巡礼者のかく語りき

自由気ままに書き綴る雑記帳

IDOLY PRIDE 東京編を斯く語る

 アプリゲーム『IDOLY PRIDE』のメインシナリオとなる『東京編』が完結を迎えた。

 

 

 

 ネットの海には、数多の人達によってその感想が綴られている。自分もその時勢の波に乗っかって所感やら考察を書き殴っていこうと思います。タイトルに『斯く語る』とか書いておるが大したことは書いておりません。(って言うか書けない……)



 *本稿は、ゲームのストーリーのネタバレを多分に含んでおります。

 

 

 

 

 

 東京編の全体的なインプレッション

 

 『東京編』というのは、アニメ版やゲームの『星見編』の続編となる物語。
月のテンペスト&サニーピースがNEXT VENUSグランプリの同時優勝を勝ち取り、東京に活動の拠点を移した所から『東京編』の幕が上がった。


 星見編では、立ちはだかるライバル(ボスグループ)であったトリエル&リズノワが星見プロに移籍という流れは単純に面白く激熱な展開だったと唸った。その要因になったのが朝倉さんの逮捕によるモノというのがまたその面白さに拍車をかけたと思う。

朝倉さんが一方的に、トリエル&リズノワを解雇するに至ったのは、自分に良からぬことが降りかかってくるだろうと感じたからというのは分かり易いモノで、三枝さんもその事に一枚かんでるんだろうというのはベタと言ってしまえばそれまでかもしれないが……そこの落し所(真相)を二章以降どうつけていくかという期待感も抱かせるモノ。

朝倉さんが牧野に宛てた手紙の文末で、『娘(瑠依)を頼む』って所が……もう、涙腺がヤバい具合に……
 

 東京編では、アニメ版ではライバルグループという立ち位置から描写が少なかったトリエル&リズノワに焦点が当たった描写が多くあったのは、続編ならではという感じだった。


(……まだ少ない気もしてるし、リズノワが割食った感は否めない)


終盤は、サニピ&月スト寄りの展開になっていくのは当然な流れではあるのだけれども、そこまでにトリエルとリズノワがちゃんと物語を引っ張ってくれたのは好感を抱ける部分かなと思っている。瑠依及びトリエルを推されている人達にとって、彼女達が段々と落されていく展開は、気が気じゃない波乱万丈な展開だったかなと。

莉央は星見プロのアイドルの中で最年長者になったわけだが、東京編での彼女は良き姉貴分&先輩としての立ち振る舞いが印象深かった。アイドルとしてどうあるべきかを悩むさくらを優しく導く様な振る舞いや、スリクスに負けた月ストにあえて厳しい言葉を浴びせて立ち向かう気概を呼び起こさせたり。まあ、こころに当たりがキツいのはこころの言動のせいでもあるがwwww

特に、この二グループが直接対決する展開は本当に胸熱な展開。開戦の前に淡々と言葉を交わして健闘と誓う瑠依と莉央の描写が二人の気高さを象徴していてとにかく良かった。(語彙力……)


 そして、東京編において、強大なボスグループとして立ちはだかるBIG4の一角『ⅢX』(スリーエックス)の登場。彼女達は、星見編でボスグループとしての役割を担ったトリエルとリズノワとはまた違ったテイストを持つグループだったのではないかと。

基本的スタンスは、圧倒的な実力で真正面から徹底的に捻じ伏せるというボスグループらしさもありつつ、裏で清々しいまでの悪役ムーブを魅せる姫野さんの数多の奸計を知りながらも見逃しつつ、美味しい所はきっちり貰おうという狡猾な強かさというクセの強いヒール(悪役)としての面もあった。

ただ、星見編においてのトリエル&リズノワと同様に、圧倒的な凄さを魅せ付ける場面(ライブシーン)が無くて、それが伝わらなかったのが勿体ないし、Kanaの言動で小物臭を感じてしまった部分も勿体ない部分ではある。(敵役としてはいいキャラクターだから余計に勿体ない)更に言ってしまうと、センターなのにfranの影が薄すぎた(っうか、ほぼ空気になっておる……)

キャラクターの設定には、ある理由から極端にお金に執着している。とあったので、それ相応の闇抱えてんのかと期待したんだが……完全にスルーされてしまったので、彼女にも勿体ないインプレッションを抱いてしまった。


(mihoについてのインプレッションは個別で語りたいので後述する)


 で、サニーピース&月のテンペストは……まず、月ストがスリクスにちゃんと負けた描写にしたのは好感が持てた。一方でサニピがスリクスに勝ってしまった(あえてこう書く)のは、自分の中ではちょいと納得出来なかった。

前述でも触れたが、スリクスが何か物足りなく感じてしまった要因と考えているのは、サニピに負けてしまったという事。曲りなりにも、やっぱりBIG4という作中のアイドルのトップカテゴリーにいるのだから、そこは負ける展開にしてしまうのは何か違うなと。でも、ジャイアントキリングを盛り込むというのも面白い要素ではあるので結局の所は個人の好みによる評価に委ねられるとは思う。


 でも、スリクスとの決戦でサニピの描写は見事だったと素直に感じられた。


 言ってしまえば、アイドル物の作品では結構ベタな展開だと思うんです。
何らかの原因で音響トラブルが起こってその逆境をアイドルはどうやって乗り越えるのか?って描写は。(作中では、姫野さんがスタップ買収してサニピのアクトに音出さないよう指示した)

音が流れない、マイクに声が乗せられないのならと……さくらは生の声で歌い出す。それに雫が続いて歌い出し、怜、遙子、千紗も続いて…更には多くの観客に歌を届けるべくステージを降りて観客席へ舞い降りる。しかも歌う楽曲が『SUNNY PEACE HARMONY』ってのがまた良くて、曲のクライマックスでメロディとマイクが復旧するのも胸熱。

ただ、自分はへそ曲がりなおっさんなので……ここまでの描写しておいて落す展開を期待し、『勝負に勝って試合に負けた』的な落し所だったら何の文句も抱かなかった。スリクスが勝っても、姫野さんの野望は叶うが、結局は何やかんやあって数多の奸計が暴露されて全部無かった事になる的な……あるいは、サニピのアクトを観て刺激されたスリクスが限界突破して、BIG4としての格と底力を魅せ付け普通に勝ったという展開でも良かった。


 で……最後。三枝さんが姫野さんの不正を暴く為に協力していた人物と電話で話している場面。東京編はこのシーンで幕引きになる。

その人物の正体は、敵となった際にはという三枝さんの言葉から察すると芸能関係者だろうというのが有力か。他のBIG4の事務所か?三枝さんのバンプロ時代の知り合いとか?もしかすると、現役のアイドル(BIG4の一角)という可能性もあり得なくはない。あとは、ものすごい資産家かもしれない……と、続編への妄想は捗るばかりである。


 まあ、文句はいろいろ言ってるけども……好感出来る部分と納得出来る落し所の方が勝っていたので、この東京編も楽しめる作品だったというのが総合的な所感。

 

 

 

 

 

 影で蠢く奸計~アイドルのPRIDEを踏み躙った者


 東京編で、違った意味で輝いていたのが姫野霧子の存在。
この人物は、アニメ版から登場はしていたがそこまで存在感のあった人物ではなかった。

前述でちょいちょい触れているが、彼女が本格的に物語に絡んで来るのが朝倉さんが逮捕された後の二章から。行方をくらましてたと思いきや、スリクスが所属するプレタポルテにしれっと転職(移籍)を果たしていた。ここから彼女は(悪い方向に)輝きを放った。

姫野さんは野心家でドライな面があると公式の設定にはある。ゲームに収録されているLizNoirのサイドストーリーでは、麻奈がデビューした当時麻奈を貶めようとスキャンダルをマスコミに流そうと朝倉さんに提案した場面があり、その事から彼女は目的を果たして利を得る為には手段を選ばない所がうかがえる。朝倉さんはアイドルに対して並ならぬ情熱がある人だが、姫野さんにとってアイドルはビジネスで利益を出す為の商品…もしくは駒の一部でしかないのだろう。

それは、自分の意のままにならなかったトリエルを、無実の罪を被せただけじゃなく斬り捨てた(契約解除)冷酷さから伺える。

アイドルへの向き合い方において好意的に捉えられるのは朝倉さんの方だが、姫野さんの一部の捉え方も間違っているとは言えない。コレに関してはここで語るべきモノではないと思うのでこれ以上の言及はしませんが……

そんなワケで、二章の姫野さんは完全な悪役として数多の奸計(っうか、その手の法を犯すフルコンボかましてるが……)を張り巡らしていく。トリエルを切り捨てた件で姫野さんにさくらがキレたり、八百長を持ちかけられた優が満面の笑みを浮かべつつもキレていたり。普段温厚で朗らかなさくらや優をキレさせたという点では姫野さんは立派な悪党だと思える。


 朝倉さんは姫野さんに対して、プロデューサーとしての有能さは認めてはいたけど、完全に信用してなくていつかは自分にとって有害な存在になり得るだろうと警戒していた様に思う。それが、トリエル&リズノワの解雇に繋がって彼女の奸計に巻き込まれるのを防ぎたかった。姫野さんの方も朝倉さんを邪魔に思っていた節があって叛意を肚に秘めていた。
 
作中で言及されてないから分からないが、おそらく本編の数年前から姫野さんは策を練り、根回しを入念にしながらコネクションを築き、決起の刻を待っていたのだろう。


 アイドル業界を統括する組織の設立とファンの為に祭典を開催する。表向きは、アイドル業界の為という旗印を掲げながら……その実は全部彼女に利益が集中する仕掛けだ。何しろBIG4に属する『ⅢX』が切り札にあるのがデカい。勿論、行方をくらましてる三枝さんにも注意は怠らなかった。

盤石の体制を敷き、後は普通にスリクスが勝って締め括る所まで来た。ただ、最後の最後で阻んだ相手が悪すぎたんだ。枠に嵌らないバケモノ=川咲さくらのPRIDEを見誤り、敵に回して闘う事になったのが姫野さんのやらかしてしまった最大の敗因だったと思える。姫野さんが最もすべきだったのは、トリエルを抱き込むのでなく、さくらとサニピをプレタポルテに抱き込み闘わない事だったのかもしれない。

 


 つまるところ、アイドルを駒の一つとしてしか見えて無く、アイドルそのものを侮り過ぎたのだ。アイドルのPRIDEを踏み躙った彼女には相応しい敗北だったのではないだろうか。

 

 

 

 

 

 死人の魂と記憶を殺そうとする者


 物騒極まりない見出しだが……コレに該当する人物が東京編で登場する。
その人物は、『ⅢX』のmiho(本名武田美穂子さん)

第13回NEXT VENUSグランプリの覇者で、BIG4に手が届く寸前で突如解散した人気二人組アイドルのメンバーだった過去を持つ。メンバーのブレーン的存在で基本的に温厚だが執念深い一面も。


彼女の執念というのは、長瀬麻奈の幻影への執着。


 麻奈の幻影を追う者の存在というのも、『IDOLY PRIDE』のテーマとなる要素。
だが、mihoの執念は尋常じゃない負の要素で塗り固められている。彼女曰く、麻奈が伝説の域まで昇華出来た要因は不慮の事故死という悲劇によると。

そして……麻奈が伝説として祀り上げられている事を良しとしていない。それは、死んだ者と真っ当に闘う事が出来ない事と、正当に評価されない事がどうしても許せないと肚の内を曝す。


 まあ、mihoが憤っているのは理解出来る。いない者、特に亡くなってしまった人と比較されるのはたまったもんじゃない。更にmihoがキレてるのは、自分はNEXT VENUSグランプリの覇者で今はBIG4であるのに、麻奈は覇者でも何でもなく決勝に進出しただけの実績の無いアイドル。でも、麻奈の方が自分より上だと世間が認識している事だろう。


 そんな彼女はガンダムファイトI-UNITYを優勝して、その優勝特典である統括組織の理事にプレタポルテの人間(姫野さん)を就かせ、業界の発言権を絶大なモノにして、長瀬麻奈の持ち曲の権利を剥奪して、麻奈が存在していた証と人々から麻奈が存在した過去の記憶までを消し去る=麻奈の抹殺という野望を抱く。

彼女の肚に抱えてる暗部は、これまでに登場しているアイドル達とはマイナスのベクトルで一線を画すヤバさがある。額面通り捉えてみると、mihoの殺意まで抱く憎悪は私怨の域を出ないモノだとは思う。ただ…私怨と同じく、世間やファンも彼女と同様、未だに麻奈の幻影に捉えられている事に怒りの感情も湧いているのだろう。

まあ、実際問題数多の人の記憶から完全に消し去るのは無理だと思う所だが…そこまで踏み込んで突っ込むのは野暮ってモノではある。


 利用し利用される関係性でもあるが、mihoと姫野さんは仲良しこよしではない危うい繋がり。
姫野さんの奸計を知りつつスルーしているけども、ライブバトルは正面からちゃんと闘っている。まあ、知りつつも止めずにスルーしてる時点で同罪ちゃ同罪なんだが……

でも、こういう部分で、同じく麻奈の幻影を追う者だった莉央の立ち位置とはまた違った執念(闇)を抱くmihoはキャラとして面白いなと思うのです。

 

 

 

 

 

 “答え”を導き出せた者と導き出せなかった者との『差』

 

 この作品のテーマだと思われる言葉『WHAT IS “IDOL”?』
意訳するとアイドルとは?という意味。更に言い換えればアイドルとしての在り方とは?的な感じだろうか。自分はそういう解釈で捉えている。

ストーリー終盤において、スリクスに勝つ為にはアイドルとしての在り方を確固たるモノにしなければならないと月ストやサニピの面々はいろいろ模索していく。スリクスに勝てば、姫野さんの企んでいる野望は何の意味もなくなる。アイドルはステージの上で決着を付ける事は、琴乃やさくら達も共通で思っていたはず。

でも、それだけじゃBIG4の壁を超えるのは不可能だと痛感させられ、結果として、それ(アイドルの在り方)をきちんと見つけられなかった琴乃達はスリクスに負けてしまう。


 さくら達の方は、いろいろと話を聞いて回って熟考して悩んだ末に導き出せた。ざっくり書くとサニピとファンの想いの相互循環。それがサニピが目指すべきアイドルの在り方だと。

サニピは決勝の為に、新曲『SUNNY PEACE for You and Me!』を引っ提げて最終決戦に臨む。音源が一切無かったのでどういう楽曲なのかは本編では分からんが、テーマに掲げているのは導き出せた答えである五人とファンの想いと魂の相互循環の尊さを謳う楽曲だと思う。こういう展開もまた胸熱なモノだ。(WUGのPolarisを想起したのは内緒……)

 

だからこそ、スリクスとの決戦でトラブルに見舞われてもサニピの五人はPRIDEを貫いて動けた。おそらく、月ストだったらサニピの様に動く事は出来なかったかもしれない。(答えを導き出せないという前提の話ではあるが……)そこまでに至れたのはさくらが持つ輝きの強さの質なのだと。

 

さくらの強さを目の当たりにして琴乃が諦観しちゃった感が見受けられたのは、さくらとの『差』を痛感させられた……その差は紙一重しれないが途轍もない差の様にも思える。琴乃のメンタルが深淵まで落ちてしまうのではとも思ってしまったが……追いついてみせると決意を誓って新たに立ち上がれたのは胸を撫で下ろせた感があった。



 この結末で、さくらはより高い次元へと昇った。今後の展開は、このまま彼女を負け知らずのスペシャル・ワンへと昇華させるのか?そして、さくらを追う琴乃・瑠依・莉央の構図にはなるのでしょう。

さくらを負かすのであれば、琴乃達か他のBIG4できっちりと負かしてもらいたいと思っている。麻奈の様な予期せぬアクシデントなモノによる横やりは要らない。その辺はマジでお願いします。


 一応、誤解の無い様に言っておくけど、さくらに対して当たりがキツいニュアンスになっているが、彼女が嫌いとかそういう単純な理由ではない。ご都合主義的なモノじゃなく、ちゃんと彼女も壁にぶち当たって、悩んで考えたからこそ限界の向こう側の領域に踏み出せたのだから。

 

 

 

 

 

 翳る月……負けてからが本当の勝負


 前述でも触れたが、さくらは答えを見つけて限界の向こう側の領域へと踏み出せた。
一方の琴乃は、答えを導き出せずスリクスに敗北する結果になり、なおかつ、さくらとの間には何か超えられない境界の様なモノ=限界を感じてしまった。


 星見編から琴乃の物語を振り返ってみると、彼女は常に誰かと比較されている。ただし、それは琴乃にだけに限った話じゃないが、彼女の場合はよりクローズアップされている様に感じられる。伝説の域まで昇華した実の姉である麻奈、そして、川咲さくらと。

横に並べる所までは辿り着けた。だが、彼女達より前に踏み出せる域まで行けない。それが『遠いなあ……』という彼女の台詞に凝縮されていた様に思えたのです。遠かったのは勝てなかったスリクス、麻奈、さくらと琴乃との距離の『差』でもあった……言い換えると、前に出れないという事実は琴乃が負けた意味にもなる。

僅かに届かなかった一歩の差。その差が答えを導き出せるか否かになってしまったのか。その差はこれから詰められるモノなのか?詰められるモノではないのかもしれない……琴乃はそれも踏まえて『遠いなあ…』というどこか諦観した言葉が出てしまったのだろう。


 でも、琴乃は止まってはいなかった。敗者のままで終わるつもりなんて無いと。
そして、救い…と言うと大袈裟になってしまうが、最終話のI-UNITY表彰式を控えた所でさくらが麻奈の事を思い返して沈んだ表情をしている琴乃を(無理矢理に)笑顔にしようとするシーンがある。

所作の描写が無いので推測の域になるが、アニメ版の5話で芽衣が琴乃の頬をこね回すシーンがあって、それと同じ事をさくらはしたと考えるのが妥当か。

まあ、脳ミソに花咲いてる考察になるが、さくらが近くにいる事で琴乃は落ちる所まで落ちて道を外すまでは至らないと思う。今回は、さくらの輝きで琴乃は翳った格好になったが、彼女がちゃんと才を咲かせて輝く意味を知る物語がきっと来る。

 


 その描写が最後にあった事で、何か琴乃は救われた……そう思えてならないのだ。

 

 

 



 

ガールズフィスト!!!!GT 公開練習潜入(参戦)レポ

 今年の1月、動画配信された活動再開記念番組内にて、定期イベントとなっていた公開練習復活準備の報。自分が『ガールズフィスト!!!!』を知って惹かれた頃、このイベントは休止状態になっていた。そして、あれから刻が経ち何やかんやあって……諸々課せられた制限が緩和された頃、公開練習復活が報じられた。


参戦を決意したのは本当に単純な理由と欲求のみ。直に彼女達が演奏して歌う姿を観たいからだ。


 と、いう事で5月27日。AKIHABARAゲーマーズ本店にて開催された
『ガールズフィスト!!!!GT 南松本高校パンクロック同好会』公開練習に潜入(参戦)して来た。

 


ちなみに、このイベントは撮影可能。なおかつその写真をネットの海に放り投げる(アップ)する事も可能なイベントになっている。その自由さがこの公開練習の醍醐味になっていると思われる。

ここから潜入(参戦)レポを書き殴っていくワケだが……この記事では、現地の模様を撮った写真は一切出ません。と、言うのは……恥ずかしい話、著者の撮影技術がクソ程に壊滅的なので……一応撮ったのだが公の場で出せる様なモノではない。

 

その代わりと言っちゃアレだが、現場で感じた熱みたいなモノを文章で出来るだけ伝えられれば良いなという次第でございます。

 

 

 

 参戦する前、この公開練習に対して抱いていたインプレッションは……
練習と銘打っているけど、実質ミニライブ&トークショーの体を成しているイベントなんだろうな~という認識。一応言っとくが、このインプレッションはディスっているワケではない。

実際、先月に開催された公開練習においては結構な曲数を歌ったというのを巷の噂(TwitterのTL)で見聞したので、そういったインプレッションを抱くのは自然な事だとは思う。まあ、んな感じでこのイベント参戦に臨んだワケである。


 そんなこんなで、公開練習の幕が切って上がった。(このイベントスペースに幕なんてモノは無いが……)


 開演して、南松本高校パンクロック同好会のキャラクター達による朗読が流れる。
この作品、バンドの成長過程を描く作品だがコメディの要素も多分に含まれているからか、その朗読の内容も、ちょいとゆるくグダグダさのあるモノになっている。

その朗読が終わると中の人達である、奈川芳野役・浅見春那さん、白瀬双葉役・内山つかささん、坂ノ下奏恵役・奥村真由さん、藤森 月役・井上杏奈さんがステージに登場。


 まず、披露された最初の楽曲は『自分自信 2022ver.』


コレは、先日参戦した別のライブ(青山吉能さんのBirthday Live)でも思ったのだけれど……やっぱり直に感じるバンドサウンドってのはいいモノだなと。

自分には、彼女達の演奏の良し悪しを論ずる技術と知識は無いけれども……配信LIVE観てて感じた、心底楽しんで演奏や歌唱している姿は本当にいいモノなんだと思わされたんだ。

この日、特に響いたというか強烈な印象を受けたのが、ドラムを担当されている内山つかささんによるドラムプレイだった。上手く文章で表現出来ないが……まあ、何と言うか、アグレッシブかつ攻撃的な滾る熱量のあるドラムサウンドの波でぶん殴られている様に感じた。

内山さんが叩く音に呼応していくかの様に、奥村さんのギターと井上さんのベースの弦から奏でられる音、浅見さんのボーカル&サイドギターの音が段階を上がってより熱く楽しく響かせてくる。なによりも、四人が本当に楽しんでいるのが凄く伝わって来るのがまたいいモノなのだと。

ドラムというパートは、そのバンドの屋台骨、あるいはエンジンと称されると言われるらしい。
で、そこを担当されている内山さんも四人の関係性から伺えるのは、浅見さん、奥村さん、井上さんを支えて繋げる『鎹』(かすがい)の様な立ち位置だと思っていたし、そのインプレッションをが間違いないモノだという確信へと進化出来たのは個人的には嬉しい事でもある。

自分がこんなこと言っても説得力の欠片も無いが……ドラムにきっちりとした存在感のある内山さんがいるというのは『ガールズフィスト!!!!』にとっては充分なアドバンテージがあると思えてならない。


 で、その流れで披露されたのが……『Full of Lies』


 『ガールズフィスト!!!!』の楽曲は、まだ数は少ないけれども魅力的な楽曲に溢れている。その中で自分が一番好きな楽曲が『Full of Lies』だったりする。そんな楽曲が初めて来た現場で聴けたというのは本当に嬉しいモノである。

 

 この楽曲について語った怪文書はこちら

 

akatonbo02.hatenablog.jp


 
開演前の客入れBGMでこの楽曲のインスト版が流れた。イベントで聴けたらなと……この時はただただ漠然とした想いで開演の刻を待ち侘びたが、実際に聴けたのは前述の通り、嬉しい感情に溢れたのだ。


 で、ここから、公開練習の本領というか『練習』が始まったのである。


 注:ここからの流れの記憶に関してはもう曖昧なモノなので違っている可能性あり……


 一通りに披露した後、サウンドプロデューサーであるMr EDDIE氏が、様々なシチュエーションを四人に課す。全部ではなく限定したパートのみでのセッションだったり、ハモリの部分や、決められた立ち位置だけで演奏するだけでなく、いろいろ動いて観客の目を動かす事を意識させたり、観客にクラップを入れさせた時楽曲の印象はどうなるか?とか……その模様は、まごう事無き『練習』している以外の何物でもない。もしかすると、一月後に控えたワンマンライブに向け練習パートを多く設けようとする意図があったのかなと。

それと、楽曲が育っていく過程はこういう事を踏まえているんだなというのも知れた事も、公開練習に参戦して得られた面白いインプレッションでもあった。

 


で、EDDIE氏が練習中、彼女達にかけた言葉で印象深い言葉があった。

 

 

 

 形式や、ある程度の決まっているモノは前提としてあるけれども

 

 パンクロックの表現は自由そのもの。とにかく楽しむのが大事。

 

 

 

 メモ取ってないので確実なモノではないが……こういったニュアンスを含んだ言葉をかけられていた。普段の練習ではどういった言葉をかけてるかは分からないが……勿論、厳しい言葉もかけているとは思うし課題も与えているのだろう。でも、彼女達とEDDIE氏の間にはきっちりとした信頼関係が築けている様に双方のやり取りを観ていて感じられた。

それは、彼女達が心底音楽を楽しみ、パフォーマンスにちゃんと出ている事が何よりの証明。おそらく、このバンドのLIVEは最前であっても最後方であってもすっげぇ楽しめるLIVEが観られるんだろうなという漠然としたモノを感じた。

 


 練習の締め括りとして披露されたのが、先日リリースされた新曲『さよなら MY LONELINESS』

 

www.youtube.com

 


ただ…フル尺ではなくショートバージョンでの披露。EDDIE氏曰く、フル披露はワンマンライブまでのお楽しみという事。この楽曲もいい曲だしLIVEで聴きたい楽曲でもあるから、彼の言い分に対しては膝叩いて首がもげる程に頷いたのだ。


 そんなこんなで、公開練習は幕を閉じた(しつこいがこの会場に幕なんてモノは無い) 
参戦してまず込み上げて来たのが『楽しかった』という感情だった。

配信番組とかで見せている、どこかゆるゆるでフリーダムな和気藹々な空気感はそのままに、それとは一変して、荒削りではあるが演奏している時の格好良さや楽しんでパフォーマンスされてる姿と、叩き上げの熱い魂を感じるギャップ。

一月後に有観客LIVEが控えているが、ここからの刻でどれだけ仕上げたモノを魅せてもらえるのかが本当に楽しみしかないなと期待をしてしまうのだ。



 

 

 知って日がまだ浅い自分が『ガールズフィスト!!!!』のこれまでを勝手に語るのは正直おこがましい所ではあるのだけれども……彼女達の軌跡ってのは波乱万丈だった様に思えるのです。

ボーカルの脱退(療養の為)や、メンバーの体調不良によるライブ中止、昨年にはベースでもあり精神的な支柱的な古川さんがコンテンツから卒業。更には、コロナ過という災禍にも見舞われ思う様に動けなかった。徹底的に打ちのめされたと称してもいい。


でも……悪い事ばかりじゃなかった。年明け早々に二代目のベース・井上さんが加入して、公開練習の復活や待望の新曲リリースに有観客によるワンマンライブの開催も決まった。拳を上げて反撃する機が訪れたと言ってもいい。


 まだ、そのLIVEのチケット関連情報は明らかにされていないのが気になってしまうが……このバンドのLIVEは本当に観たいと、この公開練習でより強く感じられた。

 


 参戦が叶ったら、会場で思いっきり拳を振り上げて魂が爆ぜる感動を味わいたい。

 

 

 

 

 

新たな『Page』に綴った歌姫の温かさ~青山吉能 Birthday Live『鉄は熱いうちに打て』参戦レポ

 5月15日。横浜ランドマークホールにて開催された
青山吉能さんのBirthday Live『鉄は熱いうちに打て』に参戦して来た。

 

 

 自分は、青山さんが歌う姿を直に観るのは、三年前の『Wake Up, Girls!』FINAL LIVE以来だったりする。

ソロデビュー楽曲がリリースされ、このBirthday Live開催の報を知った自分は、チケット応募が解禁されると一切の迷い無く速攻で昼夜共に応募した。参戦理由を述べるのなら本当に単純な一点のみだ。


青山吉能の、偽り無い本能による…血の流れる魂の絶唱を浴びたいからだと。

 

 

 そのLiveの結論から言ってしまうが……

 

 『今』の刻をちゃんと闘っている青山吉能の『強さ』を感じられた。


でも、それ以上に、青山吉能の誠実さと優しさがもたらす温かみに溢れたLiveだった。

 

 

 激熱でエモーショナルなLiveだったってのは疑いようの無い事実としてある。だが、それで一括りには出来ない感情も一緒に湧き上がってしまったのだ。ハッキリ言ってこういう何か形容し難い感情は初めての経験だ。だから、参戦レポを書こうとしている今の刻で頭抱えて畳を転げ回っておる次第……

正直な所、どういう切り口で書きゃいいか取っ掛かりがつかめないし、落し所も全く見えやしない。そんなLiveの事を、出涸らしになりつつある記憶を脳ミソから絞り出して、出来得る限り言語化してみようと筆を執っていく事にする。『鉄は熱いうちに打て』の諺通り、感動も同様で、その熱が冷めないうちに書き綴るのが良いはずだから。

 

 

 

 

 変わらないモノと紡いだ縁というPage

 

 自分は青山吉能について、当たり前だが多くを知っているなんて、とてもじゃないが言うつもりもないし、そもそも言えない。彼女がいろんな番組とかで見せているパーソナリティを見聞したりして、それをごく狭いインプレッションとして認知しているだけに過ぎない。故に、ここから書き殴っていく事は自分が抱く勝手な青山吉能のパーソナリティである。


 トークパートでの彼女は、本当に昔から変わらない0か100%の二択しかない。
よく笑うし、わちゃわちゃと落ち着きが無かったり、ネガティブに沈むときはとことん沈んだりと……まあ、分かっちゃいたがこの人は本当に面倒くさい人だなとwww


 けど、いつでも全力全開の直球勝負と、偽らずに弱みを曝け出せて強みに出来るというのが青山さんのいい所でもあるし、そういう部分に惹かれる人は多いのかなとも思える。それはファンだけじゃなくて、彼女と一緒に仕事をされる人達も同様に感じてるのかなと。

昼の部で、トークパートの進行を務めた構成作家の浅野さん。バースディメッセージを動画で寄せた『プラオレ!〜PRIDE OF ORANGE〜』にて青山さんと共演されている本郷里美さん。声優デビューから長く、深い縁で繋がっている戦友・田中美海さん。更には、青山さんが憧憬を抱く早見沙織さんからもメッセージが寄せられる。どの方も、深愛の情を感じられる言の葉を青山さんに贈られたと感じられた。

そして、このLiveの演奏を彩ったバンドメンバーの方々。青山さんが紹介した際、おじさん達と呼ばれていたが、どの方も実力派のプレイヤー。Liveでの演奏は本当に楽しそうに演奏されていたのが強く印象に残っている。


 前述でも触れたけど彼女って根本的に不器用で面倒くさい人。でも、それ以上にクソがつく程生真面目な人だし、凄く他人に気の遣える真摯な人でもあると思う。この部分は何一つ変わっちゃいなかった。だからこそ彼女は信用されているし多くの人達から愛されているんだろうなと。

で、会場内の至る所に貼られていた様々な案内板は手書きによるモノで、それを書いたのは青山さん自身によるモノだという。そこにも、彼女の気配りと心遣いを表れた温かなモノだ。(写真撮るの忘れたが……)

ただ単純に書いたのではなく、イラスト添えたりデコレーションが施されたり、披露する楽曲のヒントが隠されていたり(鈍感かつその楽曲知らん自分は全く気付かなかったがwwww)手作り感もあり遊び心も忘れていない。

それと……客入れBGMで流されていた楽曲は、青山さんが生まれた1996年にリリースされたヒットソング。途中で何か気付いて勝手にノスタルジックな衝動に打ち震えてみたり……

ただ決まった刻の中ホールで歌って踊るのがLiveではないと。開演前や終演後の刻までひっくるめて、会場全体という領域全てがLiveでありその細部にまでTeamよぴぴは拘り抜いたのだ。だから、このLiveは配信という選択をとらなかったのだと思えてならない。


 
 自分も楽しんで、なおかつ来てくれた人達も楽しんでもらいたいと青山さんは言った。
彼女の誕生日を祝いに馳せ参じたが、青山さんの誠実さと深愛の情に心打たれたのである……

 

 

 

 ボーカリスト青山吉能の真骨頂と進化

 

 青山さんがこのBirthday Liveにおけるセットリストの要としたのが、これまでに彼女が巡り逢った楽曲。デビュー楽曲は当然の事、聴いて多大なインプレッションを抱いた楽曲と演じて来たキャラクターの魂でもって歌うキャラクターソング。

口の悪い表現になってしまうが……このLiveはカラオケライブと揶揄されても仕方ないセトリになっていた。まあ、彼女の持ち歌自体が少ないってのもある。でも、青山吉能の表現のチカラがそうさせなかったのだ。

ただ単純に音をなぞって歌うのではなく、様々なテーマを設けて楽曲の持つ物語を繋いで引き出し、新しい楽曲の表情を魅せた。言わずもがな、このLiveの主役である青山さんの多様な歌声も見事なモノで、彼女がきちんと謳えて血を流さないと楽曲は死ぬ。

直向きで真っ直ぐ。顔で歌い、爆ぜる感情を余すところ無く歌声に乗せていくのが青山さんの謳。でも、あの場で感じられたのが、いい意味で力を流していた部分ではないか思っている。出し続けるのでなく瞬間の一点のみ100%の力を出すみたいな。

0or100の極端な二択のみで突っ走るハイスパートではなく、抑揚が付く事による深みの様なモノが彼女の歌声の質に進化したのだろう。時に沁み入る様に聴かせ、ある部分では一気に感情を爆ぜさせる絶唱だったり。落差をつける事によって観客の感情も揺さぶられていく。


 このLiveで歌われた楽曲は、ほとんど自分の知らない楽曲ばかりだった。でも、どの楽曲も何かに惹き込まれる様に聴き惚れさせられたのだ。自分だけかもしれないが……カバー楽曲を歌われた際、全く知らん楽曲を歌われると一気に醒めてしまう場合がある。

けど、このLiveではどの楽曲も醒めるという事が起きなかった。それは、青山吉能が歌によって創造した領域に魂がいい意味で囚われたからだと思っている。圧倒的な説得力で徹底的に打ちのめされたと言っても過言では無かった……


 彼女の謳を直に聴くのは三年振り。自分には歌の良し悪しを測れる物差しなんてないけれども……この年月で青山さんが逃げずに真っ向から日々を闘って得られたいろんな要素が、彼女の表現力の限界領域を超えて上の段階に昇華していったからと勝手に思い込んでただ唸っていた。

 

 

 

 

 境界を越えて繋がる縁と魂

 

 ここで言う境界というのは、表現者(声優)である青山さんと彼女がこれまで巡り逢って来たキャラクターとの関係性を指す。このLiveでは、青山さんが演じられて来たキャラクターと出演作品の楽曲も歌った。

様々な楽曲があったが、やっぱり自分の中では、彼女にとってデビュー作となった『Wake Up, Girls!』の七瀬佳乃のキャラクターソングが特にぶっ刺さったのだ。更に言えば、七瀬佳乃も5月15日が誕生日。青山さんにとって欠く事の出来ない血の繋がりよりも濃くて深い縁で結ばれた魂の片割れと称して良い存在なのかもしれない。


 『Dice of Life!』と『青い月のシャングリラ』が聴けるとはまさか思ってなかったから、メロディが流れた時は本当にもう感情が迷子になって散々迷った挙句爆ぜた。そうなってしまうのは、青山吉能の傍らに七瀬佳乃の想いと魂があの刻とステージで共演を果たせたからだろう。

そして…七瀬佳乃のアイコンと称される楽曲『ステラ・ドライブ』で響かせる清廉で伸びやかな絶唱がまた聴けたというのが本当に嬉しかったし、彼女の絶唱の余韻の心地良さににしばらく浸っていた。


 

 

 

 青山吉能にしか謳えない、青山吉能だけの謳

 

 Birthday Liveにおいて、自分が最も直に聴きたかった楽曲は『解放区』と『わたしの樹』


必ず歌うであろうという根拠のない確信を抱き、参戦を迷わず決意して動いた最大の要因は、この二曲を直に聴きたいという想いだったから。そして、それが叶った。


 Birthday Liveという一つの区切りとなる機会で謳われた『わたしの樹』
この楽曲は、青山さん自身を『樹』になぞえらえて詞が綴られ楽曲の世界観が構築されている。

音源のみで聴いた頃から、この楽曲がとんでもなく重い楽曲だってのは痛感させられていたが……やっぱりLiveで直に彼女の絶唱を浴びせられると、そのとんでもなさは飛躍的に上昇していた。聴いた瞬間、身の毛のよだつ様な寒々しい感覚に陥った。会場の空調を効かせ過ぎていたんじゃない。自分の全身や五感で彼女の絶唱を浴びたからなんだって。


 青山さんの絶唱に固唾を飲んで沁み入る様に聴き惚れるしか出来なくなっていた。実際に『わたしの樹』聴いたらスゲェんだろうなって漠然と思っておったらコレですよ……『顔』で謳えるのが、青山吉能の真骨頂であると改めて思い知らされた。何のケチの付けようもない完敗だ。


 『解放区』は昼夜共に披露されたんですが、圧巻だったのはアンコールで披露した方。
もう完全にリミッターを外し、タイトル通りにあらゆる感情を爆ぜさせて響かせた奔放かつ暴力的な絶唱が本当に凄まじかった。音の波が打撃となって身体を打って来るみたいな。

本当のラストに『アンセム』である『解放区』をチョイスしたのは、この楽曲が自分から自分へと向けた応援歌であり、彼女から受け取り側への応援歌という面もあるからだろう。そして、今の情勢(コロナ過)に抗う為の応援歌でもあったのだと。それを踏まえて詞を読み進めていくと、重なり合う部分が多く、一節一節がグサグサと突き刺さって、偽りの無い本気の想いと魂が、我々の魂に火を点けて燃え滾らせる。


 (もしかしたら記憶違いかもしれないが……)歌っている時、彼女が人差し指を天に掲げる所作があった。あの瞬間、青山さんには限界の向こう側の領域が見えて指差したのかもしれない。


 そして……忘れてならないのは、デビュー楽曲『Page』


 言わずもがな、音源のみで聴いても存分に強い楽曲だと唸らされた。
故に、Liveで直に聴いたらその強さは増幅されるだろうと確信を抱いてこのLiveへ臨んだワケである。


だが、そんな予想を彼女は軽々と超えた絶唱を響かせる。


青山さん自身が詞を綴ったこの楽曲。夜明けを想起させる様な、爽快かつ晴れやかな曲調にポジティブさやネガティブな感情を包み隠す事無く在りのままの生き様を謳う。極めて、青山吉能らしいメッセージが存分に詰め込まれている。

自分の鈍感さに辟易してしまうが……『Page』という楽曲は、『わたしの樹』と『解放区』に連なる系譜の楽曲だったと気付かされたのだ。

三つの楽曲に共通しているのは、ポジティブな感情もネガティブな感情も一切ぼかす事のない世界観で作られている事。そして、最終的には扉を叩いて開き、未知の領域へと踏みだす覚悟を謳う。

彼女がこれまで駆けて来た軌跡は順風満帆じゃなかった。荒れ放題の獣道をかき分けて、時には回り道しながら止まらず進んで来た。そう、動かなければ何も変わらないという事を、青山さんは痛感して闘い続け『負けない』『諦めない』と謳う。無限に広がる未来の可能性を信じているから。


 
 真っ白なPage 今日を忘れず進め 

 未完成のままでいい 愛おしい日々を行け(往け)


 ―青山吉能 『Page』より引用

 

 ラストフレーズであるここの節を聴いた時、魂が戦いで身体の内から熱が滾って来るのが分かった。いままさに、青山吉能から『何か』を貰っている事を実感させられたんだ。

その『何か』の明確な正体は分からないし、受け取った人それぞれに違ったモノなのだろう。
『力』かもしれないし、『勇気』だったり『希望』かもしれない。はたまた『未来』かもしれない。

繰り返しになるが、本当に『何か』は分からない。だが、とんでもなく大きな『何か』だったのは確かなモノだった。


 何かと俯き諦めそうになってしまう今の時勢。あの刻での『Page』は強く響き、新たな強さを得る。
『わたしの樹』と『解放区』との結びつきによってそれが実現した。Liveのセットリストは系譜の繋がりが肝要なのだと思い知らされる。

前述で触れたが、青山さんの軌跡は順風満帆じゃなく多くの困難や高い壁があったのは想像に難くない。それでも、彼女は前だけを見据えて止まらずに駆けていた。躓いて倒れそうになっても前のめりで。

でも、全員が全員ポジティブに切り替えられて前に向けるとは限らない。まあそう謳ってるけど……ねぇ。てな具合に斜に構える人もいる。ネガティブの極致にある人達をも、根こそぎ応援して手を本気で差し伸べる。ネガティブ側の階層まで青山さんはわざわざ降りて来て強引に手を繋いで引っ張る。


 青山吉能は誰も見捨てない。全員まとめて鼓舞する。真っ白な『Page』に彼女が綴る物語には我々の存在も一緒に在るのだと。

 

 

 

 

 終わりに。

 

 終演して、エモーショナルなインプレッションを成す為の語彙力が脳ミソから行方不明になるのは恒例行事ではあるのだが……このBirthday Liveにおいてはいつもと違う感覚に陥ってた。

歌を聴くLiveではあった。でも、人間・青山吉能の生き様を感じるLiveだったからだろうと、あの刻から時間が経って、今こうしてBlogに書き殴っているうちにそういうインプレッションとして湧き上がって来た。

彼女のトークスキルや、血の流れる魂の絶唱だけではこんな感情にはならない。そうなった要因はこの怪文書の冒頭にある通り、青山さんの誠実さと深愛の情によるモノだろう。そして、この生き様全部込めるのが青山吉能のLiveスタイル=表現のカタチなのかもしれない。

彼女からもらった『温かさ』。それを自分から他の人達へ…そう思ってこの参戦レポを書き殴らせてもらった。雑で拙い怪文書でありましたが、ここまで読んで下さった皆様、本当にありがとうございました。


 忘れられないLiveがまた増えました。そして未来の刻。どこか大きなステージのド真ん中で血の流れる青山吉能絶唱に魂を震わせ鳥肌が治まらない刻が来る事を願ってやまない。

 


 
 

 

アイプラ楽曲ライナーノーツ #1 Shine Purity〜輝きの純度〜

 どうも。あかとんぼ弐号です。


 唐突な思い付きではありますが…(このBlogでは通常運転www)『IDOLY PRIDE』に登場する楽曲の私的ライナーノーツシリーズを勝手に始めたいと思う。

要は、楽曲聴いた時の自分のインプレッションや所感、作中においての関わりとかを独断と偏見にて勝手気ままに書き殴っていくモノになる。ちなみに……コード進行云々などの専門的知識が著者に一切無いので、その辺りの解説や所感を期待しても無駄なので悪しからず。


 最近『IDOLY PRIDE』を知って惹かれた人、興味を抱いているが踏み込もうと様子を伺っている人の何かに刺されば嬉しい限りですし、自分より深く入り込まれている人の新しいインプレッションを感じられる一つの切っ掛けになれたらこれまた嬉しく思います。


と、いう事で……記念すべき第1回目はこの楽曲について書かせてもらいます。

 

 

 

 

 

 Shine Purity~輝きの純度~/星見プロダクション

 

 

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 作中におけるメインキャラクターである、星見プロダクション所属の10名のアイドルのメンバー、長瀬琴乃役の橘 美來、川咲さくら役の菅野真衣、一ノ瀬 怜役の結城萌子、伊吹 渚役の夏目ここな、佐伯遙子役の佐々木奈緒、白石沙季役の宮沢小春、白石千紗役の高尾奏音、成宮すず役の相川奏多、早坂芽衣役の日向もか、兵藤 雫役の首藤志奈がこの楽曲を歌う。 

YouTubeの公式チャンネルにアップされている、第一弾のプロモーションムービーのBGMとして流れていたり、同じく、公式チャンネルの動画内にて楽曲制作を手掛けたWicky.Recordingsの利根川貴之氏と坂和也氏による話と照らし合わせると、この楽曲は10人にとって原初の楽曲という認識で間違いないと思われる。

アニメ版では、まだ持ち曲の無い星見プロのアイドル達のレッスンにおける課題曲として登場しただけに留まった。そして、描写がないので推測の域だが……6話のデビューライブで、もしかすると10人で歌ったかもしれない。

 


 マイナー進行が醸し出すシリアスで切なく儚げな曲調が印象深い。しかしその内面に秘めている疾走感と力強い熱も同時に感じられる。明朗で可愛らしさを主とするアイドルアニメの王道的な楽曲とは真逆なスタンスの楽曲と言える。捉え様によっては単に『暗い』楽曲で片付けられるだろうが、この『暗さ』から来る生々しさに『IDOLY PRIDE』という作品で伝えたい本質がある様に思えて来る。

夢を叶えたい者、認められたい者、自らの直感を信じて踏み出した者、自分の殻を破りたい者、好きな気持ちが抑えきれない者、ラストチャンスだと腹を括った者……星見プロの10人だけではなく、作中に登場するアイドル達が懸ける叩き上げの魂を10人は謳に乗せて代弁している『闘いの謳』。


 歌う10人はそれぞれ持ち味が違うし、経験や個性も当然ながらバラバラ。でも、その雑多で不揃いな個の輝きがこの楽曲に血を流す。それは『Shine Purity~輝きの純度~』という楽曲が『アンセムへと昇華していく『要』となるモノ。垢抜けてない初々しい歌声ではあるが、聴けば聴くほどに奮い立たされ、こちらの血が滾る衝動に駆られていく楽曲。

それは、作品が提唱するテーマとされる『WHAT IS “IDOL”』(アイドルとは)の答えにも繋がっている様にも思えて、『IDOLY PRIDE』全体におけるテーマソングという捉え方も成り立つ。

 

 この楽曲を通らずして『IDOLY PRIDE』は語れないと言っても過言ではない。
この作品で描きたかったアイドルの姿がここにあって、切々と訴え掛けて来ている。

 

 

 

 

 

 

競演の名を借りた姉妹喧嘩。

 『競演』という言葉がある。

 


『競』は力量を比べ合う、他人に勝つ為に争うなどを意味しており、この場合の『演』は、演技や演奏を意味している。映画や演劇の芝居、あるいはコンサートなどでの楽器演奏や歌唱の技量、魅力といったものを競い合う事を示す。つまりは、『演技や演奏の優劣を競う事』という意味になる。


 現在配信されているアプリゲーム『IDOLY PRIDE』において、4/28から新イベント『心紡ぎ合う輝きの競演』が開催。このイベントは、本編(アニメの続編となる東京編)と時間軸を同じくしている、所謂期間限定のサイドシナリオ的な位置に当たるモノの一つ。


イベントのタイトルに『競演』とある様に、このシナリオの主人公は二人いる。


その人物は、白石沙季と白石千紗の二人。彼女達は今もそれぞれ別々のグループで活動しているが、いきなり開催が決まった二人組限定のライブバトル大会に、沙季と千紗は姉妹ユニットを組んで出場する運びに。シナリオでは、沙季と千紗の苦悩と葛藤や共に抱いている変わりたい想いと一歩踏み込む勇気。そして、試練を共に乗り越えた姉妹の絆で優勝を目指す……という展開。

特に、姉妹の絆というのは、自分が勝手に抱く『IDOLY PRIDE』における『要』の一つだと思う部分。
それをちゃんと見事な塩梅で描いていた所に感動させられたのである。本作のイベントシナリオはどれも傑作揃いのモノだけれど、このシナリオは本当に良くておっさんの涙腺が破壊されかけたのよ。

 

 で……『心紡ぎ合う輝きの競演』にて、いくつかおっさんの魂に感動という楔を撃ち込んだポイントについて語っていこうと思う。

 

 

 ここから先はイベントシナリオのネタバレが含まれております。ご注意下さい。

 

 

 

 

 

 周囲に触発されて刺激された姉妹の決起。しかし……


 細かい事は省かせてもらうが、東京編はTV版のストーリーの続編になる。東京に拠点を移した星見プロのアイドル達は、グループでの活動もさることながら個人の仕事も増えて来た。

勿論、沙季や千紗もその流れにちゃんと乗れているのだが、急成長を見せる他のメンバー達と自分達を比較し焦りを抱いて、苦悩の種になっている。


 そんな時、二人組ユニット限定によるライブバトルの大会が開催される報が告げられた。
牧野の話の最中に沙季と千紗の表情のアップが差し込まれるんだけど、二人の何かを決意した様な目つきと表情をしている描写になっているのがいい。そして、二人は共に結成と出場を志願する流れも激熱なモノ。


星見プロの面々は誰もが思っただろう。このユニットは強いユニットだと。


 まあ、わざわざシナリオ書いてイベントにまでしている事から、そんな上手くいくワケはない。
きっちりと沙季と千紗が苦悩して抗う過程が、ここから描かれるという期待感で始まるのもまた素晴らしいモノである。

 

 

 

 

 想いが深すぎるが故のすれ違い


 レッスンの際、彼女達はどちらかを引き立てようとして互いに目立たない方へと引いてしまう。最初は互いのグループでのレッスンとの差異と感覚のズレの所為だと思っていたし、姉妹だから息は合わせやすいと思い込んでいたというズレもある。

この刻において、些細だと思い込んでしまった感覚のズレが彼女達を苦悩させて焦らせていく。なおかつ、二人が率先して引っ張るタイプじゃない事もあるのだろう。


 姉妹という強固な縁と絆で結ばれている沙季と千紗。作中でも姉妹の仲というのは本当に良好なモノとして描かれている。だが、その想いと絆は時として姉妹達の『鎖』となって縛り付ける。

沙季も千紗も、自分が輝くよりは相手に輝いてもらいたいという意識が強過ぎて譲ってしまう。

どっちも思っているのだ。このままじゃ勝てないと。勝つ為には自分を徹底的に抑え込んで相手をもっと輝かせなきゃって。『我』を抑え込むというのは、沙季のパーソナリティの一つでもある。

彼女の決意は、沙季がどんどん良くない深みに嵌って沈んでいってる印象を感じた。

 

 

 

 

 綻びを繋ぐ『鎹』からもらう勇気


 このシナリオにおいて、白石姉妹に次ぐ最重要人物だと自分が思う伊吹渚の果たした役割に触れなければならない。渚が話に絡むことにより、このストーリーは新たな展開を迎える。『鎹』(かすがい)というのは自分が渚を称した言葉。

 渚は、千紗の様子がおかしい(元気がない)事に気付いて話を聞く流れに。千紗の悩みを聞き彼女は二人の異変には既に気づいていたが。そして、渚は琴乃が東京に来た頃に麻奈の話をしていた事を千紗に話す。

麻奈がアイドルになった事で、琴乃は麻奈と関わる機会が少なくなり拗ねて関係が拗れた。その愚痴を当時渚に洩らしていた事も。だが、麻奈が亡くなって文句の一つも喧嘩もする事が今となっては出来ない事を琴乃は悔やんでもいたと。身近な存在だからこそ言いたい事はどんどん後回しになってしまうモノ。言わなければ、踏み込まなければ触れる事は叶わない。突然言えなくなるかもしれないのに……そんな琴乃は、自分と同じく姉(沙季)がいる千紗を羨しく思っていたと。

 

 

 成長した自分をお姉ちゃんに見せる事も 

 成長したお姉ちゃんを見る事が出来るからって。

 結局は……後悔のないようにするのが一番なんじゃないかな。

 

 

 
 切れそうになった絆は再生されてまた繋がった。あとは……千紗が勇気を出して一歩踏み出す事。
しかし、その一歩が中々踏み出せない千紗。沙季も更に悪い方向へ沈んでいくのを止められない状態。そんな中、沙季は自分が徹底的に引き千紗がもっと目立つべきだという最悪の答えを導き出してしまう。徹底して我を殺して、自分を引き立たせようとする沙季の言は完全に間違ったモノだし、千紗だって受け入れられるワケがない。

 


 

 

 私だって……いつまでもお姉ちゃんに支えられなくても 

 一人でも大丈夫だから 私にも、お姉ちゃんを支えさせて?


 こ、このままお姉ちゃんが譲っちゃうなら……

 私が、ほんとに前に出ちゃうんだから!

 私ばっかり目立っちゃうよ! それでもいいの?

 

 

 肚括って、千紗は一歩踏み出せた。おそらくこの姉妹は喧嘩らしい喧嘩をこれまでしてこなかったのだろう。共に悩んでいた様に彼女達は他者の心情に寄り添えて慮れる性格だから喧嘩にはならなかったのかもしれない。 

でも、後悔したくないからという想いが勝り、一歩前に踏み出す勇気が湧いた。
姉妹喧嘩という名の『競演』の火ぶたを切った千紗はもう退く気は一切ない覚悟を示した。それに沙季はどう答えを示すのか……クライマックスに向けての火付けが見事な脚本の妙を感じさせられた。

 

 

 

 

 

 真の魂の開放~本当になりたい姿へ……

 

 前述でも触れたが、我を殺すのは沙季のパーソナリティの一つであり『きちんとした姉』としてのアイデンティティでもある。千紗が言うように沙季は自分の我を殺してこれまで生きて来た。ずっと近くで見ていたからこそ千紗に見透かされていた。

生真面目で優等生な沙季。でも、そんな彼女が『我』を解放して我儘を通した事があった。
そう、幼い頃より憧れを抱いたアイドルへの軌跡へ踏み出した事だ。両親を何度も説得してまでも。千紗が本気の覚悟で沙季の魂とぶつかり合おうと踏みこむ。そんな千紗の想いと魂にぶつかって、沙季は置き去りにしてしまった本当の気持ちを取り戻す。

 

 
 我の開放……即ち、白石沙季の変わろうとする想いを余すところなく曝け出した。
沙季の我を解き放って思いの丈をぶちまける模様が『心紡ぎ合う輝きの競演』というシナリオの『要』であると自分は思えるのである。それは、沙季の魂が再生された事でもあったのだと。

互いに言いたい本音を曝け出して、ちゃんと喧嘩出来た事。それが白石姉妹の絆を深く固いモノへと昇華させるのに必要な『儀式』の様に思えてならなかった。


 どちらがより輝けるかを競うパフォーマンスであり、自分の魂とも競う。そして、姉妹喧嘩としての競い。このシナリオでの白石姉妹は共に協力する意味ではなく、それぞれの『我』を競い合う闘いだった。だからこそ争う意味を持つ『競演』の字が相応しいと驚嘆して膝を叩いたのだ。

 

 

 

 

 

RGR楽曲ライナーノーツ#22 拝啓ディアナイト(厚木那奈美ソロ楽曲)

 どうも。RGR楽曲ライナーノーツシリーズのお時間です。

 


今回で、Run Girls, Run!のミニアルバム『Get Set, Go!』に収録されている楽曲所感はラスト。
そのラスト・ナンバーを飾るのは、厚木那奈美さんのソロ楽曲。

 

この楽曲に詰め込んだ想いを、厚木さんはこう答えていた。

 

 

 会えない期間が続いた時に、すごく皆さんから頂いたお手紙で

 元気を出して頑張ってこれたので

 曲を通してみんなにお手紙の返事を書けたらいいなって。

 みんなからたくさんの愛を頂いているので

 私もみんなにこの曲を通してBIGなLOVEをお返ししたい。

 

 

 BIG LOVE。直訳してしまうと大きな愛。ただ、厚木さんはその言葉に込めた想いは測れないモノなのだろう。親(深)愛の情でもあり、広義的な博愛の情でもある。

シンプルなテーマであるが、それ故に奥深く難解。今回のソロ楽曲も、厚木那奈美のクレバーで強かなもう一つの『貌』が独特の不可思議な深みを感じさせる楽曲になったと勝手に膝叩いて感嘆してしまったのである。


まあ、どこまで言語化出来るか分からないが……彼女の開いた『扉』の向こう側に拓けた未知の領域へ踏み込んでみようと思います。

 

 
 

 

 

 拝啓ディアナイト / 厚木那奈美

 

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 EDM調のミドルテンポが沁み渡る、上質なヒーリング効果で聴き心地の良い“癒しの謳”というのが、フルで聴いた直後に抱いたファーストインプレッション。

その聴き心地の良さを醸し出しているのは言うまでもなく、厚木さんの柔和な歌声によるモノなのは勿論だが、メロディの根幹を成しているEDM調と彼女の歌声との相性が抜群に良いからというのもある。それと、厚木さんのパーソナリティの一つでもある掴み所のない不可思議さをなぞっている様な浮遊感のあるメロディも影響している様に感じられる『静』に振り切った楽曲。


 その『静』という要素は、厚木さんが今回のソロ楽曲に掲げたテーマでもある、夜寝る前でリラックスしている時に聴いてもらいたいという事と、彼女がファンに想いを馳せて貰った手紙の返事を考えている安穏とした刻の流れを盛り込んでいるからで、厚木さんの感覚や視点と多分に重なっている部分でもある様に思う。



 あのね。

 ホントはちゃんと贈ってみたい ワードばっかりだけど

 言えない

 かわりに届ける ごきげんよう

 聞こえているといいな キミに綴ろう


 ―厚木那奈美 『拝啓ディアナイト』より引用

 

 

 厚木さんが貰ったメッセージは、多種多様な想いに溢れたモノばかり。でも、その全てに対して想いを込めつつ真摯な返答を贈るのは非常に大変なモノ。失礼なのは承知で言ってしまうが……厚木さんはそんなに器用な人じゃないと思っている。『言えない』は彼女の限界を痛感しているのかもしれない。

だからこそ、歌が持つチカラで多くの深愛の情に厚木さんも深愛の情でもって応える。彼女が言う『BIG LOVE』には歌のチカラも含まれているのだろう。そして、『ごきげんよう』というワードは厚木さんが挨拶の時に言う口上で、彼女の存在そのものを指すワードでもあって、偽らない自分らしさというパーソナリティを魅せる事。それも多くの人からの深愛に応える為のモノ。

本気の想いを伝える為の方法は必ずしも一つに限定されるモノではない事を、彼女は意志表示として謳に込めているのだと感じさせられた。


 そして、この楽曲は厚木さんの内面を描写している楽曲だと感じられた。
それをダイレクトに感じるのが歌詞カードで括弧になっている箇所の語りかける様に歌う所。

この箇所は、厚木さんが抱いているであろう未来の刻への不安と葛藤を歌に乗せている。楽曲のテーマの一つとして夜のリラックスしている刻を盛り込んであり、そこで彼女自身との対話をしている様に考えを巡らす。括弧内のワードと括弧外の『大丈夫』や『私らしさ』とで双方の対話として成立させている描写は面白いモノで、単に癒しの謳では収まらない奥深さも感じられる。

この対話もまた、厚木さん自身がこれまでに経験して来て、なおかつ今も継続されている習慣なのかもしれない。前しか見据えず駆けていく為必要不可欠な彼女自身に宛てた手紙でもあると。曲題に冠している『ディア』(Dear)=親愛は、ファンの皆という意味でもあるがもう一人の彼女への意味も含まれているのだろう。

 

 

 いつもありがとう

 どんな距離あいても 信じられる人がいるよ

 このまま未来へ走るのを 見守っていてくれる?


 ―厚木那奈美 『拝啓ディアナイト』より引用


 
 多くの人への深愛の謳でもありながら、究極的には彼女自身に向けての深愛の謳でもあった。
だからこそ曲題にDear(ディア)=親愛という意味のワードを入れたのだと自分は解釈している。厚木さんに情熱を持って接する人達がいてその想いを様々なカタチで彼女は受けとめる。直に逢えない刻があったからこそその大切さと尊さを彼女は知り、今の刻においてこの楽曲を謳えるのだと。


 直情的な『動』の要素で聴き惚れさせる森嶋さんと林さんの新たなソロ楽曲とは違ったアプローチにて、じっくり沁み入る様に聴き惚れさせた『静』の要素で厚木さんは答えを示した。


 厚木那奈美『深』なる愛、『親』しみの愛、『真』の愛。
対象や種類という狭い枠で括らずに、限り無く包み込もうとするが故の『BIG LOVE』だと思えてならないのである。

 

 

 

 

 

 

RGR楽曲ライナーノーツ#21 点とミライ(林鼓子ソロ楽曲)

 どうも。RGR楽曲ライナーノーツシリーズのお時間です。



 今回触れる楽曲は、このミニアルバム『Get Set, Go!』の中で一番自分のストライクゾーンに見事に決まった楽曲でもあり、RGR楽曲全体として捉えていっても上位に来る程に好きな楽曲。

フルを初聴したファーストインプレッションは、イントロからアウトロまでゾクゾクってした感覚に陥って鳥肌が治まらなかった。ありのままで言ってしまえば、気が昂って血が滾った意味での感情になる。


 “彼女”は生き様とPRIDEを懸けてこの楽曲に血を流した。だからこそ、リスナーの魂に楔を撃ち込めたと自分は勝手に感じてしまったのだ……

 

 

 

 

 点とミライ/林 鼓子



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 前作のソロ楽曲『りんごの木』の続編となるロックテイストの楽曲。


林さんは、憧れに手を伸ばしている最中を描いた前作の『りんごの木』から、一歩進んだ先に見える世界を描いて欲しいというリクエストをされたと云う。ラップパートと台詞パートは一歩進んだチャレンジとなり、見事なアクセントになっている。

全体のメロディに真新しさや変態的な進行はなく、ベーシックで王道的な構成になっているのは、彼女のクソ生真面目な人柄がそのまま曲調に反映されている印象。そこに加えてロックサウンド特有の無骨な荒々しさもある。この辺は、林さんが楽曲の魅力として挙げる『オラオラなはやまる』を象徴しているモノだろう。

ロック(ハードorパンク)は私が好きなジャンルだと彼女は言及されている。RGRの中では明瞭かつ力強くて太い歌声の質を持つ彼女にロックテイストは本当によく合うのだ。

 


 冒頭のしょうもない四方山話の中で、生き様とPRIDEを懸けてこの楽曲に彼女は血を流したと言った。その要因になっているのが彼女が現状で抱く『飢え』『怒り』だと考える。それは彼女が軌跡を駆ける燃料にもなっている。

ここで言う飢えは、もっと多くの人に見つけてもらいたい、認めて欲しいという承認欲求を満たしたいというモノや、現状に一切満足はしないで貪欲に先を見据えている事だろうし、怒りは理不尽な事に対しての反抗だったり攻撃的な激情そのものを指す。以下の節は彼女の激情を表している様に思える。



 ぼんやり見てた アコガレてた 

 渦中にいるんだどんな日も

 だから向かうよ 自分が思う最前線へ

 今を道にするため

 (もっと高みへ)


 ―林 鼓子 『点とミライへ』より引用



 『りんごの木』の系譜に連なるだけあり、この楽曲もエネルギッシュで獰猛さがダダ洩れしている攻撃的な楽曲。しかも、獰猛さについては制御不能なレベルの域まで振り切っている。当然ながら、林さんの絶唱も楽曲が持つ力の強さに負けない強さが伝わって来る『闘いの謳』なのだと。

走り始めたのなら立ち止まらない事。転んで傷を負ってもしても前のめりですぐに立ち上がる。
『折れない』『負けない』『立ち向かってたい』とは彼女のFighting style。どんなに傷を負いながら、それでも私は強くなりたいとその傷が吠えているみたいな。台詞になっている『もっと高みへ』は彼女の生きようとする、荒々しい叩き上げの魂から来る執念の叫びなのだと。


 森嶋さんのソロ楽曲の項で書くのをすっ飛ばしてしまったが……今回のソロ楽曲もメンバーのパーソナリティを想起させるワードが詞に散りばめてある。『感情にダッシュ!』においては森嶋さんの愛称である『もっちー』がそのまま詞に使われている。

『点とミライ』では『ここにいる』という詞があって、彼女の名である鼓子の読みそのものが使われている。曲題の『点』は彼女がこれまで駆けて来た軌跡だったり、今駆けている現在進行形の軌跡。即ち、林鼓子の存在そのものを指すのだろう。

この楽曲は、彼女がこれまでに経験した様々な経験があって、そういったバラバラに散りばめられた『点』が繋がって道となって未来の刻に繋がる事を謳う楽曲でもある。



 行け!葛藤も運命も いっそ軽々と超えて

 “ここにいる”を何度だって過去形にしよう

 そう 一瞬をつないだ世界の果て 飛び込ませてよ

 My promised new world

 途方もない願い事 叶えてみたい


  ―林 鼓子 『点とミライへ』より引用



 サビで歌われるこの箇所が、彼女の変わりたい想いや覚悟の精髄となるモノと考えられる。つまりは、彼女が今の刻で真に伝えたい本気の想いと魂でもある。『“ここにいる”を何度だって過去形にしよう』は『今を道にする』へのアンサー。

憧れを抱いた道に進む事は叶ったけれども、順風満帆に駆けて来られたワケじゃなかった。むしろ、悔しさだったり自分の力だけじゃどうにもならない理不尽にも見舞われた事の方が多かっただろう。今の刻で彼女だけじゃなくリスナーの我々も確実にやれる事は『点』を出来るだけ多く撃ち込んでいくしかない。点が多ければ多い程、ミライへの希望が増えて道になる可能性が拓ける。

『自分ひとりで進んでいるのではなく、今度は私が先頭に立ってみんなを引っ張っていくような曲にしたい』と彼女は想いと魂を込めた。作詞された真崎エリカ氏は林さんの想いを汲み取ってメッセージ(歌詞)にして返した。

激熱でドラマチックな、滾って溢れ出して来る激情を制御しきれない。本能を解き放った彼女の一点の曇りの無い血が流れる魂の絶唱が点と点を結んで道になる。

 


 この楽曲は、林さんの歌声在りきで魂に響いてくる。どんなに凄い絶唱で謳っても、豊富な経験があっても林鼓子以外には謳えない。彼女のPRIDEが『アンセムへと昇華させたのだ。