どうも。あかとんぼ弐号です。
世の需要があるのか無いのかは未だに全く分かりませんが……
今回も、『IDOLY PRIDE』のキャラクター独自考察をお送りしたいと思います。
今回は、もう一つのブラックボックス的存在でもある白石沙季についての独自考察。
以前考察した、伊吹渚も考察するのが難しいブラックボックス的存在でしたが、渚の場合は琴乃と近しい関係というポイントが崩れずにあった事で、そこまで難しいモノではありませんでした。
しかし、沙季の場合は近しい存在である妹の千紗と離されたという物語と、沙季への描写不足が考察をする上でネックになっている。加えて、沙季自身も整然として癖が少ないキャラクターというのも、このブラックボックスの解除を困難なモノにしている。
僅かな武装で不落の要塞を攻略するという無謀な行為かもしれないが……踏み込んでみようと思います。
いつも通り、個人的な偏見や視点も含んだ考察になっておりますので、その辺についてはご了承していただけると幸いです。
『きちんとした者』という理性と、変わりたいという破戒願望
アニメにおいての白石沙季という人物は、妹(千紗)想いの良き姉であり、生真面目かつ几帳面で責任感の強い性格にて、寮での共同生活のルールを取り決めて統括する寮長的な役割を担っている。
時々細か過ぎるという原因で揉めたり…成宮すずからは、生活のあらゆる事柄に口出される事から母親より恐ろしい存在と評されたり…と彼女が定めたルールは細かい所まで決めごとがあって厳しいモノなのだろうが沙季にとっては至って普通の領域。
生まれ育ちや境遇がバラバラで育って来た個性豊かな面子が一つ屋根の下で共に生活していく為には、規律というのは最も重視されなければならないし、厳しいレッスンやアイドルとして花開かせる為には、普段からきちんと生活出来る場が必要であるというのが沙季の持論・ポリシーなのだろう。そのきちんとしている姿勢は、大事なデビューライブ前夜であっても変わらない。
大事な時こそ、いつも通りにしたいから。
準備は万全。今できる事はやったぞ沙季って自分に言ってあげたいから。
前夜の行動だけでなく、当日起きてからライブまでの刻の過ごし方を逐一書き起こしてチェックリストにまとめる。そこまでやるのかと思うだろうがこれも彼女にとっては当たり前な事。徹底した準備こそが自信に繋がり結果に結びつく。優等生な彼女は模範となるべき存在でなくてはならない。そうあり続けるには努力し続けて成果で示すしかない。そこにも並ならない努力が必要。
そういった事もあり、彼女は周囲の人から頼られる事が多かった様に思えるし、彼女自身も頼られる事が苦ではなくそれが頑張れるモチベーションや、アイデンティティの確立、存在意義の実感…即ち、ちゃんとした者というのは沙季にとっては当たり前の事であり、特別な事ではない。
で、沙季の『きちんとした者』というアイデンティティを象徴している要素がもう一つある。
これは、自分の沙季に対しての勝手なインプレッションから来ているモノなのだが……彼女の上品な佇まいの質、モノの考え方・価値観が古風な感じがする。
事務所の寮で、琴乃・さくらと初めて対面して自己紹介した時、彼女は『この中では(沙季が)一番年上になる』と言った事、キャラクター紹介動画内で『だって私が……お姉ちゃんなんだから』という言葉や、前述でも触れた約束事をきっちり守る事と形式を重視する傾向がある様に思う。
自分を年長者として敬え・尊重しろとかいう上から目線の物言いを含んだモノではなく、彼女の中において、お姉ちゃん=年長者は年少者を正しい方に導き、支える模範となる立派な存在でなければならないと思っているからの言葉だろう。それは『きちんとした者』という彼女のパーソナリティにも通じるモノでもあるし、根っからの姉気質が影響を及ぼしていると考えられる。
一般的なモノとして、長女の性質の一つであるのが『こうなれればいいな』と思う様な事でもリスクを取らずに行動に移さない。現実主義で実際に実現できる事しかやろうとはしない傾向があるといわれる。沙季の生真面目なパーソナリティからはその傾向が強い様に感じられる。この辺りは、奔放な面を持つ同じ姉という立場にいる長瀬麻奈と対の位置にある人物。
そんな沙季が、憧れの象徴=高リスクとされるアイドルの軌跡に挑もうというのは相当な覚悟あっての事。それは未知の領域に踏み出すのと同義で、変わろうとする想いと覚悟でもある。おそらく、彼女はちゃんとした人であるべきというアイデンティティから、無意識で我を抑えていた可能性がある。
彼女にとっては我を出し過ぎ我儘に振舞うのは、他人に迷惑をかけ無責任であって嫌っていたのでしょう。それは彼女の行為や態度という生き方全般にも当てはまる。もしかすると、優等生で生徒会長というのは、周囲の期待に応えた姿なのかもしれない。
でも、彼女の本能がその『枠』をぶっ壊せと囁いた。彼女自身がこれまで築いて来た『きちんとした者』である為のルール……戒律という『枠』を越えた先に踏み出せと。それは彼女の魂が真の解放を待ち望んで吠えた声なのだろう。
理性と本能との自問自答というせめぎ合いの結果本能が勝り、更には高校生活最後の年という時勢の巡りもあって、沙季は星見プロの門を叩きアイドルの軌跡へと足を踏み入れた。それは、おそらく初めてか数少ない、彼女の我を出した事であり我儘を貫いたのと、戒律を破るというもう一人の自分を好きになろうとする事でもあった。
それは、一つの完成された世界を持った少女の変わろうとする想いの物語だった。
共依存という“呪縛”からの解放
長瀬姉妹と同様に、沙季・千紗の姉妹にも、姉・妹離れがテーマとして設けられている。
沙季の言によると、共働きの両親の代わりに妹の面倒を多かったとの事で、千紗にとっては姉でもあり母親代わりでもあり共に過ごす時間が多かった。そして、沙季にとっても守るべき大切な妹で、姉妹共にアイドルとなっても二人の仲は良好。アイドルになった事が原因で、それまでは白石姉妹と同様に仲が良かったが疎通になって関係が拗れた長瀬姉妹と対極になる関係。
この絆の関係性のままでアイドルとしてやっていく事が出来るものと、沙季と千紗は微塵も信じて疑わなかった。だが、彼女達に眠っている可能性の輝きはそれを許してくれなかった。
沙季と千紗に秘められた輝きを感じ取ったのが、マネージャーである牧野。
彼は、二人がより個で輝ける可能性に懸けて沙季と千紗をそれぞれ別グループに配置換えする事を告げた。
当然、彼のこの決断は確証なんてないただの勘。二人を離さず姉妹共存して輝かせる可能性だってある。でも、牧野がそうしなかった理由を自分はこう考えたのである。
沙季と千紗は共依存の関係にあった。沙季の方は自分では自立している様に思っているが、実際二人共に自立がまだ出来ていなくて、タチの悪い事に白石姉妹は自分達が共依存に陥ってる事に全く気付いてないと思える。
幼い頃から、姉として、また、親代わりとして千紗の面倒を見てきた彼女は面倒見が良く世話焼き。こういう人は共依存に陥りやすい特徴でもあるとされている。姉妹仲が良いに越したことはないが、ネガティブな面として沙季の過保護・過干渉という見方も成り立ってしまう。
ただ、牧野も共依存性が単に悪いモノだとは感じていないと思う。共依存性がある事によって共に想い合って支える関係性が成り立つのもまた事実。要はバランスが大事で、この当時の白石姉妹のバランスは歪で、あえて引き離すという荒療治をもって輝きの方向性を正しいモノにしようという考えがあったのだと思える。
千紗とは別グループ(月のテンペスト)の一員として、デビューに向けてこれまでと変わらないレッスンの日々を過ごす。でも、やっぱり千紗と離れた影響は大きなモノで不安を悟らせないと気丈に振舞うが、集中し切れずどこか上の空という有様は隠しきれない。彼女も、千紗に支えられていた部分が多かったのだ。
千紗が心配でたまらないが、他のグループの事情にしゃしゃり出て口出すのは身内であっても完全な越権行為。それは規律を何よりも重んじる沙季としては越えてはいけないライン。
千紗が姉離れ出来る事を信じてやる事。そして、彼女自身もいずれ乗り越えなくてはならない……その刻がアイドルとなった現在だった。
でも、沙季の知らない所で何やかんやあって、千紗は変わろうとする一歩を踏み出す事が出来た。ネモフィラの咲き誇る公園で、吹っ切れた朗らかな笑顔を見せた千紗を見た沙季は、安心して胸を撫でおろしただろうし、何よりも妹の成長した姿が刺激になったのは間違いない。沙季の微笑みは自分も妹に負けられない、変わらなくてはという決意であり、また、血の繋がりとはまた違った密接な関係に昇華させる事が出来た喜びでもあった様に感じられた。
7話にて、沙季はオフの刻を千紗と共に過ごして語らった際、アイドルが想像以上の厳しい世界である事を痛感させられ弱音を千紗の前で吐露した。ちゃんとした者であり良き姉としてこれまで妹の前でもそういった弱みはおそらく見せた事はほぼ無かったはず。勿論、仲間でもある月のテンペストのメンバー達にも。
手を引いて守っていた過去の妹ではなく、今は同じ軌跡を肩を並べて駆ける対等の存在だと認識している。その認識は千紗と離れた事によって沙季が成長できた事であり、共依存という呪縛から魂が解放された事の証だったのではないだろうか。
『きちんとした者』の”二面性”
『表と裏』や『二面性』という言葉が人間に添えられる時、それは大抵良い意味を持たない。『あの人には、表と裏がある』。この言葉を聞いてポジティブな捉え方をする人も、言われて嬉しい人もおそらくいないだろう。いわば、悪口の代名詞でもある。
しかし、この作品は二面性の差にフォーカスを当てた描写が多い。それは『IDOLY PRIDE』の物語を彩って魅力的なモノにしている。
一見すると、彼女のパーソナリティはそつなくてほぼ隙が見当たらない。
それ故に、地味で影の薄いネガティブな役割を担って、割を食ってしまったインプレッションを抱いてしまうのだ。
前述の通り、人(キャラクター)は二面性から来る意外性という普段とは違ったもう一つの顔を見せる事でより深みを増して、魅力的な人物として印象付けされるモノだ。要するにギャップ萌えというヤツだ。沙季にもちゃんと二面性は持ち合わせているのだ。
その意外性な要素の一つは、彼女のファッションセンス。
彼女の私服は、妹の千紗が見立てて選んだモノがほとんど。勿論、沙季が選ぶ事もあるのだが……どういうワケか千紗に『お姉ちゃんは一人で服を買っちゃダメ!』と釘を刺されている。その千紗の証言によると、ちょっと変わったファンシーな猫のキャラクターが描かれたモノを好んで買ってしまうからだという。(沙季の練習着に描かれているやつ)
沙季の外見から抱くインプレッションは、さくらが、正真正銘の名家の令嬢であるすずより沙季の方がお淑やかなお嬢様っぽいと評した様に、凛として落ち着いた上品な佇まいを感じられる。その見た目通りに落ち着いたデザインのモノを好むだけだと沙季の意外性は薄い。そこで、ファンシーで可愛いデザインのモノを好むというズレ(ギャップ)があるからこそ、沙季の魅力にまた違った面の深みが加味されるのだと。
二つ目は、本編ではなく公式の4コマ漫画で魅せるフリーダムな面。
4コマでは、渚が結構ぶっ飛んだ振舞いを魅せているが……沙季も負けず劣らずにフリーダムっぽさを魅せている。
前述のファンシーな謎の猫絡みや、几帳面さが行き過ぎて周囲をドン引きさせたりと……
例を挙げていくと、サインの下書きしたり、数多くのサイン色紙が印刷されたかの様に正確なモノを仕上げたり(勿論、全部手書き……)アーティスト写真の撮影では全部同じ角度で撮ったりと…描かれていないが、おそらく本棚に並べている本は、タイトル順、サイズ、本の厚さ、更には製本方法別毎に細かくカテゴリー分けして整頓している位は平然とやっていそうだ。
と、まあ、キャラ崩壊まではいかないがなかなかのエキセントリックな暴れっぷり…狂気を曝している。
自分が、この考察の中で、あえて『表と裏』ではなく『二面性』という言葉を使って彼女の魅力を引き出そうとしたのは『きちんとした者』としてのアイデンティティも、ギャップの差による狂気的なモノ、どちらも白石沙季の表にちゃんとあるパーソナリティ(顔)であるからだと。
人というのは狂気的な要素…即ち『二面性』に惹かれて、魅せられてしまう『性』がある。それもまた、白石沙季という存在の魅力をより引き立たせる要素なのだ。
と、いう事で、白石沙季編いかがでしたか?
正直、異論・反論は多い(それしか無いだろうな…)かもしれませんが、自分としては、踏み込めるだけ踏み込んで得られたモノを出し尽くした渾身の考察です。
取りあえず、楽しんでいただけたなら嬉しく思います。
手前勝手な解釈(妄想&暴論)も結構含んだ考察になっていまいましたので、別な意見や詳しい解釈があれば教えていただくと有難いです。