こしていこうと思う。これだけは書き残しておきたいという出涸らしをここに書き尽くしてとりあえず楽になっておきたい。

そんな動機で書かれているだけだから、読んでも大きな発見は無いだろうということだけは、予めご理解いただけると幸いであります。

 

 

 

 

 1. ドリーミング☆チャンネル


 オープニングアクトは、現時点でリリースされているシングルの最新楽曲。だが、彼女達にとっては最も縁深い作品となった『キラッとプリ☆チャン』の最終楽章でもある。

あくまでも、コイツは自分の勝手な解釈という事を先にいっておくが……プリチャンOP楽曲の系譜に連なる楽曲であり、最終楽章をこの4周年ライブのオープニングアクトに持って来たワケをこう解釈した。


RGRの三人から魂を吹き込んで軌跡を共に駆けて来た、桃山みらい、紫藤める、青葉りんかへの『ありがとう』という感謝の想いがあったからだと思えるのです。

 

 七色にキラッと弾ける! 眩しい花みたいに 

 誰だってきっとなれる そう鼓動が歌ってる


 リンクする Color 抱きしめる Smile 未来だって変えてしまうよ!



 ―Run Girls, Run!『ドリーミング☆チャンネル!』より引用

 

 これらはキャラクターとキャストのオーバーラップを強烈に訴えかけている箇所。
七色は厚木那奈美さんの読み方にかかり、眩しい花の花の字は森嶋優花さんの名の一字である花。鼓動の鼓の字は林鼓子さんの名の一字にあって、リンクするColor(カラー)では、青葉りんかを、抱きしめるは紫藤めるを、未来はそのまま桃山みらいを彷彿とさせる節。

だからなのかもしれない……自分はこのオープニングアクトを見た際に、何か込み上げて来るモノを感じて開幕早々に涙腺がヤバくなったのは。それは久々に現地参戦出来た事の嬉しさというのも加味されていたのだろう。けど、そこまで感情を揺さぶられるというのはこの楽曲では感じていないインプレッションだったりする。間違いなくこの感情は配信では感じられなかったインプレッションであり、彼女達の想いと魂がそうさせたのだと思えてならない。

それと、この楽曲は盛り上がれる要素が多分にあるので、単純にオープニングアクトとして組み込み易いというのもあったのだろう。だが、このパートでそれだけではないと感じてしまったのだ。

 

 想いは宇宙(そら)だって届く ココロから感情解き放てば

 ここにある現実(リアル) おこりうる仮想(バーチャル)


 『ワタシ』と『ミンナ』つないだら


 ―Run Girls, Run!『ドリーミング☆チャンネル!』より引用

 

 思い起こしてほしい。このLIVEの模様は期間限定だが有料配信化されていたという事。つまり、前述に挙げた歌詞の一部の様に現実(現地)と仮想(配信)が混在している状況でもある。

『ワタシ』=RGRの三人が全身全霊を懸けてパフォーマンスを魅せ、『ミンナ』=現地参戦勢&配信で観ている人達に届け、感情を解き放って応えて、最高の雰囲気を創造しようと繋がっていく。


そして…4周年ライブツアーのタイトルに掲げられた文言は『Run 4(For) You!!!』


まあ、4がForにかかっているという解釈は俺が勝手に思ってるだけだが……For Youの意味は、あなたのためという意味がある。RGRの楽曲において、その要素が最も色濃く反映されているのがこの楽曲だと思えるのだ。

オープニングアクトが果たす役割はいろいろあって解釈もそれぞれ違う。演者や会場全体の雰囲気を暖気するアイドリングでもあるし、一気に勝負を仕掛けて来る決戦仕様の心持ちだったりもする。このライブにおいては後者の一気に勝負を仕掛けるといったモノ。

 

林鼓子は伸びやかで力強い“魂の絶唱”を響かせ
 

森嶋優花は“ファンタジスタ”としての煌めきを解き放ち

厚木那奈美は“魅惑と魔性の領域”で観客を虜にして魂に楔を撃ち込む。

 

要するにだ。私達は最初から全力全開で突っ走るし、こんなモノじゃないからつべこべ言わずついてきやがれと。その代わり、凄ぇモノ魅せてやるからと。

 

 久々に観て、聴いて…知識として刻まれているのに感じられた。いや…思い知らされたんだ。有観客だが、観客は声を出せない。会場のボルテージは上昇させづらいのかもしれない。

でも、そんな事は微塵も感じさせず、彼女達のパフォーマンスは当たり前のようにそれぞれの内に秘めた滾るモノを引きずり出させた。昔から『Run Girls, Run!』を応援していた人、ちょいと離れていて今回参戦or配信で久しぶりに観た人、最近知った人(プリティシリーズとか他から知った人)もおそらく馴染みやすいという目算があって、この楽曲を初手に持って来た様にも思う。


言わずもがな、オープニングアクトとしては何の文句も無い素晴らしいモノであり、三人からの『宣戦布告』。そう、ライブとは『戦』なのだ。

 

 

 

 2. ルミナンス・プリンセス


 ライブの行き先を決めるのは、セカンド・アクト。つまり2番手に披露する楽曲。
これの良し悪しがライブの行方を左右すると言っても過言ではないと思っていて、ここでコケるとグダグダになり、逆にきっちり決まれば勢いづく。

この楽曲がリリースされて感じた事を所感を書いた時には、壮大でメロディアスな曲調で大人っぽい包容力を印象付けさせる様な作風で、作中のみらい達の成長とキャスト側であるRGRの成長とがリンクしている様でもあって、『ドリーミング☆チャンネル』と比較したら落ち着いている楽曲であると書いた覚えがあった。ライブで聴いてもそう変わらないインプレッションになるんだろうと思っていたワケなんだが……その偏狭なインプレッションは見事にぶち壊された。


 勿論、コンセプトである壮大さから来る大人っぽさは損なわれていない。この楽曲は太陽と月の対照的な輝きがモチーフとなっている楽曲。自分はどうやら誤解していて、壮大さを表す月の部分に強いインプレッションを抱いていたのだと。

 

 見つけた夢の向こう きらめこうよ 一緒に…

 
 踏み出していい まっすぐに信じて


 終わらない恋をしたんだ みんな

 
 どこまででも 行こう

 
 ―Run Girls, Run!『ルミナンスプリンセス』より引用

 

 一緒に煌めこうというのは、彼女達や魂を吹き込んだみらい達を指しているのは当然なんだけれども、ランナー諸氏もその括りに包み込んでくれたのかなと。『ドリーミング☆チャンネル』でもそうだったが、『みんな』というのはその事も含まれていたのかもしれない。都合が良すぎるかもしれんが……

どこまでも行こうというのは、見えない未知の領域へ進む事と同義でゴールなんてない。そして、どこまで強くなれるかって事でもあって、どこまで行きたいのかという事と関連している。

この楽曲はそういう謳で、RGR自身に対してでもあり、ランナー諸氏へ向けてのエールなのだろう。

 

 

 

 3. イルミナージュ・ランド


 この楽曲も、新しいモノを迎え入れる立場で謳った楽曲。前述でも触れたが、久しぶりにRGRのライブを観た人や初めて観た人も受け入れてパレードの列に加わろうよ的な。

久しぶりに来たり観たりされた方というのは、自分が知らなかった刻のRGRと向かい合わなきゃならない。ただ、急激に変化していなければすんなりとその雰囲気に馴染めたりもする。

が……初見の場合はそうはいかない。馴染めなかったらそれはただの苦痛でしかなくなってしまう。
この東京公演に限った話で、完全な私見になってしまうが、開幕から三曲の構成はプリチャンOP楽曲の系譜であり、リリース順から遡る形で披露して来た。おそらく彼女達はプリチャンもしくはプリティシリーズからRGRを初めて知った層が多くいるのだろうと感じて、セットリストを組んでいったのかなと思わせる。そして、東京公演では配信化されるからその層はより多いのだろうと。


 どうするのが正解というモノは無く、『プリチャンOP楽曲』の系譜でない他の楽曲を持ってきても何の間違いではない。でも、彼女達は意味のないセットリストにはしたくはなくて、伝えたい想いがここにあるんだという事を強調したかったのだろう。その一つに受け取り側への気遣いも含まれていた。


根拠は無く、単なる偏見だが……自分は勝手にそう感じたのである。

 

 

 

 4. キラッとスタート


 開幕の挨拶が済んで、LIVEは次の局面へと移行してここからは怒涛の『プリチャンOP楽曲』メドレー。初手に披露したのは『プリチャンOP楽曲』原初の楽曲であるこの楽曲から。イントロを聴くと『おっ、来たな♪』といった感じでまた違うテンションのスイッチが入って、ギアが一段階上がるんですよね。

この楽曲との付き合いは彼女達にとって長くもあり、掛け替えない存在だと思います。更に言えば、いくつかあるRGR楽曲の一つの系譜で、楽曲が増えていってメドレーが組めるようになったというのもこの四年という刻の積み重ねで得られた成果でもあるのでしょう。以前だったら楽曲が少なくてメドレー組めなかったんだから……


 新しい可能性と、楽曲のラインナップの底深さを示す。おそらく、彼女達はいろいろなテーマを掲げてこの四周年ライブに臨まれたでしょう。その一つがプリチャンOP楽曲の系譜で組むメドレー形式で披露する事なのだと。そして、彼女達と深い縁のある『キラッとプリ☆チャン』が終わりを迎えて、なおかつ今年はシリーズ10周年という節目の年でもあった。『ドリーミング☆チャンネル』の項でも書いたが、作品とキャラクターへの感謝もあり、シリーズへの感謝も織り込まれていたのだと。

 

 

 

 5. Go!Up!スターダム!


 この楽曲は、タイトルにある様にスターダムを駆け上ろう!というメッセージが込められている。
『私たちみんな小さな星、輝くために生まれてきた』という節があって、リリース当時はデビューして一年経った頃。小さな星というのは当時の彼女達と重なる部分でもあった。

圧倒的な強い輝きを放つ星ではないが、今の彼女達はもう小さな星ではない。悩んで考え、いろいろ試して自分にしか出せない唯一無二の輝きを目指す旅の途中だけれど、段々と自分にしか放てない輝きを魅せてきた。それもまた、この四年の軌跡で彼女達が育てて来た賜物なんだ。


でも、まだこんなものじゃない。もっと強く大きく輝けると。当人たちがそう思っているのは当然だろうし、見ていて応援している我々も未知の可能性を信じている。

 

 

 

 

 6. キラリスト・ジュエリスト


 『Go!Up!スターダム!』からこの楽曲に繋げたのは、エモーショナルと評するしかない。
というのは、この楽曲はプリチャンOPでは珍しく、ちょいとネガティブな感情を謳う楽曲。

個人的な所感だけれども、ライブにおいてインプレッションの落差を発生させる楽曲へ繋いでいくというのは重要な要素だと思っている。感情を激しく揺さぶっていくとも言い換えてもいい。

楽曲それぞれが持つテーマとメッセージ性という要素のみで楽曲を繋ぐ事により、また新しいインプレッションを受け取る事が出来る。これも楽曲が増えた事で出来る様になった事の証明でもある。

 

 

 

 7. ダイヤモンドスマイル


 イントロが流れた瞬間、声は出せないが会場に漂う空気が一変した。
その空気の質は心が戦いで、魂が燃え滾る衝動をもたらす類のモノだ。それほどまでにこの楽曲が持つ力は強いし、楽曲に対して高い評価をされているランナー諸氏が多い事の証明でもある。

だからこそ、オープニングアクトから繋いで来たプリチャン楽曲披露&メドレーのセミファイナルに組み込んだ。勿論、ラストに控えている前座的な扱いではない。楽曲が揃って来た今、ラストに近づけば近づく程その役割を果たせる楽曲は絞られてくるので、それ相応の力を持つ強い楽曲でなければならない。『ダイヤモンドスマイル』とはそういう楽曲なのだ。


 止まらないで駆けて来た次のステップは、高く舞い上がり大空へ飛び立つ事。
『超えてみせるから』と晴れやかで力強い林さんのソロパートで響かせた絶唱はエネルギッシュでパワフル。そう、俺はコレを聴きにこの場に馳せ参じたと改めて思い知らされたのだ。

 

 

 

 8. never-ending!!


 オープニングアクトから繋いで来たプリチャンOP楽曲の旅も、この楽曲で終わりを迎える。


 ※ライブはまだまだ続くが


 センチメンタルで沁みいる叙情的な曲調は、これまでの旅(披露して来た楽曲)を追想して懐かしんでいる様にも感じられる。それは思い出と称してもいいモノなのだろう。何度も言っているが彼女達の軌跡を共に駆けて来たみらい達への感謝も含まれていると思える。


 止まっちゃいられないというのは、Run Girls, Run!アイデンティティだと自分は感じている。
また、『やってみなくちゃわからない』は作中において重要な言の葉。そして、それはRGRを導き奮い立たせていく言の葉である様にも思える。常に寄り添って来たRGRとみらい達との関係は物語の終焉にて一旦途切れるのかもしれない。でも、共に駆けて来た過去は消えないし、また軌跡が交わる刻と機はまた訪れる。だからこそのnever-ending!!=まだ終わらないという事なのだと。


 一つの旅(物語)の終わりは、次の旅(物語)への始まりでもある。それは彼女達にしか歩めなくて描けない。その旅の物語はいい事だけが待っているとは限らないし悪い事だけでもない。でも、想いを込め謳う彼女達の純然かつ清廉な歌声は未来への希望を頑なに信じている気概溢れたモノに聴こえた。


どんな事も意味のないモノではない。それは、彼女達がままならないこの時勢下で抗って得られた答え。終わらないのではなく、終わらせない為への闘いへ三人は駆け出す覚悟を決めたのだと。

 

 

 

 9. (昼)サクラジェラート


 場内の熱気が良い感じに温まって来た頃合いで、場内に響く無機質漂うテクノポップ調のメロディ。
それは、もはやRGRの代名詞と称してもいい“RGR Season Song”の系譜に連なる、春の楽章『サクラジェラート』のイントロ。

言わずもがな、ライブの雰囲気はこのゾーンから一変する。この“RGR Season Song”の系譜が手札にあるのは、Run Girls, Run!にとって何よりの強みではないだろうか。


 何だろうな。この楽曲をライブで聴くのは初めてではないのだけれど、切なさと儚さというマイナス面なインプレッションはこれまであまり感じられなかったと思う。それが、今回のライブでそれを強く感じたのは会場の音の響き方が多分に影響していたのだろうし、何と言っても三人のパフォーマンスの質が向上されたのと相まって、楽曲が進化した事でより深みも増していった事による相乗効果がもたらした成果なのかもしれない。


サクラ(桜)は春の季語。ダンサブルで無機質感が醸し出す切なさと儚さは桜の散り際、もしくはまだ寒さに耐えつつ開花までの刻を待ち焦がれる様子になぞらえている様でもあるのだろう。

 

 

 

 10. (昼)水着とスイカ


 過ぎ去りし夏の終わりを想起させるノスタルジックかつセンチメンタルな曲調に相まって、楽曲の節々に織り込まれている物語の少女の心情を描写している独白(台詞パート)は、ライブで直に聴くと音源のみで聴いた時より深く、鋭く突き刺さっていく。

『サクラジェラート』でライブの雰囲気をガラっと一変させ、このアクトで更にマイナス…ダウナーな空気と観客の魂を誘う。そうさせるには、何に例え評すのが良いか分からないが……三人の芝居力と創り出す間が絶妙と言ったら良いのか……まあ、とにかくこの季節シリーズのアクトをただただ魅入られ惹き込まれたのだと。


そして、三人の切なくも叙情的な歌声がさざ波の様に伝播していく。そんな雰囲気を醸し出す。



『くそ、やりやがったな……』と言葉を零すしかない程に、打ちのめされた。

 

 

 

  9. (夜)秋いろツイード 


 昼に、『サクラジェラート』→『水着とスイカ』やっといて、夜この楽曲は必ずやるでしょと。まあ、セトリを決めるのはオタクではないので勝手な言い分なんですが……

夏の楽章は、少女の恋愛感情に一つの決着が付く結論で終わる様な形。
しかし、このライブで紡がれた四季の恋模様の物語は終わっていなかったのだ……という感じか。終わっていないという事は、心残り…未練が残っているという事だ。昼の季節楽曲ゾーンよりも、切なさと、内に秘めて滾っている少女の激情を三人は歌声とダンスの所作に込める。


 感覚的、主観的な話であって、今更ズレた事を言っているかもしれないが、季節シリーズの系譜を歌っている時の彼女達は、素の彼女達ではなくこの系譜の『少女』になりきって歌い踊っている。

演じるのはエネルギーが要る事だし、三人も簡単にそのスイッチを入れているワケではないのは重々承知しておるのだが、スッとそのスイッチを切り替えた様な自然さがある。勝手な思い込みかもしれないが、昼や夜の季節シリーズのアクトではそういう感覚を抱いたのだ。




 10. (夜)スノウ・グライダー


 “RGR Season Song”の系譜で最も切なく、儚く、重い楽曲。
ホールの壁に、プロジェクションマッピング(照明かも?)にて雪の結晶が映し出される演出がまた見事。ロマンチックとセンチメンタルが同居し、楽曲の持つ切なさと儚さがより助長される。

この世界観の雪模様がどんなモノなのかは分からない。絶え間なく降り続いているのか、深々と静かに降っているのか、はらはらと舞い散る様にふっているのか……ただ、どんな降り方をしていても積もれば真っ白で閑散とした景色を見せる。それは、記憶を真っ白に塗り替える事と言っても良いのかもしれない。


 当然ながら、彼女達の歌声も演出が創り出す雰囲気に負けない、沁み入る様な深みをもたらし、よりいっそう『少女』の心情描写(恋愛感情)を鮮やかに彩って、ただ単純に楽曲を聴いているのではなく、一つの『舞台作品』を観ている感覚に陥った。


正直、自分はこのアクトの詳細を記憶できていない。彼女達が降らせた『雪』という表現力によってただでさえ少ない自分の脳ミソのキャパシティにその雪が降り積もった……




 11. Darling Darling (森嶋優花ソロ)


 “RGR Season Song”ゾーンの余韻冷めやらぬままに、メンバーのソロ楽曲ゾーンへと畳み掛けていく。ソロパートの先陣を切るのは、RGRのリーダー・森嶋優花

音源には無い、ライブ仕様のイントロで観客の五感を超越した『ピクッ』となる第六感を刺激し、続けざまに森嶋さんの溌剌かつキュートな歌声が一気に場を支配する。そして、彼女のイメージカラーでもあるオレンジの光が客席を染め上げる様はさしずめ太陽が昇るかのようでもあった。


 この楽曲はラブソングの体を成している。詞の文脈もそのテイストで綴られているからそういう解釈で間違いないだろう。あくまでも勝手な私見だが、何も男女の恋愛感情に限った歌のみがラブソングの定義ではない様に思う。それぞれに違うもっと広い範囲で親愛の情を歌うのがラブソングではないだろうか。

森嶋さんが歌に乗せた伝えたい『愛』と想いのカタチ…即ち、彼女が貫きたい表現の形は、受け手側を置き去りにしていく一方的な表現ではなく、双方向への想いの循環を重視する事なのだろう。本来だったら、観客の合いの手だったリコールで盛り上がれる感じの楽曲だが、現在の情勢下でのライブは観客が声を出す事が叶わない事。にしても、この楽曲で思う様にはしゃげないのはある意味拷問だ……


 何よりも圧巻だったのは、その太陽の光(オレンジの光)に全く引けを取らない森嶋優花の歌い踊る姿。ステージを端から端へと立ち回り会場に馳せ参じたランナーや配信で観ているランナーに『愛』を振りまいて表情と動きの豊かさで魅せて惹かせる。

そして、彼女は頭が良い人。物事の本質を理解する力に優れているというか。
『こうしたら、人からこう見えてこういう反応が得られる』といったロジックを解析できる。それは彼女がこれまでいろんな経験をして来た中で得られた賜物なのかもしれない。

パフォーマンス出来る楽しさを、自分の限界を超えていく貪欲さを追求する。我々も楽しかったが一番楽しんでいたのはステージの森嶋さんだった。やっぱり、彼女はファンタジスタなんだって。


 森嶋さんが目指す『Darling Darling』という楽曲の到達点は、これからも歌う機会と刻を多くしてもっと楽曲が持つ表情を引き出し進化させていって強くする事。そして、我々の声もそれをなす為の重要なファクターであると。


この4th Anniversary LIVEで太陽は昇った。そして、最も高い位置まで昇ろうとする軌跡と刻で『Darling Darling 』がどんな進化を遂げていくのか楽しみでならない。

 

 

 

 12. 逆さまのガウディ(厚木那奈美ソロ)

 
 イントロを聴いた瞬間に血が燃え滾る様な感覚になる楽曲が存在する様に、その対極として身構えて戦慄してしまう楽曲も存在する。厚木那奈美が歌うこのソロ楽曲は後者だ。

何か物々しいワケではないし異常に荘厳な楽曲でもない。でも、本能がそうさせてしまう。それは、彼女が持つ“魅惑と魔性の領域”=Nanamiの領域がこの楽曲を進化させたと言ってもいいだろう。

それを成しているのが、厚木さんの不可思議なパーソナリティ。
彼女のスイッチというか引き出しの多さってのは正直よく分かってないし、何か踏み込む事を躊躇わせる部分をある。そっから先に行ったら現世に戻って来れねぇぞ的な。

柔和で淑やかさもあれば、堰を切った様にオタク語りしだしたり、各関節にマグネット・コーティングを施されてるかの様なキレっキレのダンスで魅せたり、天然であざとかったり……と、まあ彼女のパーソナリティは筆舌に尽くし難いモノなんです。

 

 

 で……夜公演で観たこのアクトが非常にヤバかったんですよ。



 自分の夜の部の座席が後方ブロックの最前列だった。そして、目の前には座席間隔を空ける為の通路が拡がってステージへと繋がっている。つまりは、視線を遮るモノがほぼ無い状態……言い換えると、矢嵐降り注ぐ城壁の上に立たされてるのと同様の状態なのである。何の映画かは忘れてしまったがそのシーンが俺の脳ミソにフラッシュバックしてきた。へっ?このライブってVR着用だったかと錯覚するほどに。


(どんな例えやwww)


 ステージに立つ厚木さんは、そんな一人のおっさんが動揺しまくりの状態なんざ勿論知るわきゃない。もう、爛々として歌い踊り出すんです。『not  nana meet to you not nana meet to you』の所の振りの所作で、彼女が自分自身を指差す所作が、とにかく可愛くて、クッソ可愛いんだけれども……
現地で直に、しかも視線をほとんど遮るモノの無い状態で観たらね……

 


あーもう、眼がヤバい。

とにかく厚木さんを直視出来ねぇ……

眼球そのものが逝く。

 


 それはあらゆる防御が無効であり、必中のクリティカル&特効付きで勿論距離なんざ関係ない。
このホールって、まあ縦長っぽい構造だったんです。厚木さんは本当に最後列の人にも出来る限り分かり易いというか観やすくしようと心配りされて、よりダイナミックかつエレガントに舞い踊ったんです。そこに彼女の柔和で繊細なボーカルが加わってこの楽曲に一分の隙は無くなる制圧力。

行かないようにって詞があるけど、逝かないようにって勝手に脳内変換されてしまうほどに厚木さんがステージで創造する魅惑と魔性の領域の世界に魂が囚われてしまった。そう、この領域に飛び込んだら考えるのではなくオタクの第六感で感じるしかない。


 手のひらで転がされるって言葉があるじゃないですか。『逆さまのガウディ』ってそういう楽曲。
相手の思うように完全に支配されている…つまり、我々の意志は存在してなくて100%厚木那奈美の手のひらで我々は転がされている。菩薩の様な柔和な微笑みを浮かべながらも、やっている事は結構エグいwwwもう成す術がない……完全に負けた。負けた壁の向こうで厚木さんが微笑んでる。(妄想…)バケモノ(最大級の賛辞です)は退治しなきゃいけないが、このバケモノは抗う事すらさせてくれない。リアルチートって本当にいるんだなって……


 厚木那奈美の存在が(いい意味で)本当にズルい。前にも同じインプレッションを彼女に抱いたが、改めて痛感させられたんだ……彼女の個のチカラと輝きの強さを。

 

 

 

 13. りんごの木(林鼓子ソロ)


 ソロパートゾーンのトリを務めるのは、RGRのセンターにして歌姫・林鼓子
彼女がステージ上に現れた瞬間、バリバリのビートを刻んだロックサウンドが聴覚へ鳴り響き、血を流した様に客席が彼女のイメージカラーの赤で鮮やかに染まり、そのド真ん中で佇む彼女を視覚で認識する。その二つの感覚がトリガーとなり、身体に震えが起こった。この震えの正体は、早く彼女の絶唱を浴びて血を滾らせたいという武者震いだ。早まる鼓動が抑えられない。高まる衝動が早く闘わせろと。


 この楽曲は前述の通り、まごう事無き純然なロックテイスト。諸説あるが、ロックとは己の生き様を謳う事が定義の一つだそうな。彼女の歌声ってやっぱりチカラが強烈なんだよな。(語彙力……)
その歌声は場の空気を振動させて客席へ叩き込む様な強さを抱かせてしまうほど強い絶唱”と称する『暴力』なんだ。リミッター解除したはやまるに恐れるモノは無いと言った所か。

 自分がもっと輝ける事を信じて己を見失わずに突っ走る。今よりもっと多くの人達に認められて表現の世界で居場所を勝ち取る為に。荒削りで無骨な叩き上げの魂を滾らせて林さんは謳う。
そんな彼女の血の流れる魂の絶唱を聴くのではなく身体で浴びる。そうすると、こちらの魂が戦いでビートを刻みだしてリズムをとって、拳を力いっぱい振り上げる。

 もう、実際に参戦する前から感じてはいたんだよ、『りんごの木』を現地で聴いたらこんなになるって。曲入りから彼女はフルスロットルなのよ。客席を絶唱で圧倒しに来ていた。それは、単に爪痕を残そうなんて優しいモノじゃない。魂ごと抉り取ってやろうという獰猛さが迸っていた。


そう、林さんは観客に真っ向からノーガードの殴り合いの喧嘩を吹っかけてきたんだ。

 


私を見ろッ!歌を聴けッ!!覚えて帰れッ!!!そして、忘れるなッ!!!!と。

 


 エモーショナルの暴力で右の頬を殴られ、続けざまに左頬も殴られ、止めに顎を撃ち抜かれて思い知らされたのだ。林鼓子は巧いんじゃない。強ぇんだと…… 

未来の刻で、彼女がこの楽曲を歌った際に、マイクスタンドを蹴り上げてターンさせたり、何か意味もなくシンバルがえらい高い位置にセットしてあってそいつを蹴り上げたりするかもしれないwww


それはそれで、めっちゃ面白そうなので是非観たいものです。

 

 

 

 14. Break the Blue!!


 三色で彩られたソロ楽曲の次に出てきたのは、若さを象徴する蒼(青)の魂を持つこの楽曲。
あの異常なまでに強力なソロ楽曲たちの次に出てきたら否応なく比較されるワケです。それでもし、会場全体のテンションとボルテージが落ちるようなことになっては負けなのだ。

彼女達三人も闘っているのと同様に、楽曲もまたそれぞれの闘いがある。ましてや、この『Break the Blue!!』は空戦を扱った作品のOPテーマ楽曲。闘って限界突破を果たす的な。


 Breakという言葉は『壊す』と訳される。何かを壊すという行為は何も物体に限った事じゃない。
一定の形として認識できないモノ…例えば、刻の流れとか人を取り巻く流れもそれに含まれているらしい。この楽曲のタイトルの『Break』は見えないモノを壊すという解釈なのだろう。

そして、蒼(青)を指す『Blue』は若さという意味でも捉えられる。変わりたいという想いを抱き、一歩踏み出す勇気。それは、彼女達が殻を破ってOTONAの軌跡を往く事にも繋がって。実際、林鼓子さんは来年成人を迎えるし。


 観た人だったらご存じでしょうが、これまでの楽曲に引けを取らない甲乙つけ難い見事な潔くも格好いいアクトを魅せてくれた。音源では突き抜けてない限界領域を衝動で突き抜けた。この謳も『闘いの謳』なんだ。蒼い大空へと羽ばたいて翔ける。彼女達の背中にはそれぞれの心の光で彩られた翼があって、どこまで行けるのか?どこまで高まるのか?それを試すように……

 

 

  

 15. 無限大ランナー

 
 音源で初めて聴いた時から、ライブで直に聴いたらリミッター外してブチ上がるって決めてた楽曲。火に油を注ぐ楽曲としてLIVEのセットリストに組み込める楽曲が存在し、それが出来るアーティストは強いアーティストであると勝手に思うんですよ。水樹奈々さんやWake Up, Girls!にはそういう楽曲があった。RGRにもないワケではなかったが、そこまで極端に振り切ったモノは無かった様に思う。

でも、そんな楽曲が遂に現れたんだ。RGR楽曲の軸の一つであるアンセムの系譜でも随一な、ピーキーで荒削りな叩き上げの魂を謳うこの楽曲がッ!!!イントロの瞬間から血が滾って『うおぉぉぉッ!!!』って吠えたくなる様な衝動が襲って来る。そうやって向かい合わないとこの楽曲に骨ごと喰われる。そんな獰猛でやんちゃな楽曲。

 


そして、今の刻のRun Girls, Run!の強さをダイレクトに象徴する『アンセム

 


 楽曲がリリースされてから、披露する機会はいろいろあったが彼女達はこの4周年ライブツアーまで大切にとっておいた。(…合ってるよな?)三人もそうだが、ランナー諸氏もこの楽曲の限界領域をまだ掴めていない。だから……彼女達は『限界までアゲていく。どこまで踏み込めるかは任せた』という突き付け方をした。

それを受けたランナー諸氏は、もう踏み込むしかなかった。行きつく所までかかって来いと挑戦状を渡されたのだからこちらも限界を攻めようとする。止まってなんかいられないのだ。そんなメッセージを込めてこの楽曲は謳われるのだ。

 

 (Runner! Let's Go!)

 挑め Here we go! Here we go! キミと走る Wonder! 


 壁壊して Up to you…掴め未来を 


 挑め Here we go! Here we go! キミと走る Runner!


 上がれ Speed! Speed! 行けるとこまで


 ―Run Girls, Run!『無限大ランナー』より引用

 

 身体でサウンドを感じてビートの鼓動を刻み拳を振り上げる。更には、滾る熱が鎮まらずに激しくヘッドバンキングまでしてしまう。そこまでしないとこの楽曲と彼女達の暴れっぷりに負けてHIGHから一気に灰になって燃え尽きてしまうんだ。(実際、終演後は首がちょいとヤバかったwwww)

これを感じたかった。何か色々脳ミソの中を渦巻くあらゆる鬱積したしがらみを忘れて没頭してただはしゃぎたくて暴れたかったんだと。(勿論、周りに迷惑の無い様に)


 彼女達の今を象徴している最高な楽曲とパフォーマンス。そして、この楽曲がもっと進化する未知の可能性。そして、彼女達がこの世界で生きる事を諦めない姿勢を貫く事でこの楽曲に新しい血が流れる。それが、RGRの生き様の証なのだと。


 


 16. My Best Shine!!


 ファンへの感謝と、一緒になって盛り上がれる事を願った楽曲。
『無限大ランナー』とはまた趣きが異なっていて、Theアイドルソングと称するに相応しい可愛らしさにステータスを全振りした極端な楽曲。この楽曲もまた、Run Girls, Run!の新しい引き出しだ。

どの戦場で出しても充分にRGRのパフォーマンスを魅せ付けられる質の高さがあるし、どの順番で出しても大丈夫な汎用性がある。

 

 もっと遠くまで 届けたい歌があるから

 
 だから繋がっている (今に繋がっている) 

 
 楽しいときも 嬉しいときも

  
 これからも いつだって


 
(Make You happy!! It's Happy Time!!)

 

 ―Run Girls, Run! 『My Best Shine!!』より引用
 

 かつて、彼女達は『ライブがしたい!!!』と高らかに吠えた。(3周年の頃)
その頃はヤツの所為で、まともに出歩けない自粛だったり、ライブやイベントなんてもっての外。
でも、そんな中でも彼女達は駆ける事を止めなかったし、いろいろファンの為に様々な試みに挑戦された。そして、刻が経ち……ようやくライブが開催できるまで情勢がいったん落ち着いた。

みんなが逢いに来てくれてライブが成立する。無観客の配信ライブを経験された彼女達にとって、有観客で歌える事の喜びはひとしおだっただろう。上記の詞はその刻が必ず訪れる事を信じて諦めない想いに溢れている。


あなたを幸せにする。それは幸せな刻なんだと……彼女達は信愛の情を持って歌声を響かせる。


我々もまた、直接だったり画面の向こう側から、ステージに立って歌う彼女達へ想いと魂を…例え声が出せなくても、声が届かなくても届けられる。今まであった当たり前が当たり前じゃなくなったこのふざけて狂った世界が、想いと魂を直接伝えられる事の尊さを教えてくれた。


 逢えない刻も彼女達にとっては必要な刻だった。そんな刻があったから大事なことに気付けた。意味の無い刻ではなかった。そんな苦難も彼女達は自らの燃料として駆け続けた。


あまりにも眩しい極上の輝き。そこには自分がまだ知らない『Run Girls, Run!』がいた。

 

 

 

 17. ランガリング・シンガソング


 最後に披露する楽曲は、グループの愛称が曲名に冠されたこの楽曲。


リリースされてから、現地参戦してコイツを直に聴けるのをどれだけ待ち焦がれた事か……それがようやく叶った。こんなに嬉しく滾るモノはない。

叩き上げの魂と彼女達の生命の音を燃やす『闘いの謳』であり『アンセム。剥き出しの生の感情を曝け出しただ直向きに歌い舞い踊る。そんな彼女達の姿を直に観て燃え滾らない理由はない。この4th Anniversary LIVEで、彼女達が終始魅せ付けたのは、何が何でも未来の刻を勝ち取る事と、表現の世界で生き残ろうとする強固な意志とPRIDE。執念と言ってもいい。


そんな彼女達の生命の音を燃やした謳を聴きながら、4周年ライブの開催を発表した刻の彼女達の誓いの言葉がふと脳ミソをよぎったんだ。

 

 林鼓子さんは、絶対にぜったいに、アツいライブになる!!!と。


 森嶋優花さんは、みんなと過ごせるライブ、ぜったい楽しんでもらえるライブにします!!と。


 厚木那奈美さんは、ランナーさんからいつも走る勇気をもらっているので、4周年はそのお返しができるように、パワーを届けるLiveにしたいと。

 

 熱く滾るライブだった。凄ぇ楽しいライブだった。めっちゃパワーを感じて魂に届いたライブだった。
強いRun Girls, Run!を魅せると誓った言葉に嘘偽りはなかった。待っていて本当に良かった。声は出せないが、魂の声張り上げてあのパートをシンガロングするんだ。それが彼女達の本気に応える唯一の行為と賛辞だから。

 

 好きだよ 好きだよ 叫んでいる

 
   (Run Girls, Run!!!)

  
 とどいて とどいて 熱い想い

 
 (のせて走れ!!!)


 ―Run Girls, Run!『ランガリング・シンガソング』より引用

 

 彼女達も、参戦された皆も、そして配信観て魂を飛ばされた方達も、境界を越えて繋がって未来の刻へと駆け出した。いつの日かもっと大きな会場で声が出せる様になったら、全身全霊の声で彼女達への深愛の情を思いっきり吠えたいものだ。


そんな未来の刻と機が必ず訪れる事を信じて止まない。

 

 

 

 EN1. プリマ☆ドンナ?メモリアル  


 この楽曲は、プリティシリーズの各作品からキラッとプリ☆チャンへと繋がる内容になっている。

縁への感謝を謳い、過去を蔑ろにせず、今の刻を懸命に生きて未来へ想いを馳せて進んでいく。
彼女達が先人達から受け取ったバトンを今度は後進(次の作品)へ想いと魂を繋げる。刻が経っていけば立場も自ずと変化していくもの。


でも、変わらない想いもまたあるのだ。


 『輝くわたしになりたい!』という詞は、シリーズに共通して受け継がれて来たワードで後の作品(ワッチャプリマジ!)にもその想いは継承されているのだと。勿論、現実のRGRにも当てはまるワードでもある。RGRと縁の深いコンテンツであるプリティシリーズは今年10年という記念の刻を迎えた。そんな記念(メモリアル)の年だからこそ、その楽曲は是非とも4周年ライブにて歌いたかったのだと。


 そんな彼女達のプリティシリーズへの縁の感謝と深愛の情が存分に詰め込まれたアクトになった。みらい達もきっと、RGRの三人に『謳ってくれてありがとう』と告げたのかもしれない。

 

 

 

 EN2. カケル×カケル


 Run Girls, Run!原初の楽曲にして、最も長い刻を共に過ごして駆けてきた“戦友”と称してもいい楽曲。本当に最後の最後でこの楽曲を歌うのは、原点回帰、もしくは常に初陣という心持ちを忘れない為なのかもしれない。

そして、コレになぞらえるのは、一種のアレルギー反応の様に受け入れられない人がいるかもしれないが……俺の中において、もう一人の彼女達の魂との繋がりは無視できないので触れていく。


 林鼓子森嶋優花厚木那奈美が初めて魂を共有して駆けてきた“戦友“である、速志歩、守島音芽、阿津木いつかへの巡り逢いの縁を謳う楽曲でもあるのだが、今の刻では彼女達との前向きな別れの楽曲という新しい表情へと昇華された。

 

 しばらく会えないかもしんない

 
 待っていて 忘れないよって

 ぎゅっと 何もない両手握る


 ―Run Girls, Run! 『カケル×カケル』より引用

 

 このパートの節々と『子供時代にさよなら』というのは、双方のRGRの事を示しているのかなと感じたのだ。現実のRGRが向こう側のRGRと関わりがあったのは消せない過去。でもその過去を否定して切り捨てるのではなく、前を向いて進んでいく為に必要な別れなのだろう。それが彼女らの信じる道であるのならば周りが何と言おうとその選択を後悔しないでほしい。それが正しいのかそうじゃないのかなんていう他人の物差しなんて関係ない。貴女たちの信念を貫いて欲しい。


 挑まない者のカレンダーに『何時か』という言葉はない。
また何時かの未来の刻で、また彼女達は再会できるのかもしれない。可能性はもしかしたら低いかもしれないが……そんな奇跡を信じている奴が一人ぐらいいたっていいんじゃないか。

 

 

 

 

 最後に……


 ライブが終演。規制退場して外に出ると冷え切った寒風が、ライブの興奮で火照った身体を急激に冷ましていった。それと同時に全身全霊を出し尽くした代償である疲労感が身体を襲う。久々に体感するこの感覚、そして、受け取ったインプレッションは膨大なのにすぐに言語化できない感覚もまた久しいもので心地が良い。


そんな最高のライブの余韻に浸りつつ、彼女達の締めの挨拶を思い起こしていた。

 

 厚木さんは、彼女が負ってしまった負傷で元々のライブの予定が延期した事を詫びた。まあ誰も、彼女の所為や不注意だと一方的に責め立てる輩は見当たらなかったし、当然そんなつもりも一切ない。ただ厚木さんが無事に復帰して最高のパフォーマンスで我々を魅了してくれたのは本当に素晴らしかった。


 林さんは、この1~2年の刻の中、自分が前に進めているのか?止まってしまっているのかという不安を吐露された。それでも彼女は見えない暗闇の中でも進む事を諦めなかったと思う。その証明が血の流れる魂の絶唱なんだ。不断の努力と自らの経験に裏打ちされた信念がそうさせたのだと。


 森嶋さんは、我々に誓ってくれた。もっと大きな会場に皆を連れて行ってまだ見た事無い景色を一緒に見よう!と。そして、今まで経験した様々な苦難がよぎったらしく感極まって涙を流した姿には胸が締め付けられる思いだった。この子が涙腺に押し戻した涙と黙って飲み込んだ苦しみが報われてちゃんと認められる世界であってほしいし、彼女の涙に応えてやらねばと魂に誓った。


 どのメンバーも、じっくりと月並みで無難な事を言うのではなくしっかりと熟考されて言葉にしたんだという事が分かるその子らしい言の葉に溢れていた。Run Girls, Run!がこれからもっと多くの人にちゃんと見つけられて、認められて欲しいと切に願う、それが出来るチカラは持っているのだから。

 


来年には、もう恒例行事となったバレンタインイベント&ホワイトデーイベント開催決定の報。

 

 

 

そして……初となるミニアルバムのリリースも決定した。

 

 

 イベント開催は勿論、何よりも新しい楽曲が増えていけばもっといろんな事ができるだろうし、新しく知る人も増えていくだろうし、もっと大きな会場でのライブ開催の機に繋がっていく。この報は本当に嬉しいモノだ。

 

 改めて、4周年記念ライブツアー『Run Girls, Run!4th Anniversary LIVE Run 4 You!!!』完走お疲れ様でした。


いい意味で予想を裏切って、期待にきっちり応えてくれた本当にいいライブだった。
Run Girls, Run!は見事にRun Girls, Run!を超えて、新しい感動を与えてくれた。その物語にはRun Girls, Run!とランナーの皆が絶対不可欠である事を、彼女達三人が自分達の言葉を歌とダンスに込めて本気の想いと魂を伝えてくれた。双方の絆と縁への感謝を感じられるような、ツアータイトルに冠されたRun 4(For) You!!!に相応しいライブだったと確信している。

 

 4周年の年を全力で駆け抜けた彼女達は、あらゆる想いを受け取って再び駆け出して行った。一つのゴールは、また新しい軌跡へのスタート。Run Girls, Run!の物語はまだ始まったばかりだ。未来はあるのか?という問いに、彼女達は未来を掴み取ってやると強い決意で答えを示した。

 

 



そう、『止まってなんかいられない』のだ。

 

 

 

 

 

 

 

ここから未来へ!!!ーRun Girls, Run!4th Anniversary LIVE Run 4 You!!!~東京公演参戦に寄せて。

 どうも。あかとんぼ弐号です。

 


この記事は『Run Girls, Run! Advent Calendar 2021』12日目の記事となります。昨年に引き続き、今回も参戦させていただきました。

 

 

adventar.org


ちなみに、昨年書いたモノがこちらになります。

 

akatonbo02.hatenablog.jp

 

 昨年同様、今年も所謂『お気持ち表明Blog』的なテイスト。
今回は、待ち焦がれて…遂にあと1週間後に迫ってきたRGR4周年記念ライブ参戦に寄せて手前勝手に滾っている意気込みを書き殴っていこうと思います。


そもそも、この怪文書に需要が無いのは自分が一番分かっておりますが…自分がこれから先の刻で忘れない為と、当時の心境を掘り起こせる手段として文章という形で残しておこうを思った次第であります。

 

 

 

 つい先日、RGR4周年ライブツアーRun Girls, Run!4th Anniversary LIVE Run 4 You!!!』の仙台公演が無事終了した。自分は参戦出来なかった為、公式のレポやら参戦勢の所感を見聞してその模様を知る事が出来た。

その中で、特に印象深かった事は、公演全て(昼夜共)において初めてRGR楽曲のみでカバー楽曲を一切歌う事無く成立出来た事だろう。貴様は何様目線だ?と言われるだろうが……やっとこの領域に来れたなと。

しかも、RGR楽曲で披露しなかった楽曲もあったそうで、同時にRGR楽曲の底の深さをアピール出来たのではないだろうか。そして、最も肝心なのは、改めて書くまでもないが三人それぞれのパフォーマンスも質の高い見事なモノだったと言う。

 
 カバー云々とあったが、これまでRGRは持ち歌が少なかったというウイークポイントを補う為、1stツアー、2周年ライブ、配信ライブで直系の先輩グループ(i☆RisやWake Up, Girls!)の楽曲や彼女達に深い縁がある『プリティシリーズ』において、RGR名義以外の楽曲をカバーする事があった。でも、先日の仙台公演ではそれらは一曲たりとも歌わなかった。

特に、仙台という地は三人にとって初めて関わった作品『Wake Up, Girls!』の舞台となる地であり、聖地でもある。故に、WUG楽曲をライブでカバーするのは規定事項と勝手に決めつけてしまった。そんなつもりはなかったはずだが……自分は『Run Girls, Run!』の本気で懸ける覚悟をどこか侮ってしまったのだ。信じてやれなかったのは我ながら恥ずかしい話である……

彼女達は、WUGの幻影の背中越しに見えたのだろう。三人にしか駆けられない遥か先、Next phase(次の軌跡)が。
いや、三人だけじゃないのかもしれない。WUGの背を追っていたもう三人の掛け替えない『戦友』の魂もそうなのだろう。諦めないで待っていてくれて……双方の魂が縁深い仙台という地で導かれ合い共に未来の軌跡への扉を叩きその一歩を踏み出した。



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 RGRの自立を旗印に冠して、偽りない意地を示し未来を掴み取る闘いに打って出た。


RGRにとってもHOMEの地である仙台で、変わろうとする覚悟と成長の証を魅せ付けた凱旋公演だったと評していいのではないだろうか。



 何はともあれ、彼女達三人の懸ける想いと魂の強さできっちり闘えて、仙台公演を見事成し遂げたという事実は素直に称賛しなければならない。

 

 

でも、それはそれ。これはこれなのだ。(ここから本題……)

 

 

 ライブというヤツは生き物だと称される事がある。
会場が変われば見え方や聴こえ方が違ってくるし、同じセットリストでも演者のコンディションやテンションも公演毎に変化してこれまたパフォーマンスの質も変わる。全ての観客が同じ人というのは有り得ないし、現地と配信では感じ方が全然違う。何もかもが全く不変なライブというのは絶対にあり得ない。

あくまでも、コレは自分の価値観でしかないという事を言ってしまうが、自分が参戦出来ないライブの事は単なる情報でしかない。ライブのエモーショナルな感動は実際に見て感じないとインプレッションとして刻まれないのだ。自分は騒がず落ち着いて観ると思っている人でも、いざ現地参戦してみたら我を疑う様な大声出したりはしゃいだりする事は割と起こる事だ。


(…過去に、参戦してないライブの所感を書いた事があるのは内緒)


 この記事が投稿された七日後、4周年ライブの東京公演が待ち受けている。で、自分もその公演に参戦する。自分がRGRのイベントに参戦するのは2020年2月のバレンタインイベント以来の参戦になる。

更に言えば、この東京公演は有料生配信される事にもなっている。今は、少々世情が落ち着いているが油断は全く出来ない状況である為、生配信されるという報は喜ばしい事だ。配信の為には当然その分の経費が掛かるのを承知で踏み込んで実現させた。彼女達だけではなく運営サイドのOTONA達も本気で今回のライブに勝負を懸けているのだ。その配慮と心意気は本当にありがたく感謝の念を抱く。



 

 仙台のみ参戦された人、仙台に続いて東京にも馳せ参じる人、自分と同じく東京のみに参戦する人、諸々の事情にて今回は参戦が叶わず配信という形式で魂を飛ばす人も。多くの人が今の刻のRGRの本気の想いと魂を感じようとしている。当然だろうが、RGRの三人も仙台のパフォーマンスが最高到達点だったとは微塵も思っていないはず。そして、仙台に参戦された人達は口を揃えてこう言う。



今、この刻の『Run Girls, Run!』をもっと多くの人に見て欲しいと。



東京ではもっと凄いパフォーマンスを魅せ付けてやろうと残り僅かな刻の中でもきっちり鍛え上げて本気で臨んで来るのは明らかだ。その想いと魂に負けられないし全力で応えなくてはならない。

 


 しかし……オタク(ファン・サポーターでもいい)とは、面倒くせぇ生き物だ。
全部がそうだなんて言わないが、ほぼほぼ面倒な連中である。


(俺も人様をどうこう言えんが……)


 彼女達が何かしらの形態で発信した事やモノを全部肯定される意識がエベレスト並みに高い物分かりがいいファンがいる一方で、何かと上から目線の物言いで注文や意を唱えなきゃ気が済まない人もいる。とにかく、人が増えるに従っていろいろなスタンスと意見を持つ人はどうしたって出て来る。


 で、斯く言う俺だが、怠惰の極みにいるランナー……いや、ランナーと称するのもおこがましい奴である。


 だから、東京公演で魅せるエモーショナルの暴力で徹底的に圧倒して捻じ伏せて欲しいのよ。彼女達がオーディションで捻じ伏せて夢を潰した者達と同様に。そして、僅かな異論すらも挟む余地がない程に俺を含めたオタク達を分からせて欲しい。

偏狭な盾と鎧でいくら武装してようが関係ない、その盾や鎧の上からでも殴りかかってぶっ壊そうとする情熱と叩き上げの魂。悔しかったら悔しい!と大声上げてちゃんと吠えられて、至らない部分があると気付けば認められる潔さ。いい意味で予想を裏切って期待に応えられる強かさもあって、何と言っても、三人ともクソ真面目で諦めが悪くてしぶとい。

いろんな……特に、自分達の力ではどうしようも出来ない情勢で回り道せざるを得ない軌跡だった。でも、そんな中においても足りない部分と真摯に正直に向き合って、修正しながら進んで来た。もがいて抗いながら挑んだ刻は彼女達の糧となり、絶対に裏切らないだろう。

 過去のLiveで聴けた楽曲がどれだけ進化して凄くなったのか?まだLiveで聴けてない楽曲が、直に聴いた際、どれだけの新しいインプレッションとインパクトで自分の魂を撃ち抜くのか?そして、あの三人の個のチカラと全身全霊を懸けて輝こうとする強い想いと魂。

 

つまり……何が言いたいのか?

 

 

 Run Girls, Run!でドキドキしてワクワクしたいんだよ。俺は。

 

 

コイツら凄ぇ。あの三人に負けた……と。
もうそれしか言うしかない程に『Run Girls, Run!』の本当のチカラを魅せ付けて 徹底的にきっちり打ちのめしてくれ。

 

 

林鼓子 森嶋優花 厚木那奈美ならそれが出来ると信じてる。

 

 

 

 …と、まあ、ここまで熱苦しい怪文書を書き殴って来たワケだが、過剰な熱を帯びた要因は一つあった。(他の方の記事を拝読して触発されたというのもあった)

 


それは、Run Girls, Run!終焉』の刻だ。

 

 

 物事には必ず終焉、つまり終わりが訪れる。それはいかなるモノでも避ける事が出来ない自然の理。それは、グループという形をとって活動(生きてる)している『Run Girls, Run!』とて例外ではない。年月を経ていく度に忍び寄って来る感覚を抱いてしまうんだ。

直系の先輩グループである『i☆Ris』はメンバーが一人卒業されて新しい軌跡を駆けている。もう一組の先輩グループ『Wake Up, Girls!』は解散という形の終焉を選択した様に、RGRも刻々と終焉の刻へ近づいているのは紛れもない事実だ。それをOTONA達から一方的かつ無情に告げられるのか?自分達でちゃんと一つの区切りとして終わる権利を行使出来るのか?それがいつ何時で訪れるのかは誰にも分からない。

個人的な願望だが、三人が未来の刻を駆ける為に納得できて必要な終焉の形を選択して欲しいと願うばかりだ。そして……そうなった刻で別れの覚悟をちゃんとさせてくれ。


 散り際を愛でる…もしくは散り際の美学というのか。満開の桜を愛でるのは勿論いい事だが、散る桜の儚さを惜しみつつ、その潔さと儚さを美化する心情は人が持つ抗えない『性』なのだろう。いつかは終わる覚悟を持っている。でも、終わって欲しくはない。矛盾しているのは承知の上。しかし、これを考えた所で結局は平行線だろう。


それらの感情を踏まえて、自分は今、この刻を大切にしたいと思う。


Run Girls, Run!』が輝こうとする瞬間を魂に刻み込みたい。


 自分だけではなく、あらゆる人達がこれから控えている4周年記念ライブの東京公演に特別な想いを馳せているのは明らかだろう。

前述にある様に、人それぞれの向き合い方と楽しみ方が存在する。人様に迷惑、常識や他者の尊厳を無視したり、更に法を犯さなければそこに他者が介入する余地はない。ありのままで迎え入れればいいのだと。



 その瞬間しかない刻を本気で駆け抜ける為に。


 その日を極上の今日にする為に、限界を超えて最後まで闘う為に。


 三者三様の個のチカラと輝きを魂に刻んで、新しい可能性と場へ導く為に。


 三人だけの想いと輝きと彼女達にしか謳えない生命の音を燃やした歌を。


 RGRへ真愛の情を直に叫べないが、魂(心の中)で吠えて応える。

 

 

 『Run Girls, Run!』の全身全霊にこちらも全身全霊で応えて全力で楽しむ。
もしも、コレを読まれた方もそれぞれのやり方で準備して全力で楽しんで欲しい。

結成してから四年も経ったのか、まだ四年しか経っていないのか分からんが、RGRが全力で駆けて来て紡いだ歴史に新しい項目が書き記される事を楽しみにしている。


そんな滾る想いと戦ぐ魂を持って、RGR4周年記念ライブ・東京公演へ向けた熱苦しい意気込みを締めさせていただきます。

 

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Run Girls, Run!4th Anniversary LIVE Run 4 You!!!~東京公演の開演まで、あと7日!!!

 

 

PRIDEと誓いを胸に、全身全霊の魂懸けて輝く姿を!!!

 

 

 

 

 

狭き道を往く冒険の旅人達の『対』となる謳

 今年も、この季節が訪れたという事で『Wake Up, Girls Advent Calendar 2021』11日目の記事担当として参戦させていただく、あかとんぼ弐号です。

 

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自分は、2018年からこの企画に参戦致しまして今回で4回目になりました。で、過去に参戦した際書いたモノがこちらになっております。

 

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 毎年参戦されている方、久々に参戦される方、今回、意を決して初めて参戦される方。それぞれ一人一人にWUGへの想いがあって楽しみ方や愛情を文章にしたためる。自分のWUGへの想いをアウトプットする事も、皆さんのWUGへの想いをインプットするのも非常に楽しいモノです。


今年も、想いを語り合える場を設けていただいた主催のておりあさんには感謝致します。


 この怪文書(記事)を潜影蛇手(寄稿)するのは、11日目。
折り返しにはまだ早いですが、エモーショナルに溢れた記事を連日読み耽って、皆様エモーショナル疲れした頃ではないでしょうか?ただ、それは不快な疲れではなく心地いい疲れだと思いますが。


 なので、自分がこれから書き殴っていくのは、ちょっとしたガス抜きを兼ねたテイストのモノ。エモーショナルとは程遠く肩の力を脱臼するほど抜いていただいて、ホント気楽に読める様なテイストにするつもりです。


 これから書き殴る事は、あくまでも個人の独断と偏見と暴論によって書かれたモノになります。異論や反論は大いにある事と思いますがご容赦下さい。

 

 

 

  数多あるWUG楽曲。その中において楽曲の世界観・物語が繋がる系譜となる組み合わせが幾つか存在している。楽曲が取り上げているテーマを引用して~シリーズとか呼ばれたりする事が多い印象。(一般的に多いと思えるのが四季をモチーフにしている季節シリーズではないかと)


『タチアガレ!』→『少女交響曲』→『Beyond the Bottomへと繋がっていく叩き上げの魂を謳う『アンセム』の系譜。

『海そしてシャッター通り』『言葉の結晶』『土曜日のフライト』『さようならのパレード』の四曲によるはなむけとして贈られたWUG組曲……etc

一つの楽曲でも、当然ながら世界観やメッセージ性はちゃんと成立している。でも、楽曲を繋げて捉えてみるとまた一つ一つの楽曲の物語やメッセージ性がより深いインプレッションをリスナーにもたらす。


 そして、『対』になる楽曲も存在している。続編とか後日談、アンサーソングと呼ばれるモノが『対』になる楽曲という認識でも通じるだろう。

WUG楽曲で『対』になる楽曲で真っ先に浮かび上がってくるのが、原初の楽曲『タチアガレ!』と最後の楽曲『さようならのパレード』がその代表例だろう。コレに関しては、この二曲を作曲された神前暁さんがその関係性について言及されている。

関係性は明らかになっていないが…『16歳のアガペー』の続編だと思えるのが、17歳(=セブンティーン)の恋愛模様をモチーフにした『セブンティーン・クライシス』も『対』になる楽曲と称してもいいと自分は思っている。


そして……これから書こうとする楽曲も『対』になる楽曲だと、自分は声高らかに主張したい。


その二曲とは『outlander rhapsody』と『タイトロープラナウェイ』である。

 

 

 

 

 
 Introduction/それぞれの楽曲の概要


 この二曲は、七人で歌う全体曲ではなく四人(outlander rhapsody)と三人(タイトロープラナウェイ)に分けたグループ内ユニット楽曲という位置付けにあたるモノ。2016年の夏に開催されたWUGの3rdライブツアー『あっちこっち行くけどごめんね!』の初陣である千葉公演で事前の予告なしで新曲として発表されて、そのライブで初披露された。

『outlander rhapsody』を歌うのは、吉岡茉祐さん、青山吉能さん、山下七海さん、奧野香耶さんの四名。この四人は低音域での歌声が特に映えるとの事。
もう一方の『タイトロープラナウェイ』は、永野愛理さん、田中美海さん、高木美佑さんの三名が歌っていて、こちらは高音域の歌声が映えるメンバー。

グループ内ユニットというとそれぞれ個別のユニット名があるものだが、どういうワケかWUGの場合はこれらのユニットにユニット名は付けられておらず、両曲共に楽曲の名義は『Wake Up, Girls!』となっている。この辺も後述できれば。

 

 


 


 Chapter1/遠く未知なる地へ向かう冒険者の謳


 そもそも、outlanderという単語は無くて、遠隔の地、辺地の英訳であるoutlandにerを付けた造語だと言われる。それを踏まえて、この楽曲のテーマとされているのが少年たちの冒険だという事。安直かもしれないが……詞にある『冒険の旅人』『伝説を確かめる』という語句がテーマの冒険という要素を色濃く表しているのだろう。

この少年達はおそらく歌う彼女達と同じく四人組。勿論、個性や性格もバラバラだが不思議と気が合う。『rhapsody』は狂詩曲(自由奔放な形式で表現された楽曲の意味=雑多な個の融合)で少年達のバラバラな個性を指しているのだろう。少年達は、自分たちで考え判断し、仲間を作り、もうすぐ青年期をむかえる時期の少年達だろうと自分は解釈している。これも、謳う彼女達の当時の状況とリンクしていた様に思える。


 そんな少年達に共通して抱いているのは、彼らを取り巻くコミュニティに対して浮いている様な疎外感を持っている。周りのOTONA達はそんな彼らをはみ出し者的な扱いをしているのかもしれない。少年たちにとっては周りに味方はいなくて『街の魔物』と称しているのだ。

そういう境遇にある少年達が、何かを変えたい、変わろうとする想いを抱いて未知の領域に興味と好奇心を抱くのは必然の流れだった。そして、おそらく歌う彼女達もその少年達の心情に寄り添った様に思えて来る。

当然ながら、その旅路は楽しいだけじゃない困難が伴う事も理解している。彼らもそれが分からない子供ではないのだ。汚れる事(困難に遭う)を覚悟して、汚れてもいいシューズで未知への旅に出た。素晴らしいチカラである『財宝』は小さな世界からの脱却の象徴とも捉えられて、更には踏み込む勇気でもある。

それは、少年期にしか作れない友人との絆や冒険が描かれていて、降りかかって来る困難を少年達は一緒に乗り越えていったのだろう。重複するが謳う彼女達も同様なのだ。 


 そして、少年達の冒険は所謂『冒険ごっこ』ではなかったという事。


 少年達は、『自世界』 から『非世界』へ『自分探し』という冒険の旅に出た。 その模様は疾走感溢れるメロディが象徴している様にポジティブなインプレッションを抱かせるのだと。狭いコミュニティ(街)から広い世界を見て知り、いろいろ考えた結果、狭い世界では受け入れ難い自分達のアイデンティティに誇りを持てるようになったのではないだろうか。

 

 

 
 


 Chapter2/同じ軌跡は往けない、袂を分かつ謳


 『タイトロープラナウェイ』は非常に分かり易い『別れ』というメッセージが込められている。
タイトロープは、綱渡りに用いられる張り綱の英訳。危険を冒して危ない橋を渡る事の例えの意味でもあり、ラナウェイは、逃亡者や家出人(特に子供)の意味を持つ事からダイレクトに『別れ』というインプレッションを抱くのだろう。

詞にある『さよなら』『何にもわかりあえない』『失敗』……etcからネガティブの極致を表現している。曲調も『outlander rhapsody』とは対極で、沁み入る様でクールではあるがそれにポジティブなインプレッションは抱けなくて、冷淡かつ鋭いモノで刺すような寒々しく儚さをも感じてしまう。で、謳う三人(永野・田中・高木)の歌声も、冷淡さの方をより感じさせる大人を意識した艶っぽい歌声が特徴だったりする。


 いつも一緒にいた友とずっと変わらず共に駆けていられると思っていた。だが、永遠に続くモノなどありはしないのは避ける事の叶わない世の理でもある。理屈では分かっていたつもりだが、感情はそれを認めたくはなかった。心をどれだけ込めてぶつけあってもどうにもならないと徹底的に思い知らせれた……かつては同じ想いを持って駆けていた刻はあったが、僅かなすれ違いでもう取り戻せない程に拗れてしまった。


 少年(少女でもいい)時代の友人関係は、その当時の価値観のみで繋がっている狭い世界。
刻の経過によって環境は変化して、新しい縁の繋がりが出来る。つまりは…自身の夢や目標によって友人の種類も変わっていくものなのだろう。友人に限らず周囲の人との縁が様々変化していくのは、WUGのメンバー達と重なっているモノでもある。


 歌詞の文脈を捉えていくと、かつては想いを共有して何もかも分かり合えた友と袂を分かつ無常の別れをテーマにした楽曲である。ただし、別れというモノは決してネガティブな要素しかないワケではない。前向きな解釈も出来なくもない。新しいスタートや新天地への序章とするならポジティブな言葉という捉え方も出来る。

少年達はたとえ離ればなれになっても、心は一つだという事を旅を通して学んだ。更には、危険を冒して逃げるというのは決して後退だけという意味ではない。新しい縁や環境を求めて未知へ旅立つという行動の例えとして逃げという言葉で表現している。

 

 描かれた胸のロゴや熱い文字を

 ずっと掲げて 忘れないで

 選びとろう それぞれの道を


 ―Wake Up, Girls!『タイトロープラナウェイ』より引用

 

 この歌詞が少年達の過去と未来の刻を物語っていて、『要』となるところ。
頻繁に会ったり、遊んだりという事だけが“友達”という定義の全てではない。

旅路の果てに少年達が見つけたものは、忘れられない想い出であり、それは永遠の友情へと少年達とあの七人を導いたのだと。

 

 

 

 


 Chapter3/卵が先か、鶏が先か。


 『対』になる楽曲という前提で、この二曲の考察をしてきた。
現状を変えたいと願う『outlander rhapsody』のテーマ。別れがテーマの『タイトロープラナウェイ』。一見すると、時間軸的に『outlander rhapsody』のアンサーソングにあるのが『タイトロープラナウェイ』という解釈は成り立つモノだし、間違いではない。


でも、唯一無二の解答ではない。逆転しているという解釈も出来る。


 別れを決意してから、現状を変えたい未知への旅路に出る流れでもある事。
別れというモノも、変えようとする想いと覚悟を示す事でもある。袂を分かち、それぞれの狭き道を行く事も、未知への旅立ちという捉え方も出来る。勿論、前述の通り現状を変えたい旅を経てからの別れでも問題ない解釈でもある。どちらの楽曲も続編であり、アンサーソング

展望から追想、またはその逆も然り、そして両曲共に追想のみ……どの時間軸でもこの二つの楽曲は共に在って成立されている。おそらく作詞された只野菜摘さんはそれを狙っていたと推測している。冒険者達による未知への逃亡(脱出)でもあり、危険を冒す者達の狂詩曲でもあったのだ。

 

 つまりだ。『outlander runaway』であり、『タイトロープ ラプソディ』と称しても楽曲の世界観と少年達の立場は繋がる物語になっている様に思える。

 

一応、言っておくが……おかしくなっているワケでもないし、執筆時に呑んだくれて酩酊状態でもない素面の状態だ。大真面目にこの考察をしている。

 

 

 


 Chapter4/それぞれのユニット名ではなく“Wake Up, Girls!”にした理由


 この項で書く事は何の根拠も確証もない妄想&暴論100%の域でしかない事を予め言っておく。


 冒頭で触れたが、これらの楽曲は2016年のライブツアーで披露されてその後リリースされた。
『Wake Up, Girls!』の2016年は、作品の方が一つの節目を経てひと段落して、方向性を考える変革の刻の真っただ中にあった。作品とは関わりが無い他の作品のタイアップ楽曲である5thシングル『僕らのフロンティア』のリリースもこの年。


不安もあったが、変化を恐れず未知の領域への挑戦に出た年だった。それもあの二曲に共通されて盛り込まれているテーマでもある。3rdライブのMCにて『私達が作品を引っ張っていく』と言っていたのが、その覚悟の表れだったのだろう。


 『outlander rhapsody』と『タイトロープラナウェイ』の他に、『プラチナ・サンライズ』と『セブンティーン・クライシス』もグループ内ユニットによる楽曲で、四曲の名義は『Wake Up, Girls!』のままである。
どうしてユニット名をそれぞれに付けなかったのかは明言されていないので当然知る由もない。


考えるのが面倒だったという事もあったのかもしれない……でも、自分は敢えて決めなかったのだろうと勝手に思っている。


 『outlander rhapsody』と『タイトロープラナウェイ』に限った話になってしまうが……
この二曲のユニット楽曲は、楽曲内のキャラクターである少年達とキャストであるWUGメンバーがオーバーラップしていく楽曲である様に思える。『僕』がいったい誰なのか?コレは複合的な見方が出来る。

ダイレクトに捉えると、テーマにになっている少年達と考えるのが自然。
でも、詞の中や楽曲の世界観では、その少年達が何人いるのかは不明だ。歌う人数通り四人と三人に分かれているのか?そうじゃないのか?もしくは足して七人いるのか?
その全てを内包して『僕』に含まれている様に感じてしまう。

 

または、『僕』がWUGの七人の比喩という捉え方も出来る気がしている。

 

前述の通り、少年達の未知への旅立ちと別れを歌う楽曲ではあるものの、七人の心情…特に解散という終焉を意識した頃と解散後の今の刻の心情と多分に重なり合う。そして……ユニット楽曲でありながら、七人の全体曲というもう一つの貌があったから、敢えて個別のユニット名を付けずにグループでの曲名義としたと思えてならないのだ。



 僕はここから 狭き道を行く

 ―Wake Up, Girls!『タイトロープラナウェイ』より引用

 


 ずっと 一つ手に入れたかった


 ―Wake Up, Girls!『outlander rhapsody』より引用


 少年達、もしくはWUGの七人は、具体的な場所やモノを求めて未知の旅路へ勇気をもって踏み出したというよりは、いろんな所に行って、それぞれが思い描く理想の姿や叶えたい夢を例えたのがこの二曲のラストフレーズに表れているのでは……という自分の解釈である。

  

 

 

 

 最後に


 この記事を読んで、皆さんの中の『outlander rhapsody』と『タイトロープラナウェイ』の解釈に何らかの変化はありましたでしょうか?もし、何か揺さぶられたのであれば物書き(と言うにはおこがましいですが……)の端くれとしては嬉しく思います。

一方で、何も感じなかったのであれば、それは皆さんの中に確固たる解釈や想いが既に在って、揺らぐことなく存在していて羨ましく思います。

 楽曲だけに限らず、WUGが遺したあらゆるモノだったり駆け抜けてきた軌跡を感じて、その想いを色々な形で解き放って語らう。それが正しいか間違ってるかなんてどうだっていい。とにかく語り合うという事が、5年後、10年後の未来の刻でも『Wake Up, Girls!』が凄ぇエモーショナルなグループだったんだよ!!!!!!!と言う人が多く増えたらいいし、その願いをもって筆を置かせていただきます。

 


 ここまでこの怪文書を読んで下さった方、本当にありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

IDOLY PRIDEのキャラクターを斯く語る #8 成宮すず編

 どもども。あかとんぼ弐号です。



『IDOLY PRIDE』キャラクター独自考察8回目となる今回は、星見プロ随一のいじられ愛されキャラの成宮すずについていろいろ想いを馳せてみようと思います。

作中において、星見プロの中でストイックな者の名を挙げるとすると、琴乃と怜の名がすぐ出て来る事でしょう。自分もその認識でいます。

しかし、今回この記事を書き殴っていくにあたって、成宮すずについて考えを巡らせてみた所……コメディリリーフ的な面を数多く見せた彼女も、琴乃や怜に勝るとも劣らないストイックな面があった事に気付かされたのです。


 毎度の事ですが、この考察は自分の妄想&暴論によって書き殴ったモノですが…お時間がありましたら、読んで下さると幸いでございます。

 

 

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 名家の令嬢としてのプライド

 

 生意気で高飛車な態度(所属アイドル最年少でありながら、上司の航平を牧野と呼び捨てにするのが象徴的)が表立つお嬢様キャラ。ただ、彼女の生家は星見市ではかなり有名である名家でありキャラ付けではない生粋のご令嬢。

そんな彼女がアイドルの軌跡へと踏み込むに至った志望動機は、簡単にトップが取れそうだというモノ。その言葉を額面通り受け取ると、名家出身で優れた資質を持つ自分ならトップアイドルの座を勝ち取るのは容易くて、彼女の存在を広く世に誇示できるだろうという自信に満ちている物言い。普段から自信満々で堂々とした立ち振る舞いなのはそれが影響しているだろう。

すずの様な所謂お嬢様キャラでよく描かれるのは、前述の様な常に堂々としている振る舞いが主としてあるが、同時に横柄で傲慢。世間知らずから来る場の空気が読めない(読まない)我儘さが挙げられ、それらのネガティブな要素から受け取り側からすると単にヘイトしか抱かないキャラに仕上がってしまう。キャラとしては立たせやすいが扱いづらいモノもはらんでいる。


 では、すずの場合どうなっていたか……確かに、デカい態度やら生意気な物言いはあったが、それを横柄さや傲慢なモノではなく、思春期特有の背伸び型から来るモノにさせた描写にしていた様に感じられた。何度も言ってしまうが、すずの物言いの端々は生意気だけれども、全てが無礼ではない。

まだ星見プロに加入したばかりの頃、ただ基礎練習ばかりを繰り返す日々に不安を抱く面々。そんな面々の先頭切って、マネージャーの牧野に物申したのは最年少であるすずだった。年上かつ上司にあたる牧野に対しての態度は確かに無礼。でも、皆が抱える不安を意見としてきっちり伝えられた事に意味があって、コレは生意気かもしれないが無礼な事ではない。


(その前に、牧野がいろいろ準備できれば良かったのだろうが…)


 それと、すずはちゃんと場の空気を読んだ物言いや行動をしている。これも彼女が自分の中では好意的に見られる要因だとも思えた。


 アイドルを志した動機を尋ねた時に、好奇心ではなく琴乃に気を遣って麻奈の事を恐る恐る聞いた事や(3話)*1『NEXT VENUSグランプリ』本戦進出が叶ったお祝いパーティにて、食費か会費を金欠の為支払えなかった為に空腹に耐えながら必死に手を出すまいと堪える様子とか(8話)

我儘で空気読めない系のキャラなら、本戦出場は自分の活躍在りきとか何とか言って普通に食べていたのだろうが、すずは定められたルールをきっちり守って、自分は払えていないからと絶対に口を付けようとしなかった。3話の件では姉である麻奈を亡くしている琴乃を気遣った。それらを鑑みていくと、名家である成宮家の人間たる者は誠実でフェアであれという生き様は彼女が肝に銘じている事で、これらのエピソードはその証明なのだろう。


 そして、自分が成宮すずに好感を抱いた最も強い要素は、作中において彼女は誰かの悪口や見下す様な物言いをせず言い訳も無い所だ。彼女の中では自分は自分、他人は他人という線引きがしっかり成されていて、いちいち人と比較するのは無駄だという認識があるのでしょう。


それに、嘘がつけない素直で正直な性格。


 強気な物言いで発言するけれどあっさりボロやドジな面を出す。それは弱みではあるのだけれど、逆に人間味が溢れてやがて愛嬌へと変換される。勿論、そうなったのは正直で嘘がつけないパーソナリティが成せるモノで、彼女を愛されキャラへと昇華させた要因でもある様に思う。

 

 

 

 

 逃げるは恥だが役に立つ~雛が羽ばたく刻

 

 簡単にトップが取れそうだからと豪語したすずのアイドル志望動機。ただし、コレはほんの一部分でしかない。しかし、アニメにおいて彼女の口から本当の理由が告げられる事は無かった。でも、アイドルそのものを軽んじていたワケでは無かった。むしろ、本気でアイドルに向き合って努力を積み重ねてきたと言える。

前述でも触れたが彼女はお嬢様属性を持つ人物。そういう人物でよく描かれがちなのは、自分の思い通りにならない事態に遭った時その耐性が極端に弱くて脆い。それが引き金になってモチベーションを失くして道を外れたり辞める騒動を起こす事が物語として描かれる。

アイドルを題材にした作品だと、単にレッスンがキツイ事、グループを束ねるリーダーになれなかった時や一番注目を浴びるセンターポジションに立てない事にあたるだろう。すずの場合に当てはめて考えると『月のテンペスト』が結成された頃、リーダーの座には就けなかったがそれはそれとして潔く受け入れ、逆にセンターの座を狙うと宣言し、野心と闘志を滾らせる。

そして、『NEXT VENUSグランプリ』優勝を目指し、レベルアップの為に早朝から夜遅くまでレッスンメニューを提案していた所もあり、これも彼女の直向きな性格も影響していただろうし、アイドルの軌跡を駆け続ける事が簡単では無い事を充分に認識しているし、本気でアイドルに懸けている事を証明している様に思える。


荒れ放題の獣道を駆ける肚は括った。そうまでしてアイドルに懸ける理由がすずにはあった。


 すずのプロフィールの一文に、あるトラブルから逃げる様に星見プロの門を叩いたとある。
彼女は中学生。その年代が抱えるトラブル……問題で大きいとされるのは。家庭の事情、進路、親子間の問題が挙がって来る。血の繋がりに関する者達の対比もこの作品はテーマとしてある。おそらく、すずと意見が対立しているのは怖れを抱く者として挙げていた沙季との引き合いに出された母親だろう。

箱入り娘として大切にし、将来の道まで親御さんはすずの為に失敗しない生き方のレールを敷いた。そのレールにはすずが望んでいない事もあった。それは娘を想えばこそだ。


確かに彼女は子供だ。だが、子供じゃない。


大人(親)がああしろこうしろと強制するのは簡単。けど、人(子)の気持ちはそんな簡単にコントロール出来るモノじゃない。すずがそのレールを外れてまで往きたい軌跡が彼女の前に拓けていたからすずにとっては親の想いは受け入れがたいエゴとして認識し、反抗の意志を強固なモノとして逃げという一手を打つ。


でも、コレは逃げでは無い。すずが人生を懸けてまで闘う場所を見つけて決断したからだ。


今、彼女がいる場所置かれている状況を捨ててまで、アイドルに懸けたのはあの人物に惹かれて純粋に憧れを抱いたからだ。その人物は、『様』付けで呼ぶ程に信奉し崇拝の域までに至っている長瀬麻奈

麻奈を見てすずはアイドルに憧れて夢を抱いた。それは彼女の中でアイドルとして最も必要な理想とも言える。そして、彼女も麻奈の様に他人に夢を抱かせる存在になりたいと誓った。


 自分の居場所は自分で選ぶ。いわばコレはすずの親離れ・自立の一歩でもある。
家を飛び出して星見プロのオーディションを受けて、晴れて合格したものの……母親は当然認めていない。そして、勝手にアイドルになったからという事ですずのカードを止めてしまう。

勝手に家を飛び出した娘への怒りもあるだろうが、もう一つは親からの支援(経済的な)無しでどこまでやれるのか?と娘がアイドルに懸ける本気を見たいという事もあるのだろう。あくまでも私見の域だが、母親の方もすずを信じて子離れしようと踏み出した様に思えるのだ。


 今は、互いに分かり合えないかもしれない。ただ、すずの魂には成宮の名に恥じないよう誇りと感謝は持ち続けて直向きに頑張っていく。それは彼女の精神的な支えにもなっているのだろう。

 

 

 

 

 一念通天~根拠のない自信を持ち、ここから未来へ。

 

 

 麻奈様と比べる事なんて出来るワケありませんわ!


 ……ただ、貴女には貴女の良さがあるのも事実ですわ。



 

 さくらとなんやかんやあって、アイドルとしてのアイデンティティと目標を見失ってしまった琴乃を励まそうとすずが言った言葉。彼女の中において、麻奈の存在は遥か高みと遠くにいる特別な存在。今の自分の立ち位置で止まって見上げても意味が無い無駄な事だと彼女は言いたかったのだろうし、改めて彼女自身に言い聞かせる意味も含んでいたとも捉えられる。


圧倒的なカリスマがあっても、絶望を抱かせる絶唱を響かせても誰も“長瀬麻奈”にはなれない。


すずも長瀬麻奈の幻影を追う者ではあるのだけれども、麻奈の背中の先に広がる景色が見えている。見ようとしていなかった琴乃や、ハッキリとまだその先が見えていない神崎莉央とは違う。そこはすずの芯がブレていない事の証明であって、何物にも屈しない魂の強さに繋がっているのだ。

明確な彼女の目標と目指すモノ、共に戦う仲間の存在と応援してくれる人達がいてそういった背負うモノ……それらがあって受け止めて自分を強く持てる意思。そういう一つ一つの明確な意思の積み重ねによってそれを自覚していく事によって負けられない自分が出来上がっていき、それが成宮すずの魂を滾らせる最高の燃料になっている。

キャリア的にも、実績もまだ積み上げられていない小さな存在である『月のテンペスト』。それでも、自分達のパフォーマンスと絆で優勝出来ると根拠のない自信で戦った。その結果……同門の『サニーピース』と優勝を分かち合った。


 優勝を勝ち取った刻、すずは人目を憚る事無く感情を爆ぜさせ号泣した。
簡単にトップを取れそうと豪語した者は感情剥き出しにして号泣しないだろう。それは、彼女が本気の魂を懸けて努力を怠らず闘い続けたからだし素直な感性があるからだと思える。そして、自分の遥か前を駆ける偉大な存在である麻奈が成し得なかった優勝を成し遂げた歓喜の涙でもある。


 でも、すずは麻奈を越えたとは微塵も思っていないでしょう。
未来の刻で、もっとすずがアイドルとして輝けば遥か前を駆ける麻奈の存在もまた輝く。いずれは麻奈の通り名だった『星降る奇跡』を二代目として受け継ぐのか?新しい通り名で愛される存在になっていくのか?


 アイドル・成宮すずの新たな闘いは“第二章”へと移っていく。

 

 


 
 と、いう事で、成宮すずの考察は以上になります。


本稿でも触れておりますが、大言壮語を吐くが憎めないキャラとして描いたのではなく、夢を叶えようと真摯で正直に一生懸命頑張るストイックな面があった人物。

彼女が大袈裟に誇示するようにモノを言っていたのは、自分を追い込んで奮い立たせてる為。そして、必死に努力を重ねていく姿をちゃんと見せているから皆はすずの事を口だけじゃない子だと認めて可愛がった。そして、随一の愛されキャラとして昇華した様に勝手ながら思えます。

 

 

 

 

 

*1:琴乃が麻奈の妹であるという確認の意味で聞いた可能性がありそう

IDOLY PRIDEのキャラクターを斯く語る #7 白石千紗編

 『IDOLY PRIDE』キャラクター独自考察と称した、おっさんの妄想垂れ流しも、早いモノで七人目になりました。

 


 そんな七人目の生贄キャラクターは、白石姉妹の妹の方である白石千紗。
彼女が所属する事になる『サニーピース』サイドでは、川咲さくらに次ぐ物語の濃さを担ったキャラでもあります。

その濃さ故に、様々な解釈が成り立ち考察するのが難しいキャラクターではありますが…これまで同様手前勝手な解釈と考察をぶつけていこうかと思います。

毎度ながら、個人的な偏見や視点も含んだ考察になっておりますので、その辺についてはご了承していただけると幸いです。



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 差し伸べる手と大きな背中、そして……

 

 この世に数多あるアイドルを題材にした作品において、アイドルへの軌跡を志す動機で王道的なのが、アイドルへの憧れから夢を抱き自分もそうなりたいと願う者。歌やダンスが好きだという者。世間や特定の誰かに認められたいと野心を抱く者。殻を破り人生を劇的に変えたいと願う者と多岐に渡る。

千紗の場合は、内気な自分の殻を破りたいという想いを抱いてアイドルを志す。そして、アイドルへの憧れもあったという。でも、沙季と一緒にいたいからという想いの方が大きい。


 前述で触れたが、アイドルを志す者の動機の一つとしてアイドルへの憧れがある。
多くの場合、数多のメディアにて活躍するアイドルに憧れを抱くのがほとんどだったりするモノだ。麻奈の様なアイドルになりたいと願う琴乃やすず、アイドルという存在が放つ輝きに魅了された雫、そして、千紗と最も多くの刻を共に過ごしてきた姉の沙季もアイドルへの憧れを抱く者の一人。

千紗も、沙季と同様にメディアで活躍するアイドルを観て憧れを抱いているが、それ以上に彼女が憧れを抱く存在がすぐ間近にいて、千紗にとってはその人物こそが最高のアイドル。


故に、千紗が最も憧れを抱くアイドルは姉でもある白石沙季だった。


 メディアに必ず出てパフォーマンスをすべきなのがアイドルとしてあるべき姿だという論理はあって、何らか形を決めたがる傾向は多い。ただ、多くの人を惹き付けるメジャーアイドルよりも、自分の身近な存在が凄くてより惹かれるのならその人にとっての唯一無二なアイドルと称しても良いのだろう。その観点で捉えていくと、千紗にとっての沙季は大好きな姉である事は前提としてあるが、憧れの対象のアイドルとして捉えていた様にも感じられる。

優しい姉でもあり、親代わり。もしかすると沙季と比較される事は勿論あったが、姉が高い評価を周りがしている事は千紗にとって劣等感を抱くよりも、むしろ誇らしいと感じていたのだと思ってしまうほど特別な存在。でも、超えられない存在でもある。


 白石千紗というキャラクターに自分が抱いたファーストインプレッションは、自己肯定感の低さ…つまりは自信の無さだ。それは、千紗にとって非の打ち所の無い姉である沙季の存在が大きすぎて彼女のコンプレックスになってもいて、身近にいる沙季にも悟らせまいとしている。千紗自身も、そんな自分を変えたいと願っているが踏み出す一歩がどうしても踏み出せない。

そんな悶々としていた千紗は姉がアイドルを志す事を知る。そして、沙季は千紗も一緒にアイドルの軌跡を駆けようと手を差し伸べた。


この差し伸べられた手を握り返さなかったら、沙季がもう自分の手が届かない存在へと走り去ってしまう……血の繋がりという縁が途切れるワケではないが、千紗はそれに近い感覚と恐怖を抱いたのかもしれない。でも、自信の持てないこんな自分を信じて一緒に駆けようという沙季の信愛の情が嬉しかった。だから、千紗は沙季が本気で差し出した手を取って握り返す。


 しかし、一緒にいたいというのは様々な意味がある。ただ一緒の刻と居場所に居たいだけなのか?共に高い志を遂げようと挑み、切磋琢磨し合う関係性でいたいのか?



千紗に関しては前者の思考が大きなウエイトを占めていると言える。



一度はオーディションに落選したが、何やかんやあって結果的に合格し、沙季と一緒にアイドルの軌跡を駆ける事になったが…千紗の目的は合格した時点で大方は果たされてしまったが、それが決して悪いモノではない。一緒にいる事がモチベーションとなって頑張ればいいだけの事。



しかし、そんな千紗のモチベーションを揺るがす事態が彼女に降りかかる。



『サニーピース』と『月のテンペスト』の結成によるグループ再編である。これにより、千紗は沙季と違うグループ『サニーピース』のメンバーとして組み込まれ、沙季とは離れ離れとなってしまう。

 

 

 お姉ちゃんと違うグループになっちゃったなって……


 ダンスも歌もみんなより遅れてるし、一人で本当にアイドルになれるのかな……

 

 

 自分の至らなさと情けなさを自覚はしている。みんなや特に沙季に追いつきたい意欲も当然あるが、それは沙季と同じ刻と場に千紗がいなければ頑張るモチベ―ションが持てないと言ってしまっている。一人という言葉にはそういう意味の例えなのだろう。
さくらや雫は千紗に励ましの言葉をかけるが二人の声は有難いけれど今の彼女には届かない。沙季がグループ分けに関して異を唱えなかった事も影響しているだろう。それほどまでに千紗は追い込まれて心の余裕が無くなってしまった。



 刻と機というのは無情なモノ。そんな余裕のない千紗にも環境の変化は容赦なく訪れる。
外からのニューカマー(異物)である一ノ瀬怜の存在が、千紗の物語を新たな局面へと導いていく。



そう、姉離れする刻と機がやってきたのだ。

 

 

 

  熱に触れ、変わろうとする刻~“呪縛”という幻影の先へ。

 

 ダンスの全国大会で優勝という実績を持つ怜と、既にアイドルとしてデビューしている遙子が『サニーピース』の新しいメンバーとして加入。その実績(ダンス大会全国優勝)を買われ、怜が中心になって徹底したビエルサ指導をメンバーに課していく。強度を増したレッスンに加えて、寮では数多のダンス教則本を持ち出して知識も叩き込めと言う。

そんな千紗の不安とストレスは日に日に積みあがり、姉の気遣う言葉にも『大丈夫、心配要らない』とどこか気が抜けた生返事で返してしまうまでに追い詰められていく。そして、我慢の限界という臨界点を越えて本心を曝け出し千紗は怜に噛みつくが、あっさりと怜に正論で諭されてしまう。

 

 

 私は、そんな風に頑張れない……


 お姉ちゃんが一緒だったから、お姉ちゃんと一緒がいいから……
 

 今は上手くできる自信ないよ……

 

 

 アイドルが大好きというよりは、姉とずっと一緒にいられる為の手段として誘われるままにアイドルの軌跡へ千紗は踏み込んだ。故に、オーディションに受かった時点で目的は果たされて、そこから先の軌跡なんて彼女は見えていなくて『今』を闘えてない。別な言い方をすると、強者の位置にいる怜に、自分の気持ちなんかが理解出来るワケがないと吠える。

怜も怜で、弱いと自覚していながらそれを口実に闘わない者の言い分なんざ聞く耳持たないと言わんばかりに千紗の物言いを一蹴する。



交わる事のない二人の感情と距離。けど、意外な事でその関係は変化の兆しを見せた。



 怜のスーパーでのバイトが見つかってしまい、どうしてバイトをしているのかやアイドルを志した経緯を怜から聞く。


アイドルになりたかったワケでもなく憧れもない。ダンスを続ける事を認めてくれない両親をトップアイドルになって見返して認めさせようとする一心でアイドルになる事を決めたという。そして、バイトをしているのも、実家からの援助が見込めないし受けるつもりもないからだと本音を曝け出す。

そんな怜の身の上を聞いた千紗は、退路を完全に断って怜の様に闘えるか?と自問自答して比較し自分だったら不安で諦めてしまうと。そして、そんな中で闘える怜に尊敬の念を抱く。そして、遙子が怜を慮って言った『不安だから、その不安を消す為にひたすら頑張れる』という言葉は、不安だからただ逃げてしまうのでなく、真っ向から闘う選択もあるという意味でもあったのだと。

出来ないから諦めるのではなく、きっちり向き合って闘って来たから怜は強くなれた。
その強さは千紗には無かったモノで、これまでの自分がいかに姉に依存し甘えてしまっていた事を痛感させられたのでしょう。それは、千紗が弱さを認めて受け入れた事でもある。


 あくる日、さくらはネモフィラが咲き誇る公園へとメンバーを呼びつけた。
ネモフィラ花言葉『どこでも成功』であるが、もう一つの意味で『あなたを許す』がある。このあなたを許すは慈悲の意味合いだと言われる。相手の個性や性格などを認めようという意味でもあるのだろう。


そして、千紗は意を決した表情に変わって彼女の双眸は力強い光を放つ。

 
 私、怜さんみたいな努力もしないで、自分には出来ないって諦めて

 
 でも、このままじゃダメなのも分かっているんです。


 だから、ダンスの事教えて下さい!

 

 

 怜がもたらした厳しさというのも成長には必要不可欠なモノとして受け入れた。
最後の付け加えで『もう少し優しくお願いします』と言うのは彼女らしいというか…何とも微笑ましいモノである。自分に自信が持てなかった千紗はおそらくここまで激しめな自己主張は出来なかった様に思える。それを成し得たのは彼女が変わろうとする一歩を踏み出す勇気と覚悟の表れ。理屈じゃない。千紗と怜はどこかで徹底的にやり合わなければならなかったのだ。



 ちゃんと自分の気持ち 向き合えたら


 私は私って もっと強くなれるね


 ―サニーピース 『SUNNY PEACE HARMONY』より引用



 この刻での千紗の心情が『サニーピース』のデビュー楽曲『SUNNY PEACE HARMONY』のこの一節とリンクしている様に思えてしまう。更に、このパートを千紗と怜が歌う構成も二人が感情をぶつけあった模様を想起させてエモーショナルな感情を揺さぶるのだ。その事実は千紗というキャラクターの成長を最も端的に表現していて、この歌詞にある様に千紗はこの物語を通じてもっと『強く』なれたのだと思える。

 躓いて転んだ時、手を差し伸べて起こしてくれた沙季はもう近くにいない。自分の力で立って歩き出さなければならない自立の刻が千紗に訪れた。千紗が自立する為に最も必要だったのは、自分自身が持つ輝きを信じて自信を取り戻す事。

ネモフィラの咲き誇る公園でみんなと記念撮影した時、千紗は満面の笑みを浮かべた。
それまでは、沙季の陰に隠れてどこかオドオドしていた彼女が作中初めてと言っていいほどに見せる心底楽しそうな笑顔。

そうなったのは、互いにどこか遠慮しあっていた『サニーピース』のメンバー達が変わろうと踏み出して分かり合おうとした事でグループの雰囲気が一気に変わった事も、千紗を満面の笑顔にしてくれた要因でもあった。



 ほんの少しかもしれないが、自分自身を信じてやれて自信が持てたからこそ、千紗は周りの目を気にしすぎて萎縮する必要が無くなったという事なのだろう。

 

 

 

 真の夢~あの人と肩を並べる為に。

 

 アイドルとして、レッスンを始めたばかりの頃はストレッチの時誰かのサポートが無いとロクに曲げられなかったが、刻を経ていくうちにサポート無しでちゃんと前屈が出来る様になった。

怜が加入して間もない頃、強度を増した厳しいレッスンプログラムに音を上げてグロッキーになっていたが、デビューライブ前夜ではレッスン後にも関わらず寮の庭で雫と共に率先してダンスステップを踏む。その熱の入れようはストイックな怜が翌日のライブに支障をきたす可能性があるから控えろとまで言わしめた。


大事の前だからこそ、入念で徹底した準備が自信に繋がりそれが結果に結びつく。
これは、沙季が実践している事でもあって、幼い頃から姉の背中を見て育って来た千紗にも備わっていたのだ。


千紗がアイドルの軌跡を駆けだして、必死に積み重ねてきた時間。どんなに辛くても止めなかった時間は絶対に彼女を裏切らなかった。そして、千紗は一つの答に辿り着いた。

 

 

 私も同じ…怖いけど頑張る。

 
 お姉ちゃんと同じ舞台に立ちたいから。立たないと後悔するから。

 

 

 
 違うグループに分けられた彼女達が同じ舞台に立つという事は、『NEXT VENUSグランプリ』で戦うという事。これは千紗から沙季への宣戦布告でもある。

一緒にいたいという想いは変わらずに持ち続けている。でも、そのベクトルは違う方へと変化していた。沙季の背中の陰ではなく肩を並べて共に走る事こそが千紗が辿り着いた答えであり、千紗にしか描けない千紗だけの夢。



 千紗は、自分が抱く理想のアイドル像について
『私と同じように臆病で、前に進むのを躊躇っている人を元気づけられる存在でありたい』と言及している。



その答えを導き出せたのはおぼろげながら抱き続けていた理想のアイドル像があって、彼女がそうなりたいと強く願って挑み続けているからだろう。



 過酷なアイドルの世界への不安を沙季が吐露した様に、千紗も同じ不安と恐怖を抱いていてそいつを認めている。でも、今の千紗はその不安と恐怖から逃げずに真っ向から闘う意志を示す魂の強さがあった。その勇気は誰かから与えられたのでなく千紗自身が絞り出したモノだ。おそらく沙季も千紗の魂が放つ熱にあてられて、沙季の魂も燃え滾ったのだと思える。


 そして……立ち塞がる数多の強敵に打ち勝って、『サニーピース』は『NEXT VENUSグランプリ』ファイナルの舞台に立つ事が叶う。その相手は、姉・沙季が所属する『月のテンペスト』になった。


白石姉妹の絆と純然な想いは、人知の及ばない運命の悪戯をも超えて引き合わせる。



 離れ離れになって互いに気付けて培ったモノ全てを懸けて絆を確かめ合う。それは、誰にも割り込めない心躍り、最も望んでいた悔いのない戦い。全身全霊のパフォーマンスを終えて結果を待つ千紗と沙季の視線が交わる。沙季を見た千紗の双眸はしっかり沙季の双眸を見据えて優しく微笑んだ。

 


 そんな千紗の自信に満ちた輝く双眸と微笑みに、気弱で臆病だった頃の面影はもう無い。変わろうとする想いを抱き続けて、一歩踏み出す勇気と覚悟を持って挑んで変わる事が出来た。

 


 これもまた、彼女が言及していた理想のアイドル像。彼女が見せた勇気と可能性の物語に魂を揺さぶられたのは改めて書く事ではないだろう。

 

 

 


 と、いう事で白石千紗編でした。


感情の赴くまま筆を走らせた結果、キャラクター考察で最長の文字数になってしまった……
ちなみに、もう一つ書きたい項があったのですが…それは別のキャラクターの考察にて書き殴ろうと思っています。

 


 毎度ながら、異論・反論しかないでしょうが…取りあえず、楽しんでいただけたなら嬉しく思います。手前勝手な解釈(妄想&暴論)も結構含んだ考察になっていまいましたので、別な意見や詳しい解釈があれば教えていただくと有難いです。

 

 

 

 

 

 

IDOLY PRIDEのキャラクターを斯く語る #6 白石沙季編

 どうも。あかとんぼ弐号です。

 


世の需要があるのか無いのかは未だに全く分かりませんが……
今回も、『IDOLY PRIDE』のキャラクター独自考察をお送りしたいと思います。

 

 今回は、もう一つのブラックボックス的存在でもある白石沙季についての独自考察。
以前考察した、伊吹渚も考察するのが難しいブラックボックス的存在でしたが、渚の場合は琴乃と近しい関係というポイントが崩れずにあった事で、そこまで難しいモノではありませんでした。

しかし、沙季の場合は近しい存在である妹の千紗と離されたという物語と、沙季への描写不足が考察をする上でネックになっている。加えて、沙季自身も整然として癖が少ないキャラクターというのも、このブラックボックスの解除を困難なモノにしている。

僅かな武装で不落の要塞を攻略するという無謀な行為かもしれないが……踏み込んでみようと思います。

 
いつも通り、個人的な偏見や視点も含んだ考察になっておりますので、その辺についてはご了承していただけると幸いです。



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 『きちんとした者』という理性と、変わりたいという破戒願望

 

 アニメにおいての白石沙季という人物は、妹(千紗)想いの良き姉であり、生真面目かつ几帳面で責任感の強い性格にて、寮での共同生活のルールを取り決めて統括する寮長的な役割を担っている。

時々細か過ぎるという原因で揉めたり…成宮すずからは、生活のあらゆる事柄に口出される事から母親より恐ろしい存在と評されたり…と彼女が定めたルールは細かい所まで決めごとがあって厳しいモノなのだろうが沙季にとっては至って普通の領域。

生まれ育ちや境遇がバラバラで育って来た個性豊かな面子が一つ屋根の下で共に生活していく為には、規律というのは最も重視されなければならないし、厳しいレッスンやアイドルとして花開かせる為には、普段からきちんと生活出来る場が必要であるというのが沙季の持論・ポリシーなのだろう。そのきちんとしている姿勢は、大事なデビューライブ前夜であっても変わらない。

 
 大事な時こそ、いつも通りにしたいから。


 準備は万全。今できる事はやったぞ沙季って自分に言ってあげたいから。

 

 

 前夜の行動だけでなく、当日起きてからライブまでの刻の過ごし方を逐一書き起こしてチェックリストにまとめる。そこまでやるのかと思うだろうがこれも彼女にとっては当たり前な事。徹底した準備こそが自信に繋がり結果に結びつく。優等生な彼女は模範となるべき存在でなくてはならない。そうあり続けるには努力し続けて成果で示すしかない。そこにも並ならない努力が必要。

そういった事もあり、彼女は周囲の人から頼られる事が多かった様に思えるし、彼女自身も頼られる事が苦ではなくそれが頑張れるモチベーションや、アイデンティティの確立、存在意義の実感…即ち、ちゃんとした者というのは沙季にとっては当たり前の事であり、特別な事ではない。


 で、沙季の『きちんとした者』というアイデンティティを象徴している要素がもう一つある。


 これは、自分の沙季に対しての勝手なインプレッションから来ているモノなのだが……彼女の上品な佇まいの質、モノの考え方・価値観が古風な感じがする。

事務所の寮で、琴乃・さくらと初めて対面して自己紹介した時、彼女は『この中では(沙季が)一番年上になる』と言った事、キャラクター紹介動画内で『だって私が……お姉ちゃんなんだから』という言葉や、前述でも触れた約束事をきっちり守る事と形式を重視する傾向がある様に思う。

自分を年長者として敬え・尊重しろとかいう上から目線の物言いを含んだモノではなく、彼女の中において、お姉ちゃん=年長者は年少者を正しい方に導き、支える模範となる立派な存在でなければならないと思っているからの言葉だろう。それは『きちんとした者』という彼女のパーソナリティにも通じるモノでもあるし、根っからの姉気質が影響を及ぼしていると考えられる。


 一般的なモノとして、長女の性質の一つであるのが『こうなれればいいな』と思う様な事でもリスクを取らずに行動に移さない。現実主義で実際に実現できる事しかやろうとはしない傾向があるといわれる。沙季の生真面目なパーソナリティからはその傾向が強い様に感じられる。この辺りは、奔放な面を持つ同じ姉という立場にいる長瀬麻奈と対の位置にある人物。

そんな沙季が、憧れの象徴=高リスクとされるアイドルの軌跡に挑もうというのは相当な覚悟あっての事。それは未知の領域に踏み出すのと同義で、変わろうとする想いと覚悟でもある。おそらく、彼女はちゃんとした人であるべきというアイデンティティから、無意識で我を抑えていた可能性がある。

彼女にとっては我を出し過ぎ我儘に振舞うのは、他人に迷惑をかけ無責任であって嫌っていたのでしょう。それは彼女の行為や態度という生き方全般にも当てはまる。もしかすると、優等生で生徒会長というのは、周囲の期待に応えた姿なのかもしれない。


でも、彼女の本能がその『枠』をぶっ壊せと囁いた。彼女自身がこれまで築いて来た『きちんとした者』である為のルール……戒律という『枠』を越えた先に踏み出せと。それは彼女の魂が真の解放を待ち望んで吠えた声なのだろう。


 理性と本能との自問自答というせめぎ合いの結果本能が勝り、更には高校生活最後の年という時勢の巡りもあって、沙季は星見プロの門を叩きアイドルの軌跡へと足を踏み入れた。それは、おそらく初めてか数少ない、彼女の我を出した事であり我儘を貫いたのと、戒律を破るというもう一人の自分を好きになろうとする事でもあった。


それは、一つの完成された世界を持った少女の変わろうとする想いの物語だった。

 

 

 

 

 

 共依存という“呪縛”からの解放

 

 長瀬姉妹と同様に、沙季・千紗の姉妹にも、姉・妹離れがテーマとして設けられている。
沙季の言によると、共働きの両親の代わりに妹の面倒を多かったとの事で、千紗にとっては姉でもあり母親代わりでもあり共に過ごす時間が多かった。そして、沙季にとっても守るべき大切な妹で、姉妹共にアイドルとなっても二人の仲は良好。アイドルになった事が原因で、それまでは白石姉妹と同様に仲が良かったが疎通になって関係が拗れた長瀬姉妹と対極になる関係。  


この絆の関係性のままでアイドルとしてやっていく事が出来るものと、沙季と千紗は微塵も信じて疑わなかった。だが、彼女達に眠っている可能性の輝きはそれを許してくれなかった。


沙季と千紗に秘められた輝きを感じ取ったのが、マネージャーである牧野。
彼は、二人がより個で輝ける可能性に懸けて沙季と千紗をそれぞれ別グループに配置換えする事を告げた。

当然、彼のこの決断は確証なんてないただの勘。二人を離さず姉妹共存して輝かせる可能性だってある。でも、牧野がそうしなかった理由を自分はこう考えたのである。


 沙季と千紗は共依存の関係にあった。沙季の方は自分では自立している様に思っているが、実際二人共に自立がまだ出来ていなくて、タチの悪い事に白石姉妹は自分達が共依存に陥ってる事に全く気付いてないと思える。

幼い頃から、姉として、また、親代わりとして千紗の面倒を見てきた彼女は面倒見が良く世話焼き。こういう人は共依存に陥りやすい特徴でもあるとされている。姉妹仲が良いに越したことはないが、ネガティブな面として沙季の過保護・過干渉という見方も成り立ってしまう。

ただ、牧野も共依存性が単に悪いモノだとは感じていないと思う。共依存性がある事によって共に想い合って支える関係性が成り立つのもまた事実。要はバランスが大事で、この当時の白石姉妹のバランスは歪で、あえて引き離すという荒療治をもって輝きの方向性を正しいモノにしようという考えがあったのだと思える。


 千紗とは別グループ(月のテンペスト)の一員として、デビューに向けてこれまでと変わらないレッスンの日々を過ごす。でも、やっぱり千紗と離れた影響は大きなモノで不安を悟らせないと気丈に振舞うが、集中し切れずどこか上の空という有様は隠しきれない。彼女も、千紗に支えられていた部分が多かったのだ。

千紗が心配でたまらないが、他のグループの事情にしゃしゃり出て口出すのは身内であっても完全な越権行為。それは規律を何よりも重んじる沙季としては越えてはいけないライン。
千紗が姉離れ出来る事を信じてやる事。そして、彼女自身もいずれ乗り越えなくてはならない……その刻がアイドルとなった現在だった。


 でも、沙季の知らない所で何やかんやあって、千紗は変わろうとする一歩を踏み出す事が出来た。ネモフィラの咲き誇る公園で、吹っ切れた朗らかな笑顔を見せた千紗を見た沙季は、安心して胸を撫でおろしただろうし、何よりも妹の成長した姿が刺激になったのは間違いない。沙季の微笑みは自分も妹に負けられない、変わらなくてはという決意であり、また、血の繋がりとはまた違った密接な関係に昇華させる事が出来た喜びでもあった様に感じられた。


 7話にて、沙季はオフの刻を千紗と共に過ごして語らった際、アイドルが想像以上の厳しい世界である事を痛感させられ弱音を千紗の前で吐露した。ちゃんとした者であり良き姉としてこれまで妹の前でもそういった弱みはおそらく見せた事はほぼ無かったはず。勿論、仲間でもある月のテンペストのメンバー達にも。


 手を引いて守っていた過去の妹ではなく、今は同じ軌跡を肩を並べて駆ける対等の存在だと認識している。その認識は千紗と離れた事によって沙季が成長できた事であり、共依存という呪縛から魂が解放された事の証だったのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 『きちんとした者』の”二面性”


 
 『表と裏』や『二面性』という言葉が人間に添えられる時、それは大抵良い意味を持たない。『あの人には、表と裏がある』。この言葉を聞いてポジティブな捉え方をする人も、言われて嬉しい人もおそらくいないだろう。いわば、悪口の代名詞でもある。


しかし、この作品は二面性の差にフォーカスを当てた描写が多い。それは『IDOLY PRIDE』の物語を彩って魅力的なモノにしている。


一見すると、彼女のパーソナリティはそつなくてほぼ隙が見当たらない。
それ故に、地味で影の薄いネガティブな役割を担って、割を食ってしまったインプレッションを抱いてしまうのだ。

前述の通り、人(キャラクター)は二面性から来る意外性という普段とは違ったもう一つの顔を見せる事でより深みを増して、魅力的な人物として印象付けされるモノだ。要するにギャップ萌えというヤツだ。沙季にもちゃんと二面性は持ち合わせているのだ。


その意外性な要素の一つは、彼女のファッションセンス。


 彼女の私服は、妹の千紗が見立てて選んだモノがほとんど。勿論、沙季が選ぶ事もあるのだが……どういうワケか千紗に『お姉ちゃんは一人で服を買っちゃダメ!』と釘を刺されている。その千紗の証言によると、ちょっと変わったファンシーな猫のキャラクターが描かれたモノを好んで買ってしまうからだという。(沙季の練習着に描かれているやつ)

沙季の外見から抱くインプレッションは、さくらが、正真正銘の名家の令嬢であるすずより沙季の方がお淑やかなお嬢様っぽいと評した様に、凛として落ち着いた上品な佇まいを感じられる。その見た目通りに落ち着いたデザインのモノを好むだけだと沙季の意外性は薄い。そこで、ファンシーで可愛いデザインのモノを好むというズレ(ギャップ)があるからこそ、沙季の魅力にまた違った面の深みが加味されるのだと。


 二つ目は、本編ではなく公式の4コマ漫画で魅せるフリーダムな面。
4コマでは、渚が結構ぶっ飛んだ振舞いを魅せているが……沙季も負けず劣らずにフリーダムっぽさを魅せている。

前述のファンシーな謎の猫絡みや、几帳面さが行き過ぎて周囲をドン引きさせたりと……

例を挙げていくと、サインの下書きしたり、数多くのサイン色紙が印刷されたかの様に正確なモノを仕上げたり(勿論、全部手書き……)アーティスト写真の撮影では全部同じ角度で撮ったりと…描かれていないが、おそらく本棚に並べている本は、タイトル順、サイズ、本の厚さ、更には製本方法別毎に細かくカテゴリー分けして整頓している位は平然とやっていそうだ。

と、まあ、キャラ崩壊まではいかないがなかなかのエキセントリックな暴れっぷり…狂気を曝している。

 

 自分が、この考察の中で、あえて『表と裏』ではなく『二面性』という言葉を使って彼女の魅力を引き出そうとしたのは『きちんとした者』としてのアイデンティティも、ギャップの差による狂気的なモノ、どちらも白石沙季の表にちゃんとあるパーソナリティ(顔)であるからだと。

 

 人というのは狂気的な要素…即ち『二面性』に惹かれて、魅せられてしまう『性』がある。それもまた、白石沙季という存在の魅力をより引き立たせる要素なのだ。

 

 

 

 

 

 と、いう事で、白石沙季編いかがでしたか?

 


正直、異論・反論は多い(それしか無いだろうな…)かもしれませんが、自分としては、踏み込めるだけ踏み込んで得られたモノを出し尽くした渾身の考察です。

取りあえず、楽しんでいただけたなら嬉しく思います。
手前勝手な解釈(妄想&暴論)も結構含んだ考察になっていまいましたので、別な意見や詳しい解釈があれば教えていただくと有難いです。

 

 

 

IDOLY PRIDEのキャラクターを斯く語る #5 佐伯遙子編

 どうも。 

 

『IDOLY PRIDE』キャラクター独自考察シリーズ5回目。佐伯遙子編をお届けいたします。


星見プロの10人のアイドルの中で、唯一ソロデビューを果たしていた彼女は特別な立ち位置のキャラクター。そして、麻奈とのアプローチもちょっと違っていたキャラクターでもある。
そんな彼女が紡いだ物語を紐解きながら、様々な考えを巡らせてみたいと思います。

ちなみに、これまでのキャラクター独自考察とこれ以降の独自考察は、アニメ版とコミック版で描かれた物語が主となっています。なので、足りないと感じる部分が多々あり、異論と反論は大いにあるかと思いますが、温かい目で読んでいただけるとありがたく思います。



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 持たざる者の気迫と執念



 何度も書いているが、この作品は『持つ者』と『持たざる者』という相反する立場にいる者達の心情描写がテーマの一つになっている。佐伯遙子もその括りの中にいる者の一人で、彼女は『持たざる者』のカテゴリーにいる。


では、遙子は何を『持たざる者』なのか?


 彼女は、オーデイションに合格してアイドルへの軌跡を拓いた。
三枝さんも、何の可能性を見いだせない者を合格させるとはとても思えないので、遙子にアイドルとしての才能と可能性が全然ないという意味での『持たざる者』ではないと思えるし、巡って来るチャンスに全く恵まれていなかったと言うワケでもなかった。勿論、遊び惚けてもいないしちゃんと修練を積み上げて動く事とチャンスに手を出す事も止めてはいなかった。


遙子は、巡って来たチャンスを確かに掴み取る握力が無かった。ただそれだけだったのではないだろうか。


 しかし、それだけと言ってしまったがそれは決して小さいモノではなく、限られたごく少数の人間にしか掴めないモノだったりする。幸運が目の前に確かに存在していても、それをちゃんと掴み取れるだけの力の蓄えが自分に無かったらただの偶然で終わってしまう。

ソロデビューを果たしたが、彼女自身も言っている様に鳴かず飛ばずで雌伏の刻を過ごす。

そんな状況の中、遙子よりも後に星見プロに入った後輩である長瀬麻奈は巡って来た雄飛のチャンスをことごとく掴み取っていく。彼女にとって麻奈の存在は、単に凄いとか華のあるとかそういう言葉で語れないのだろう。それは、麻奈に近い所にいる遙子が痛感しているモノだ。更に、麻奈の本気と同じ速度で駆け続けられるのは並大抵の努力では足りない事も。

遙子が麻奈に抱く感情はそう単純に量れるモノじゃない。
キャリアは遙子がちょっとだけ上だが、歳は麻奈の方が上で、姉の様でもあり、友人や仲間でもあり、後輩でもあるし……何よりもアイドルとしてはライバルでもある。

彼女が語っている超えたい相手と、悔しさを抱きライバル視している人物は麻奈でおそらく間違いないだろう。


 自分よりも圧倒的で絶望さえ抱かせる程の存在と相対した時、そいつを超えたい、勝ちたいと徹底的に抗うか?こいつには勝てないと早々に諦めて闘わないか?の二択を迫られる。

当然ながら、どちらの答えも正解であり間違いは無い。その選択に後悔しなければいいだけ。と、言うがそれは簡単じゃない。遙子に突きつけられる容赦ない現実と挫折から来る不安という負の感情は確実に彼女の魂を蝕み、今後の身の振り方を本気で覚悟させる……


でも、遙子は踏み止まり闘う道を選択した。現状や自分自身を変えるには止まってなんかいられないから。

 

 成功できるかなんて分からない。

 
 だから、いっぱい練習するんじゃないかな。不安を消すために何度も繰り返して。


 

 

 怜の抱える事情と闘える理由を知り、彼女の心情を慮った遙子の言葉だが、これは遙子自身にも言い聞かせている様に思える。

アイドルが好きだという想いと意地がエネルギーになり、遙子の魂を滾らせ身体を突き動かす。その努力が必ず実を結ぶかどうかなんて保障なんて分からなくてもやらなければアイドル・佐伯遙子としての死を意味する。アイドルとしての才能が無いと思いながら、売れなくてチャンスもなかなか巡って来ない現実を思い知らされても腐らずに黙々と努力を積み重ねる……

牧野から『サニーピース』への加入を告げられた時、遙子の心中はいろいろな想いが当然あっただろう。素直に首を縦には振れなかったはずだし、言い換えれば遙子をソロで輝かせるのは現状では厳しいと通告している様なモノでもある。でも、チャンスが目の前に舞い降りたのも事実。


 自分が持っていようが持っていないかなんて遙子にはどうだっていい。いつ報われるか分からない雌伏の刻を過ごしながらも、アイドルとして生きる事を諦めなかった者の叩き上げの魂と気迫と執念はこれがラストチャンスなんだと本能で悟った。そして、彼女は腹を括って懸けてみようと。

おおらかで、周りへの細やかな気配りや気遣いの出来る彼女から気迫や執念という言葉が結びつくのは見当違いなのかもしれない。けれど、佐伯遙子という人物のバックグラウンドを知って、彼女を評するのに最も相応しいと思える言葉が、認められたい気迫、懸ける執念といった言葉が浮かんで来るのだ。

 

 

 

 

 止まった時計が再び動く刻



 

 佐伯遙子、17歳ですッ!!!!!!!

 

 

 琴乃達のグループから分けられた、さくら、千紗、雫のグループには新たに二人のメンバーが加入する。一人は、ダンスで全国優勝を成し遂げた一ノ瀬怜。もう一人が、既に星見プロに所属していてソロデビューを果たしていた遙子。


皆の前で紹介された時、遙子は学生時代の制服を着て上記の言葉を挨拶で解き放った。


 ちなみに、彼女の実年齢は20歳。その挨拶を聞いた他の面々は唖然として場の雰囲気は微妙なモノに変わってしまった。遙子の振舞い様はどこか痛々しくもあり、所謂スベった状態に……彼女の考えは分からないが、ソロアイドルとしてのキャラとは別にグループ内でのキャラ作りとしてユーモアネタの一環で掴みの挨拶的なモノとしてやったのだろう。その解釈で概ね間違いはないとも思える。

それと、遙子以外の星見プロのアイドル達は中学生~高校生。わざわざ学生時代の制服を着て来たのは、最年長者でキャリアのある先輩というより目線を同じくする仲間として見て欲しい、年齢差から生じる距離感やしがらみを無くしたかったという解釈でも成り立つだろう。


そして、敢えて17歳と言い張るのは、遙子にとって重大な意味があって、それが『キモ』だと考えている。


ここから先に書く事は何の確証もないただの妄想&暴論によるモノなので、そのつもりで読み進めて下さいwww


 彼女が17歳の時、つまり、三年前にある出来事……事件が起こっている。


そう、長瀬麻奈が事故で亡くなった年だ。


麻奈の死は、世間・人との縁共に多大な影響を与えた。それこそ人生を変えてしまう者がいた程。アイドルの麻奈と近しい所にいた遙子も例外ではなかった。

 
 前述でも触れたが、遙子が麻奈に抱く感情はシンプルではない。
姉の様でもあり、事務所の後輩、友人でもあるし、遥か先を駆ける目標でもありライバルでもあった。

これまでと変わらずに直向きに黙々と努力は続けていた。自分が星見プロを盛り立てていきたいという意欲もある。だがそれ以上に、遙子の中では目標と理想であり超えたい対象である麻奈を亡くした事は大きくて、刻の流れが止まってしまった様な感覚に陥って17歳の刻で止まった。それは血の繋がった身内を亡くした琴乃とはまた違う痛み。


遙子もまた……琴乃やさくら、神崎莉央と同じく、死人(麻奈)に魂を縛られたのだ。


勿論、刻が止まるという現象が起こるワケが無い。幽霊になった麻奈を一部の人が認識出来てコミュニケーション可能なファンタジー要素のある本作でも、刻の経過まで止めてしまう要素までは盛り込んでいない。あくまでも、遙子の中にしかない刻の経過を司る時計の様なモノ(精神的な感覚)が止まってしまったという説をでっちあげて考えている。


 で、牧野から新ユニット『サニーピース』への加入というチャンスを得た遙子。
彼女にとってはここで輝けなければもう後がないと思ったのは間違いない決起の刻。

雌伏の刻の中で、誰よりも汗を流し、涙を流し、闘う準備を怠らなかった。
アイドルとしてのプライドを胸に、夢への軌跡を駆けて長瀬麻奈の幻影を越える事。


痛々しかろうが、場の空気がどうなるかなんて知ったこっちゃない。17歳で止まってしまった刻を動かす為に敢えて自分は17歳だと言い放ち高校時代の制服まで着た。


 それは、遙子にとって闘いへ赴く為に必要な決起の儀式だったと思ってしまうのだ。

 

 

 

 

 PRIDE AND GLORY~持たざる者のプライドと掴んだ栄光



 遙子は三年前の『NEXT VENUSグランプリ』にソロで出場したが、あっさりと敗退してしまった。彼女にとって今回のグランプリはリベンジもかかっている。三年前の自分とは境遇も積み重ねた努力の成果は裏切らないと、不安を抱えながらも予選の結果報告を待ちわびる。

そして、予選突破の報を告げられた遙子は拳を振り上げて雄々しく吠えた。その姿は普段の彼女からは想像できない行動。身体を突き動かして大声張り上げたのは、誰よりも強い想いと覚悟を持って今回のグランプリに懸けていたのだ。

とは言え、『サニーピース』の予選順位は16番手でギリギリ通過。でも、この順位は予選限りのモノ。グランプリ本戦では全グループがまた同じスタートラインに立ち、本当の戦いはここから始まる。遙子の咆哮は本戦への意気込み、闘志の表れでもあるし……

逆に、これまで積み重ねてきた努力の成果で得た自信がまだ足りなくて不安を打ち消したくて吠えたのかもしれない。優勝出来なかったらまた遙子の刻は止まると彼女は本気で信じ、麻奈ですら成し得なかった『NEXT VENUSグランプリ』優勝を勝ち取る事で麻奈を超える事が叶う。それが叶った刻こそ麻奈の幻影を越えた先に立つ事が出来る。


 『サニーピース』のメンバーとしてグランプリを戦ってきたが、遙子個人としては長瀬麻奈とも戦っていた。『持たざる者』のプライドを胸に秘め三年の刻を迷いながら必死に。
その三年の刻の間は刻が止まっていたかもしれないが、積み重ねた刻は決して無駄な刻ではないはず。

遙子にも麻奈にも、誰にも割り込めない心躍る悔いのない戦いに終焉の刻が近づく。そう、グランプリの優勝という言葉と『持たざる者』の執念が起こした『奇跡』とともに。


 同時優勝が決まった刻、10人の中で人目を憚らず号泣していた遙子。
グループとしての夢を勝ち取った事。志半ばで散った友であり、憧れた目標・ライバルでもあった麻奈への想い。そして……遙子が長い雌伏の刻を過ごした過去と、諦めずに闘い続けた事が報われた待望の刻でもあった。

 
 敗れても尚、諦められきれない不遇の者。星見プロのアイドルの中では遙子にその要素が色濃く反映されていた。その彼女の努力と闘いが報われ想いが溢れて涙を流す姿は、生の感情や叩き上げの魂が剥き出しでいてその姿に胸が熱くなるカタルシスを抱いたのである。

 

 


 
 と、言う具合で、佐伯遙子編でした。


 次回は、これまたブラックボックス的な存在である白石沙季編。
どういう切り口で彼女の事を書き殴っていくか……今から容量の少ない脳ミソ振り絞って抗ってみようと思います。


 
 今回も、最後まで読んで下さってありがとうございました。