どうも。あかとんぼ弐号でございます。
今回は、放置してしまっていた…WUG楽曲ライナーノーツシリーズになります。
何だかんだで今回で番外編を除くと第20回目となる節目を迎えました。
そんな節目となる今回書き殴っていくのは……こちら。
1月23日にリリースされた
ベストアルバム『Wake Up, Best! MEMORIAL』に収録されている
WUG名義として最後となる四曲の新曲の物語について各曲それぞれに焦点を当て四曲が持つ魅力を紐解き所感を書いていこうと思う。
海そしてシャッター通り
まず、フルを初聴しての第一印象だが、冬の早朝に今まで育ってきたシャッター街から旅立とうとしている人物が思い浮かんだ。そしてその人物はもうこのシャッター街である故郷には戻らない覚悟も秘めている。
楽曲を聴いた時に見える情景だったり抱く印象に自分の経験や記憶を重ね楽曲の世界観を強烈に感じさせる。この楽曲はその感覚に強烈に訴えかける楽曲である様に思える。
曲調からは、シャッター通り=衰退した街が表す様な別離・哀愁を単に感じさせる楽曲というモノを感じて物悲しさを思い起こさせるのだが、聴き込んでみるとそれよりは望郷の念やノスタルジック感を強く印象付けさせる様であり…
『言の葉青葉』→『雫の冠』→『TUNAGO』の系譜に連なる"最終章"に当たる楽曲である様に思えて来るのである。
で、前述でも書いた別離と哀愁の要素より、望郷と郷愁を感じさせた最大の要素は二つあると自分は解釈させてもらった。
まず一つ目の要素は、言わずもがなWUGの七人の叙情的で慈しみを感じる歌声だ。
歌詞が紡いでいるのは旅立つ前に街を巡り歩いて別れを迎える関係性を前に今までの刻を思い返して落着し旅路へと向かう。それが顕著に表れているとされるのが、1番のサビ部分での以下に記した箇所ではないだろうか。
錆びない想い出を 抱きしめるように
ひたすらただ歩く 懐かしい 愛おしい 私の街
―Wake Up,Girls!『海そしてシャッター通り』より引用
育った街は寂れてしまったのだろうが…そこで過ごした刻と想い出は錆びる事無く自身の魂に残っていくモノ。ただし…刻を経て行くうちにそれは段々と希薄になってしまう。
当たり前として存在していた今まで見慣れた景色や日常、人との繋がりは旅立った後には当たり前ではなくなる。当たり前の"奇跡"に感謝し己の魂に刻み込んで未知の軌跡=旅路へと向かっていく。
そしてもう一つの解釈として、題にある『海』という語を時勢の流れに置き換えて解釈し、シャッター通り=衰退の意を故郷ではなく、終焉の刻が訪れたWUGという解釈でこの楽曲を捉えてみても成り立つとも思える。
『あの日を笑顔のままで』という節だが、これまで、そしてこれより後に控えているWUGのライブやイベントでありその場でしか体験できなかった掛け替えのない尊いモノを喩えているのではないだろうか…
更に都合の良い様に解釈するならば、ラスサビの一節にある
『たいせつなものたちの面影』の一つに七人が我々ワグナーも一緒に囲ってくれているのならば……それはそれで胸が熱くなるモノを感じざるを得ない所である。
二つ目の要素は、随所に差し込まれている時計の針が刻を刻む音だ。
この音と主となっているストリングスの奏でるメロディとが見事に合致し、より叙情的でノスタルジーな雰囲気を醸し出しているのだろう。
刻を刻む音が表現しているのは、前述にある様にこれまで過ごした刻の流れをより強調し聴覚的に訴え掛ける作用を果たしていると感じられる。
過ぎ去った刻を懐かしみ、慈しんで想いを馳せ…網膜に焼き付ける様にただひたすらに街を巡り歩いて、これからの刻である旅立ちへ向かう為の決意と覚悟を強固にする。
旅路へ向かう前に必要な"儀式"を思わせる楽曲であるようにも思えてならない。
言葉の結晶
『静』の要素と悲壮感が漂う曲調ではあるが、ジャジー的でお洒落な雰囲気を醸し出している落差の激しい変化球的な楽曲。
で、この楽曲に深みをもたらしているのが七人の感情を抑え込んでいる無機質的な歌声ではないかと。この要素だが、他の3曲と一線を画している様に感じたのはこの楽曲が新たな軌跡を歩んで行く為に一旦自らの内面を省みる事=自己との対話がテーマにある様に思えて来る。
詞にある『あなた』という語なのだが、他者への語でもあり自分の内面というダブルミーニングを持つ語としても成り立つ解釈であるとも取れなくも無い。
伝えたい本気の想いはあれどもそれがきっちりと伝わるかどうかの不安や焦燥感、それらに挫けそうになり消えかけるもう一つの魂の火。
壊滅的なレベルである俺の音楽知識ではあるが…全体的に難解で複雑な曲調だというのは分かるつもりであり、それが揺れ動く感情を模している様でもあり、ネガティブな部分の極致にあるのがこの箇所だろう。
いつでも微笑んでいるドールの 怖さに今は気付いている
問いかけるような瞳 もの言わぬ声だった
―Wake Up,Girls!『言葉の結晶』より引用
微笑んでいる『ドール』という存在は、我々受け取り側の人物達だろう。放った言葉がその人の心象に響けばその『ドール』は力強い味方に成り得るが、その逆に心象を深く抉る様な凶器であったなら、怖さ=牙を剥く存在になってしまう危険性を秘めている。
一方で俺自身も駄文だがBlogという媒体にて文章を書いており、そのなかで様々な事を書いている中で見知らぬ誰かに何らかの影響を与えているかもしれない。良くも悪くも。自分の物差しでは良いと思って放ったモノが単なる妄信の思い込みだった事もあるのだろうし、悪いと感じていた事は実際にはそのモノの真理であったのかもしれない。
良し悪しも些細な切っ掛けで裏返ってしまう事だってある。それらを呑み込んで進んで行く事が肝要であり、言葉というモノはそれほどに重要で尊いモノである事を思い知らされる。
この楽曲で『核』を成している要素が、『もの言わぬ声だった』の後に訪れる一瞬の静寂の『間』と間奏後の展開だと思える。
暗闇から光溢れ瞬時に遮る視覚への刹那なる間である"見えない瞬間"が存在する様に、これは聴覚への刹那の間…無音も音楽の一部であるという意見があったりする。静寂は次の音への期待にも繋がり、静寂はどこか神秘性も感じられる。そして刹那の間の後でまた曲が響き…訪れるこの楽曲の最高潮がここだろう。
あなたに 誰かに聴いてほしい事がある
泣いても 呼んでも 夕暮れだけ残った
一人で静かに 追いつめられる時間で 傷を削って 透明になる
最後に感謝を みせよう贈ろう 綺麗な波長と優しい笑顔で
最後まで演奏を続けるこの船 強さが あなたに届くと信じる
―Wake Up,Girls!『言葉の結晶』より引用
この終盤の件こそ、この楽曲の核を成している要素だと俺は考えている。
この心を打つ節を階段を昇っていくかのようなメロディでたたみかけるのは非常に素晴らしく、感情を剥き出し爆ぜる『動』の要素のある七人の"絶唱"に込められた信念である様に思えてならない。
そして……ラストでの『輝きだけが言葉の絶唱』。このパートは青山吉能さんのソロであり
彼女が柔和に"絶唱"という語を紡いでくれたのには勝手ながら激熱なモノを感じさせてもらえた…
土曜日のフライト
フライト、あとは歌詞中にあるエアポートという語から浮かぶ情景は単純に空港の風景が浮かんで来て、『海そしてシャッター通り』と系譜を同じくする『共感覚』に訴え掛ける楽曲だと言えるのではないだろうか。
そしてこのエアポートはそれぞれの夢へと繋がる空路の拠点となるハブ空港。故郷であるシャッター街から旅立ち、自分の魂と真摯に向き合って七人がまず辿り着いたのがこの空港なのだ。
イントロから醸し出される1980年代の松任谷由美さんや竹内まりやさんの楽曲を彷彿とさせるシティ・ポップ調が『海そしてシャッター通り』とはまた違う印象なノスタルジーを感じさせる。
未知の旅路へと向かう決意を表す叙情的な清爽感を強く表に出してはあるのだが、それと同居している漠然とした未だ燻っている不安を表す哀愁的な曲調が織り成す落差の構成が心情を抉る様な印象を抱かせていく。
で…哀愁的という観点で歌詞のみを追っていくと、終焉の刻を痛烈に思わせる語句で構成された箇所が出て来る。
忘れないで でも上手に忘れて
悔しい怖い泣きたい もう そのレベルじゃない
―Wake Up,Girls!『土曜日のフライト』より引用
おそらく、これが哀愁的…いや悲壮感と言っても良い魂に蠢いている負の感情の根幹であり極致なのではないだろうか。
過去を消す事は不可能な話であるが、刻の経過によって徐々に薄れさせる事は出来てそれが救いや前進の切っ掛けにもなる。上手に忘れろというのはその比喩なのだろう。だが、忘れないで欲しいという想いもあってそのジレンマに思い悩む。悔しい、怖い、泣きたいというのはその抱いたジレンマに何か抗う様なニュアンスを思わせる。
ただし…悲壮感が目立っているワケではなくて、前述の様に未知の旅路へと向かう決意と覚悟を示した楽曲でもある。
今日の仕事(テーマ)は次に進むステージ~心こめて(で)飛びこえる…の節々はその要素を感じさせる箇所であり、フライトのもう一つの意味はハードルを飛びこえるという意味もあったりしている。
さて…この楽曲を解釈するにあたって『核』となるのが、曲題にある『土曜日』をどう解釈していくかであると思う。
俺の辿り着いた解釈は、一週間の七日を結成から終焉後を含める七年目の刻に当てはめて考えてみた。カレンダーに記載されている曜日は左端から始まる日曜。で、右端が土曜となっておる。
日曜がWUGの結成された2013年四月。で、カウントしては駄目なのだろうが終焉後の四月以降が個々の表現者としての七年目にあたる土曜。
六年の刻を経た後に辿り着いた未知の領域行きへのチケットを携え、彼女達が持つトランク(歌詞にキャリーケースとあるがトランクの方が何か良いという個人の偏見でトランクにするww…)にはこれまでの軌跡で培った経験と個の力という財産、そして夢を積み込み空港へと七人はやって来た。
七人の目的地はそれぞれに違う。岩しか存在してない砂嵐吹き荒ぶ荒野か、絶海の孤島か、未踏の密林か……etcそこに何が待ち受けているのかなんて全く分からないが未知の領域に挑みたい好奇心と欲が彼女達を旅へと駆り立てその身を突き動かす原動力となる。
まぁ、話の方向がずれだしたので本題へ軌道修正致しますが……要は、曲題に土曜日という語を宛がったのは単に曜日という意ではなく、WUGの六年の軌跡と終焉後の未来への旅路を意味に含ませたと俺は考えております。
さようならのパレード
集大成ベストアルバム『Wake Up, Best! MEMORIAL』そして…『Wake Up,Girls!』の最後を飾る"最終楽章”である楽曲。
正直な所、この楽曲への所感をまともに書き殴れる自信なんてモノは微塵も無い……
その最大の要因は、言語化出来るほど単純な感動ではなくて、そんな簡単に言葉にはならないモノなのである。
だが…この楽曲を託された七人の想いと魂をどうにか記憶と記録として残しておきたいただのおっさんが必死に楽曲と向き合い足掻きながら書き殴ったこれまで以上の駄文になる事をご容謝願いたい。
まず、イントロの時点で涙腺を集中砲火してくる危険な楽曲。
何故なら七人の原初の楽曲である『タチアガレ!』のイントロのアレンジバージョンに仕上がっておる。
だが…聴いていくうちにイントロだけのアレンジが施されたモノではない事を思い知らされる事となりそれはインスト版を聴くとハッキリと分かって来る。
結論から言ってしまうが、この楽曲は『タチアガレ!』の単なるオマージュでない正当な系譜の続編…いや、終となる"最終章"と称する楽曲で、餞(はなむけ)や決着を付ける楽曲であるし、一方通行では意味を成さない双方向へ想いを行き来させる『絆』を『繋ぐ』楽曲の"最終章"でもある様に思えて来る。
で、楽曲が描写している世界観だが、俺はアルバムのジャケットの写真にある七つの扉のみが存在している部屋の情景が思い浮かんだ。
この部屋は七人の心象世界で存在していて、七つの扉の先にはそれぞれが目指して往く道が広がっている。でも、まだその扉を開けて進まないんです。何故ならそれぞれの想いに決着が付いていない。『過去』を無かった事にしないで『今』と真摯に向き合っているから。
そして、『過去』を最も色濃く表している箇所が2番のAメロでの二人によるパートだろう。
私の歌は あかぬけなくて重たい
ぶつかってくれた声と同じくらいにね
―Wake Up,Girls!『さようならのパレード』より引用
私の歌~のくだりは青山吉能さん、ぶつかってくれた声~のくだりは吉岡茉祐さんのパート。
出会って間もない結成当時彼女らは激しくぶつかり合った。俺の勝手な印象で恐縮だがこの二人は本当に似た者同士。それは一種の近親憎悪的なモノだったのかもしれないし、当時、雌伏の刻にあった青山さんが一種の只者ならざる"気"を迸らせた吉岡さんの存在への嫉妬と憧憬が混じった感情から『嫌い』だと己の偽らない心情をぶつけたのか…真相は当人達の中に秘めているだろうから窺い知る事は叶わないが、とにかく理屈じゃない。多分、一回徹底的にやり合わなきゃいけない関係だった。
共に意識し合えているから、共に最も負けたくない相手でもあり、共に最も魂の強靭さを理解している者同士。吉岡さんと青山さんがここの箇所を歌う事は本当に意義深く重大だ。
何度打ちのめされようが、傷を負おうが倒れるのは前のめり。彼女達七人はどんな状況だろうが前に突き進む事しか考えちゃいない。
その軌跡で失くしたモノは色々あるが、自分を信じる事は絶対に諦めなかった。それは終焉の刻・『ディストピア』(暗黒郷)=絶望の淵へ突き落とされながらも光を灯そうと生命の焔で立ち向かう。
願い続けていたい あの時約束したでしょう
立ち向かうこと 極上の笑顔でまた会いたいんだ
―Wake Up,Girls!『さようならのパレード』より引用
七人でいられる刻を大切にして、この七人で何かを成し遂げたい『想いと魂』
それを貫き通す為に改めて七人はあの時(自分は2018.6.15であると思っている)に誓った。上記のパートはそれを力強く謳っているのだと思えてならない。
そして…『さようなら』の解釈だが、真っ先に浮かぶのは永遠の別離という気持ちもあるのだろう…終焉の刻というものは避けようもない世の理で、その刻を迎えてしまう寂しさは慣れないものだろう。
だからこそ、最後かもしれない『今』を大切にする心情を秘めているのかもしれない。
歌詞に『また会いたいんだ』とある。それを考えると英語の『See you again』や中国語の『再見』という意味の語として捉えられる『今』を受け入れ、大切にする『さようなら』という解釈にある様に思える。
それは強い鼓動と 鳴り止まない命の音
かさなりあえば 高らかな歌声 『ぼくらのパレード』
ずっとそばにいたこと 時空を刻んで誇りに思う
進もう!
―Wake Up,Girls!『さようならのパレード』より引用
パレードの意味は単に行進でもあるが、次から次へと現われる人の行列でもあるし、誇示するという意味を持つ言葉でもある。
終焉の刻が過ぎ去った後、未知の領域へと旅立つのはWUGの七人だけじゃない。我々も、『Wake Up,Girls!』がいない現実に嫌でも向きあわなければならない。
浅深の差はあれども共に在った刻は確かに存在していてそれは本当に尊く掛け替えが無く、誇れる想いと魂があった……
『進もう!』の語の後での間奏部を階段を昇っていくかのような勇ましさを感じさせるメロディで畳みかけるのは非常に素晴らしい。
そして……最終章を締める為の最後の言葉がこれなんだ。
Wake Up!……
この最後の詞は歌詞カードには記載されていない。
『タチアガレ!』でのWake Up!は決起を思わせる力強い想いがある。しかし、ここでのWake Up!はまた違ったニュアンスを感じさせる。
七人が…変わろうとする想いと覚悟を抱き、一歩踏み出す勇気を込めて一句一句を大事に絞り出すかの様に優しく、でもその語には血の流れる生きた言葉となって解き放たれたモノ。
七人の背には"翼"が在り、七つの"扉"を開けて"未来"と"夢"へ羽撃いて往く……
別離の言葉でも再会の言葉で締めるのではなく、自分だけの輝きを掴む為の、新たな軌跡、新たな誓いが秘められた『最後の楽曲』であると…勝手ながら思えてなりません。
以上四曲分、強引なこじつけと暴論による独自解釈をもって書き殴ってみました。
一曲毎の物語として捉えても良いし、四曲の繋がり・組曲として捉えても成り立つ最後の楽曲達。その可能性の形は無限にある。
自分は残りのツアーPART3の方には参戦出来ませんが、約束の刻・地である三月のSSAでのファイナルライブにてこの四曲が聴ける事を願いつつ今回の記事を締め括らせていただく。
今回、最後の楽曲について書いたが、まだ書いていない楽曲がまだまだあるのでこのライナーノーツシリーズは残念ながら続きますので、更新の際にはまた改めてよろしくお願いいたします。