巡礼者のかく語りき

自由気ままに書き綴る雑記帳

2020年の暮れに寄せて。

 何だかんだで、今年も残り僅かとなった。

 


毎年思う事だが……一年が過ぎていくのは本当に早いもんだと。
色々な人や場所が言っているが、今年は異常すぎる一年だった。
世の中の流れが激流に呑まれるかの如く急激に変化してしまった。


歴史に残ってしまう様な感染症が蔓延し、未だ収束の芽すらも見えない有様。
様々な所で制限を設けられ、行きたい所にも行けず会いたい人にも会えなかったり、イベントやライブが開催されなくて、延期や中止の報を聞く方がスタンダードに入れ替わってしまった。チケットが当選したのに中止になったのは何度もあった。

けど、刻の流れは途切れる事無く、世の中の仕組みも新しい形が出来て粛々と流れている。おそらくこの現状は数年続くだろう。これから求められるのはそれに対応する能力だと思っている。

新しい形や流れが出来るのは喜ばしい事だが、やっぱり、今まで当たり前にあった事が何の問題なく戻って来る事を望んでいるんだ。

ネガティブな事ばかりだが、僅かながらもポジティブになれる縁とも出逢えた2020年。
そんなこの一年を漢字一文字で表すとこの字が一番しっくり来た。


その字とは『忍』。


耐え忍ぶという意味での『忍』という字だ。


 今まで当たり前にあった事が今は思う様に出来ない状況下にある。それは本当に厳しく辛いモノだ。何でもないようなことが幸せだったと謳った楽曲が昔あったがその通りだ。
無くなってその尊さと有難みを痛感させられた。発信する側の人達も耐え忍んで苦心してどうにかしようと動く事を諦めなかったから新しい形で届ける事が叶った。

本来なら、直に会って互いの想いを声にするのが一番良い。だが、この現状ではそいつはリスクが極大だ。概念での話になってしまうが、言葉と熱は交わせずとも想いと魂は届いていると信じて耐えるしかない。

だから、未来の刻で今までの当たり前が取り戻せたなら、一切の妥協をせずに思う存分声と情熱をぶつけたいものだ。


その日が訪れるまで、今はただ耐え忍ぶしかない。


 そして、『忍』の字を挙げたのはもう一つ理由があります。

忍の字を分解すると『刃』と『心』という字になる。これは見えないけれど人が必ず持っている『言葉』と『心』に当たる。

制限された生活を余儀なくされる中に於いて、いろいろ鬱積する事は少なくなかった。
そして、現代は思いの丈を手軽に気軽にSNSという不特定多数に発信出来るツールが普及している。

言葉は何も口から発せられるだけじゃない。何かに記して解き放った瞬間からそれも言葉となる。


直に顔を突き合わせた時、ある程度その刃を鈍らせた物言いをほとんどの人はする。


(しない、出来ないという人もいるが……)


 格闘ゲームでは、コントローラーのボタンを押せば簡単に相手を殴れる。
でも、現実の世界で何の恨みも無い人やヤバい奴に絡まれなければいきなり殴りかかれる人はまずいないし出来ない。

だが、相手の顔や素性が見えないSNSではそれが無く、場の空気や熱が感じづらく見えないからこそ攻撃的に執拗になってしまうのだ。噺家(はなしか)殺すにゃ刃物はいらぬという言葉があって、(本来の意味とは違うが)噺家を人に置き換えると現代の世相と合致する。そう、言葉で簡単に人は傷つけてしまえる。


その意識はなくても無自覚のうちに、自分が良いと思って発したモノが他者にとっては不快に捉われてしまう事はある。で、その逆も当然ある。
何を書くにしろ、相手在りきという意識と慮る心はなおざりにしてはいけない。

 

その事を改めて考えさせられ、強く意識させられた年でもありました。

 

 

 正直な話、今の世情は良いとは言えない厳しいモノ。
今年の初めはこうなるとは誰も想像出来なかったでしょう。

そんな中でも、新しい巡り逢いの縁はちゃんとあった。

 

今出来る事をきっちりやりつつ耐え忍んで過ごす。

 

そう願いつつ、残り僅かとなった2020年の刻を過ごそうと思う。

 

来年はいい年になる事を願い、また新しい巡り逢いの縁を期待したい。

 


 それでは、今年も1年間お付き合いいただきありがとうございました。
来年も宜しくお願い致します。良いお年を