巡礼者のかく語りき

自由気ままに書き綴る雑記帳

お楽しみはこれからだ!―Wake Up, Girls!FINAL LIVE ~想い出のパレード~開幕へ寄せて。

遂に来てしまいましたな……Wake Up,Girls!の終焉の刻である2019年3月。

 

 

 

まずは、Wake Up, Girls! FINAL TOUR -HOME-全33公演無事終演お疲れ様でした。
本気の想いと魂を届けてくれたWake Up,Girls!のメンバー、七人を支えたスタッフの皆様。各会場に参戦され、そして参戦レポを書き綴って下さったワグナーの皆様本当にお疲れ様でした!!


ツアーが終幕し残るは…3月8日に約束の地・さいたまスーパーアリーナにて開催される

 

 

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Wake Up, Girls!FINAL LIVE ~想い出のパレード~を残すのみとなった。

 

 

 

 

 

9ヶ月という『刻』の中で…

 


 突然のWUG解散発表=終焉の刻が告げられたのが2018年の6月15日の事だった。
解散について書いた記事に俺はこう書いた。



Blogという媒体にて彼女達七人の軌跡や感謝を綴り記録と記憶として残す。
勝手だが、俺が出来る最良の形であり七人に対しての感謝の意を示す事であると…



ファイナルツアーという闘いの中で彼女達七人が解き放った輝き…ある方はそれを
”狂った輝き"と称した。33公演という乱暴な公演数であったが七人はそれに真っ向から立ち向かい闘った。狂気的な要素に惹かれて魅せられてしまうのは

人として抗えない『性』(さが)なのだろう。

だが…冷静にこの9ヶ月という刻を振り返ってみて改めて自身に確認してみると、ハッキリと形として100%示せていたとは到底思えないのだと痛感させられている。
ただし、コレは俺の伝えようとする想いと具現化する表現力が伴っていなかったという事。

それについての言い訳は一切するつもりは無いし、勿論後悔も無い。その時で自分が今出せる全力をもってこの9ヶ月間、俺なりにWUGの終焉の刻に向き合ったと思えるし
各々がその人なりのWUGへの向き合い方、言い換えるならば本気の想いと魂を懸けた『証』があってそれには優劣なんてありゃしないし単純な物差しなんかで測れるモノじゃない。

その人自身の唯一無二の懸けて来た事への『勲章』なのだから。そして…この最期の刻に、想いと感謝を告げられる『機』と『場』を設けてくれたWake Up,Girls!の七人と関係各位にはこの言葉しかない。

 


『本当にありがとう』と……

 

 

 

 

 

辿り着いた"約束の地と刻"

 

 


このSSAでの単独公演が決定し発表された時、俺は本当に心底嬉しかった。
そしてその場に参戦出来て瞬間の刻に立ち会え、感謝の想いを叫べる事が何よりも喜ばしい。


七人が誓い合い七人でいられる刻を大事にして
言い続ける事、自分を信じて挑み続けられる者が掴めるモノ。

 

俺が最後に参戦したのは、ファイナルツアーPart1の大宮公演。
その会場だった大宮ソニックシティ大ホールからSSAまでの道のりは約2kmの距離にある。中距離ランナーが駆ければ4~5分で着くらしいがWUGが単独公演の機を
勝ち取るには初めてアニサマの舞台に立ってから約五年の刻が経ってからだ。
沢山の想いがそこには詰まっている。ここまでの刻とこれからの刻。たった一日の夢の舞台に年月と物語と未来がある。

 


己の…七種七様の『個』の力という『剣』が勝ち取った夢物語を思い出の日付として刻んで、自分らしさから生まれた景色を、信じて、感じて、愛して…二度と戻らないその日が明日(未来)を連れ、熱を帯びて尚焦がれる想いと希望は膨らみ輪になって
それぞれの選んだ願いを届ける為に自由な意思で可能性へと挑んで心を写し偽りの無い本能で夢の続きへと走り出す。

刻が経つうち、それは全部が夢の様に知らない顔に戻ってしまうかもしれないが…どんなに刻が過ぎても忘れはしない想い。
過去と未来の狭間で生きる者達である七人の言霊と我々の本気の想いが重なり合って響き一緒に物語の先へ行く。


約束の地、約束の刻で観られて共有出来る"奇跡"がさいたまスーパーアリーナにある。

 

Wake Up,Girls!に多くの可能性を感じて…


Wake Up,Girls!に魂を揺さ振られ燃え滾り……


Wake Up,Girls!にこれから先も多くのものを見せて貰いたかったから………


Wake Up,Girls!に懸けた。

 


当然、SSA単独公演まで進むに至った軌跡の中で、俺の応援が意味を成している部分なんて一握りにも満たない。んな事は解っている。
それでも、俺がこの日まで彼女達七人に惹かれ応援して来て記憶を記録として忘れ得ない事として全身全霊をもって書き殴って来た。
俺はファイナルツアーにはPart1にしか参戦出来なかった。
その間色々なワグナー諸氏による参戦レポや所感を拝読させて彼女達七人が魅せ付けた輝きとワグナーの本気の想いに間接的だが知る事が出来た。



そして、今度は俺の番です。

 

 

 

 

全てに意味がある。すべての『答』は彼の地に…

 


WUGの七人へのこれまでとこれからの感謝の念、約束の地での本気の想いと魂を、心の限りの応援と感謝を胸に秘めて全力で楽しさを受け取ります。
そして、己の目と耳と脳ミソに刻み込んだその記憶を記録として書き殴りたい。参戦の叶わなかった人達に微力だろうが伝えたいんだ。


楽しいけれども寂しい。そうなのかもしれない。だが俺はあえてこの言葉でもって
このクソ熱苦しい最終決戦への決意表明の締めとさせてもらう。

 

 

『お楽しみはこれからだッ!!!!!!!』

 

 

3月8日は俺のこれまでの想いと魂を全てぶつけて出し尽す。
想い出のパレードが世界中に誇れるような公演になるような、そんな空気を創りだすお手伝いをさせて欲しい。
さいたまスーパーアリーナでの大舞台を全力で楽しみましょう!!!!!!!

 

 


最後まで読んで下さって、ありがとうございました。

 

 



 

 

参戦レポを書きたいと決意された方へ…

 どうも。あかとんぼ弐号です。

 


長かったWUGファイナルツアーも無事終演し、残すのは約束の地・SSAファイナルライブとなりました。
このツアー期間の間に自分も含め様々な方達が参戦レポという形式で、彼女達七人の本気の想いと魂を残そうと文章に綴られました。
俺は、Part1以降は参戦出来なかった身なので参戦された方達が綴られた参戦レポを拝読して間接的ですが、彼女達の本気の想いに触れる事が出来たと思っております。


で…様々な参戦レポを読まれて、自分が参戦して感じた感動を自分も書き残したい!
だけれども、参戦レポなんて書いた事ないし、語彙力ないし、どう書いて良いのか分からないと踏ん切りが付かずにいる人達に、勝手ながら『書きたい!』という新たな一歩を踏み出そうとされる方の背を押せる一助となればという想いを込めて、自分がこれまでに書き殴って来た書き方を幾つか例として紹介させていただきます。
あと、コイツの書き方はあてにならねぇ!と反面教師にしてもよろしいかとww

 

 

 


CASE.1 披露されたアクトの所感をひたすら書く。

 

 

 これは自分がこれまでに一番多く使っている書き方であります。
全ての形式にも言える事ですが、書き方についての正解なんてモノは存在しません。
箇条書きでも良いですし、感じた事やメモを取られていてそれに基づいて書くのも全然アリです。
因みに俺は参戦時には一切のメモは取らないので、基本は大雑把なモノとなります。じゃぁ、どう書いておるのか?なんですが……

 

色々と盛るんです。徹底的にwwww

 

盛っている典型的な例がこちらの参戦レポ(特にオオカミとピアノの項)

 

akatonbo02.hatenablog.jp

 

ただし、盛ると言ってもこの場合は大袈裟な表現で書くというのが正しい。
俺が頻繁に使う語は『想い』、『魂』、『闘い』、『絶唱』が多いww

この書き方の最大の特徴は、現場とアクトの雰囲気が読者に伝わり易い所だと思われますね。

 

 

 

CASE.2 要となるアクトに重点をおいた所感。

 

 

 これは複数公演、特にツアー参戦で幾つかの箇所に参戦して自分が感じた公演の要となったと感じたアクトの所感を軸にして書いていく形式です。
勝手な持論ですが、ライブや楽曲というモノは『生き物』であると自分は思っています。
例えば最初に参戦した所では『A』という楽曲が最も印象深く残ったが、別の所では『A』よりも『B』の楽曲の印象が勝ったり。
あと、ツアー全体で伝えたい想いを自分なりに汲み取って感じた解釈を綴ったりと、こちらの形式の方が書き易い所もあったりします。

 

 

 


CASE.3 参戦時に感じた全ての要素を盛り込む。

 


 CASE.1同様披露されたアクト全体を書く形式に似ているが、こちらはアクト毎に区切って書くのではなく流れに沿って書くという感じでしょうかね。
流れを重視したモノが書きたいのであればMCであったり、演出面について触れたりしていくとより場の雰囲気が読者に伝わり易いのかと思えます。

 

 

 

番外編. 参戦していないライブの所感。

 


 挙げておいて何ですが…まぁ、コレはお薦めしませんwww


書き方は、CASE.2の要なったアクトに重点をおいた所感を書く形式になる。
と言うか、それでしか書き様が無いww
過去に俺が何度もやらかした所業を曝しておきますのでよろしかったら読んでみて下さい。

 

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 取り敢えずはこんな感じで三つの例を挙げさせていただきました。
前述にも書いた様に書き方に正解も不正解もありませんし語彙力なんて必要ありません。人それぞれが感じたエモーショナルな感動と情熱…
キャラ・キャスト・曲・物語…何が観れた、何が聴けた…何でもいいです。
本気の想いと魂を解き放って下さい。それに応える人は必ずいると思います。
優劣なんて関係ない。俺はその人なりの楽しみ方や本気の想いをただ知りたい。

 


だから…一人でも多くの方に書いてもらいたい。
彼女達七人が大事にして来た刻と想い。
そして、参戦して感じた本気の想いと魂を。

 

 

 

 

WUG楽曲 ライナーノーツ #21 同じ夢を見てる/Knock out

 誠に残念ながら…WUGの終焉の刻が過ぎようともこの駄文ライナーノーツシリーズは
しぶとく続けていく事を勝手ながら誓約した次第であります。


誰かが彼女達が残したモノを語り継げば、永遠では無いにしろ楽曲が朽ち果て忘れ去られる事はないのではないだろうかと…
勿論、俺の駄文にそんな効果を見込めるとは思えないのは自分でも承知の上だがそれでも書き殴りたいんだ。
こんな妄想と暴論で塗り固められた駄文だが…お付き合い頂ければ幸いです。

 

 

 

 

 

 同じ夢を見てる/ミツキとヨウコ

 

 

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 WUG新章エンディング楽曲『雫の冠』のカップリング曲で、劇中劇『夢見るふたり』に主演していた岩崎志保と島田真夢によるデュエットソング。
作中(ドラマ内)の登場人物であるミツキとヨウコの友情と恋愛に揺れる心情描写を謳った楽曲。
I-1clubの元・センターである真夢と志保によるダブル主演という話題性と言う周囲の雑音を意に介さず、真夢と志保は撮影という同じ刻を重ねていくうちにミツキとヨウコの心情に寄り添って魂を共有させていく。
そして、それと同時に真夢と志保との空白の刻を埋め合わせて繋ぐ刻でもある様に思えても来る。

 

同じ刻に出会って 初めて恋したこと

ずっとずっと忘れないでいて


―ミツキとヨウコ『同じ夢を見てる』より引用

 

同じ『刻』に出逢い、同じ『夢』を見て、同じ『道』を往く。…ミツキとヨウコ、そして真夢と志保との共通項の語句。
ミツキとヨウコの恋慕の情を歌っている楽曲でもあり、別な解釈をするならば真夢と志保の互いの『才』への憧憬や惹かれている心情を描写している様にも捉える事が出来るのだけれども
自分はこの楽曲デュエットソングであるが、岩崎志保の想いが前面に押し出されている楽曲の様に思えてならないのだ。
コレは後付け感が否めない所ではあるのだが、WUGの二作目の舞台『青葉の軌跡』においての彼女と近藤麻衣や高科里佳とのやりとりにそれが垣間見えたと自分は思えて来る。
憎悪に近いライバル心を抱きながらも、真夢の『幻影』を追いかけ勝ちたいと願い…そして彼女の幸せをも願っている相反する感情と想い。単純じゃない『縁』が真夢との間には存在していて『縁』は一度途切れたが『縁』はまた彼女達を巡り逢わせた。

 

同じ道がいつか分かれてもかまわない

きっとまた夢で逢えるから


―ミツキとヨウコ『同じ夢を見てる』より引用


この共闘(共演)を経て、単なるライバルではなく"戦友"へと昇華した彼女達の『縁』。島田真夢は言うに及ばず、鈴木萌歌も自分は『新章』の主役と称したが
岩崎志保も『新章』の主役の一人と称しても良いのではないだろうか。
切なさや儚げさをも感じ入る曲調はネクストストームとI-1との狭間に揺れ動いていた志保の心情と重なり合う様に思えてならないのである。

 

 

 

 Knock out/I-1club

 

 


 舞台『Wake Up,Girls!青葉の記録』の挿入歌で、ベストアルバム『Wake Up,Best3』に収録。
I-1clubの楽曲であるが、岩崎志保役の大坪由佳さん以外は舞台版のI-1メンバーキャストにて歌われている。
表記が異なっているが、舞台版の物語の時期から推測すると(WUG結成の頃=七人のアイドル)おそらくI-1のメジャー3rdシングルとしてリリースされた『ノックアウト』であると思われる。
作中の設定では楽曲のリリースは島田真夢がI-1に在籍していた時期だが、劇中では真夢が脱退後になっておるので志保がセンターポジションで鈴木萌歌が新たに加わったモノとなっている。
現実での披露とWUG作中での披露時期がかなり異なっているので、本稿ではまず作中においての時間軸でこの楽曲の所感を書いていく事にする。


メジャーデビューとなる1stシングル『リトル・チャレンジャー』は曲題にあるように未知の領域への挑戦と泥臭さを感じさせる直球的な楽曲。
詳細は一切不明ではあるが2ndシングル『渚でハイタッチ』はおそらく『シャツとブラウス』と系譜を同じくする爽やかさを描写している王道的なアイドルソングなのだろうと曲題からは推測出来るのかと思われる。
そして3rdシングルとなるこの『Knock out』は前2作とは趣きが全く違うモノとなっていて、系譜としては『ジェラ』と同じくする艶やかでクールな所謂『格好良い』系統の楽曲に仕上がっている。
『リトル・チャレンジャー』同様挑戦者魂を思わせるが『闘い』の楽曲である要素の方が強い様に自分は思えて来て、歌い出しのこの『Prefect LOVE』『Prefect DREAM』『Prefect GIRL』は、I-1が出陣する際の円陣にてキャプテンが言い放つ絶対王者の掛け声である『誰よりも激しく!誰よりも美しく!誰よりも正確に!I-1 club、行くぞ!』を彷彿させると勝手ながら思えて来るモノであり、白木徹が理想として掲げている『究極のアイドル』を勝ち取る『闘い』は始まっていたのだろう。

で、『闘い』の楽曲であるのだけれど、歌詞が紡いでいるのは直情的に感情を爆ぜているモノではなく、どこか挑発的で不遜な要素が印象に残っている。
詞にあるgorgeous(華やかさ、華美)やgenius(非凡な才=天才)が示しているのもその一端であり以下の箇所はその極致であると思える。

 

新人らしくない なまいきだと言われても

そういう生きもので 夢の中を歩いてきた

いっしょにしないでね どんなに魅力的だって

闘いをしらないラウンドガールとは違う


―I-1club『Knock out』より引用

 

ただ『闘う』だけじゃない。glorious(栄光)を勝ち取り輝き続ける事が義務付けられている。
3作目となるこれまでとは毛色の全く異なる要素で作られたこの楽曲とセンター・島田真夢で賭けに打って出た。
結果、この楽曲もミリオンセラーを達成という成果を挙げる事となりI-1の隆盛が絶対的なモノとなった。思えばこの時期からもう既にI-1と白木徹は止まれなくなってしまったのかもしれない……

 

 

 毎度の事ながら、本稿の内容は自分の妄想と暴論により書き殴った駄文であります。
読まれて共感していただければ嬉しいですし、また、自分の考察の方がマシだから読んでみやがれ!というこちらに対しての反論をぶつけるも良し。
様々な方達が独自考察をしていく事で冒頭に書いた様に楽曲が忘れ去られず、朽ち果てない事にも繋がると思えるんです。
色々な考えや解釈に触れるのはまた面白く刺激的。
と、言うかは自分がそういうのをもっと知りたいのであります。

 

 

 

 

 

 

 

異端者による 『Wake Up,Girls!新章』独自考察 【目次】

 TVアニメ『Wake Up,Girls!新章』の独自考察記事を書いたは良いが
思いの外記事の本数が多くなったので、取り敢えずまとめました。

 


*記事の内容に関しては本編のネタバレを容赦無くぶち込んで書き殴っていますので
閲覧の際はご注意願います。

 

 

 

 

【物語全体&楽曲考察編】

 

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【人物考察編】

 

 

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 中にはクソ長い文になっている記事がありますがwwwお時間がありましたら読んでいただけると咽び泣いて喜びますのでどうかお願い致します。

 

 

 

 

 

 

One offと普遍的&汎用性が織り成す楽曲の物語。

 毎度ながら、今更改めて書く事ではないのですが…
当Blogの考察系の記事は100%俺の私見&暴論で書き殴っております。
なので、閲覧の際には本気で内容を捉えるのでなく、アホ(俺)がまた何か書いていやがるな…という生温かい視点で右から左へと流し読みされる事をお薦め致します。


さて、恒例の釈明大会はこの辺りでお開きにして本題へ入らせていただきます。

 

 

 

 

 前回の記事にて『止まらない未来』が持つ『物語』について色々と書かせてもらった。
本文中に、WUGが『止まらない未来』を3rdツアーで歌った際に感じた第一印象が違和感の無さであり、シンクロ具合の様な合致感だったと書いた。
ライブでの披露がこの時初めてだったという要素もあるのだが、音源は既にリリース済みであるにも関わらずにその印象を抱いたのは、この楽曲が普遍的要素に重きを置いた…
言いかえるならば汎用性重視というコンセプトにて作られた楽曲であると勝手ながら感じている。
続・劇場版後編『Beyond the Bottom』作中に於いて島田真夢の台詞に前述の様な物言いがある。

 


―極上スマイル、I-1が歌っても違和感が無かった。―

 


現実に於いても、I-1の名義にて『極上スマイル』の音源がリリースされている。
で、真夢の台詞が証明している通り、現実にI-1、そしてWUGが混じっているがランガ、更にはi☆Risが混じって歌ったとしても違和感はない。表現が雑で申し訳ないが…誰が歌っても良く違和感を感じないのである。

 

 

さて、ここからは『If』…もしもの話になる。

 

(先に言ってしまうが、またI-1サイド絡みの事になるのでうぜぇ…と思われたらスルーを推奨します)

 

 聞かない話ではあるのだけれども…
『止まらない未来』のWUG.verに違和感を感じないのなら、『素顔でKISS ME』、『少女交響曲』のI-1.Verはどうなのだろうか?と。

(ちなみに、この二曲を挙げたのは単純に俺が聴いてみたいと思ったからであるwww)

系譜的に『ジェラ』と相通じる要素のある『素顔でKISS ME』のカバーは違和感無く受け入れられると勝手ながら思う。
何故なら、この楽曲も普遍的・汎用性の高い要素があるからだと自分は感じているからである。
作中で久海菜々美が『全然歌った気がしない』と不満をぶちまけWUGらしくない楽曲という烙印を押した。このWUGらしくないという要素の解釈を別の角度にて捉えると、普遍・汎用性という解釈に辿り着くのではないだろうか。


一方で『少女交響曲』の方はどうだろうか?こちらの方は、自分はハッキリ『否』という答えが出ている。


理由は単純。この楽曲は普遍的・汎用性という要素を排除し、WUGの為の"One off"仕様楽曲だからである。


疑うこと 覚えたらキリないけど 

みんな弱いよね 私も同じ

人と人とが つながるって奇跡

次の瞬間 この手は離れるから

ごめん さよなら


Wake Up,Girls!少女交響曲』より引用


自分のWUGライブ参戦レポの所感には、毎回この箇所が『少女交響曲』の要となる部分と書いて来た。
I-1のボーカル部門のツートップである(自分の所感)明坂聡美さんと安野希世乃さんが歌ったらと想像(妄想)するだけでも肌が粟立ち、聴いてみたいと思わせる。
だが……100%を超えた領域以上のモノは感じられないと自分は思っている。その領域を超えて更に限界に進んでいくには、技量を凌駕したまた別な要素が必要になるのだろう。
それは楽曲が表現者に踏み込む領域≒答えを提示しているのかもしれないし、刻がそれを解決するのかもしれない。
思い入れや贔屓目があるのは百も承知だがあえて言わせてもらうと、『少女交響曲』の要の部分に血を流せて真の想いと魂を宿せるのは…


吉岡茉祐さんと青山吉能さんの"魂の絶唱"だけであると言えるのである。

 

 

 正直、何を書きたいのか、何を書いておるのかがワケ分からなくなってしまいました…
ただ書きたかったのは、カバーが悪いというモノではなく楽曲の持っている限界領域や物語性を如何に引き出して伝えられるのかについて書きたかったのですが…
それが出来ずに迷走した駄文になってしまったのは単純に自分の力量不足であります。
駄文なのは毎度の事だし、元々生き恥の塊みたいなBlogなので別にいいですがwww
もし、読まれて不快に感じてしまったのでしたら本当に申し訳ありません。


最後に、繰り返しですがこの記事は自分の私見によって書いたモノです。
違う考えをお持ちの方がいたら、是非とも伺ってみたいですし
個人の考えなんて狭い見識で出来上がったものでしかありませんから
いろんな見方や考え方を知りたいです。

 

 

 

 

『未来』を謳った楽曲の物語。

今回の記事は、ある楽曲が持つ『物語』についての独自考察。

そして、本来なら本稿はこの機に世には出さないつもりでしたが
いろいろありまして……今回この様な形としてお届けさせていただきます。

 

 

 

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I-1club/『止まらない未来』が持つ楽曲の『物語』について書き殴っていく。

 

 

 

 

 


Chapter1/ WUGにおける『止まらない未来』披露の意義と機

 


 WUGによる『止まらない未来』が披露されたのは、3rdツアーと2018年のバスツアー内の五周年ライブ。一見すると、全然関連性の無い時間軸にも感じられるが、自分はこの二件には共通するモノを密かに感じている。


その共通項だが、その当時の置かれているWUGの状況であると見ている。


まず、3rdツアーでの状況から述べさせてもらう。2015年に公開された続・劇場版後編『BtB』にてアニメ作品でのWUGの物語は一応の完結というか区切りを見せた。
作品としての先行きが無いまま迎えた3rdツアー(新章の話は3rdツアー開始前には伝えられていたと後に語られたらしい)で七人は力強い決意と覚悟で我々に誓った。


―今度は七人で作品を引っ張っていく―と。


WUGによるI-1カバーのコーナーは1stから続いて来た恒例のモノであったので
3rdツアーでのI-1コーナーの初手に何を披露するか注目していたのは自分だけでは無かったはずである。
そして、3rdツアーの初陣・千葉公演で披露されたのは『止まらない未来』だった。2015年のWUGフェスでは披露の叶わなかったこの楽曲を七人は見殺しにせずに
『忘れ物』を届けてくれた。
こいつは自分の偏見混じりでもあるのだけれども、3rdツアーで最も披露が待ち望んでいたのはこの楽曲と『運命の女神』であったと。
物語において、新生・I-1本隊の『始まり』の楽曲でもあり勝負を懸けた決戦用の楽曲だと思える楽曲。勝負を懸けて臨んだという点では作中のI-1本隊と3rdツアーでのWUGの七人に共通している事であり
それを考慮してみるとWUGとこの楽曲との関わりは無視は出来ないのではと思えてならない。

 

二度目の機となったのが、WUG五周年記念ライブでの披露。そして、この項にて避けられないキーワードが存在している。それはWUGの解である。
実際の所、最終的に解散という決断に至ったのかは勿論我々には窺い知れない所ではあるのだけれども、今後の身の振り方の様な話はおそらく相当前からの時点であった様に思える。
そんな状況の中にて迎えた五周年バスツアーとライブだったのではないのだろうか?
今後の更なる飛躍を期待していた人もいるし、逆におぼろげながら終焉の刻を恐々しながら予見していた人もいる。
『未来』というモノは本当に誰にも分からない不確定で不安定なモノ。七人がこの時点(2018.3月末)で未来の事に何を想っていたかは勿論我々には分からない。
私見の域ではあるが、一つ確かだと思えるのは…人の眼は背中にはついていない。何故なら前に向かう為=未来に向かう為に存在しているモノ。そして刻というモノも過ぎてしまったら二度と戻すことは叶わない。
先の見えなかった状況の3rdツアー、そして見据えていたであろう五周年を経て終焉後の未来に挑む事と懸けている想いが込められ、セットリストに組み込んだのだと自分は解釈し結論付けさせていただく。

 

 

 

Chapter2/ 新生・I-1本隊における『止まらない未来』披露の機と意義

 

 

 自分が参戦したWUGフェス2016(Wake Up, Girls!Festa. 2016 SUPER LIVE)の参戦レポに自分はこの楽曲のアクトにこういう所感を書いた。


失われた最後のパーツ(I-1本隊の魂)がようやく帰って来た。


センター・岩崎志保(CV.大坪由佳)が去り、新センターの座を射止めた鈴木萌歌(CV.山本希望)と新しい“血”である高科里佳(CV.上田麗奈)を加えた新布陣。
本来ならこの前年に開催されたWUGフェス2015にて見られなければならなかった光景であると自分は未だに主張している。
そしてようやく迎えた真の『止まらない未来』披露の機。WUGフェス2016のパンフレットに記載された出演陣のサインの傍らに書いてる意気込み。


加藤英美里さんは、I-1がどういうチームかもう一度教えてあげる。と。

山本希望さんは、ゆずれない。と。

福原香織さんは、負けない。と。

明坂聡美さんは、絶対に渡さない。と。


WUGが3rdツアーでこの楽曲を見殺しにはしなかった事への感謝。そしてその想いに報いる為にはWUGが魅せたモノを本家としては凌駕したモノを魅せなければならない意地とプライド。
この楽曲、そして鈴木萌歌のイメージカラー、未だこの案件は叶っていないがアイドルの祭典・2015にて纏っていた衣裳、全てにおいて共通している『青』という色。

『青』には様々な意味を成す言葉がある。海や空の色然り、若いという意味でも使われてもいる。『海』は生命の源とも言われていることからWUGの生命の楽曲『BtB』と同系譜に属すという解釈も出来る。
そして、次世代の象徴として描かれていた鈴木萌歌。若いという括りで見れば彼女に相応しい色となると単に『赤』の対比ではなく『青』をあてがったのも頷ける様にも思えて来る。
また、青年期を人生の春に例えて『春』という意味合いもあったりするので新たなI-1の体制で更に磐石な地位を築くという意味をあるのかもしれない。


 あくる年でのWUGフェス2017(Wake Up, Girls!Festa. 2017 TRINITY)では、『Jewelry Wonderland』の前に披露された。
自分の中では、『運命の女神』→『止まらない未来』→変化の為の進化を謳った『君とプログレス』→I-1という存在の集大成『Jewelry Wonderland』という繋がりのある系譜と組曲的な楽曲陣である様に思えて来る。
I-1サイドでのこの『止まらない未来』の解釈はまたWUGのモノとは違って来る。
止まらないのではなく、どうにも出来ない、自分では止まる事の出来ない領域にまで到達してしまってこれまでに様々な事を犠牲にして来た。
何かを勝ち取るには何かを犠牲にしなくては掴めない。それも世の理なのだろう。作中にて特にクローズアップされていたのが人としての感情だったと思う。
他者の尊厳を踏み躙る様であるが、そこまでしなければならないのかもしれない。でもそこまでする必要もないかもしれない。その答えは誰も正解を答えられないし存在してないのだろう。
『信じてる』と歌詞にあるが、各々が殉じている『信念』をも謳っている楽曲である様にI-1サイドの方は解釈が成り立つのではないだろうか。

 

 


Chapter3/『止まらない未来』を作ったのは誰なのか?そして繋がるあの楽曲との関連。

 

 コレに関して現在までに公式の設定が発表されていないので、妄想と暴論の域で語るしかない。
よく目にする意見の多くは、白木徹か早坂相のどちらかによるモノではないだろうか。但し、本稿においては早坂相という説に基づいて書き綴るものとする。


これまで自分の中では、白木さんによる一択という解釈であると思っていたし、それは揺るがないモノでもあるのだけれども
だが…新章の人物考察での早坂さんの項を書いている時、そして、色々な方の意見を散見するうちにいろいろと思う所が出て来たのである。
早坂さんがWUGに託した楽曲『少女交響曲』。ある方の意見で『止まらない未来』はWUGが歌っても違和感の無い楽曲と称していた。
そう、3rdツアーに直に聴いてみた第一印象がまさにその違和感の無さであり、シンクロ具合の様な合致感だった。
それを考慮してみるとある仮説が自分の中では成り立って来る。


少女交響曲『止まらない未来』
姉妹曲という系譜で繋がっているのではないかと。


この暴論は、早坂相が『止まらない未来』を作ったという説を証明出来る事項の様に思えて来る。
『止まらない未来』のカラーは『青』。少女を若い存在=『青』という解釈にて捉えるのならこの関連(無理矢理なのは承知の上だが…)無視出来ないとも感じられるし
『初恋』や『信じる』という語が双方の楽曲に用いられているし未来への不安を感じている要素は単なる偶然という事で片付けるのはいささか違う事にも思えて来る。
おそらくこの二曲が作られたのは同時期だと自分は推測している。東京で成功したのならWUGにこの楽曲を託したかもしれないし
変革の刻に臨むI-1の起爆剤的な楽曲となるべく作られた楽曲にも解釈できるが、止まらないという語が白木徹の現在の生き様を模している様にも捉えられる。

 


あくまでも自分の解釈だが…2015アイドルの祭典で歌われた楽曲はそれぞれの時間軸を証明する楽曲という括りにも解釈出来る。


過去を(島田真夢への想いと、死んで生まれ変わる=敗れたという過去)を謳ったネクストストームの『レザレクション』

現在を謳った今生きる刻の者としての生命の輝きであるWUGの『Beyond the Bottom

そして、未来を謳った、信念の楽曲であるI-1clubの『止まらない未来』


これらの楽曲に込められた彼女達の想いと魂。それぞれが信じている刻。
『過去』があるから『現在』があり『未来』へと進める。
『現在』を全力で生き抜くには『過去』を受け入れ『未来』に想いを馳せる事。
『未来』へと邁進するには『過去』と『現在』を肯定し突きつけられる事柄から逃げない事。あの刻で勝ったのはWUGだが、それぞれの刻の流れは平等にあって一瞬が尊いモノである。


I-1、そして鈴木萌歌が敗北した事は屈辱だろう。だが、敗北という経験を経たというのも財産である様に思えるのである。

 

 そして、この楽曲に真に魂が宿り完全なモノとなるのは…
ジャケットで彼女達が纏っている『青』の衣裳で歌われた刻だ。

 

…その機と刻が何時になるのかは全くの未知の領域。
だが、そんな『未来』という刻と可能性を俺は愚直に『信じて』みたい。

 

 

 

 

 

 

 

WUG楽曲 ライナーノーツ #20 海そしてシャッター通り/言葉の結晶/土曜日のフライト/さようならのパレード

 どうも。あかとんぼ弐号でございます。


今回は、放置してしまっていた…WUG楽曲ライナーノーツシリーズになります。
何だかんだで今回で番外編を除くと第20回目となる節目を迎えました。

そんな節目となる今回書き殴っていくのは……こちら。

 

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1月23日にリリースされた
ベストアルバム『Wake Up, Best! MEMORIAL』に収録されている
WUG名義として最後となる四曲の新曲の物語について各曲それぞれに焦点を当て四曲が持つ魅力を紐解き所感を書いていこうと思う。

 

 

 

 

 

 

 海そしてシャッター通り

 

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 まず、フルを初聴しての第一印象だが、冬の早朝に今まで育ってきたシャッター街から旅立とうとしている人物が思い浮かんだ。そしてその人物はもうこのシャッター街である故郷には戻らない覚悟も秘めている。

楽曲を聴いた時に見える情景だったり抱く印象に自分の経験や記憶を重ね楽曲の世界観を強烈に感じさせる。この楽曲はその感覚に強烈に訴えかける楽曲である様に思える。

曲調からは、シャッター通り=衰退した街が表す様な別離・哀愁を単に感じさせる楽曲というモノを感じて物悲しさを思い起こさせるのだが、聴き込んでみるとそれよりは望郷の念やノスタルジック感を強く印象付けさせる様であり…
『言の葉青葉』→『雫の冠』→『TUNAGO』の系譜に連なる"最終章"に当たる楽曲である様に思えて来るのである。

で、前述でも書いた別離と哀愁の要素より、望郷と郷愁を感じさせた最大の要素は二つあると自分は解釈させてもらった。

まず一つ目の要素は、言わずもがなWUGの七人の叙情的で慈しみを感じる歌声だ。
歌詞が紡いでいるのは旅立つ前に街を巡り歩いて別れを迎える関係性を前に今までの刻を思い返して落着し旅路へと向かう。それが顕著に表れているとされるのが、1番のサビ部分での以下に記した箇所ではないだろうか。

 


錆びない想い出を 抱きしめるように

ひたすらただ歩く 懐かしい 愛おしい 私の街


Wake Up,Girls!『海そしてシャッター通り』より引用

 


育った街は寂れてしまったのだろうが…そこで過ごした刻と想い出は錆びる事無く自身の魂に残っていくモノ。ただし…刻を経て行くうちにそれは段々と希薄になってしまう。

当たり前として存在していた今まで見慣れた景色や日常、人との繋がりは旅立った後には当たり前ではなくなる。当たり前の"奇跡"に感謝し己の魂に刻み込んで未知の軌跡=旅路へと向かっていく。

そしてもう一つの解釈として、題にある『海』という語を時勢の流れに置き換えて解釈し、シャッター通り=衰退の意を故郷ではなく、終焉の刻が訪れたWUGという解釈でこの楽曲を捉えてみても成り立つとも思える。

『あの日を笑顔のままで』という節だが、これまで、そしてこれより後に控えているWUGのライブやイベントでありその場でしか体験できなかった掛け替えのない尊いモノを喩えているのではないだろうか…
更に都合の良い様に解釈するならば、ラスサビの一節にある
『たいせつなものたちの面影』の一つに七人が我々ワグナーも一緒に囲ってくれているのならば……それはそれで胸が熱くなるモノを感じざるを得ない所である。


二つ目の要素は、随所に差し込まれている時計の針が刻を刻む音だ。
この音と主となっているストリングスの奏でるメロディとが見事に合致し、より叙情的でノスタルジーな雰囲気を醸し出しているのだろう。

刻を刻む音が表現しているのは、前述にある様にこれまで過ごした刻の流れをより強調し聴覚的に訴え掛ける作用を果たしていると感じられる。

過ぎ去った刻を懐かしみ、慈しんで想いを馳せ…網膜に焼き付ける様にただひたすらに街を巡り歩いて、これからの刻である旅立ちへ向かう為の決意と覚悟を強固にする。
旅路へ向かう前に必要な"儀式"を思わせる楽曲であるようにも思えてならない。

 

 

 

 

 

 言葉の結晶

 

 

youtu.be

 

 『静』の要素と悲壮感が漂う曲調ではあるが、ジャジー的でお洒落な雰囲気を醸し出している落差の激しい変化球的な楽曲。

で、この楽曲に深みをもたらしているのが七人の感情を抑え込んでいる無機質的な歌声ではないかと。この要素だが、他の3曲と一線を画している様に感じたのはこの楽曲が新たな軌跡を歩んで行く為に一旦自らの内面を省みる事=自己との対話がテーマにある様に思えて来る。

詞にある『あなた』という語なのだが、他者への語でもあり自分の内面というダブルミーニングを持つ語としても成り立つ解釈であるとも取れなくも無い。
伝えたい本気の想いはあれどもそれがきっちりと伝わるかどうかの不安や焦燥感、それらに挫けそうになり消えかけるもう一つの魂の火。

壊滅的なレベルである俺の音楽知識ではあるが…全体的に難解で複雑な曲調だというのは分かるつもりであり、それが揺れ動く感情を模している様でもあり、ネガティブな部分の極致にあるのがこの箇所だろう。

 

いつでも微笑んでいるドールの 怖さに今は気付いている

問いかけるような瞳 もの言わぬ声だった


Wake Up,Girls!『言葉の結晶』より引用


 

微笑んでいる『ドール』という存在は、我々受け取り側の人物達だろう。放った言葉がその人の心象に響けばその『ドール』は力強い味方に成り得るが、その逆に心象を深く抉る様な凶器であったなら、怖さ=牙を剥く存在になってしまう危険性を秘めている。

一方で俺自身も駄文だがBlogという媒体にて文章を書いており、そのなかで様々な事を書いている中で見知らぬ誰かに何らかの影響を与えているかもしれない。良くも悪くも。自分の物差しでは良いと思って放ったモノが単なる妄信の思い込みだった事もあるのだろうし、悪いと感じていた事は実際にはそのモノの真理であったのかもしれない。

良し悪しも些細な切っ掛けで裏返ってしまう事だってある。それらを呑み込んで進んで行く事が肝要であり、言葉というモノはそれほどに重要で尊いモノである事を思い知らされる。


この楽曲で『核』を成している要素が、『もの言わぬ声だった』の後に訪れる一瞬の静寂の『間』と間奏後の展開だと思える。
暗闇から光溢れ瞬時に遮る視覚への刹那なる間である"見えない瞬間"が存在する様に、これは聴覚への刹那の間…無音も音楽の一部であるという意見があったりする。静寂は次の音への期待にも繋がり、静寂はどこか神秘性も感じられる。そして刹那の間の後でまた曲が響き…訪れるこの楽曲の最高潮がここだろう。

 

あなたに 誰かに聴いてほしい事がある 

泣いても 呼んでも 夕暮れだけ残った

一人で静かに 追いつめられる時間で 傷を削って 透明になる

最後に感謝を みせよう贈ろう 綺麗な波長と優しい笑顔で

最後まで演奏を続けるこの船 強さが あなたに届くと信じる


Wake Up,Girls!『言葉の結晶』より引用



この終盤の件こそ、この楽曲の核を成している要素だと俺は考えている。
この心を打つ節を階段を昇っていくかのようなメロディでたたみかけるのは非常に素晴らしく、感情を剥き出し爆ぜる『動』の要素のある七人の"絶唱"に込められた信念である様に思えてならない。

そして……ラストでの『輝きだけが言葉の絶唱。このパートは青山吉能さんのソロであり
彼女が柔和に"絶唱"という語を紡いでくれたのには勝手ながら激熱なモノを感じさせてもらえた…

 

 

 

 


 土曜日のフライト

 

youtu.be

 


 フライト、あとは歌詞中にあるエアポートという語から浮かぶ情景は単純に空港の風景が浮かんで来て、『海そしてシャッター通り』と系譜を同じくする『共感覚』に訴え掛ける楽曲だと言えるのではないだろうか。

そしてこのエアポートはそれぞれの夢へと繋がる空路の拠点となるハブ空港。故郷であるシャッター街から旅立ち、自分の魂と真摯に向き合って七人がまず辿り着いたのがこの空港なのだ。

イントロから醸し出される1980年代の松任谷由美さんや竹内まりやさんの楽曲を彷彿とさせるシティ・ポップ調が『海そしてシャッター通り』とはまた違う印象なノスタルジーを感じさせる。

未知の旅路へと向かう決意を表す叙情的な清爽感を強く表に出してはあるのだが、それと同居している漠然とした未だ燻っている不安を表す哀愁的な曲調が織り成す落差の構成が心情を抉る様な印象を抱かせていく。
で…哀愁的という観点で歌詞のみを追っていくと、終焉の刻を痛烈に思わせる語句で構成された箇所が出て来る。

 

忘れないで でも上手に忘れて

悔しい怖い泣きたい もう そのレベルじゃない


Wake Up,Girls!『土曜日のフライト』より引用

 


おそらく、これが哀愁的…いや悲壮感と言っても良い魂に蠢いている負の感情の根幹であり極致なのではないだろうか。

過去を消す事は不可能な話であるが、刻の経過によって徐々に薄れさせる事は出来てそれが救いや前進の切っ掛けにもなる。上手に忘れろというのはその比喩なのだろう。だが、忘れないで欲しいという想いもあってそのジレンマに思い悩む。悔しい、怖い、泣きたいというのはその抱いたジレンマに何か抗う様なニュアンスを思わせる。

ただし…悲壮感が目立っているワケではなくて、前述の様に未知の旅路へと向かう決意と覚悟を示した楽曲でもある。
今日の仕事(テーマ)は次に進むステージ~心こめて(で)飛びこえる…の節々はその要素を感じさせる箇所であり、フライトのもう一つの意味はハードルを飛びこえるという意味もあったりしている。


さて…この楽曲を解釈するにあたって『核』となるのが、曲題にある『土曜日』をどう解釈していくかであると思う。

俺の辿り着いた解釈は、一週間の七日を結成から終焉後を含める七年目の刻に当てはめて考えてみた。カレンダーに記載されている曜日は左端から始まる日曜。で、右端が土曜となっておる。

日曜がWUGの結成された2013年四月。で、カウントしては駄目なのだろうが終焉後の四月以降が個々の表現者としての七年目にあたる土曜。

六年の刻を経た後に辿り着いた未知の領域行きへのチケットを携え、彼女達が持つトランク(歌詞にキャリーケースとあるがトランクの方が何か良いという個人の偏見でトランクにするww…)にはこれまでの軌跡で培った経験と個の力という財産、そして夢を積み込み空港へと七人はやって来た。

七人の目的地はそれぞれに違う。岩しか存在してない砂嵐吹き荒ぶ荒野か、絶海の孤島か、未踏の密林か……etcそこに何が待ち受けているのかなんて全く分からないが未知の領域に挑みたい好奇心と欲が彼女達を旅へと駆り立てその身を突き動かす原動力となる。

まぁ、話の方向がずれだしたので本題へ軌道修正致しますが……要は、曲題に土曜日という語を宛がったのは単に曜日という意ではなく、WUGの六年の軌跡と終焉後の未来への旅路を意味に含ませたと俺は考えております。

 

 

 

 


 さようならのパレード

 

 

youtu.be

 

 

 集大成ベストアルバム『Wake Up, Best! MEMORIAL』そして…Wake Up,Girls!の最後を飾る"最終楽章”である楽曲。

正直な所、この楽曲への所感をまともに書き殴れる自信なんてモノは微塵も無い……
その最大の要因は、言語化出来るほど単純な感動ではなくて、そんな簡単に言葉にはならないモノなのである。
だが…この楽曲を託された七人の想いと魂をどうにか記憶と記録として残しておきたいただのおっさんが必死に楽曲と向き合い足掻きながら書き殴ったこれまで以上の駄文になる事をご容謝願いたい。

 


まず、イントロの時点で涙腺を集中砲火してくる危険な楽曲。
何故なら七人の原初の楽曲である『タチアガレ!』のイントロのアレンジバージョンに仕上がっておる。

だが…聴いていくうちにイントロだけのアレンジが施されたモノではない事を思い知らされる事となりそれはインスト版を聴くとハッキリと分かって来る。

結論から言ってしまうが、この楽曲は『タチアガレ!』の単なるオマージュでない正当な系譜の続編…いや、終となる"最終章"と称する楽曲で、餞(はなむけ)や決着を付ける楽曲であるし、一方通行では意味を成さない双方向へ想いを行き来させる『絆』を『繋ぐ』楽曲の"最終章"でもある様に思えて来る。

で、楽曲が描写している世界観だが、俺はアルバムのジャケットの写真にある七つの扉のみが存在している部屋の情景が思い浮かんだ。

この部屋は七人の心象世界で存在していて、七つの扉の先にはそれぞれが目指して往く道が広がっている。でも、まだその扉を開けて進まないんです。何故ならそれぞれの想いに決着が付いていない。『過去』を無かった事にしないで『今』と真摯に向き合っているから。

そして、『過去』を最も色濃く表している箇所が2番のAメロでの二人によるパートだろう。



私の歌は あかぬけなくて重たい

ぶつかってくれた声と同じくらいにね


Wake Up,Girls!『さようならのパレード』より引用

 


私の歌~のくだりは青山吉能さん、ぶつかってくれた声~のくだりは吉岡茉祐さんのパート。
出会って間もない結成当時彼女らは激しくぶつかり合った。俺の勝手な印象で恐縮だがこの二人は本当に似た者同士。それは一種の近親憎悪的なモノだったのかもしれないし、当時、雌伏の刻にあった青山さんが一種の只者ならざる"気"を迸らせた吉岡さんの存在への嫉妬と憧憬が混じった感情から『嫌い』だと己の偽らない心情をぶつけたのか…真相は当人達の中に秘めているだろうから窺い知る事は叶わないが、とにかく理屈じゃない。多分、一回徹底的にやり合わなきゃいけない関係だった。

共に意識し合えているから、共に最も負けたくない相手でもあり、共に最も魂の強靭さを理解している者同士。吉岡さんと青山さんがここの箇所を歌う事は本当に意義深く重大だ。

何度打ちのめされようが、傷を負おうが倒れるのは前のめり。彼女達七人はどんな状況だろうが前に突き進む事しか考えちゃいない。
その軌跡で失くしたモノは色々あるが、自分を信じる事は絶対に諦めなかった。それは終焉の刻・『ディストピア』(暗黒郷)=絶望の淵へ突き落とされながらも光を灯そうと生命の焔で立ち向かう。

 

願い続けていたい あの時約束したでしょう

立ち向かうこと 極上の笑顔でまた会いたいんだ


Wake Up,Girls!『さようならのパレード』より引用



七人でいられる刻を大切にして、この七人で何かを成し遂げたい『想いと魂』
それを貫き通す為に改めて七人はあの時(自分は2018.6.15であると思っている)に誓った。上記のパートはそれを力強く謳っているのだと思えてならない。

 

そして…『さようなら』の解釈だが、真っ先に浮かぶのは永遠の別離という気持ちもあるのだろう…終焉の刻というものは避けようもない世の理で、その刻を迎えてしまう寂しさは慣れないものだろう。

だからこそ、最後かもしれない『今』を大切にする心情を秘めているのかもしれない。
歌詞に『また会いたいんだ』とある。それを考えると英語の『See you again』や中国語の『再見』という意味の語として捉えられる『今』を受け入れ、大切にする『さようなら』という解釈にある様に思える。



それは強い鼓動と 鳴り止まない命の音

かさなりあえば 高らかな歌声 『ぼくらのパレード』

ずっとそばにいたこと 時空を刻んで誇りに思う

進もう!


Wake Up,Girls!『さようならのパレード』より引用


パレードの意味は単に行進でもあるが、次から次へと現われる人の行列でもあるし、誇示するという意味を持つ言葉でもある。

終焉の刻が過ぎ去った後、未知の領域へと旅立つのはWUGの七人だけじゃない。我々も、『Wake Up,Girls!』がいない現実に嫌でも向きあわなければならない。
浅深の差はあれども共に在った刻は確かに存在していてそれは本当に尊く掛け替えが無く、誇れる想いと魂があった……
『進もう!』の語の後での間奏部を階段を昇っていくかのような勇ましさを感じさせるメロディで畳みかけるのは非常に素晴らしい。

 

そして……最終章を締める為の最後の言葉がこれなんだ。

 


 Wake Up!……

 


この最後の詞は歌詞カードには記載されていない。
『タチアガレ!』でのWake Up!は決起を思わせる力強い想いがある。しかし、ここでのWake Up!はまた違ったニュアンスを感じさせる。

七人が…変わろうとする想いと覚悟を抱き、一歩踏み出す勇気を込めて一句一句を大事に絞り出すかの様に優しく、でもその語には血の流れる生きた言葉となって解き放たれたモノ。

七人の背には"翼"が在り、七つの"扉"を開けて"未来"と"夢"へ羽撃いて往く……
別離の言葉でも再会の言葉で締めるのではなく、自分だけの輝きを掴む為の、新たな軌跡、新たな誓いが秘められた『最後の楽曲』であると…勝手ながら思えてなりません。

 

 

 

 

 以上四曲分、強引なこじつけと暴論による独自解釈をもって書き殴ってみました。
一曲毎の物語として捉えても良いし、四曲の繋がり・組曲として捉えても成り立つ最後の楽曲達。その可能性の形は無限にある。

自分は残りのツアーPART3の方には参戦出来ませんが、約束の刻・地である三月のSSAでのファイナルライブにてこの四曲が聴ける事を願いつつ今回の記事を締め括らせていただく。


今回、最後の楽曲について書いたが、まだ書いていない楽曲がまだまだあるのでこのライナーノーツシリーズは残念ながら続きますので、更新の際にはまた改めてよろしくお願いいたします。