巡礼者のかく語りき

自由気ままに書き綴る雑記帳

RGR楽曲ライナーノーツ#18 蒼穹のBlue Grandia

 このアルバム『Get set, Go!』 は聴かれた皆様ならわかるだろうが本当に強い楽曲しかない傑作なのである。

そんな強い楽曲揃いの中において、これから語ろうとするこの楽曲はただ単に強い楽曲というだけでは語り尽くす事が出来ない程に一線を超えている楽曲だと思い知らされたし、やりやがったな…と徹底的にエモーショナルの暴力に打ちのめされた所感も抱いた。

何一つままならない世界に生きているからこそ、何度でも立ち上がって怖れを振り払い前に進む。
この楽曲にはそういうメッセージが込められていると思ったのである。

 


この楽曲は……『Run Girls, Run!』の生き様や自我の証。そして“生命の謳”であると。

 

 

 

 

 

蒼穹のBlue Grandia 

 

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 哀愁感あり空虚的な方向へ振り切った儚げなイントロから、楽曲タイトルにある『蒼穹』の意味である澄み切った大空をイメージさせていく壮大さや荘厳さも兼ね備えているファンタジックな楽曲。

それと、メロディを構成するEDM系特有(※あくまでも個人の所感)の無機質感も加味された事もあって、虚しい儚さや壮大な楽曲というファーストインプレッションを抱いたのである。


 インタビュー記事にて、彼女達はレコーディングの際、広大で朽ち果てた世界に三人しか存在していない雰囲気でもって歌う様ディレクションされたと語られている。この言葉を踏まえて三人の歌声を聴いていくと、叙情的な物寂しさで沁み入る様に聴かせる事、サビでの盛り上がりと力強さはあるけれども芯の強さを表現していく方向性で、なおかつその両方のバランスを均等にする様なアンニュイな感じのボーカルに聴こえ、その塩梅が見事に成立されている。

おそらくは、どちらの要素も突出させ過ぎない落ち着いた雰囲気を醸し出す事が彼女達が導き出した『大人っぽい楽曲』を謳う事だったと解釈している。


 冒頭の四方山話において、俺は『蒼穹のBlue Grandia』という楽曲を“生命の謳”と称した。


その考察に至った理由は至ってシンプルなモノ。前述にあった彼女達への歌う際のディレクションにあった広大で朽ち果てた世界に三人しか存在していない雰囲気を感じる事と、絶望からの決起を描写している詞の内容は三人の内省的な葛藤を描写する事にも結び付いている。それを最も象徴しているのが以下の節々だと感じている。

 

 

 譲れぬ想いを抱きしめて前を向け

 何度だって立ち上がるんだ Don't be afraid

 強くなれる理由ならここにある


 ―Run Girls, Run!蒼穹のBlue Grandia』より引用

 

 

 切ないながらも、どこかこの楽曲が力強いのは、運命すらも覆そうとする何物にも屈しない反骨の魂の在り方を示しているからなのでしょう。それは、彼女達の自立と自我の確立にも繋がるモノ。

三人の魂に在る譲れない想いは、叶えたい願いであり生きようとする執念と本能。それは彼女達の魂で滾っている生命の炎でもある。それはあからさまにメラメラと燃え滾るのではなく、消えかけても静かに燃え続ける強かでしぶとい温度の高い蒼い炎。大袈裟な物言いではなく、実際のRGRの三人の表現者としてこれまでの生き様を模しているモノでもあるのだと。


そして、最後にはAメロと同じ歌詞が用いられている。

 

 

 描くのは群青 移り行くSeason 未来を

 伸ばす手は蒼穹 動き出す本能 目指して


 ―Run Girls, Run!蒼穹のBlue Grandia』より引用

 

 

 群青とは、鮮やかな濃い青色。ここでいう『青』は『青春』の事を指していると解釈できる。
または、若い未熟者の事を『青い』と称したりもする。 RGRの三人も世代的には若者のカテゴリーに入っていて『青春』真っただ中の刻を生きているがいずれはその枠から外れる刻が訪れる。

季節は容赦なく未来へと流れていく刻。『青春』とは、夢や希望に満ち溢れた世代を指すが、ここで言う『青春』≒『群青』は若い世代だけに限られたモノじゃない。魂の在り方は夢の軌跡を駆けだした何者でもなかった頃のままでいようと。それもまた青臭いのかもしれない……でも、その生々しい感情も“生命の謳”たる要素であると思えてならないのである。