巡礼者のかく語りき

自由気ままに書き綴る雑記帳

六月の雨を忘れない。

 人は忘れる生き物だと云う。


人にとって、忘れるという事は自然の理=当たり前のことであり、忘れる事によって魂の安定を図って生きていけるとされていると云う。そして、特権であるとも云われる。

しかし、忘れてしまった事も何らかの切っ掛けで鮮明に記憶を取り戻す事もある。それもまた、生きていく事に於いて必要不可欠なモノだとも言える事の様に思える。特に今の時代、その切っ掛けとなる媒体が多く存在している。
 

人は、忘れる生き物でありながら、忘れられない生き物でもあるのかもしれない。

 

 今年も、早いもので半年が経ってもう六月に突入した。
鼻腔に飛び込む季節の匂いに湿気を帯びた雨の匂いを感じる季節が来た。そして、網膜に移る風景は厚い鉛色の雲が空を覆った曇天模様。他の季節でもこれは感じられるモノではあるのだけれども、この六月という暦、五感への情報と刺激はある記憶を呼び覚ますトリガーとなるモノなんだ。


この日の東京の天気は雨模様。WUG聖地の仙台も雨模様だったと云う。


 あの日……2018年6月15日。ユニットとしての『Wake Up,Girls!』解散発表。
大袈裟な物言いになってしまうが、その報は一つの歴史の分水嶺であり終焉を告げるモノだ。きっちりと解散させるというのは聞いていた事ではあったが、いざ不意に聞かされた当時のショックは本当に大きかったものだ。

この時に感じたショックや悔しさは、リアルタイムで追っていた者にしか共感出来ない伝聞で知る事とリアルで体感した事の確かな違いの差。
これは紛れもない事実であるが、俺はその事実で別にマウントを取りたいワケでは無い。悔しさとあるが、最近知って惹かれた人にも知るのが遅かったという悔しさがあるだろうから。

ベクトルは違うが、共に感じた感情は同じモノで優劣なんかないのだ。

その刻でしか体感できなかったあらゆる感情はデータには残らない。当時を生きていた者達一人一人の胸の中にあるモノ。俺はそれを語り継ぐべきだと思っている。語り継いで未来へと繋ぐのは人の手で成すしかないのだから。


 このBlog内にWake Up,Girls!の事を彼女達を知り推す事となった時期から書く様になって、その記事数は現在200以上にもなった。勿論、これはただの数字でしかないが、一応俺としてはWUGの良さを伝えたいという執筆動機があって書き続けて来た。だから、最近知った人やこれから知ろうという層に読んでもらえると嬉しいし前提知識が無くても読めるように配慮しているつもりだが……

出来ていないと感じてしまったのなら、それは申し訳ない。
おっさんの熱が暴走したと思ってくれ。

 

 年を重ね誰もが何らかの事項を忘れてゆく。それは避けられない自然の理。
これから先、いつまでこの日の記憶を留めていられる自信と確証は無い。もしくは、朽ち果てるまで留めていられるのかもしれない。それは本当に分からないモノだ。

だからこそ、今記憶が鮮明に在るうちにこうやって文章を書いているのだと。



 また どこかの場所で そっと鍵をあければ

 勇気があふれだす 旅人を癒す水のように

 ―Wake Up,Girls! 『さようならのパレード』より引用



WUGの最終楽章『さようならのパレード』のここの節々、あくまでも私見だが記憶と記録について謳っている様に思えてならないのだ。


 六月の梅雨という暦、五感に訴えかける雨の匂いと曇天模様。
そして、自分が残した当時の文章が鍵となって記憶の扉が開かれる。


 六月のあの日の雨を忘れない…いや、忘れられないのだと。