8月3日。杉並公会堂にて開催された
イーハトーヴシンガーズ第5回定期演奏会『story』(東京公演)に参戦して来た。
記事にする順番が前後してしまったが、現地参戦はWUGのSSA以来となった。
ご存知の人も多いかと思うが、イーハトーヴシンガーズは昨年のWUGファイナルライブ(岩手公演)に出演された。その縁あってか会場には多くのワグナー諸氏が参戦されておりました。
イーハトーヴシンガーズは、岩手県盛岡市、宮古市、東京都を拠点に活動する混声合唱団。自分が合唱を聴きに行くのはおそらく中学生以来で、しかもチケットを取って聴きに行くというのは自分にとっては初めての事だ。WUGが岩手公演でイーハトーヴシンガーズと共演してなかったら、クラシック系の楽曲を聴かない教養ゼロの人間である俺は聴きに来る事はなかった。七人が導いて繋いでくれた縁の記憶と物語はきっちりと生き続けているモノだというのを痛切に感じた。
では、何故。そんな奴がわざわざチケットを取ってまで参戦したのか?
それは…6月の岩手で開催された演奏会同様、WUG楽曲『言の葉青葉』が歌われるからだ。
勿論、七人やメンバーの誰かが歌うワケじゃない。
違う形ではあるものの、3月のSSA以来となる『言の葉 青葉』を聴く事が出来る。
WUGが終焉し、第二章の始めとなった現地参戦。そこで感じられた事をこれから書いていく。
綴られていた”真愛”の情。
パンフレット(プログラム)を入場の際に頂き、それを座席に着いて開演前に読み耽る。
合唱とクラシックコンサートのパンフレットという事で、仰々しい物言いにて綴られてるのかと構えてみたのだがそんな事は全然感じなかった。特に、指揮者の太田代さんによる全曲解説での語り口はユーモアを所々折り込みつつ締める所はきっちりと締めている件は、楽曲所感を書いておる自分にとって凄く参考になるところであった。
そして、活動の軌跡と記録の中に『Wake Up,Girls!』の名を刻んでくれた事……
末項にあったWUGとイーハトーヴシンガーズが写る写真は昨年の岩手公演のモノだ。
まだ公演が始まってもいない段階。でも、このパンフレットを読んで勝手に感じたイーハトーヴシンガーズの真愛の情は尊く、信じても良いと感じさせる。自分の中で囲ってしまっていた偏狭な枠がこの開演前の段階で外れてくれた様に思えたのである。
それと、このパンフレットにはある仕掛けが施されていたんだ。
仕掛けについては後述にて書く事にする。
風と旅立ちの謳……再び。
伴奏は舞台に鎮座しているグランドピアノのみ。それに50人以上の生の歌声が加わる。
本当にシンプルなモノで、合唱という歌唱表現に飾り立てる余計な要素はいらないのだと。生の歌声がそれを強烈に訴えかけて来てる様でもあるが……俺の残念かつ鈍感な聴覚では合唱という表現の良し悪しは全然分からない。尚且つ、合唱曲の知識も学生時代の音楽の授業で歌ったモノしか知らない。分からん、知らん尽くしでも楽しめるのか?開演前よりか敷居の高さは幾分低くはなったものの、抱いてしまい勝手に作ってしまった敷居そのものは無くなってはいない。だが、皆さんの生の歌声が説得力を持ち場を圧倒していったんだぜ……。
楽曲『イーハトーヴの風』。岩手県では学校でも歌い継がれている楽曲と聞いた。
そして、イーハトーヴという地。架空の理想郷の事だが、岩手の方にとっては魂の拠り所なのだろうし繋がりの強さは岩手の繋がりが薄い自分には到底計りがたい想いが込められているのだろう。
この楽曲は岩手の自然の風景と息吹、風の匂い、刻を重ねていっても変わらない魂の安らぎや生命への感謝が溢れた楽曲なのだと……。
茹だる様な灼熱の東京。でも、あの刻の会場で歌われた事により
魂にはイーハトーヴの風が吹いて感じられた……と俺は思っている。
『旅立ちの時 ~Asian Dream Song~』は『イーハトーヴの風』と同様にWUGの岩手公演に出演された時に歌われた楽曲。叙情的な曲の音運びと背を押し励ます様な詞の構成は、沁み入るようではあるのだけれども秘めている力強さを感じさせてくれる。あの日の岩手の夜でこの楽曲を歌われた事の意義は深くて重たい想いがあったのだと……。
当然ながら、あの日の雰囲気とは全然違うモノだが、当時参戦が叶わなかった俺には刻を経て想いがようやく届いた様にも思えてならなかったのである。
先入観という食わず嫌いを打ち砕く調理(アレンジ)。
第二部で披露された『魔笛』と『レクイエム』。
疎い俺でもこの二曲の名は聞いた事のあるバリバリのクラシック(オペラ&ミサ)楽曲。フル尺で披露するととんでもない時間になるので一部の披露となる。
曲題の『魔笛』の字面がやっぱりおどろおどろしい上に、自分にとって馴染みが薄いオペラであることから作風に関しては全くのノーデータである。もしかすると音楽の授業で触れてたかもしれないが、そんな大昔の事を俺の残念な脳ミソが覚えておるワケがないので初聴と言ってもいい。
全曲解説の『魔笛』の項では、モーツアルトの晩年の年の『明』の部分を表現してアレンジしたと書かれていました。それを踏まえ、実際観ていくと『明』の部分を表している様なコミカルテイストの演出になっていて、例えるなら未知の料理を初めて味わう日本人の舌に合う様な調理をした…的な。(分かりずらい例えだなww)で、調理アレンジされたモノだが、楽曲の物語にすんなりと入り込めて楽しむ事が出来たのである。
『レクイエム』。モーツアルトの生涯最後となった楽曲。
死者を悼む楽曲である属性からか、イメージ的にはRPGで全滅してゲームオーバーになってしまった時に流れる悲壮感満載の曲調なんだろうと勝手に思ってたんだが、実際に聴いてみるとだ…これまた先入観や偏見をいい意味でブッ壊していったんだぜ。
特に、3曲目の『Dies irae』。ここの章では死者を悼む哀祷の意を汲むというよりは、この楽曲の解説にあった様に何かへの怒りを感じさせる力強さがあったんだ。彼がどういった経緯で『レクイエム』を執筆したかについては色々な説があると言われるのでこれという確証立てるのは不可能ではあるけれど、要因の一つだと俺が勝手に思ったのは、やっぱり怒りから来たモノじゃないかと。
楽曲に限らず、絵画や文章等の創作物には表現者のその時に抱いている感情が反映され易いと聞いた事がある。作られたモノに感情が乗り移る……よく俺は血が流れると書くがそれなのだろう。
余命幾ばくもなかったモーツアルトのまだ生きたい!という想いと世の理に対しての怒り……それが刻を越え、イーハトーヴシンガーズの皆さんに想いが憑依したのだろうと思わせる程に圧倒された気がする。
継承される“心の光”。
『言の葉 青葉』。一部のラストとアンコールで歌われた。
この楽曲を披露する前に、太田代さんはこの楽曲への想いを語られていた。
WUGが解散してしまった今、『言の葉 青葉』を歌い継ぐのはイーハトーヴシンガーズしかいない。そして、この楽曲を世に伝える責任があって、歌い継いでいって後の世の教科書に載せられるまでにしたいと!
それは強い決意と覚悟が太田代さんの言の葉から伝わって来るモノだった。
ステージで歌う姿と同様に、本気の想いを感じられない言葉は見破られてしまうモノだと思う。逆に、本気の想い、決意、熱、覚悟を持って放つ言葉は重く意義のある生きた言葉になる。
『言の葉 青葉』を歌う事となり、歌い継いでいく事を受け入れて次にすべき事が見えたのだと思えて来るのだ。WUGの岩手公演に臨む際に、混声四部合唱用にアレンジされたと奥野香耶さんはBlogにて語られていた。でだ…直に今回自分の耳で聴いて唖然としたんだぜ。
アレンジなんて生易しいモノじゃなかった。
魂はそのままで新たに生まれ変わってたんだよ……
原曲には無かった男声パートが加味された事で楽曲が持つ樹木の生命力の強さに重厚さと深みが加味された様に思える。勿論、女声パートも素晴らしく、厳しい季節を耐え忍んでそびえ立つ凜としてそびえ立っている木々を想像させられたのである。何言ってるか分からんし、どう称していいかのは俺の残念な語彙力では出来ないが……これは正当進化。期待を裏切らない進化と称すべきなのだろうな。
で…ここでようやくパンフレットに施された仕掛けについて書かせてもらう。
その仕掛けを発動させる方法はアンコールの時に告げられたんだぜ。
パンフレットにQRコードが記されていて、それを読み込むと画面には青葉の画像が映る。
参戦されたワグナー諸氏はサイリウムを持参しているが、そうじゃない層の方達は持っていないワケだ。WUGのイメージカラーであり、青葉の色でもある緑の心の光。一人でも多くの緑の光で照らす為のイーハトーヴシンガーズからの心遣いと楽曲に対しての敬意の念が溢れている様に思えてならなかった。
で……歌う表現者によって楽曲が持つ表情は変わるモノだ。
アンコールで披露した『言の葉 青葉』はWUGですら引き出せなかった領域を引き出したんだ。
その領域は、楽しさだったんだぜ。
この楽曲を直に聴いてそんな感情を抱くとは思わなかった。アンコールでは観客も確か一緒に歌う様に呼びかけていたと思うので、それも要因だったのだろう。
ただずっと 一緒にいよう
―Wake Up,Girls! 『言の葉 青葉』より引用
これは勝手な推測の域で恐縮ではあるのだけれど……ここの詞にイーハトーヴシンガーズが『言の葉 青葉』に懸けている想いの根幹を成していると思えるのです。
託された誓い、心の光で繋がる想いと魂。奏でられる旋律と歌われる声の音を皆で共有しひたすらに楽しむ事。
これまで、数多のポップス楽曲が合唱曲として生まれ変わって教科書に載り、多くの人が歌い継いだ。イーハトーヴシンガーズが『言の葉 青葉』を今後も歌い継いで行き、そして、他の合唱団や共に歌う人が段々と増えていく事でこの楽曲は朽ち果てずに東北の魂も受け継いで生き続けていくのだろう。
想いを継承し繋ぐ為には人が成す事。簡単じゃない事に踏み込み進む決断と覚悟を示してくれたイーハトーヴシンガーズの皆様には本当に感謝しかありません。
最後に。
ここに書き記した以外のアクトも本当に素晴らしかった。
ただただイーハトーヴシンガーズの合唱に、目と耳を傾けて聴き惚れた。楽曲を最初から最後まで集中して聴き、曲が終われば賛辞の拍手。聴く者を楽曲の世界に誘い傾聴させて音をただ楽しむだけ。
合唱という表現の奥深さを知ったなどと言うつもりはないが、その領域へと踏み込める為の入り口には立てたのかなと感じさせてもらえた様に自分なりに感じた事であった。
それはこの場に来なかったら絶対発見出来なかった。
そして、ここに導いてくれたのはWake Up,Girls!の七人がいたから。
彼女達が導いてくれたこの縁は大事にしたいと思う。
ライブとはまた違う類の音楽のチカラが間違いなくあの場と刻には在った。
それに出逢えた事が嬉しくあり、尊いモノだったと思える。
この刻でイーハトーヴシンガーズのコンサートを観れて本当に良かった。
イーハトーヴシンガーズの皆様、スタッフ、参戦された皆様に感謝を。
最後まで読んで下さりありがとうございました!