巡礼者のかく語りき

自由気ままに書き綴る雑記帳

RGR楽曲ライナーノーツ#11 逆さまのガウディ(厚木那奈美ソロ楽曲)

 どうも。RGR楽曲ライナーノーツシリーズのお時間です。

 

 

今回書き殴る楽曲ですが、RGR楽曲随一……いや、自分がこれまでに出逢ったあらゆる楽曲の中でも解釈に踏み込む事を躊躇わせた楽曲の一つでもあります。

楽曲を聴き終わってのファーストインプレッションは、頭抱えて笑うしか出来なかった。

この笑いは嘲笑とかではなくて、所謂、乾いた笑いというヤツ。完全に手の打ちようのないお手上げ状態になった時に出る『こりゃ、どうにもならねぇぜ。はは……』的な笑いと共にこう呟いた。


『やりやがったな……』と。これはそういう楽曲だった。
こんなインプレッションを抱いたのは久しぶりである。

 

 

 

 

 

  逆さまのガウディ/厚木那奈美

 

 

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www.youtube.com



 『長野の奇跡』こと、厚木那奈美さんのソロ楽曲。
厚木さんがBlogに綴った言葉にこの楽曲の本質がある。

 


 

 

本当に一言で言い表すのがとっても難しいのですが…。
私の挑戦というか、新たな扉というか…そんな感じの楽曲になっております!

 

Run Girls, Run!オフィシャルブログ わーるど!-那奈美-より引用

 

 

彼女がどんな表情で文章にしたためたのかは知る由もないが、きっと菩薩の様な微笑みで書き綴られていたのだろう。


だが、この楽曲はんな優しい楽曲ぢゃない。だから頭抱えて地を転げ回った。
厚木さん、貴女はとんでもない扉を開いてその先へ踏み込んでしまいましたよ……


この楽曲は考えるのではなく本能で感じろという笑顔の裏に隠された彼女からの挑戦状。

ロジックで答えを導きだそうとしてもどうせ出来ねぇんだからエモーションで感じやがれと。

クレバーで強かな厚木那奈美のもう一つの『魔性の貌』で彼女の掌で転がされてしまう楽曲。


考察を放棄させて楽曲と彼女の魔性の領域に魅せられて浸る。確かにそれが一番楽しいモノ。『可愛い』『尊い』という言葉で所感で済ませば楽。だが、オタクとはエモーショナルの暴力に見舞われながらも必死に抗い考察してしまう『性』がある。


だから、自分も徹底的にこの楽曲に踏み込んで限界まで抗ってみようと思う。

 

 

 曲調の方はテクノチックなダンスミュージックテイストを醸し出しつつも、ギターやベースの音の主張が強め。そこに、厚木さんの柔和で上品な歌声が入る事で激しいというよりは爽快さとお洒落なインプレッションを抱くダンスナンバーになっている…と思いきや、Dメロで差し込まれるラップパートとアウトロでの複雑怪奇な締め方がこの楽曲の印象を単純なモノにさせない。

また、曲調の主張が強い為、歌唱力と表現力が釣り合ってないとこの楽曲に血は流れない。
厚木さんのソロ楽曲だからと言って彼女に寄せる構成には当然していない。だが、彼女はきっちりと応えて表現し歌い切って楽曲に血を流せた。お洒落なインプレッションをこの楽曲に抱くのは厚木さんの個のチカラがもたらした事の証明だと思える。


 で、その難解さを加速させているのが詞が紡ぐ世界観だ。
この楽曲のテーマをざっくりと説明すると、理論武装して物事を頭で考えてから行動に移すタイプの少女の恋愛感情とジレンマを描写している。厚木さんはこの少女のロジックなモノの考え方を彼女自身と重なると言う。

 

 構造的に 逆さまなのガウディ

 バランスを今 確かめたいもっと

 二人でいたい 設計図を描いた

 カラダとココロ フニクラになる
 

 ―厚木那奈美 『逆さまのガウディ』より引用

 
 曲題にもあるガウディとは、建築家のアントニ・ガウディで間違いないだろう。
そして、これは少女が想いを寄せた異性の比喩だと捉えられる。

では、どうしてこの少女が建築家のガウディを喩えに出したのか?

興味の対象を過去の人物の功績や実績に置き換える考えはいろいろとある。
音楽に造詣があるなら、例えば……モーツアルトベートーヴェンに例えたり。
物理学を学んでいるなら、ニュートンアインシュタインとか。


前述の様に、この少女はモノをガチガチのロジック(論理)で考える。

 

思いを寄せる対象へのアプローチ=人間関係の構築を少女は、建築に通ずるモノがあると結論付けた。詞にある『構造的』はそのメタファーなのだろう。
建物を建てる為には設計図を書く≒相手にどうやってコンタクトをとっていくかに繋がり、工事の工程≒相手とのコミュニケーションに繋がる……という具合だ。


ガウディは設計の際にきっちりとした設計図は書かず模型を基にして造るという。これはおそらく異端とされる所業なのだろう。
彼のモットーとする構造は自然から取り入れる事で、自然法則を利用したのが逆さ吊りの模型(=フニクラ)であり、本能で動く事を重視する異性の行動理念。

ロジック詰めで行動する少女にとって、その彼はイレギュラーな存在だが、それに惹かれてもいる。逆さまというのはロジック詰めの少女と、真逆の性質である本能のインスピレーションを重視する異性の事を指していると同時に、少女の思考重視(カラダ)が本能のまま(ココロ)へと優先順位が逆さまに入れ替わる事でもあり、フニクラは少女の心情とジレンマを結ぶ言葉だと思える。


詞にある『not nana meet to you』は厚木さんの名前『ななみ』に掛けていて、『ライトブルー』は彼女のイメージカラーの水色。『あっ、ちゃんと』は彼女の愛称の『あっちゃん』に掛かっている。名前と愛称を詞に盛り込むのは、林さんや森嶋さんのソロ楽曲でもあった要素だ。

ちなみに、先日のRGR配信ライブにてこの楽曲が披露された際に、冒頭の『not nana meet to you』の所で厚木さんが彼女自身を指す振付が成されていて、その仕草がな……

 


 クッソ可愛い。とにかく可愛い。

 


同じ名前の読みの某先輩の様に開幕からガード・耐性無視のオーバーキル確定で視覚を殺しに来ますので、今後のライブで披露される時には注意して下さい。どうやら彼女は適当スキルだけでなく、仕留め方まで先輩からラーニングしてしまった様だ……


 脱線してしまったので話を戻すと、それ(詞の世界観)を楽曲の音の構成と照らし合わせると、前述のラップパートやアウトロのアブノーマルさはロジックで解明できない少女の感情の揺れ幅の大きさを表現したモノ。顔面に目掛けて投げられた球が鋭く急激に変化してストライクゾーンへと突き刺さるかの様であり、厚木那奈美という表現者の不可思議で掴みどころのないパーソナリティに繋がる。


 人間 動物 怪物 全部 天才 モチーフ

 信頼できないなんて 友情 恋愛 崩壊

 チート それとも本当? ハート 線をひこうか

 実験させてほしい 結論を導く 会いたい

 
 ―厚木那奈美 『逆さまのガウディ』より引用


 サウンド全体の印象は、前述にある様に爽快感ある聴き心地の良いモノ。
だが、ここのラップパートではドラム音の激しさが印象強い。それがロジック詰めの少女が脳ミソでは理解不能な心情に翻弄されていく激情に結びついているのだと。

さしずめ、物語の少女がホワイトボードとか身の回りのモノに数式、図形、グラフとか書きまくって髪をかき乱している姿が浮かんで来る。詞を構成する言葉の羅列が翻弄されて混乱している事の証明。あらゆるロジックで考えまくっても答えが導き出せない事と、本能では理解出来た答えが導き出されているがそれに納得出来ないジレンマ(二律背反)に苛まれながらも、本能から導かれて『会いたい』へという答えに辿り着く。

この一連の節が、楽曲の特異な部分の象徴でもあり『要』だと考える。コレがあるのとないのでは楽曲の説得力が格段に違って来て無ければチープな楽曲になってしまうのだろう。

作詞の只野菜摘氏と作曲の広川恵一氏は厚木さんとの縁が深いクリエーターでもある。
だから、ここまで踏み込めた詞や音が作れたのだと思い知らされる。

 


 ソロ楽曲なのだから寄り添って作られたと言ってしまえばそうなのかもしれない。
だが、楽曲に血を流して魂を宿らせる最後の要素は歌う人の心在りきだ。

林さんや森嶋さんの項でも評したが、厚木さんのソロ楽曲も彼女にしか謳えない楽曲。
彼女と楽曲が持つ掴み所の無い不可思議な雰囲気と、聴けば聴くほどに新しい感覚を刺激される事と懐深い彼女の魅力。その塩梅がまた見事なのだ。

楽曲そのものを楽しむ事は当然だが、背景や表現者の貌を知っていく毎に楽曲もまた違った貌を見せて成長していく。大切に歌い継いでいって育てて欲しいと切に願う。