巡礼者のかく語りき

自由気ままに書き綴る雑記帳

10years~あれからとこれからの刻。

 古の文献にこんな記述が残されていた。

 

2011年4月。I-1clubメジャーデビューシングル『リトル・チャレンジャー』発売。

 

 

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www.youtube.com


 

 直訳すると、小さな挑戦者という意味。もしくは若き(幼い)挑戦者とも捉えられる。
その訳に違わないメジャーデビューという未知の領域への挑戦と叩き上げで荒削りな魂を赤裸に謳う楽曲であり、アンセムとしての意味もある楽曲。

センターに、島田真夢を据えたこのデビューシングルはオリコン1位に輝き、同時にミリオンセールスを叩き出しアイドル界の頂点へと駆け出す切っ掛けと好機を勝ち取った。


物語の中の出来事ではあるが……今年はこの楽曲がリリースされて10年の刻が経つ。
10年とは節目の年でもあるし、楽曲の物語と関わった人達の縁を含めて考えてみるにはいい頃合いなのかもしれない。

 

 

 

 

 

  Chapter1/ある男の嗅覚が感じたある少女の可能性。

 

 2011年といえば……3月11日、東北地方を中心に未曾有の被害を引き起こした大震災に見舞われ、それまで当たり前に在ったあらゆるモノが無慈悲に奪われた。それはエンターテインメントも例外ではなかった。当時、I-1に在籍していた島田真夢は被災地に赴いてチャリティライブを何度も開催していたと回述していた。

風前の灯となったエンタメの火を消さない為に、ある男=白木徹は、平穏の象徴であるエンターテイメントショーを如何なる事があっても続け、途絶えさせない事で人々に希望を与える事。その想いでもって被災地でのチャリティライブの開催に動いたのだろう。これは、彼の中で揺らぐ事のない信念の一つだと思える。

おそらく、『リトル・チャレンジャー』リリースはこの時期(2011年4月)というのは随分前から決定していた事ではあったのだろう。共にある仲間達との絆と挑戦者魂をテーマに掲げ、メジャーデビューして新たな軌跡を駆けるI-1の事を謳った楽曲。言い換えると、I-1の事しか謳っていない楽曲でもある。


 メロディや詞が良くても必ずヒットする確証なんてモノはない。それはこれまでの歴史が証明しており白木さんも重々痛感している事でもある。

何も『確かなモノ』が無いので憶測の域でしかないが、白木徹のエンターテインメントに生きる者の嗅覚が嗅ぎ取ったのだろう。彼が抱く理想のアイドルに近づける逸材・島田真夢をセンターに据えて、叩き上げの荒削りな挑戦者達の謳『リトル・チャレンジャー』で闘いを挑む絶好の機だと本能で感じた…加えて、震災から間もないという時勢も影響しただろう。

実際の所、彼の嗅覚から導き出された『解』は、オリコンチャートの1位とミリオンセールスという成果を見事に出した。


 白木さんは、何故真夢をセンターに据えたのか?これに関して明確な理由の描写は無い。
あくまでもコレは個人の妄想の域でしかないが、おそらくは根拠や理由なんて無かった。
彼の心中では、岩崎志保でもなく、黒川芹香でもなく、島田真夢しか有り得なかったのだと。

前述の様に、エンターテインメントの世界で糧を得ている者の嗅覚と勘もあっただろうが…一人のアイドルファンとしての理屈では説明が出来ない惹かれて魅せられるモノを、白木さんは島田真夢から感じた。決定打になったのは一人のアイドルファンとしての視点と本能の勘が島田真夢を選んだのだろう。勿論、彼女にパフォーマーとしてのスキルが充分にあったのは言うまでもないが、それ以上に白木さんの魂を揺さぶり真夢に懸けようと思わせた要因は彼女から発せられた『気』(オーラ)だったのだろう。


前に、白木さんの事を書いた記事でも触れたが……この男は人が持つ心の光と可能性を誰よりも信じてやまない。

『気』は目に見えなくてロジックで説明できない不確定な代物。
別の表現をするならば…覚醒されていない島田真夢の『可能性』に白木さんは懸けたのだろう。

 

 

 

 


  Chapter2/打ちのめされた人達へのアンセムとして…

 

 被災地にてチャリティライブを何度も開催し、そこに暮らす人達の現状を目の当たりにした若い彼女達は強烈なインプレッションを抱いたはず。自分たちのパフォーマンスを観た人達がその僅かな刻の間だけ笑顔になれて困難な状況を忘れられる。この経験もまた彼女達には強いインプレッション…生き様として刻まれたモノでもあった。


この楽曲は置き去りにした何かを取り戻す切っ掛けになる楽曲という面もある。
 

勿論、この楽曲を聴いた事のある人全てが前を向いて挑戦していこうという気にはならない。
特に、被災者にとってはチャリティを開く者達の励ましの声の類は単なる詭弁だと一蹴し、どんな言の葉も綺麗事にしか捉えられない。お前達も自分達と同じ目に遭ったらきっちり聴いてやると思っている人だっている。これも公にはされていないが事実としてあるモノ。
エンターテインメントが腹を満たすワケでもなく、安眠を確証出来るモノだってない。


それでも、全てをグッと飲み込んで彼女達はこう歌うのだ。

 

  時に傷つき負けそうになったら

  右を見ろ左を見ろ 信じ合える仲間がそこにいるから


  ―I-1club 『リトル・チャレンジャー』より引用


 

 この楽曲は前を向き挑戦しようという気概を謳った楽曲ではあるが、共に軌跡を駆ける仲間との絆も謳っている楽曲でもある。
 
『復興』や『頑張ろう』という言葉は、時に残酷で無慈悲な凶器としか捉えられない人も実際いたのだろう。安全な場所から言われた言葉で応援されても立って前向けないモノだ。
これ以上何を頑張ればいいかなんて分からない。しかし、そんな人達に無理して前ではなく右や左……即ち、横向けという言葉は新鮮なインプレッションを抱いたのかもしれない。


それは、謳うI-1のメンバー達にも言えるモノだった。彼女達の生き様が楽曲に魂が宿って血が流れる。この楽曲を聴いて救われた者だっていたはずだ。


楽曲は成長していくモノ。歌う者の生き様が反映されてより人の魂に響いて楽曲は秘めた限界領域を超えていく事からその限界の壁を壊すのは人無しでは出来ないものではあるのだけれども……時勢が限界の壁を壊す事も有り得るのだ。『リトル・チャレンジャ―』という楽曲は徹底的に打ちのめされた時勢に求められた楽曲……


人によって作られたのではなく、昇華して生まれた『アンセム』だったのではないだろうか。

 

 

 

 

 

  Chapter3/あれから10年の刻。”向こう側”はどうなっているのか…

 

 

 描かれていないので2021年の『Wake Up, Girls!』の世界がどのような刻を刻んでいるのかは全く分からない。WUGはあの七人と魂を共有する者達の様に終焉(解散)を迎え第二章の物語を迎え、新たな軌跡を歩んでいるのかもしれない。


I-1サイドもどんな物語になっているのだろうか?


近藤麻衣は卒業しているかもしれない。吉川愛はキャプテンを続けているのか?別の者に引き継いだのか。


I-1センターは誰なのかも興味深い。


一度は返り咲いたその座を返上した鈴木萌歌がまた返り咲いて絶対的なセンターとなっているのか?もしかすると、高科里佳がセンターの座に就いているのかもしれない物語だって無いとは言い切れない。彼女はスピンオフ作品『リトル・チャレンジャー』の主役でもあるからその物語も興味深いモノがある。

白木さんは……何考えてるのかは分からんが、エンターテインメントとアイドルが持つ力を信じているのは変わらずに色々事を仕掛けているのかもしれない。


 10年。区切りの年と呼ばれる事が多いが、それは人間が勝手に決めたモノで本来、刻とは区切りの無いもの。でも、人はそれ(区切り)に意味を見出そうとしてしまう。

それぞれの10年の刻があって、大切な事もそれぞれに違う。

2021年の空と大地で、島田真夢が、岩崎志保が、I-1clubが、そして、白木徹が『リトル・チャレンジャー』を聴いて何を想うのか?


真に大切なモノは何か?もしかすると一生懸けても見つからないかもしれない。捉えられないモノなのかもしれない。それでも、何なのかと問い続けて挑み続ける事こそがそれぞれにとって大切なモノなのだとこの『リトル・チャレンジャー』という楽曲は伝えようとしているのかもしれない。


 そんな勝手な妄想に塗れながら、『リトル・チャレンジャー』を改めて聴いてみようと思う。