巡礼者のかく語りき

自由気ままに書き綴る雑記帳

Run Girls, Run! Online Live~ランガリング・リンクライブ♪~映像化決定に寄せて。

 3月13日。ある一つの報によって何とも形容し難い感情に包まれた。


自分の感情の波を揺り動かしたのがこの報によるモノだ。

 

 

 

 

 ドリーミング☆チャンネル!【LIVE盤】【Blu-ray収録内容】
Run Girls, Run! Online Live~ランガリング・リンクライブ♪~』最終公演映像化。

 

 5月19日にリリースされる『Run Girls, Run!』の新曲『ドリーミング☆チャンネル!』の販売形態の一つに昨年に開催された配信ライブを収録したBlu-rayディスクが特典として付くという報せである。CDの特典にこういう映像作品を付けて売る形式は珍しい事ではない。


Run Girls, Run!』単独ライブの模様がようやく円盤化されたというのが滾るポイントなんだ。


オンラインの配信ライブだったから映像は撮っていただろうし、後日、ライブの一部を動画サイトにアップしていたから円盤化して販売出来ることだろうとは多くの人が感じていただろう。

単独公演の映像化と言えば、多くのファンが待ち望んでいたモノで自分もそのうちの一人だ。
やっぱり、良いライブというのは何度も観たいし現地で観る興奮とは違った視点や感覚で観られるモノでもあるので是非とも手元に置いておきたいアイテムなのだ。


 だが、残念な事にこれまでに彼女達の単独公演の映像化は叶ってはいない。
初めての地上波バラエティ番組『Run Girls, Run!のらんがばん!』の番組内のコーナーでライブ映像が流れていたから映像はあるが円盤化までには至ってない。

『らんがばん!』のBlu-rayの特典で彼女達が参戦した『Green Leaves Fes』の円盤があるが、あれはRGRの単独公演ではない。先輩ユニット『Wake Up, Girls!』との殴り合い共演だ。

1stツアー(撮っていたかは不明だがおそらく映像はあるはず)や結成二周年ライブの映像があるという事実があるのは知れ渡っておるにも関わらず円盤化されていない。それはファンにとって歯痒いモノだ。ただし、そうなっていない(円盤化)のは商業的や権利的な理由とかが絡んで来て即座に円盤リリースして市場に出そうと舵切れない事情があるのだろう。

運営やレーベルの事情があるのは当然ながら理解しているが……一方でファンからしてみればそちらの事情なんざ知った事ではないという声もあるのが事実。乱暴な物言いになるが、映像が存在しておるのは分かってんだからとっとと円盤化してリリースしろと言うのがファンの本音。このライブはアーカイブは残されていないのでその叫びはより熱を帯びる。

レーベル側としては、やっぱり利益が出なくては話にならない。カタチにするのだってタダで出来るモノではなくそこにかける人やあらゆるモノが必要。しかし、前述の通りファン(客)側はそんなの知ったこっちゃない。他のコンテンツが出来ているのだから出来ないワケが無い。とにかくあるならカタチにして出せと言う。勝手な言い分だが世の理でもある。

 

 今回円盤化される公演(ランガリング・リンクライブ最終公演)が終演して間もない頃、こんなタグが付いて多くの人がTwitterに書き込んだ。

 


 #ランガリング・リンクライブ円盤化を諦めない

 


 推測の域だが、おそらくレーベルサイドはこの書き込みの存在は認知していると思われる。
もしかすると、このオンラインライブの開催が決定していた頃には円盤化する事も決まっていたのかもしれない。じゃなきゃこのライブのダイジェスト映像を流したりはしないはず。

ただ、これまでの単独公演が円盤化されていないので、この配信ライブも本気で円盤化する気が無かったという可能性も否定は出来ない。ランナー諸氏がライブ後即座に書き込んだのは記録として何らかのカタチにされない事を危惧して思いの丈を叫んだ。脳ミソに花咲いた個人的な意見だが……ファンの声を聞き入れて動き、この円盤化が決まったのであればそれは本当に嬉しい事ではある。


事の真相は、レーベルサイドにしか分からないし、客の方もあちらの思惑なんざ知った事では無い。リリースされる事が決まったという事実があればそれでいいのだ。

 

 話は変わって……コレは私見だが、Run Girls, Run! Online Live~ランガリング・リンクライブ♪~』はRGRの軌跡にとって意義深いライブだったと思っている。

最終公演のセットリストは、サプライズで披露された『Brand New Girls』以外は、全てRGR楽曲で構成された。これはRGRの単独公演では初めての事だ。1stアルバムがリリースされた事で単純に持ち歌が増えたのは本当に大きな事で、だからこそ円盤化に踏み切れた様にも思えるし納得出来る。

あれから(2020年10月)から刻は経ってしまったけれど、刻を越えてこのライブで彼女達が魅せ付けた本気の想いと魂、あの時間軸で生きる三人の生き様が詰まった素晴らしいライブが観られる。


結成と共にRGRを応援して来た人、どこかの機で巡り逢った人、ごく最近巡り逢った人。当時、このライブが観られなかった人もいる。
知った機がそれぞれに違ってもこの円盤は多くのランナー諸氏が待ち望んでいた『記憶』のカタチ。これは彼女達が世に認められる為に必要なモノでもある。

彼女達がこの報についてどう思っているのかは窺い知れないが、三人にとっても多くの人に知って認められる切っ掛けとなるモノがこうやって世に放たれる事は喜ばしい事ではと……手前勝手ながら思ってしまうワケである。


 

 『Run Girls, Run! Online Live~ランガリング・リンクライブ♪~』良いタイトルだなと思う。当時は彼女達と視聴者との間にある境界を越えて繋がれた(リンク)ライブだったと。


だが……この映像化の報を受けてこうも思ってしまったのだ。

 
境界のみならず、刻を越えて繋がるという意味を込められて、『リング』(環)と『リンク』(繋がる)刻の流れと繋がる事への二つの語句をライブのタイトルに付けたのだと。

こじつけが過ぎるし、コイツは暴論&妄想の域でしかないのも承知しておる……
でも、ライブが終演した後に彼女達が書いたコメントが刻まれたタオルに三人が
『時間』という言葉を書いた事からその可能性も勝手ながら感じてしまうし、そうあって欲しいと願ってもいる。


 彼女達の闘いの記憶と言ってもいい『ランガリング・リンクライブ』の映像化。
これが『Run Girls, Run!』を深く知る為の入り口の一つでもある。

この映像を一人でも多くの人が観て惹かれていく切っ掛けとなる事をただ願ってやまない。


そんな願いをもって、この記事の締めの言葉にかえて筆を置かせていただく。

 

 

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RGR楽曲ライナーノーツ#14 ルミナンスプリンセス/My Best Shine!!

 どうも。RGR楽曲私的ライナーノーツシリーズのお時間です。


今回は、前作『Share the light』から1年ぶりとなった7枚目のシングル
『ルミナンスプリンセス』とカップリング楽曲『My Best Shine!!』について書いていこうと思う。

 

 

 

 

 


  ルミナンスプリンセス

 

 

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 『Run Girls, Run!』のメンバーがメインキャストを担当しているTVアニメ『キラッとプリ☆チャン』の7番目(第3シーズンの2番目)のオープニングテーマ楽曲。(129話から141話まで使用された)

これまでの明朗な路線を損なわずに、壮大さ(大人っぽさ)を加味させたメロディアスな曲調がこの楽曲の大きな特色でありRGRの新境地への挑戦も感じさせる意欲作だと感じられた。
これは、作中でのライバルユニット『Meltic StAr』の楽曲を手掛けているスタッフがいたという事なのでそれが曲調や世界観に影響をもたらしたと思える。


 曲題にある『ルミナンス』。見た当初は造語かと思っていたが、実際にある語句であり光源の明るさを表す輝度の英訳がルミナンスだという。前のOPテーマ楽曲『イルミナージュ・ランド』も、光や輝きを表す語句であるイルミナージュから取られていた事から、OP楽曲の系譜を継ぐという意味合いを込めて輝きをイメージさせる語句を付けたのだろう。

この楽曲のテーマとなる『輝き』のモチーフになっているのは『月』と『太陽』の輝きだとインタビューで語られていて、作中に登場する新キャラクター『アリス』と『イブ』の両者の関係性に寄せて、曲調の明朗さ(太陽)と壮大さ(月)が混在しているのも頷ける。


(両者の踏み込んだ関係性については作品のネタバレになるので本稿では言及しない)


三人の歌唱法もみらい達がアリスとイブを引っ張っていこうという意志と優しさを表現して語りかける様なモノになっているのが印象深い。それはキャストとしてのRGRの立ち位置が刻を経ていって変化した事が大きな要因だろうし、系譜と軌跡の積み重ねがそうさせ、キャラクターとの魂での対話の賜物だと勝手に思っている。

 

 見つけた夢の向こう きらめこうよ 一緒に…

 踏み出していい まっすぐに信じて

 ルミナンスプリンセス


 ―Run Girls, Run!『ルミナンスプリンセス』より引用


 
 上記にあるこの節が、新しく加わったキャラ達を引っ張り優しい輝きで包容して背中を押してあげるというこの楽曲の真骨頂だと自分は捉えている。同時に、彼女達のこれまでの軌跡とも照らし合わせる要素でもある様にも思えてくるのだ。

前述の壮大さというインプレッションだが、自分は同じ『プリ☆チャン』OP楽曲の一つである『never-ending!!』に似たインプレッションを抱いた。この『ルミナンスプリンセス』はシーズン3のラストを飾るOP楽曲であり、これらの二曲は締め括りの楽曲という共通項が自分に『never-ending!!』と似たインプレッションを抱くに至ったのだ。


そして、この楽曲の最も『要』となる箇所と彼女達の本気の想いが最後に集約されていると考える。

 

 終わらない恋をしたんだ みんな

 どこまででも 行こう


 ―Run Girls, Run!『ルミナンスプリンセス』より引用

 

 RGR楽曲全体の系譜に於いて、『プリ☆チャン』楽曲は数が多く『Run Girls, Run!』の歴史そのものと称されても差し支えないモノと思える。

恋という語句は、みらいを筆頭にキャラクター達が『プリ☆チャン』へ懸けている想いと魂でもあるし、RGRの想いと魂も同じくあるモノでみんなとは演者とキャラクター双方向の縁でもあり強い情熱を喩えた言葉。


変わる事もあるが、変わらない事もある。


刻が積み重ねていって、楽曲が持つ意味や謳う彼女達の役割も変化した。
そして、原初から抱いている変わらない想いも共存しているのだ。

どちらの要素も損なわれてはならない大切なモノ。そして、一つの節目を迎えた彼女達の新たな決意表明を謳っている様にも感じられる意欲作となっている。

 

 

 

 

 

 

  My Best Shine!!

 

 

www.youtube.com

 

 

 音源を聴いてのファーストインプレッションは、明朗な可愛らしさを全開にしたまごう事無き正統派・ド直球なアイドルソングだという事だった。アップテンポなエレクトロポップチューンの曲調はライブ映えし、マストとなるのは確定となるポテンシャルを強烈に感じさせられた。

ここまで振り切った楽曲は、RGR楽曲全体では稀だと思う。位置的に近しいと思えるのは、1stアルバム『Run Girls, World!』に収録されている森嶋優花さんによるソロ楽曲『Darling Darling』位だろうか。これもまたRGRの新しいチャレンジだ。

この楽曲の大きな特色だと自分が感じているのは、何の括り(タイアップやシリーズ)の無いありのままのRGRで謳っている事。勝手なインプレッションではあるがテーマとなっているのが彼女達とランナーへの想いの相互循環……

繋がっている事への『感謝の謳』だと。

 

 

 きっと I Need You 頑張った向こうに見える新しい景色

 もっと My best Shine ずっと目が離せない 輝く私になるよ

 絶対 I Need You 何気ないコトバが私の元気になるの

 だから I Love You 精一杯の気持ちを 伝えたいな この歌で


 ―Run Girls, Run!『My Best Shine!!』より引用

 

 三人は、ファンからのちょっとした言葉や声援に頑張る原動力を貰っていると言う。
ランナー諸氏は彼女達の楽曲や活躍で頑張れる原動力を貰う。それは日常を闘うチカラを貰っていると称してもいい。

彼女達は声援をチカラに変えてもっと輝きたいと願い謳う。ファンは彼女達の輝きを反射させるかの様にもっと声援を送る。上記の箇所ではないが詞にある『君』という語句はファンを指す比喩である様に思えてしまう。ファンがRGRを輝かしい存在だと思っている様に、彼女達にとってファンの存在が輝かしい存在だと思ってくれるというメッセージがここのパートの詞には込められているのだと感じる。

この楽曲が収録されるシングルが初めて告知されたのは、2020年10月無観客で開催されたライブ『ランガリング・リンクライブ』での事。公の場になかなか出る事が叶わない状況下で生まれた楽曲。直に互いの『輝き』は感じられないけれども、心の光による『輝き』でRGRとファンは共に照らし合う事を諦めなかった。この状況下でなければ生まれなかった『感謝の謳』なのかもしれない。彼女達が置かれていた現在地で謳うからこそ説得力がある。

 

 『My Best Shine!!』とは、自らの最高な輝きと訳せる。それは自身が放つ輝き。でも、その人それぞれにとっての自身以外掛け替えのない最高に輝く存在にも当てはまるモノだと思えてならない。

 

 

 

 

 

10years~あれからとこれからの刻。

 古の文献にこんな記述が残されていた。

 

2011年4月。I-1clubメジャーデビューシングル『リトル・チャレンジャー』発売。

 

 

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www.youtube.com


 

 直訳すると、小さな挑戦者という意味。もしくは若き(幼い)挑戦者とも捉えられる。
その訳に違わないメジャーデビューという未知の領域への挑戦と叩き上げで荒削りな魂を赤裸に謳う楽曲であり、アンセムとしての意味もある楽曲。

センターに、島田真夢を据えたこのデビューシングルはオリコン1位に輝き、同時にミリオンセールスを叩き出しアイドル界の頂点へと駆け出す切っ掛けと好機を勝ち取った。


物語の中の出来事ではあるが……今年はこの楽曲がリリースされて10年の刻が経つ。
10年とは節目の年でもあるし、楽曲の物語と関わった人達の縁を含めて考えてみるにはいい頃合いなのかもしれない。

 

 

 

 

 

  Chapter1/ある男の嗅覚が感じたある少女の可能性。

 

 2011年といえば……3月11日、東北地方を中心に未曾有の被害を引き起こした大震災に見舞われ、それまで当たり前に在ったあらゆるモノが無慈悲に奪われた。それはエンターテインメントも例外ではなかった。当時、I-1に在籍していた島田真夢は被災地に赴いてチャリティライブを何度も開催していたと回述していた。

風前の灯となったエンタメの火を消さない為に、ある男=白木徹は、平穏の象徴であるエンターテイメントショーを如何なる事があっても続け、途絶えさせない事で人々に希望を与える事。その想いでもって被災地でのチャリティライブの開催に動いたのだろう。これは、彼の中で揺らぐ事のない信念の一つだと思える。

おそらく、『リトル・チャレンジャー』リリースはこの時期(2011年4月)というのは随分前から決定していた事ではあったのだろう。共にある仲間達との絆と挑戦者魂をテーマに掲げ、メジャーデビューして新たな軌跡を駆けるI-1の事を謳った楽曲。言い換えると、I-1の事しか謳っていない楽曲でもある。


 メロディや詞が良くても必ずヒットする確証なんてモノはない。それはこれまでの歴史が証明しており白木さんも重々痛感している事でもある。

何も『確かなモノ』が無いので憶測の域でしかないが、白木徹のエンターテインメントに生きる者の嗅覚が嗅ぎ取ったのだろう。彼が抱く理想のアイドルに近づける逸材・島田真夢をセンターに据えて、叩き上げの荒削りな挑戦者達の謳『リトル・チャレンジャー』で闘いを挑む絶好の機だと本能で感じた…加えて、震災から間もないという時勢も影響しただろう。

実際の所、彼の嗅覚から導き出された『解』は、オリコンチャートの1位とミリオンセールスという成果を見事に出した。


 白木さんは、何故真夢をセンターに据えたのか?これに関して明確な理由の描写は無い。
あくまでもコレは個人の妄想の域でしかないが、おそらくは根拠や理由なんて無かった。
彼の心中では、岩崎志保でもなく、黒川芹香でもなく、島田真夢しか有り得なかったのだと。

前述の様に、エンターテインメントの世界で糧を得ている者の嗅覚と勘もあっただろうが…一人のアイドルファンとしての理屈では説明が出来ない惹かれて魅せられるモノを、白木さんは島田真夢から感じた。決定打になったのは一人のアイドルファンとしての視点と本能の勘が島田真夢を選んだのだろう。勿論、彼女にパフォーマーとしてのスキルが充分にあったのは言うまでもないが、それ以上に白木さんの魂を揺さぶり真夢に懸けようと思わせた要因は彼女から発せられた『気』(オーラ)だったのだろう。


前に、白木さんの事を書いた記事でも触れたが……この男は人が持つ心の光と可能性を誰よりも信じてやまない。

『気』は目に見えなくてロジックで説明できない不確定な代物。
別の表現をするならば…覚醒されていない島田真夢の『可能性』に白木さんは懸けたのだろう。

 

 

 

 


  Chapter2/打ちのめされた人達へのアンセムとして…

 

 被災地にてチャリティライブを何度も開催し、そこに暮らす人達の現状を目の当たりにした若い彼女達は強烈なインプレッションを抱いたはず。自分たちのパフォーマンスを観た人達がその僅かな刻の間だけ笑顔になれて困難な状況を忘れられる。この経験もまた彼女達には強いインプレッション…生き様として刻まれたモノでもあった。


この楽曲は置き去りにした何かを取り戻す切っ掛けになる楽曲という面もある。
 

勿論、この楽曲を聴いた事のある人全てが前を向いて挑戦していこうという気にはならない。
特に、被災者にとってはチャリティを開く者達の励ましの声の類は単なる詭弁だと一蹴し、どんな言の葉も綺麗事にしか捉えられない。お前達も自分達と同じ目に遭ったらきっちり聴いてやると思っている人だっている。これも公にはされていないが事実としてあるモノ。
エンターテインメントが腹を満たすワケでもなく、安眠を確証出来るモノだってない。


それでも、全てをグッと飲み込んで彼女達はこう歌うのだ。

 

  時に傷つき負けそうになったら

  右を見ろ左を見ろ 信じ合える仲間がそこにいるから


  ―I-1club 『リトル・チャレンジャー』より引用


 

 この楽曲は前を向き挑戦しようという気概を謳った楽曲ではあるが、共に軌跡を駆ける仲間との絆も謳っている楽曲でもある。
 
『復興』や『頑張ろう』という言葉は、時に残酷で無慈悲な凶器としか捉えられない人も実際いたのだろう。安全な場所から言われた言葉で応援されても立って前向けないモノだ。
これ以上何を頑張ればいいかなんて分からない。しかし、そんな人達に無理して前ではなく右や左……即ち、横向けという言葉は新鮮なインプレッションを抱いたのかもしれない。


それは、謳うI-1のメンバー達にも言えるモノだった。彼女達の生き様が楽曲に魂が宿って血が流れる。この楽曲を聴いて救われた者だっていたはずだ。


楽曲は成長していくモノ。歌う者の生き様が反映されてより人の魂に響いて楽曲は秘めた限界領域を超えていく事からその限界の壁を壊すのは人無しでは出来ないものではあるのだけれども……時勢が限界の壁を壊す事も有り得るのだ。『リトル・チャレンジャ―』という楽曲は徹底的に打ちのめされた時勢に求められた楽曲……


人によって作られたのではなく、昇華して生まれた『アンセム』だったのではないだろうか。

 

 

 

 

 

  Chapter3/あれから10年の刻。”向こう側”はどうなっているのか…

 

 

 描かれていないので2021年の『Wake Up, Girls!』の世界がどのような刻を刻んでいるのかは全く分からない。WUGはあの七人と魂を共有する者達の様に終焉(解散)を迎え第二章の物語を迎え、新たな軌跡を歩んでいるのかもしれない。


I-1サイドもどんな物語になっているのだろうか?


近藤麻衣は卒業しているかもしれない。吉川愛はキャプテンを続けているのか?別の者に引き継いだのか。


I-1センターは誰なのかも興味深い。


一度は返り咲いたその座を返上した鈴木萌歌がまた返り咲いて絶対的なセンターとなっているのか?もしかすると、高科里佳がセンターの座に就いているのかもしれない物語だって無いとは言い切れない。彼女はスピンオフ作品『リトル・チャレンジャー』の主役でもあるからその物語も興味深いモノがある。

白木さんは……何考えてるのかは分からんが、エンターテインメントとアイドルが持つ力を信じているのは変わらずに色々事を仕掛けているのかもしれない。


 10年。区切りの年と呼ばれる事が多いが、それは人間が勝手に決めたモノで本来、刻とは区切りの無いもの。でも、人はそれ(区切り)に意味を見出そうとしてしまう。

それぞれの10年の刻があって、大切な事もそれぞれに違う。

2021年の空と大地で、島田真夢が、岩崎志保が、I-1clubが、そして、白木徹が『リトル・チャレンジャー』を聴いて何を想うのか?


真に大切なモノは何か?もしかすると一生懸けても見つからないかもしれない。捉えられないモノなのかもしれない。それでも、何なのかと問い続けて挑み続ける事こそがそれぞれにとって大切なモノなのだとこの『リトル・チャレンジャー』という楽曲は伝えようとしているのかもしれない。


 そんな勝手な妄想に塗れながら、『リトル・チャレンジャー』を改めて聴いてみようと思う。

 

 

 

 

 

 

 

Seven Memoriesに寄せて。

 今回の記事は、バチバチに自分の主観と偏見が多分に含まれた文章なので
取り敢えずその点は予めご了承下さい。

興味のある方だけ読んで下さい。どうでもいい方はそっと閉じて下さい。

 

 

 

 

 

 『Wake Up, Girls!』のパチスロ化の報が流れてずいぶん経ったが、今更ながらそれの関しての自分の印象やら心情をつらつら書き殴ろうと思う。


 まず、第一報を聞いた時の印象は『ほう』(肯定的な)といったモノだ。


ちなみに、自分はパチンコ・パチスロだけじゃなくギャンブルの類は一切やらない。やらないのはギャンブルそのものだったり、やっている人ひっくるめてのトータルな嫌悪感があるワケじゃない。きっちりと節度を持って社会生活が破綻せずに、人に迷惑や害を与えなければ気分転換の趣味の一つとして有りだという認識だ。

俺がやらないのは、単にギャンブル自体に興味や好奇心が向かなかった事と、最悪のケース…ハマってしまいそうになるのが目に見えてあらゆる方向に迷惑をかけるだろう事が予想に難くなかったから。前述の通り一人の社会人としてあらゆる方向に迷惑かけてしまうのは俺の中では最もやってはならない事だからだ。

娯楽遊戯の一つとして俺の中ではこのパチスロ化は、ゲーム化されるのと大差がない事とWUG楽曲がおそらく使われて、そこから新しくWUGを知る人が出てくれるのではないだろうかという期待。故に肯定的なモノと受け入れている。

グループは解散しておるが、コンテンツ自体は継続している現状。存在しているモノを使ってビジネス展開していく事は何ら悪い事ではないし、継続させるためには先立つもの=金銭が必要不可欠だ。パチスロ化すれば版権料やら何やらで懐に入って来る。

ただし、当然ながら新しく知る人が続々増えて販促を促せるモノでもないの知っている。
作品云々より、どれだけ当たられて自らの懐を温められて遊べるかが重要な層の方が圧倒的に多いだろうし、遊ぶ人が少なければ撤退を余儀なくされるシビアな現実があるが座しているだけでは何も変わらんし、コンテンツ側の懐も冷える一方だと思うのでこの決定の報について、自分はポジティブに捉える事が出来たのだ。


 で……否定的に捉えている人の大きな要因と思われるのが、パチスロ=ギャンブルとしてのネガティブなインプレッションと嫌悪感だろう。ハマり過ぎて借金してまでも遊ぶ人、絶対に勝てないイメージ、ガラの悪い人が遊ぶモノ、子供をほったらかしにして遊ぶ親御さん…etc
実際に俺の周りにもギャンブルにハマって金無くなって給料前借りしようとしていた先輩や、同僚に金借りてた人がいた。

その人の思い入れの深いメンバーや楽曲、エモーショナルなシーンが賭事に使われる事はパチンコ・スロットをやらない人からすれば非常に不愉快極まりない事だと思う。特にWUGの場合拒絶の意が顕著に表れている。東北の復興支援をお題目に掲げたコンテンツが賭け事に用いられるのは抵抗感が強いモノだというのも分からんでもない。

仮にだ。パチスロではなく新しいソーシャルゲームだったらここまでの抵抗は起こらんのだろうが……レアリティの高いキャラやアイテムが出るまで金をつぎ込む事と勝てるまで遊び続けるギャンブルは同一なモノ。更に言ってしまえば…コレクションの一環としてグッズを多数買う層の人も酒に悪い方向で溺れる人も俺は同じ穴の狢だと思ってる。どちらも精神的高揚がクセになって依存してしまう。

どれも人の欲という『業』がもたらすモノで大差はないのだ。綺麗事だけ並べてモノを残せる程この世は甘くない。嫌悪感を抱く人をどうこう言うつもりはないがその部分から目を背けないで、ネットに『嫌だ嫌だ』と書くだけで世が簡単に動くワケがない。どうしても本気で嫌なら動いて世の声を集めてコンテンツにその声を叩きつける位の気概を見せてみろと俺は思う。

 

 

 

 ……そんなこんなで先日。発売記念特番と称した番組(YouTubeにアップ)にて、メンバーが全員ではないが出演されて、いろいろと台の仕様やら話をされた。

 

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 まあ、その、メンバーが集まってわちゃわちゃと話していた事へのインプレッションについて改めてこの場で書く事はない。この記事はそれが主体ではないから。


 こういったアニメ作品のゲーム化は、出来合いが極端に分かれたりすることがよくある。
ク〇みたいな雑で酷いモノか、やたらと出来合いが良すぎるモノになる。

(あくまでも個人の偏見の域だけれども……)

パチスロ化で危惧していたのはそのゲーム性の出来合い部分だったりするのだ。


ところがだ。


番組で紹介されたモノは、いい意味で予想を裏切ったモノだった。


 原作のエピソードやライブの模様がちゃんとゲームに沿った演出に施していたり、楽曲名のテロップも入れてある事は勿論素晴らしい事。そして、何よりもライブの観客の声まできっちり入れておる事に制作陣が本気の熱をもって真摯にWUGと向き合って制作した事の証明ではないだろうか。

普通だったら観客の声は邪魔な要素として省かれるモノ。推測の域は出ないが…制作陣の中にワグナーもしくは実際にWUGのライブに参戦されて現地の熱狂を感じて演出に取りいれようとされたのかもしれない。きっちりと向き合って調べてそれ(観客の声援)が必要不可欠。
実際に自分の手でプレーしてないから何とも言えないが、映像で間接的に感じられた事については、ここの制作陣が携わった作品は信用してもいいと思ったのだ。


 何でもそうだが、そのコンテンツや作品を知る入口は広くて多いに越した事はない。
ネガティブな要素が多分に含まれる要素でも入口の一つとしては全然アリだと思う。

前述に、WUGのパチスロが切っ掛けでよりWUGを知ろうとする人は少ないかもと書いたが、知る人が増える可能性が全く無いわけじゃないし、仙台で打てば経済支援に繋がる。
この件も、東北にビジネスチャンス=金を落としていく一環なのだと思える。
真っ直ぐな道ではない曲がりくねった道かもしれないが、道が増えた事は素直に喜ばしいモノ。


物事は始まってみないと分からないモノ。良い方に転ぶのか?悪い方へ転がるのかは未知の領域で結果は誰にも分からない。

だが、ギャンブル性の強いモノ=悪と断定して単に非難・拒絶していくのは個人的に疑問符が浮かぶ。だからといって受け入れろって話をするものでもなく、パチスロ化がもたらした結果を見る事が大切だと自分は思っている。あれこれ論ずるのはそれからでも遅くはないのだ。

 

 

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もう一つの『ありがとう』~約束の地での『未来』への謳に寄せて。

 今年も、この日……3月8日が普通にやって来た。


人によっては、誕生日であったり、命日でもあったり……新しい生活の門出の日だったり、何もないいつも通りの日だったりと多種多様。

 
そして、想いを巡らせる特別な日でもある。


その、想いというヤツだが……人の捉え方によっては過去の想い出に魂を引っ張られた未練にしか捉えられないかもしれないが、歴史に想いを馳せる事は悪い事ではないと思える。
この3月8日という一日は、自分にとって一つの歴史に想いを馳せる特別な一日だという事だ。

だからこそ、今からここに何の恥ずかしげもない妄想に塗れた文章を書き殴るなんて思考でもって筆を執った。


 遡る事、二年前のこの日は『Wake Up, Girls! FINAL LIVE~想い出のパレード~』が開催された日。でも、今回書き殴っていくのはこのライブ本編の事じゃなく本番に先駆けて行われた公開リハーサル。そこでしか謳われなかったある楽曲について思う所をいろいろ書いていこうと思う。


ちなみに……当時の俺はこのリハーサルには参戦しておらん。
だから、ここから書く事は謳われた楽曲の真意みたいなモノを妄想全開にて好き勝手に書き殴った一人のおっさんの妄言。あの刻と場に参戦された方でもしこの駄文を読んで下さって解釈の補足や訂正、俺への苦情等ございましたらどんどん仰って下さい。

 

 

 

 『未来』という刻への想いと覚悟

 

 2019.3.8。其れは一つの魂の炎が消えた日だが、七色の魂の炎に火が点いた日でもある。
縁起でもない物言いだが……命日でもあるし、誕生日でもあった『未来』の軌跡への第一歩。


ある人……永野愛理さんはかつてこんな事を言っていた。

 

  意味の無いセトリだと頑張れないから。

  だから、意味の無いセトリなんて一個も無いんですよね。

  Wake Up,Girls!のライブにとって。

 

 意味のないセトリ。ライブ本番にて謳われる諸々の楽曲の事を指しているのは当然だが、それは公開リハーサルに於いても同様なモノがあると自分は思えてならないのだと。
リハーサルという名目はあれど、七人とワグナー諸氏にとっては本番の戦と変わりないテンションをもって臨んだのだろう。

この本文内で幾度も出ている『未来』という言葉。数多あるWUG楽曲の中で『未来』と名付けられた楽曲はこの楽曲『止まらない未来』しかない。そして、このリハーサルでしか披露されていない楽曲。

『止まらない未来』という楽曲はWUGの楽曲ではなく、アニメ作中で登場するライバル(ボス)ユニットであるI-1clubの楽曲。本番でこの楽曲は歌わないという事で歌ったという。


 I-1楽曲をWUGが歌う事は、WUGのライブに於いて魅力の一つだと思っている。
初期の頃からファイナルライブツアーまでの軌跡の中にて幾度も七人によって歌われて来た。ファイナルツアーでもある楽曲を除いて変わらず披露されて来た。


そう、『止まらない未来』以外の楽曲はだ。

 

 さて、ここからは俺の完全な推測の域である事を予め言っておく。


何故、『止まらない未来』をファイナルツアーの中で一度も歌わずに最期のライブが開催される『約束の地』さいたまスーパーアリーナまで取っておいたのか?

歌う機会はおそらく幾らでもあったし作れたはず。でも、彼女達は頑として歌う事はなかった。

楽曲を披露する最適な機会というのは必ずあるモノ。その刻と機と場が必ず来ると信じて七人は大切にとっておいたのかもしれない。

SSAは作中に於いて、I-1アリーナのモデルとなった地。ライブ本編で歌われるのがいいのだろうが、最期のライブではそれは無粋な行為だと思うしあくまでもカバーという要素は払拭出来ない。だが、公開リハーサルという隠れ蓑を纏えば無粋な要素も隠せる……

『止まらない未来』という楽曲は、I-1が勝負と矜持を懸けた楽曲だと思っている。
この日から未来の刻へと挑む七人は、強くあろうとするために止まらずに闘い続けるI-1clubの絶対王者としての魂に寄り添おうとして歌う事を決意したのかもしれない。


この楽曲は、鈴木萌歌のセンター楽曲でもある。彼女は『新章』の最終回にてWUGが歌う『polaris』を歌うという描写がなされている。それは何か見えない力によって背を押されたかのようにはにかみながらも吹っ切れた様に歌った。

これも、妄想の域なんだけれど……WUGの傍らにI-1メンバー達の魂もこの『約束の地・刻』に寄り添ってWUGの背中を押してあげていた……と思いたいのだ。

 

 

 

  見えないものも、自分の事も信じてる。そして、その先へ……

 

 

 『これからもたくさんの「ありがとう」を届けさせてください!!』


 『今日、ファイナルを迎えても、関係なく私に根付いています。だから、絶対つないでいく!』


 『私を信じて、ついてきてください!』


 『Wake Up, Girls!をこれからもよろしくお願いします!』


 『満開だけが魅力のすべてではない桜。そんな桜のような人間に私はなります。』


 『ちゃんと私がここに選ばれた意味を作らなければと想う気持ちは、明日以降も変わりません。』


 『これからも元気で生きてください!』

 

 これらは七人が誓った未来の刻への誓いの言の葉。自分はこう捉えている。


想いの相互循環という信念をこれからも貫き通す事。


駆け抜けた六年の刻と軌跡が自らの核となり未来の刻へと駆け出すと一歩になると。


ただ真っ直ぐに自分を信じてついて来いと。最高の景色を魅せてやるからと。導き、期待に応え続ける者としての矜持を示し……


あの刻に確かに存在していた事実を未来へと語り継ぐ事を我々に託した。


皆を愛し愛される愛の理を持ち、そう在りたい、なりたいと誓う。


ここで生きる事への意味を魂に刻んで未来へ臨むという事。


ただただ、未来の刻をしっかり生きろと。

 

 出逢いがあれば別れもある。それは避ける事の出来ない自然の理。
そして、人の眸が背中に付いていないのは前…即ち未来へと向かって生きる為。
七人は未来への刻へ踏み出す事に怯えちゃいなかった。これらの言の葉は彼女達の本能からの声なのだと。

未来の刻とは目に見えないモノ。未知の存在を恐れるのは人の本能だとも言われる。
だが、そのネガティブな感情は悪い気を引き寄せてしまう。


 いつも通りを 進んでいても
 
 違う風景のように見える そんな日は

 
 何かに出逢うかもしれない

 
 楽しみに おそれないで

 
 ―I-1club『止まらない未来』より引用
 


 自分は、当時前職を辞して新しい軌跡への岐路にあった。
この先どうなるかは本当に分からんかったし、未知の領域に不安や怖れを抱いていた。
今だから言ってしまうが手紙を読む所で、青山吉能さんが『みんなの人生も、明日から第2章です。』と言った時、胸に鋭い楔が撃ち込まれた感覚を抱いたモノだ。

未来への不安という点では、俺だけではなく多くのワグナー諸氏が同様に抱いていた様にも思える。

きっちりと受け入れて前に進める人もいたり、人生の岐路に立っていた人もいただろう。
あの刻を境に燃え尽きた人もいるだろう。ありとあらゆる生き方を取り巻く様に刻の流れは悠然と淡々と刻み進んでいっている。これも自然の理だ。


未来に怯えず、今の刻を全力で生きる。難しい事だし綺麗事。ポジティブな感情を抱いたとしてもそう上手く事は運ばないモノだ。でも、この七人が遺した数多の想いや魂とこれから紡がれる新しい『物語』が、我々の魂に何度でも火を点けてくれる。


その魂の炎は見えないが誰にでもあるその人にしか見えないモノ。それを信じる事が自分自身を信じられる事に繋がっているのではないだろうか。

 

 

 最後に……この言葉を綴って筆を置きたいと思う。

 


当時、直に聴く事は叶わなかったけれど……
SSAで『止まらない未来』を謳ってくれて、本当にありがとう。

 

 

 

 

 

『夢でまたね』へのFirst impressionと繋がる系譜

 今回の記事、ある楽曲についての独自考察・所感になりますが……
いつも以上に、暴論&妄想全開のエゴを満たしたいだけとなったモノとなっていて、それが一部の方にとっては非常に不快極まりないモノと捉えられるかもしれません。

ただ、誤解しないでいただきたいのは、この楽曲や携わった人達への敬意や尊ぶ心情は持ち合わせて、この楽曲に対しきちんと向き合い考えて導き出した『解』を文章という形式にて解き放ちたいを思って筆を執った所存。これも一つの解釈と所感という事でどうか暖かい目をもって読んでいだだけると幸いであります。

 

その楽曲がこちらの楽曲となる。

 

 

 
 夢でまたね/奧野香耶

 

 

 まず、この楽曲は2021年2月28日に開催された奧野香耶さんのバースディイベント
『ポチャッコ♡かやたんのらぶらぶバースデーPARTY』で歌われた楽曲。
で、そのイベントのグッズの一つにこの楽曲の音源が販売された。

このイベントは、現地開催だけではなく有料配信にて視聴する事が出来る。
(3/7の23:59までアーカイブが残って視聴可能)


楽曲のテーマになっているのは、『かやたん』(おそらく奧野香耶という存在とは別の存在か?)というキャラクターのキャラクターソングだという事が奧野さんの口から発せられたモノである。
この楽曲はそういう楽曲であると表現者が明言した以上それ以外の解釈をする事や、なおかつ、イベントのパンフレットにこの楽曲の制作秘話らしいモノが記載されたというからそれ以外の解釈をしてしまう事はタブー以外の何物でもない……


だが、この楽曲を聴き、その後に奧野さんが歌ったある楽曲がその概念を壊したのだ。

 

その楽曲は昼公演で歌われた『あのね』である。

 

 そして、『夢でまたね』という楽曲は『あのね』の系譜を継ぎ、続編としての位置にある楽曲。
詞の構成と言葉選びとを照らし合わせてみるとその関連性はより強いモノではないかと思えてしまうのだ。

前述でも触れたが『夢でまたね』という楽曲は『かやたん』のキャラソンだと。で、『かやたん』と『ポチャッコ』との絆を謳った楽曲でもある。一方で『あのね』は一組の男女の恋愛模様をテーマにした楽曲。

恋慕の情を一旦取り払って掘り下げて考えていくと、二人の縁と繋がりをテーマにしている事はこの二曲に共通している事ではないだろうかと自分は感じたのだ。


 『あのね』で描写しているのは、二人の間で共有している根幹の想いはあるけれども、距離と刻のすれ違いによって関係が終焉してしまう経過だと。

で、『夢でまたね』で描写されているのは『あのね』の後の刻の心情描写だと解釈した。
『かやたん』の存在を『あのね』で描かれる少女だとして歌詞を紐解いていくと楽曲の世界観が繋がっている様に思えるのだ。何しろ『夢でまたね』の制作陣は『あのね』を作った人達。
作詞は、奧野さんと古屋真氏。作曲は重永亮介氏によるモノ。楽曲の繋がりの強さを印象付けさせても不思議の無い要素で、それを自分が確信したのが以下の節々だ。

 

 夢の中で会いたい 星空アン・ドゥ・トロワ 

 思い出を巡ろうよ 手を繋いで

 叶わなかった恋の行方も あの日言えなかった言葉も

 抱きしめてぐっと手繰り寄せたら 胸の奥で光ってる大切なオルゴール
 

 ―奧野香耶『夢でまたね』より引用

 

 歌詞の方は配信観ながら文字起こししたモノなので正確ではないが……
上記の箇所が『あのね』との関連性を強いモノとさせる箇所だと感じた。

この楽曲の曲調は、まるで夢の中にいるかの様な浮遊感やヒーリング的な聴き心地の良いモノになっている印象。奧野さんの歌声も曲調に摺り寄せた柔和な歌声になっている。
また、夢というモノは心象世界を模している様にも捉えられる。

ちなみに、バースディイベントの夜の部に於いて、もう一つの奧野さんのソロ楽曲である『Why am I』が歌われた。『Why am I』で描写されているのは、過去の自分と対話している内省的な要素。この楽曲は違う人による制作だが、奧野さんが歌うという枠で括られているし世界観の繋がりがあると思える。

話がずれたので戻すが……上記の節々がこの楽曲の要になっている箇所だと自分は考えている。少女の夢(心象世界)では想いを素直に伝えられなくて叶わなかった恋模様への後悔の念が窺え、二人との絆の象徴になるオルゴールを大事に持っている。おそらく『あのね』のイントロとアウトロで流れるオルゴールはコイツなのだろう。

物理的なモノかもしれないし、形は無いシンボル的なモノかは明確な描写がないが、少女と彼との想いの繋がりはまだ消えていなくて残っている。ちなみにこのオルゴールは最後の一音が無いらしいという考察があるという。音が鳴らない=壊れている。二人の拗れた関係を示すモノでもあったのだ。


そして、少女はこう願う。

in my dream(私の夢の中で) stay with me(私と一緒にいて)と。


 奧野さんの三曲のソロ楽曲で共通されているのは、最後で吹っ切れた心情描写が詞に盛り込まれている点である。壊れたオルゴールや負の感情を抱きながらも前向きになっていく。
雨はやがて止んで青空が覗き、季節が巡って春が来て、しっかりと道を歩んでいく。
互いに想いを寄せた刻の想い出を胸に抱いて、彼の姿は傍らに無くてもだ。

奧野さんがこのバースディイベントで『Why am I』や『あのね』を謳った事は彼女のソロ楽曲という括りだけという単純な事ではないと自分は勝手ながら思えてならないのである。
取り巻く全てに意味があり無駄ではない。それは偶然の産物ではなく必然な縁なのだと。

 

 

 と、まあ……配信を観て強烈なインプレッションを抱き
『夢でまたね』という楽曲についての事を好き勝手に書き殴ってしまいました。
後日、通販にてこのバースディイベントのグッズが購入出来るとの事で、音源をじっくり傾聴してパンフレットに記載された楽曲についての事を照らし合わせて書くのが良かったのですが……
ファーストインプレッションを残しておきたいという想いが勝って書きたい想いが芽生えました。

冒頭にも書きましたが、ここまで書いたモノは完全な暴論&妄想による自分のエゴを満たしたいだけのモノで、これが正解で最適なモノなんて言うつもりは一切ありません。

奧野香耶さんを特別に推しているワケでは無い自分がこれを書く事は非常におこがましい事。
彼女の独自の領域に1%も踏み込めていないが……踏み込もうとする努力はしたつもりだと思っています。


 見当違いなのは承知の上。でも、感じた事は偽り無く書きたかった。
後日、購入出来るようになったら音源とパンフレットを見てもっと『夢でまたね』にきっちりと向き合いたいものであります。

 

 

 

 

2021Jリーグ開幕ッ!!

 昨日、今季のJリーグが開幕した。
今季もまた見どころが多くありそうなシーズンになる根拠のない予感がしている次第だ。


 昨季、圧倒的で理不尽なまでのアタッキング・フットボールで優勝を飾った川崎フロンターレの連覇なるのか?それをどう止めていくのか的な川崎包囲網が形成され闘っていくのか。

Jリーグの最大の魅力である(注:俺の勝手な見解だが)どこが優勝&躍進していくか読めない群雄割拠的な乱戦になっていくのか?

更に、今季は参戦チームが二枠増えて20チームあり、なおかつ降格が下位4チームになるという
これまた異例なシーズンでもある。


 前述の通り、川崎フロンターレの戦力充実度が他のチームより抜けているという事実があって昨日観た開幕戦での試合を観た感じだと、今季も手強い(なんてモノではない……)インプレッションを抱いてしまったのである。

で、ダークホース的な存在の最右翼に挙げられているのが、オフに大規模補強をした清水エスパルス。守備と堅実な戦術構築に定評のあるロティーナを招聘し、各ポジションに的確な補強をして来ている印象。問題は戦術や新加入選手が十分なフィットするまでの時間だが基本戦術が守備重視だろうから大崩れはないと見ているがどうなるか。


(ちなみに、開幕戦の鹿島線は勝ったとの事)

 

 さて、俺が応援しておるFC東京の開幕戦は、アウェーにて浦和レッズと闘った。
どこが相手でも簡単な試合ではないが、浦和はやっぱり特別な位置にいる存在だ。


試合は、後半に先制されるが終了間際にセットプレーから森重のゴールにて追いついてそのままドローという結果に。2012年のホーム浦和戦のゴールを彷彿させる激熱なヘッドだった……


開幕戦という事もあっただろうが、ウチの動きは固くよろしいモノではなかったのかもしれないが、それ以上に浦和の動きが全然違った。前線からアグレッシブに動いてプレスに行くスタイルは本当に厄介で中盤でこちらにボールが収まりずらく、そこから攻撃の組み立てに苦心していた印象。特に、小泉と明本の動きの質がダントツに良かった。迂闊なパスなんか出そうモンならすかさず寄せられ刈られて自陣深くで起点作られるぞ。他のチームは気を付けた方がいい。


さて、FC東京の方だが……前述の様に動きはよろしくなかったし、個の力頼りの攻撃は相変わらずだったが、新加入でJ1デビューの渡邊凌磨のプレーは面白いモノを感じた。ハードワーク出来てきっちり走れる走力が持ち味との事なので今後もっと活躍出来そうな感じだ。

一方で、アンカーに入ったアルトゥ―ル・シルバ。コ…じゃなく彼のアンカーは危なかっしい事この上ない。球捌けない、ポジショニングもよろしくないの三点盛だ。彼を使うのはインサイドハーフが最適な様にも思える。勿論、この一戦だけで判断を決められるモノではないが……


 ネガティブなインプレッションが多くある難しい試合ではあったが、その中で勝ち点を取れた事やクリアしなければならない課題を突き付けられた事は収穫であり前向きに捉えたい。
次節はホーム開幕戦。ココは落としてはならない闘い頑張って勝って欲しいモノである。