巡礼者のかく語りき

自由気ままに書き綴る雑記帳

海と波が響かせる"魅惑と感謝"の旋律♪/山下七海ソロ楽曲・七つの海のコンサート所感

 Green Leaves Fesも終わり、無事に参戦レポも書き終えたので
中断しておった2018WUGソロイベの楽曲所感&独自考察を再開。
そろそろクライマックスで残り2曲となってきました。
……という事で、今回はこの楽曲について書き綴っていく。

 

毎度毎度ではございますが、本稿は筆者の妄想に近いものであり
勝手に感じた事を書き殴っておるだけですので
予めご了承の上でお楽しみ頂ければと思います。

 

 

 

 七つの海のコンサート/山下七海さん

 

 

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 前作の『ももいろDiary』では、山下さんが幼少期から持っていた
ウサギのぬいぐるみ「MOMOちゃん」との絆と感謝の想いを純然に歌った楽曲。
そして、今回の楽曲でも彼女の根幹を成して来たものへの
感謝の想いが存分に込められた楽曲になっていると思える。

彼女の名の一字、そして彼女が魂を吹き込む久海菜々美の一字『海』
コンサート≒音楽会≒『音楽』への感謝と想い
そして『七つの海』……出来得る限り多くの人達に彼女の想いを届けたい
混じりっ気を感じさせない程に極めて純度の高い彼女の熱い『魂』を感じさせ
また、山下さん自身の心情に踏み込んでいる様な楽曲にも感じる事が出来る。
この辺は後述での独自考察にて書いていく。


 ミディアムテンポのポップな曲調と山下さんの歌声との見事な調和が織り成す
メルヘンティックな楽曲の雰囲気は南国の紺碧の空と海を彷彿とさせ
奇を衒わない王道な構成は聴覚に優しい聴き心地の良さと中毒性を醸し出す。
完全な私見の域で恐縮だが、こういう楽曲を歌う彼女はまた一際の輝きを放つ。

 

 ココロを映して いつでも正直でいたい


 七つの海いっぱい 自由なわたしを響かせよう


 ―山下七海『七つの海のコンサート』より引用

 

 これは俺の見立てなのでハッキリ言って当てにならん事を先に言うがww
山下さんに惹かれ見ていて思うのは上記の歌詞の一節にある様に
ありのままと言うか、飾らずにいつも自然体で立ち振る舞っている。
時に魅惑的であり、また、飄々として程よく適当だったりww
ただ根底にあると思えるのは自身に正直で直向きで純然な想いなのでしょう。

勿論、彼女が魅せている表層部分をすくい上げて理解出来たなどと
ほざく手前勝手な物言いをする気はないし
また、全てを理解出来るとは微塵も思ってはいないわけで…
自分が今後山下七海という"存在"が何を魅せるのか?をもっと見たいと
思わせてくれる存在である事は間違い無い事だと思えて来る。

 

 


 先述にも書いたがこの『七つの海のコンサート』という楽曲は
山下さんの自身の心情に踏み込んでいる様な楽曲と称した。
それを強く感じさせる語がこの楽曲の歌詞には綴られ
楽曲の『要』を成している要素だと個人的には感じており
それを表しているのが『波』という単語だと自分は解釈させてもらった。


 陽気でいて喜びを楽しむといったプラス・ポジティブな感情と
悲観的で歯痒くというマイナス・ネガティブな感情を描写している箇所を
繰り返していって自身の揺れ動く心情を寄せては返す波の様に
彼女の感情描写に当てはめているのが印象深くもあり
また、ネガティブな箇所の最後に『負けない』という
抗いや立ち向かう気概を思わせる節が入っているのが
彼女が滾らせ秘めているであろう負けん気の強さを感じさせる様に思える。


波は絶える事無く寄せては返しの繰り返しで止まる事はない。
どんなに硬い岩も繰り返す波の力で角が削れ形を変えていく。
辛い事や悔しい思いは当然起こるものだが
反面、嬉しい事や楽しい事も巡って来るもの。

 

マイナスの波にそのまま飲み込まれてしまうのか?
また、プラスの波をきっちりと捉えて上手く乗っていけるかは
自分を信じて研鑽を怠らなかった者にしか出来ないと自分は思います。
無論、努力しただけ必ず報われるというものではありません。
研鑽を積んでいく過程と色々な経験を経て乗りこなす術を自分で模索していく
『波を追いかけて』と歌詞の一節にあるが
どんな荒波が彼女に来ようとも、飲み込まれるのでなく乗りこなしてやろうという
山下さんの熱い燃え滾る想いと決意表明を示しているように思えてならない。

で、山下七海さんと寄り添い今まで共に軌跡を駆けて来て
魂で繋がっている久海菜々美への感謝と敬意が存分に込められていると思うのは
俺の暴論の域なのは百も承知だが、両者の魂の繋がりは切れる事はないのだろう。


 
 そして……"again & again"という言葉。


これは先日のWUG5周年ライブでの山下さんの衣装の襷に綴られた
幾度も、何度でもという意味の言葉。
先述にも書いたが『波』という語を思い起こさせる意味に取れるし
この楽曲で彼女が詰め込んだ想いと要を成すものだという事。
これも俺の完全な妄想・暴論の域なのは充分に分かっているが
彼女が絶対に曲げる事の無い『信念』を貫くかのようにも感じる。

 

 ねぇ、ほらこの海は 

 わたしの今日と(寄り添いながら)ココロを映す

 Like a sweetest music

(踊るように 遊ぶように 泳ぐように 歌い続けるよ)


 ―山下七海『七つの海のコンサート』より引用

 

彼女の名の一字『海』を彼女の心情を露に映し出す『鏡』に見立て
『鏡』というのは久海菜々美の存在に当てはめて考えても成立すると俺は思う。
大好きで素敵な音楽への想いと感謝、彼女に惹かれる人達の想いに応える事
偽りのない真直ぐでひたすらに楽しむどこまでも純然な山下さんの『魂』


彼女に今まで押し寄せたのは穏やかな波だけではない。
寧ろ、挑む事を躊躇する程の荒れ狂う大波の方が多かった事でしょう。
それに挑むのは無謀なのかもしれない。だが、彼女は飛び込んで挑んだ。
挑む事を諦めなかったから……そして、ただ波に乗るだけじゃなく
水平線の彼方まで跳んでやるという気概と
遥か遠く、多くの人達に本気の想いを届けたい!という


山下七海さんがこの楽曲に込めた『TUNAGO』=『繋がる』という語への
『答え』であり純然な『願い』なのかもしれない。

 

 
 以上が『七つの海のコンサート』の所感&独自考察になります。


正直な話、自分が特推ししている方なので俺独自の考察が暴走しております…
読まれていて異論があるのは存じております。
貴様の解釈は気にいらねぇ!表出やがれ!!!!と感じられたのであれば
本稿のコメントやTwitter等にて存分にぶちまけて頂いて構いません。
ただし、文面を見た際に議論する気がないと俺が判断した場合は
全く相手にはしませんのでその辺はご理解していただきたい。

 

 毎度ながらではあるが、楽曲の所感&独自考察になっているとは思えない
クソ熱苦しい駄文になってしまうのは如何なモノかと自嘲しておりますww
本当に読んでいただいている方に感謝の念が尽きません。
こんな駄文しか書けない奴で恐縮ですが…
是非次回も読んでいただければ幸いでございます。


今回も最後まで読んで下さりありがとうございました!!!!!!!