巡礼者のかく語りき

自由気ままに書き綴る雑記帳

古川由利奈『ガールズフィスト』卒業の報に思う事。

 5月1日。『ガールズフィスト!!!!』発の声優ロックバンド・南松本高校パンクロック同好会のベース担当で、藤森月役の古川由利奈さんが、2021年4月末をもってバンドと作品から卒業されると『ガールズフィスト』の公式ツイッターより発表された。

 

 

 

 

そして、コレはどちらが先かは分からないが同日に、古川さん本人のツイッターにて、所属されていた事務所『FIRST WIND production』を退所し今後はフリーで活動していく事も発表された。

 

 

 

後日、古川さんが『ガールズフィスト!!!!』を応援されている人達に向けてのメッセージを挙げている。

 

 

そのメッセージによると、降板する経緯についての言及は明確にされてはいないが
『新たなステージ目指して進む』と説明されていました。


メンバーが卒業するのはこれで二回目。一回目は結成間もない頃、ボーカルの奈川芳野役の加藤あつこさんが卒業となった。

加藤さんの場合は体調不良による療養が必要とされたとの事による卒業であった為、それは止む無い状況だったのだと思われる。だが、今回の古川さんの件に関しては本当に突然の事で衝撃的だった。


 グループを応援していく上で、卒業という名目の脱退やグループの終焉(解散)は切っても切り離せない問題だ。特に、コロナ過という惨状の現在に於いてはより密接な問題として付き付けられている。

しかし、前述の通り明確な卒業に至る理由が本人から発せられていない為、事の真相は分からないが、決断に至る理由の一端となる色んな予兆があったのだと思えてしまうのだ。


 
 『南松本高校パンクロック同好会』に於ける古川由利奈さんはどんな人だったのか?知って浅い自分が語るのは正直おこがましい所はあるが……リーダー的な役目を担いメンバーの精神的な支柱だったと思う。

弦楽器の経験は結成当初は無かったが、ピアノを長い事やられていたので音楽知識と経験はメンバーの中に於いて随一のモノを持ち、いくつかのオリジナル楽曲の作詞や制作にも携わっていた。

また、ライブのMCではトークの進行や割とフリーダムなメンバーのツッコミや自らもボケたりと幅広いバラエティスキルも持ち合わせてもいる。

バンドに於けるベースの影響力は大きいモノで、そのバンドのリズムとコードの基盤となり楽曲が成立しないとまで称される縁の下の力持ちでありつつ無くてはならない存在。
また、ベースがしっかりしているバンドは安心出来るという意見もある。

おそらく、メンバーの中で、声優としてのキャリアも古川さんが一番経験があるのだろう。
前述との件と合わせた結果、彼女にベースのパートを与えたのかもしれないと勝手ながら思ってしまう。

そういうメンバーであることから、古川さんの卒業というのは『ガールズフィスト!!!!』にとっては大きな損失となる。根幹となる原作が四人の女子高生がバンドを通じての成長譚を描いている事から一人抜けたままというのは考えづらく、古川さんが演じる藤森月&ベースの後任を立てるはず。

しかし、古川さんの代わりを立てるとなると相当難航するように思える。
(もしかすると、もう見つかっているのかもしれないが)
それに関しては公式から何らかの発表があるでしょうからそれを待つしかない。


 

 『ガールズフィスト!!!!』は同名のコミック作品を主軸にしたメディアミックスプロジェクト。
コミック作品の方は2020年2月に発売された第2巻で“第1章完結”となっていたが、昨年の11月に『ガールズフィスト!!!!』が出演したイベント内の告知でコミック作品としての新展開が発表され、冬に連載開始されると発表した。

だが、2021年5月現在、公式のツイッターでは連載準備中の文字が未だに残っていて、当然ながら連載もしていないのが現状だ。

それが影響しているのか不明だがおそらくはそれが決定打なのかもしれない。バンドの活動も表立ってされていなくて昨年末に無観客で開催した配信ライブ以降公の場に出てないし、公式のYouTubeチャンネルも更新されていないし、新曲のリリースもしていない。


この何も出来ないという状況、色々とネガティブな感情が渦巻いて不安に苛まれても不思議ではないモノだろう。演者側からアプローチや声をあげてないのか?と思えなくもないが実際の所そういう単純な事ではないのかもしれない。


あくまでも憶測の域を出ないモノではあるし根拠はないが…新たなステージを目指すために卒業を決断したというのは、言い換えてしまうと『ガールズフィスト!!!!』を取り巻く状況がこれ以上進展が見込めないと判断しても仕方がなく、一つの組織とコンテンツにいるより選択肢が増えるであろうという可能性に懸けて、辞めるという決断に至ったのかもしれない。

勿論、これは『ガールズフィスト!!!!』を辞めた事を責めるモノではないし、責められない。
表現者としてだけではなく、一人の社会人としてこういう環境を変える劇的な選択もアリだと思う。実際問題、身軽になったからといって全部上手くいく簡単なモノではない。この決断を下した古川さんの覚悟は相当に重いモノだと思う。真相は当人にしか分からないモノなのでどうこう言えないが、身を切る決断と覚悟を持って古川さんが決意したこの決断を自分は素直に尊重したい。


でも、ただこの古川さんの卒業について個人として残念に思う所があった。


自分はまだ『ガールズフィスト!!!!』のライブを現地参戦出来ていない。だから古川さんがクールな佇まいにてベースを爪弾きサウンドを奏でる姿を観る事が叶わなかった事と……
現在の世情に於いては困難な事ではあるのは承知だが、卒業ライブを開催して古川さんの新たな門出を祝福して送り出す機会が無かったのは残念に思えてならない。


まあ、間に合わなかった奴(俺)の戯言ですが……

 

 そして、古川さんの新しい門出に、浅見さん、奥村さん、内山さんはこんな言葉を寄せている。

 

 浅見春那


 『ガールズフィスト!!!!でゆっちゃんと一緒に音楽を奏でられた時間は宝物です』


浅見さんとはデビューして間もない頃からの縁であり、最初に仕事をした先輩でもあった。
古川さんの背中や佇まいを見て彼女は表現者として様々な事を学んだのでしょう。
浅見さんは独特でフリーダムな世界観を持つ人。彼女が奔放に振舞えた最大の要因は古川さんがきっちりと支えて導いてくれた事への感謝が込められた言葉でもあった。

一緒の刻を共有し、それを宝物と評した。古川さんの姿はいなくても古川さんがバンドにもたらした数多くのモノは無くならない。浅見さんはそれらをちゃんと継承してこれからステージで表現していくことだろう。それは、ボーカル・浅見春那の『貌』をより鮮やかに彩られるモノと思える。
 


 内山つかさ


 『ゆっちゃんが「私はガールズフィスト!!!!のメンバーだったんだぞー」って自慢できるくらい大きくなれるように頑張るね。』


おそらくは今後、彼女がリーダー的な役割を担うと思える。そう自分が感じるのはこのバンドのムードメーカー的なポジションでもあるし、古川さんとはまた違うベクトルで支えられるポテンシャルを持った人というインプレッションからである。

内山さんは誰よりも笑顔を絶やさずメンバー同士の鎹であり続けてきたメンバー。これからも自身のキャラを貫いて、ガールズフィスト!!!!の緩衝材であり続けてほしい。

 

 奥村真由


 『ゆっちの新しいステージを応援すると共に、私たちもでっかく輝けるよう全力で頑張るね』


ほんわかした雰囲気が魅力の、バンド内の癒やし系的なポジションの彼女だが、古川さんへ送ったこの言葉は力強いモノを感じる。違う軌跡を行く事となった古川さんにそれぞれの軌跡で強く輝こうとエールを送った。それは互いが互いの誇りである様にというメッセージなのだろう。

奥村さんが奏でるパワフルで激熱なギターサウンドは、荒ぶる激情の表れなのだろう。
柔和な雰囲気の奥底には熱い魂があって燃え滾っているのが彼女の本質なのかもしれない。そんな彼女の奏でるサウンドをもっと聴きたいし願わくば大きな場でも聴きたいと願う。

 


 突然の古川由利奈『ガールズフィスト』卒業の報。
卒業という綺麗な御題目で取り繕った所で、それはやっぱり寂しく虚しいモノだ。

卒業の理由を理解して尊重しているものの、落とし切れていない部分だってある。それに、卒業と脱退は大差のない言葉だ。それは自分なんかより彼女達を深く熱い想いで応援して来た人にとっては鋭く突き刺さったモノだろう。

捉え方によってはこのバンドによるこれまでが否定されて見切りをつけられたと思い憤る人もいるのだろう。その激情も間違いではない。それだけの本気の想いを懸けていたのだから。


集団が終わってしまうのは当然ながらキツい。しかし、集団の誰かがいなくなるのもキツい。


人がいなくなるという事は、劇的な変化でもある。


この変化は何も悪いモノではない。両者がこれから行く軌跡は違うが未来の刻でもしかすると形を変えて再び交わる希望が無いワケでもない。

 

 最後になりますが、古川由利奈さんと『ガールズフィスト!!!!』両者の未来が明るく幸多き事を願いつつ筆を置かせていただきます。
 

 

 

 

 

 

当たり前じゃないからなこの状況ッ!!

 この記事のタイトルは、ある芸人が吠えた言葉を引用させてもらいました。
その理由は、今の状況を痛感させる言葉として最も適したモノだと直感したから。


つい先日、ネットにてこんな記事を拝読した。自分は読了した後思い知らされたのだ……
自分があまりにも知らな過ぎた事やその方向に視点が行かなかった狭く浅い視野、徹底的に己の無知・無関心を突き付けられ打ちのめされたのだ。

 


で、その記事がこちら。

 

 

 

 

 

 緒方恵美さんと言えば、『新世紀エヴァンゲリオン碇シンジ役などで知られる人気声優。
一方で、音楽活動もされていてこれまでに数多くの楽曲リリースやライブを開催されたアーティストの顔も持ち、更には事務所を設立して経営者としての顔も持っている。


インタビュー記事のタイトルに『逃げちゃダメだ』や『滅びる』とあるが、これは大袈裟なモノではない。突き付けられた現実なんだと。
緒方さんだけではなくエンタメに携わり糧を得る人達が決死の覚悟を抱き、あらゆる方法でもって闘い、カタチは違えどもライブが観られるという『当たり前』を提供する事の困難と苦悩を、緒方さんは演じる側と運営に携わる者としてかなり赤裸々に語られていた。


 まず、無観客ライブのパフォーマンスに於いて何が最も難しいのか?緒方さんは観客不在によって、どこを見て歌えばいいのか分からなくなったと言う。カメラに視線を向けて歌えばいいと言うだろうが、配信ライブでその方法は出来ないらしい。

テレビの収録であれば複数カメラがあっても演者を撮っているカメラにはランプが点いて、そのカメラの向こう側に観客がいる事をイメージして視線を合わせてパフォーマンスする事が容易になる。観ているというのが分かるだけで動きやすくなるというのは共感できるモノで観る側も画面からこちら側をしっかり見ているんだなと意識の共有が出来る。

しかし、配信ライブではランプの光が演出の妨げになってしまうというので、ランプを点けないという。複数あるカメラのどれで撮っているのか分からない中で観客の存在と視線を意識してパフォーマンスするのは非常に困難なモノ。初めて無観客配信ライブを開催したアーテイストがまずぶつかる壁だと語られた。


そして、もう一つ困難だと言うのが、観客の生のリアクションとテンションの空気感と温度。


これはオンラインがリアルにどう抗っても絶対に勝てない要素だ。


パフォーマーには様々なタイプがある。特に、観客の情熱と熱狂を直に感じてそれをエネルギーに変換してギアを上げてブースト加速していくタイプのパフォーマーにとって観客の生の爆ぜるパッションを感じられないのは致命的なものだろうし、楽曲の雰囲気や質にも影響をもたらしていく。それは観ている側も同じモノではあるが……キツイのは演者側の方なのだと記事を読んで痛感させられた。

 

 で…もっと厳しいのは、運営サイドだと言う。


ライブを開催するスタイルは様々ある。感染対策を厳重にして、観客を最大キャパの半数及び極少数に限定したり、無観客の配信ライブだったり、観客を入れつつ配信も同時にやる等。これは本当に運営サイドが配慮し苦心して動き続けている。

配信ライブのチケットを購入された方はご存じだと思うが、配信ライブは現地参戦のチケットとは異なり、抽選が無かったり申し込み期限が長い場合がほとんどだと思う。これはより多くの人が観られる様に配慮してくれているからだろう。


だが、この配信チケット特有の売れ方が運営側のメンタルを追い込んでいくと緒方さんは言う。


提供する側としては、やっぱり多くの人が購入してくれているという事実は、有難くて嬉しいモノで時間とお金を使ってくれている。要は自分達に期待をしてくれていると言ってもいい。
その期待に応えたいという想いは表現者がライブに臨む際への大きなモチベーションになるモノと考えられるし、演出にも影響されていくのだろう。

でも、ギリギリの段顔まで売れ行きが芳しくない事が直や間接的に伝わってしまったら、不安に苛まれその感情を抱きながらステージに立つ事になってしまう。

更に深刻なのが、ほとんどのアーティストが配信ライブを開催しても赤字になってしまう事が今の現状としてあると。

配信ライブのメリットは、参戦への敷居が低い事と全てではないがチケット代金の安さ。
コンテンツにもよりけりではあるが、現地参戦の半額近くまで抑えられているモノがある。


しかし、そこに大きな落とし穴があったのだ。


 例えば、家族四人(父親、母親、五歳以上の子供二人)が現地参戦する場合、
四人分のチケット代金を支払わなければならない。だが、配信チケットの場合一枚分の代金を支払って購入して観るのはネットに繋がるディスプレイで四人で観れてしまう。全部がそうではないが単純に利益は減少してしまうのだ。

そして、配信するための機材設備や人件費だけも通常のライブよりかかり、なおかつ今は感染対策を講じないと開催すら叶わないのでそこにかける人やモノへの費用もあるし、トラブル対処にも人を割かなければいけない。

現地でのグッズ販売が抑えられてしまったことでの収入減も大きな痛出らしい。
当然ながら、そこでしか購入出来ないモノは記念の品であり購買意欲をそそるモノでもある。
通販で購入出来るシステムを設けている場合もあるが、受付やら配送の手配でまた設備そこで業務に当たる人への人件費が発生する。

多くの資本を持つレーベルやコンテンツでも、そのダメージは軽いモノではなく、開催に二の足を踏む。そうでもない所だとそのダメージは本当に致命的で死活問題だ。中には、傷を負う事(赤字覚悟)で経営者の自腹で補填するケースもあるという。

何でもかんでも配信にすりゃいいとか、過去のライブを配信しろだのとはこの現状を知ったら軽々しく言えたモノではない……素人の動画配信とはワケが違う。
配信ライブという形態が『当たり前』になってしまったその影では、身と魂を極限まで削って血を流している人達がいたという事実から目を背けては駄目なのだ。


 この窮状はそこまで深刻かつ、瀕死の状態にあるとも思われる。依然として、ライブを取り巻く現状は厳しいし、この先どうなるのかも見えない。しかし、動かなければ炎が消えて死ぬ。この現状を逃げずに闘う事で訴えかけていくしかできない。それは、出演する者達だけではなく、運営側や現場で共に闘っている多くのスタッフ達もそうなのだと。

そして、事態が好転し満員で開催できる様になった未来の刻でライブを開催し運営出来るノウハウや技術を持つ人達や会場が無いという事態はあってはならない。先人達が想いと魂を懸けて道を創り、次世代の者に未来を託せる為には今を闘うしかない。


それぞれの居場所を守る闘いだけではなく、未来を切り開く闘いをしているのだ。


そう、これは『人と場と刻』を守る闘いなんだ。


その闘いは誰もが出来るモノではない。でも、今はそれを出来る人に託すしか出来ない。
でも、動いて闘う事を諦めず続けていければ続く者がきっと現れるし観ている人にも伝わって届く。

その日を一刻でも早く奪還出来る近道は、不要不急の外出を控え事態が治まるのを待つしかない。耐え忍ぶという事は非常にキツイし魂が削り取られる感覚を抱くだろう。

その厳しい情勢を我々が闘う為に必要なのは…やっぱりエンターテイメントのチカラなんだ。

音楽や演劇、スポーツや格闘技を観て没入している僅かな刻の間の意識は現実から解き放たれ、その後はさまざまな感情を抱いて観た人の活力になる。こういう楽しみが控えているから頑張れるし、大変な時間も乗り越えられるモチベーションアップになる。

我慢するだけでは解決しないし、辛抱強くあるためにもエネルギーは必要。
極論を言うと、ただ生きる上に於いて日々のメシを様々な栄養素を摂れるサプリメントだけ食ってればいい事だが、それはただの作業でしかない。
我々が感じたいのはこのラーメンが美味かった、ここのカレーが美味いというその感覚。しかし、お上は不要不急の忌むべきモノの象徴にしてエンタメ関連の開催制限をかける。コレが現在、エンターテインメント業界の窮状に繋がると思う。


 ライブは日々の生活に必要なモノではないのかもしれない。だが、そこに人が関わっているなら糧を得て生きている人がいるのだ。数多の業種と同様に必要不可欠な業種。
前述の通り音楽等で心の平穏や活力をもらっている人はこの世の中たくさんいる。
身体が健やかなのは言うまでもないが、心と魂が健やかなのも同等で大事なモノ。どちらも欠けてはいけないんだ。

 

 緒方さんがインタビューにてここまでぶちまけ、吠えたのは、しんどいという業界の現状を多くの人に知って理解して欲しかったのと、不要なモノの象徴として槍玉に挙げる否定側の人やお上への『怒り』の感情であったと自分は勝手に捉えてしまった。

誰かが声を上げなければ届く事はない。文字になっているから緒方さんの感情までは分からないが相当な想いや覚悟があったのは間違いはないのだろう。

当たり前が形を変わって戻って来て刻が経って、我々はそれに慣れて感謝する事を忘れてしまったのだろう……それは人の性でもあるし業でもある。緒方さんが吠えたのは我々への警鐘でもあるのだろうと思い知らされた。


変わるモノはあるけれど、変わらないモノもある。


提供するカタチや手段は多種多様に増えた。でも、それは人の手が無ければカタチにならないし届けられない。双方の関係はこの先どんなにテクノロジーが発達しても不変なモノだと思う。

難しい状況だが、こういう窮状を助けられる立場の人が知って手を差し伸べて欲しいと願いつつ、我々も何か力になれる手段を模索して動かなければいけないのだと。

 

 最後に、配信でもライブを観れる『当たり前』を守られている数多の表現者の皆様。
緒方さんが覚悟を持って矢面に立ってインタビューで叫んだ業界の現状と怒りは、皆様の総意だと思い知らされました。そうして守ってくれた事には本当に感謝の念しか湧いて来ません。本当にありがとうございます!

そして、このインタビュー記事がより多くの人や支援できる立場の人に届き、何らかのサポートを受けられる段階まで至る事を願いつつ『当たり前の奇跡』に感謝して筆を置きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

Run Girls, Run!との巡り逢いと軌跡。

 彼女達三人を初めて知ったのは、忘れもしない2017年の夏の幕張だった。

 


2017年7月30日。幕張メッセにて開催された『ワンダーフェスティバル2017』内で
Wake Up, Girls!新章』新キャスト&新キャラクター発表会が行われた。

avex × 81produce Wake Up, Girls!AUDITION 第3回アニソン・ヴォーカルオーディションの合格者がWUG新章に登場する新キャラクターのキャストを務めるという事だった。

このイベントの模様は、ニコニコ動画にて配信(生中継)されたので当時の自分は配信にてこのイベントを視聴していた。

で……速志歩を演じる林鼓子さん、守島音芽を演じる森嶋優花さん、阿津木いつかを演じる厚木那奈美さんの3名が、自身の演じるキャラクターと同じ制服姿で登場して、更にはこの三人でユニットを結成して活動していく事も同時に発表された。


 ユニット名はRun Girls, Run!と言った。

 

 

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 そして、RGRがパフォーマンスを魅せる事となり、デビューして間もなく持ち歌もまだない事から、直系の先輩ユニットである『Wake Up,Girls!』の楽曲『タチアガレ!』と『16歳のアガペー』を歌い踊った。


 林さんの歌声は荒削りではあるが、真っ直ぐとした声の伸び方が綺麗で、『タチアガレ!』で吉岡茉祐さんが謳うソロパートを彼女が謳った時に感じられた吉岡さんとは違う独特の存在感=『我』の強さを感じた。この時林さんは中学三年生の15歳。彼女の年齢を知って驚愕した覚えがある。

森嶋さんは、魅せ方を強烈に意識して立ち回っている印象でこの業界に挑む際に入念な準備と高い意識を持っている人だと思った。
後日知った事だが、RGRのオーディション以外にも様々なオーディションを受けていたとの事で魅せ方への強い拘りと高い意識と準備はそれまでに培ってきた彼女の賜物なのだと。

厚木さんは、最初の自己紹介を見た感じは、非常に失礼極まりないが……林さんや森嶋さんと比べると地味な子だと思ってしまったが、その歌い踊る姿を見てそのインプレッションは見事にぶっ壊された。流麗かつキレの鋭いダンスは単純に見惚れてしまう見事なモノだった。


 このイベントを観終わって感じたのは、WUGを応援するのと同じ様にRGRの三人もきちんと見て応援しようと思った。そう思わせるモノを林さん、森嶋さん、厚木さんが初陣できっちりと魅せたからなのだと。

 

 それからしばらくの刻が経って2018年5月。場所はまたも幕張の地。
先輩ユニット『Wake Up, Girls!』と『Run Girls, Run!』の合同ライブ『Green Leaves Fes』
この殴り合いライブでRGRが自分に与えたインパクトが、『あぁ、この子達になら刻と金を費やす価値がある』と認めさせたライブだったのだ。即ち、ちゃんと応援しようと決意した機会だ。


このライブの詳細な所感を書き殴ったモノを貼っておきますので興味のある人はどうぞ。

 

akatonbo02.hatenablog.jp


 で、ここで発表されたのだ。『Run Girls, Run!』の1stツアーが開催される事を。


 
 そして、11月。品川ステラボールにて開催された『Run Girls, Run!1st LIVE TOUR止まってなんかいられない』東京公演(夜のみ)に参戦して来ました。

自分は一公演しか参戦は叶わなかったが……魅せてもらったんだ。


初めて臨む未知の領域での『闘い』を完遂し
そこで得たモノを携え変わろうする強い想いと覚悟。


誤魔化しが一切通用しない場で磨かれ、新たに覚醒された個の力。


様々な楽曲と個の力の融合による未知の可能性。


これから更に強く輝きを増すであろう三つの小さな『星』の"軌跡と奇跡"の物語がそこにあった。


で、刻は更に流れて、2019年8月。『Run Girls, Run! 2nd Anniversary LIVE 1.2.3ジャンプ!!!』RGR結成二周年記念ライブ。ライブ自体が素晴らしかったのは言わずもがな……自分はある人のある言葉に魂を撃ち抜かれた。同時にその言葉の意味しているモノがRGRに惹かれる最大の要因であり惹かれた要素でもあったのだと思い知らされた。


その言葉を放ったのは厚木那奈美さん。彼女はこう言ったのだ。


『1stツアーで会場を埋められなくて悔しかった』と。


前述の通り、このライブは結成二周年のライブ。晴れの舞台だ。
厚木さんだけではなく、林さんや森嶋さんもその想いは同じモノだと思われる。何の言い訳や誤魔化しは無い。ただただ『悔しい』と敗北と彼女達の弱さを受け入れて認めた。

何か突き抜けられない、はじけられない。そう感じているランナー諸氏は多いと思われる。
彼女達の周りのOTONA達も言う。ただの大人しい真面目だけが取り柄の子達と。


でも、それだけの子達じゃないんだ。焚き付けるつもりではなく本気で言っておるのならあの子たちの何を近くで見て感じているんだと。三人の叩き上げの魂にはあるんだよ。燃え滾る反骨の炎が。気付かねぇのならお前らの目ん玉は節穴もいい所だ。

人は誰しも大なり小なりの認められたい欲求があるだろう。ましてや若い年代の彼女達はなおさらその欲求は強いモノだろう。他者と比較して打ちのめされてもその想いは変わらない。


見える景色を変える事が出来るのは走り続けるしかない。思えば、自分がこれまでに惹かれて来た人達もそうだった。理屈じゃない本能的なモノなんだと。
おそらく彼女達はこれからも悩み枠や壁にぶつかっていくだろう。でも、それを壊して乗り越える事が出来る人達だと信じている。

その先で何を掴んで、何をファンに見せてくれるのか?自分は見ていくしかない。

RGRとしてのゴールがこの先の何処にあるのかは分からない。

もっととんでもない存在にまで化けるのか?それともこのままの調子なのか。
いずれにせよ、どんなゴールのカタチでも彼女達がきっちりと駆け抜けてゴールテープを切って欲しい。縁起でもないがいつかはゴール(=終焉)する刻は必ずやって来る。


その刻をきっちりと見届ける覚悟は決まった。それまで全力で楽しみ応援していこうと思う。


何処まで行けるのか見届けたい。報われて欲しい。夢を叶えてもらいたい。


お披露目会で初めて彼女達を見たファーストインプレッションで感じた未知の可能性を自分は愚直に信じていきたい。

 

 

 

 

 

Run Girls, Run! Online Live~ランガリング・リンクライブ♪~映像化決定に寄せて。

 3月13日。ある一つの報によって何とも形容し難い感情に包まれた。


自分の感情の波を揺り動かしたのがこの報によるモノだ。

 

 

 

 

 ドリーミング☆チャンネル!【LIVE盤】【Blu-ray収録内容】
Run Girls, Run! Online Live~ランガリング・リンクライブ♪~』最終公演映像化。

 

 5月19日にリリースされる『Run Girls, Run!』の新曲『ドリーミング☆チャンネル!』の販売形態の一つに昨年に開催された配信ライブを収録したBlu-rayディスクが特典として付くという報せである。CDの特典にこういう映像作品を付けて売る形式は珍しい事ではない。


Run Girls, Run!』単独ライブの模様がようやく円盤化されたというのが滾るポイントなんだ。


オンラインの配信ライブだったから映像は撮っていただろうし、後日、ライブの一部を動画サイトにアップしていたから円盤化して販売出来ることだろうとは多くの人が感じていただろう。

単独公演の映像化と言えば、多くのファンが待ち望んでいたモノで自分もそのうちの一人だ。
やっぱり、良いライブというのは何度も観たいし現地で観る興奮とは違った視点や感覚で観られるモノでもあるので是非とも手元に置いておきたいアイテムなのだ。


 だが、残念な事にこれまでに彼女達の単独公演の映像化は叶ってはいない。
初めての地上波バラエティ番組『Run Girls, Run!のらんがばん!』の番組内のコーナーでライブ映像が流れていたから映像はあるが円盤化までには至ってない。

『らんがばん!』のBlu-rayの特典で彼女達が参戦した『Green Leaves Fes』の円盤があるが、あれはRGRの単独公演ではない。先輩ユニット『Wake Up, Girls!』との殴り合い共演だ。

1stツアー(撮っていたかは不明だがおそらく映像はあるはず)や結成二周年ライブの映像があるという事実があるのは知れ渡っておるにも関わらず円盤化されていない。それはファンにとって歯痒いモノだ。ただし、そうなっていない(円盤化)のは商業的や権利的な理由とかが絡んで来て即座に円盤リリースして市場に出そうと舵切れない事情があるのだろう。

運営やレーベルの事情があるのは当然ながら理解しているが……一方でファンからしてみればそちらの事情なんざ知った事ではないという声もあるのが事実。乱暴な物言いになるが、映像が存在しておるのは分かってんだからとっとと円盤化してリリースしろと言うのがファンの本音。このライブはアーカイブは残されていないのでその叫びはより熱を帯びる。

レーベル側としては、やっぱり利益が出なくては話にならない。カタチにするのだってタダで出来るモノではなくそこにかける人やあらゆるモノが必要。しかし、前述の通りファン(客)側はそんなの知ったこっちゃない。他のコンテンツが出来ているのだから出来ないワケが無い。とにかくあるならカタチにして出せと言う。勝手な言い分だが世の理でもある。

 

 今回円盤化される公演(ランガリング・リンクライブ最終公演)が終演して間もない頃、こんなタグが付いて多くの人がTwitterに書き込んだ。

 


 #ランガリング・リンクライブ円盤化を諦めない

 


 推測の域だが、おそらくレーベルサイドはこの書き込みの存在は認知していると思われる。
もしかすると、このオンラインライブの開催が決定していた頃には円盤化する事も決まっていたのかもしれない。じゃなきゃこのライブのダイジェスト映像を流したりはしないはず。

ただ、これまでの単独公演が円盤化されていないので、この配信ライブも本気で円盤化する気が無かったという可能性も否定は出来ない。ランナー諸氏がライブ後即座に書き込んだのは記録として何らかのカタチにされない事を危惧して思いの丈を叫んだ。脳ミソに花咲いた個人的な意見だが……ファンの声を聞き入れて動き、この円盤化が決まったのであればそれは本当に嬉しい事ではある。


事の真相は、レーベルサイドにしか分からないし、客の方もあちらの思惑なんざ知った事では無い。リリースされる事が決まったという事実があればそれでいいのだ。

 

 話は変わって……コレは私見だが、Run Girls, Run! Online Live~ランガリング・リンクライブ♪~』はRGRの軌跡にとって意義深いライブだったと思っている。

最終公演のセットリストは、サプライズで披露された『Brand New Girls』以外は、全てRGR楽曲で構成された。これはRGRの単独公演では初めての事だ。1stアルバムがリリースされた事で単純に持ち歌が増えたのは本当に大きな事で、だからこそ円盤化に踏み切れた様にも思えるし納得出来る。

あれから(2020年10月)から刻は経ってしまったけれど、刻を越えてこのライブで彼女達が魅せ付けた本気の想いと魂、あの時間軸で生きる三人の生き様が詰まった素晴らしいライブが観られる。


結成と共にRGRを応援して来た人、どこかの機で巡り逢った人、ごく最近巡り逢った人。当時、このライブが観られなかった人もいる。
知った機がそれぞれに違ってもこの円盤は多くのランナー諸氏が待ち望んでいた『記憶』のカタチ。これは彼女達が世に認められる為に必要なモノでもある。

彼女達がこの報についてどう思っているのかは窺い知れないが、三人にとっても多くの人に知って認められる切っ掛けとなるモノがこうやって世に放たれる事は喜ばしい事ではと……手前勝手ながら思ってしまうワケである。


 

 『Run Girls, Run! Online Live~ランガリング・リンクライブ♪~』良いタイトルだなと思う。当時は彼女達と視聴者との間にある境界を越えて繋がれた(リンク)ライブだったと。


だが……この映像化の報を受けてこうも思ってしまったのだ。

 
境界のみならず、刻を越えて繋がるという意味を込められて、『リング』(環)と『リンク』(繋がる)刻の流れと繋がる事への二つの語句をライブのタイトルに付けたのだと。

こじつけが過ぎるし、コイツは暴論&妄想の域でしかないのも承知しておる……
でも、ライブが終演した後に彼女達が書いたコメントが刻まれたタオルに三人が
『時間』という言葉を書いた事からその可能性も勝手ながら感じてしまうし、そうあって欲しいと願ってもいる。


 彼女達の闘いの記憶と言ってもいい『ランガリング・リンクライブ』の映像化。
これが『Run Girls, Run!』を深く知る為の入り口の一つでもある。

この映像を一人でも多くの人が観て惹かれていく切っ掛けとなる事をただ願ってやまない。


そんな願いをもって、この記事の締めの言葉にかえて筆を置かせていただく。

 

 

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RGR楽曲ライナーノーツ#14 ルミナンスプリンセス/My Best Shine!!

 どうも。RGR楽曲私的ライナーノーツシリーズのお時間です。


今回は、前作『Share the light』から1年ぶりとなった7枚目のシングル
『ルミナンスプリンセス』とカップリング楽曲『My Best Shine!!』について書いていこうと思う。

 

 

 

 

 


  ルミナンスプリンセス

 

 

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www.youtube.com

 

 『Run Girls, Run!』のメンバーがメインキャストを担当しているTVアニメ『キラッとプリ☆チャン』の7番目(第3シーズンの2番目)のオープニングテーマ楽曲。(129話から141話まで使用された)

これまでの明朗な路線を損なわずに、壮大さ(大人っぽさ)を加味させたメロディアスな曲調がこの楽曲の大きな特色でありRGRの新境地への挑戦も感じさせる意欲作だと感じられた。
これは、作中でのライバルユニット『Meltic StAr』の楽曲を手掛けているスタッフがいたという事なのでそれが曲調や世界観に影響をもたらしたと思える。


 曲題にある『ルミナンス』。見た当初は造語かと思っていたが、実際にある語句であり光源の明るさを表す輝度の英訳がルミナンスだという。前のOPテーマ楽曲『イルミナージュ・ランド』も、光や輝きを表す語句であるイルミナージュから取られていた事から、OP楽曲の系譜を継ぐという意味合いを込めて輝きをイメージさせる語句を付けたのだろう。

この楽曲のテーマとなる『輝き』のモチーフになっているのは『月』と『太陽』の輝きだとインタビューで語られていて、作中に登場する新キャラクター『アリス』と『イブ』の両者の関係性に寄せて、曲調の明朗さ(太陽)と壮大さ(月)が混在しているのも頷ける。


(両者の踏み込んだ関係性については作品のネタバレになるので本稿では言及しない)


三人の歌唱法もみらい達がアリスとイブを引っ張っていこうという意志と優しさを表現して語りかける様なモノになっているのが印象深い。それはキャストとしてのRGRの立ち位置が刻を経ていって変化した事が大きな要因だろうし、系譜と軌跡の積み重ねがそうさせ、キャラクターとの魂での対話の賜物だと勝手に思っている。

 

 見つけた夢の向こう きらめこうよ 一緒に…

 踏み出していい まっすぐに信じて

 ルミナンスプリンセス


 ―Run Girls, Run!『ルミナンスプリンセス』より引用


 
 上記にあるこの節が、新しく加わったキャラ達を引っ張り優しい輝きで包容して背中を押してあげるというこの楽曲の真骨頂だと自分は捉えている。同時に、彼女達のこれまでの軌跡とも照らし合わせる要素でもある様にも思えてくるのだ。

前述の壮大さというインプレッションだが、自分は同じ『プリ☆チャン』OP楽曲の一つである『never-ending!!』に似たインプレッションを抱いた。この『ルミナンスプリンセス』はシーズン3のラストを飾るOP楽曲であり、これらの二曲は締め括りの楽曲という共通項が自分に『never-ending!!』と似たインプレッションを抱くに至ったのだ。


そして、この楽曲の最も『要』となる箇所と彼女達の本気の想いが最後に集約されていると考える。

 

 終わらない恋をしたんだ みんな

 どこまででも 行こう


 ―Run Girls, Run!『ルミナンスプリンセス』より引用

 

 RGR楽曲全体の系譜に於いて、『プリ☆チャン』楽曲は数が多く『Run Girls, Run!』の歴史そのものと称されても差し支えないモノと思える。

恋という語句は、みらいを筆頭にキャラクター達が『プリ☆チャン』へ懸けている想いと魂でもあるし、RGRの想いと魂も同じくあるモノでみんなとは演者とキャラクター双方向の縁でもあり強い情熱を喩えた言葉。


変わる事もあるが、変わらない事もある。


刻が積み重ねていって、楽曲が持つ意味や謳う彼女達の役割も変化した。
そして、原初から抱いている変わらない想いも共存しているのだ。

どちらの要素も損なわれてはならない大切なモノ。そして、一つの節目を迎えた彼女達の新たな決意表明を謳っている様にも感じられる意欲作となっている。

 

 

 

 

 

 

  My Best Shine!!

 

 

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 音源を聴いてのファーストインプレッションは、明朗な可愛らしさを全開にしたまごう事無き正統派・ド直球なアイドルソングだという事だった。アップテンポなエレクトロポップチューンの曲調はライブ映えし、マストとなるのは確定となるポテンシャルを強烈に感じさせられた。

ここまで振り切った楽曲は、RGR楽曲全体では稀だと思う。位置的に近しいと思えるのは、1stアルバム『Run Girls, World!』に収録されている森嶋優花さんによるソロ楽曲『Darling Darling』位だろうか。これもまたRGRの新しいチャレンジだ。

この楽曲の大きな特色だと自分が感じているのは、何の括り(タイアップやシリーズ)の無いありのままのRGRで謳っている事。勝手なインプレッションではあるがテーマとなっているのが彼女達とランナーへの想いの相互循環……

繋がっている事への『感謝の謳』だと。

 

 

 きっと I Need You 頑張った向こうに見える新しい景色

 もっと My best Shine ずっと目が離せない 輝く私になるよ

 絶対 I Need You 何気ないコトバが私の元気になるの

 だから I Love You 精一杯の気持ちを 伝えたいな この歌で


 ―Run Girls, Run!『My Best Shine!!』より引用

 

 三人は、ファンからのちょっとした言葉や声援に頑張る原動力を貰っていると言う。
ランナー諸氏は彼女達の楽曲や活躍で頑張れる原動力を貰う。それは日常を闘うチカラを貰っていると称してもいい。

彼女達は声援をチカラに変えてもっと輝きたいと願い謳う。ファンは彼女達の輝きを反射させるかの様にもっと声援を送る。上記の箇所ではないが詞にある『君』という語句はファンを指す比喩である様に思えてしまう。ファンがRGRを輝かしい存在だと思っている様に、彼女達にとってファンの存在が輝かしい存在だと思ってくれるというメッセージがここのパートの詞には込められているのだと感じる。

この楽曲が収録されるシングルが初めて告知されたのは、2020年10月無観客で開催されたライブ『ランガリング・リンクライブ』での事。公の場になかなか出る事が叶わない状況下で生まれた楽曲。直に互いの『輝き』は感じられないけれども、心の光による『輝き』でRGRとファンは共に照らし合う事を諦めなかった。この状況下でなければ生まれなかった『感謝の謳』なのかもしれない。彼女達が置かれていた現在地で謳うからこそ説得力がある。

 

 『My Best Shine!!』とは、自らの最高な輝きと訳せる。それは自身が放つ輝き。でも、その人それぞれにとっての自身以外掛け替えのない最高に輝く存在にも当てはまるモノだと思えてならない。

 

 

 

 

 

10years~あれからとこれからの刻。

 古の文献にこんな記述が残されていた。

 

2011年4月。I-1clubメジャーデビューシングル『リトル・チャレンジャー』発売。

 

 

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 直訳すると、小さな挑戦者という意味。もしくは若き(幼い)挑戦者とも捉えられる。
その訳に違わないメジャーデビューという未知の領域への挑戦と叩き上げで荒削りな魂を赤裸に謳う楽曲であり、アンセムとしての意味もある楽曲。

センターに、島田真夢を据えたこのデビューシングルはオリコン1位に輝き、同時にミリオンセールスを叩き出しアイドル界の頂点へと駆け出す切っ掛けと好機を勝ち取った。


物語の中の出来事ではあるが……今年はこの楽曲がリリースされて10年の刻が経つ。
10年とは節目の年でもあるし、楽曲の物語と関わった人達の縁を含めて考えてみるにはいい頃合いなのかもしれない。

 

 

 

 

 

  Chapter1/ある男の嗅覚が感じたある少女の可能性。

 

 2011年といえば……3月11日、東北地方を中心に未曾有の被害を引き起こした大震災に見舞われ、それまで当たり前に在ったあらゆるモノが無慈悲に奪われた。それはエンターテインメントも例外ではなかった。当時、I-1に在籍していた島田真夢は被災地に赴いてチャリティライブを何度も開催していたと回述していた。

風前の灯となったエンタメの火を消さない為に、ある男=白木徹は、平穏の象徴であるエンターテイメントショーを如何なる事があっても続け、途絶えさせない事で人々に希望を与える事。その想いでもって被災地でのチャリティライブの開催に動いたのだろう。これは、彼の中で揺らぐ事のない信念の一つだと思える。

おそらく、『リトル・チャレンジャー』リリースはこの時期(2011年4月)というのは随分前から決定していた事ではあったのだろう。共にある仲間達との絆と挑戦者魂をテーマに掲げ、メジャーデビューして新たな軌跡を駆けるI-1の事を謳った楽曲。言い換えると、I-1の事しか謳っていない楽曲でもある。


 メロディや詞が良くても必ずヒットする確証なんてモノはない。それはこれまでの歴史が証明しており白木さんも重々痛感している事でもある。

何も『確かなモノ』が無いので憶測の域でしかないが、白木徹のエンターテインメントに生きる者の嗅覚が嗅ぎ取ったのだろう。彼が抱く理想のアイドルに近づける逸材・島田真夢をセンターに据えて、叩き上げの荒削りな挑戦者達の謳『リトル・チャレンジャー』で闘いを挑む絶好の機だと本能で感じた…加えて、震災から間もないという時勢も影響しただろう。

実際の所、彼の嗅覚から導き出された『解』は、オリコンチャートの1位とミリオンセールスという成果を見事に出した。


 白木さんは、何故真夢をセンターに据えたのか?これに関して明確な理由の描写は無い。
あくまでもコレは個人の妄想の域でしかないが、おそらくは根拠や理由なんて無かった。
彼の心中では、岩崎志保でもなく、黒川芹香でもなく、島田真夢しか有り得なかったのだと。

前述の様に、エンターテインメントの世界で糧を得ている者の嗅覚と勘もあっただろうが…一人のアイドルファンとしての理屈では説明が出来ない惹かれて魅せられるモノを、白木さんは島田真夢から感じた。決定打になったのは一人のアイドルファンとしての視点と本能の勘が島田真夢を選んだのだろう。勿論、彼女にパフォーマーとしてのスキルが充分にあったのは言うまでもないが、それ以上に白木さんの魂を揺さぶり真夢に懸けようと思わせた要因は彼女から発せられた『気』(オーラ)だったのだろう。


前に、白木さんの事を書いた記事でも触れたが……この男は人が持つ心の光と可能性を誰よりも信じてやまない。

『気』は目に見えなくてロジックで説明できない不確定な代物。
別の表現をするならば…覚醒されていない島田真夢の『可能性』に白木さんは懸けたのだろう。

 

 

 

 


  Chapter2/打ちのめされた人達へのアンセムとして…

 

 被災地にてチャリティライブを何度も開催し、そこに暮らす人達の現状を目の当たりにした若い彼女達は強烈なインプレッションを抱いたはず。自分たちのパフォーマンスを観た人達がその僅かな刻の間だけ笑顔になれて困難な状況を忘れられる。この経験もまた彼女達には強いインプレッション…生き様として刻まれたモノでもあった。


この楽曲は置き去りにした何かを取り戻す切っ掛けになる楽曲という面もある。
 

勿論、この楽曲を聴いた事のある人全てが前を向いて挑戦していこうという気にはならない。
特に、被災者にとってはチャリティを開く者達の励ましの声の類は単なる詭弁だと一蹴し、どんな言の葉も綺麗事にしか捉えられない。お前達も自分達と同じ目に遭ったらきっちり聴いてやると思っている人だっている。これも公にはされていないが事実としてあるモノ。
エンターテインメントが腹を満たすワケでもなく、安眠を確証出来るモノだってない。


それでも、全てをグッと飲み込んで彼女達はこう歌うのだ。

 

  時に傷つき負けそうになったら

  右を見ろ左を見ろ 信じ合える仲間がそこにいるから


  ―I-1club 『リトル・チャレンジャー』より引用


 

 この楽曲は前を向き挑戦しようという気概を謳った楽曲ではあるが、共に軌跡を駆ける仲間との絆も謳っている楽曲でもある。
 
『復興』や『頑張ろう』という言葉は、時に残酷で無慈悲な凶器としか捉えられない人も実際いたのだろう。安全な場所から言われた言葉で応援されても立って前向けないモノだ。
これ以上何を頑張ればいいかなんて分からない。しかし、そんな人達に無理して前ではなく右や左……即ち、横向けという言葉は新鮮なインプレッションを抱いたのかもしれない。


それは、謳うI-1のメンバー達にも言えるモノだった。彼女達の生き様が楽曲に魂が宿って血が流れる。この楽曲を聴いて救われた者だっていたはずだ。


楽曲は成長していくモノ。歌う者の生き様が反映されてより人の魂に響いて楽曲は秘めた限界領域を超えていく事からその限界の壁を壊すのは人無しでは出来ないものではあるのだけれども……時勢が限界の壁を壊す事も有り得るのだ。『リトル・チャレンジャ―』という楽曲は徹底的に打ちのめされた時勢に求められた楽曲……


人によって作られたのではなく、昇華して生まれた『アンセム』だったのではないだろうか。

 

 

 

 

 

  Chapter3/あれから10年の刻。”向こう側”はどうなっているのか…

 

 

 描かれていないので2021年の『Wake Up, Girls!』の世界がどのような刻を刻んでいるのかは全く分からない。WUGはあの七人と魂を共有する者達の様に終焉(解散)を迎え第二章の物語を迎え、新たな軌跡を歩んでいるのかもしれない。


I-1サイドもどんな物語になっているのだろうか?


近藤麻衣は卒業しているかもしれない。吉川愛はキャプテンを続けているのか?別の者に引き継いだのか。


I-1センターは誰なのかも興味深い。


一度は返り咲いたその座を返上した鈴木萌歌がまた返り咲いて絶対的なセンターとなっているのか?もしかすると、高科里佳がセンターの座に就いているのかもしれない物語だって無いとは言い切れない。彼女はスピンオフ作品『リトル・チャレンジャー』の主役でもあるからその物語も興味深いモノがある。

白木さんは……何考えてるのかは分からんが、エンターテインメントとアイドルが持つ力を信じているのは変わらずに色々事を仕掛けているのかもしれない。


 10年。区切りの年と呼ばれる事が多いが、それは人間が勝手に決めたモノで本来、刻とは区切りの無いもの。でも、人はそれ(区切り)に意味を見出そうとしてしまう。

それぞれの10年の刻があって、大切な事もそれぞれに違う。

2021年の空と大地で、島田真夢が、岩崎志保が、I-1clubが、そして、白木徹が『リトル・チャレンジャー』を聴いて何を想うのか?


真に大切なモノは何か?もしかすると一生懸けても見つからないかもしれない。捉えられないモノなのかもしれない。それでも、何なのかと問い続けて挑み続ける事こそがそれぞれにとって大切なモノなのだとこの『リトル・チャレンジャー』という楽曲は伝えようとしているのかもしれない。


 そんな勝手な妄想に塗れながら、『リトル・チャレンジャー』を改めて聴いてみようと思う。

 

 

 

 

 

 

 

Seven Memoriesに寄せて。

 今回の記事は、バチバチに自分の主観と偏見が多分に含まれた文章なので
取り敢えずその点は予めご了承下さい。

興味のある方だけ読んで下さい。どうでもいい方はそっと閉じて下さい。

 

 

 

 

 

 『Wake Up, Girls!』のパチスロ化の報が流れてずいぶん経ったが、今更ながらそれの関しての自分の印象やら心情をつらつら書き殴ろうと思う。


 まず、第一報を聞いた時の印象は『ほう』(肯定的な)といったモノだ。


ちなみに、自分はパチンコ・パチスロだけじゃなくギャンブルの類は一切やらない。やらないのはギャンブルそのものだったり、やっている人ひっくるめてのトータルな嫌悪感があるワケじゃない。きっちりと節度を持って社会生活が破綻せずに、人に迷惑や害を与えなければ気分転換の趣味の一つとして有りだという認識だ。

俺がやらないのは、単にギャンブル事態に興味や好奇心が向かなかった事と、最悪のケース…ハマってしまいそうになるのが目に見えてあらゆる方向に迷惑をかけるだろう事が予想に難くなかったから。前述の通り一人の社会人としてあらゆる方向に迷惑かけてしまうのは俺の中では最もやってはならない事だからだ。

娯楽遊戯の一つとして俺の中ではこのパチスロ化は、ゲーム化されるのと大差がない事とWUG楽曲がおそらく使われて、そこから新しくWUGを知る人が出てくれるのではないだろうかという期待。故に肯定的なモノと受け入れている。

グループは解散しておるが、コンテンツ自体は継続している現状。存在しているモノを使ってビジネス展開していく事は何ら悪い事ではないし、継続させるためには先立つもの=金銭が必要不可欠だ。パチスロ化すれば版権料やら何やらで懐に入って来る。

ただし、当然ながら新しく知る人が続々増えて販促を促せるモノでもないの知っている。
作品云々より、どれだけ当たられて自らの懐を温められて遊べるかが重要な層の方が圧倒的に多いだろうし、遊ぶ人が少なければ撤退を余儀なくされるシビアな現実があるが座しているだけでは何も変わらんし、コンテンツ側の懐も冷える一方だと思うのでこの決定の報について、自分はポジティブに捉える事が出来たのだ。


 で……否定的に捉えている人の大きな要因と思われるのが、パチスロ=ギャンブルとしてのネガティブなインプレッションと嫌悪感だろう。ハマり過ぎて借金してまでも遊ぶ人、絶対に勝てないイメージ、ガラの悪い人が遊ぶモノ、子供をほったらかしにして遊ぶ親御さん…etc
実際に俺の周りにもギャンブルにハマって金無くなって給料前借りしようとしていた先輩や、同僚に金借りてた人がいた。

その人の思い入れの深いメンバーや楽曲、エモーショナルなシーンが賭事に使われる事はパチンコ・スロットをやらない人からすれば非常に不愉快極まりない事だと思う。特にWUGの場合拒絶の意が顕著に表れている。東北の復興支援をお題目に掲げたコンテンツが賭け事に用いられるのは抵抗感が強いモノだというのも分からんでもない。

仮にだ。パチスロではなく新しいソーシャルゲームだったらここまでの抵抗は起こらんのだろうが……レアリティの高いキャラやアイテムが出るまで金をつぎ込む事と勝てるまで遊び続けるギャンブルは同一なモノ。更に言ってしまえば…コレクションの一環としてグッズを多数買う層の人も酒に悪い方向で溺れる人も俺は同じ穴の狢だと思ってる。どちらも精神的高揚がクセになって依存してしまう。

どれも人の欲という『業』がもたらすモノで大差はないのだ。綺麗事だけ並べてモノを残せる程この世は甘くない。嫌悪感を抱く人をどうこう言うつもりはないがその部分から目を背けないで、ネットに『嫌だ嫌だ』と書くだけで世が簡単に動くワケがない。どうしても本気で嫌なら動いて世の声を集めてコンテンツにその声を叩きつける位の気概を見せてみろと俺は思う。

 

 

 

 ……そんなこんなで先日。発売記念特番と称した番組(YouTubeにアップ)にて、メンバーが全員ではないが出演されて、いろいろと台の仕様やら話をされた。

 

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 まあ、その、メンバーが集まってわちゃわちゃと話していた事へのインプレッションについて改めてこの場で書く事はない。この記事はそれが主体ではないから。


 こういったアニメ作品のゲーム化は、出来合いが極端に分かれたりすることがよくある。
ク〇みたいな雑で酷いモノか、やたらと出来合いが良すぎるモノになる。

(あくまでも個人の偏見の域だけれども……)

パチスロ化で危惧していたのはそのゲーム性の出来合い部分だったりするのだ。


ところがだ。


番組で紹介されたモノは、いい意味で予想を裏切ったモノだった。


 原作のエピソードやライブの模様がちゃんとゲームに沿った演出に施していたり、楽曲名のテロップも入れてある事は勿論素晴らしい事。そして、何よりもライブの観客の声まできっちり入れておる事に制作陣が本気の熱をもって真摯にWUGと向き合って制作した事の証明ではないだろうか。

普通だったら観客の声は邪魔な要素として省かれるモノ。推測の域は出ないが…制作陣の中にワグナーもしくは実際にWUGのライブに参戦されて現地の熱狂を感じて演出に取りいれようとされたのかもしれない。きっちりと向き合って調べてそれ(観客の声援)が必要不可欠。
実際に自分の手でプレーしてないから何とも言えないが、映像で間接的に感じられた事については、ここの制作陣が携わった作品は信用してもいいと思ったのだ。


 何でもそうだが、そのコンテンツや作品を知る入口は広くて多いに越した事はない。
ネガティブな要素が多分に含まれる要素でも入口の一つとしては全然アリだと思う。

前述に、WUGのパチスロが切っ掛けでよりWUGを知ろうとする人は少ないかもと書いたが、知る人が増える可能性が全く無いわけじゃないし、仙台で打てば経済支援に繋がる。
この件も、東北にビジネスチャンス=金を落としていく一環なのだと思える。
真っ直ぐな道ではない曲がりくねった道かもしれないが、道が増えた事は素直に喜ばしいモノ。


物事は始まってみないと分からないモノ。良い方に転ぶのか?悪い方へ転がるのかは未知の領域で結果は誰にも分からない。

だが、ギャンブル性の強いモノ=悪と断定して単に非難・拒絶していくのは個人的に疑問符が浮かぶ。だからといって受け入れろって話をするものでもなく、パチスロ化がもたらした結果を見る事が大切だと時分は思っている。あれこれ論ずるのはそれからでも遅くはないのだ。

 

 

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