巡礼者のかく語りき

自由気ままに書き綴る雑記帳

RGR楽曲ライナーノーツ#12 水着とスイカ/イルミナージュ・ランド

 どうも。RGR楽曲ライナーノーツシリーズのお時間です。


今回も、1stアルバム『Run Girls, World!』に収録されている楽曲の事を書いていきます。

 

 

 

 

  水着とスイカ

 

 

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 “RGR Season Song”夏の章にして最終楽章となる楽曲。
この楽曲がリリースされる刻を待ち望んでいたランナー諸氏は多かったのではないだろうか。故に、この楽曲はこのアルバムの目玉の一つでもあった。


 ヒップホップテイストの曲調にラップ。厚木さんのソロ楽曲でラップを用いた表現があるがRGRとしての楽曲ではこの楽曲が初めてのチャレンジ。(……のはず)それに、台詞パートも盛り込まれていたりする。

季節シリーズに於いては、様々なテイストのチャレンジが成されて来ていて曲調の多様さは、テーマにしている少女の揺れ動く恋慕の心情を表しているのだと感じられるモノだ。

で、季節シリーズで一貫していたのは揺れ動く感情が決してポジティブなモノではなかった事。どの楽曲も、そしてこの楽曲も明朗な方向のノリではない。さながら、夏の終わり際に真夏の出来事を追想しているノスタルジックで叙情的な印象が強く、切なさという要素もブレンドされている。それに、最終楽章という事もあってか、これまでの季節シリーズに出て来たフレーズが散りばめられた集大成的な楽曲。


この楽曲をどの時間軸で捉えるかで、物語のインプレッションはガラっと変わる。
自分の中では、前述にある様に追想…夏の季節を思い返しているモノと考える。

 

 水着とスイカ 砂の空白

 それぞれ好きな場所から 見つめている
 
 水玉の恋 ぽつんぽつんと

 私たちまだ 距離が離れている


 ―Run Girls, Run!『水着とスイカ』より引用

 

 追想という事を印象付けさせるポイントが『場所』と『距離』という言葉。
これは、刻の流れの例えにも捉える事が可能と解釈している。

場所とは、単純な場という意味だけではなく少女が追想している現在としての時間軸。距離も同じで刻の流れを指す言葉である。勿論、単純な場という事も無視出来るモノではなく、物理的や心の距離感もある。


その少女の変わりたい覚悟を示す箇所がサビ前の節で示される。

 

 早く早く 小麦色になりたい

 脚も胸も まだ白すぎるから はずかしいな


 ―Run Girls, Run!『水着とスイカ』より引用

 

 日に焼けて、見える印象をちょっと変えたいと。それはマイルドなインプレッションに聞こえるが、言い換えてしまうとこれまでの地味な自分を焼き尽くしてまで変わりたいという激情とも捉えられる。そうまでしないと都会に住んで私立に通ってバレエを習うキレイな子達には勝てないと思い込んだ。身に纏う初めて着たビキニの水着も変わりたいという覚悟を示すモノなのだろう。

 

 誰よりも きみの理解者でいたいと 自分にいいきかせた
 
 溶けるジェラート 会いたかっただけ
 
 もういいの


 ―Run Girls, Run!『水着とスイカ』より引用

 

 『きみ』だが、これは二つの意味があると思っている。少女自身と少女が想いを寄せていた男子の視点だと。この男子から見て少女は詞にある様に地味で素朴なインプレッションだった。でも、夏の海で会った少女は肌の露出が多いビキニの水着を纏っていた。

視覚から入って来るインプレッションは強烈なモノをもたらす。言い換えると少女は大人の階段を昇ったともとれる。少女の事を最も理解していたのは男子自身の筈だがそうではなかった。『いいきかせる』のは目の前の現実=変わった彼女の姿を受け入れろという事だろう。

 少女視点でカギとなるのは『溶けるジェラート』から続くフレーズ。
男子に想いはありながらも、その想いを捨てようとしている。変わりたいという覚悟は捨て去る覚悟の暗喩でもあり、溶けるという句にも繋がっていく。

ここでの『もういいの』は感情を爆ぜさせる物言いではなく、吹っ切れた様な静けさがある。言わば決別の想いなのだろう。

 

 そして、この楽曲が追想している楽曲である事の『要』が以下の節々だと考える。

 

 私はきっと おこってたんだ 淋しかった いろんな季節に 

 水着をぬいで 秋がきたなら 地味な子へと戻ってることに

 強く強く はじけながら割れたよ
 
 それはたぶん誰にも気づかれない想いだった


 ―Run Girls, Run!『水着とスイカ』より引用

 

 少女がいつから何に『キレて』いたのかを窺い知る事は叶わない。
もしかすると、少女自身もキレる=怒っている事に気が付いていなくて、様々な葛藤や負の感情の根幹が怒りや淋しさから来ているモノだったのかもしれないし、夏が終わって地味な自分に戻ってしまう事への憤りか。

夏の海でやったスイカ割りで見事にスイカを割る。それは少女が怒りをぶちまける事でもあって、これまでの事までも全て壊す激情だ。極端かもしれないが少女の爆ぜる感情はそれ程までに凄まじいモノがあった……

愛情と憎しみは紙一重という例えがある。憎しみは行き過ぎかもしれないがそこまでに至る前に吹っ切れようと少女は本能的に動き、誰にもその想いを悟らせなかった。
前述で触れた『距離が離れている』は少女自身が望んで離れていったのだとも思えて来る。そして、ラストフレーズでこう謳う。

 

 それでもね ずっと ずうっと 忘れないよ


 ―Run Girls, Run!『水着とスイカ』より引用


 このラストフレーズの歌い方を、吹っ切れたあざとい歌い方にしたと森嶋さんはインタビューで語った。

結局の所、少女の恋が実ったかどうかの決着は物語の中でついていない。
分かっているのは、物理と心情的に二人の距離が離れた事だ。
四季の刻の流れで、良い事もあったが辛い思い出もあり『そんな事もあった』と美化して心の安定を保ちたいのだ。思い出は思い出のままでいたいのだと。

思い出をずっと忘れないと言いつつ、どこかで徐々に忘れていっている事に気付いているし、寧ろ忘れる事を望んでいる。既に少女の思い出は希薄になっていっているのかもしれない。切なくも叙情的に歌う三人の歌声が少女の想いを彩るモノになっている。


忘れないと願いつつも忘れる事を心の片隅で願う。矛盾しているが、それも人としての性でもある。

 

 

 


  イルミナージュ・ランド

 

 

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 テレビアニメ『キラッとプリ☆チャン』シーズン3のOPテーマ楽曲。


題の『イルミナージュ』とは、『イルミネーション』の『イルミ』と、フランス語で『泳ぐ』を意味する『nager(ナジェ)』を組み合わせ日本語的な発音に組み替えたものだと言われる。

『ランド』は土地という意味だが、この場合、劇中にて『プリ☆チャンランド』というテーマパークが登場した事により、施設名称としての意味として『プリ☆チャンランド』を例えて、光輝く場所を示している言葉が『イルミナージュ・ランド』という認識で正解なのだろう。


 RGR楽曲の軸の一つにある『プリ☆チャン』OP楽曲もこれで6曲目になる。
この楽曲のテーマは、パレードの様な雰囲気を持つ楽曲だという。
明朗快活な楽曲がRGRには多くあって、これまでに歌って来た『プリ☆チャン』楽曲はその明朗な系譜を継承していて、この楽曲はその系譜をちゃんと継ぎながらもまた違うベクトルの明るさを持つ楽曲に仕上がっている。

 

 キラッとオープン!ワンダー プリ☆チャン 輝け!

 今日も 誰かの誕生日だよね

 可愛いや 嬉しいに 出会いますように (願いを)

 そんな素敵な世界は たまご (星よ)

 永遠なる ひよこたち つばさ探しに行こう
 

 ―Run Girls, Run!『イルミナージュ・ランド』より引用


 
 開幕のAメロと称される箇所のこれらのフレーズ。自分はここがこの楽曲の『要』であると思っている。いきなりクライマックスとはまさにこの事で明るい楽曲であるという事をリスナーに強く訴えかけて印象付けさせる。プリチャン楽曲では割とこの開幕からポジティブ全開でいきなりぶん殴って来る形式が多い様に思う。


(なんちゅう例えだよ……)


嬉しいや可愛いという言葉は、ポジティブの極致…陽となるインプレッションのモノ。
曲題の『イルミナージュ・ランド』を訳せば光輝く場所へと繋がっていく。

誕生日とは、たまごが孵化してひよことして産まれる事。即ち、作中に登場するマスコットや新しいプリチャンアイドル達のデビューへと重なりパレードへと繰り出す。
そのパレードへの参加資格なんてモノは無い。誰でもWelcome!!!なんだと。
寧ろ、躊躇っていても無理矢理手を取って強引にその列に加われともとれる。


暖かいと言えば聞こえはいいが、ある種の狂気でもある。


でも、その狂気=熱狂という輝きに身を委ねたくなるのも人の性。
それもまた、テーマパークの雑多な賑わいに通じるモノがある。
あらゆる要素があって、様々な人を楽しませる事が出来る場所がテーマパークの定義だと個人的には思うワケで、『Run Girls, Run!』もそういうグループになりたいと願い、加えて、メンバー個人としてもそういう表現者になりたいと願って謳ったのかもしれない。


 持ちつ持たれつの関係性から、RGRが楽曲と作品を引っ張っていく方へと昇華していく。そこに、キャラクターとRGRの三人との成長とがリンクされている様にも感じられるし、みらい達だけではなく、新しいキャラクター達迎え入れて導き一緒にパレードを進む……そういう賑やかな、何ともスケールの大きな楽曲でもある。

 

 

 

 

 

RGR楽曲ライナーノーツ#11 逆さまのガウディ(厚木那奈美ソロ楽曲)

 どうも。RGR楽曲ライナーノーツシリーズのお時間です。

 

 

今回書き殴る楽曲ですが、RGR楽曲随一……いや、自分がこれまでに出逢ったあらゆる楽曲の中でも解釈に踏み込む事を躊躇わせた楽曲の一つでもあります。

楽曲を聴き終わってのファーストインプレッションは、頭抱えて笑うしか出来なかった。

この笑いは嘲笑とかではなくて、所謂、乾いた笑いというヤツ。完全に手の打ちようのないお手上げ状態になった時に出る『こりゃ、どうにもならねぇぜ。はは……』的な笑いと共にこう呟いた。


『やりやがったな……』と。これはそういう楽曲だった。
こんなインプレッションを抱いたのは久しぶりである。

 

 

 

 

 

  逆さまのガウディ/厚木那奈美

 

 

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 『長野の奇跡』こと、厚木那奈美さんのソロ楽曲。
厚木さんがBlogに綴った言葉にこの楽曲の本質がある。

 


 

 

本当に一言で言い表すのがとっても難しいのですが…。
私の挑戦というか、新たな扉というか…そんな感じの楽曲になっております!

 

Run Girls, Run!オフィシャルブログ わーるど!-那奈美-より引用

 

 

彼女がどんな表情で文章にしたためたのかは知る由もないが、きっと菩薩の様な微笑みで書き綴られていたのだろう。


だが、この楽曲はんな優しい楽曲ぢゃない。だから頭抱えて地を転げ回った。
厚木さん、貴女はとんでもない扉を開いてその先へ踏み込んでしまいましたよ……


この楽曲は考えるのではなく本能で感じろという笑顔の裏に隠された彼女からの挑戦状。

ロジックで答えを導きだそうとしてもどうせ出来ねぇんだからエモーションで感じやがれと。

クレバーで強かな厚木那奈美のもう一つの『魔性の貌』で彼女の掌で転がされてしまう楽曲。


考察を放棄させて楽曲と彼女の魔性の領域に魅せられて浸る。確かにそれが一番楽しいモノ。『可愛い』『尊い』という言葉で所感で済ませば楽。だが、オタクとはエモーショナルの暴力に見舞われながらも必死に抗い考察してしまう『性』がある。


だから、自分も徹底的にこの楽曲に踏み込んで限界まで抗ってみようと思う。

 

 

 曲調の方はテクノチックなダンスミュージックテイストを醸し出しつつも、ギターやベースの音の主張が強め。そこに、厚木さんの柔和で上品な歌声が入る事で激しいというよりは爽快さとお洒落なインプレッションを抱くダンスナンバーになっている…と思いきや、Dメロで差し込まれるラップパートとアウトロでの複雑怪奇な締め方がこの楽曲の印象を単純なモノにさせない。

また、曲調の主張が強い為、歌唱力と表現力が釣り合ってないとこの楽曲に血は流れない。
厚木さんのソロ楽曲だからと言って彼女に寄せる構成には当然していない。だが、彼女はきっちりと応えて表現し歌い切って楽曲に血を流せた。お洒落なインプレッションをこの楽曲に抱くのは厚木さんの個のチカラがもたらした事の証明だと思える。


 で、その難解さを加速させているのが詞が紡ぐ世界観だ。
この楽曲のテーマをざっくりと説明すると、理論武装して物事を頭で考えてから行動に移すタイプの少女の恋愛感情とジレンマを描写している。厚木さんはこの少女のロジックなモノの考え方を彼女自身と重なると言う。

 

 構造的に 逆さまなのガウディ

 バランスを今 確かめたいもっと

 二人でいたい 設計図を描いた

 カラダとココロ フニクラになる
 

 ―厚木那奈美 『逆さまのガウディ』より引用

 
 曲題にもあるガウディとは、建築家のアントニ・ガウディで間違いないだろう。
そして、これは少女が想いを寄せた異性の比喩だと捉えられる。

では、どうしてこの少女が建築家のガウディを喩えに出したのか?

興味の対象を過去の人物の功績や実績に置き換える考えはいろいろとある。
音楽に造詣があるなら、例えば……モーツアルトベートーヴェンに例えたり。
物理学を学んでいるなら、ニュートンアインシュタインとか。


前述の様に、この少女はモノをガチガチのロジック(論理)で考える。

 

思いを寄せる対象へのアプローチ=人間関係の構築を少女は、建築に通ずるモノがあると結論付けた。詞にある『構造的』はそのメタファーなのだろう。
建物を建てる為には設計図を書く≒相手にどうやってコンタクトをとっていくかに繋がり、工事の工程≒相手とのコミュニケーションに繋がる……という具合だ。


ガウディは設計の際にきっちりとした設計図は書かず模型を基にして造るという。これはおそらく異端とされる所業なのだろう。
彼のモットーとする構造は自然から取り入れる事で、自然法則を利用したのが逆さ吊りの模型(=フニクラ)であり、本能で動く事を重視する異性の行動理念。

ロジック詰めで行動する少女にとって、その彼はイレギュラーな存在だが、それに惹かれてもいる。逆さまというのはロジック詰めの少女と、真逆の性質である本能のインスピレーションを重視する異性の事を指していると同時に、少女の思考重視(カラダ)が本能のまま(ココロ)へと優先順位が逆さまに入れ替わる事でもあり、フニクラは少女の心情とジレンマを結ぶ言葉だと思える。


詞にある『not nana meet to you』は厚木さんの名前『ななみ』に掛けていて、『ライトブルー』は彼女のイメージカラーの水色。『あっ、ちゃんと』は彼女の愛称の『あっちゃん』に掛かっている。名前と愛称を詞に盛り込むのは、林さんや森嶋さんのソロ楽曲でもあった要素だ。

ちなみに、先日のRGR配信ライブにてこの楽曲が披露された際に、冒頭の『not nana meet to you』の所で厚木さんが彼女自身を指す振付が成されていて、その仕草がな……

 


 クッソ可愛い。とにかく可愛い。

 


同じ名前の読みの某先輩の様に開幕からガード・耐性無視のオーバーキル確定で視覚を殺しに来ますので、今後のライブで披露される時には注意して下さい。どうやら彼女は適当スキルだけでなく、仕留め方まで先輩からラーニングしてしまった様だ……


 脱線してしまったので話を戻すと、それ(詞の世界観)を楽曲の音の構成と照らし合わせると、前述のラップパートやアウトロのアブノーマルさはロジックで解明できない少女の感情の揺れ幅の大きさを表現したモノ。顔面に目掛けて投げられた球が鋭く急激に変化してストライクゾーンへと突き刺さるかの様であり、厚木那奈美という表現者の不可思議で掴みどころのないパーソナリティに繋がる。


 人間 動物 怪物 全部 天才 モチーフ

 信頼できないなんて 友情 恋愛 崩壊

 チート それとも本当? ハート 線をひこうか

 実験させてほしい 結論を導く 会いたい

 
 ―厚木那奈美 『逆さまのガウディ』より引用


 サウンド全体の印象は、前述にある様に爽快感ある聴き心地の良いモノ。
だが、ここのラップパートではドラム音の激しさが印象強い。それがロジック詰めの少女が脳ミソでは理解不能な心情に翻弄されていく激情に結びついているのだと。

さしずめ、物語の少女がホワイトボードとか身の回りのモノに数式、図形、グラフとか書きまくって髪をかき乱している姿が浮かんで来る。詞を構成する言葉の羅列が翻弄されて混乱している事の証明。あらゆるロジックで考えまくっても答えが導き出せない事と、本能では理解出来た答えが導き出されているがそれに納得出来ないジレンマ(二律背反)に苛まれながらも、本能から導かれて『会いたい』へという答えに辿り着く。

この一連の節が、楽曲の特異な部分の象徴でもあり『要』だと考える。コレがあるのとないのでは楽曲の説得力が格段に違って来て無ければチープな楽曲になってしまうのだろう。

作詞の只野菜摘氏と作曲の広川恵一氏は厚木さんとの縁が深いクリエーターでもある。
だから、ここまで踏み込めた詞や音が作れたのだと思い知らされる。

 


 ソロ楽曲なのだから寄り添って作られたと言ってしまえばそうなのかもしれない。
だが、楽曲に血を流して魂を宿らせる最後の要素は歌う人の心在りきだ。

林さんや森嶋さんの項でも評したが、厚木さんのソロ楽曲も彼女にしか謳えない楽曲。
彼女と楽曲が持つ掴み所の無い不可思議な雰囲気と、聴けば聴くほどに新しい感覚を刺激される事と懐深い彼女の魅力。その塩梅がまた見事なのだ。

楽曲そのものを楽しむ事は当然だが、背景や表現者の貌を知っていく毎に楽曲もまた違った貌を見せて成長していく。大切に歌い継いでいって育てて欲しいと切に願う。
 


 
 

 
 

 

Welcome 2021!! 明けぬ夜は無い。

 

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 明けましておめでとうございます。

無事に年が明け、皆様にとってもどうか佳き一年になりますように。

 


 昨年は完全に新型ウイルスの奴に翻弄され、また様々な情報にも振り回された。
この一年の中で、何がこの先で起こるか分かりませんし、急激に良い方へに向かうとは思えませんが、少しでも良い方向へに向かって今までの当たり前を取り戻しつつ前向きになれる年になってほしいモノであります。


 当Blogですが、これまでと変わらずに、自分がドキドキしてワクワクしたモノについて楽しみつつ無理のない範囲で、自分が刺激と興奮した事の所感やら独自考察、もしくはアホな事を色々と書き殴っていく所存であります。

多種多様な楽曲、コンテンツ、作品に巡り逢えるのか今から楽しみな所ですな。


 年始の空いた時間だったり、畳のシワや天井のシミを数えるしか無いぐらいに暇な時にでもここの駄文でも読んで下さったら幸いでございます。

 
 雑になりましたが、以上で2021年の年始の挨拶と致します。

本年も当Blogを宜しくお願い致します!!!!!!!

 

 

 

2020年の暮れに寄せて。

 何だかんだで、今年も残り僅かとなった。

 


毎年思う事だが……一年が過ぎていくのは本当に早いもんだと。
色々な人や場所が言っているが、今年は異常すぎる一年だった。
世の中の流れが激流に呑まれるかの如く急激に変化してしまった。


歴史に残ってしまう様な感染症が蔓延し、未だ収束の芽すらも見えない有様。
様々な所で制限を設けられ、行きたい所にも行けず会いたい人にも会えなかったり、イベントやライブが開催されなくて、延期や中止の報を聞く方がスタンダードに入れ替わってしまった。チケットが当選したのに中止になったのは何度もあった。

けど、刻の流れは途切れる事無く、世の中の仕組みも新しい形が出来て粛々と流れている。おそらくこの現状は数年続くだろう。これから求められるのはそれに対応する能力だと思っている。

新しい形や流れが出来るのは喜ばしい事だが、やっぱり、今まで当たり前にあった事が何の問題なく戻って来る事を望んでいるんだ。

ネガティブな事ばかりだが、僅かながらもポジティブになれる縁とも出逢えた2020年。
そんなこの一年を漢字一文字で表すとこの字が一番しっくり来た。


その字とは『忍』。


耐え忍ぶという意味での『忍』という字だ。


 今まで当たり前にあった事が今は思う様に出来ない状況下にある。それは本当に厳しく辛いモノだ。何でもないようなことが幸せだったと謳った楽曲が昔あったがその通りだ。
無くなってその尊さと有難みを痛感させられた。発信する側の人達も耐え忍んで苦心してどうにかしようと動く事を諦めなかったから新しい形で届ける事が叶った。

本来なら、直に会って互いの想いを声にするのが一番良い。だが、この現状ではそいつはリスクが極大だ。概念での話になってしまうが、言葉と熱は交わせずとも想いと魂は届いていると信じて耐えるしかない。

だから、未来の刻で今までの当たり前が取り戻せたなら、一切の妥協をせずに思う存分声と情熱をぶつけたいものだ。


その日が訪れるまで、今はただ耐え忍ぶしかない。


 そして、『忍』の字を挙げたのはもう一つ理由があります。

忍の字を分解すると『刃』と『心』という字になる。これは見えないけれど人が必ず持っている『言葉』と『心』に当たる。

制限された生活を余儀なくされる中に於いて、いろいろ鬱積する事は少なくなかった。
そして、現代は思いの丈を手軽に気軽にSNSという不特定多数に発信出来るツールが普及している。

言葉は何も口から発せられるだけじゃない。何かに記して解き放った瞬間からそれも言葉となる。


直に顔を突き合わせた時、ある程度その刃を鈍らせた物言いをほとんどの人はする。


(しない、出来ないという人もいるが……)


 格闘ゲームでは、コントローラーのボタンを押せば簡単に相手を殴れる。
でも、現実の世界で何の恨みも無い人やヤバい奴に絡まれなければいきなり殴りかかれる人はまずいないし出来ない。

だが、相手の顔や素性が見えないSNSではそれが無く、場の空気や熱が感じづらく見えないからこそ攻撃的に執拗になってしまうのだ。噺家(はなしか)殺すにゃ刃物はいらぬという言葉があって、(本来の意味とは違うが)噺家を人に置き換えると現代の世相と合致する。そう、言葉で簡単に人は傷つけてしまえる。


その意識はなくても無自覚のうちに、自分が良いと思って発したモノが他者にとっては不快に捉われてしまう事はある。で、その逆も当然ある。
何を書くにしろ、相手在りきという意識と慮る心はなおざりにしてはいけない。

 

その事を改めて考えさせられ、強く意識させられた年でもありました。

 

 

 正直な話、今の世情は良いとは言えない厳しいモノ。
今年の初めはこうなるとは誰も想像出来なかったでしょう。

そんな中でも、新しい巡り逢いの縁はちゃんとあった。

 

今出来る事をきっちりやりつつ耐え忍んで過ごす。

 

そう願いつつ、残り僅かとなった2020年の刻を過ごそうと思う。

 

来年はいい年になる事を願い、また新しい巡り逢いの縁を期待したい。

 


 それでは、今年も1年間お付き合いいただきありがとうございました。
来年も宜しくお願い致します。良いお年を

 

 

 

 

 

RGR楽曲ライナーノーツ#10 Darling Darling(森嶋優花ソロ楽曲)

 どうも。RGR楽曲ライナーノーツシリーズのお時間です。


早いもので(あくまでも自分の感覚ですが…)今回で10回目になります。
Run Girls, Run!』はまだまだこれからのグループ。まだここに書いていない楽曲や、これから新しく出て巡り逢う楽曲についても書いていきたい所存でございます。


 で、今回もRGRの1stアルバム『Run Girls, World!』に収録されておる楽曲の事を書いていく。

 

 

 

 

  

 Darling Darling/森嶋優花

 

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 RGRのリーダー・森嶋優花さんによるソロ楽曲。


曲題に用いられている『Darling』(可愛い・最愛の人)からもう可愛らしさ全開フルスロットルであり、曲調もまたポップでキュートなテイストで、それに森嶋さんのロジック(理論)で導き出された可愛らしい歌声が最後のピースで彩られた可愛いという要素に全てのベクトルが全振りして向けられて突き抜けた王道なアイドルソング&ラブソング。

なおかつポップなテイストなのでライブ映えする要素は抜群に高い。
それはキャッチーな詞も影響しているのだろう。サビで用いられているシンプルな英文であったり単語を繰り返して観客がレスポンスしやすい構成になっている。

詞といえば、この楽曲にも林さんのソロ楽曲『りんごの木』に彼女の愛称が詞に組み込まれていたが、この楽曲にもそれは踏襲されて、森嶋さんの愛称である『もっちー』が組み込まれているのも大きな特色だろう。

ただ、多く直接的に登場してくる『りんごの木』とは違っていて、この楽曲で出て来るのはラスサビ部分でようやく出て来て『もちろん』という語に掛ける形で出て来る。この辺はラブソングという特性もあってなのか恋愛の駆け引き・焦らしを模してそういった表現にしたのかなと思わせる。

インタビュー記事にて、厚木さんはこの楽曲についてのインプレッションを
『これぞ!森嶋優花』って曲と語られていたがまさしくその通りの楽曲で、可愛さの権化、可愛らしさの過剰摂取。自分が書く楽曲所感でよく出て来る表現で恐縮ですが……


 森嶋優花にしか謳えないOne offの極致にある楽曲だと感じた。


 実を言うと、自分はこういったテイストの楽曲は聴き心地が良くない抵抗感というか、聴くのが苦手なテイストの系統だったりする……
あざとく、可愛く甘い方向に全振りして突き抜けた楽曲ではあるのだけれども、この楽曲への抵抗感は一切抱かずにすんなりと聴けて受け入れられたのである。

不器用に見せる器用さに、見て無い様できっちりと周りを見られる。
森嶋優花の上記に挙げたパーソナリティが、あざとく甘々のイメージで抱くマイナス方向のインプレッションではなくプラス方向のインプレッションに変えた。

森嶋さんへの贔屓目な評価も勿論あると思う。けど、それ以上に、森嶋さんのロジック(=可愛らしさの理論)と入念な準備が、この楽曲を単なる一方的に押し付ける強烈なエゴなモノではなく聴衆も巻き込んで楽しもうというモノに仕上げようと真摯に向き合ったからだと思えて来る。

勿論、彼女が一方的に可愛らしさを強調して置き去りにしていく表現でも問題はない。
折角のソロ楽曲なのだからもっとエゴイスティックになっても良いし、そっちの方がより響いて受けがいいかもしれない。


でも、森嶋さんはそっちの方向に舵は取らなかった。この楽曲を取り上げたインタビューにて彼女は『Darling Darling』についてこう語る。そこに彼女が貫きたかった表現への信念があり、この楽曲が単なるラブソングには留まらない『要』があったと思う。

 

 


レコーディングでは、ライブでランナーさんが
サイリウムとかを振って応援してくれてる姿を思い出しながら歌いました。

―リスアニ!WAB 待望の1stアルバム『Run Girls, World!』が完成!Run Girls, Run!ロングインタビューより引用

   

 
 


マイク前で一人でレコーディングしていてもランナーさんたちの姿が
思い浮かんできたり、ステージに立っている自分が思い浮かんだりして。
そういったことがつながって『Darling Darling』が完成しましたね。


―animateTimes 『Run Girls, Run!』1stアルバム『Run Girls, World!』への軌跡と現在地より引用
 

 

 彼女は、自分が受け手側にどう見られるか?どうやったら印象深く魅せられるかを入念に探って探り抜いて、徹底的に準備して物事に臨まれる人だと思っている。愉快な要素の振る舞いが目立つ人だとは思うが、自分の抱く印象は論理的にモノを考えていてロジックをきちんと表現の形で表せる表現者だと見ている。


森嶋優花にとっては受け手側を置き去りにしていく一方的な表現は有り得ない。
このインタビューからは双方向への想いの循環を重視する事が彼女の求める表現の形であり森嶋さんの貫きたい信念。


そこで、この楽曲のタイトル『Darling Darling』に焦点を当てて考えてみる。


 注:ここから更に暴論全開の解釈(当Blogでは毎度の事だが…)


 『Darling』の和訳は冒頭にも書いた通り、可愛い人や最愛の人という意味がある。
ラブソングというテイストな楽曲でもあるから、詞で紡がれている世界感は少女の恋愛模様を描写しているモノでそれをテーマとしているのは森嶋さんも言及している。


だが、こうも考えられないだろうか?


最愛の人=彼女が大切に想う存在=仲間たちやランナー達への情。即ち……恋愛感情のラブソングではなく、好意の方の親愛の情と感謝を示すラブソングでもあると。森嶋さんがインタビューで言及していた事と彼女のパーソナリティであると思える双方向への想いの循環とを照らし合わせてみると、自分はそちらの方(恋愛<親愛)の印象が勝っているのである。



 やっぱりOnly Only oneの キミだから

 ちゃんと伝えなくっちゃ I love you 

 勇気を出して 言う言葉なら一つ…

 もっちーろん I love you

 もっちーろん Yes! I love you

 

 ―森嶋優花 『Darling Darling』より引用

 


 『I love you』は恋人を『愛する』といった感情とは異なるニュアンスにもなるとも言われ
自分にとって大切な人だという意味でも使われる。『キミ』というのは林さんと厚木さん、更に受け取り側の人達=応援するランナーを称した喩えなのだともとれる。

前述でも触れたが、『もちろん』という語に森嶋さんの愛称である『もっちー』と掛ける事で彼女の想いを強調させているし、語呂とメロディとの兼ね合いも無理が無くて良い。それ故により響いてくる。それは、曲題や一部の詞にある同じ単語を繰り返す表現にしている事に繋がってもいるのだろう。


 そして、ここに繋がって彼女の伝えたい本気の想いがあった。



 やっぱりDarling Darling もっとこの気持ち

 素直に伝えたいよ I love you…

 ―森嶋優花 『Darling Darling』より引用

 


 この節は歌い出しのパートのフレーズ。
映画や小説等でクライマックスのシーンを冒頭で配置するかの様な…物語の結末はプロローグで暗示された制作者側の大胆な仕掛け。

誰に何を森嶋さんはソロ楽曲で伝えたかったかという想いの『要』がいきなり在った。
単なるキュートなラブソングという枠ではなく、大切に想う人に向けた広義的な親愛の情を謳った森嶋優花にしか謳えないラブソングなのだと思えてしまうのであった。

 

 

 

 

 

 

 

RGR楽曲ライナーノーツ#9 りんごの木(林鼓子ソロ楽曲)

 どうも。RGR楽曲ライナーノーツシリーズのお時間です。

 


今回から数回(おそらく5回程)に渡って、『Run Girls, Run!』の1stアルバム
『Run Girls, World!』に収録された楽曲について書き殴っていこうと思う。


ライナーノーツとか書いておりますが、音楽知識がゼロの人間ですのでそこら辺の要素は一切触れていませんし、しょうもない妄想と暴論にて書き殴った駄文になっていますので……何卒、ご容赦の程を宜しくお願い致します。

 

 

 

 

 


  りんごの木/林鼓子

 

 

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 この1stアルバムのウリの一つは、メンバー個人によるソロ楽曲が収録された事。
この楽曲は、RGRのセンター・林鼓子さんのソロ楽曲である。

 

 『りんごの木』という曲題のみで捉えると、何ともファンシーで可愛らしい楽曲なのかというインプレッションを抱きそうであるが……いざ聴いていくと、そのインプレッションは見事にぶっ壊されるエネルギッシュで獰猛さがダダ洩れしている攻撃的な楽曲。

奇を衒わない正統派で爽快なハードロックチューンの曲調に、林さんの伸びやかで瑞々しく『我』の強い歌声が素晴らしい程に、引き寄せられるかの様な親和性が高い激熱な楽曲に仕上がっている。そして、ただ単に激熱なだけの楽曲ではなく、『静』から『動』への振り幅が大きな楽曲でもある。それ故なのか、この楽曲はRGR楽曲の中で最も時間が短い(2分53秒)モノとなっている。

短い時間ではあるものの、聴き終わって物足りないというインプレッションは抱かない。
それは、前述にある激熱さとある種の焦燥感の差がもたらす濃密な楽曲の世界観に浸り易い事が要因なのではと。そう感じてしまうのは歌う林さんの”生き様”が歌声に強く反映されているのだと思ってしまうのだ。


 林さんはこの楽曲を、『私のための歌。この1曲で”林鼓子”を表してる』と評した。
タイトルにあるりんごを漢字で書くと林檎。彼女の苗字の字である『林』の字。
また、りんごの木は果実を実らせて熟せば赤に染まる。赤という色はRGRに於ける彼女のイメージカラーだ。詞にある『熟した夢』はダイレクトにりんごの果実と彼女が抱く夢という2つの意味を持つ。


即ち、りんごの木とは林鼓子という一人の表現者の比喩。


そして、揺れる心情を凝縮して盛り込んだ構成になっている事から、大人になりたいと願いつつ上手くいかない現状を憂いながらも進む事を諦めない。そこに思春期特有の心模様があると林さんは語る。

人生の刻の中で、思春期の刻は短い期間(8~18歳ぐらいの時期とも云われる)のモノ。
現在(2020年)の林さんは思春期である18歳の刻を生きている。ソロ楽曲という事を織り込んで、作詞された只野菜摘氏は今の林さんがシンパシーをより抱く詞を紡いだのだと。

前述でも触れた楽曲の時間が短いという事も、人の刻の流れの中の一部である思春期の期間の短さを表現しているインプレッションなのかもしれない。


 
 木は、自然の事物のうちで最も豊富にして広範囲にわたる象徴を持つと云われてきた。
根が地下に張り、枝は天空に伸びる事から、中心軸であるという捉え方や生命力の象徴としても捉えられる。また、人生を木の成長と例える考え方もある。
この楽曲で紡がれる詞は中心軸と生命にクローズアップして、RGRのセンターを担う林さんという存在に照らし合わせている。サビの詞はその事が強烈に表れている。

 

 

 たかまる心拍数 はやまる上昇気流
 
 抱きしめても両手がとどかないよ

    ざわつく木漏れ陽が ブレそうな心 埋めつくした

    座標軸は ここだ りんごの木


 ―林鼓子『りんごの木』より引用

 

 

 たかまる(高まる)とはやまる(早まる)は心臓が刻む心拍数に繋がって、それは『鼓動』という語句にも変換出来て、ここの箇所の言葉遣いは見事な韻の踏み方。彼女の愛称であるはやまるにも掛かっているし、鼓動の『鼓』の字は彼女の名の一文字。このダブルミーニングは只野氏の見事な用兵の妙を感じさせられ膝を叩いて唸るしかなく、個人的な意見だが、この箇所がこの楽曲に於ける『要』だと思えてならない。

ここの箇所は『動』の要素のクライマックス。それを彼女は思いの丈を吠える様に謳っている様に自分は聴こえてしまう。座標軸は彼女自身が拠り所にしている譲れない魂の性だからなのだと。


『ここ』は林鼓子自身であるし、彼女が今立って踏みしめている大地だ。
RGRのセンター=ド真ん中に立つ事の意味でもあり、表現者としての高みも言い換えればセカイの中心=ド真ん中にいずれは立ってやるという彼女の夢と野望にも捉えられる。


悩んで葛藤している心情をネガティブな『静』の要素で、それを乗り越えた先に芽生えた新たな熱い鼓動と胸の熱さをサビへ向けて徐々に加速していく模様を『動』の要素で彩る。


このサビのパートで、林さんの清廉で伸びやかな歌声は”魂の絶唱の域へと昇華する。


それは、身についた技術や培った経験がその領域の扉を開いたカギになったのではなく、彼女の叩き上げの魂が限界領域への扉を開いた。この楽曲はロックテイストな楽曲。曲のジャンルという括りだけではなく彼女の貫きたい固い信念も汲んで『ロック』なのだと思い知らされた。


 そして、最後に林さんの滾る想いが爆ぜて解き放たれる。

 

 翻弄しないでよ 憧れさせただけで

    遠ざかってしまうなんてずるいよ

    転がる境界線から 掴む熟した夢

    座標軸はここ (心の真ん中)

    ここだよと刻んだ りんごの木


 ―林鼓子『りんごの木』より引用

 

 

 ラスサビであるここの箇所は『りんごの木』の詞の一番好きな箇所であり、この楽曲の『要』だと感じた箇所でもある。

どんなに荒れ果てた大地でもしっかりと根差し生きようとする執念にも感じられるし、何を成すか以前にどう在りたいかという偽りのない本能、届いて、聴いてもらいたいのではなく、届け、四の五の言わずに私の謳を聴け!!!と『我』の強さを謳う。この『我』の強さも彼女が持つパーソナリティの一つであると自分は感じている。

思い描いた理想と突き付けられた現実とのギャップに翻弄され、全力で駆けても思う様にいかない。彼女が手に握っている熟した夢の実は手から転がり落ちそうになるが何とか懸命に握って離すまいとしっかりと掴んで、ここにあるモノと想い(心の真ん中=心臓・魂)とここ(鼓子=彼女自身が存在する事)を世に刻む事を強く訴えかける。

その姿は不格好で格好悪く映るのかもしれない。だが、この楽曲は格好いいモノを魅せて謳う楽曲じゃない。泥臭くて生々しい執念を謳う楽曲だと自分は思ったのだ。

林さんは、『りんごの木』を彼女自身に寄り添った楽曲と言っていたが、それと同時に聴いた人が勇気づけられる曲でもあるし、皆の応援歌の様な楽曲にしていきたいと願った。

それは、この『りんごの木』が聴く者の魂を揺さぶる『アンセムであるという事だと自分は勝手に解釈させてもらった。

自分自身の魂や特定の誰かではなく、林鼓子という表現者が抱く本気の想いと偽りない本能の全てがこの楽曲に凝縮されて詰まっている。

 


故に、この楽曲は林鼓子にしか謳えない唯一無二・One offの極致にあるアンセムだと思えてならないのである。

 

 

 

 


 ここまで読んで下さってありがとうございます。


手前勝手で拙い駄文ですが、僅かでも響いてくれたのなら幸いです。
そして、この素晴らしい楽曲がもっと多くの人に知って好きになってもらえたら嬉しく思います。

 

 

 

 

 

 

ただ真っ直ぐに、ただがむしゃらに ―『ガールズフィスト!!!!』12.5無観客配信ワンマンライブ所感

 12月5日。『ガールズフィスト!!!!』の配信ライブが開催されリアルタイムにて視聴致しました。

 

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 単独ライブは3月の配信ライブ以来だという。
8月に配信で5thライブの開催が決まっていたが、当日にメンバーの一人の発熱によって中止を余儀なくされてしまう。この日の為に、懸命に練習を重ね体調管理にも細心の注意を払っていたのは想像に難くないが、どうにもならないモノはあってどうしようもないのだ。

このご時世、耐える事や困難はより多く圧し掛かってくるモノ。やりきれない思いや悔しい思いを抱いたのだろうし、同時に『ガールズフィスト!!!!』を応援されるファンの皆様も歯痒さや無念さを感じながらもこれまで以上に彼女達を応援してきたと思う。

出ていくチャンスは普通の年よりも限られた中、出来得る限り動き続けて掴み取ったといってもいい8か月ぶりの単独ライブ開催決定の報。
このライブは、コロナ禍に入り何度か延期されたワンマンライブの振替公演という形式らしいが、んなこたぁどうでもいい。このバンドを単独で見られる機会が訪れた事は素直に嬉しいモノだ。


 現状、オンライン配信形式のライブがスタンダードになってしまった事は、昨年からは想像し難かった事。物事には必ずプラスの面とマイナスの面が存在する。

やっぱり、現地参戦して肌で感じる熱気と聴覚にダイレクトで響く音の圧は現地にて直に感じるモノには及ばない。それはパフォーマンスする演者サイドも直に見えない画面越しという境界の向こう側の観客に向けてパフォーマンスする事に苦心したと思う。

お互いに抱いている想いは同じ。越えられない境界がある事を痛感しながら、それでもライブを開催する事と観る事を選択するのは、音楽を通じて興奮と熱狂を求めるからなのだろう。

今はこの状況でどうにかするしかないのが突き付けられた現実。
形式なんざどうでもいい。開催できた事を感謝してガッツリと楽しもうとライブの開始を待つ事数刻……ライブの幕が上がる。

 

 

 

 

 

 全身全霊でただ楽しむだけ 

 

 

 オープニングアクトに持って来たのはオリジナル楽曲『自分自信』
この楽曲をオープニングアクトに持って来た彼女達の真意は分からないので、私見でしかないのだがこう思っている。

原作の登場人物は、心に傷を抱えた少女達がパンクロックバンドを結成して成長していくストーリーが展開されていく。言い換えてしまうと自分に自信が持てないとも捉えられる。

この楽曲は初めての企画盤CD『Stand Up!!!!』に収録されている。
言うなれば『ガールズフィスト!!!!』としての原初の楽曲でもある。自分自身に自信を持つ事、現状から変わりたいという想いを謳う楽曲。

そして、今の世情を例えた節があって訴え掛けたいモノがあり、この楽曲を待ちに待ったワンマンライブの初手に持って来たのでは?と思っている。


 理想の世界が遠い


 変だな こんなの望んでない
 

 ―ガールズフィスト!!!!『自分自信』より引用


 大袈裟な表現だが、普通にライブやイベントが開催されていた当たり前の状況が今は当たり前では無いのが現状。全てが完全に揃ったモノは詞にもある遠い理想の世界と称してもいいのだろう。

マイナスでネガティブな事だらけだが、プラスでポジティブな事もあったはず。

思う様に動く事が出来なかったからこそ気付けた事、出来た事があって得たモノがあった。このワンマンライブの機はそいつを魅せ付けられる場だと。


 全開の笑顔で楽しみながらドラミングを披露する内山さん。

 クールな佇まいでベースを指弾き、時には凛とした歌声を響かせる古川さん。


 ほんわかとした和む雰囲気を纏いながらも、パワフルなビートを刻む奥村さん。


 楽曲によって様々な表情と表現を魅せて聴かせる浅見さんのボーカル。

 


そんなにこのバンドのパフォーマンスを観れてない自分が言うのはおこがましいが……
二か月前に観た『GIRLS LIVE STREAM -2020 AUTUMN SP-』の時とは何かが違う熱が滾り、ダダ漏れしていたのが画面越しでも感じられたのだ。

オリジナルの楽曲から、童謡ロックアレンジ、名バンドのカバー等…開幕でしっかりと暖気したら徹底的に楽しんで突っ走るのが『ガールズフィスト!!!!』のライブの流儀なのだと。


 そして、良い感じに盛り上がった所に持って来た『Full of Lies』が堪らない。


ノスタルジックなメロディで沁み入る様に聴かせる方向性で、ライブの雰囲気に落差を作る。この楽曲がある事は『ガールズフィスト!!!!』にとって強みだと思っている。
ワンマンだったらやるだろうと予想していたが、惹かれる切っ掛けになったこの楽曲がまた観られたのは本当に嬉しかったんだ。

 

 

 

 

 

 新たな可能性と引き出し

 

 それはMC明けで、『孤独の月』を披露する前の事だ。ベースの古川さんの前にキーボード(勿論、楽器の方)がセッティングされ、おもむろにイントロを奏でる。

この展開は完全にやられたと唸るしかできなかった。

古川さんがピアノ経験者という情報は知ってはいたが、まさかそれをこの場で披露するとは思わなかったからだ。思わぬ意外性という奇襲をやって来るのがライブの醍醐味でもある。

この楽曲は幻想的なインプレッションが持ち味。キーボードから奏でられるサウンドがその雰囲気を更に助長させて新しい彩りを楽曲にもたらし、感銘で膝を叩きまくってしまう程に素晴らしいアレンジに酔いしれてしまった。


この奇襲は一曲だけじゃなかった。


次に披露した往年の名パンクロックバンド『THE BLUE HEARTS』のこれまた名曲である『TRAIN-TRAIN』のカバーでもやってきたのだ。

今度は古川さんではなく、ギター担当の奥村さんがキーボードを演奏した。
奥村さんもピアノ経験者。(ちなみに、ドラムも経験している)


コレ観た時、思わず声上げて叫んでしまったぜ。


『あんたも弾くんかいッ!!!!』とwww

 

『孤独の月』のアクト同様、意外性で攻めて来たがこちらは原曲を忠実に再現する形をとって来た。(前奏と間奏にピアノ演奏が入る)一応、後日調べたが『THE BLUE HEARTS』の楽曲カバーはワンマンライブで色々やって来たが、おそらくこの楽曲はワンマンライブでは初めて披露したと思う。(間違っていましたら御免なさい)


初めてライブで披露する楽曲で新しいチャレンジを敢行する大胆さと
偉大な名バンドの名曲へのリスペクトを感じた。


もし、コレを現地参戦して直に見てたら間違いなく頭抱えて膝から崩れてる。
まさにエモーショナルの暴力。圧巻で完敗だ……

 

 

 

 

 

 ボーカル・浅見春那の変幻自在の『貌』(かお)

 

 このライブで最も強烈なインプレッションを抱いたのが、ボーカル・浅見春奈だった。


彼女がライブで魅せた表情は本当に多彩で、驚いたと同時にその世界観に惹き込まれたと言ってもいい。


 コレに関しては多様な意見や持論があるでしょうから、これはあくまでも私見
ボーカリストには様々なタイプが存在している。技術で聴き惚れさせる者、技術云々より魂と情熱をぶつけて来る者、強引にバンドの奏でるサウンドが醸し出す雰囲気へ惹き込む者…etc

失礼な事なのは承知で言ってしまうが、浅見さんは技術で聴かせる系統ではない。
何故なら、彼女は『顔』で歌う系統のボーカリストだと感じたのだ。

つまりは、表情豊かで歌う事が本能的に備わった人なんだと。


見る目のある人から見たら、浅見さんの歌唱技術はまだ拙いモノなのかもしれない。でも、技術は後で詰め込むことが出来るし間に合うが、本能的なセンスはその人にしか無いモノで後から詰め込む事は不可能なモノ。

楽しい楽曲では楽しさ全開で歌い、激熱な楽曲ではエネルギッシュでパワフルな歌声を響かせたり、キュートな楽曲では可愛らしさと艶やかさを纏わせた表情だったりと本当に多彩な『貌』で歌われ、ライブが進むに連れてテンションがハイになったのか声の質はよりパワフルになり、表情の活きの良さ的な輝きが増していく。

テンションのキャパシティが大幅に超え、フラッシュオーバーして一種のトランス状態に踏み込める胆力。良い意味で無謀かつ向こう見ずなのが浅見春那の魂の強さなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 変わらない『今』を楽しんだもん勝ちという想い

 


 繰り返しになるが、自分は『ガールズフィスト!!!!』の事はまだ知らない事の方が多い。
なので……これから書く事は見当違いが多分にあるという事を予め記しておく。

ライブパフォーマンスもそうだが、MCに於いても彼女達は本当に楽しんでやっている。
今しかない瞬間を全力で楽しもうというのが『ガールズフィスト!!!!』というバンドのポリシーでありアイデンティティなのだろう。

ライブ中のメンバーは明るく元気で、コロナ禍であることを忘れさせてくれるような、最高の雰囲気を作ってくれた。


今を生きる者が越えられない困難と今を嘆くよりも、もっとみんなで楽しめ!


『ガールズフィスト!!!!』がこのライブで音楽に乗せて伝えたい本気の想いと魂が上記のモノだったのかもしれない。四人は反抗の志を持ってその拳を下す事無く掲げ続ける。


 ただ、世情は未だ厳しい状況にある。最近は感染者が激増しており、またイベントやライブの中止・延期の報が増えている。来年は更にライブを開催する事が難しい年になってしまうかもしれない。

それでも、ライブを止めない策を模索しているアーティストや、支える裏方の皆さんがいて、その想いに共感し協力するファンがいる。


エンタメの希望の火はまだ消えていない。


鬱積とした事が多かった年だが、楽しい発見や巡り逢いがあった。
『ガールズフィスト!!!!』に巡り逢いライブを観れた事だとか。


今はまだ難しい願いだが、来年は『ガールズフィスト!!!!』のライブに現地参戦がしたい。
彼女達の奏でるサウンドの奔流に身を委ねて、魂を燃え滾らせて拳を天高く掲げてはしゃぎたい。この配信ライブを観てその想いは強くなった。

 

 その日が早く戻って来る刻を信じて願って待ち望む。

 

 

 

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