今年も、この季節が訪れたという事で『Wake Up, Girls Advent Calendar 2021』11日目の記事担当として参戦させていただく、あかとんぼ弐号です。
自分は、2018年からこの企画に参戦致しまして今回で4回目になりました。で、過去に参戦した際書いたモノがこちらになっております。
毎年参戦されている方、久々に参戦される方、今回、意を決して初めて参戦される方。それぞれ一人一人にWUGへの想いがあって楽しみ方や愛情を文章にしたためる。自分のWUGへの想いをアウトプットする事も、皆さんのWUGへの想いをインプットするのも非常に楽しいモノです。
今年も、想いを語り合える場を設けていただいた主催のておりあさんには感謝致します。
この怪文書(記事)を潜影蛇手(寄稿)するのは、11日目。
折り返しにはまだ早いですが、エモーショナルに溢れた記事を連日読み耽って、皆様エモーショナル疲れした頃ではないでしょうか?ただ、それは不快な疲れではなく心地いい疲れだと思いますが。
なので、自分がこれから書き殴っていくのは、ちょっとしたガス抜きを兼ねたテイストのモノ。エモーショナルとは程遠く肩の力を脱臼するほど抜いていただいて、ホント気楽に読める様なテイストにするつもりです。
これから書き殴る事は、あくまでも個人の独断と偏見と暴論によって書かれたモノになります。異論や反論は大いにある事と思いますがご容赦下さい。
数多あるWUG楽曲。その中において楽曲の世界観・物語が繋がる系譜となる組み合わせが幾つか存在している。楽曲が取り上げているテーマを引用して~シリーズとか呼ばれたりする事が多い印象。(一般的に多いと思えるのが四季をモチーフにしている季節シリーズではないかと)
『タチアガレ!』→『少女交響曲』→『Beyond the Bottom』へと繋がっていく叩き上げの魂を謳う『アンセム』の系譜。
『海そしてシャッター通り』『言葉の結晶』『土曜日のフライト』『さようならのパレード』の四曲によるはなむけとして贈られたWUG組曲……etc
一つの楽曲でも、当然ながら世界観やメッセージ性はちゃんと成立している。でも、楽曲を繋げて捉えてみるとまた一つ一つの楽曲の物語やメッセージ性がより深いインプレッションをリスナーにもたらす。
そして、『対』になる楽曲も存在している。続編とか後日談、アンサーソングと呼ばれるモノが『対』になる楽曲という認識でも通じるだろう。
WUG楽曲で『対』になる楽曲で真っ先に浮かび上がってくるのが、原初の楽曲『タチアガレ!』と最後の楽曲『さようならのパレード』がその代表例だろう。コレに関しては、この二曲を作曲された神前暁さんがその関係性について言及されている。
関係性は明らかになっていないが…『16歳のアガペー』の続編だと思えるのが、17歳(=セブンティーン)の恋愛模様をモチーフにした『セブンティーン・クライシス』も『対』になる楽曲と称してもいいと自分は思っている。
そして……これから書こうとする楽曲も『対』になる楽曲だと、自分は声高らかに主張したい。
その二曲とは『outlander rhapsody』と『タイトロープラナウェイ』である。
Introduction/それぞれの楽曲の概要
この二曲は、七人で歌う全体曲ではなく四人(outlander rhapsody)と三人(タイトロープラナウェイ)に分けたグループ内ユニット楽曲という位置付けにあたるモノ。2016年の夏に開催されたWUGの3rdライブツアー『あっちこっち行くけどごめんね!』の初陣である千葉公演で事前の予告なしで新曲として発表されて、そのライブで初披露された。
『outlander rhapsody』を歌うのは、吉岡茉祐さん、青山吉能さん、山下七海さん、奧野香耶さんの四名。この四人は低音域での歌声が特に映えるとの事。
もう一方の『タイトロープラナウェイ』は、永野愛理さん、田中美海さん、高木美佑さんの三名が歌っていて、こちらは高音域の歌声が映えるメンバー。
グループ内ユニットというとそれぞれ個別のユニット名があるものだが、どういうワケかWUGの場合はこれらのユニットにユニット名は付けられておらず、両曲共に楽曲の名義は『Wake Up, Girls!』となっている。この辺も後述できれば。
Chapter1/遠く未知なる地へ向かう冒険者の謳
そもそも、outlanderという単語は無くて、遠隔の地、辺地の英訳であるoutlandにerを付けた造語だと言われる。それを踏まえて、この楽曲のテーマとされているのが少年たちの冒険だという事。安直かもしれないが……詞にある『冒険の旅人』『伝説を確かめる』という語句がテーマの冒険という要素を色濃く表しているのだろう。
この少年達はおそらく歌う彼女達と同じく四人組。勿論、個性や性格もバラバラだが不思議と気が合う。『rhapsody』は狂詩曲(自由奔放な形式で表現された楽曲の意味=雑多な個の融合)で少年達のバラバラな個性を指しているのだろう。少年達は、自分たちで考え判断し、仲間を作り、もうすぐ青年期をむかえる時期の少年達だろうと自分は解釈している。これも、謳う彼女達の当時の状況とリンクしていた様に思える。
そんな少年達に共通して抱いているのは、彼らを取り巻くコミュニティに対して浮いている様な疎外感を持っている。周りのOTONA達はそんな彼らをはみ出し者的な扱いをしているのかもしれない。少年たちにとっては周りに味方はいなくて『街の魔物』と称しているのだ。
そういう境遇にある少年達が、何かを変えたい、変わろうとする想いを抱いて未知の領域に興味と好奇心を抱くのは必然の流れだった。そして、おそらく歌う彼女達もその少年達の心情に寄り添った様に思えて来る。
当然ながら、その旅路は楽しいだけじゃない困難が伴う事も理解している。彼らもそれが分からない子供ではないのだ。汚れる事(困難に遭う)を覚悟して、汚れてもいいシューズで未知への旅に出た。素晴らしいチカラである『財宝』は小さな世界からの脱却の象徴とも捉えられて、更には踏み込む勇気でもある。
それは、少年期にしか作れない友人との絆や冒険が描かれていて、降りかかって来る困難を少年達は一緒に乗り越えていったのだろう。重複するが謳う彼女達も同様なのだ。
そして、少年達の冒険は所謂『冒険ごっこ』ではなかったという事。
少年達は、『自世界』 から『非世界』へ『自分探し』という冒険の旅に出た。 その模様は疾走感溢れるメロディが象徴している様にポジティブなインプレッションを抱かせるのだと。狭いコミュニティ(街)から広い世界を見て知り、いろいろ考えた結果、狭い世界では受け入れ難い自分達のアイデンティティに誇りを持てるようになったのではないだろうか。
Chapter2/同じ軌跡は往けない、袂を分かつ謳
『タイトロープラナウェイ』は非常に分かり易い『別れ』というメッセージが込められている。
タイトロープは、綱渡りに用いられる張り綱の英訳。危険を冒して危ない橋を渡る事の例えの意味でもあり、ラナウェイは、逃亡者や家出人(特に子供)の意味を持つ事からダイレクトに『別れ』というインプレッションを抱くのだろう。
詞にある『さよなら』『何にもわかりあえない』『失敗』……etcからネガティブの極致を表現している。曲調も『outlander rhapsody』とは対極で、沁み入る様でクールではあるがそれにポジティブなインプレッションは抱けなくて、冷淡かつ鋭いモノで刺すような寒々しく儚さをも感じてしまう。で、謳う三人(永野・田中・高木)の歌声も、冷淡さの方をより感じさせる大人を意識した艶っぽい歌声が特徴だったりする。
いつも一緒にいた友とずっと変わらず共に駆けていられると思っていた。だが、永遠に続くモノなどありはしないのは避ける事の叶わない世の理でもある。理屈では分かっていたつもりだが、感情はそれを認めたくはなかった。心をどれだけ込めてぶつけあってもどうにもならないと徹底的に思い知らせれた……かつては同じ想いを持って駆けていた刻はあったが、僅かなすれ違いでもう取り戻せない程に拗れてしまった。
少年(少女でもいい)時代の友人関係は、その当時の価値観のみで繋がっている狭い世界。
刻の経過によって環境は変化して、新しい縁の繋がりが出来る。つまりは…自身の夢や目標によって友人の種類も変わっていくものなのだろう。友人に限らず周囲の人との縁が様々変化していくのは、WUGのメンバー達と重なっているモノでもある。
歌詞の文脈を捉えていくと、かつては想いを共有して何もかも分かり合えた友と袂を分かつ無常の別れをテーマにした楽曲である。ただし、別れというモノは決してネガティブな要素しかないワケではない。前向きな解釈も出来なくもない。新しいスタートや新天地への序章とするならポジティブな言葉という捉え方も出来る。
少年達はたとえ離ればなれになっても、心は一つだという事を旅を通して学んだ。更には、危険を冒して逃げるというのは決して後退だけという意味ではない。新しい縁や環境を求めて未知へ旅立つという行動の例えとして逃げという言葉で表現している。
描かれた胸のロゴや熱い文字を
ずっと掲げて 忘れないで
選びとろう それぞれの道を
―Wake Up, Girls!『タイトロープラナウェイ』より引用
この歌詞が少年達の過去と未来の刻を物語っていて、『要』となるところ。
頻繁に会ったり、遊んだりという事だけが“友達”という定義の全てではない。
旅路の果てに少年達が見つけたものは、忘れられない想い出であり、それは永遠の友情へと少年達とあの七人を導いたのだと。
Chapter3/卵が先か、鶏が先か。
『対』になる楽曲という前提で、この二曲の考察をしてきた。
現状を変えたいと願う『outlander rhapsody』のテーマ。別れがテーマの『タイトロープラナウェイ』。一見すると、時間軸的に『outlander rhapsody』のアンサーソングにあるのが『タイトロープラナウェイ』という解釈は成り立つモノだし、間違いではない。
でも、唯一無二の解答ではない。逆転しているという解釈も出来る。
別れを決意してから、現状を変えたい未知への旅路に出る流れでもある事。
別れというモノも、変えようとする想いと覚悟を示す事でもある。袂を分かち、それぞれの狭き道を行く事も、未知への旅立ちという捉え方も出来る。勿論、前述の通り現状を変えたい旅を経てからの別れでも問題ない解釈でもある。どちらの楽曲も続編であり、アンサーソング。
展望から追想、またはその逆も然り、そして両曲共に追想のみ……どの時間軸でもこの二つの楽曲は共に在って成立されている。おそらく作詞された只野菜摘さんはそれを狙っていたと推測している。冒険者達による未知への逃亡(脱出)でもあり、危険を冒す者達の狂詩曲でもあったのだ。
つまりだ。『outlander runaway』であり、『タイトロープ ラプソディ』と称しても楽曲の世界観と少年達の立場は繋がる物語になっている様に思える。
一応、言っておくが……おかしくなっているワケでもないし、執筆時に呑んだくれて酩酊状態でもない素面の状態だ。大真面目にこの考察をしている。
Chapter4/それぞれのユニット名ではなく“Wake Up, Girls!”にした理由
この項で書く事は何の根拠も確証もない妄想&暴論100%の域でしかない事を予め言っておく。
冒頭で触れたが、これらの楽曲は2016年のライブツアーで披露されてその後リリースされた。
『Wake Up, Girls!』の2016年は、作品の方が一つの節目を経てひと段落して、方向性を考える変革の刻の真っただ中にあった。作品とは関わりが無い他の作品のタイアップ楽曲である5thシングル『僕らのフロンティア』のリリースもこの年。
不安もあったが、変化を恐れず未知の領域への挑戦に出た年だった。それもあの二曲に共通されて盛り込まれているテーマでもある。3rdライブのMCにて『私達が作品を引っ張っていく』と言っていたのが、その覚悟の表れだったのだろう。
『outlander rhapsody』と『タイトロープラナウェイ』の他に、『プラチナ・サンライズ』と『セブンティーン・クライシス』もグループ内ユニットによる楽曲で、四曲の名義は『Wake Up, Girls!』のままである。
どうしてユニット名をそれぞれに付けなかったのかは明言されていないので当然知る由もない。
考えるのが面倒だったという事もあったのかもしれない……でも、自分は敢えて決めなかったのだろうと勝手に思っている。
『outlander rhapsody』と『タイトロープラナウェイ』に限った話になってしまうが……
この二曲のユニット楽曲は、楽曲内のキャラクターである少年達とキャストであるWUGメンバーがオーバーラップしていく楽曲である様に思える。『僕』がいったい誰なのか?コレは複合的な見方が出来る。
ダイレクトに捉えると、テーマにになっている少年達と考えるのが自然。
でも、詞の中や楽曲の世界観では、その少年達が何人いるのかは不明だ。歌う人数通り四人と三人に分かれているのか?そうじゃないのか?もしくは足して七人いるのか?
その全てを内包して『僕』に含まれている様に感じてしまう。
または、『僕』がWUGの七人の比喩という捉え方も出来る気がしている。
前述の通り、少年達の未知への旅立ちと別れを歌う楽曲ではあるものの、七人の心情…特に解散という終焉を意識した頃と解散後の今の刻の心情と多分に重なり合う。そして……ユニット楽曲でありながら、七人の全体曲というもう一つの貌があったから、敢えて個別のユニット名を付けずにグループでの曲名義としたと思えてならないのだ。
僕はここから 狭き道を行く
―Wake Up, Girls!『タイトロープラナウェイ』より引用
ずっと 一つ手に入れたかった
―Wake Up, Girls!『outlander rhapsody』より引用
少年達、もしくはWUGの七人は、具体的な場所やモノを求めて未知の旅路へ勇気をもって踏み出したというよりは、いろんな所に行って、それぞれが思い描く理想の姿や叶えたい夢を例えたのがこの二曲のラストフレーズに表れているのでは……という自分の解釈である。
最後に
この記事を読んで、皆さんの中の『outlander rhapsody』と『タイトロープラナウェイ』の解釈に何らかの変化はありましたでしょうか?もし、何か揺さぶられたのであれば物書き(と言うにはおこがましいですが……)の端くれとしては嬉しく思います。
一方で、何も感じなかったのであれば、それは皆さんの中に確固たる解釈や想いが既に在って、揺らぐことなく存在していて羨ましく思います。
楽曲だけに限らず、WUGが遺したあらゆるモノだったり駆け抜けてきた軌跡を感じて、その想いを色々な形で解き放って語らう。それが正しいか間違ってるかなんてどうだっていい。とにかく語り合うという事が、5年後、10年後の未来の刻でも『Wake Up, Girls!』が凄ぇエモーショナルなグループだったんだよ!!!!!!!と言う人が多く増えたらいいし、その願いをもって筆を置かせていただきます。
ここまでこの怪文書を読んで下さった方、本当にありがとうございました。