巡礼者のかく語りき

自由気ままに書き綴る雑記帳

RGR楽曲ライナーノーツ#4 Go!Up!スターダム/秋いろツイード

 どうも。RGR楽曲私的ライナーノーツのお時間です。


今回は3rdシングル『Go! Up! スターダム』とカップリング楽曲『秋いろツイード
2曲ともタイプが違った楽曲でありながら、RGRの新たな魅力が詰まったシングルに仕上がっている。

 

 

 

  Go! Up! スターダム

 

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www.youtube.com

 

 3rdシングル。アニメ『キラッとプリ☆チャン』第三クールのオープニングテーマ。


 前作『キラッとスタート』の系譜を継ぐ女子の煌びやかに輝きたい想いそのものと、後押しする正統派な応援ソングであり、RGR楽曲のアイデンティティだと自分が感じている特有な疾走感も見事に表した楽曲。これを感じるのは原初の楽曲『カケル×カケル』の系譜も受け継いでいるからなのだろう。

歌い出しの林さんの伸びやかで力強い歌声は未来への希望をダイレクトに感じる様であり圧巻の一言に尽きる。ただ、前作と違っているのは,、曲調がアップテンポ要素のみで突き進むのではなく、センチメンタル的な心の葛藤を模した要素も感じられる。この相反する要素を共存させたのはRGR楽曲としては実に挑戦的だと勝手ながら思える。

OPテーマソングなので、作品の登場人物に寄り添った世界観を構築しているのは勿論だが、自分の中で強いインプレッションを抱いているのは、RGRの三人の心情の方が強く、鮮明に反映されていると思えてしまうのだ。


 それぞれのカラー 見つけ出して

 誰とも違う 魅力で光る

 ひとりじゃ意味がない みんなと手をつなぎ
 
 私たちみんな小さな星 輝くために生まれてきたの


 ―Run Girls, Run! 『Go! Up! スターダム』より引用


 
 『それぞれのカラー』とは、RGRのメンバーカラーそのままの意味に直結していくし、三人の個性としての意味合いもあるのだろう。ただ、リリース当時まだ三人のメンバーカラーは決まってなかった。それを先んじて織り込み『それぞれのカラー見つけ出して』という詞でもってRGRの心情描写を強烈にして、テーマ曲でありながらもRGR寄りな楽曲だと喚起させた事は、作詞された藤林聖子さんの巧みな言葉選びの妙…『預言者』と評される謂れなのだろうと感じる。

そして、RGRの三人もこの楽曲を単純な作品のOPテーマソングという括りのみで受け入れていなくてユニットとしての絆と想いを重視している様に思う。


それは、1stツアーでこの楽曲を歌う前に林さんが口上を述べて語った想いがユニット・RGRの方に強く寄り添った楽曲というインプレッションを抱いている大きな要因でもあり、MVで着ていた制服の衣裳は1stライブでも着ていた事からもRGRの心情と決意表明としての楽曲。


 『小さな星』という言葉と、原初の楽曲『カケル×カケル』で使われていた『小さな存在』という言葉で繋がっている事に、自分はRGRの『アンセム』としてこの楽曲が突き刺さって来たのだ。

 

 

 


 秋いろツイード

 

 季節をテーマにした『RGR四季組曲』秋の章。…と勝手に称している楽曲。
前々作『サクラジェラート』の系譜を受け継ぎ、四季をモチーフにした『RGR四季組曲』というRGR楽曲の一つのジャンル・軸として確立させた楽曲でもある。

この四季組曲の特徴としてまず挙げられるのは、曲題はテーマとする季節もしくは季語と、物を示す名詞で付けられている。ちなみにツイードとは、イギリスやスコットランドが発祥とされる太く短い羊の毛を使用した紡毛糸を用いて織られ、表面は粗っぽい毛織物の事を指している。

ツイードという、イギリスやスコットランドに因んだモノを曲題に付けたことから、ブリティシュロック系とかケルト音楽系の欧州的な曲調なのかと思わせる。が……イントロで奏でられる中国の弦楽器『二胡』のオリエンタルな音色がそのインプレッションを見事で鮮やかに裏切る。二胡のゆったりと切なさを思わせる音色が秋が持つインプレッションであるセンチメンタルの要素を湧き立たせる切れ味鋭い変化球的楽曲だ。


 そして、四季組曲もう一つの特徴はそれぞれの季節が持つネガティブなインプレッションと、思春期の少女の恋愛感情(抱いている切なさや葛藤、焦燥感)をリンクさせている所だろう。

全体の曲調としては、スローテンポなダンスチューン。
しかし、ダンスの振りはスロー一辺倒ではなく激しい所作で舞う所がある。おそらく曲調とダンスで感じる差を極端にする事で少女の揺れる心情。自身を『地味』と自嘲する諦めとコンプレックス。変わろうと踏み出す意欲はあるけれども一歩踏み出す勇気が湧いてこない。以下の節々は少女の心情を表しているのだと解釈している。


 おしゃれしたい かわりたい でも わからない

 向こう側には どうやっていくのか 

 勇気とか恋とか それだけじゃない

 門限のように まだやぶれないその壁


 ―Run Girls, Run! 『秋いろツイード』より引用


 ここ用いられているというか…この楽曲の『要』となっているのが『門限』という語句。
少女にとって最後に立ち塞がる文字通りの門そのものであり、一歩踏み出す反抗の覚悟でもあり、想いを寄せる『彼』との関係への比喩。これらは彼女が超えなくてはならない壁ともいえる。

でも、わからない。どうやっていくのか。やぶれない。そう、少女は超えて踏み出せられていない。それを証明しているのがラストフレーズの『門限まで家には帰る』だ。少女にとって門限とは、制約であり縛り付けられている象徴だと思える。


 何か さがしたいよ 夢をともしてくれるもの

 彼に明日あげる 誕生日のプチ・プレゼント

 私もっと きらきらとしているものに憧れている


 ―Run Girls, Run 『秋いろツイード』より引用


 これらの節々は、少女が門を開けた向こう側の世界を象徴するモノだと解釈している。少女が『彼』にプレゼントするのは、単純にモノでもあり彼女の恋慕の情を彼に告げる事でもあって、それは少女にとってのきらきらとしているもの≒変わりたいという想いの本質。
単純なセンチメンタルを謳う楽曲ではない。内に秘めている爆ぜる激情を謳う相反する情念的な楽曲。歌い始めで三人がそれぞれ違う方向で並んでいるのは相反する要素を表しているのだと思えてしまうのである。


 ちなみに、今回取り上げた2曲のライブ映像はRun Girls, Run!の初の冠TV番組であるRun Girls, Run!のらんがばん!』Blu-rayに収録されている。

 


 奇を衒わない王道的なアイドルソングでありつつも、新たな『アンセム』の系譜になった『Go!Up!スターダム』。意外性で魅せて新たなRGR楽曲のジャンル・軸を確立させた『秋いろツイード』。

2曲共に、新しく刺激的な魅力を感じずにいられない仕上がりでした。

Run Girls, Run!』の持ち味を損なわずに、増していく表現力の幅と可能性は三人の変わろうとする想いと一歩踏み出す覚悟が感じられました。

 

 


 
 
 

最終楽章『さようならのパレード』に込めた意地と真愛の情。

 『彼女達が凄いんです』


この言の葉を『彼』の口から聞けるとは思っちゃいなかった。
聞いた時、何とも形容しがたい胸が熱くなる感動と衝動が湧き上がって来た。


『彼』とは、作曲家の神前暁さん。神前さんが先日放映された配信番組に出演した
シンセの大学『神前 暁のSelected Works.』の中で言った言葉である。

 

live2.nicovideo.jp


 シンセの大学とは、DAWを用いた楽曲制作に携わるトップクリエイター達による公開トークイベント。本来は三月に開催されるイベントだったが、コロナウイルス流行の影響により急遽オンラインイベントでの開催となったとの事。

タイトルに、神前さんの名が記されている事から神前さんをゲストに招いて普段の仕事の模様、音楽業界へと進む事になった切っ掛けや、いくつかの楽曲の制作当時のエピソードが番組内にて語られた。その中で、自分が特に注目していたのが以下の項目だった。

 


 「タチアガレ!」から「さようなら」に込めた想い

 「タチアガレ!」from Wake Up,Girls!

 「さようならのパレード」from Wake Up,Girls!

 


Wake Up,Girls!』の原初の楽曲『タチアガレ!』と終焉の楽曲『さようならのパレード』についての事を、作曲者である神前さん自身から語られる事は、音楽理論の理の字の欠片すら無いしDAWが何の事を指しておるのか全然分からん自分でも非常に興味をそそられるモノがあった。


今回はこの項目で語られた、特に『さようならのパレード』について観て感じた事を書いていこうと思う。

 

 

 縁を繋いだ者としての"けじめ"を付ける為の楽曲

 

 神前さんと言えば『Wake Up,Girls!』の立ち上げから携わっていたWUGの生みの親の一人でもある。で、メンバー選出オーディションの審査にも携わっていた。WUGの七人を表現者という『縁』を繋いだ者でもあった。

だが、原初の楽曲『タチアガレ!』を制作し、続く『7 Girls War』の制作途中で神前さんは体調を崩されてしまい長期療養を余儀なくされてしまう。(神前さんはこの事をWUGへの育児放棄と言っていたが……)

刻が経ち、WUG解散の報が流れて…ラストアルバム『Wake Up,MEMORIAL』に収録されるメインマストであると言ってもいい四曲の作曲者の一人として神前さんの名が挙げられた。


楽曲名は『さようならのパレード』である。

 

 


 最初しか関われなかった僕が、ラストアルバムに曲を書くっていうのは


    凄く意味があるなっていう……これはやっぱり対(終)になる曲を作るしかない。

 責任を取るじゃないですけど、スタートとラストはちゃんと作らないとなと思って…

 

 

 これは番組内で語られた最終楽章『さようならのパレード』を制作しようと決意したとされる神前さんの心情だと自分は解釈させてもらった。復帰して変な楽曲(WUGのアイデンティティにそぐわないモノ)を作って悦に浸ってしまう事を良しとせずにちゃんと向き合って楽曲を作り、七人の新しい門出のはなむけとする事……


WUG楽曲全体での、作曲家としての、そして、産みの親の一人としての"けじめ"
似た様な言い方をすれば、自身の手で幕引いて決着を付ける様にもとれる。


自分は神前さんのこの言葉を聞いて、『さようならのパレード』という楽曲は"けじめ"を付ける為の楽曲だという新しいインプレッションを感じた。

 

 

 

 対であり終でもある楽曲、甦る魂。

 

 先述したように、『さようならのパレード』は『つい』になる楽曲として作られた。
この『つい』という言葉が意味しているモノ、自分は二つの意味があると勝手に解釈している。

 一つ目は『対』という字を書く方のつい。反対の関係にある意味でもあり二つで一組となるモノという意味もあって、例えるなら鍵と鍵穴の様にがっちりとはまり合う関係性は『さようならのパレード』と『タチアガレ!』の系譜を称するに相応しい言葉であると思える。


 二つ目は『終』という字。こちらも『つい』と読まれる。
この楽曲はWUG楽曲の最終楽章でもあるので、私見だがこちらの意味も込めて神前さんは『つい』という言葉をチョイスしたのかと勝手に思ってしまった。曲題にある『さようなら』の終焉=『終』であるというストレートなインプレッションがそれを撃ち込んでくるのだろう。


 番組の中で、この楽曲のデモバージョン(完成形のヤツとは違うバージョン)が流された。
完成形の方と聴き比べると全く違った趣きがある大団円的なグランドフィナーレを感じさせるしんみりとしたバラード調の曲調。対と終になる要素もメロディにきっちりと盛り込まれていて、こちらのバージョンも普通に素晴らしい楽曲だというのが率直なインプレッションだ。


このデモバージョンでOKテイクではあったが、神前さんはこのバージョンを没にした。

 

 


没にした理由は貼り付けた神前さんのツイートにある様に、三人(高橋邦幸氏、広川恵一氏、田中秀和氏)の楽曲を聴き、新しく作り直す事を決めたと云う。三人が作った楽曲は、大団円的な楽曲で綺麗に締めるというコンセプトではなく挑戦的な攻めの楽曲。神前さん曰くこれが彼らなりのWUGへのはなむけと愛情なのだと。

自分がこんな事を書くのはおこがましく無礼千万ではあるのだけれども……没にしたデモを聴いて感じたもう一つのインプレッションは、綺麗にまとまり過ぎて感傷的で情に訴え掛ける要素が強いと感じた。

勿論、その要素が悪いモノではない。現にOKテイクを貰っているし問題はないのだから。
でも、そうしなかった事に神前さんのある想いがあって新しく作り直す事を決意させたのだろう。華々しく終焉をきっちりを飾る為に……

 

 

 

 エゴという名の『意地』と、託されて応えた想いと魂。

 

 ラストアルバムのリリース後この楽曲について、神前さんはこんなツイートをした。


 

 


 『さようならのパレード』ラストフレーズは、歌詞カードに記載されていない『Wake Up』という言葉で締めくくられる。私見の域と暴論だが……歌詞カードに書かれていないから、おそらく作詞された只野菜摘さんはこの言葉を書いてはいないのだろう。


では、誰が入れたのか?その人物は神前さんだった。


この『Wake Up』は無理矢理に入れたと。それは神前さんからの七人へのエールであり、彼のエゴでラストに捻じ込んだと云うが……自分は神前さんのある想い=『意地』だった様に思えてならないのだ。


 本気の想いは伝播するモノ。あの七人がその想いに気付かないワケがない。
彼女達は託された最後の楽曲に血を流して魂を通わせた。その答えがライブ音源にあって、ラストフレーズ直前で奧野香耶さんが観客に向かって吠えるあの言の葉……



『みんなで、せーのッ!!!!!!!』である。



観客と共に在る刻と場、昇華させる為の最後のピースは七人とワグナーが照らす心の光。
七人の声とワグナーの声が交わり響き合う『Wake Up』の大合唱。
真剣に真っ向から向き合って、偽りない全力全開で託された願いに応える事はWUGの七人が六年の刻と軌跡で魅せ付けて来たモノだ。


歌というモノは嘘と誤魔化しが通用しないとされる。
そして、楽曲が秘めている限界領域を引き出し進化させられるのは人のチカラ無しでは叶わない。


 抱えきれない 大きな想いの鞄を

 あずかったことも 愛なのだと知っている

 ―Wake Up,Girls! 『さようならのパレード』より引用


神前さんは、七人のチカラと可能性に懸けて、真の完成を託した。ここに挙げた節はそれをさしている様にも捉えられるのではないだろうか。
WUGの七人も、託された想いに応えて真の完成……双方に在った真愛の情が終焉となったはなむけの楽曲に血を流して魂を宿したと…自分は改めて思い知らされたのだと感じてしまうのだ。

 

 

 

 最後に。


 よく、他者にモノを薦める時に、○○好き、ファンならコレを見るべし!という物言いがある。
自分はあまりこの様な言い回しは好まないが……この番組に関してはその考えを捨てさせてもらう。

7/22(水)23時59分までニコニコ動画タイムシフトに対応されていますので
WUG楽曲に惹かれた人、また、神前さんの作った楽曲に魂を揺さぶられた人、この記事には書いていない話、この番組でしか聴けないバージョンの楽曲もあったりと盛り沢山の構成になっており、まだこの番組を見ていない人は本当に見て欲しい番組だと思える。


ここでしか聞けなかった貴重な想いの話や楽曲が色々あった。
本当に観て良かったと思える番組をありがとうございました!!

 

 

 

 

 

血の流れる生命と星の謳~LIVEでのPolaris独自考察

 先人曰く、楽曲というモノは進化(成長)していくモノであると。


……は?お前、何言ってんだ?生き物ぢゃねぇんだぞwwと、言う方はいるだろう。


うん、そのインプレッションは間違いじゃない。でも、正解でもない。

 

しかし、その無機質なモノが有機物……言い換えるなら、血が流れて生命が宿る場と刻が存在している。


その場と刻が、LIVEというモノなのだ。

 

 

 さて、楽曲が進化するという事だが、自分がこれまでにLIVE参戦して感じたある楽曲の進化についての個人的な解釈をこれから書いていこうと思う。


その楽曲は、Wake Up,Girls!』の『Polaris

 

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 まず、楽曲『Polaris』の概要をざっくりと書く。


TVアニメ『Wake Up,Girls! 新章』挿入歌であり、作詞はWUGメンバー七人によって書かれている。劇中に於いてもキャラクター達が作詞を担当しており、後半のストーリーにその過程が盛り込まれている。音源ではWUGのベストアルバム『Wake Up, Best! 3』と『Wake Up,MEMORIAL』に収録されている。

で、実際のLIVEでは、2018年4月に開催されたWUG5周年ライブで初披露され、それ以降に出演したライブイベントにてほぼ確実に披露された楽曲。
キラーチューンであり、アンセムであり、煌びやかなだけじゃない負の感情まで謳う生命の謳。ありとあらゆる想いと魂が詰まった特別で特殊すぎる楽曲。


そして、自分が知る限り、LIVEを経て驚異的な進化を遂げた楽曲。
もしかすると今後これ以上に驚異的な進化を遂げる楽曲は出て来ないと思わされる程に強烈なインパクトを撃ち込まれたと言ってもいい。


 とは言え、急スピードで進化を遂げたワケではない。
披露を重ねる≒闘い続ける事によって楽曲が元々持っていた強さが更に引き出され、秘めていた限界領域までも解放させたと言うべきか。その要因となった出来事を検討してみる。

 


 最初の要因と思えるのは、2018年5月に開催された『Green Leaves Fes』

 

このライブのセットリストは、昼の部は楽曲を一般投票による結果によって決定し、夜の部はファンクラブ会員による投票によって決定している。

その中で『Polaris』は並みいるWUG楽曲を差し押さえて、昼は2位、夜は堂々の1位を獲得した。モータースポーツで言うならフロントローを見事に独占した形となった。

投票の基準は人それぞれ違うモノ。LIVEによく参戦される人なら披露の多い楽曲への投票はしないで披露の機が少ないレア的楽曲に投票しただろう。逆に、知って間もない人は最もインプレッションが濃くある楽曲へ票を投じたのだろう。

それらの票が積もり積もって『Polaris』を高みへと押し上げたと思う。

 

 

 次の要因は、落ちサビの吉岡茉祐さんによるソロパート。



  ひと粒の瞬きがボクを導いてく

  ココロから憧れた世界 満天の星空になる日まで

  ―Wake Up,Girls!Polaris』より引用



 ここのパートで高潔に歌い上げる吉岡さんの絶唱で、客席は白の光から彼女のイメージカラーである赤の光が血を流したかのようで鮮やかに染まる。この楽曲での彼女のソロパートはこの箇所のみというWUG楽曲では珍しいモノだ。

この赤の光は最初からやったワケでは無い。ファイナルツアーの最初の公演となった市原公演でこのパートを彼女が歌った時にサイリウムを赤にしている人を見たワグナーが次の座間公演で変える人が増えていって、Part1千秋楽の大宮公演でそれが完成した流れとなった。

前述に、血を流した様な赤と称しました。この楽曲でその様な表現をするのは好ましくないのは重々承知の上ですが……自分はあえて『血』という表現をこれまでにも使っています。
パート割り、推敲に携わり、血を流して生命の謳へと昇華させた吉岡さんへの感謝の念という赤の心の光なのではないだろうか。

SSAでのファイナルライブで吉岡さんは歌い切った後『ありがとう!』と言う。
我々の感謝の念と赤の心の光に対しての返礼の念が込められたモノだと勝手に思っている。

 

 


 最後は、シンガロングと手振りと肩組み。

 


 これもファイナルツアーを経て完成した流れだ。
『♪~La La La La LaLa』の箇所は七人がハーモニーを響かせると同時に観客もそれに合わせて一緒に歌いだす。曲名に冠された『Polaris』は北極星の英名でその星は古代から闇を照らして人を導く星。七人がワグナーをワグナーは七人をそれぞれに照らして導き合った。

 詞にもある『君』と『ボク』はその関係性を示唆する句なのだろう。
このみんなで一緒に歌うというのは新章の最終話のシーンにありそれを顕現させた。


そして…七人が横一線に並んで肩を組む所で観客も肩を一緒に組む。


正直な話、知り合い同士ならともかく素性も全然分からん隣の席の人と肩組むなんざ正気の沙汰ではない一種の狂気に駆られたモノ。でも、LIVEという場と刻がその概念をぶっ壊す。アスリートのスーパープレーに興奮して隣の見知らん人とハイタッチする心情に似たモノなのだろう。

書き出しにも書いたがLIVEという場と刻は非現実の領域、夢の中という解釈が出来ると思う。想いと魂が繋がって、導いて、輝いた。

しかし、終焉の刻は避けられないのがこの世の理。

だからこそ、無理だと知りつつも終焉の刻に抗う行為として共に謳い、肩を組んで繋がった尊い刻を全力で楽しもうという本能がそれぞれの身体を突き動かしたのだろうと思えてならない。

 

 

 

 七人の最後の衣裳となった『MEMORIAL』衣裳。

 

 

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その衣裳には、七種の歴代楽曲の衣裳のワッペンが付けられている。
Polaris』衣裳のワッペンは左胸。即ち心臓の位置にある。

私見の域ではあるのだけれども……貼る位置を誰が決めたのかは分かりません。こうあって欲しいというエゴ含みの願いであるなら、その位置は七人によって決めたのかもしれない。

心臓(ハート)=魂という想いが込められたのならば、七人の本気の想いで詞を綴っ『Polaris』を象徴しているワッペンを貼るという事は、この楽曲が特別であり特殊である様に憶測ながら思えてしまうのである。


 血が流れて生命が宿る=進化する為には、ただ単にLIVEで楽曲を歌えばいいというモノではない。演出は言うに及ばず。楽曲が披露される順番。メッセージ性、表現者自身の成長や生き様と魂。観客の声援……etc

それらが複雑に絡みながら繋がっていって……現実とは隔離された領域が創造される。
傍から見ればそいつは異様な領域でもある非日常。棘のある物言いをするなら歌う側、聴く側双方がバカやっている状況と場だ。


でも、そのバカを真剣にやる事に意味があって面白い。


この事は、自分が実際にLIVE参戦する様になって感じられたインプレッションだ。
今はまだ叶わないが、今後も様々なLIVEへと自分は参戦するのだろう。

 


そう、非現実に身と魂を委ねて、ドキドキしてワクワクしたい。

 

 

 

 

 

重なる掌に交わる指。そして…繋がる魂。

 どうも。あかとんぼ弐号です。


 様々なLIVEを観ているうちに、表現者が魅せる所作の一部に注視していく事が一つや二つや三つ、四つ…etc色々あると思います。

その所作の例を挙げていくと…E・YAZAWAのマイクスタンドを豪快に回す通称・マイクターンや吉川晃司さんの足を高く上げてドラムのシンバルを蹴るシンバルキック。聖飢魔Ⅱ『FIRE AFTER FIRE』の間奏にて、デーモン閣下が右腕を激しく回す所作…etc


(うむ、我ながら例えが古いぜwww)


挙げていくとキリがない四方山話はここまでにしますが……
と、まぁこういうのが観れるのもLIVEの醍醐味なのだと思える。

で、WUGのLIVEに於いてもその要素多種多様にあって。

自分の中では、ある楽曲のある箇所での所作が最も印象に残っていて、そいつを観る度に何と言うか……激熱なんだけれども、胸をグッと詰まらせる様なインプレッションを感じてしまうのであります。


 そのある楽曲とは、WUGのアンセムソング(個人の所感)である少女交響曲

 

 

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そして、ある箇所での所作は…2番を歌い終えた後の間奏明けから始まる、吉岡茉祐さんと青山吉能さんが互いに歌い継ぐ魂の絶唱ソロパート。



 疑うこと 覚えたらキリないけど

 みんな弱いよね 私も同じ

 人と人とがつながるって奇跡 次の瞬間

 この手は離れるから ごめんさよなら

 ―Wake Up,Girls! 『少女交響曲』より引用

 


 『この手は~♪』の箇所で吉岡さんと青山さんが振り返って向き合い、互いに手を高く挙げて(ハイタッチの様な感じ)手を合わせるこの箇所。いつ頃からか彼女達はここの手を合わせる箇所で、ただ合わせるのでなく手を繋いで握り合う所作を見せる様になったんです。

この一連の絶唱パートは、この楽曲の『要』となる箇所と自分は思っている。

ただ単純に彼女達は音をなぞって歌い踊っているだけじゃない。
二人の身体から発せられている『気』がただならない迂闊に踏み込めない領域を創造して、演目の雰囲気に没入させてしまう。勿論、吉岡茉祐青山吉能だけでこの雰囲気は創造出来ない。島田真夢と七瀬佳乃の魂が共に在って成せるモノなのだ。

見せるようになったとある様に、握り合う所作は最初からやっていたワケでは無い。
いつ頃から見せだしたのか?そいつが気になってしまったのでちょいと調べてみた。


 映像で観られて確認が可能なのは以下の通り。


 少女交響曲 MV(フルバージョン)

 WUG2ndツアー

 Animelo Summer Live 2015

 Wake Up, Girls!Festa. 2015 Beyond the Bottom Extend

 WUG3rdツアー

 Wake Up, Girls!Festa. 2016 SUPER LIVE

 WUG4thツアー

 Wake Up, Girls!Festa. 2017 TRINITY

 WUG5周年記念ライブ

 Green Leaves Fes (昼夜)

 WUGFINAL TOUR ‐HOME- PartⅡ~FANTASIA~

 WUGFINAL TOUR ‐HOME- PartⅢ~KADODE~

 WUGFINAL LIVE ~想い出のパレード~

 


 これらのライブで『少女交響曲』は歌われ、その中で前述の握り合っている所作を見せていたのは、3rdツアー(微妙だが握っている様に見えなくもないのでカウントした)
4thツアー、FANTASIA KADODE、SSAのファイナルライブの5つ。

映像化されていないライブで見せていたのかを確認する術を自分は持ち合わせていないので狭い範囲でしかないが……一つ、興味深い発見があった。

それは、最後のライブ(千秋楽・ラストライブ)で握り合う姿を見せているという事だ。

 

2016年、決死の覚悟と執念で挑んだ3rdツアー千秋楽。

2017年、変わろうと願って一歩前に踏み出す勇気と変わらない想いを抱き臨んだ4thツアー。

2018年、約束の地への軌跡を開き、幻想が現実となった刻

2019年、始まりの聖地と約束の最後の刻で見せた生き様……


 この握るという所作について、吉岡さんは最後のBlogに想いを綴っている。


 

 吉能との掛け合いのパートはいつも背中で感じる気合いに負けないようにと、

 イヤモニをしていても必ず外して直で聞いていた。

 あの時、お互いに振り返り、手を合わせる瞬間、自然と握り合って、

 よく頑張ったな、と称え合うように通じた瞬間は鳥肌がたった。

 
 ―Wake Up,Girls! official blog 『Wake Up, Girls!@吉岡茉祐』より引用

 

 

 二人で予め示し合わせたのではない。互いの本能と島田真夢と七瀬佳乃の魂が二人の手を握り合わせたのだろう。理屈じゃないんだ。彼女達が紡いできた闘いの物語が昇華しこの楽曲に新しい血を通わせた。WUGが終焉の刻を迎えても消えない、離れないモノが彼女達の魂に撃ち込まれて存在している。彼女達の手が合わさって交わる指はそれを伝えるメッセージだと思えてならないのだ。


 彼女達が限界領域の向こう側まで踏み込み、交わった手を握り合う姿……

 

単純に合わせた掌を互いの指が交わって握り合っただけ。
でも、その単純な所作で楽曲に新しい血が流れて楽曲を進化させた。

 

それを観れたという真実は本当に幸せな事だと思っている。

 

 

 

 

復活の刻~J1リーグ戦再開に寄せて。

 ようやく、今週末(7/4に)J1のリーグ戦が再開される。


依然として予断を許さない状況ではあるが……待ちに待った再開の報と近づいてくる刻に、心がざわざわと戦ぎ、胸が高鳴って来ているのだ。

欧州のリーグ戦再開、つい先日にはプロ野球がようやく開幕、プロレスの試合も再開する様にまでなり。J2のリーグ戦もつい先日再開を果たした。勿論、全てが元通りになったワケでは無いのだけれども…本当に再開出来た事は喜ばしいことだと思えるのであります。


 イレギュラーな状況で再開される今季。いつにも増して過密な日程の戦いが各チームを待ち受ける。
そこにカップ戦(ルヴァン杯天皇杯)、そしてACLに参戦しているチームはより厳しい日程だ。


(更に言えば、代表戦も絡んで来るだろう……)


これから暑くなってくる季節、例年以上の過密日程……ハッキリ言ってしまえば怪我人がゼロで終われる保証なんてモノはない。その厳しい日程に際して導入されたのが、選手交代枠が5人までの拡大。
この要素をどれだけ活かす事が出来るかが今季の戦い方のカギとなる部分だと思う。加えて、これまでのシーズン以上に若手や新戦力の台頭、監督の采配、切り札(ジョーカー)の存在は益々重要になって来る。

ただ、5人も入れ替えてそのままチームのバランスとベストパフォーマンスを維持できるチームは現状でJのチームにはいない。(欧州のトップチームでも稀だろうが……)
とは言え、今季取り入れる事となったこの要素は面白くもあり、また、スリリングなモノとなるのは間違いないのではないだろうか。

 

 サッカーでわくわく、ハラハラしたい。


 サッカー番組『FOOT×BRAIN』にゲスト出演された大杉漣さんが言っていたこの言葉。
これは、サッカーだけには留まらなくて映画だったりライブを見た時のインプレッションにも通じ、何かを持って帰りたいし、欲して求める要素と仰られた。自分は大杉さんの言葉を聞いた当時は思わず膝を叩いて感銘したのを覚えている。当Blogの幾つかの記事にもこの言葉の文面をちょっと変えた文言で書いたりもしている。


 もうじき、サッカーを観てわくわくしてハラハラ出来る刻がやって来る。


自分が応援しておるFC東京はアウェーでレイソルと対戦する。
選手達がどんなプレーを魅せてくれるのかは楽しみなところではあるが

当たり前が当たり前でない事を思い知らされた今だからこそ
これまでのシーズンよりもより楽しくJリーグの試合が観れる様な気がする。

 

 

 

RGR楽曲ライナーノーツ#3 キラッとスタート/プリマ☆ドンナ?メモリアル!

 どうも。RGR楽曲私的ライナーノーツのお時間です。


今回紹介していく楽曲は、彼女達にとって縁深き巡り逢いとなったコンテンツに関わる大切なモノとなっている。その楽曲の魅力を少しでも多く伝えられればと思い、これから書き殴っていこうと思う。

 

 

 キラッとスタート

 

 

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www.youtube.com

 

 TVアニメ『キラッとプリ☆チャン』オープニングテーマであり、2ndシングル。


この作品は『プリティシリーズ』と称されるカテゴリーに属しており、メンバーも作品の主要キャラクターのキャストとして出演を果たしている。この縁はRGRにとって今も続く強い結び付きとなっている。

当Blogに厚木那奈美さんが演じる主要人物の一人、青葉りんかのキャラクターソングの所感を書き殴っておるので興味が湧きましたら、読んで下さると嬉しく思います。

(唐突な宣伝www)

 

akatonbo02.hatenablog.jp

 

akatonbo02.hatenablog.jp


 アイドルアニメの主題歌として、奇を衒わない楽曲の構成となっており、前作までのRGR楽曲のテイスト(ロック調)とはまた違う雰囲気を三人のフレッシュな歌声が醸し出しているのが最大の特徴。そして、詞の構成も夢を抱く女子の背中を後押しをするかの様な、煌びやかでもあり元気づけるモノとなっている。

『スタート』と曲題に記されている様に、この楽曲はRGRにとってもう一つの『始まり』の楽曲であるとメンバーは語られていて、周りを励ます想いが込められているが、謳う彼女達もこの楽曲に励まされているという互助関係(持ちつ持たれつ的な)にある楽曲でもあると個人的には思える。

 

 みんなのフォローがあれば無敵 だから羽ばたこう

 ―Run Girls, Run 『キラッとスタート』より引用

 

 フォローという言葉は好意的な感情という応援の声へ直結していく言葉と解釈出来ると思う。応援の声を直に聞き力に変え限界を超える為に羽ばたく燃料へと変換していく……ここは楽曲の最高潮のエモーショナルポイントであり要を成す箇所。みんなの~パートを歌う森嶋さんは感謝の気持ちを全部乗せて歌ったと言う。で……サビへと向かう前のフレーズ『だから羽ばたこう』と歌う林さんの伸び伸びとして張りのある歌声はまさしくフレーズにあるサビへと羽ばたく高揚感を纏った見事な歌声なんだ。


 そして、もう一つの要となるラスサビ前の『信じてやってみよう』の節。
ここを歌う厚木さんの歌声は柔和かつ繊細で芯の強さを感じられる。

『やってみなくちゃわからない!わからないならやってみよう!』と一歩踏み出す勇気を描いているのが『キラッとプリ☆チャン』が伝えていきたいテーマとされている。
自分自身と、共に往く仲間、寄り添ってくれる楽曲を信じる事を貫き通してひたすら前へと駆けだす。
三人が往くもう一つの軌跡は茨の道か、ぬかるんだ道か、彼方に光差す道なのかは往かなければ分からない。


 それでも、彼女達三人は信じてスタートを切ったのだろう。
煌めきが広がる景色に辿り着く事を目指して。

 

 

 

 

 


 プリマ☆ドンナ?メモリアル!


  
 『キラッとスタート』のカップリング楽曲。こちらも『プリティシリーズ』の楽曲であり、『劇場版 プリパラ&キラッとプリ☆チャン ~きらきらメモリアルライブ~』の主題歌となっている。


 この劇場版作品は『プリティシリーズ』から『キラッとプリ☆チャン』へと繋がる内容になっているとの事で、歴代の作品のタイトルや作中の台詞等、詞にシリーズへのオマージュが散りばめられた集大成となる楽曲との事。例を一つ挙げると、『プロミス 交わす約束』~『ライブ~』までの箇所の詞を縦読みすると最初の一文字目が『プリパラ』となる。

 曲調も『キラッとスタート』の系譜に連なっているが、こちらはテンポの勢いで突き進む感じのガーリッシュ的な愛らしい可愛らしさ(キュートさ)ではなく、フェミニン的な麗しさを感じさせるベクトルの可愛らしさ(プリティさ)。森嶋さんが言っていたこの楽曲の上品な可愛らしさの正体が、おそらくそれによる違いなのだろうと勝手に解釈させてもらった。曲題にあるプリマドンナの第一に浮かぶであろう上品というインプレッションにも掛けているとも捉えられなくもない。


 前述にあるように、この楽曲は『プリティシリーズ』の集大成となる位置付けに存在している楽曲。
以下に挙げる節は『集大成』という根拠と楽曲のキモとなる箇所であると感じている。

 

 ドキドキってドンナ?(モーメント) 

 キラキラってドンナ?(メモリアル)

 自分を変えちゃう時間だよ 輝くわたしになりたい!

 トキメキってドンナ?(フィーリング) 

 ワクワクってドンナ?(エモーション)

 未来に描いたイメージを叶えちゃおう だって!ダレだって!プリマ☆ドンナ!


 ―Run Girls, Run! 『プリマ☆ドンナ?メモリアル!』より引用

 

 特に気になったのが、括弧で括られたコーラス部分に割り振られた四つの英単語。
モーメント(瞬間)、メモリアル(本来の意味ではないが、おそらく記憶としての意味で使っているのだろう)、フィーリング(感覚or気持ち)、エモーション(強い感情≒感動)となる。
英語のままでこれらの節を歌うのは、聴き心地の良さと音としての響きを配慮しているのだろうし、そのまま捉えても何の問題もないと思える。あくまでもコレは私見の域だが、和訳して文脈を見ていくとよりここの節の箇所が深みを増す様に自分は思えてしまうのである。


 過去から未来へ想いを詞とメロディに乗せて、次世代の者達(RGR)へと託す。
長く続いているコンテンツだからこそ出来る事であり、シリーズのファンでRGRを知らない層へのお披露目的な楽曲の様にも……と、何とも粋な計らいと思えるのではないだろうか。

 

 『Run Girls, Run!』と『プリティシリーズ』との巡り逢いによって出来た『縁』とこの二つの楽曲は、RGR楽曲の新しい『軸』と『可能性』になった楽曲だと自分は思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

六月の雨を忘れない。

 人は忘れる生き物だと云う。


人にとって、忘れるという事は自然の理=当たり前のことであり、忘れる事によって魂の安定を図って生きていけるとされていると云う。そして、特権であるとも云われる。

しかし、忘れてしまった事も何らかの切っ掛けで鮮明に記憶を取り戻す事もある。それもまた、生きていく事に於いて必要不可欠なモノだとも言える事の様に思える。特に今の時代、その切っ掛けとなる媒体が多く存在している。
 

人は、忘れる生き物でありながら、忘れられない生き物でもあるのかもしれない。

 

 今年も、早いもので半年が経ってもう六月に突入した。
鼻腔に飛び込む季節の匂いに湿気を帯びた雨の匂いを感じる季節が来た。そして、網膜に移る風景は厚い鉛色の雲が空を覆った曇天模様。他の季節でもこれは感じられるモノではあるのだけれども、この六月という暦、五感への情報と刺激はある記憶を呼び覚ますトリガーとなるモノなんだ。


この日の東京の天気は雨模様。WUG聖地の仙台も雨模様だったと云う。


 あの日……2018年6月15日。ユニットとしての『Wake Up,Girls!』解散発表。
大袈裟な物言いになってしまうが、その報は一つの歴史の分水嶺であり終焉を告げるモノだ。きっちりと解散させるというのは聞いていた事ではあったが、いざ不意に聞かされた当時のショックは本当に大きかったものだ。

この時に感じたショックや悔しさは、リアルタイムで追っていた者にしか共感出来ない伝聞で知る事とリアルで体感した事の確かな違いの差。
これは紛れもない事実であるが、俺はその事実で別にマウントを取りたいワケでは無い。悔しさとあるが、最近知って惹かれた人にも知るのが遅かったという悔しさがあるだろうから。

ベクトルは違うが、共に感じた感情は同じモノで優劣なんかないのだ。

その刻でしか体感できなかったあらゆる感情はデータには残らない。当時を生きていた者達一人一人の胸の中にあるモノ。俺はそれを語り継ぐべきだと思っている。語り継いで未来へと繋ぐのは人の手で成すしかないのだから。


 このBlog内にWake Up,Girls!の事を彼女達を知り推す事となった時期から書く様になって、その記事数は現在200以上にもなった。勿論、これはただの数字でしかないが、一応俺としてはWUGの良さを伝えたいという執筆動機があって書き続けて来た。だから、最近知った人やこれから知ろうという層に読んでもらえると嬉しいし前提知識が無くても読めるように配慮しているつもりだが……

出来ていないと感じてしまったのなら、それは申し訳ない。
おっさんの熱が暴走したと思ってくれ。

 

 年を重ね誰もが何らかの事項を忘れてゆく。それは避けられない自然の理。
これから先、いつまでこの日の記憶を留めていられる自信と確証は無い。もしくは、朽ち果てるまで留めていられるのかもしれない。それは本当に分からないモノだ。

だからこそ、今記憶が鮮明に在るうちにこうやって文章を書いているのだと。



 また どこかの場所で そっと鍵をあければ

 勇気があふれだす 旅人を癒す水のように

 ―Wake Up,Girls! 『さようならのパレード』より引用



WUGの最終楽章『さようならのパレード』のここの節々、あくまでも私見だが記憶と記録について謳っている様に思えてならないのだ。


 六月の梅雨という暦、五感に訴えかける雨の匂いと曇天模様。
そして、自分が残した当時の文章が鍵となって記憶の扉が開かれる。


 六月のあの日の雨を忘れない…いや、忘れられないのだと。