巡礼者のかく語りき

自由気ままに書き綴る雑記帳

血の流れる生命と星の謳~LIVEでのPolaris独自考察

 先人曰く、楽曲というモノは進化(成長)していくモノであると。


……は?お前、何言ってんだ?生き物ぢゃねぇんだぞwwと、言う方はいるだろう。


うん、そのインプレッションは間違いじゃない。でも、正解でもない。

 

しかし、その無機質なモノが有機物……言い換えるなら、血が流れて生命が宿る場と刻が存在している。


その場と刻が、LIVEというモノなのだ。

 

 

 さて、楽曲が進化するという事だが、自分がこれまでにLIVE参戦して感じたある楽曲の進化についての個人的な解釈をこれから書いていこうと思う。


その楽曲は、Wake Up,Girls!』の『Polaris

 

f:id:Akatonbo02:20181014205201j:plain

 

 まず、楽曲『Polaris』の概要をざっくりと書く。


TVアニメ『Wake Up,Girls! 新章』挿入歌であり、作詞はWUGメンバー七人によって書かれている。劇中に於いてもキャラクター達が作詞を担当しており、後半のストーリーにその過程が盛り込まれている。音源ではWUGのベストアルバム『Wake Up, Best! 3』と『Wake Up,MEMORIAL』に収録されている。

で、実際のLIVEでは、2018年4月に開催されたWUG5周年ライブで初披露され、それ以降に出演したライブイベントにてほぼ確実に披露された楽曲。
キラーチューンであり、アンセムであり、煌びやかなだけじゃない負の感情まで謳う生命の謳。ありとあらゆる想いと魂が詰まった特別で特殊すぎる楽曲。


そして、自分が知る限り、LIVEを経て驚異的な進化を遂げた楽曲。
もしかすると今後これ以上に驚異的な進化を遂げる楽曲は出て来ないと思わされる程に強烈なインパクトを撃ち込まれたと言ってもいい。


 とは言え、急スピードで進化を遂げたワケではない。
披露を重ねる≒闘い続ける事によって楽曲が元々持っていた強さが更に引き出され、秘めていた限界領域までも解放させたと言うべきか。その要因となった出来事を検討してみる。

 


 最初の要因と思えるのは、2018年5月に開催された『Green Leaves Fes』

 

このライブのセットリストは、昼の部は楽曲を一般投票による結果によって決定し、夜の部はファンクラブ会員による投票によって決定している。

その中で『Polaris』は並みいるWUG楽曲を差し押さえて、昼は2位、夜は堂々の1位を獲得した。モータースポーツで言うならフロントローを見事に独占した形となった。

投票の基準は人それぞれ違うモノ。LIVEによく参戦される人なら披露の多い楽曲への投票はしないで披露の機が少ないレア的楽曲に投票しただろう。逆に、知って間もない人は最もインプレッションが濃くある楽曲へ票を投じたのだろう。

それらの票が積もり積もって『Polaris』を高みへと押し上げたと思う。

 

 

 次の要因は、落ちサビの吉岡茉祐さんによるソロパート。



  ひと粒の瞬きがボクを導いてく

  ココロから憧れた世界 満天の星空になる日まで

  ―Wake Up,Girls!Polaris』より引用



 ここのパートで高潔に歌い上げる吉岡さんの絶唱で、客席は白の光から彼女のイメージカラーである赤の光が血を流したかのようで鮮やかに染まる。この楽曲での彼女のソロパートはこの箇所のみというWUG楽曲では珍しいモノだ。

この赤の光は最初からやったワケでは無い。ファイナルツアーの最初の公演となった市原公演でこのパートを彼女が歌った時にサイリウムを赤にしている人を見たワグナーが次の座間公演で変える人が増えていって、Part1千秋楽の大宮公演でそれが完成した流れとなった。

前述に、血を流した様な赤と称しました。この楽曲でその様な表現をするのは好ましくないのは重々承知の上ですが……自分はあえて『血』という表現をこれまでにも使っています。
パート割り、推敲に携わり、血を流して生命の謳へと昇華させた吉岡さんへの感謝の念という赤の心の光なのではないだろうか。

SSAでのファイナルライブで吉岡さんは歌い切った後『ありがとう!』と言う。
我々の感謝の念と赤の心の光に対しての返礼の念が込められたモノだと勝手に思っている。

 

 


 最後は、シンガロングと手振りと肩組み。

 


 これもファイナルツアーを経て完成した流れだ。
『♪~La La La La LaLa』の箇所は七人がハーモニーを響かせると同時に観客もそれに合わせて一緒に歌いだす。曲名に冠された『Polaris』は北極星の英名でその星は古代から闇を照らして人を導く星。七人がワグナーをワグナーは七人をそれぞれに照らして導き合った。

 詞にもある『君』と『ボク』はその関係性を示唆する句なのだろう。
このみんなで一緒に歌うというのは新章の最終話のシーンにありそれを顕現させた。


そして…七人が横一線に並んで肩を組む所で観客も肩を一緒に組む。


正直な話、知り合い同士ならともかく素性も全然分からん隣の席の人と肩組むなんざ正気の沙汰ではない一種の狂気に駆られたモノ。でも、LIVEという場と刻がその概念をぶっ壊す。アスリートのスーパープレーに興奮して隣の見知らん人とハイタッチする心情に似たモノなのだろう。

書き出しにも書いたがLIVEという場と刻は非現実の領域、夢の中という解釈が出来ると思う。想いと魂が繋がって、導いて、輝いた。

しかし、終焉の刻は避けられないのがこの世の理。

だからこそ、無理だと知りつつも終焉の刻に抗う行為として共に謳い、肩を組んで繋がった尊い刻を全力で楽しもうという本能がそれぞれの身体を突き動かしたのだろうと思えてならない。

 

 

 

 七人の最後の衣裳となった『MEMORIAL』衣裳。

 

 

f:id:Akatonbo02:20190101203003j:plain

 

その衣裳には、七種の歴代楽曲の衣裳のワッペンが付けられている。
Polaris』衣裳のワッペンは左胸。即ち心臓の位置にある。

私見の域ではあるのだけれども……貼る位置を誰が決めたのかは分かりません。こうあって欲しいというエゴ含みの願いであるなら、その位置は七人によって決めたのかもしれない。

心臓(ハート)=魂という想いが込められたのならば、七人の本気の想いで詞を綴っ『Polaris』を象徴しているワッペンを貼るという事は、この楽曲が特別であり特殊である様に憶測ながら思えてしまうのである。


 血が流れて生命が宿る=進化する為には、ただ単にLIVEで楽曲を歌えばいいというモノではない。演出は言うに及ばず。楽曲が披露される順番。メッセージ性、表現者自身の成長や生き様と魂。観客の声援……etc

それらが複雑に絡みながら繋がっていって……現実とは隔離された領域が創造される。
傍から見ればそいつは異様な領域でもある非日常。棘のある物言いをするなら歌う側、聴く側双方がバカやっている状況と場だ。


でも、そのバカを真剣にやる事に意味があって面白い。


この事は、自分が実際にLIVE参戦する様になって感じられたインプレッションだ。
今はまだ叶わないが、今後も様々なLIVEへと自分は参戦するのだろう。

 


そう、非現実に身と魂を委ねて、ドキドキしてワクワクしたい。