巡礼者のかく語りき

自由気ままに書き綴る雑記帳

RGR楽曲ライナーノーツ#9 りんごの木(林鼓子ソロ楽曲)

 どうも。RGR楽曲ライナーノーツシリーズのお時間です。

 


今回から数回(おそらく5回程)に渡って、『Run Girls, Run!』の1stアルバム
『Run Girls, World!』に収録された楽曲について書き殴っていこうと思う。


ライナーノーツとか書いておりますが、音楽知識がゼロの人間ですのでそこら辺の要素は一切触れていませんし、しょうもない妄想と暴論にて書き殴った駄文になっていますので……何卒、ご容赦の程を宜しくお願い致します。

 

 

 

 

 


  りんごの木/林鼓子

 

 

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 この1stアルバムのウリの一つは、メンバー個人によるソロ楽曲が収録された事。
この楽曲は、RGRのセンター・林鼓子さんのソロ楽曲である。

 

 『りんごの木』という曲題のみで捉えると、何ともファンシーで可愛らしい楽曲なのかというインプレッションを抱きそうであるが……いざ聴いていくと、そのインプレッションは見事にぶっ壊されるエネルギッシュで獰猛さがダダ洩れしている攻撃的な楽曲。

奇を衒わない正統派で爽快なハードロックチューンの曲調に、林さんの伸びやかで瑞々しく『我』の強い歌声が素晴らしい程に、引き寄せられるかの様な親和性が高い激熱な楽曲に仕上がっている。そして、ただ単に激熱なだけの楽曲ではなく、『静』から『動』への振り幅が大きな楽曲でもある。それ故なのか、この楽曲はRGR楽曲の中で最も時間が短い(2分53秒)モノとなっている。

短い時間ではあるものの、聴き終わって物足りないというインプレッションは抱かない。
それは、前述にある激熱さとある種の焦燥感の差がもたらす濃密な楽曲の世界観に浸り易い事が要因なのではと。そう感じてしまうのは歌う林さんの”生き様”が歌声に強く反映されているのだと思ってしまうのだ。


 林さんはこの楽曲を、『私のための歌。この1曲で”林鼓子”を表してる』と評した。
タイトルにあるりんごを漢字で書くと林檎。彼女の苗字の字である『林』の字。
また、りんごの木は果実を実らせて熟せば赤に染まる。赤という色はRGRに於ける彼女のイメージカラーだ。詞にある『熟した夢』はダイレクトにりんごの果実と彼女が抱く夢という2つの意味を持つ。


即ち、りんごの木とは林鼓子という一人の表現者の比喩。


そして、揺れる心情を凝縮して盛り込んだ構成になっている事から、大人になりたいと願いつつ上手くいかない現状を憂いながらも進む事を諦めない。そこに思春期特有の心模様があると林さんは語る。

人生の刻の中で、思春期の刻は短い期間(8~18歳ぐらいの時期とも云われる)のモノ。
現在(2020年)の林さんは思春期である18歳の刻を生きている。ソロ楽曲という事を織り込んで、作詞された只野菜摘氏は今の林さんがシンパシーをより抱く詞を紡いだのだと。

前述でも触れた楽曲の時間が短いという事も、人の刻の流れの中の一部である思春期の期間の短さを表現しているインプレッションなのかもしれない。


 
 木は、自然の事物のうちで最も豊富にして広範囲にわたる象徴を持つと云われてきた。
根が地下に張り、枝は天空に伸びる事から、中心軸であるという捉え方や生命力の象徴としても捉えられる。また、人生を木の成長と例える考え方もある。
この楽曲で紡がれる詞は中心軸と生命にクローズアップして、RGRのセンターを担う林さんという存在に照らし合わせている。サビの詞はその事が強烈に表れている。

 

 

 たかまる心拍数 はやまる上昇気流
 
 抱きしめても両手がとどかないよ

    ざわつく木漏れ陽が ブレそうな心 埋めつくした

    座標軸は ここだ りんごの木


 ―林鼓子『りんごの木』より引用

 

 

 たかまる(高まる)とはやまる(早まる)は心臓が刻む心拍数に繋がって、それは『鼓動』という語句にも変換出来て、ここの箇所の言葉遣いは見事な韻の踏み方。彼女の愛称であるはやまるにも掛かっているし、鼓動の『鼓』の字は彼女の名の一文字。このダブルミーニングは只野氏の見事な用兵の妙を感じさせられ膝を叩いて唸るしかなく、個人的な意見だが、この箇所がこの楽曲に於ける『要』だと思えてならない。

ここの箇所は『動』の要素のクライマックス。それを彼女は思いの丈を吠える様に謳っている様に自分は聴こえてしまう。座標軸は彼女自身が拠り所にしている譲れない魂の性だからなのだと。


『ここ』は林鼓子自身であるし、彼女が今立って踏みしめている大地だ。
RGRのセンター=ド真ん中に立つ事の意味でもあり、表現者としての高みも言い換えればセカイの中心=ド真ん中にいずれは立ってやるという彼女の夢と野望にも捉えられる。


悩んで葛藤している心情をネガティブな『静』の要素で、それを乗り越えた先に芽生えた新たな熱い鼓動と胸の熱さをサビへ向けて徐々に加速していく模様を『動』の要素で彩る。


このサビのパートで、林さんの清廉で伸びやかな歌声は”魂の絶唱の域へと昇華する。


それは、身についた技術や培った経験がその領域の扉を開いたカギになったのではなく、彼女の叩き上げの魂が限界領域への扉を開いた。この楽曲はロックテイストな楽曲。曲のジャンルという括りだけではなく彼女の貫きたい固い信念も汲んで『ロック』なのだと思い知らされた。


 そして、最後に林さんの滾る想いが爆ぜて解き放たれる。

 

 翻弄しないでよ 憧れさせただけで

    遠ざかってしまうなんてずるいよ

    転がる境界線から 掴む熟した夢

    座標軸はここ (心の真ん中)

    ここだよと刻んだ りんごの木


 ―林鼓子『りんごの木』より引用

 

 

 ラスサビであるここの箇所は『りんごの木』の詞の一番好きな箇所であり、この楽曲の『要』だと感じた箇所でもある。

どんなに荒れ果てた大地でもしっかりと根差し生きようとする執念にも感じられるし、何を成すか以前にどう在りたいかという偽りのない本能、届いて、聴いてもらいたいのではなく、届け、四の五の言わずに私の謳を聴け!!!と『我』の強さを謳う。この『我』の強さも彼女が持つパーソナリティの一つであると自分は感じている。

思い描いた理想と突き付けられた現実とのギャップに翻弄され、全力で駆けても思う様にいかない。彼女が手に握っている熟した夢の実は手から転がり落ちそうになるが何とか懸命に握って離すまいとしっかりと掴んで、ここにあるモノと想い(心の真ん中=心臓・魂)とここ(鼓子=彼女自身が存在する事)を世に刻む事を強く訴えかける。

その姿は不格好で格好悪く映るのかもしれない。だが、この楽曲は格好いいモノを魅せて謳う楽曲じゃない。泥臭くて生々しい執念を謳う楽曲だと自分は思ったのだ。

林さんは、『りんごの木』を彼女自身に寄り添った楽曲と言っていたが、それと同時に聴いた人が勇気づけられる曲でもあるし、皆の応援歌の様な楽曲にしていきたいと願った。

それは、この『りんごの木』が聴く者の魂を揺さぶる『アンセムであるという事だと自分は勝手に解釈させてもらった。

自分自身の魂や特定の誰かではなく、林鼓子という表現者が抱く本気の想いと偽りない本能の全てがこの楽曲に凝縮されて詰まっている。

 


故に、この楽曲は林鼓子にしか謳えない唯一無二・One offの極致にあるアンセムだと思えてならないのである。

 

 

 

 


 ここまで読んで下さってありがとうございます。


手前勝手で拙い駄文ですが、僅かでも響いてくれたのなら幸いです。
そして、この素晴らしい楽曲がもっと多くの人に知って好きになってもらえたら嬉しく思います。