巡礼者のかく語りき

自由気ままに書き綴る雑記帳

『夢でまたね』へのFirst impressionと繋がる系譜

 今回の記事、ある楽曲についての独自考察・所感になりますが……
いつも以上に、暴論&妄想全開のエゴを満たしたいだけとなったモノとなっていて、それが一部の方にとっては非常に不快極まりないモノと捉えられるかもしれません。

ただ、誤解しないでいただきたいのは、この楽曲や携わった人達への敬意や尊ぶ心情は持ち合わせて、この楽曲に対しきちんと向き合い考えて導き出した『解』を文章という形式にて解き放ちたいを思って筆を執った所存。これも一つの解釈と所感という事でどうか暖かい目をもって読んでいだだけると幸いであります。

 

その楽曲がこちらの楽曲となる。

 

 

 
 夢でまたね/奧野香耶

 

 

 まず、この楽曲は2021年2月28日に開催された奧野香耶さんのバースディイベント
『ポチャッコ♡かやたんのらぶらぶバースデーPARTY』で歌われた楽曲。
で、そのイベントのグッズの一つにこの楽曲の音源が販売された。

このイベントは、現地開催だけではなく有料配信にて視聴する事が出来る。
(3/7の23:59までアーカイブが残って視聴可能)


楽曲のテーマになっているのは、『かやたん』(おそらく奧野香耶という存在とは別の存在か?)というキャラクターのキャラクターソングだという事が奧野さんの口から発せられたモノである。
この楽曲はそういう楽曲であると表現者が明言した以上それ以外の解釈をする事や、なおかつ、イベントのパンフレットにこの楽曲の制作秘話らしいモノが記載されたというからそれ以外の解釈をしてしまう事はタブー以外の何物でもない……


だが、この楽曲を聴き、その後に奧野さんが歌ったある楽曲がその概念を壊したのだ。

 

その楽曲は昼公演で歌われた『あのね』である。

 

 そして、『夢でまたね』という楽曲は『あのね』の系譜を継ぎ、続編としての位置にある楽曲。
詞の構成と言葉選びとを照らし合わせてみるとその関連性はより強いモノではないかと思えてしまうのだ。

前述でも触れたが『夢でまたね』という楽曲は『かやたん』のキャラソンだと。で、『かやたん』と『ポチャッコ』との絆を謳った楽曲でもある。一方で『あのね』は一組の男女の恋愛模様をテーマにした楽曲。

恋慕の情を一旦取り払って掘り下げて考えていくと、二人の縁と繋がりをテーマにしている事はこの二曲に共通している事ではないだろうかと自分は感じたのだ。


 『あのね』で描写しているのは、二人の間で共有している根幹の想いはあるけれども、距離と刻のすれ違いによって関係が終焉してしまう経過だと。

で、『夢でまたね』で描写されているのは『あのね』の後の刻の心情描写だと解釈した。
『かやたん』の存在を『あのね』で描かれる少女だとして歌詞を紐解いていくと楽曲の世界観が繋がっている様に思えるのだ。何しろ『夢でまたね』の制作陣は『あのね』を作った人達。
作詞は、奧野さんと古屋真氏。作曲は重永亮介氏によるモノ。楽曲の繋がりの強さを印象付けさせても不思議の無い要素で、それを自分が確信したのが以下の節々だ。

 

 夢の中で会いたい 星空アン・ドゥ・トロワ 

 思い出を巡ろうよ 手を繋いで

 叶わなかった恋の行方も あの日言えなかった言葉も

 抱きしめてぐっと手繰り寄せたら 胸の奥で光ってる大切なオルゴール
 

 ―奧野香耶『夢でまたね』より引用

 

 歌詞の方は配信観ながら文字起こししたモノなので正確ではないが……
上記の箇所が『あのね』との関連性を強いモノとさせる箇所だと感じた。

この楽曲の曲調は、まるで夢の中にいるかの様な浮遊感やヒーリング的な聴き心地の良いモノになっている印象。奧野さんの歌声も曲調に摺り寄せた柔和な歌声になっている。
また、夢というモノは心象世界を模している様にも捉えられる。

ちなみに、バースディイベントの夜の部に於いて、もう一つの奧野さんのソロ楽曲である『Why am I』が歌われた。『Why am I』で描写されているのは、過去の自分と対話している内省的な要素。この楽曲は違う人による制作だが、奧野さんが歌うという枠で括られているし世界観の繋がりがあると思える。

話がずれたので戻すが……上記の節々がこの楽曲の要になっている箇所だと自分は考えている。少女の夢(心象世界)では想いを素直に伝えられなくて叶わなかった恋模様への後悔の念が窺え、二人との絆の象徴になるオルゴールを大事に持っている。おそらく『あのね』のイントロとアウトロで流れるオルゴールはコイツなのだろう。

物理的なモノかもしれないし、形は無いシンボル的なモノかは明確な描写がないが、少女と彼との想いの繋がりはまだ消えていなくて残っている。ちなみにこのオルゴールは最後の一音が無いらしいという考察があるという。音が鳴らない=壊れている。二人の拗れた関係を示すモノでもあったのだ。


そして、少女はこう願う。

in my dream(私の夢の中で) stay with me(私と一緒にいて)と。


 奧野さんの三曲のソロ楽曲で共通されているのは、最後で吹っ切れた心情描写が詞に盛り込まれている点である。壊れたオルゴールや負の感情を抱きながらも前向きになっていく。
雨はやがて止んで青空が覗き、季節が巡って春が来て、しっかりと道を歩んでいく。
互いに想いを寄せた刻の想い出を胸に抱いて、彼の姿は傍らに無くてもだ。

奧野さんがこのバースディイベントで『Why am I』や『あのね』を謳った事は彼女のソロ楽曲という括りだけという単純な事ではないと自分は勝手ながら思えてならないのである。
取り巻く全てに意味があり無駄ではない。それは偶然の産物ではなく必然な縁なのだと。

 

 

 と、まあ……配信を観て強烈なインプレッションを抱き
『夢でまたね』という楽曲についての事を好き勝手に書き殴ってしまいました。
後日、通販にてこのバースディイベントのグッズが購入出来るとの事で、音源をじっくり傾聴してパンフレットに記載された楽曲についての事を照らし合わせて書くのが良かったのですが……
ファーストインプレッションを残しておきたいという想いが勝って書きたい想いが芽生えました。

冒頭にも書きましたが、ここまで書いたモノは完全な暴論&妄想による自分のエゴを満たしたいだけのモノで、これが正解で最適なモノなんて言うつもりは一切ありません。

奧野香耶さんを特別に推しているワケでは無い自分がこれを書く事は非常におこがましい事。
彼女の独自の領域に1%も踏み込めていないが……踏み込もうとする努力はしたつもりだと思っています。


 見当違いなのは承知の上。でも、感じた事は偽り無く書きたかった。
後日、購入出来るようになったら音源とパンフレットを見てもっと『夢でまたね』にきっちりと向き合いたいものであります。