巡礼者のかく語りき

自由気ままに書き綴る雑記帳

最終楽章『さようならのパレード』に込めた意地と真愛の情。

 『彼女達が凄いんです』


この言の葉を『彼』の口から聞けるとは思っちゃいなかった。
聞いた時、何とも形容しがたい胸が熱くなる感動と衝動が湧き上がって来た。


『彼』とは、作曲家の神前暁さん。神前さんが先日放映された配信番組に出演した
シンセの大学『神前 暁のSelected Works.』の中で言った言葉である。

 

live2.nicovideo.jp


 シンセの大学とは、DAWを用いた楽曲制作に携わるトップクリエイター達による公開トークイベント。本来は三月に開催されるイベントだったが、コロナウイルス流行の影響により急遽オンラインイベントでの開催となったとの事。

タイトルに、神前さんの名が記されている事から神前さんをゲストに招いて普段の仕事の模様、音楽業界へと進む事になった切っ掛けや、いくつかの楽曲の制作当時のエピソードが番組内にて語られた。その中で、自分が特に注目していたのが以下の項目だった。


 「タチアガレ!」から「さようなら」に込めた想い

・「タチアガレ!」from Wake Up,Girls!

・「さようならのパレード」from Wake Up,Girls!


Wake Up,Girls!』の原初の楽曲『タチアガレ!』と終焉の楽曲『さようならのパレード』についての事を、作曲者である神前さん自身から語られる事は、音楽理論の理の字の欠片すら無いしDAWが何の事を指しておるのか全然分からん自分でも非常に興味をそそられるモノがあった。


今回はこの項目で語られた、特に『さようならのパレード』について観て感じた事を書いていこうと思う。

 

 

 縁を繋いだ者としての"けじめ"を付ける為の楽曲

 

 神前さんと言えば『Wake Up,Girls!』の立ち上げから携わっていたWUGの生みの親の一人でもある。で、メンバー選出オーディションの審査にも携わっていた。WUGの七人を表現者という『縁』を繋いだ者でもあった。

だが、原初の楽曲『タチアガレ!』を制作し、続く『7 Girls War』の制作途中で神前さんは体調を崩されてしまい長期療養を余儀なくされてしまう。(神前さんはこの事をWUGへの育児放棄と言っていたが……)

刻が経ち、WUG解散の報が流れて…ラストアルバム『Wake Up,MEMORIAL』に収録されるメインマストであると言ってもいい四曲の作曲者の一人として神前さんの名が挙げられた。


楽曲名は『さようならのパレード』である。

 

 


 最初しか関われなかった僕が、ラストアルバムに曲を書くっていうのは


    凄く意味があるなっていう……これはやっぱり対(終)になる曲を作るしかない。

 責任を取るじゃないですけど、スタートとラストはちゃんと作らないとなと思って…

 

 

 これは番組内で語られた最終楽章『さようならのパレード』を制作しようと決意したとされる神前さんの心情だと自分は解釈させてもらった。復帰して変な楽曲(WUGのアイデンティティにそぐわないモノ)を作って悦に浸ってしまう事を良しとせずにちゃんと向き合って楽曲を作り、七人の新しい門出のはなむけとする事……


WUG楽曲全体での、作曲家としての、そして、産みの親の一人としての"けじめ"
似た様な言い方をすれば、自身の手で幕引いて決着を付ける様にもとれる。


自分は神前さんのこの言葉を聞いて、『さようならのパレード』という楽曲は"けじめ"を付ける為の楽曲だという新しいインプレッションを感じた。

 

 

 

 対であり終でもある楽曲、甦る魂。

 

 先述したように、『さようならのパレード』は『つい』になる楽曲として作られた。
この『つい』という言葉が意味しているモノ、自分は二つの意味があると勝手に解釈している。

 一つ目は『対』という字を書く方のつい。反対の関係にある意味でもあり二つで一組となるモノという意味もあって、例えるなら鍵と鍵穴の様にがっちりとはまり合う関係性は『さようならのパレード』と『タチアガレ!』の系譜を称するに相応しい言葉であると思える。


 二つ目は『終』という字。こちらも『つい』と読まれる。
この楽曲はWUG楽曲の最終楽章でもあるので、私見だがこちらの意味も込めて神前さんは『つい』という言葉をチョイスしたのかと勝手に思ってしまった。曲題にある『さようなら』の終焉=『終』であるというストレートなインプレッションがそれを撃ち込んでくるのだろう。


 番組の中で、この楽曲のデモバージョン(完成形のヤツとは違うバージョン)が流された。
完成形の方と聴き比べると全く違った趣きがある大団円的なグランドフィナーレを感じさせるしんみりとしたバラード調の曲調。対と終になる要素もメロディにきっちりと盛り込まれていて、こちらのバージョンも普通に素晴らしい楽曲だというのが率直なインプレッションだ。


このデモバージョンでOKテイクではあったが、神前さんはこのバージョンを没にした。

 

 


没にした理由は貼り付けた神前さんのツイートにある様に、三人(高橋邦幸氏、広川恵一氏、田中秀和氏)の楽曲を聴き、新しく作り直す事を決めたと云う。三人が作った楽曲は、大団円的な楽曲で綺麗に締めるというコンセプトではなく挑戦的な攻めの楽曲。神前さん曰くこれが彼らなりのWUGへのはなむけと愛情なのだと。

自分がこんな事を書くのはおこがましく無礼千万ではあるのだけれども……没にしたデモを聴いて感じたもう一つのインプレッションは、綺麗にまとまり過ぎて感傷的で情に訴え掛ける要素が強いと感じた。

勿論、その要素が悪いモノではない。現にOKテイクを貰っているし問題はないのだから。
でも、そうしなかった事に神前さんのある想いがあって新しく作り直す事を決意させたのだろう。華々しく終焉をきっちりを飾る為に……

 

 

 

 エゴという名の『意地』と、託されて応えた想いと魂。

 

 ラストアルバムのリリース後この楽曲について、神前さんはこんなツイートをした。


 

 


 『さようならのパレード』ラストフレーズは、歌詞カードに記載されていない『Wake Up』という言葉で締めくくられる。私見の域と暴論だが……歌詞カードに書かれていないから、おそらく作詞された只野菜摘さんはこの言葉を書いてはいないのだろう。


では、誰が入れたのか?その人物は神前さんだった。


この『Wake Up』は無理矢理に入れたと。それは神前さんからの七人へのエールであり、彼のエゴでラストに捻じ込んだと云うが……自分は神前さんのある想い=『意地』だった様に思えてならないのだ。


 本気の想いは伝播するモノ。あの七人がその想いに気付かないワケがない。
彼女達は託された最後の楽曲に血を流して魂を通わせた。その答えがライブ音源にあって、ラストフレーズ直前で奧野香耶さんが観客に向かって吠えるあの言の葉……



『みんなで、せーのッ!!!!!!!』である。



観客と共に在る刻と場、昇華させる為の最後のピースは七人とワグナーが照らす心の光。
七人の声とワグナーの声が交わり響き合う『Wake Up』の大合唱。
真剣に真っ向から向き合って、偽りない全力全開で託された願いに応える事はWUGの七人が六年の刻と軌跡で魅せ付けて来たモノだ。


歌というモノは嘘と誤魔化しが通用しないとされる。
そして、楽曲が秘めている限界領域を引き出し進化させられるのは人のチカラ無しでは叶わない。


 抱えきれない 大きな想いの鞄を

 あずかったことも 愛なのだと知っている

 ―Wake Up,Girls! 『さようならのパレード』より引用


神前さんは、七人のチカラと可能性に懸けて、真の完成を託した。ここに挙げた節はそれをさしている様にも捉えられるのではないだろうか。
WUGの七人も、託された想いに応えて真の完成……双方に在った真愛の情が終焉となったはなむけの楽曲に血を流して魂を宿したと…自分は改めて思い知らされたのだと感じてしまうのだ。

 

 

 

 最後に。


 よく、他者にモノを薦める時に、○○好き、ファンならコレを見るべし!という物言いがある。
自分はあまりこの様な言い回しは好まないが……この番組に関してはその考えを捨てさせてもらう。

7/22(水)23時59分までニコニコ動画タイムシフトに対応されていますので
WUG楽曲に惹かれた人、また、神前さんの作った楽曲に魂を揺さぶられた人、この記事には書いていない話、この番組でしか聴けないバージョンの楽曲もあったりと盛り沢山の構成になっており、まだこの番組を見ていない人は本当に見て欲しい番組だと思える。


ここでしか聞けなかった貴重な想いの話や楽曲が色々あった。
本当に観て良かったと思える番組をありがとうございました!!