巡礼者のかく語りき

自由気ままに書き綴る雑記帳

Run Girls, Run!のアンセムの系譜を斯く語る。

 RGR楽曲も、多種多様な楽曲が増えてきた。それこそ、同じような要素やコンセプトのもとで制作された『系譜』として繋がり、それが一つの大きな楽曲・作品としても成立している。


季節シリーズや、プリチャンOP楽曲がまさしくその『系譜』に連なっているモノである。


 そして……その括りの中に存在する季節シリーズの系譜とプリチャンOP楽曲の系譜とはまた違うコンセプトのもと作られたもう一つの『系譜』。そのコンセプトはRun Girls, Run!が掲げているアイデンティティである『止まらず駆け続ける』事と、彼女達のみならず『誰かの背中を押す』というモノだ。テーマといってもいいのかもしれない。

その三曲は、RGRとして原初の楽曲である『カケル×カケル』、闘いの謳である『ランガリング・シンガソング』、叩き上げの魂を謳う『無限大ランナー』。これらの楽曲のコンセプトは一貫しているモノで、彼女達がその都度公のインタビュー等で語られている事も確認されている。この三曲は、軸となる大まかなメロディ(疾走感あるバンドサウンド)や各楽曲の歌詞や繋がりを感じさせる世界観を見ても、このコンセプトの息吹を随所に感じ取る事が出来る。


 この記事では、その『駆け続ける事』というグループのアイデンティティと『誰かの背中を押す』というコンセプトに着目している。それは、RGRの『アンセムと称しても何ら不思議ではないし自分はそう思っている『系譜』にこの三曲が連なっていると思う。この系譜が何故『アンセム』であるのか?どうして心が戦いで、魂が爆ぜるインプレッションについてかく語っていくのが記事の内容だ。

RGR楽曲の魅力は他にもいっぱいあるが、自分はこの『アンセム』の系譜に連なる楽曲が持つ叩き上げの魂と剥き出しの本気の想いがとても好きなのである。


 RGR楽曲の事を熟知されている人には、こういう捉え方もあって魅力を再確認する機会に、まだあまり知らないという人には『こういう違ったテイストの楽曲もあるのか』と興味を抱く切っ掛けになると嬉しい。

 

 

 

 Chapter1/誰かの背中を押す『アンセム』としての“系譜”

 

 そもそも、『アンセム』とは何ぞや?という事から説明していこう。


 元々の意味とされているのは、聖歌、讃美歌、頌歌、祝歌という意味。元々教会音楽の聖歌や賛美歌のことを指した楽曲を指す言葉。そこから応援歌や祝いの歌として使われるようになり、日本でも『誰もが知ってる歌』というニュアンスで使われ、現在はアーティストの代表曲や定番として盛り上がれる楽曲という意味合いで使われ広まった言葉だとされていて、そちらの解釈がポピュラーというのが共通認識だと感じる。

『カケル×カケル』 『ランガリング・シンガソング』 『無限大ランナー』。この三曲はRGR楽曲において、彼女達の心情や生き様をストレートかつダイレクトに詞と歌に乗っけて謳われている。リスナーはその生き様を感じられて、共感して最も盛り上がれるというインプレッションを抱く。だからこそ、この三曲がRGRの『アンセム』の系譜と成り得ると自分は思うのである。


 で、改めて『止まらず駆け続ける』事『誰かの背中を押す』というコンセプトについて考えてみたい。
『止まらず駆け続ける』と『誰かの背中を押す』とは何を意味しているのか。文字通り見れば止まらないで走り続ける事だし背中を押してやる事で双方は前に進む事が出来る。

前に進む事と、前に進む為の手助けだったりその切っ掛けを作る事が『止まらず駆け続ける』と『誰かの背中を押す』事の意味であり、それがRun Girls, Run!の『アンセム』が目指す音楽の一つの形だと考えられる。

 
 では、その『誰か』とはどういう存在なのか?これは様々な解釈が可能だ。
彼女達の変わりたいという想いが彼女達の背を押す事でもあり、RGRがリスナーの背を押す、あるいはリスナーがRGRの背を押すという具合に、持ちつ持たれつというか双方向に影響を及ぼしている様に感じられる。

変わりたいという想いとは、現在進行形でそれに向かって駆け出している場合もあれば、挑戦する前に半ば諦めてしまったモノを指す場合がある。夢や目的に向かって駆け出している人もいれば、その一歩がまだ踏み出せない人もいる。これらのフェイズは楽曲ごとに異なるが、背中を押すという行為には、立ち上がって前を向かせるのと、自分の内面にある未知の軌跡に向き合わせるという意味合いがあると思える。


 いずれにしても、『カケル×カケル』、『ランガリング・シンガソング』、『無限大ランナー』で構成されたRGRアンセムの系譜は、そういった彼女達三人とリスナーの変わりたいという想いを抱く人の背を押す。夢を持つというのは大袈裟な響きだが、何か新しい事を始めたいという漠然とした想いや何らかのアクションを起こしたいという渇望と疼きにも当てはまる。未来の刻の可能性に懸ける人の背中をRGRの三人は後押しする。それは行動を起こしている人も、行動を起こせていない人であっても同様ではないだろうか。

 

 


 Chapter2/痛みと傷跡に向き合う

 

 勝手な持論ではあるのだけれども、アンセムとしてより魂に響いて来る不可欠な要素と考えているのは、変化と向き合った際に訪れる不安や挫折といったネガティブな感情を忌憚なく織り込んでいる点である。それはRGRアンセムの系譜において、どの楽曲にも通じる共通項でもある。

目標に近づくには行動する事が必要。努力というのが最も当てはまるのだろう。ポジティブな言葉として努力というのは知れ渡っている。だが、地道で単純な作業の連続であったり、挫折や苦労の連続を指している負の側面があったりするし、してきた努力が全て報われる保証もない。

最初から行動を起こせない、そうした心情にどうしてもならないという場合もあるだろう。未来への不安から一歩踏み出す勇気が湧いて来ない場合だってあり得る。それらの負の感情をひっくるめて諦めや挫折という言葉で括るのは乱暴かもしれないが、スタートラインに立てないという状況はある。


 夢や目標に近づく為には、大なり小なり辛い刻を乗り越える必要がある。
弛まぬ努力で流した汗、耐え忍んだ痛み、諦観しつつも夢を横目に見続けた刻、RGRアンセムの系譜では、そういった彼女達の生き急がんとする焦燥感が生々しく剥き出されている。

Run Girls, Run!の楽曲の真骨頂と説得力はコレにあると思っている。頑張っている人にもっと頑張れというのはタブーとされている。未来の刻への希望を謳っても、絶望の淵に在って燻ぶっている人の魂には響かない場合がある。Run Girls, Run!のアンセムは現実にきっちり向き合って寄り添う。陽の目を見ない陰の努力。手を伸ばしてもなかなか届かず諦めかけた苦悩の刻、そんな痛みと傷跡を一切隠さずに、剥き出しの本気の想いと魂でもって謳う。


RGRのアンセムの系譜は、陰で涙を流す人の背中を押してくれる。

 

 


 Chapter3/楽曲別に見るRun Girls, Run!のメッセージ

 

 前の項にて、『駆け続ける』事や『誰かの背中を押す』。そして、ネガティブな感情を曝け出すことについて長々書き殴ったが……ここからが本題。

このコンセプトが、Run Girls, Run!アンセムの系譜に連なる楽曲にどういう形で落とし込まれているかを一曲ごとに取り上げて見ていく。もし、Run Girls, Run!をあまり知らないという方がこの怪文書記事を読んで下さった場合、これらの楽曲に興味を抱いてくれて、それ以外の楽曲にも興味をもってくれたら嬉しく思う。(ここまでに脱落していない事を祈りつつ……)

 

 

 

 カケル×カケル

 

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 RGRにとっての原初の楽曲。元々は、彼女達の声優デビュー作品となった『Wake Up, Girls!新章』で、現実の彼女達と同じく『Run Girls, Run!』のキャラクター達が歌う所謂キャラクターソングというもう一つの面がある楽曲。

RGRアンセムの系譜に共通している疾走感たっぷりなバンドサウンドが特徴である。

 
 『小さな存在だって ここから始める 自分なりに決めたんだ ダッシュすることを』という歌詞がある。自分がまだ何者にもなっていない小さな存在である事を自覚し、そこから目を背けず闘う為にアクションを起こす。無邪気に夢を描けた刻と、現実に順応しつつある現在。刻の経過と共に後者に染まっていく中でもう一度夢見た場所へ向かう力をくれる。夢を諦めかけていた人に、もう一度前を向かせてくれる応援歌のテイストを持つ楽曲。

RGRの三人にとって始まりの楽曲であり、無くてはならない掛け替えない“戦友という面のある楽曲。

 

 

 

  ランガリング・シンガソング

 

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 1stアルバム『Run Girls, World!』のリードトラックとして収録された楽曲。


“これまでの成長とこれからの夢”を歌った楽曲となっており、RGRアンセムの特徴である疾走感にあふれるメロディを継承して、夢に向かって走り続ける彼女たちの想いが歌われており、ミュージックビデオ内でも『目指せ武道館!』という夢が語られている。


 『走るために生まれてきた でもまだ たりない たりない』という歌い出しから、この先駆け続けられる為には足りないモノだらけという事を痛感させられ、それを一刻も早く手に入れたいという渇望の念が垣間見える。『ランガリング・シンガソング』はそういうネガティブな感情の極致を忌憚なく歌に乗せている楽曲だと言える。

サビの『夢へのバトンを つなぎきった時 ゴールでぎゅっとしてね』という歌詞が印象深い。
今のこの瞬間、現状、流して来た涙。その全てに意味があった。全ては偶然ではなく必然である。何度も躓いて転んでも前に進む事は止めなかった。そんな彼女達をすべてにおいて肯定する。

リリース当時にメンバーが受けたインタビューにて、林さんは、この楽曲は今の自分達に共感できるポイントがすごく多い楽曲。森嶋さんは、胸がグッと熱くなる楽曲。、厚木さんは、暗いかと思うが、いつもは見せないありのままの三人を表現している楽曲であると語られた。


この曲は躓いて転んでも恐れずに立ち上がって前に進むことを決める曲。決意と闘いの謳であると。


 『ランガリング・シンガソング』というタイトルも印象的だ。『リング』が意味しているのは指輪の意味ではなく円形の意味の輪。つまりはRGRとリスナーとの手を取り合う繋がりを指しているのだと考える。そして、『シンガソング』はオーディエンスとアーティストが一体となって歌う『シンガロング』から取って付けたのだろう。双方の絆の証という願いが込められているのだと。
 

 この楽曲のMVでは、過去のメンバーが現在の刻のメンバーとすれ違う場面がある。過去のRGRから託された夢へのバトンを現在のRGRが受け取ってまた駆け出す。

個々がそれぞれの未知の軌跡を見つけて駆け出す行動が、誰かの未知の軌跡へと波及していくイメージがあると思える。

 

 

 

  無限大ランナー

 

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 現時点(2021年12月時点)での最新シングル『ドリーミング☆チャンネル』のカップリング楽曲。

『カケル×カケル』が決意をもって駆け出すスタートを切る楽曲。『ランガリング・シンガソング』が、駆けている最中において、何かに躓き転んでも諦めず再び前を向いてより速く駆けようとする楽曲だとすれば、こちらの楽曲は、さらに加速してまっしぐらに突き進もうとする気迫に満ちている。

壁に当たろうが、躓こうがお構いなしに前のめりで駆けていて、鼓舞する様に力強く背中を押してくれるド直球な応援ソング。


 『きっと立ち向かってみたいんだ 見つめたいモノ 胸にひしめいている』という詞が好きだ。
挑戦する事を諦めたいと思わないのは、まだやりきっていないからでもある。それは、まだ余力があって出し尽くせてない。甘えている事にも繋がる。ある意味自分の至らない点と対峙している事になる。『突き抜けたい』という様に、自分で自分の限界を決めてブレーキをかけてはならないのだ。

『キミと走る Wonder!』、『キミと走る Runner!』。『キミ』と『Runner!』(RGRファンの愛称)はRGRからリスナーへ、リスナーからRGRへ…あらゆる意味を持つ互いの背中を押す存在と言えるのだろう。


 RGRが持つバトンがリスナーへ手渡され、リスナーもまた誰かの背中を押す。
躓いても立ち上がり、逆風に負けず駆けるその背中がまた別の誰かに未来を見せる。


その連鎖が続く事が『無限大ランナー』の意味するところだと思う。

 

 

 
 終わりに。

 

 と、いう事で…Run Girls, Run!アンセムの系譜という観点から、アンセムに連なる楽曲を取り上げてみた。歌詞を自分がどう解釈しているのかという考察の様な部分も多くなってしまったが、アンセムの系譜と、構成している各楽曲の魅力が断片的に伝わってくれたら嬉しい。来年にリリースが決定されているミニアルバムには原点回帰ともいえるバンドサウンドの楽曲が収録されるという。その楽曲がアンセムの系譜に連なるのかというのは非常に興味深く楽しみな所である。


 ここまで書き殴って来た事の大部分は、個人の主観的な歌詞と世界観の解釈によるモノ。
解釈の至らない部分や見当違いの解釈になっている部分も多くある。自分がここに書いたモノが唯一無二の正解なんて事は言えない。この系譜についてや各楽曲について考察出来る要素はまだまだあると思うし、聴いた人の数だけ別の解釈がある。あと、系譜という括りを無視して楽しむのも一つの楽しむ方法としてはアリだと思う。


 楽曲の聴き方に関しても同様。客観的に聴くのもいいし、詞の内容と自分の現状とを向かい合わせて当事者として、背中を押してもらう様に聴くのもいい。それを可能にする汎用性や普遍さと力強さが各楽曲にはある様に思う。


Run Girls, Run!と楽曲の魅力は他にも沢山ある。自分がまだ気づいていない、見えていない魅力もある。アンセムの系譜だけじゃなく、他の系譜に連なる楽曲も魅力的だし、三人の個性、ライブステージ等もそれぞれ魅力的である。


 当たり前の話だが、ここに書き殴ったモノが全てではない。あくまでも一人のおっさんの視点で捉えたモノだと思っていただけると幸いであります。