巡礼者のかく語りき

自由気ままに書き綴る雑記帳

2021Jリーグ開幕ッ!!

 昨日、今季のJリーグが開幕した。
今季もまた見どころが多くありそうなシーズンになる根拠のない予感がしている次第だ。


 昨季、圧倒的で理不尽なまでのアタッキング・フットボールで優勝を飾った川崎フロンターレの連覇なるのか?それをどう止めていくのか的な川崎包囲網が形成され闘っていくのか。

Jリーグの最大の魅力である(注:俺の勝手な見解だが)どこが優勝&躍進していくか読めない群雄割拠的な乱戦になっていくのか?

更に、今季は参戦チームが二枠増えて20チームあり、なおかつ降格が下位4チームになるという
これまた異例なシーズンでもある。


 前述の通り、川崎フロンターレの戦力充実度が他のチームより抜けているという事実があって昨日観た開幕戦での試合を観た感じだと、今季も手強い(なんてモノではない……)インプレッションを抱いてしまったのである。

で、ダークホース的な存在の最右翼に挙げられているのが、オフに大規模補強をした清水エスパルス。守備と堅実な戦術構築に定評のあるロティーナを招聘し、各ポジションに的確な補強をして来ている印象。問題は戦術や新加入選手が十分なフィットするまでの時間だが基本戦術が守備重視だろうから大崩れはないと見ているがどうなるか。


(ちなみに、開幕戦の鹿島線は勝ったとの事)

 

 さて、俺が応援しておるFC東京の開幕戦は、アウェーにて浦和レッズと闘った。
どこが相手でも簡単な試合ではないが、浦和はやっぱり特別な位置にいる存在だ。


試合は、後半に先制されるが終了間際にセットプレーから森重のゴールにて追いついてそのままドローという結果に。2012年のホーム浦和戦のゴールを彷彿させる激熱なヘッドだった……


開幕戦という事もあっただろうが、ウチの動きは固くよろしいモノではなかったのかもしれないが、それ以上に浦和の動きが全然違った。前線からアグレッシブに動いてプレスに行くスタイルは本当に厄介で中盤でこちらにボールが収まりずらく、そこから攻撃の組み立てに苦心していた印象。特に、小泉と明本の動きの質がダントツに良かった。迂闊なパスなんか出そうモンならすかさず寄せられ刈られて自陣深くで起点作られるぞ。他のチームは気を付けた方がいい。


さて、FC東京の方だが……前述の様に動きはよろしくなかったし、個の力頼りの攻撃は相変わらずだったが、新加入でJ1デビューの渡邊凌磨のプレーは面白いモノを感じた。ハードワーク出来てきっちり走れる走力が持ち味との事なので今後もっと活躍出来そうな感じだ。

一方で、アンカーに入ったアルトゥ―ル・シルバ。コ…じゃなく彼のアンカーは危なかっしい事この上ない。球捌けない、ポジショニングもよろしくないの三点盛だ。彼を使うのはインサイドハーフが最適な様にも思える。勿論、この一戦だけで判断を決められるモノではないが……


 ネガティブなインプレッションが多くある難しい試合ではあったが、その中で勝ち点を取れた事やクリアしなければならない課題を突き付けられた事は収穫であり前向きに捉えたい。
次節はホーム開幕戦。ココは落としてはならない闘い頑張って勝って欲しいモノである。

 

 

 

 

RGR楽曲ライナーノーツ#13 ランガリング・シンガソング

 どうも。RGR楽曲私的ライナーノーツシリーズのお時間です。

 

 

今回で、『Run Girls, Run!』の1stアルバム『Run Girls, World!』に収録された楽曲解釈&所感は最後になる。

 

この楽曲は、1stアルバムにおけるリードトラック。それはこのアルバムの中で最も世間にアピールしたい楽曲。だからこそ一番最初のトラックではなくラストトラックに据える事に意味があったと自分は勝手に思っているのだ。

 


 

 

 
  ランガリング・シンガソング

 

 

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www.youtube.com


 
 原初の楽曲『カケル×カケル』、デビューシングル『スライドライド』、ターニングポイント的な『Break the Blue!!』『never-ending!!』と繋いできたアンセムとしての系譜に連なる楽曲。ただし、これは自分が勝手にほざいておるだけなので、曲調や世界観でみると『カケル×カケル』の続編的な楽曲だというのが多くの人の見解ではないだろうか。


そして、『Run Girls, Run!』が勝負を仕掛ける為の『闘いの謳』でもある。


 この楽曲を『闘いの謳』と自分が評したのは、これまでのRGR楽曲にはなかった『生々しさ』や『泥臭さ』といった生きようという執念めいたモノを感じたからである。軽快で疾走感溢れるバンドサウンドからは生々しさと泥臭い執念は感じられない。だが、歌う彼女達はそうじゃなかった。
今、抱いているむき出しの感情を余すところなくぶつける歌い方をしている。それに惹かれてしまうのだ。


三人はオーディションを勝ち抜いた結果『Run Girls, Run!』のメンバーとなった。
当然ながら、勝ち抜く為には技術的に光る『上手い』モノがあった事も要因だったと思う。
但し、その『上手い』要素は表現者としての一つの要素でしかないのも事実としてあり、それのみで闘って渡っていけるほど易しい世界ではない。それは彼女達が実際に表現の世界でこれまで闘って来て痛感させられたことだと思える。歌い出しの最初の節はその心情を表しているのではないだろうか。

 

 走るために生まれてきた

 でもまだ たりない たりない


 ―Run Girls, Run!『ランガリング・シンガソング』より引用

 

 楽曲の進行と並行する様に、燃え滾る情熱をメロディに乗せていくのではなく、最初から全力全開で今の彼女達が感じている想いと魂を解放するかの如く『たりない』と吠える。それによってこの楽曲が生々しい執念を謳う『闘いの謳』であるという事を強烈に訴えかける。

包み隠さない生の感情を曝す事で、この楽曲が今までの楽曲とは違ったベクトルで魅せて聴かせる事への興味をリスナーへと印象付けさせていく。だからこそ詞の所々に散りばめられたネガティブなワードが更なるエモーションを引き立たせていく。

 

 くやしさから 見上げたんだ 理想はまだ遠い

 眩しい光に澄んだその眼に 到らない私は映ってますか

 なにかと比べて落ちこむことで 少しずつライフを削ってしまう


 ―Run Girls, Run!『ランガリング・シンガソング』より引用

 

 
 林さんは、この楽曲を今の自分達にに共感できるポイントがすごく多い楽曲と評し、森嶋さんは、胸がグッと熱くなる楽曲と評し、厚木さんは、暗いかと思うが、いつもは見せないありのままの三人を表現している楽曲であると評されている。

これらの節はこの楽曲のネガティブ……負の感情の極致になる要素で三人が抱く感情でもあるのだろう。特に、『至らない私』と『なにかと比べて落ち込む』のワードが突き刺さって来る。

世の中を生きていく上で……何かと比較したりされたりは絶対に避けられない理と人の性(さが)だ。彼女達が身を置く表現の世界は正解や満点が無いけど、時には比較して白黒付けなければならない矛盾が存在しているのも事実で、他者から認められるというのもその中に含まれる。

駆ける事を止めるのは簡単。だが、徹底的に打ちのめされても彼女達にその選択肢はない。
何故なら、駆ける事を諦めるのは生きる事を諦めて死ぬ事と同義で、『ゴールで死ぬ』という詞はそれを直に表していてハッキリと『いやだ!!!』と吠えている。それは彼女達の生きようとする執念と本能の叫びなのだろう。

ちなみにここは二番のサビ前からサビへと至る箇所。
敢えて盛り上がる箇所にてネガティブなワードを歌う事で、弱い自分達を受け入れて現状に抗い変わりたいという本気の想いと闘う意志を示す。それがこの楽曲を『闘いの謳』であるというインプレッションを植え付けるモノだと勝手ながら思ってしまうのである。

 

 そして……まだ『ランガリング・シンガソング』という楽曲は真に完成していない。
詞を紡いで、メロディを奏で、彼女達が歌って形になってリリースされていてもだ。別の言い方すると、魂は宿っているが血が流れていない状態だ。


自分がその解釈に至ったカギになったのが、『ランガリング・シンガソング』という曲題とアルバムの(CD+Blu-ray版の方の)ジャケット写真。


 まず、曲題の方で気になるのが『リング』と『シンガソング』というワードだ。
『リング』は指輪ではなく輪(環)になるという意味で付けられたと思える。彼女達が手を取り合った絆でもあるし、彼女達とランナーとの繋がりという意味でもあるのだろう。また、MVで彼女達が手紙を渡されて読むシーンがあるが、その手紙はランナー諸氏からのモノだと表現していると言う。これも、『輪』の一旦を成す要素だと思う。

手紙の件だけではなく、この楽曲のMVでは彼女達の日常を描いたモノになっている。
休日の過ごし方やレッスンだったり、着飾って歌い踊る姿。どれもRGRには欠かせない日常の姿だ。これは見せなくて他の要素で演出しても問題の無い事だが、この楽曲のテーマとされる生々しい感情を見せるという事を考えてみると、現実のRGRと映像でのRGRを摺り寄せリンクさせる事は意味がちゃんとあって、等身大のありのまま今という刻を生きている私達を見て欲しいというメッセージに結びついているのだろう。


想いを文章という形にする人がいて、それを受け取る人達がいる。
想いを形にする為の手段は、文章に限らず多種多様に現在の世では存在するが、たった一つ変わらない事がある。


それは、人しか放つ事が出来なくて、人しか受け取る事しか出来ない事だ。


彼女達がこれまでの軌跡を駆けて来た中で、色々な想いのカタチを受け取って返した事だろう。
それは思い出になって彼女達の大きな糧にもなっていると思う。それがあったからこの楽曲をきっちりと歌う事が出来て、『私達の為の楽曲なんだ!』と言う三人の言葉がちゃんと意味のあるモノだと感じられる。この楽曲に叩き上げの荒削りな魂を感じるのはその影響があるのだと思う。


で、それ(ランガとランナーとの繋がり)をビジュアル化したのが、ジャケットの写真だ。

 

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走っている三人がゴールテープを切り、それぞれがどこか遠くの方を見ている構図になっている。ゴールとは言っても終わったのではなく一つの区切りとしてのゴールという意味だと考えられる。そして、彼女達が見ているのは未来の軌跡でもあり、ステージから見ているランナーでもある様にも見えなくない。


リリース当時のインタビューの中で、彼女達はこの楽曲をライブで自分達が歌った際に彼女達がどういう心情になっているのか?また、ランナーがどういうインプレッションとレスポンスになるのかは未知の領域だと語った。曲題の『シンガソング』=『sing a song』は彼女達が歌う意味でもあるが……けど、皆で歌うという意味の『シンガロング』にも掛かっていると自分は思えてならないのだ。それを証明し、この楽曲の要となる箇所がある。

 

 

 好きだよ 好きだよ 叫んでいる

 (Run Girls, Run!)

 とどいて とどいて 熱い想い

    (のせて走れ!)


 ―Run Girls, Run!『ランガリング・シンガソング』より引用

 

 

 彼女達は偽り無い本気の想いをとどけたいと謳い、ランナー諸氏は彼女達の名を叫ぶ。
この箇所を彼女達とランナー諸氏が一緒に歌った時、この楽曲に血が流れて真に完成する。
観客の前で歌われる事は叶ったが、現状、諸々の制限があって一緒に歌うという事はまだ叶っていない(……はず)

それが叶った刻と機会と場で……音と彼女達の歌声が更に熱を帯びて、メロデイは血が流れて全身に巡って魂が鼓動する。瞼を閉じてRGRが歌いランナーが吠える光景と音をイメージするだけで心が戦いで魂が爆ぜる衝動に駆られてしまう……本物の現場にてそれが観れて体験したい……!!!

 
 この楽曲は勝ち残って生き延びる為に彼女達がココロから引き抜いた『剣』。
綻び、折れかけた事は数え切れないが、彼女達は熱を与えて叩きまくって鍛え上げた。

 

 ユニットの略称が付けられた彼女達だけの楽曲をより強くしようという気持ち。

 林鼓子の伸びやかで張りがある力強い歌声。


 森嶋優花の溌剌で低音域に秘められた凛とした歌声。


 厚木那奈美の繊細ながらも芯がきっちりされた柔和な歌声による三者三様の個の力。

 
   そして、まだ伸び代が未知数な将来の可能性……

 
まさに、『Run Girls, Run!』の為だけに作られた楽曲。
誰の為でもない、まごう事無く純然にRGRを輝かせる為のアンセム

歌う者に相応しい楽曲と、楽曲に相応しい歌う者。
それがきっちりと一部の隙間なく揃った。そんな偽り無い本気の想いが詰まった楽曲が弱いワケがない。だからこそこの楽曲を初めてのアルバムのリードトラック&ラストトラックに据えた。
何かのタイアップという後ろ盾はこの楽曲には無く、完全に退路を断つ潔さ。
その潔さも『闘いの謳』というインプレッションを濃密なモノにしているのだ。


それは、綺麗に締め括る為じゃない。ここから突き進む為に覚悟を持って肚を括った。
闘う準備は出来ている。過去から今、そして未来の刻に……全ての縁と時間軸に意味を持たせて止まらずに駆けるだけ。彼女達の眸は前を見据えて前に向かう為にあるのだから。

 

 

 

 

 

後工程にはきっちりと伝えなきゃ駄目だという話。

 言った、言わないでトラブルになるのはよくある話である。

 


自分の職場にて、先日その言った言わないの類のトラブルが自分の所属部署じゃない所で起きた。それが分かったというか、大事にまでなったのは会議の席で議題に上がったそうな。

その言った言わないの内容を言う前に、製造業の業務の流れをざっくりと説明していくと……

営業が客先から仕事を取って来る&直に製品の制作依頼が来て、まず製品の概要や仕様、そして納期を記載した作業指示書を作成して、設計→製作→仕上げ→包装・発送へと
流れていく仕組みにウチの職場はなっている。


で、言った言わないのトラブルが一番高い確率で起こるのが、次工程の受け渡しの所だ。


製品なり、書類を決められた所に置いておくだけでも何の滞りも無く次工程の業務に移れる事はあるけれども、イレギュラーのケースで流れてきたモノに対してはそれでは通じないモノだ。

作業が遅れてギリギリの日程、特殊な工程を後工程でしなくてはならない物、受け取る側の人がまだ業務に慣れていない人……etc

口頭で伝える事が一番多いが、その置き場所にいつも人が居るとも限らない。
何か一筆注意事項を書いたメモを添えておくか、後で時間を見計らって電話するか、その部署にあるPCへメールするとか伝える方法は口頭以外にもある。そして、その進展状況の確認やら情報の共有もしなくてはならない。

何の問題も無ければ、その決められた受け渡しの場所にモノや書類を置くのは良いが、そうでない特殊なモノを何の考えなしに、置いとけばいいだろ的な考えでおくのはあってはならない。
サイコメトラーニュータイプがいればいいのだが、そんな人間ウチの職場にはおらん。


話を戻して、そのトラブルは自分の所属する隣の部署であった。隣の部署とは陸続きでそうそう広いスペースは無い為、隣から声は駄々洩れでこんな声が聞こえた。


 『誰だ、ここにコレ(製品)置いたの?』

 『いや~分からないです。』

 『これ何も書いてないし、仕様や期限が全く分からん。』

 『あーそんなのやってる時間はない。後に回そう』


はい、色々やらかしてますね。この犯人は営業の人間だ。
前述にあるここに置いとけば後はそこの仕上げ部署の人がやってくれるだろう。という浅はかな考えでただモノを置き去りにしただけだ。しかもそいつは常習犯だ。


ちなみにその置いた製品は特殊なモノで納期の余裕もそんなにない。書置きも無けりゃ後で連絡もなかったらしい。勿論、進展状況の確認や相談もしちゃいない。案の定、納期遅延にまで発展したらしい。


仕上げ部門のほうから逆に置いた奴に対して連絡すればいい話でもあるが、そもそも特殊なケースの仕事に対してきっちりと後に伝える事を怠った奴が一番の問題。こいつのせいで、作業の手を止めて余計な情報確認の時間が浪費される。場合によってはスケジュールの大幅な変更をしなければならないし、相談して情報を互いに共有しなくてはいけない。


 議題に挙がった会議の話になるが……ウチは月二回会議があって、各部署がそれぞれ連絡事項や作業進展なり報告事項を挙げるワケだが、その巻き込まれた部署の人がそのトラブルを挙げたのはそうとう頭に来たのだろう。そりゃそうだ。勝手な都合でスケジュールを乱されて、その伝わらなかった情報に振り回されて、数字(=成果)が出なきゃ仕上げ部門が叩かれてはたまったものではないし、何より脳ミソが怒りで煮え滾る。

俺はその会議には出てないので、それを出席した上司から聞いたんだけれど、その議題のせいで会議が長引いたそうな……

ちなみに、その会議にやらかした営業も出席した(させられたのだろう)が、その連絡を怠った理由だが……


『忙しそうだったから、伝えられなかった』との事。


いくら何でもその言い訳は無いわ。もっと考えられんかったのか……
忙しいとは言えその伝達事項に掛かる時間はそう多いモノじゃないし、状況を察したのならば一筆書いたモノを残していくなり、後で連絡すれば良かっただろうに。もっとも、そいつが本気で反省しているかも怪しい。だからこそそいつを会議の場に出したのかもしれないが。

個人的な意見だが、そいつは本気で反省していないと思う。だからその程度の考えなしの弁明しか出来ないし、それで切り抜けられると思ってるのだと。

そのやらかした営業の人、経験の未熟な人ではなくベテランの人だってのが驚きだ。

でも、その域に達した人間はおそらく今後変わる事はないと思っている。

そいつの尻拭いを後工程の人間が負担するのは腹立たしい事この上ないが……こちらに要らぬ火の粉が降りかからない為には常に先手を打ってそうするしかないのだ。

前の職場でも一部いたが、製造関係の営業職の人はア〇が多いのか?

 

(個人の偏見です)

 


 自分の勝手な思い込みで仕事するなという言葉があるが、全てを察するなんて不可能だ。
きっちりと伝える為の手段を幾つかやらなければならないし、それは最低限の事でもある。他の部署で起こった事ではあるが、自分もそのうちやらかしかねない事ではあるので今回の事を教訓にし襟を正していこうと思う今日この頃であります。

 

 

 

 

 

 

鳴りやまない生命のパレード ―上手に思い出すという事―

 あの七人は謳った。『忘れないで。でも上手に忘れて』と。


こんな物言いをすると不快に思われるだろうが、俺個人の意見としては、彼女達がメロディに乗せて謳ったこのフレーズは彼女達のエゴ丸出しな魂の叫び。


だが、コレは単にエゴの叫びだと一蹴も出来ない。


忘れようと思えば思うほど、脳ミソにはしっかりと焼き付いてしまう……何とも皮肉な話であり、
そのジレンマを謳った様にも思えて来て、逆に『思い出さないで。でも上手に思い出して』と謳っている様にも思ってしまう。


歴史は上手に思い出すモノであるし、物を見て知り認識して、本当に知っていく事が一つの力であるという意見もある。


コレが、良いか悪いかなどと論ずるつもりはないし、単純に分けられるモノでもないのだ。

 

 


 つい先日、こんなツイートを目にした。(ここから本題)

 

 

 

 

 Wake Up,Girls!想い出のパレードBD同時再生上映会2021

 


 ちなみにコレは、公式のイベントではない。一人のワグナーが呼びかけた非公式な上映会。
要約すると、2021年3月8日にWUGのSSAファイナルライブのBDを各々で再生して観てその感想や熱いインプレッションをネットの海へと投げつけて感情を共有しようというモノだ。

必要なのは『Wake Up, Girls! FINAL LIVE ~想い出のパレード~』Blu-rayディスク。もしくは、『Wake Up, Girls! LIVE ALBUM ~想い出のパレード~』のCDやDL販売の音源。


この呼びかけは、昨年にもあって……その時は公式で『Wake Up, Girls! FINAL LIVE ~想い出のパレード~』上映会が各地の映画館にて開催されるはずだったが、知っての通りこの時期は
コロナウィルスの感染拡大を防ぐため、急遽上映会は中止になった経緯がある。


だが…話はそれで終わりではない。


あの七人が諦めが悪かった様に、ワグナーもまた諦めが悪い。ファンは推しに似ていくという説があるが……往生際の悪さ(褒めてる)は筋金入りだ。過去の例を見てもそうだったりする。

代表的なのが#~は諦めないというハッシュタグで色々呟きまくって実現にこぎつけた案件が幾つか存在している。

それと同じノリで昨年、Wake Up, Girls! FINAL LIVE ~想い出のパレード~ BD同時再生を非公式かつ自主的に呼びかけた所、色々な人達がそれに乗っかった。


本気の想いと魂による熱は他の人も巻き込む。


当時、ツイッターのトレンドで上位に入ったり、更にはWUG楽曲の作詞家、作曲家陣達が今だから言える話をSNS上にアップしたり、ファンもまたそれぞれの今だから言える話を思い思いにネットの海へと投げつけた。


それが、今年もまた非公式ながら開催される事になった。


この呼びかけ、様々な想いを抱いているだろう。


肯定的に捉えて乗っかり楽しもうとされる人。

一方で、あのライブから二年経ったんだからもういいんじゃないかと冷めて捉える人。

あの刻では間に合わなかったけど、雰囲気だけでも楽しみたいと思う人。


各々がライブ円盤購入して、個人で観りゃいいだけの話ではあるのだけれども、今の時代他者と繋がれるツールは沢山あってどうせならいろいろ巻き込んでやろうと。
その流れを快く迎え入れるか、鬱陶しいモノとして拒絶するかは個人の価値観次第だが…


俺は、こういうの嫌いではない。


むしろ、二年前、WUGに間に合わなかった人やごく最近WUGを知った人が参戦して欲しいと願っておる。歴が浅いとか情熱が薄いなんてモノは関係ない。その視点でしか捉えられないインプレッションは新鮮で面白いモノだと思っている。そもそも想いの熱量を比較するのはおかしな話だ。


そして、そのインプレッションをどうか言葉に乗せて解き放って欲しい。

そこには綺麗な整った文章なんて必要ありません。ただ感じた想いの丈をぶちまけりゃいい。


 ある楽曲の歌声やダンスが良かった。あそこのパートで見せた表情や佇まいが良い。
イメージとして見えたモノを書いていくのだっていいし、推しの子がただ可愛いと言うだけだっていい。

きっとそれは簡単なのではないでしょうか。

その想いの傍らに、この言の葉をつければその想いは誰かに伝わります。


#WUG_SSA #WUGSSA同時再生2021

 

 このライブタイトルをなぞる様に、皆さんの想いが繋がって列を成しパレードになって、もっと遠くへ多くの人に想いが届けばと切に願い、これにて筆を置かせていただく。

 

 

 

 

 

Jewelry Wonderlandに惹かれて、魅せられて……

 突然だが、I-1clubの楽曲で何が最も好きかと問われたら……

 

 

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 自分はJewelry Wonderland』を挙げる。迷いは無い。即決だ。

 


 何をもって、この楽曲に自分の魂が惹き寄せられて魅せられたのか?単に曲調が良いのもあるし、詞が紡ぐ世界観も良いモノ。


しかし、自分が最もこの楽曲に魂を揺さぶられた要素は、曲調や詞の世界観ではない。


謳うI-1 clubの生き様や生き残ろうとする執念。生々しい要素がこの楽曲の『核』を担っている。
その要素は、自分のエモーショナルな感情を強く刺激して惹かれるモノ。

 個人的な感覚で恐縮だが、この楽曲のみならずWUG楽曲には生々しい要素を感じてしまう楽曲が多くあって、物語に登場してくるグループに必ずそういう楽曲がある。それは、絶対王者のボス・グループであるI-1とて例外じゃない。物語の中の刻を生きているというしがらみの中にいて、その理からはどうやっても逃れられないのだ。ただの偶然なのか、きっちりと意図されて楽曲を制作していったのかは分からないが…


その要素を紐解く切っ掛けになる言を、奧野香耶さんはインタビューで仰っていた。

 

 

 

 7人で激しくダンスをして、雰囲気もすごく楽しそうなんだけど、

 どこか儚さがあるというか。明るい中にそういった影みたいなものが見え隠れするのが、


『WUG』の楽曲っぽさなのかもしれないなって思います。

 

 

 奧野さんが仰ったこの言葉が、自分がWUG楽曲に抱いている生々しい要素だと感じる。
それは、I-1もそうだし、ネクストストームや『カケル×カケル』もそうだ。だから、それは全くの偶然ではなく、意図して制作されていて『ただ明るいだけの楽曲』にしていない事を『MONACA』の田中秀和氏は仰られてもいた。あながち、自分が抱いたこの感覚は間違っていなかった事は嬉しいモノだったりする。


と、言うワケで、これから『Jewelry Wonderland』の何に魂を揺さぶられて好きだという事を書き殴っていこうと思う。で、毎度の事ながらの妄想&虚言であり、この楽曲の解釈は100%正しいなどというつもりは毛頭無い。自分はただこの楽曲が好きなだけのリスナーのうちの一人でしかない。


ちなみに『何故、この機で?』と問われると……


この記事を投稿するのは、1月31日。今から三年前のこの日にこの楽曲はリリースされた。
楽曲のリリース日は誕生日と言ってもいいと自分は思っている。三年という刻は一つの区切りだったりもする。そんな時期だから『Jewelry Wonderland』に想いを馳せて一筆したためたくなっただけなんだよね。

 

 

 

 


  Chapter1/ジャケットに描かれたモノクロの鈴木萌歌の生き様

 

 この楽曲はI-1楽曲『君とプログレス』のカップリング楽曲でもある。
リリース当時は特に気に留めなかったが、色々と独自考察を重ねていく内にモノクロで描かれた彼女の『WUG新章』での心情描写に繋がっているモノではないかと思えてしまうのだ。

萌歌が岩崎志保とのセンター争いを制し、決戦用楽曲『止まらない未来』で青い衣裳を身に纏って、『青』という色が彼女のイメージカラーとなった。


だが、I-1は『アイドルの祭典』=WUGに勝つ事は叶わなかった。次の年の『アイドルの祭典』で優勝はしたが萌歌の望む形=WUGを負かしてという結果ではなかった。
そんな彼女に追い打ちをかけるかの様に『新章』での萌歌はことごとく運に見放され、更には負傷まで負ってしまい新しいI-1の体制でセンターの座を剥奪されてしまう。


与えられた萌歌の『青』という魂の色は彩りを失くした。徹底的に打ちのめされたなんて優しいモノじゃない。木っ端微塵に何もかも壊され焼き尽くされて灰になったと見てもいい。彼女のアイドルとしてのキャリアに消す事の出来ない自分が負けたという現実…最大の屈辱感と挫折という傷が付いてしまった。


 言っておくが、灰になってモノクロになったと冗談やふざけて言ってるワケではない。
真面目にコレを書いていてその解釈をしている。『新章』の鈴木萌歌は輝く魂の色が無いのだ。
彼女にあてがわれた『青』は真の魂の色ではなかったのかもしれなく、実は何も掴み取っていなかったのだとも思える。でも、そこに望みがある。

以下の節は萌歌の生き残ろうとする強い意志……執念が滲みだしている箇所であり、自分がこの楽曲に生々しさを最も感じる部分である。

 


 知ってるの 私も 私も おんなじ
 
 (ほかの場所で生きられないの)
 
 
 ―I-1club『Jewelry Wonderland』より引用

 


 この楽曲はI-1の楽曲でもあるのは勿論だが、同時に鈴木萌歌のキャラクターソングでもあると勝手に思っている。

前述にある様にWUGに負けて以降、辛酸を嘗めて来た萌歌だがアイドルとして生きる事を諦めていない。岩崎志保がI-1を脱退した代わりとして彼女は返り咲く機を与えられるが、それは彼女の望んだ形ではない。それを突っぱねる事は出来たが、そうしなかったのは生きる事と自分の魂の色を取り戻す事……形振り構わず生きようとする意志を感じてしまうのだ。


 物語のエンディングで、萌歌は再びI-1のセンターの座に返り咲くが……彼女はその座を返上したとある。この時点でも彼女の魂の色はまだ確定されていないモノクロのままなのだろう。

何を思って萌歌がセンターを辞退したかは分からないが、彩りの無いモノクロのままの自分では駄目だと彼女は痛感していたのかもしれない。与えられる未来ではなく自身の力で勝ち取る未来に真の価値=真のセンターの姿があると。


苦悩を謳う楽曲でもあるが、自身にしか彩る事の出来ない色を探す闘いの謳でもあると自分は思えて、その要素が堪らなくて魂を揺さぶられてしまうのである。

 

 

 

 


  Chapter2/白を纏う事の意味

 

 

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 『Jewelry Wonderland』でI-1が纏う衣裳の色はこれまでのI-1ではおそらく無かった『白』を基調とした衣裳。頭に王冠の飾りがあるのはアイドル界の絶対王者の証だという事を誇示している様に見える。ここで語っていくのは『白』という要素である。


ちなみに、WUGの『Polaris』衣裳のティアラは各々形状が違う。
これは雑多な個性=WUGのアイデンティティを模しているのかと思っている。


 『白』という色のイメージは、光を反射する最も明るい色。
ポジティブでクリーンなイメージがあって、エンターテイメントと携わるアイドルを神聖で無垢な希望の存在として捉えていると思われる白木さんの信念が伺えて、楽曲が醸し出す上品でお洒落な魅力を一層際立だせていて、洗練され尽くされて一部の隙も見当たらない。

そして、白色には何か物事を始めたり、中途半端に放ったらかしっぱなしになっていた事などを一度全部手放し、心機一転また一から新たに再出発するという意味もあると言われてもいて、『新章』でのI-1の立ち位置的に再出発=アイドル業界を盛り立てる要素に繋がり……尚且つ、前述の項で触れたモノクロの鈴木萌歌の空虚というネガティブなイメージにも捉えられる。


 絶対王者としての変わらない洗練された矜持を持ちながらも、時勢の波に抗い変わろうとする想いと覚悟を持って、I-1では纏わなかった白を基調とした衣裳で『白星』を勝ち取る闘いへ赴く。


 洗練されたお洒落なインプレッションの中に潜んでいる生きる事への執念。
相反する要素なのは承知だが、『闘いの謳』であり『生命の謳』でもある様に自分はこの楽曲の『白』は表していて更に魅力を感じていると思うのである。

 

 

 

 

 

  Chapter3/変わらない魂、変わった血

 

 

 WUG楽曲の集大成となった『Polaris』は、東北への想いとメンバー達の絆に加えて人の負の感情まで含めている壮大な楽曲で自分は『アンセムソング』でもあると思っている。


で、『Jewelry Wonderland』も『Polaris』に比肩し、I-1楽曲の集大成と称するに相応しい楽曲。


 曲の冒頭からサビの間は、落ち着いた『静』の要素でメロディが構成されていて
詞もそれに伴ってなのか内省的な心情を描写している様に捉えられる。2番の冒頭の詞はそれを強く感じさせる。



 シークレットな ハートの深くに沈めた

 人間的な感情 宝石箱も持っている


 ―I-1club『Jewelry Wonderland』より引用



 I-1の一員であるならば、人としての感情を抑え込みアイドルとしての役目を全うする事。
ここでの『宝石箱』とは、I-1メンバーの事を指していてシークレットなハートに人の感情を沈める=抑え込む事なのだろう。特に2番の詞は負の感情を表に出した詞が多くある様に思う。


 で、サビ直前のパートを謳うある人物が負の要素を纏う『静』から、輝きを増す『動』へと舵をきっていく。この流れはこの楽曲の『要』の一つを成す要素で、リスナーのテンションも昂らせる。


そのある人物とは、I-1の新しい『血』である高科里佳(CV:上田麗奈)である。


里佳が歌うパートの詞にある『鏡を覗きこんだ』と『開くMagical Box』は抑え込んだ感情を解き放つ事を例えている様に感じる。自分は彼女達がいるのは鏡の中や箱の中だと思っていて、そこから飛び出して未知の領域へと進んで行くかのように里佳の歌声がポジティブで弾けたモノになる。

さながら、未知の領域へ導く役割を若い『血』である高科里佳に託したとも捉えられる。

 

 では、変わらない魂とは何か?その答えを持つ人物が謳うパートが二つ目の『要』だ。

 


 Dancing レッスンは

 血のにじむような 自分が見てた部屋の中だけ

 Show Timeに見せる輝きこそ


 ―I-1club『Jewelry Wonderland』より引用

 


 このパート、落ちサビを謳うのは近藤麻衣である。
ここの詞にI-1……白木さんの信念、変わらない魂の象徴があると思えるのだ。

そして、I-1がステージに出陣する際にキャプテンが鼓舞するために吠えるあの言葉。

 

 誰よりも激しく! 誰よりも美しく! 誰よりも正確に!

 

麻衣もキャプテンの任に就いていた頃に数え切れない程吠えてきた言葉。
最高のパフォーマンスを生み出す者は、連日の徹底した血の滲む様な努力とそれに裏打ちされたメンタル。でも、その努力している様子はファンの前で悟らせない事(自分の部屋の中だけ)が肝要。要はその細かい部分に於いても人間らしさを感じさせてはならない。

『神は細部に宿る』という格言があるが、I-1はそれを実践させている。

白木徹という男はアイドルを神聖な存在として捉えている。
ほんの些細な綻びによって神聖なモノが穢れて台無しになる。それはおそらく彼の中では忌むべき過去の傷跡として疼くのだろう。だからこそI-1では完璧なモノを追い求める。

そして、彼の信念をキャプテンの任を解かれてもなお、ステージの上で実践しようと懸命に闘う麻衣の胸中にあるのは彼女自身が輝き続ける事。

麻衣が謳うここのパートには、白木徹の信念もあるが、同時に近藤麻衣の貫くべき信念……変わらないI-1の魂が凝縮されている。神の領域へ挑もうとしているが人間の持つ生々しい要素も表している様にも思えてしまう。


でも、その相反する要素に魂が揺さぶられて、この楽曲がまた魅力的に感じられるのだ。

 

 

 

 

 

  終わりに

 

 

 長々と語ってみましたが、いかがだったでしょうか。
拙いながらも『Jewelry Wonderland』に惹かれて好きだという想いを吐き出してみました。

当然ですが、ここに書いて来たモノはあくまでも個人が感じて惹かれた要素をただ書き殴っただけで、それが楽曲全体の雰囲気を決定づけるモノではないし、この解釈が正解だというつもりもありません。

冒頭の件にもありますが、『Jewelry Wonderland』に想いを馳せてただ好きだという事を叫びたかっただけです。

劇中の場と刻を生きているI-1の少女達は、完璧な存在ではない。
WUGの七人の少女達と同様に、何かに翻弄されながらも抗い生きようと闘っている。

そんな彼女達に寄り添って物語を彩る楽曲陣は本当に素晴らしい。
他の楽曲についても踏み込んで何か書き残せればという想いは変わらずに自分の中にある。


そんな願いを以って、そろそろ筆を置かせていただきます。

 

 

 ここまで読んで下さって、本当にありがとうございました。

 

 

 

RGR楽曲ライナーノーツ#12 水着とスイカ/イルミナージュ・ランド

 どうも。RGR楽曲ライナーノーツシリーズのお時間です。


今回も、1stアルバム『Run Girls, World!』に収録されている楽曲の事を書いていきます。

 

 

 

 

  水着とスイカ

 

 

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 “RGR Season Song”夏の章にして最終楽章となる楽曲。
この楽曲がリリースされる刻を待ち望んでいたランナー諸氏は多かったのではないだろうか。故に、この楽曲はこのアルバムの目玉の一つでもあった。


 ヒップホップテイストの曲調にラップ。厚木さんのソロ楽曲でラップを用いた表現があるがRGRとしての楽曲ではこの楽曲が初めてのチャレンジ。(……のはず)それに、台詞パートも盛り込まれていたりする。

季節シリーズに於いては、様々なテイストのチャレンジが成されて来ていて曲調の多様さは、テーマにしている少女の揺れ動く恋慕の心情を表しているのだと感じられるモノだ。

で、季節シリーズで一貫していたのは揺れ動く感情が決してポジティブなモノではなかった事。どの楽曲も、そしてこの楽曲も明朗な方向のノリではない。さながら、夏の終わり際に真夏の出来事を追想しているノスタルジックで叙情的な印象が強く、切なさという要素もブレンドされている。それに、最終楽章という事もあってか、これまでの季節シリーズに出て来たフレーズが散りばめられた集大成的な楽曲。


この楽曲をどの時間軸で捉えるかで、物語のインプレッションはガラっと変わる。
自分の中では、前述にある様に追想…夏の季節を思い返しているモノと考える。

 

 水着とスイカ 砂の空白

 それぞれ好きな場所から 見つめている
 
 水玉の恋 ぽつんぽつんと

 私たちまだ 距離が離れている


 ―Run Girls, Run!『水着とスイカ』より引用

 

 追想という事を印象付けさせるポイントが『場所』と『距離』という言葉。
これは、刻の流れの例えにも捉える事が可能と解釈している。

場所とは、単純な場という意味だけではなく少女が追想している現在としての時間軸。距離も同じで刻の流れを指す言葉である。勿論、単純な場という事も無視出来るモノではなく、物理的や心の距離感もある。


その少女の変わりたい覚悟を示す箇所がサビ前の節で示される。

 

 早く早く 小麦色になりたい

 脚も胸も まだ白すぎるから はずかしいな


 ―Run Girls, Run!『水着とスイカ』より引用

 

 日に焼けて、見える印象をちょっと変えたいと。それはマイルドなインプレッションに聞こえるが、言い換えてしまうとこれまでの地味な自分を焼き尽くしてまで変わりたいという激情とも捉えられる。そうまでしないと都会に住んで私立に通ってバレエを習うキレイな子達には勝てないと思い込んだ。身に纏う初めて着たビキニの水着も変わりたいという覚悟を示すモノなのだろう。

 

 誰よりも きみの理解者でいたいと 自分にいいきかせた
 
 溶けるジェラート 会いたかっただけ
 
 もういいの


 ―Run Girls, Run!『水着とスイカ』より引用

 

 『きみ』だが、これは二つの意味があると思っている。少女自身と少女が想いを寄せていた男子の視点だと。この男子から見て少女は詞にある様に地味で素朴なインプレッションだった。でも、夏の海で会った少女は肌の露出が多いビキニの水着を纏っていた。

視覚から入って来るインプレッションは強烈なモノをもたらす。言い換えると少女は大人の階段を昇ったともとれる。少女の事を最も理解していたのは男子自身の筈だがそうではなかった。『いいきかせる』のは目の前の現実=変わった彼女の姿を受け入れろという事だろう。

 少女視点でカギとなるのは『溶けるジェラート』から続くフレーズ。
男子に想いはありながらも、その想いを捨てようとしている。変わりたいという覚悟は捨て去る覚悟の暗喩でもあり、溶けるという句にも繋がっていく。

ここでの『もういいの』は感情を爆ぜさせる物言いではなく、吹っ切れた様な静けさがある。言わば決別の想いなのだろう。

 

 そして、この楽曲が追想している楽曲である事の『要』が以下の節々だと考える。

 

 私はきっと おこってたんだ 淋しかった いろんな季節に 

 水着をぬいで 秋がきたなら 地味な子へと戻ってることに

 強く強く はじけながら割れたよ
 
 それはたぶん誰にも気づかれない想いだった


 ―Run Girls, Run!『水着とスイカ』より引用

 

 少女がいつから何に『キレて』いたのかを窺い知る事は叶わない。
もしかすると、少女自身もキレる=怒っている事に気が付いていなくて、様々な葛藤や負の感情の根幹が怒りや淋しさから来ているモノだったのかもしれないし、夏が終わって地味な自分に戻ってしまう事への憤りか。

夏の海でやったスイカ割りで見事にスイカを割る。それは少女が怒りをぶちまける事でもあって、これまでの事までも全て壊す激情だ。極端かもしれないが少女の爆ぜる感情はそれ程までに凄まじいモノがあった……

愛情と憎しみは紙一重という例えがある。憎しみは行き過ぎかもしれないがそこまでに至る前に吹っ切れようと少女は本能的に動き、誰にもその想いを悟らせなかった。
前述で触れた『距離が離れている』は少女自身が望んで離れていったのだとも思えて来る。そして、ラストフレーズでこう謳う。

 

 それでもね ずっと ずうっと 忘れないよ


 ―Run Girls, Run!『水着とスイカ』より引用


 このラストフレーズの歌い方を、吹っ切れたあざとい歌い方にしたと森嶋さんはインタビューで語った。

結局の所、少女の恋が実ったかどうかの決着は物語の中でついていない。
分かっているのは、物理と心情的に二人の距離が離れた事だ。
四季の刻の流れで、良い事もあったが辛い思い出もあり『そんな事もあった』と美化して心の安定を保ちたいのだ。思い出は思い出のままでいたいのだと。

思い出をずっと忘れないと言いつつ、どこかで徐々に忘れていっている事に気付いているし、寧ろ忘れる事を望んでいる。既に少女の思い出は希薄になっていっているのかもしれない。切なくも叙情的に歌う三人の歌声が少女の想いを彩るモノになっている。


忘れないと願いつつも忘れる事を心の片隅で願う。矛盾しているが、それも人としての性でもある。

 

 

 


  イルミナージュ・ランド

 

 

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 テレビアニメ『キラッとプリ☆チャン』シーズン3のOPテーマ楽曲。


題の『イルミナージュ』とは、『イルミネーション』の『イルミ』と、フランス語で『泳ぐ』を意味する『nager(ナジェ)』を組み合わせ日本語的な発音に組み替えたものだと言われる。

『ランド』は土地という意味だが、この場合、劇中にて『プリ☆チャンランド』というテーマパークが登場した事により、施設名称としての意味として『プリ☆チャンランド』を例えて、光輝く場所を示している言葉が『イルミナージュ・ランド』という認識で正解なのだろう。


 RGR楽曲の軸の一つにある『プリ☆チャン』OP楽曲もこれで6曲目になる。
この楽曲のテーマは、パレードの様な雰囲気を持つ楽曲だという。
明朗快活な楽曲がRGRには多くあって、これまでに歌って来た『プリ☆チャン』楽曲はその明朗な系譜を継承していて、この楽曲はその系譜をちゃんと継ぎながらもまた違うベクトルの明るさを持つ楽曲に仕上がっている。

 

 キラッとオープン!ワンダー プリ☆チャン 輝け!

 今日も 誰かの誕生日だよね

 可愛いや 嬉しいに 出会いますように (願いを)

 そんな素敵な世界は たまご (星よ)

 永遠なる ひよこたち つばさ探しに行こう
 

 ―Run Girls, Run!『イルミナージュ・ランド』より引用


 
 開幕のAメロと称される箇所のこれらのフレーズ。自分はここがこの楽曲の『要』であると思っている。いきなりクライマックスとはまさにこの事で明るい楽曲であるという事をリスナーに強く訴えかけて印象付けさせる。プリチャン楽曲では割とこの開幕からポジティブ全開でいきなりぶん殴って来る形式が多い様に思う。


(なんちゅう例えだよ……)


嬉しいや可愛いという言葉は、ポジティブの極致…陽となるインプレッションのモノ。
曲題の『イルミナージュ・ランド』を訳せば光輝く場所へと繋がっていく。

誕生日とは、たまごが孵化してひよことして産まれる事。即ち、作中に登場するマスコットや新しいプリチャンアイドル達のデビューへと重なりパレードへと繰り出す。
そのパレードへの参加資格なんてモノは無い。誰でもWelcome!!!なんだと。
寧ろ、躊躇っていても無理矢理手を取って強引にその列に加われともとれる。


暖かいと言えば聞こえはいいが、ある種の狂気でもある。


でも、その狂気=熱狂という輝きに身を委ねたくなるのも人の性。
それもまた、テーマパークの雑多な賑わいに通じるモノがある。
あらゆる要素があって、様々な人を楽しませる事が出来る場所がテーマパークの定義だと個人的には思うワケで、『Run Girls, Run!』もそういうグループになりたいと願い、加えて、メンバー個人としてもそういう表現者になりたいと願って謳ったのかもしれない。


 持ちつ持たれつの関係性から、RGRが楽曲と作品を引っ張っていく方へと昇華していく。そこに、キャラクターとRGRの三人との成長とがリンクされている様にも感じられるし、みらい達だけではなく、新しいキャラクター達迎え入れて導き一緒にパレードを進む……そういう賑やかな、何ともスケールの大きな楽曲でもある。

 

 

 

 

 

RGR楽曲ライナーノーツ#11 逆さまのガウディ(厚木那奈美ソロ楽曲)

 どうも。RGR楽曲ライナーノーツシリーズのお時間です。

 

 

今回書き殴る楽曲ですが、RGR楽曲随一……いや、自分がこれまでに出逢ったあらゆる楽曲の中でも解釈に踏み込む事を躊躇わせた楽曲の一つでもあります。

楽曲を聴き終わってのファーストインプレッションは、頭抱えて笑うしか出来なかった。

この笑いは嘲笑とかではなくて、所謂、乾いた笑いというヤツ。完全に手の打ちようのないお手上げ状態になった時に出る『こりゃ、どうにもならねぇぜ。はは……』的な笑いと共にこう呟いた。


『やりやがったな……』と。これはそういう楽曲だった。
こんなインプレッションを抱いたのは久しぶりである。

 

 

 

 

 

  逆さまのガウディ/厚木那奈美

 

 

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 『長野の奇跡』こと、厚木那奈美さんのソロ楽曲。
厚木さんがBlogに綴った言葉にこの楽曲の本質がある。

 


 

 

本当に一言で言い表すのがとっても難しいのですが…。
私の挑戦というか、新たな扉というか…そんな感じの楽曲になっております!

 

Run Girls, Run!オフィシャルブログ わーるど!-那奈美-より引用

 

 

彼女がどんな表情で文章にしたためたのかは知る由もないが、きっと菩薩の様な微笑みで書き綴られていたのだろう。


だが、この楽曲はんな優しい楽曲ぢゃない。だから頭抱えて地を転げ回った。
厚木さん、貴女はとんでもない扉を開いてその先へ踏み込んでしまいましたよ……


この楽曲は考えるのではなく本能で感じろという笑顔の裏に隠された彼女からの挑戦状。

ロジックで答えを導きだそうとしてもどうせ出来ねぇんだからエモーションで感じやがれと。

クレバーで強かな厚木那奈美のもう一つの『魔性の貌』で彼女の掌で転がされてしまう楽曲。


考察を放棄させて楽曲と彼女の魔性の領域に魅せられて浸る。確かにそれが一番楽しいモノ。『可愛い』『尊い』という言葉で所感で済ませば楽。だが、オタクとはエモーショナルの暴力に見舞われながらも必死に抗い考察してしまう『性』がある。


だから、自分も徹底的にこの楽曲に踏み込んで限界まで抗ってみようと思う。

 

 

 曲調の方はテクノチックなダンスミュージックテイストを醸し出しつつも、ギターやベースの音の主張が強め。そこに、厚木さんの柔和で上品な歌声が入る事で激しいというよりは爽快さとお洒落なインプレッションを抱くダンスナンバーになっている…と思いきや、Dメロで差し込まれるラップパートとアウトロでの複雑怪奇な締め方がこの楽曲の印象を単純なモノにさせない。

また、曲調の主張が強い為、歌唱力と表現力が釣り合ってないとこの楽曲に血は流れない。
厚木さんのソロ楽曲だからと言って彼女に寄せる構成には当然していない。だが、彼女はきっちりと応えて表現し歌い切って楽曲に血を流せた。お洒落なインプレッションをこの楽曲に抱くのは厚木さんの個のチカラがもたらした事の証明だと思える。


 で、その難解さを加速させているのが詞が紡ぐ世界観だ。
この楽曲のテーマをざっくりと説明すると、理論武装して物事を頭で考えてから行動に移すタイプの少女の恋愛感情とジレンマを描写している。厚木さんはこの少女のロジックなモノの考え方を彼女自身と重なると言う。

 

 構造的に 逆さまなのガウディ

 バランスを今 確かめたいもっと

 二人でいたい 設計図を描いた

 カラダとココロ フニクラになる
 

 ―厚木那奈美 『逆さまのガウディ』より引用

 
 曲題にもあるガウディとは、建築家のアントニ・ガウディで間違いないだろう。
そして、これは少女が想いを寄せた異性の比喩だと捉えられる。

では、どうしてこの少女が建築家のガウディを喩えに出したのか?

興味の対象を過去の人物の功績や実績に置き換える考えはいろいろとある。
音楽に造詣があるなら、例えば……モーツアルトベートーヴェンに例えたり。
物理学を学んでいるなら、ニュートンアインシュタインとか。


前述の様に、この少女はモノをガチガチのロジック(論理)で考える。

 

思いを寄せる対象へのアプローチ=人間関係の構築を少女は、建築に通ずるモノがあると結論付けた。詞にある『構造的』はそのメタファーなのだろう。
建物を建てる為には設計図を書く≒相手にどうやってコンタクトをとっていくかに繋がり、工事の工程≒相手とのコミュニケーションに繋がる……という具合だ。


ガウディは設計の際にきっちりとした設計図は書かず模型を基にして造るという。これはおそらく異端とされる所業なのだろう。
彼のモットーとする構造は自然から取り入れる事で、自然法則を利用したのが逆さ吊りの模型(=フニクラ)であり、本能で動く事を重視する異性の行動理念。

ロジック詰めで行動する少女にとって、その彼はイレギュラーな存在だが、それに惹かれてもいる。逆さまというのはロジック詰めの少女と、真逆の性質である本能のインスピレーションを重視する異性の事を指していると同時に、少女の思考重視(カラダ)が本能のまま(ココロ)へと優先順位が逆さまに入れ替わる事でもあり、フニクラは少女の心情とジレンマを結ぶ言葉だと思える。


詞にある『not nana meet to you』は厚木さんの名前『ななみ』に掛けていて、『ライトブルー』は彼女のイメージカラーの水色。『あっ、ちゃんと』は彼女の愛称の『あっちゃん』に掛かっている。名前と愛称を詞に盛り込むのは、林さんや森嶋さんのソロ楽曲でもあった要素だ。

ちなみに、先日のRGR配信ライブにてこの楽曲が披露された際に、冒頭の『not nana meet to you』の所で厚木さんが彼女自身を指す振付が成されていて、その仕草がな……

 


 クッソ可愛い。とにかく可愛い。

 


同じ名前の読みの某先輩の様に開幕からガード・耐性無視のオーバーキル確定で視覚を殺しに来ますので、今後のライブで披露される時には注意して下さい。どうやら彼女は適当スキルだけでなく、仕留め方まで先輩からラーニングしてしまった様だ……


 脱線してしまったので話を戻すと、それ(詞の世界観)を楽曲の音の構成と照らし合わせると、前述のラップパートやアウトロのアブノーマルさはロジックで解明できない少女の感情の揺れ幅の大きさを表現したモノ。顔面に目掛けて投げられた球が鋭く急激に変化してストライクゾーンへと突き刺さるかの様であり、厚木那奈美という表現者の不可思議で掴みどころのないパーソナリティに繋がる。


 人間 動物 怪物 全部 天才 モチーフ

 信頼できないなんて 友情 恋愛 崩壊

 チート それとも本当? ハート 線をひこうか

 実験させてほしい 結論を導く 会いたい

 
 ―厚木那奈美 『逆さまのガウディ』より引用


 サウンド全体の印象は、前述にある様に爽快感ある聴き心地の良いモノ。
だが、ここのラップパートではドラム音の激しさが印象強い。それがロジック詰めの少女が脳ミソでは理解不能な心情に翻弄されていく激情に結びついているのだと。

さしずめ、物語の少女がホワイトボードとか身の回りのモノに数式、図形、グラフとか書きまくって髪をかき乱している姿が浮かんで来る。詞を構成する言葉の羅列が翻弄されて混乱している事の証明。あらゆるロジックで考えまくっても答えが導き出せない事と、本能では理解出来た答えが導き出されているがそれに納得出来ないジレンマ(二律背反)に苛まれながらも、本能から導かれて『会いたい』へという答えに辿り着く。

この一連の節が、楽曲の特異な部分の象徴でもあり『要』だと考える。コレがあるのとないのでは楽曲の説得力が格段に違って来て無ければチープな楽曲になってしまうのだろう。

作詞の只野菜摘氏と作曲の広川恵一氏は厚木さんとの縁が深いクリエーターでもある。
だから、ここまで踏み込めた詞や音が作れたのだと思い知らされる。

 


 ソロ楽曲なのだから寄り添って作られたと言ってしまえばそうなのかもしれない。
だが、楽曲に血を流して魂を宿らせる最後の要素は歌う人の心在りきだ。

林さんや森嶋さんの項でも評したが、厚木さんのソロ楽曲も彼女にしか謳えない楽曲。
彼女と楽曲が持つ掴み所の無い不可思議な雰囲気と、聴けば聴くほどに新しい感覚を刺激される事と懐深い彼女の魅力。その塩梅がまた見事なのだ。

楽曲そのものを楽しむ事は当然だが、背景や表現者の貌を知っていく毎に楽曲もまた違った貌を見せて成長していく。大切に歌い継いでいって育てて欲しいと切に願う。