どうも。RGR楽曲ライナーノーツシリーズのお時間です。
今回も、1stアルバム『Run Girls, World!』に収録されている楽曲の事を書いていきます。
水着とスイカ
“RGR Season Song”夏の章にして最終楽章となる楽曲。
この楽曲がリリースされる刻を待ち望んでいたランナー諸氏は多かったのではないだろうか。故に、この楽曲はこのアルバムの目玉の一つでもあった。
ヒップホップテイストの曲調にラップ。厚木さんのソロ楽曲でラップを用いた表現があるがRGRとしての楽曲ではこの楽曲が初めてのチャレンジ。(……のはず)それに、台詞パートも盛り込まれていたりする。
季節シリーズに於いては、様々なテイストのチャレンジが成されて来ていて曲調の多様さは、テーマにしている少女の揺れ動く恋慕の心情を表しているのだと感じられるモノだ。
で、季節シリーズで一貫していたのは揺れ動く感情が決してポジティブなモノではなかった事。どの楽曲も、そしてこの楽曲も明朗な方向のノリではない。さながら、夏の終わり際に真夏の出来事を追想しているノスタルジックで叙情的な印象が強く、切なさという要素もブレンドされている。それに、最終楽章という事もあってか、これまでの季節シリーズに出て来たフレーズが散りばめられた集大成的な楽曲。
この楽曲をどの時間軸で捉えるかで、物語のインプレッションはガラっと変わる。
自分の中では、前述にある様に追想…夏の季節を思い返しているモノと考える。
水着とスイカ 砂の空白
それぞれ好きな場所から 見つめている
水玉の恋 ぽつんぽつんと
私たちまだ 距離が離れている
―Run Girls, Run!『水着とスイカ』より引用
追想という事を印象付けさせるポイントが『場所』と『距離』という言葉。
これは、刻の流れの例えにも捉える事が可能と解釈している。
場所とは、単純な場という意味だけではなく少女が追想している現在としての時間軸。距離も同じで刻の流れを指す言葉である。勿論、単純な場という事も無視出来るモノではなく、物理的や心の距離感もある。
その少女の変わりたい覚悟を示す箇所がサビ前の節で示される。
早く早く 小麦色になりたい
脚も胸も まだ白すぎるから はずかしいな
―Run Girls, Run!『水着とスイカ』より引用
日に焼けて、見える印象をちょっと変えたいと。それはマイルドなインプレッションに聞こえるが、言い換えてしまうとこれまでの地味な自分を焼き尽くしてまで変わりたいという激情とも捉えられる。そうまでしないと都会に住んで私立に通ってバレエを習うキレイな子達には勝てないと思い込んだ。身に纏う初めて着たビキニの水着も変わりたいという覚悟を示すモノなのだろう。
誰よりも きみの理解者でいたいと 自分にいいきかせた
溶けるジェラート 会いたかっただけ
もういいの
―Run Girls, Run!『水着とスイカ』より引用
『きみ』だが、これは二つの意味があると思っている。少女自身と少女が想いを寄せていた男子の視点だと。この男子から見て少女は詞にある様に地味で素朴なインプレッションだった。でも、夏の海で会った少女は肌の露出が多いビキニの水着を纏っていた。
視覚から入って来るインプレッションは強烈なモノをもたらす。言い換えると少女は大人の階段を昇ったともとれる。少女の事を最も理解していたのは男子自身の筈だがそうではなかった。『いいきかせる』のは目の前の現実=変わった彼女の姿を受け入れろという事だろう。
少女視点でカギとなるのは『溶けるジェラート』から続くフレーズ。
男子に想いはありながらも、その想いを捨てようとしている。変わりたいという覚悟は捨て去る覚悟の暗喩でもあり、溶けるという句にも繋がっていく。
ここでの『もういいの』は感情を爆ぜさせる物言いではなく、吹っ切れた様な静けさがある。言わば決別の想いなのだろう。
そして、この楽曲が追想している楽曲である事の『要』が以下の節々だと考える。
私はきっと おこってたんだ 淋しかった いろんな季節に
水着をぬいで 秋がきたなら 地味な子へと戻ってることに
強く強く はじけながら割れたよ
それはたぶん誰にも気づかれない想いだった
―Run Girls, Run!『水着とスイカ』より引用
少女がいつから何に『キレて』いたのかを窺い知る事は叶わない。
もしかすると、少女自身もキレる=怒っている事に気が付いていなくて、様々な葛藤や負の感情の根幹が怒りや淋しさから来ているモノだったのかもしれないし、夏が終わって地味な自分に戻ってしまう事への憤りか。
夏の海でやったスイカ割りで見事にスイカを割る。それは少女が怒りをぶちまける事でもあって、これまでの事までも全て壊す激情だ。極端かもしれないが少女の爆ぜる感情はそれ程までに凄まじいモノがあった……
愛情と憎しみは紙一重という例えがある。憎しみは行き過ぎかもしれないがそこまでに至る前に吹っ切れようと少女は本能的に動き、誰にもその想いを悟らせなかった。
前述で触れた『距離が離れている』は少女自身が望んで離れていったのだとも思えて来る。そして、ラストフレーズでこう謳う。
それでもね ずっと ずうっと 忘れないよ
―Run Girls, Run!『水着とスイカ』より引用
このラストフレーズの歌い方を、吹っ切れたあざとい歌い方にしたと森嶋さんはインタビューで語った。
結局の所、少女の恋が実ったかどうかの決着は物語の中でついていない。
分かっているのは、物理と心情的に二人の距離が離れた事だ。
四季の刻の流れで、良い事もあったが辛い思い出もあり『そんな事もあった』と美化して心の安定を保ちたいのだ。思い出は思い出のままでいたいのだと。
思い出をずっと忘れないと言いつつ、どこかで徐々に忘れていっている事に気付いているし、寧ろ忘れる事を望んでいる。既に少女の思い出は希薄になっていっているのかもしれない。切なくも叙情的に歌う三人の歌声が少女の想いを彩るモノになっている。
忘れないと願いつつも忘れる事を心の片隅で願う。矛盾しているが、それも人としての性でもある。
イルミナージュ・ランド
テレビアニメ『キラッとプリ☆チャン』シーズン3のOPテーマ楽曲。
題の『イルミナージュ』とは、『イルミネーション』の『イルミ』と、フランス語で『泳ぐ』を意味する『nager(ナジェ)』を組み合わせ日本語的な発音に組み替えたものだと言われる。
『ランド』は土地という意味だが、この場合、劇中にて『プリ☆チャンランド』というテーマパークが登場した事により、施設名称としての意味として『プリ☆チャンランド』を例えて、光輝く場所を示している言葉が『イルミナージュ・ランド』という認識で正解なのだろう。
RGR楽曲の軸の一つにある『プリ☆チャン』OP楽曲もこれで6曲目になる。
この楽曲のテーマは、パレードの様な雰囲気を持つ楽曲だという。
明朗快活な楽曲がRGRには多くあって、これまでに歌って来た『プリ☆チャン』楽曲はその明朗な系譜を継承していて、この楽曲はその系譜をちゃんと継ぎながらもまた違うベクトルの明るさを持つ楽曲に仕上がっている。
キラッとオープン!ワンダー プリ☆チャン 輝け!
今日も 誰かの誕生日だよね
可愛いや 嬉しいに 出会いますように (願いを)
そんな素敵な世界は たまご (星よ)
永遠なる ひよこたち つばさ探しに行こう
―Run Girls, Run!『イルミナージュ・ランド』より引用
開幕のAメロと称される箇所のこれらのフレーズ。自分はここがこの楽曲の『要』であると思っている。いきなりクライマックスとはまさにこの事で明るい楽曲であるという事をリスナーに強く訴えかけて印象付けさせる。プリチャン楽曲では割とこの開幕からポジティブ全開でいきなりぶん殴って来る形式が多い様に思う。
(なんちゅう例えだよ……)
嬉しいや可愛いという言葉は、ポジティブの極致…陽となるインプレッションのモノ。
曲題の『イルミナージュ・ランド』を訳せば光輝く場所へと繋がっていく。
誕生日とは、たまごが孵化してひよことして産まれる事。即ち、作中に登場するマスコットや新しいプリチャンアイドル達のデビューへと重なりパレードへと繰り出す。
そのパレードへの参加資格なんてモノは無い。誰でもWelcome!!!なんだと。
寧ろ、躊躇っていても無理矢理手を取って強引にその列に加われともとれる。
暖かいと言えば聞こえはいいが、ある種の狂気でもある。
でも、その狂気=熱狂という輝きに身を委ねたくなるのも人の性。
それもまた、テーマパークの雑多な賑わいに通じるモノがある。
あらゆる要素があって、様々な人を楽しませる事が出来る場所がテーマパークの定義だと個人的には思うワケで、『Run Girls, Run!』もそういうグループになりたいと願い、加えて、メンバー個人としてもそういう表現者になりたいと願って謳ったのかもしれない。
持ちつ持たれつの関係性から、RGRが楽曲と作品を引っ張っていく方へと昇華していく。そこに、キャラクターとRGRの三人との成長とがリンクされている様にも感じられるし、みらい達だけではなく、新しいキャラクター達迎え入れて導き一緒にパレードを進む……そういう賑やかな、何ともスケールの大きな楽曲でもある。