巡礼者のかく語りき

自由気ままに書き綴る雑記帳

異端者による 『Wake Up,Girls!新章』独自考察【物語編】

 

皆様、爽涼の候いかがお過ごしでしょうか。あかとんぼ弐号でございます。

 

巷ではWake Up,Girls!のファイナルツアー PARTⅡ FANTASIAの
初陣である大阪公演が終了し余韻と興奮冷めやらないという所でしょう。


しかし、当ブログは刻の流れが通常と異なる時間に存在しておるwww
更に言えば俺は大阪公演には参戦しておらんので参戦レポは書けん。
なので…今回から数回に渡って

 

 

 

Wake Up,Girls!新章』の独自考察を進めて行きます。

 

 

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 今更感は充分に承知しておるがww
まぁ、こんな奴が一人いてもいいんじゃないかと思い勝手に書いてしまおう。
今回書き綴っていくのは『物語編』と称しまして
新章のストーリーについての独自考察となります。
とは言え、理路整然としている文章を書ける自信は微塵もございませんww
考察を書くにあたって、俺が観て感じた事をありのまま書き綴っているので
その辺りは緩い観点で一読頂ければありがたく思います。


……と、毎度の誰に向けて言っておるか分からん
釈明大会という名の自己防衛を入れながらこれからざっくりと書き進めていきます。

 

 

 

 

 
 

ぶっちゃけてしまうと、やらかした感は否めなかった……
 


 いきなり、話の芯を食うような物言いだが…『Wake Up,Girls!新章』を最後まで観て
所感を書いていた時にも強く印象深かったのがこの事だった。
そして……何を伝えたかったのかがいまいち見えて来なかったと言う声も聞いた。
では、何故そのような事態になったのか?自分はこう思っておる。


描写しようとしていた題材が多かった事と練り込みの甘さだったのではないかと。


そうなった最大の要因と思うのは全てにおいての時間が不足していたのだろう。
但し、時間が無かったというのはWUG新章だけの問題じゃない。
この業界全体にある事象でありそれを逃げ道として慮れる要素ではない。
与えられ限られたモノの中でいかに良いモノを作り出し魅せられるのかであり
そこは脚本と演出の力量が問われるモノなのだろう。
純粋に楽しめたという方もいれば、理念を壊された雑なモノという評価を下したり
まぁ、どちらかと言うのなら否定・拒絶される声の方が多く見受けられたわけだ。


これは俺の完全な妄想・暴論の域での話であるが……


練りこみが甘くなったと思った最大の要因は
元々あったシナリオをぶっ壊してゼロから作りだしたからだと勝手に思っておる。

 

 

 

 
 

葬り去られた"物語"


 

 で、元々というか『新章』の物語として基となり
構想にあったと考えるのが…2015年の冬開催された
Wake Up, Girls!Festa.2015 Beyond the Bottom Extend』終演後に流れた
Wake Up, Girls! 新プロジェクト始動!!』の映像内にて白木さんが言い放った

 

『I-1clubはWake Up,Girlsを吸収合併します。』の言。

 

そして、WUG-1グランプリと称し行われたWUGとI-1との
シャッフルユニットメンバー(WI7ners(ウィナーズ))を決める選挙があった。
たら~ればの話であるが、この物語で描かれたであろう事は
吸収合併してシャッフルユニット結成の流れとなって…
選ばれた者と選ばれなかった者の格差や葛藤などを盛り込みつつ
それぞれの個としての立ち位置を見据えて挑んで行く…的な展開に
おそらくなっていくのだろうと当時は感じたものだった。

だが、ご存知の通り『新章』はこの物語で披露されることはなかった。
これまでの刻の流れの中いろいろと起こってしまった外的要因(ゴタゴタ)によって
この物語は闇の彼方へと葬り去られた事となった。
俺ごときがこのゴタゴタについて書くつもりは無いので触れないが
(色々書いて厄介事に巻きこまれるのは面倒なので…)
それにより制作陣の総入れ替えやらストーリーを新たに作り出すまでに至った。
真相がどうかは伺い知るところではないし俺の暴論なのは百も承知だが
それまであったのをゼロから作り直したのはあながち的外れではないとは思う。


あくまでも、この件は俺の勝手な暴論の域の話だが……

 

 

 

 
変わる物語。新たな刻。
 

 

 前日譚である『エターナル・センシズ』の存在、次世代の『血』(ランガの登場)
I-1の変革の刻、未知の脅威(Vドル・マキナX)、業界の時勢の推移と世相
七人の挑戦と更なる『個』を掘り下げる描写、限界領域を超えた人の力…
これらの要素は、勿論描写し切れたとは言えないモノだったが
概ね普通に楽しんで観られたものだったと自分は思う。

だが、扱うモノが多く練りこみ不足感は否めず、主軸を何処に置いて観るか?
それは観る側の観点でいかようにも変化していくものだから
何とも言えない要素ではあるのだが、ただこのWUG新章の物語は
満遍なく描こうとしてしまったのかなという印象を受けた。
あとは、先述にも書いたが詰め込めるだけの話数と制作時間
シナリオを練りこむ時間が足りなかったというのもあったのだろう。
また~たら~ればの話で恐縮だが、7話での『わぐばん新章』が
制作時間があって本編で一話使えたのだったら
もっと掘り下げれた内容のモノが観れたのではなかろうかなとも思えてしまう。


自分はその影響を強く感じたのが、Vドル・マキナXの描写だった。
生身の人間の限界を超えパーフェクトな存在である者だが
けど、作中にて描かれたのは外資系スポンサーの資本力を重視したもので
肝心要であるマキナXの魅力や彼女の何に惹かれて熱狂しておるかが
全く伝わって来なかったように思えるが資本側の描写も
無視出来ない要素でもあるわけで描写の比率がおかしいモノと思えてしまい
単純に勿体無いように自分は感じた。
人間らしく在ろうする信念を貫く真夢と対極の存在であるマキナXとの関わり
俺はこの要素も観たかったんですがね……


 冒頭より様々な時間が無かったと書いておりますが『新章』単体のみだと
どうしても描写不足感は否めないんです。(注:個人の感想)
それを補い、イントロダクション的な位置に存在していたのが
前日譚を描いたコミック作品『エターナル・センシズ』だったと思っています。
2016年のアイドルの祭典にWUGが出場しなかった事と
一話でのWUGに対しての鈴木萌歌の敵愾心
アイドル戦国の世から不況時代へと移り行く時勢の波と白木さんの思惑。
七人が思い描く表現者としての現状と将来のビジョン。
丹下社長が新章にてメンバーを個で売り出していく経緯
歩達が一話冒頭にて勾当台公園で『タチアガレ!』を踊る事に至る軌跡。
旧章からこの作品を経由し、そして新章の物語へと繋いでいく。
練りこみが足りない部分を完全ではないが補完しているモノだったと言える。


 理念とかそういう思想を語る気は更々無いし語彙力も無いが
俺は『Wake Up,Girls!』という作品を再起・決起する少女達の物語だと思い観てきた。
で、作品の核を担っているのがその部分だと勝手に思っている。
WUGの七人は勿論、I-1、ネクストストーム、なまはげーず。
未知の領域へ挑戦する事、敗れてもなお諦めず起つ者、本当に大切にしたい想い
抗い様の無い理不尽に真っ向から向き合う事。
細部はそれぞれの立場と役割で異なっていくモノではあるのだが
再起・決起を広義的に捉えると共有出来る要素で解釈出来て
自分が普通に楽しんで観られた最大の要因だったのは
この『核』となった部分がぶれずにきっちりと描かれたからと思っておる。

 

 そして、ファン側視点である、大田組とランガ(歩、音芽、いつか)の物語。
大田組がWUGを応援していくスタンスがそれぞれ違うモノである事を
表現していたのも印象深いモノがあった。

大田はあくまでも裏方的で必要以上の接触をしない事を心がけるスタンスで
WUGを応援していく描写だったのは意外な印象だった。
一方で浅津、屋沢、城本は接触系のイベントにも積極的に参戦するスタンスで
描写していて本編中で描かれたバスツアーにも参加していた。
ファン仲間内で応援のスタンスが異なる事を描いた事は面白いと感じた。

 歩達ランガだが、彼女達の考察は人物編で書いていくので
本稿では細かくは書かないが、彼女達の視点・立ち位置は
WUGへの憧憬から目標へと決意し、業界へと踏み込んでいく
また別の形であるファンの姿と次世代のアイドルを同時に描いた。
新しい要素であり自分はこれまた面白く描いていたと思う。

 

 一期のTVシリーズと続・劇場版では、No.1アイドルを勝ち取るコンテストである
『アイドルの祭典』が物語の軸となっていって物語が展開されていった。
このアイドルの祭典で優勝する事を目指す事、その『闘い』の中で
それぞれが感じた勝敗より大切だったモノ
勝敗の外にあったモノ≒自分達らしさを見つけようとしていた。


『新章』ではこの要素を違う形にて描写したと思います。
全国ツアーの千秋楽であるホーム・仙台公演を成功させる事=成果を出す事。
そして成果を出し応援してくれる存在の想いに応える事
Wake Up,Idols!と称し志を共に有する他のアイドル達≒戦友と想いを繋ぐ事
明確な対決構図ではなく、別の表現でその模様を描写していた。

そして、最大の窮地(最終話のマイクトラブル)に
追い込まれた時に発揮される限界を超えた人間の底力。
七人は一人でも多くの観客に歌声=想いに応え、そして届けようと
ステージから客席へ跳び立ちました。


一期のTVシリーズの『アイドルの祭典』で足に傷を負った七瀬佳乃は
7 Girls war』のラスサビ前で足の怪我を省みずに跳んだ。
勝つ為じゃなく、貫きたかった佳乃の意地と魂が彼女を跳ばせた。
傷を負ったという広義的な解釈で捉えるならば当時の佳乃と同じだ。
声がきちんと届くかなんて問題じゃなく本能と七人の意識……
更に言えば、貫き通したかった『我』≒WUGらしさが
過去~今までの軌跡で七人が導き出した『答』だと自分は解釈させてもらった。


勿論、これは明確で絶対な『答』じゃなく数多にある『答』の一つにすぎません。
『答』は受け取った人それぞれの心に刻まれたモノだと思います。

 

 

 

最後に。
 


 放映当時には物語の内容や演出での様々な雑味に関して
非難や粗探しして鬼の首を取るかの如き言動を多く目にし賛同する声を聞いた。
所感記事の方にも書いたが、物語の何に注視して観ているのかは
人それぞれで異なっていくモノであるので、それについて俺がこの場で
どうこう言う気は無いし一々噛み付く事はしませんでしたし今もその気は無い。

確かに雑で一部に配慮がなかった描写があったのは事実。
それが要因で離れていった人は少なくなかったでしょう……
Wake Up,Girls!新章』様々な批判もありましたが、個人的には楽しく観れた作品。
こうして独自考察を書くに至ったのは
別に否定・拒絶側を納得させようと書いたわけじゃない。
単純に俺が観て感じた事を記録として残しておきたかっただけだ。


そして…本稿ならびに今後書き綴るWUG新章の独自考察(楽曲編・人物編)は
毎度の事で恐縮ですが俺の勝手な解釈に基づいて書き殴っただけです。
『ほう、そういう考察をしているのか』ぐらいの軽い気持ちで
読んでいただければ幸いと思っております。

 

 
乱筆、乱文にて誠に恐縮でしたが
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!