巡礼者のかく語りき

自由気ままに書き綴る雑記帳

WUG楽曲 ライナーノーツ #18 スキノスキル/SHIFT

 いきなり書き出したり更新が滞ったりと、全然安定しない
このWUG楽曲ライナーノーツシリーズでございますが
今のこの状況(WUG解散…)だからこそやっぱり続けていくべきなのだろうと。
(だったら、とっとと書けと各方面から突っ込まれそうですがww)
自分の遅筆スキルと時間との闘いになりますが
出来るだけ多くの楽曲の事を書き綴っていきたいものであります。

 

 

  スキノスキル

 

 

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www.youtube.com


 TVアニメ『デスマーチからはじまる異世界狂想曲』EDテーマ曲。
現時点(2018.7/1現在)において最新のシングル楽曲となっております。


これまでのWUG楽曲では無かったケルト音楽の系譜を思わせる挑戦的であり
また叙情的で優しげな歌声からは『癒し』要素を感じさせてもらえる楽曲。
そして単に傾聴させ聴き入らせる楽曲というだけではなく
僕らのフロンティア』で感じた内に秘める熱さをもきっちりと感じる要素もある。
可愛らしさという要素で括ると『恋?で?愛?で暴君です!』と同系統だが
あちらとはまた違った要素の純朴的な可愛らしさを表現している様に思える。


楽曲中の細かいパート分けを聴き分けられるほど
俺の聴覚は敏感かつ繊細に出来てはおらんので自信を持って書けないが
核を成し、牽引しているのは奥野さんと永野さんの柔和な歌声であると感じた。
奥野さんと永野さんの柔和な歌声とケルト音楽調のメロディとの調和が見事で
聴き心地の良い楽曲という印象を受けた。


 異世界ファンタジーを舞台にした物語の楽曲という事から
歌詞で紡がれている世界観は、パーティ(仲間)との繋がりと絆を描写している。
詞にある『女の子』という句が示す事から、おそらくは作中のヒロイン達の視点で
曲中の世界観を描写していると思います。
ヒーロー(作中の主人公=サトゥー)へ抱いている信頼、あるいは恋慕の情…etc
ラブソングとしての捉え方も出来る楽曲という解釈は飛躍しすぎかもしれないが……

 

 で、これは自分の独自考察(妄想・暴論の域です)で恐縮でありますが
『きみ』『輪舞』『fairy tales』という句の解釈をWUGとワグナーとの関係性に
(無理矢理)当てはまる様にも思えて来るんです。
『きみ』はWUG視点から見たワグナー。あと『fairy tales』の意味はおとぎ話ですが
WUGがこれまでに紡ぎ、そしてこれから紡ごうとしている『物語』という訳にもなる。


 この楽曲の作詞は『TUNAGO』を書いた只野菜摘さん。
『輪舞』≒輪になって踊る≒想いの相互循環にて繋がる事を慮り
下記に記した部分の詞はその事を表しているようでもある…

 

 一緒にいたい 癒していたい チカラになりたい

 (スキノスキル) (スキガスギル)

 きみのためになりたいんだ


 ―Wake Up,Girls!『スキノスキル』より引用

 

 『TUNAGO』の世界観と照らし合せ、繋がる事を継承させた楽曲にも感じられる。
勿論、完全に繋がるという事は雲を掴む様な話ではあるが
魂で繋がりたいという想いが込められた楽曲である様にも自分は思えてきます。

 

 

  SHIFT

 

 

 おそらく、これは自分だけではなく
多くのワグナーがライブで聴けるのを待ち望む楽曲であるだろう。

異世界情緒溢れる『スキノスキル』とは全く異なり
こちらは現代が舞台になっており、夢と現実との狭間で抗う心情を
ミュージカル調を彷彿させるジャズテイストの曲調で
聴かせるというよりはライブにて魅せる要素を強く押し出した楽曲である様に思える。


 オーディションに受かって、夢描いた役者としての軌跡を駆けたいが
想いとは裏腹にその願いは実を結ばなく迫る現実とも向き合わなくちゃならない。
楽曲の雰囲気は明朗でコミカルチックな描写であるが
詞のみで捉えるシリアスでリアリティな描写とのアンバランス感がこれまた面白い。
この落差的描写は『地下鉄ラビリンス』の路線を踏襲していると自分は感じ
そして、七人の表現者としての日常にも当てはまる様にも思えて来る。


 『SHIFT』の大きな特徴だが
WUG楽曲では初めて曲中に台詞が挿入されていて
この要素がミュージカル調である事を強烈に印象付けさせる要素なのだろう。
で…役者志望の女子の台詞を吉岡さんが担当されておるのでありますが

 

ここでの台詞回し、凄く可愛いんです!!!!!!!

 

注:個人の感想です

 

 『SHIFT』は状態や体制を入れ替える、切り替える等の意味があるとの事。
前述に書いたが楽曲内の物語に登場する女子の揺れ動く心情と葛藤を描いている
夢を追う事を貫くか?もしくはきっぱりと諦めて別の道へ往くか?
そういう解釈の出来る楽曲であると思います。


これまた、完全な後付け感満載であり自分の暴論の域による独自考察ですが
今のWUGの状況(来年解散)に際しての七人の心情を表している様にも思える。

七人が思い描いている理想とする表現者としての姿を目指すべく
解散後にはそれぞれのやり方で違った道を歩んでいくのでしょう。
この楽曲が作られ、そして転換を意味する『SHIFT』と銘打たれた時期や経緯を
窺い知る事は出来ませんし、おそらくは語られる事も無いのかも知れないので
これは自分の完全な妄想で書いてしまってますが……

解散時期としてはもう決定していて、転換と言う意を持つ曲題にしたのは
七人の未知への領域へ挑む為の決意と覚悟を示したかったのではないだろうか?

 

 ばらまかれたヒカリは いっぺんになんてつかまらない

 ビルの隙間から いつか解き放つ

 そのとき きっときっと世界から見つけられるの


 ―Wake Up,Girls!『SHIFT』より引用

 

 上記の詞にある『ヒカリ』と『解き放つ』は七人の『個』の力。
『世界から見つけられる』は文字通り世に認められる事。
自分の中では、ここの節々が七人の決意と覚悟が凝縮されているものと感じる。
勿論、楽曲内の物語に登場する女子にも当てはまる節でもあるし
もしくは……双方の想いを汲んだ詞のようにも思えてならない。

控えているファイナルツアーにておそらく披露されるであろうこの楽曲は
会場でどう聴こえてどういう解釈が出来るのだろうか?
それを考えるだけで、凄く面白くて非常に興味深いものを自分は感じている。

 


 本来でしたら、もっと早くにこの楽曲達について書く予定でしたが……
リリース後の状況が濃密かつ激熱な案件が多かったもので
書くタイミングを逃しどんどん後の方へと追いやられてしまいましたwww

まだまだ書けていない楽曲の考察もありますし
自分が出来得る限り多くの楽曲の魅力を書き残したいと思ってますので
これからもこの駄文ライナーノーツシリーズをよろしくお願い致します。

 

 


 

 

 

 

 

今だからこそ…心に響いた"楽曲"

 例により、これは自分の完全なる持論なのでありますが……
楽曲というモノは歌う表現者を取り巻く状況や心情で様々な表情を見せる。
そして、聴く側にも同じ事が言えると思っております。


 WUGの解散発表を受けてから、と言うわけでもなく
自分の方は相変わらずWUGの楽曲は聴いておるのですが
その中で、ある楽曲に以前とはまた違った切り口の解釈が浮かんで来ました。
今回はその楽曲についてのもう一つの解釈について書き綴っていこうと思う。

 

 『タイトロープラナウェイ』という楽曲がある。
この楽曲は3rdツアーにて初披露された
永野愛理さん、田中美海さん、高木美佑さんによるユニット楽曲である。

 

そして……不遇の名曲であると声高々に主張したいッ!!!!!!!

 

 私見の域だがこの楽曲について語る場合、何故だか『日の目を見ない』
別な物言いをするなら干され具合的なものを感じてしまいます。
この楽曲がどうして不遇の楽曲という捉え方を自分がしたのか考えを巡らせてみた。


 WUGのライブにおいて、やっぱり観客が楽曲にノッていくにあたり
激熱で盛り上がれる楽曲で感情を爆ぜさせる楽曲が
セットリストに組み込み易いと思われます。
また、一方ではじっくりと落ち着いて聴き込ませる楽曲も
上手い表現が俺の語彙力では出来んのだが、落差や緩急の表現を演出して
観客の心に強烈に響かせる為に必要な要素であり
それは激熱な楽曲との温度差的な要素が大きければ大きい程良いと思っています。


『タイトロープラナウェイ』ですがだだ漏れしている熱量で魅せる楽曲ではなく
秘めた熱を表し尚且つ聴き込ませる要素のある楽曲。
盛り上がれない楽曲ではないのですが爆発的な熱量を生み出す楽曲では
無いと思えますし、ユニット曲という事から披露される場も限られてきます。

更に言うならユニット曲という括りでいくと
『セブンティーン・クライシス』『プラチナ・サンライズ』『outlander rhapsody』
この三曲が異常に強力な楽曲でもあるし、その陰に埋もれる感がするのは否めない。


……だが、それでこの楽曲が過小評価されてしまうのは勿体無い話である。

 

以前、この楽曲についての独自解釈を綴らせてもらった。

(勝手にだがwww)

 

akatonbo02.hatenablog.jp

 

 

その時に感じたのは、同じ刻を過ごし軌跡を共に歩んだ
志を同じくした友との決別と別れを描いた世界観を表現しており
悲哀的な別れの楽曲と捉えるのか?
また、前進していく為に必要な発展的な別れの楽曲として捉えるのか
もしくは、双方の要素のある楽曲として捉えるのか?と
受けての解釈に委ねる要素の強い自由度の高い楽曲と称しました。


 先日、WUGの解散発表がありましたね。
で…様々な事に考えを巡らせWUGへの想いを馳せた。
そんな時に聴いた数々のWUG楽曲の中にて最も俺の胸に熱く鋭い
『楔』を撃ち込んで来たのがこの『タイトロープラナウェイ』だった。
これは、完全な自分の妄想・暴論ですが現在の状況と彼女達七人の心情
歌詞中にある『僕』を七人に喩え、『きみ』をWake Up,Girls!の存在として喩えて
楽曲の世界観に当てはめてみたら自分の中においては
上記にも記したが解散の報を受けた彼女達の状況と凄く合致していると感じた。


そして……やっぱりここの節々が凄く胸に響いてくるのよね。

 

 描かれた胸のロゴや 熱い文字を

 ずっと かかげて忘れないで 選びとろう それぞれの道を


Wake Up,Girls! 『タイトロープ ラナウエイ』より引用

 

胸のロゴ、熱い文字を文字面通りじゃなく別の捉え方をするとWUGという存在。
それを彼女達の象徴的なモノとして掲げて忘れない事。
そして……七人の胸に象徴として刻みこんでこれから歩み出すそれぞれの道や
変わろうとする覚悟と未知の領域へと踏み出す決意を示している様に思えて来る。

今、彼女達がいる状況を受けてじっくりと聴き込めば聴き込む程に
『タイトロープラナウェイ』に詰め込まれた想いや世界観が
自分の胸に強烈に訴え掛け『楔』を撃ち込んで来ました。

 


 
 これから俺が書く事に対して不快または憤慨されるかもしれません。
それについては予めご容謝願いたく思います。

 


 物事にはプラスの面とマイナスの面が必ず存在します。
WUGでしか感じられない事や見えてこないモノは確かにある。
逆に、WUGという『枷』から解き放たれて感じられる事や見えるモノもある。
解散を最終的に決断した真の理由を詮索するつもりは俺はありません。
七人が個々の活動をした際にそれぞれが感じた事や見えたもの
これは確かにある疑い様もない真実なのでしょう。

先日の記事にも書きましたが……Wake Up,Girls!は素晴らしいグループです。
ですが…それと同時に彼女達を縛り付けている『枷』にもなってしまっていると思う…
一人の表現者として未知の可能性を考え各々がそれを携え腹を割り熟孝し
そして……七人が思い描いている理想の表現者になる為
身を切る様な辛い決断だが、グッと飲み込んで更なる進化の為に下した
狭き道≒未知の領域へと挑む決断を俺は尊重したい。

 

 まぁ、ちょっと楽曲の件とは違った事も書いてしまいましたが……
俺は『タイトロープラナウェイ』という楽曲がユニット曲の中では一番好きなんです。
更に、この考察は俺の独自のモノで妄想・暴論の域でしかありません。
ですが…今の状況に際し、また改めてこの楽曲のまた新たな一面に気づいて
それについての考察と自分なりの考えを
形にして世に送り出したいと思い勝手ながら今回筆を取らせていただきました。


 願わくばFINAL TOURにてこの楽曲が聴ける事を祈りつつ
毎度ながらの妄執に塗れた駄文記事を締めたいと思います。

 

 

 

 

 

告げられた終焉の刻~覚悟して前を向け~

 始まりがあれば、終焉の刻は必ず訪れる。
これはどの物事にも等しく訪れる逆らう事の出来ない自然の理である。
彼女達に惹かれて応援していくと決意した刻から
いずれ訪れ避ける事の出来ない事で、当ブログに書く事は心の片隅にありました。

 

 昨日、声優ユニットWake Up,Girls!』が2019年3月での解散が発表された……

 

 俺がこの報を知ったのは、職場の休憩時間に見たツイッターのTLだった。
最初はまたどこかのアホが何かほざいてやがるのか?と信用していなかったが
見ていくうちに、それは公式発表された事実であった……


で……公式からの文面を読んでみると
熟孝しメンバーとスタッフ間と何度も話し合った末、今後の将来の為に
個々の道を歩む事が更なる成長に繋がると思い、解散という決断に至ったと。
文面を額面通り捉えるならば、この決断は所謂『円満解散』というヤツだ。


 しかし、暫くの後に俺が視聴した
『WUGちゃんねる』や『がんばっぺレディオ』内での
七人の様子は明らかに違うモノだった。
気丈に振る舞い言葉を述べる子や、涙を堪えながら言葉を搾り出している子
悔しさを滲ませながら言葉を紡ぎ出す子……


だが……七人が共通している想いはハッキリと分かる。


彼女達は誰一人として、この『解散』について納得していない事だ。


 完全な推測の域だが、『円満解散』でなく彼女達にとって不本意なモノだと思える。
エイベックス側からの『戦力外通告』的な勧告の末の結論…
丹下社長の言を借りるならば、七人から『金の匂い』が感じられなくなったのか
今後続けていても現状以上の利益が見込めないと判断したのだろう。

一方的に通告されたのか?彼女達に選択の余地が与えられて解散という
決断に至ったのかは伺い知る事は出来ませんが
ただ、当初の構想を思い返してみると、いずれは解散するとの事で
動いていたそうなので、俺の中では今回の件覚悟は出来ていたつもりです。

ただ、あまりに急すぎた発表だし、七人の本意じゃない言葉を捉えると
冷静な感情にはなれんし受け入れ難く、そして……悔しい。
何よりもだ……彼女達が我々に謝罪の念を述べていくのが本当に見ていて辛い…

 

 それでも終焉の刻は容赦なくやって来ます。あと9ヶ月しか残っていないのか?

 

そうじゃねぇ。まだ9ヶ月もあるじゃねぇか。

 

それが戦いの合図だとしても 立ち止まらない だからひた走れ!走れ!


Wake Up,Girls!Beyond the Bottom


 
 彼女達がこれから挑む闘いは勝てない闘いだが、んな事知ったこっちゃ無い。
座して終焉の刻を迎えるのではなく、徹底的に真っ向から抗い
存在した『証』を『楔』として撃ち込む事。

守りに入るつもりなんて更々無い。攻勢に出て挑戦していく気概
何度打ちのめされようが、傷を負おうが倒れるのは前のめり。
彼女達七人はどんな状況だろうが前に突き進む事しか考えちゃいない。
確かに彼女達は悔しい面持ちではあったが、それでも尚、必死に前を向いて
残された限りある刻に真っ向から向き合って闘う覚悟と強固な決意がある。
終焉の刻に向けて闘う彼女達に俺が出来る事は……

 

―七人でいられる刻を大切にして この七人で何かを成し遂げたい『想いと魂』


あの七人にしか出来ないパフォーマンスと
そして……本気の想いと魂に全力全開で応えて俺の魂に刻み付ける事。


すぐに終わるわけじゃない。想いと魂を届けられる5thツアーという場と刻がある。
そして、全てをぶつける覚悟と決意は固まった。
そんな中において俺が彼女達の想いと魂に報いてやれると思うのは
ブログという媒体にて彼女達七人の軌跡や感謝を綴り記録と記憶として残す…
勝手だが、俺が出来る最良の形であり七人に対しての感謝の意を示す事。
これは単なる自己満足なのかも知れないし、そう捉えられても反論するつもりも無い。
彼女達が残そうとしたものやこれから魅せてくれるものへ
俺なりの敬意と感謝をもって全力でこのブログへ書き綴る事をやめたくはない。


勿論、俺が選択した方法が必ずしも正しいモノと言う気は微塵もありません。
今迄と同様に彼女達を全力で応援していく人や解散に反対の人
そして、受け止めて前に進むのを躊躇われている人。
想いは様々であり、どの選択にも正解なんて無いのでしょうが……
各々が熟孝し悩みまくって出した『己の答え』が唯一無二の正解だと思います。

 

 Wake Up,Girls!素晴らしいユニットだと思います。
それでも…いつかは終焉の刻が訪れます。
今回この件について記事を書くか否か非常に悩みました。
正直なところ、コレを書いておる現時点でも冷静な文を書けている自信は無い。
冒頭の書き出しにも書いた様に、物事には必ず終わりの刻が来る。
その刻に様々なモノが問われるのでしょう。
全力で後悔のない向き合い方が出来たか?後悔に塗れた刻が経ってしまったか?
終焉の刻に際して後悔を残さない為にも、覚悟して前を向く事。
確かに悲しく寂しい事ではあるし、七人にとって不本意な形での決断だろうが…
それでも俺は、限られた刻で『前を向く事』を決断した彼女達の背を押してやりたい。

自然消滅してしまうユニットって結構あったりしますので
ファイナルツアーという互いの想いと魂を全力で伝えられる場と刻が
与えられた事は本当にありがたいものだと俺は思います。


 全力で彼女達の想いと魂に応えて、来たる終焉の刻には
泣き顔じゃなく、笑顔で彼女達七人の新たな門出を祝い送り出したい。
これが、今回の一件で俺が熟孝し辿り着いた偽りの無い想いであります。

 

そして『あの七人に完全に負けた』と感嘆の言を俺に言わせて欲しい!!!!!!!

 


いつも以上の乱筆・乱文にて大変恐縮でしたが
ここまで読んで下さり本当にありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

舞台『Wake Up,Girls! 青葉の軌跡』観劇所感。

 6月10日、草月ホールで開催された演劇『Wake Up,Girls! 青葉の軌跡』
千秋楽の夜の部を観劇して来た。

 

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 前作の舞台版の続編となる今作だが、その発表は本当に急なものであり
まさに青天の霹靂といった所だろう。
で……更に、今回の会場は前回よりも収容人数の少ない会場で
チケットの確保が困難なものとなった。
自分は本当に運が良く、千秋楽の夜公演(座席は二階)のチケットが取れた。

前作の舞台『青葉の記憶』は素晴らしい公演だったので
勿論、今回の公演も非常に楽しみにしており
期待感に胸躍らせ会場に向かった事を憶えておる。
そして、観終わってこの感想を書いている今でもその余韻が未だ抜け落ちない。
それほどまでに今作の公演が素晴らしいものだった事の証明だろう。


そんな『青葉の軌跡』の感想をこれから書き綴っていく。

 

 

 まず、開幕してWUGの楽曲『Polaris』が流れる。これは完全にやられた。
この楽曲を歌っている彼女達の現在の視点から、結成して暫く経った後の
彼女達の視点にまで遡る構成となっていた。
しかも『Polaris』を歌っている時間軸についての描写にあえて触れていないのも
これまた面白くて様々な考察が出来てしまえる。
作中での全国ツアー内での事なのか、新章最終回の頃なのか
はたまた、その先の物語での刻での事なのか……

独自考察(妄想)で恐縮ではあるが自分はラストシーンの
丹下さんと松田さんの会話にあった『遂にここまで来た~』と
『まさかこんな風になるなんて思ってなかった』と言う台詞から
まだ描かれていない先の刻の物語なのではないかと思っておる。

そして『青葉の軌跡』劇中でも『Polaris』へと繋がっていく事をほのめかす様な
描写を盛り込み、そしてラストに持ってくる演出は見事と唸るしかなかった。

 

 物語の刻は、『16歳のアガペー』を引っさげ
MACANAで単独ライブを開催する頃~林田藍里の脱退問題までを描いている。
前作の『青葉の記憶』と同様に単なるシナリオの焼き回し的なモノにならずに
また新たな描写と解釈が盛り込まれ再構築された


新訳『Wake Up,Girls!という印象を前回同様に感じられた。


で、今作において自分が観たいと思っていた点をきっちりと押さえていて
尚且つ…また新しい解釈をさせてもらえた構成になっていた。


 今作の物語で核を成しているのは、藍里、佳乃、真夢。
自分の中においては、TVシリーズの主軸として描かれたのは佳乃だと思っている。

彼女自身やWUGのリーダーとして、そして真夢に対して抱いている感情…
好転しない状況に対しての焦燥感と苛立ち、圧倒的な『才』を持つ者(真夢)への
憧憬と妬心の念が混在した複雑な思い。
この辺りを演じるに当たり佳乃と同様、雌伏の刻を過ごして来た青山さんだからこそ
見事に演じきれたのではと自分は感じられた。
特に、藍里に『戻って来い』と言う件で、感情を爆ぜる様な言い方ではなく
感情を搾り出す様な優しげながらも秘めた力強い言い回しには
胸に熱いモノと心に沁みいるモノを存分に感じさせてもらった。


 藍里。彼女は自分に技量や才能が無い事は自覚していた。
それでも必死に、直向きに努力を重ねていた矢先に
早坂さんの言葉が彼女を繋ぎ止めていた心の楔を打ち壊してしまった。
抱いていたコンプレックスや劣等感は更に大きくなり
『私だけ違う』と頑なに心を閉ざしてしまった藍里の心情を
見事に演じられた永野さんに感服の念を抱いた。


 未だWUGの一員になりきれていない真夢……
それを象徴しているのが、レッスン時での微妙な皆との距離感。
でも、藍里が辞める事となった時彼女は一歩踏み込んでいった。
真夢がかつていた場所(I-1)は、闘えない者は容赦無く淘汰される。
藍里を切って存続するか、藍里と共に辞めるかの究極の二択を迫られた時
彼女は迷わずもう一つの選択肢を皆に提案した。


―私は、藍里に居て欲しいと思う。七人揃ってWake Up,Girls!なんじゃないかな


歌い踊るだけの存在だけじゃなくて『人間』である事を許容される居場所。
かつての自分の様な思いを皆にさせたくないという思いと
I-1を脱退後、世間から拒絶され腫れ物に触れるかの様な接し方をされた真夢。
そんな彼女の魂が完全に凍りつかなかったのは
I-1の島田真夢ではなく、島田真夢という人間として藍里がきちんと接してくれた。
その彼女が過去の自分と同様に心を頑なに閉ざしてしまう。

 
 今度は自分が藍里の魂を救う番だと思い真夢は踏み込む決意をした……
真夢の藍里への説得の言葉は穏やかながらも情が溢れんばかりの
魂の言葉だった様に自分は感じました。
改めて書くまでもないが、吉岡さんの演技は素晴らしいものでした。


この場面は本当に涙腺がヤバい事になり、目頭が熱くなるのを抑え切れなかった…

 

 前作でも観られたがI-1サイドの描写が観られたのも嬉しいところだ。
TVシリーズでは登場しなかった高科里佳の登場が良いアクセントになっていた。

里佳に言った志保が抱く真夢への感情『真夢は一番勝ちたい相手』
前作にて、辞める真夢に対し『勝ち逃げは許さない』と志保は言った。
志保自身きちんと闘って勝ったわけではない事を痛感してしまっている。
TVシリーズでは憎悪に近い感じの対抗心を出していた感があったが
里佳や麻衣とのやり取りの中では、何か清々しさの様な雰囲気を感じられた。


 そして、近藤麻衣の心情に切り込んだ描写が観られたのも良かった所だ。
I-1のキャプテンという立場としての言葉ではなく個人として抱いていた
真夢への想いと彼女を止める事の出来なかった後悔の念……
何も無かった頃から共に軌跡を駆けて来た同胞でありライバル。
簡単に割り切れる想いじゃないが、今の真夢の幸せを願う事……
彼女の複雑な心情に踏み込んだ描写は素晴らしいと想った。

 

 

 以下、箇条書き形式となって申し訳無いが他に感じた事をざっくりと……

 

 

 前作からの続投となった
丹下社長役の田中良子さんと松田さん役の一内侑さんの演技は
前作同様に安定感抜群でアドリブで笑わせてもらったり
またシリアスに魅せる所はきっちりと魅せてもらえたりと本当に素晴らしかった。
続編の舞台があるのなら…
またお二方に丹下社長と松田さんを演じていただきたい。


 I-1Clubは、前作同様ボスユニットとしての存在感を見事に魅せてくれた。
特に印象深かったのは高科里佳を演じた松田彩希さん。
ライブパートでのダンスのキレの凄まじさに圧倒されて魅入ってしまった……
勿論、他のI-1キャスト陣も素晴らしかったのは記載するまでもない。


 まさかTwinkleが歌う『ゆき模様 恋のもよう』が聴けるとは思わんかった。
WUGとI-1に引けを取らない素晴らしいパフォーマンスを魅せてもらえた。
これは本当にまた見たいのでこの公演の円盤化を切に願う!!!!!!


 早坂さんを演じた福山聖二さん。
台詞の言い回しや所作はアニメの早坂さんそのままで
本当に良い味を出していましたね。

 

 裏方で支えてくれたスタッフ陣と共に、心よりの敬意と感謝の念。
そして…素晴らしく心に刻み込まれた最高の公演を魅せていただき
本当にありがとうございました!!!!!!!

 

 

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扉は叩かなきゃ開かない。

 現在絶賛公演中と聞く舞台版『Wake Up,Girls!青葉の軌跡』
自分は本当に運良く千秋楽の夜公演に参戦出来る事となりました。


 本来なら今回は記事を書くつもりは無かったのだが
公演が開幕した後、ツイッターのTLでこんなタグを見たので
今回は、その事について書き綴っていこうと思う。

 

 #青葉の軌跡円盤化を諦めない

 

 初日の公演が終演した頃からこのタグで様々な方が呟いている。
何でも観劇された方が、直にスタッフの方に今回の公演の円盤化の旨を伺った際に
現時点では円盤化の予定は考えてはいないらしいとの回答をもらったそうです……
前作の舞台『青葉の記憶』ではBDを特典付きの予約販売していた。
ただ今回はその形態を取ってない。

多くのワグナー、そして俺もですが、まぁ、前作が普通に発売しておるので
表に発表しておらんだけで決定事項なんじゃないかと思っていた矢先の話なので
やっぱり驚いたし、普通に勿体無く残念な事ではある……


 でだ……今回の舞台に関しては、チケットの倍率が異常な程に高倍率だった。
特に、土日公演の倍率は相当なモノだったでしょう。
自分もそのうちの一人だが、週末にしか観に行ける機が無い方は多いと思いますし
それと身に置いている環境や様々な事象にて参戦を断念された方も多いでしょう……


 そりゃみんな行きたいし観たいんですよ。やっぱり現地でしか感じられないモノは
確かに存在しますし、映像で間接的に観るより全然違うモノになりますから。
これは批判ではないが、WUGのイベントは行きたいのに行けない事象が
結構多い様な気がするんですよね。参戦するに当たって色々な努力や工夫は勿論ありますが
やはり全ての人がそれを出来るとは限らない。
どうしても休日の調整が困難だったり、資金的なやり繰りが厳しかったりしますからねぇ…


参戦の叶わなかった人達にとって、イベント・ライブの円盤化や配信というのは
本当にありがたいものであり逆に現地では観れなかったモノが見えるという利点もあります。
特に演者の細かい表情や息づかいとかは現地の遠い座席ではなかなか感じ取りづらいものでしょう。
そのコンテンツを知り応援していく切っ掛けと成り得る要素でもあると思えますので
円盤化というのは、是非とも実現していただきたいものである。


 今も尚、#青葉の軌跡円盤化を諦めないのタグと付け呟いている。
その数は日を追う毎に増加傾向にあります。
そして…今作の『青葉の軌跡』の内容は本当に素晴らしいとの声を多く聞く。

上記のタグを付けて発信していく事は素晴らしい事ではありますが
舞台の公式サイトのお問い合わせで直に想いの旨を伝えるのも手段としてあります。
実際に送られた方もいますし、僭越ながら自分も送りました。
観れない方の為という使命感で動くのではなくて
ただ単純に、自分が是が非でも観たい!あるいは、あの感動を何度でも見返したい!
という想いを込めて何らかの行動は起こした方が良いのではないかと俺は思います。


 勿論、容易に実現可能な案件じゃ無い事は重々承知はしております。
発売してもきっちり収益が出るかどうかは未知の領域でしょうし…
各方面への権利やら、障壁となる事項は多いのでしょう。


それでもだ。やっぱり声を出し発信しないと伝わらない想いがある。


人を動かすのは人の熱い想いと魂だと自分は思っておりますので
伝える為の手段があるのなら、最大限に利用しようじゃありませんか。
ただ、こちらはお願いする立場にありますので
先方への礼節を欠いた文章を送ってはならないというのは意識しないといけません。


 要望の声が必ずしも叶うとは限りませんが、様々な方が動き声をあげて
出来得る限り多く方の想いと熱い魂が届く事を願って止みません。
Wake Up,Girls!の七人が『繋がる事』を意識して今まで動いて来た事……
彼女達の意と伝えたい本気の想いに応えてやれないだろうか?

 

そして、俺がこんな事を言うのは大変恐縮でおこがましいが……


ワグナーの本気の想いを魂を見せる刻は今なのではないでしょうか?

 

 俺の駄文&零細ブログにて世の拡散機能があるとは到底思えんがwww
想いを伝える手段を利用している者としては何もせず
後で後悔したり不満言ってもどうにもならんのでやれる事は微力ながら動こうと
そして、円盤化実現に向けて動くべきと感じて今回筆を執らせていただきました。


毎度の乱筆・乱文ではありますが、自分が伝えたい事は書ききりました。
最後まで読んで下さりありがとうございました。

 

 

 

 

 

咲き誇る"異端の桜"の煌きと美しさ。/永野愛理ソロ楽曲・minority emotions所感

 2018WUGソロ楽曲所感&独自考察シリーズも遂にラストを迎えました。
ラストの楽曲を飾るのは、WUGの『扇の要』永野愛理さんの楽曲となります。


くどい様ですが……本稿は筆者の妄想と暴論の域で書き殴っております。
予めご了承の上でお楽しみ頂ければと思います。

 

 

 minority emotions/永野愛理さん

 

 

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 永野さん曰く、前作『桜色クレシェンド』の続編として作られた楽曲で
今作では『秋』と秋に咲く『桜』をイメージして作られた楽曲。
で、この『桜』だが……秋に咲く『秋桜』=コスモスではなく
春に咲く所謂『ソメイヨシノ』の方であるとの事。
この辺りの独自考察は例によって後述にて書いていく。


 『桜色クレシェンド』の系譜を継承するバンドサウンドを踏襲した応援ソング。
抱え込んでいるネガティブでセンチメンタルな感情を思わせる『静』の要素は
秋に感じてしまう切なさや物哀しさを見事に表現している様に思う。
そして、サビに入ると圧し込んでいた感情が爆ぜる
『動』の要素を含んだ開放的な曲調に変化し
それに伴い永野さんの歌声も力強くなっていって
異端の中においても尚、力強く咲き誇る『桜』を彷彿させる描写が見事。

 

 オレンジの中にひとつだけ光る その姿に勇気もらった

 桜ならどうやって歌うかな 桜ならどうやって咲くのかな

 自分らしさから 生まれた景色を 信じて 感じて 愛して

 それでいいんだよ


 ―永野愛理『minority emotions』より引用

 

 ここの節々には永野愛理さんの表現者としてのアイデンティティ
別な表現をするなら、強固な『信念』と『我』を貫き通したいという想い。
この『我』を貫くだが我侭に振舞うという事ではなくて
自分の個性ときっちりと向き合って流されず自分を偽らず信じる事。
鮮やかな紅葉の中に僅かに咲き誇る『桜』は確かに『異端』な存在だ。
だが……その『異端』な存在が放つ煌きはより強烈で
鮮やかなモノとして目を惹き深く心に刻み込まれていく。
埋没し、散ってしまうのではなくその中において力強く美しく咲き誇りたい……
 
永野さん自身の応援・アンセムソングとしての解釈と
受け取り側の我々にも強烈に突き刺さり響いて来る節だと思える。

 


 歌詞のみをざっくりと読んでいて感じたのは上記にも書いたが
秋の紅葉の中に僅かに咲き誇る『桜』の異端さであり
その異端の面を貫くか否かの葛藤と決意を描いた楽曲である。
で……この楽曲を考察していくにあたって『要』となっているのが『桜』の解釈を
どの様な解釈をして自らの落し所として受け入れていくかだと思う。
勿論、個人の考察による解釈に普遍的な正解は無いので
毎度の事ながら、俺の暴論の域で恐縮だが考察を書き殴っていく。


 いきなり話の腰をバッキリと圧し折ってしまうのだがwww
『桜』の解釈に行く前に、ある語句の解釈を済ませないと『桜』の解釈が
個人的には出来ないのでそちらから順を追って考察していく。

 

で……その"ある語句"とは『あなた』という語句なんです。


 
 永野さん目線から見た二人称としての解釈として成り立つ語句だが
自分の解釈はそちらではなく、彼女…もしくは自分の内面に潜む
所謂『もう一人の自分』に向けている二人称として解釈させてもらう。
この楽曲を自身を奮い立たせていく応援・アンセムソングとして
捉えた場合ではあるが……
俺の中ではこの考察が最も落し所として最適なものだと思った。


そして……肝心の『桜』だが、自我と強烈な個性、貫き通したい己の『信念』
陽の感情や強さを示した語句の様に思えてくるんです。
歌詞の一節に『その姿に勇気もらった』や『鮮やかさに目が離せない』とある
オレンジ≒紅葉とし、世間一般の視線や概念に当てはめ
『桜』を異端の象徴≒突出した強烈な『個』で考えていくと
異端の存在であるが故に、より強い輝きを放つモノとして認識される。
また、個性という解釈に拘らずに個の思想という面で解釈してもこれは成り立つ。

 

 突出した個や突飛な思想というモノは
異端のモノとして認識され受け入れ難く、また取り除かれる対象になってしまう。
私が間違っているや空気読むことばかり求めると詞にある。
個を押し殺して集団の足並みを揃える事を紅葉に準えているのは面白い描写で
ある意味、七人の絆の強さを表現したWUGの楽曲
7 Senses』のアンチテーゼ的な楽曲なんじゃないかとも思えてしまう。

 

 勿論これは完全否定という意味じゃなく
集団<個性の描写に重きを置くと言う意味であって対になる楽曲という意味です。
繋がっていく事を最重視されて、率先して動いてきた彼女が
この楽曲に掲げているテーマはあえて真逆の事を表現していっている。
彼女がこの楽曲に込めた想いの真意を窺い知る由はありませんが…
変わらない事は大事だけど、変わろうとする想いと覚悟を持ち
未知の領域へと踏み込もうとする決意表明なのかなと思えてならない。

 

*あくまで個人の感想です

 

 

 『7 Senses』が七人の感覚という意味。
この『minority emotions』という曲題は少数の感情という意味があるとの事。
そして……emotionsという単語には激情という意味も含まれておる。
自分がこの楽曲をフルで聴いて強烈に感じた要素は
秋の切なさや物哀しさを感じさせるものだけれど内に秘めている力強さ
喩え一輪の異端な存在である『桜』を咲かせてやろうという強固な決意。


周囲がどう染めようが、自分の価値は自分自身で決める。


永野愛理さんの秘めた揺るがない『信念と決意』や『想いと魂』
そして、内に秘めた燃え滾る情熱はこの楽曲に凝縮している様に思えてきます。

 

 


 という事で『minority emotions』の所感&独自考察となります。
ソロイベントに参戦出来なかった者なので……真に彼女が伝えたかった事とは
遥かに見当違いな事を書いてしまっている事は痛感しております。
たら~れば~の話になってしまいますが
自分が参戦出来ていればもっと踏み込んだ事が書けるのでしょう。
それはこの楽曲だけに限らず、このアルバム全ての楽曲に対して思える事です。


ただ、このアルバムの楽曲陣を聴き心打たれた者として
何もしないと言うのは俺の中では有り得ん事なので
無謀なのは承知の上で七人の想いと魂が込められた楽曲について
俺の持ちうるモノを全て引き出し勝手ながら拙い文章力で書かせていただいた。


(まぁ、思うがままにぶちまけているので支離滅裂な駄文であるが……)

 

 最後になりますが……七曲の素晴らしい楽曲陣に巡り合えた奇跡。
Wake Up,Gils!の七人の伝えたい想いと魂。
彼女達の本気の想いを汲み取って、形にしていただいたクリエイターの皆様に
最大の感謝と敬意の念を贈らせていただきます。


そして……この七曲の所感&独自考察を読んで下さった皆様にも
本当に感謝しかありません。ありがとうございます。

 

 

 

 

 

海と波が響かせる"魅惑と感謝"の旋律♪/山下七海ソロ楽曲・七つの海のコンサート所感

 Green Leaves Fesも終わり、無事に参戦レポも書き終えたので
中断しておった2018WUGソロイベの楽曲所感&独自考察を再開。
そろそろクライマックスで残り2曲となってきました。
……という事で、今回はこの楽曲について書き綴っていく。

 

毎度毎度ではございますが、本稿は筆者の妄想に近いものであり
勝手に感じた事を書き殴っておるだけですので
予めご了承の上でお楽しみ頂ければと思います。

 

 

 

 七つの海のコンサート/山下七海さん

 

 

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 前作の『ももいろDiary』では、山下さんが幼少期から持っていた
ウサギのぬいぐるみ「MOMOちゃん」との絆と感謝の想いを純然に歌った楽曲。
そして、今回の楽曲でも彼女の根幹を成して来たものへの
感謝の想いが存分に込められた楽曲になっていると思える。

彼女の名の一字、そして彼女が魂を吹き込む久海菜々美の一字『海』
コンサート≒音楽会≒『音楽』への感謝と想い
そして『七つの海』……出来得る限り多くの人達に彼女の想いを届けたい
混じりっ気を感じさせない程に極めて純度の高い彼女の熱い『魂』を感じさせ
また、山下さん自身の心情に踏み込んでいる様な楽曲にも感じる事が出来る。
この辺は後述での独自考察にて書いていく。


 ミディアムテンポのポップな曲調と山下さんの歌声との見事な調和が織り成す
メルヘンティックな楽曲の雰囲気は南国の紺碧の空と海を彷彿とさせ
奇を衒わない王道な構成は聴覚に優しい聴き心地の良さと中毒性を醸し出す。
完全な私見の域で恐縮だが、こういう楽曲を歌う彼女はまた一際の輝きを放つ。

 

 ココロを映して いつでも正直でいたい


 七つの海いっぱい 自由なわたしを響かせよう


 ―山下七海『七つの海のコンサート』より引用

 

 これは俺の見立てなのでハッキリ言って当てにならん事を先に言うがww
山下さんに惹かれ見ていて思うのは上記の歌詞の一節にある様に
ありのままと言うか、飾らずにいつも自然体で立ち振る舞っている。
時に魅惑的であり、また、飄々として程よく適当だったりww
ただ根底にあると思えるのは自身に正直で直向きで純然な想いなのでしょう。

勿論、彼女が魅せている表層部分をすくい上げて理解出来たなどと
ほざく手前勝手な物言いをする気はないし
また、全てを理解出来るとは微塵も思ってはいないわけで…
自分が今後山下七海という"存在"が何を魅せるのか?をもっと見たいと
思わせてくれる存在である事は間違い無い事だと思えて来る。

 

 


 先述にも書いたがこの『七つの海のコンサート』という楽曲は
山下さんの自身の心情に踏み込んでいる様な楽曲と称した。
それを強く感じさせる語がこの楽曲の歌詞には綴られ
楽曲の『要』を成している要素だと個人的には感じており
それを表しているのが『波』という単語だと自分は解釈させてもらった。


 陽気でいて喜びを楽しむといったプラス・ポジティブな感情と
悲観的で歯痒くというマイナス・ネガティブな感情を描写している箇所を
繰り返していって自身の揺れ動く心情を寄せては返す波の様に
彼女の感情描写に当てはめているのが印象深くもあり
また、ネガティブな箇所の最後に『負けない』という
抗いや立ち向かう気概を思わせる節が入っているのが
彼女が滾らせ秘めているであろう負けん気の強さを感じさせる様に思える。


波は絶える事無く寄せては返しの繰り返しで止まる事はない。
どんなに硬い岩も繰り返す波の力で角が削れ形を変えていく。
辛い事や悔しい思いは当然起こるものだが
反面、嬉しい事や楽しい事も巡って来るもの。

 

マイナスの波にそのまま飲み込まれてしまうのか?
また、プラスの波をきっちりと捉えて上手く乗っていけるかは
自分を信じて研鑽を怠らなかった者にしか出来ないと自分は思います。
無論、努力しただけ必ず報われるというものではありません。
研鑽を積んでいく過程と色々な経験を経て乗りこなす術を自分で模索していく
『波を追いかけて』と歌詞の一節にあるが
どんな荒波が彼女に来ようとも、飲み込まれるのでなく乗りこなしてやろうという
山下さんの熱い燃え滾る想いと決意表明を示しているように思えてならない。

で、山下七海さんと寄り添い今まで共に軌跡を駆けて来て
魂で繋がっている久海菜々美への感謝と敬意が存分に込められていると思うのは
俺の暴論の域なのは百も承知だが、両者の魂の繋がりは切れる事はないのだろう。


 
 そして……"again & again"という言葉。


これは先日のWUG5周年ライブでの山下さんの衣装の襷に綴られた
幾度も、何度でもという意味の言葉。
先述にも書いたが『波』という語を思い起こさせる意味に取れるし
この楽曲で彼女が詰め込んだ想いと要を成すものだという事。
これも俺の完全な妄想・暴論の域なのは充分に分かっているが
彼女が絶対に曲げる事の無い『信念』を貫くかのようにも感じる。

 

 ねぇ、ほらこの海は 

 わたしの今日と(寄り添いながら)ココロを映す

 Like a sweetest music

(踊るように 遊ぶように 泳ぐように 歌い続けるよ)


 ―山下七海『七つの海のコンサート』より引用

 

彼女の名の一字『海』を彼女の心情を露に映し出す『鏡』に見立て
『鏡』というのは久海菜々美の存在に当てはめて考えても成立すると俺は思う。
大好きで素敵な音楽への想いと感謝、彼女に惹かれる人達の想いに応える事
偽りのない真直ぐでひたすらに楽しむどこまでも純然な山下さんの『魂』


彼女に今まで押し寄せたのは穏やかな波だけではない。
寧ろ、挑む事を躊躇する程の荒れ狂う大波の方が多かった事でしょう。
それに挑むのは無謀なのかもしれない。だが、彼女は飛び込んで挑んだ。
挑む事を諦めなかったから……そして、ただ波に乗るだけじゃなく
水平線の彼方まで跳んでやるという気概と
遥か遠く、多くの人達に本気の想いを届けたい!という


山下七海さんがこの楽曲に込めた『TUNAGO』=『繋がる』という語への
『答え』であり純然な『願い』なのかもしれない。

 

 
 以上が『七つの海のコンサート』の所感&独自考察になります。


正直な話、自分が特推ししている方なので俺独自の考察が暴走しております…
読まれていて異論があるのは存じております。
貴様の解釈は気にいらねぇ!表出やがれ!!!!と感じられたのであれば
本稿のコメントやTwitter等にて存分にぶちまけて頂いて構いません。
ただし、文面を見た際に議論する気がないと俺が判断した場合は
全く相手にはしませんのでその辺はご理解していただきたい。

 

 毎度ながらではあるが、楽曲の所感&独自考察になっているとは思えない
クソ熱苦しい駄文になってしまうのは如何なモノかと自嘲しておりますww
本当に読んでいただいている方に感謝の念が尽きません。
こんな駄文しか書けない奴で恐縮ですが…
是非次回も読んでいただければ幸いでございます。


今回も最後まで読んで下さりありがとうございました!!!!!!!