巡礼者のかく語りき

自由気ままに書き綴る雑記帳

ご報告。―第二章へのKADODEへ…。

 どうも。あかとんぼ弐号です。

 

この度、転職先への採用が決まりました事をご報告致します。

 

当Blogでは、なるべく自分の趣味以外のプライベートを書く事はしない様にして来ましたが
今現在、俺の置かれている状況、そして、これからの事について一つの決着と決意表明の為に文章という形式で書き残したく筆を取らせてもらいました。

 

まず、俺が転職する事になった事情なんですが……
会社の事業縮小による会社都合での退職を告げられ転職する事となりました。


……。


会社都合での退職と言うと聞こえは良いが、要は戦力外通告。リストラである。

 


昔の話。あれは俺が20代の頃に職場の飲み会にて当時の上司がこんな事を言っていた。


『早い時期か遅い時期かは人によって違うが、働けなくなる時期は必ずやって来る』


当時の俺はいい加減に生きていた(今もあんま変わらんか…)その言葉の意味していた事を深くは受け止められてはいなかった。が……でも何か引っ掛かるモノはあって、あの刻の上司の言葉はこの歳になっても忘れずに残っている。年齢的な事、病気や怪我、会社の事情や制度…etc。挙げればキリ無いがそれは等しく訪れる世の理なんだと。そして、その刻が俺にも遂にやって来たというわけである。

昨年頃から人員整理が敢行されているのは聞いていて、今年に入って更に加速していった。で、部長に呼び出された時瞬時に悟った。今度切られるのは俺なんだと。


これは、負け惜しみ的な事ではないが……
正直な話、昨年の頭頃から今後の身の振り方を考えていたんです。あからさまに感じていた仕事量の低下と残業時間の減少。高齢化していく部署内の年齢層。迷走してんじゃねぇかと思わせる事業計画。これらの要素から感じてしまう負の印象。急速落下はしないだろうが、経営が上向く望みを会社からは感じられなかった。寧ろ、この機で会社を出る(追い出される形になってしまったが…)のはチャンスであると前向きに捉えられました。


そう思ってたならとっとと動けって話でもありますが…当時の俺は踏み出す勇気がなかった。


3月の頭から、7月のこの時期まで4ヶ月ちょっと。こんなに長期間休んでいた経験は高校の試験休み+夏休み以来。何をしてもいい。逆に何もしなくてもいい圧倒的に自由な時間がある。でも、この状況になって感じられた事がありました。自由すぎるよりはある程度の制約が存在するのはやっぱり人には必要なんだと。仕事や学業に追われながら、観たいテレビや映画とかあって、プレイしたいゲームがあって、表現したい事を絵や文章などの表現。やりたい事はいっぱいある。でも、やれなくて……だからこそ限られた時間の中でやる事と言うのに意味があって全力でそれらを楽しめる。それがその人それぞれの尊い時間であるのだと思えます。働けなくなってからコレは本当痛感しましたねぇ……。


そして、新たな職を探さなくてはならないわけで。
この歳になって初めて経験する転職活動。職探しは高校の就活以来25年振りだ。
当然、履歴書を書くのもそれ以来であり、しかも、職務経歴書を書くのは初めて。
取り敢えず書き殴ってそれを求人サイトの添削サービスやハローワークでの相談を受けてこれまでの業務経歴や自分の強みを見つめ直す。一つの組織に属したまま、自分独りの視点だけだったらおそらく気付けなかった事がいろいろと見つかったりもした。自己を見返していく時間が多くあったのは幸運な事ではあった。無い袖は振れない。これまでに培って来たモノを武器として闘うしか出来ない。


で…いろいろ応募したり、数社面接を受けて……つい先日採用が決まりました。


採用をいただいた所ですが、面接の感触は最悪な出来。正直、落ちたと思っていた。
本当、決まってくれて今はホッと胸を撫で下ろしております。


再来週の頭から、新しい職場で働いている自分がいます。勿論、大変なのは覚悟している。
休み過ぎたので、会社勤めに身体と精神のリズムを取り戻すのにどれだけ時間がかかるのかは不安ではありますが、第二章を頑張ってやっていきたいと思います。

 

 

 

 

消えない『縁』から託された楽曲達の物語。

 今回の記事は、ある楽曲達について別の切り口から導き出された独自考察となります。


 『Wake Up,Girls!』の作中に於いて、アイドル達が歌う楽曲を誰が制作したのか?という視点で描写される事が多くあるのは、この物語を観た事がある人は承知の事と思われる。

制作者が明言され、制作過程やアイドル達に渡る経緯が描かれる楽曲もあるが、その一方で、どこの誰が作ったのかが分からない(設定が明らかになっていない)楽曲もある。自分もそうだが、後者の誰が作ったのかが分からん楽曲について様々な考えを巡らせて、独自の考察・解釈を持たれる人は結構いたりするものである。


で、作中に於いて楽曲制作者として存在が明確になっているのは……
Twinkle、早坂さん、佐藤勝子さん(サファイア麗子さん)、bvex、WUG(Polaris作詞のみ)。

そして、これは妄想の域であり公式設定ではない解釈の可能性として囁かれるのが、白木さん(…この人は設定としておそらく既に存在してる気はする)と、最近になって新たに一部で湧き出てきた人物として、I-1の鈴木玲奈作詞説。

こいつは俺の導きだした独自考察ではないし、この説を提唱された方の考察・解釈が成されていない現時点で俺が迂闊にこの場で書けない事だが……一つ理由を挙げるのなら、彼女の趣味にある『詞を書く』という事に注視されて一つの説として浮上してきたとだけここでは書かせてもらう。


と、まぁ…前置きが長くなってしまったので本題へと移ります。

 
前述に挙げた楽曲クリエーター陣。その中でWUGと非常に『縁』深い人がいます。それは早坂さんではない。勿論、彼もWUGと非常に『縁』深い人物ではありますが、より七人と縁深い人がいるのです。


その人とは、Twinkle(トゥインクル)という全国で活躍する二人組女性デュオグループ。


彼女達の説明をざっくりすると……

下詰み時代、彼女達は丹下社長に世話になっておりその恩義から、難航していたデビュー曲『タチアガレ!』の作詞・作曲の提供者になっている。それ以降もWUGに忠告とアドバイスを送っている。七人にとっては先輩・姉貴分に当たる存在。続・劇場版後編『Beyond the Bottom』で、アイドルの祭典に臨む為の楽曲制作のオファーを出していたが、同時期に彼女達も全国ツアーを控えその準備でオファーを辞退したが
WUGとTwinkleとの縁は健在で、楽曲提供もおそらく続けてありその先の物語へと続いていく。


今回の独自考察記事は、Twinkleが七人に託した新しい楽曲について書き殴ってみようと思います。

毎度の如く個人の思考に過ぎませんが、お時間が許せばお付き合い頂ければ幸いです。

 

 

Chapter1/巡る七つの星と翼~HIGAWARI PRINCESS

 

 この楽曲の新たな物語が語られたのはソーシャルゲームWake Up, Girls! 新星の天使』内のストーリーで語られている。この楽曲が七人に渡った刻はアイドルの祭典・2016の前とみていいだろう。新章の前日譚を描いた漫画作品『Wake Up, Girls! エターナル・センシズ』内でも、仙台凱旋ライブのセットリストを考えていた際に『HIGAWARI PRINCESS』の存在を示唆している台詞があることから、この時点でWUGに渡っていたものと思われる。『新星の天使』での時間軸も、『エターナル・センシズ』内と同じく、続・劇場版後編『Beyond the Bottom』と新章の間を繋いだ物語として描かれたというワケである。

さて…WUGの下にどういう経緯で『HIGAWARI PRINCESS』が渡ったのかだが…これは『新星の天使』で描かれていたのである。

 作詞・作曲を手掛け提供したのは『Twinkle』によるモノだった。WUGの仙台での冠番組わぐばん!』を観たTwinkleの二人がそこからインスパイアされて、一人一人が主役として輝ける事を感じ、あえてメインボーカルを想定しない、誰がメインでも歌いこなせる楽曲であり、祭典用の楽曲として七人に授けた…とされている。

これを知ったのはつい数日前の話であり、まぁ、衝撃的な事でもある。


(様々な事情で単に俺が知らなかっただけなんだがな…)


 『BtB』で描かれていたアイドルの祭典・2015の本戦に臨むにあたって、未発表の新曲が必要となり、丹下社長は縁深い『Twinkle』に楽曲提供を依頼したが、多忙の為断らざるを得なかった。
二人にとっては、あの時果たせなかった事を果たしたかったという想いもあったと思えるだろうし、前述にある様に、この時点で見た今の七人の個性ならば歌えると信じて楽曲を託したのもあるのだろう。
話がずれてしまうが、ランガの三人をTwinkleが見て『カケル×カケル』を作ったとされていて、曲調をTwinkleの新境地だと久海菜々美が言及していた。
推測と暴論ではあるが…『HIGAWARI PRINCESS』の制作もTwinkleにとっての新しい挑戦だったのではないだろうか。

 

 

Chapter2/太陽~プラチナ・サンライズ

 

 ここからの項で書く事は、完全な著者の妄想全開であるという事を予め宣言しておく。


 
『エターナル・センシズ』で、仙台公演(新章のツアーの事ではない)のセトリ会議の際、片山実波と七瀬佳乃が『プラチナ・サンライズ』をライブで歌いたいという台詞があった。作中でこの楽曲が歌われる事は無かったが、持ち曲としての公式設定はあったのだろう。そして、一切の言及はなされていないが…『セブンティーン・クライシス』も持ち歌としてあるモノとして自分は捉えている。そして、前述の『HIGAWARI PRINCESS』同様、この二曲もTwinkleが制作したのではないだろうかと自分は思えるのである。


このBlogの考察記事は九割方暴論で書いておるがwww
これも完全な妄想と暴論の域の話だが…この際気にしては負けなのでこのまま進める。

 

WUGの為に書き下した楽曲でもあるのだろうが……
色々と考え(妄想)を巡らせた結果、ある別の解釈が導き出されたのである。
(無論、作中限定での楽曲の役割に於いてであるが。)


『プラチナ・サンライズ』は元々Twinkleの楽曲。もしくはリリースする新曲として制作していたのではないだろうかと。


 俺が言ったところで説得力の欠片すらないのは重々承知しておるが……これ、あながち的外れじゃない解釈だとも思っている。単純にそのままカバーバージョンとして提供したのか、原曲はTwinkleが歌い、実波と佳乃が歌うのは、メロディは原曲と一緒だが違う曲題(プラチナ・サンライズ)と詞をのせた楽曲という形という線もありうる。勿論、WUGの為だけの新曲として書き下ろした楽曲という線もある。

脱線するが、同じ曲に違う詞をのせた楽曲を同時にリリースされた楽曲という前例が実際に存在していて、氷室京介さんの『Claudia』と同時にリリースされたDAIGO☆STARDUST(現・DAIGO)のデビューシングル『MARIA』がそれになる。(曲調はアレンジされているが)興味が湧いた方はどうにかして聴いてみて下さい。

 『タチアガレ!』の詞にある『日差し』と『明けない夜』。この楽曲の題にもあるサンライズ=夜明けから結び付けていくとするなら、この楽曲は『タチアガレ!』の系譜を継ぐ楽曲なのだろう。対面での魂との対話。並走して互いに限界領域の行き着く所まで突っ走る。詞の構成を見ていくとこれは七人で歌うというかはデュエットで歌う事を前提として書かれ『プラチナ・サンライズ』は『闘い』=『決闘』を思わせる楽曲だと思える。
どういった経緯と時期に、実波と佳乃に『プラチナ・サンライズ』が託されたのかは分からない。
一つの説として当てはまると勝手ながら思えるのは、『タチアガレ!』を提供した頃WUGにまだ島田真夢は加入していなかった。その状況はTwinkleは知っていただろう。色々あって後に真夢が歌うソロパートは最初、実波が担当していた。詞に、『夜と朝がぶつかる』とある。自分が実波と佳乃の印象としてあるのは、実波=太陽(朝)、佳乃=月(夜)の印象なのだ。


Twinkleが感じたインスピレーションと楽曲『プラチナ・サンライズ』との相性が実波と佳乃に見事に合致し楽曲を託したのではないだろうか。

 

 


Chapter3/系譜を継ぐ楽曲~セブンティーン・クライシス

 

 『セブンティーン・クライシス』の存在自体、作中では一切言及されていない…。
だが、この楽曲とTwinkleという要素を加味して考えると存在を無視出来ない様に思えるのだ。


(まぁ、これも後付け感満載ではある……)


『プラチナ・サンライズ』と同様にこの楽曲もTwinkleから提供され
WUGの持ち歌としてあるものとして捉え考察を書き進めていく。

ダンスチューン色が強い曲調に注視してこの楽曲を見ていくと、bvexが制作した『素顔で KISS ME』と似系譜になるだろうが詞の世界観はまるで違う。『プラチナ・サンライズ』の項では、Twinkleが歌う楽曲、もしくはタイトルと詞を変え提供したと書いたが、『セブンティーン・クライシス』は最初からWUGへの新曲として書き下ろした楽曲であると思えるのです。その最たる理由はこれもTwinkle提供による楽曲『16歳のアガペー』の系譜を継ぐ後継・続編曲である事を強烈に印象付けさせているからでしょう。

メンバー構成、二つの楽曲の共通項と世界観については書き出すとまた長くなるので本稿では端折らせてもらうが…。とにかく、『16歳のアガペー』と『セブンティーン・クライシス』との結び付きは非常に大きなモノとしてあるという事だけは伝えておきたい。

この楽曲もどの時期に作られWUGに託されたのかは分からない。
『HIGAWARI PRINCESS』と同時期なのか?『BtB』作中でのプロモーション活動時に楽曲はもうあったという説も思い浮かぶ。……と、考え始めたらキリは無いし明確な答えも無いが……

詞にある『大人への階段』や危機・転換点を意味する『クライシス』という語句。
危機的状況と言えば、WUGは常に逆境と背合わせで軌跡を駆けてきた。それらを乗り越え七人は成長してここまで来た。それは『大人への階段』を登っていく事なのだろうし、転換点でもあるのだと。

 

 

 最後に。

 

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 つい先日、ソーシャルゲームWake Up, Girls! 新星の天使』のサービスが終了した。
自分は、プレイする機会が無く、そんな奴がゲーム内でのエピソードについてモノを書くのはおこがましい事であるのは痛感している。更に言ってしまえばこの期に及んで終わった物語について、色々考えてもしょうがないじゃないかと思われる人もいるだろう。その意見に真っ向から噛み付いて反論して、『分かってくれ!』と叫ぶつもりもない。


けど、終わった物語を見返し、再考する事に資格や許可なんてモノは無い。


この独自考察を書く切っ掛けと楽曲に向き合い再考する機を終焉の刻で与えてくれた事。それは本当にありがたかった事だったのです。


運営、本当にお疲れ様でした。そして…描ききれなかった部分を補完する物語を別の形で紡いでいただいてありがとうございました。


相変わらず散漫としておりますが、こんなところで本稿を締めたいと思います。
最後まで読んで下さりありがとうございました。

 

 

 

 

 

終わりではなく、はじまり。『Wake Up, Girls! FINAL LIVE ~想い出のパレード~』Blu-ray所感。

 

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 Wake Up, Girls! FINAL LIVE ~想い出のパレード~』Blu-rayを購入致しました。


少し前になるが、あの時売り切れてしまったパンフレットも事後物販で購入出来た。

 

無事に購入したのはいいが…正直な話、購入直後は観たい欲求は勿論あるのだけれども、参戦したあの刻と瞬間のインプレッションを大切にしたい躊躇いの心情とのせめぎ合いがあった。俺の中では踏ん切りはついていると思っていたが、なかなか簡単なモノではなかったらしい。生半可な覚悟では、あの地で紡がれた物語を受け入れる事は出来ない。

 

 

どれだけ嗤われ、傷ついても譲れなかった決起の物語。


言葉にして言い続けあの刻を記念日にした物語。


悔し涙が七つの星に変わり輝いた闘いの物語。


『大好き』と伝えられる体と心の物語。


当たり前の奇跡と生命の息吹に感謝する物語。

 

もう一つの巡り逢いの縁への奇跡と礼賛の物語。


虚構という抜け殻ではなく、本質という素顔の物語。


理性を置き去りにしてひたすらに楽しむ物語。

 

人間らしく在ろうとした少女の一歩踏み出す勇気と始まりの物語。


不揃いの中に在った深愛の物語。


星が煌く闇夜を翔け、眠ったチカラを解放する物語。


二人への真愛を叫ぶ魔性の物語。


紫の煌きが織り成す魅惑の領域での物語。


満腹まで余す事無く楽しみ尽くす物語。


感じるな、楽しめ!という魔法の言の葉の物語。


それぞれ違った形の原石が放つ七色の心の光の物語。

 

地図を失くしても強く願い辿り着いてわんさか楽しむ物語。


パーティの主役は七人のプリンセスだった物語。


完結してたはずの世界を変えた物語。


想いを塗り込めた空へ手を伸ばし、憧れを掴み取る物語。


想像出来る後悔よりも創造する明日へと踏み出す七つの感性と個の物語。


しんどい季節と涙があってこそ輝く極上の笑顔の物語。


悠久の刻が廻る物語。


今の自分と未来を信じて諦めなかった少女達が交わり響かせた物語。


One offを極めた“生命の謳”と純白の心の光で染まった“奇跡”の物語。


過ぎ去りし刻を尊ぶ決意と“起”の物語。


壊れる事すら厭わない爆ぜる魂と“承”の物語。


それぞれの未来へ翔び発つ“転”の物語。


永遠の別離の『さようなら』ではなく、また逢う為の『さようなら』の“結”の物語。

 

巡り巡って手に入れた鍵で未来へと転じる物語。


迷宮を彷徨いながらもひたすらに楽しんで突き進んだ物語。


望郷の念と、東北六県へ想いを馳せ、繋ぐ物語。


心の光が互いに導き、繋がり、輝いた物語。


この世界で生きるために…おしまいではなく、ここからはじまる為の終の物語。

 

 

3時間過ぎの刻の中で紡がれた、一つたりとも欠く事の出来ない尊い物語があった。
この物語(楽曲)へのインプレッションについては、あの刻と地で直に感じたモノを参戦レポという形式で書いたので、今更取り立てて書くようなことも無い。

akatonbo02.hatenablog.jp

 

*クソ長い駄文なのでご注意下さい



でも、あれから時間が経って、あの激熱な感動という記憶の輪郭がぼやけはじめて来たのも事実として感じている。そんな刻に約束の地で魅せ付けたあの七人の本気の想いと魂を観せられ、あの刻で感じた激熱な感動を記憶の底から引き上げる為に、まさに今、PCの画面と向き合いキーボードを叩いている。


だからこれは、参戦レポの追記・アフタートーク的なモノとして書かせてもらう。

 

 楽しかったこと、嬉しかったこと。

 つらかったこと、感動したこと。


 最後のステージの幕が上がる直前まで、

 今日ここにいるすべての人が

 次々に浮かびあがる様々な想い出に

 心を揺り動かされているでしょう。


 でもライブが始まったら想いは一つ。


 7人でのラストステージ、

 7人それぞれの新たなる門出。


 たくさんの想い出がパレードのように

 押し寄せる、胸踊る楽しいひとときを過ごそう。


 そしてパレードの幕が下りる瞬間、

 きっとみんなの胸に去来する言葉は……


 ありがとう


 ―『Wake Up, Girls! FINAL LIVE ~想い出のパレード~』パンフレット本文より引用

 

 

 

● 感情の大戦争

 

偉大なる先人(水樹奈々さん)曰く、『ライブとは闘いの場である』と。


そして…最初の挨拶でWUGのリーダー・青山吉能さんは吠えた。

 

今日はね、そのパワーを思う存分貰って、与えて、

そんな大戦争にしたいと思ってますので、

今日は宜しくお願いします!!!!!!!

 

参戦したあの日は、滾る衝動と興奮が勝っていて感じなかったモノだが、改めて観る環境と状況によって感じるインプレッションはまるで違うという事を思い知らされ、観終わって、彼女が言っていた『大戦争』という感情のぶつけ合いの意味を痛感した。


まず、胸に込み上げていたのがオープニングアクトの『タチアガレ!』だった。


このSSAにて『タチアガレ!』が歌われたのは2014年のアニサマ以来。
アニサマでもそうだったし、実際に俺がこれまで参戦したり観たWUGのライブでこの楽曲に対して湧かなかった涙腺を集中砲火される感覚。そうなった要因は、会場全体を俯瞰で捉えた景色、吉岡さんのソロパートの時に一瞬だけ七人側から会場を映した場面だ。


今までのライブ映像作品にも七人側からや会場全体を映した場面は存在している。

だが、涙腺まで集中砲火される事態にまでには至らなかった。


何故そうなったのか?それはこの地が、さいたまスーパーアリーナだったからと思ってる。


嗤われても言い続け必死に闘い……最期の刻で遂に叶って七人の足で立った約束の地。
フェスで観る景色じゃない。最初から最後まで彼女達七人が占領できる特別な刻。勿論、これが最期のライブだという事実があったからという事もあるし、何よりも自分が最も観たかった景色だったからでもある。


それだけじゃない。


『極上スマイル』にて盛大に歌詞すっ飛ばし2番のBメロを先に歌ってしまった高木美佑さんww自分の知る範囲だが、彼女が豪快に歌詞すっとばしたのは、2016年の3rdツアーの初陣となった舞浜公演(夜)で歌った『It's amazing showtime☆』以来だろう。

間違えないのが良いに越した事はないが、これもまた滅多に観られるものじゃない貴重なモノ。あの場でしか生まれなかった物語と称しても良いと俺は思っている。


少女交響曲』で魂と魂が激しくぶつかり合ったまゆしぃ&よっぴーの絶唱
彼女達が限界領域の向こう側まで踏み込んで、繋いだ互いの手を握り合う姿。


(俺の目にはそう見えたんだ…)


これはあの場で自分が観れなかった細部だ。繋いでいた時間は僅かだが、握り返す力と熱は強くて燃え滾るモノだった様に思えて来る。


Beyond the Bottom』で圧倒されて形容する言葉を失ったのはあの刻と同様だ。
白一色の心の光で染まったSSAの空間。昇華していたのは楽曲だけじゃなかった…七人の存在も何か人ならざる者へと昇華した様に思えてならない。何かを感じ取って形容しろではなく、まっさらな魂でただ受け入れて感じろ。と言う事なのだろうか?
おそらく数え切れない程このアクトを観たところで『答え』を導き出せないと思える……


Polaris』のクライマックス、吉岡茉祐さんのソロで白から赤に染まるあの光景。
瞬時に変化していくのでなく徐々に、まるで血が廻り渡って血と魂が宿っていくかの様な印象を思わせる。新章の最終話で闇夜に段々と灯って広がっていく白の光の場面を彷彿とさせる光景。灯る心の光の色は違うが…激熱であり感動で想いが込み上げて来る素敵な場面。


改めて挙げだすとキリが無くなるのでここまでにしますが
あの刻を思い出したり、あの刻で観れなかったものを観れて感激して涙して…心の底から笑い、本気の想いに魂が戦ぎ、滾って爆ぜたり、圧倒的な存在感と説得力で言葉を失う…
想いの相互循環なんてそんな優しいモノじゃない。ノーガードで殴り合う闘い。


青山さんが言っていた様にあの場は“感情の大戦争”だった戦場(いくさば)でした。

 

 

 

SSAなんだよね……

 

俺は、参戦時には一切メモを取らない。と言うかは取れない。


なので、俺が書いたこれまでの参戦レポはMCパートの大部分をすっ飛ばして書いてきている。今、こうして映像で観れてこの言葉にやっと気付いたワケでここに書いているのだが。


さて、この項の題にある『SSAなんだよね』という言葉。これは『Beyond the Bottom』後のMCとアンコール『地下鉄ラビリンス』後のMC内で青山さんが感慨深くSSAに今立っているという紛れもない真実をしみじみと感じている言葉を発していたのが印象的だった。

色々な想いや感情を抱いていたと思います。
青山さんだけじゃなく六人にも。ワグナー諸氏にも。

たった一日の最期の夢のステージに、それぞれの年月と、物語と、未来があった。
皆、真剣だった。潔かった。本気だった。魂懸けてた。


だからこそ、彼女の言の葉が魂に突き刺さって来たのだと。


『生きる』という言葉を青山さんはよく使われている。
彼女があの刻でSSAのステージに立っている事を幻ではなく、自らの両足でしっかりと立っているという現実を噛みしめ再確認し、『今を生きている』という実感を得たかったのだと思えてしまえるし、過ぎていく刻を惜しむ意味でもあったのだろう……


SSAなんだよね…』と彼女の万感の想いである言の葉は意義深くて重かった。

 

 

 

● あの七人に負けた……

 

 やっぱり、この七人“最強”なんです。


吉岡茉祐さんが手紙に綴られたこの言葉に一切の偽りは無く、深くて重い。

そして…誇らしげに戦友達を称え、微笑んで言う彼女は素敵でした。


人それぞれに感じた七人の強い輝きは違うモノだと思います。
あの刻に参戦して様々な位置の座席で観て感じたモノ、そしてこの映像を観て感じたモノがどれ一つとして完全に同じモノはない様に。


観た人の抱く唯一無二、あの七人が最強たる理があったのだと。


彼女達も、最初から強かったワケじゃない。弱いのなら尚の事闘えと…自らの弱さと真摯に向き合い、真っ向から限界と闘い抜いてここまで来た。

今までも、そして…終焉の瞬間までそいつを魅せつけて貫き通した。
改めてこの映像をあの時とは違った視点で観た率直なインプレッションが前述の言。約束の地・SSAという特別な場所での最期のライブだが、彼女達は何も特別な事をしたワケじゃない。奇を衒う事無くいつも通りに本気で、全力全開で、想いと魂を燃え滾らせて

『いつものWUGのライブ』のスタイルでやりきって、全てを出し尽くした。
それがいつも通りの、期待に応えて予想を裏切った素晴らしいライブに出来たのだと。


Wake Up,Girls!』の生き様と強さはここまで凄いモノになっていた。


本当に凄い、最強で最高の七人。完敗です。

 

 


● 無くならずに続いていく『縁』の記憶

 

3.8に参戦の叶わなかった人。
あの刻の記憶を呼び起こし感動を取り戻そうとされる人。


今とこれからの未来の刻で、
まだ『Wake Up,Girls!』を知らない、知ったばかりという人。


Wake Up,Girls!』から距離を置いて、また寄り添ってみようとされる人……

 

この映像を観終わって…参戦した3.8の記憶と別の視点で観て繋がった新しいインプレッションの余韻に浸り、置き去りになった感情を取り戻す為に書き殴った。
刻が経って記憶は薄れていってしまうモノではあるが、ほんの些細なきっかけで濃密に取り戻せる事だってある。でも、どう抗っても何もかもが変化していく事は逆らう事の出来ない自然の理。そして、人も離れていくのだろう。


けれど、どうにも出来ない事を受け入れて尚、吉岡さんは言葉にしてくれた。

 

忘れないで。ここにWUGがいたことを。

そして、みんなの中でWUGという存在が、

ずっと先の何億光年も輝ける想い出になってくれていれば、

物語は続いていきます。

 

 

物語は続く。続けて紡いでいく方法の一つとしてあるのが、今観たこのライブ映像だと。
懐かしくてまた会いたくなったら、何時でもこの縁の記憶を再生すればいい。
無くなるモノはあるが、残るモノもある。あの刻の記憶を呼び醒ます媒体が今存在している。これも当たり前な事じゃない奇跡なんだ。


そして…このBlu-ray Discのブックレットの裏表紙にはこう記されていた。
その言の葉をもって、本稿の締めとさせていただく。

 

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スペシャルサンクス Wake Up,Girls!を愛してくれた全ての皆様

 

何度でも叫んで語り継ぐよ。やっぱりあの七人は最強で最高だったと。

 

 

 

 

 

 

 

時空へのパレード ~叫び続ける想い~

 皆様こんばんは。あかとんぼ弐号です。


刻が経つのは早いもので今年も半年が経ちます。

昨年の今頃『Wake Up,Girls!』の解散の報が告げられ、遡る事三ヶ月前には、約束の地・さいたまスーパーアリーナにて


Wake Up, Girls! FINAL LIVE~想い出のパレード~が行われた。


今更、自分が何かを言うまでもなく、昨年のあの刻から終焉の刻までの物語は、掛け替えのない尊い物語として魂に刻み“第2章”の軌跡をそれぞれに歩んでいるのでしょう。
自分も約束の刻と地に参戦して全ての思いの丈を出し尽くし、あの場で直に感じたインプレッションを参戦レポに書けるだけ書き殴って決着をつけた。先の事は勿論分からんがおそらく、あの参戦レポ以上の長文は今後書かないでしょう。

そんな今の自分の状況は、完全に燃え尽きたとかロスに陥ったという事はなく
相も変わらず、WUGに関する事をこのBlogにひたすら書き殴っております。

 

 

◆無くならなくて、まだ続いている。

 


当Blog内では、度々、自分のWUGへの想いの根幹となる言の葉を綴って来ました。


Blogという媒体にて彼女達七人の軌跡や感謝を綴り記録と記憶として残す…
勝手だが、俺が出来る最良の形であり七人に対しての感謝の意を示す事。


そして…約束の地で、吉岡茉祐さんから未来を託されました。


Wake Up,Girls!をこれからもよろしくお願いします』と。


まぁ、それはWUGへの想いを一方的に受け取った勝手な約束ですが。


確かにユニット・Wake Up,Girls!は終わりました。改めて書くまでもなくそれは覆らない現実として今に存在している。完全にWUGが終わったかどうかは個人の解釈になると思いますが、三月が終わった刻と同時に終焉は存在しました。そして、七人がそれぞれ別の軌跡を歩んで行く事も応援したい。ただし、WUGへの想いというのはそことはまた違う所にあるものなんだ。

終焉の刻が過ぎて七人が、皆がそれぞれ新しい軌跡を歩んでいる今。燃え屑の様に未だに燻り続けて、未練がましく終わったモノに縋っている見苦しい奴と思われるでしょう。そんなのは重々承知しているし、分かってくれと訴える気は毛頭無い。俺の中にまだあるWUGへの想いを余す所無く出し尽くたその刻で、ようやく俺の中では『Wake Up,Girls!』の真のエンディングを迎えるのでしょう。


なので、俺にとって『Wake Up,Girls!』の本当のエンディングは、まだ先の未来の刻なのだと。

 

 


◆魂が囚われた呪縛の中でも…

 

ハッキリ言ってしまえば…
ここに書いているモノは完全な俺の自己満足。エゴの垂れ流しだ。


好き勝手、片手間で書いてると思われるかもしれませんが、インプレッションを言語化するのは本当にしんどいモノなのです……まして、解散したユニットについてだったり、過去のモノについて書く事は。で、更に輪をかけてしまうと、今のご時勢は受けて側(読む人)の人からしてみたら、長文をじっくり読むより目に留まる適度な文章の方が印象に残る=答えを導き易い風潮になっていってる様に思っています。

やめる=もう書かないと言うのは簡単なんです。それこそSSAの参戦レポで出し尽くして燃え尽きたと言ってしまえばそれまでなんで。でも、俺は書き続けるという決断をして今に至っています。


その理由は至極単純なモノなんです。
まだまだ彼女達が世に遺したものについて語り継ぎたい。様々な視点で触れて…


ドキドキして、ワクワクしたいんですよ。


自分なりに出来る事、WUGを通しBlogで言語化して記憶と記録として残す事。
見て全てを解釈出来たなんて言えたモノじゃない。もっと踏み込んで触れて感じたいんです。感じたインプレッションを書き記したモノを後世に遺したいなんて大それた事を言うつもりもない。万が一、自分の駄文を読んで直にWUGを知るきっかけとなってもらえたならそれはありがたい事だけれども、きっかけのそのまたきっかけ…喩えるなら、玄関の扉の足元に敷いてある足拭きマット程度でも構わない。俺なんかより素晴らしい文章を書く方は大勢います。色々な人、視点の解釈によって紡がれた言の葉に触れて、是非ともその先の領域に踏み込んでいただきたいと思います。


見つけてしまって、魂を掴まれ揺さぶられた。もう、俺は『Wake Up,Girls!』という存在から逃れられない…このコンテンツと添い遂げられる限り軌跡を歩み続けていく事が自分の“第2章”なのだと思わされたのであります。

 

 

 

◆真愛とその名を叫び続ける……何度でも。

 

終わったからといって、何も語ってはいけないなんて無いんです。
寧ろ、終わったからこそ声や言の葉をあげて紡いでいく事が必要なのではないでしょうか。人の魂に響いたインプレッションや思い入れはそれぞれに違って当たり前。

これも、過去の記事にも書いた事ですが、本気の想いを形にして解き放つ事に満点や正解や優劣なんてありませんし、資格なんて要りません。人それぞれ感じたインプレッションはその人の唯一無二で尊いモノと俺は思っています。キャラ・キャスト・曲・物語…何が観れた、何が聴けた…何でもいいです。本気の想いと魂を解き放って下さい。それに応える人は必ずいると思います。俺はその人なりの楽しみ方や本気の想いをただ知りたい。

本気の想いを放ったら、応えてくれる人は必ずいるものです。語り継いでいって、5年~10年後の未来の刻に知ってもらう為には多くの人が紡いだ本気の想いが必要なんです。

これから先の未来に於いても、俺は何度でもあの七人への真愛の情と名、楽曲について言の葉を紡いでいって全て出し尽くすまで叫び続けるでしょう。


縋っているワケでも未練から来ているモノでもない。
巡り逢いの縁の記憶と記録を辿れば、何度でも出逢えるものだ。


期待に応え、予想を裏切って、最高を更新し続けたあの七人の奇跡に。

 

 

 


*本稿は『トキノドロップ』(赤雪すずみさん)の
『はじめましてのパレード』企画に寄せて書かせていただきました(6月25日投稿)

 

 

 

 

WUG楽曲 ライナーノーツ #22 One In A Billion/王様のカデンツァ

 『Wake Up,Girls!』の数多くある楽曲には『Wake Up,Girls!』の作中にて披露されたり、キャラクターソングとして登場する楽曲だけではなくWUGという枠組みから解かれて、一組のアーティストグループ『Wake Up,Girls!』としての楽曲だったり、七人それぞれの個人としてのソロ楽曲が存在しております。

これから書き殴っていくのは、アーティストグループ『WUG』としての楽曲達。そして、アーティスト『WUG』としての新しい挑戦を感じさせる意欲に満ちた楽曲になったと自分は思っています。

 

 

 

 

One In A Billion (Wake Up, May'n!)

 

 

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TVアニメ『異世界食堂』のOPテーマ楽曲。
ユニット名にも冠され、ジャケットにもある様にこの楽曲はWUG単独の楽曲ではなく、アーティスト・May'nさんが加わったコラボレーションユニットとしての楽曲。
所属レーベルの枠を越え、May'nさんとWUGが繋がった。奇しくも、この楽曲がリリースされた頃は『繋がり』をテーマに掲げたWUGの4thツアーの最中(2017年8月)という要素も導きと引き寄せの『縁』を感じさせ、楽曲タイトルのOne In A Billionの和訳でもある10億分の1という天文学的な数字が示す様にこの両者の巡り逢いというのは奇跡レベルの繋がりだと思えるだろう。

OPテーマとして、縁の巡り逢いへの感謝を表す楽曲らしく、アップテンポな曲調による構成は奇を衒わない王道といったところではあると思う。ただ…残念な事に著者はコードのコの字を知らんド素人。メロディ構成の妙だったりは楽曲自体を聴けば分かるモノなので、今までのライナーノーツシリーズと同様に歌詞と楽曲の世界観について書き殴っていこうと思う。


リリース当時、May'nさんはインタビュー内でこの楽曲は『一期一会』をテーマにしていると語っていた。
その点を踏まえて歌詞を追っていくと、『出会う』や『めぐり逢う』という出会いを強烈に訴えるストレートな語句を多く使って書かれている。そして、出逢いという事へのネガティブな印象も詞の中に描かれている。1番でMay'nさんが歌うAメロ~サビ前のパートはそれを如実に描写しているワケだ。

 

 避けてきた ものの中 苦手って 記憶が消せずに

 運命を 変えるような 出会いが あるかもしれない
 
 私のフツー君には とんでもサプライズかも!?
 
 違いを遊べ フュージョン! ミクスチャー! So Wonderful!

 
 ―Wake Up,May'n! 『One In A Billion』より引用

 

未知との出逢いへの躊躇いと葛藤。別の表現をするならば、『食わず嫌い』と称してもいいだろう。煮ても焼いても、どうしても食えないものは人間誰しも一つはあると思える。それは、人との関わりにも通じる要素だったり。『苦手』と『記憶』は食わず嫌いという語句の暗喩にも捉れて、自分の価値観にある普通という感覚も、他者の価値観にしてみたら特別で稀少だったりもする。それを知って自分の中に落とし込んでみる事は、また違った刺激をもたらしてくれたりするモノだと。

フュージョン(融合)、ミクスチャー(混合)この語句を使っているのがまた面白くあり、そして、『違いを遊べ』という語句がコラボユニット『Wake Up, May'n!』の存在意義やアイデンティティを示している様に思える。あくまでもコレは俺の『違いを遊べ』の言葉の解釈だけれども、WUGとMay'nさんが、まずただ混ざっただけ(ミクスチャー)の状態から、この楽曲と出逢い融合(フュ―ジョン)を成していく。それは、単に繋がりたいと想うだけでは混ざって溶け合う事は出来ない。互いの違う要素を知り、受け入れた時が…『違いを遊べ』という言の葉がより深い意味をもつモノとして想いの根幹を成していたのではないだろうか。


この楽曲は、WUGのみのバージョン*1とMay'nさんソロバージョン*2が存在している。
それぞれの個別の立場、また違った視点でこの楽曲と向きあってみた時、前述の『違いを遊べ』と、冒頭の『この広い世界で 君とめぐり逢う』という言の葉が、楽曲に更なる深みや奥行きをもたらす要素だったと思える。

 

 


王様のカデンツァ(Wake Up, May'n!)

 

 シングル 『One In A Billionカップリング楽曲。
こちらの楽曲もWUGのみのバージョンがある。*3
One In A Billion』とは違い、しっとりと沁み入る様でいてお洒落かつ可愛らしさを感じさせる曲調。


この楽曲は、『One In A Billion』以上に個の心情に深く切り込んだ描写になっている様に思える。それを強く感じさせる要因は歌詞に出て来る『裸の王様』というフレーズだと自分は見ている。周囲からの批判や反対を受け入れないために、真実が見えなくなっている人の喩えでもあるが、身のほどを知らずに大それた目標を掲げる者に対しても『裸の王様』という表現を用いたりしている。楽曲の世界観のテーマも『裸の王様』が根幹を成しているのだろう。
この楽曲では、『裸の王様』の持つネガティブな要素ではなくポジティブな要素……つまりは、抱いた大志を信じて貫き通そうする想いを謳う前向きな楽曲だと思えて来るのである。


『意味無い厚着』、『君』というフレーズが楽曲の世界観を紐解くキーワード。
これらのフレーズが指し示すのは内面の心情描写ともう一人の自分自身。具体的に挙げていくと『意味無い厚着』は、虚勢だったり見栄で本質を偽り着飾り重ね着した事の喩えに捉えられるし、『君』は本質であり、裸の偽り無い本気の想いだと捉えられる様に思える。

更に『意味無い厚着』と『君』を掘り下げると、自分を信じきれない、情報がない故の知識不足から来る不安と恐れに行き当たるのではないだろうか。不安や恐れは視野を狭くしてしまい冷静に物事を判別するのは難しいモノだ。
出来うる限り集められるだけ集めそいつが真に有益であるかどうかは吟味せずに見栄と虚勢で次々と着込んでいく。見られたくない、悟られたくない弱みは人それぞれに備えている面で、尚且つ見えないモノを信じられないというのも世の理でもあり、人の抗えない『性』だという気がしなくもない。

前述にもある様に『裸の王様』は真実が見えなくなっている人の喩え。しかしこの楽曲では、あえて裸をさらけだしていく事を謳い、サビにあるこれらのフレーズはその事を強烈に訴え掛けているのだと。

 

 誰かが言うだろう 笑われるだろう

 それでも確かな想いを身に纏うよ

 はだかの王様


 ―Wake Up, May'n! 『王様のカデンツァ』より引用

 

見栄と虚勢で着飾った窮屈な鎧を脱ぎ捨て、本質をさらけだし自由になる。そして肝要なのは、自分と見えるモノ見えないモノを信じぬき、いくら言われようが笑われようとも構わない。
魂から、本気の想いという新たな鎧を纏い偽り無い全力の自分を魅せ付けてやるのだという沁み入る曲調とは裏腹な強い決意を秘める要素を感じさせる雰囲気だと思っている。

 

 


アーティスト『Wake Up,Girls!』としての新しい挑戦とは、異なる者(May'nさん)を『受け入れる』という事だったのではないでしょうか。WUGの七人もMay'nさんにも要となる部分、譲れない想いを持っていると思う。
一斉に軌跡を歩み出した七人の時とはまた違う関係性の構築。それを築いていくのには細心の配慮や真剣さ、潔さが欠けちゃいけない。だからこそ互いにきっちり向き合って受け入れた……縁の記憶と物語の次の1ページの様に自分は思えてならないのであります。


そして、『Wake Up,May'n!』にはもう一つ楽曲があります。
その楽曲についてはまた別記事に。

 

 

 

 

 

*1:Wake Up,Best3!とCDのみでWakeUp,Best! MEMORIALに収録

*2:アルバム PEACE of SMILEに収録

*3:Wake Up,Best! MEMORIAL *CDのみに収録

Wake Up, Girls! FINAL TOUR ‐HOME‐ ~PART III KADODE~ LIVE Blu-ray所感

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Wake Up, Girls! FINAL TOUR ‐HOME‐ ~PART III KADODE~』購入しました。

 

 

Wake Up, Girls!  FINAL TOUR - HOME -~ PART III KADODE~ [Blu-ray]

Wake Up, Girls! FINAL TOUR - HOME -~ PART III KADODE~ [Blu-ray]

 

 


 このLIVE Blu-rayに収録されているのは、千秋楽仙台公演二日目の夜の部。
全33公演の最後となる公演の模様が収録されておる。

で、観終わった率直な感想なんだが……感動した、滾って激熱だったという印象なのは言うに及ばず。ただ、これらの言葉による所感で結論付けられるのならばこうして記事を書き殴ろうとはしていない。俺はこの公演に参戦していない人間。現地の席で直に体感したインプレッションと、刻が経って映像を観たインプレッションとの間には埋めきれない確固たる差はどうしても出てしまうモノである。勿論、双方のインプレッションに優劣を付けるのは滑稽な事だと思うのである。

現地でのインプレッションとはまた違うインプレッション。
それでしか感じ得なかった驚きや発見があった。上述の様に単に感動し、激熱という言葉では表現しきれなくて、映像と音が押し寄せる情報が処理して咀嚼出来るキャパシティを遥かに越えてしまったんだ。だから、観終わった後の感情として湧き上がってあるのはどうしていいか分からない『無』の感情なのである。

同じく映像で観たWUG5周年ライブや、ファイナルツアーPart2~FANTASIA~を観た直後も似た様な感情になったものだが、今回のはそれを軽く凌駕してしまっている。
そう、この感覚は実際に現地参戦して全力を出し尽くした後に襲ってくる虚無感と一緒なんだ。身体的な疲労は俯瞰で観ていていた分それほどではないのだが、心、魂はそうじゃなかった。


抜け落ちてしまった魂の欠片を取り戻すという意味を込めて…これから、七人のKADODE
約束の地・さいたまスーパーアリーナへのTABIJI(旅路)の物語を可能な限り書き殴っていこうと思う。

 

 

 

 少女交響曲絶唱vs絶唱


 PartⅡシリーズのクロージングアクトはこの楽曲で終わっているので、まさに『Continue』と言わんばかりである。この楽曲は『攻め』の楽曲。七人が最終章の初手に持ってきたのは奇を衒わない全力全開の滾る想いをぶつけられる楽曲だ。

まぁ……先に書いてしまうが、滾る想いが最高潮に達して『要』となっているのが、散々当BlogのWUGライブ参戦レポにも書いている吉岡茉祐さんと青山吉能さんのソロパートなんだ。

 

 疑うこと 覚えたらキリないけど

 みんな弱いよね 私も同じ

 人と人とが つながるって奇跡 次の瞬間

 この手は離れるから

 ごめん、さよなら


 Wake Up,Girls!少女交響曲』より引用

 

 見出しに絶唱vs絶唱と書いた様に、ここは吉岡さんの血が燃え滾るプラスのパッションの絶唱と、青山さんの身震いさせられ鳥肌が立つマイナスのパッションの絶唱との闘い。単純に音をなぞって歌い上げればいいなんて歌い方はしていなくて生半可な覚悟で彼女達はこのパートを歌っちゃいないのです。どちらかの熱が暴走したらここのパートは死ぬ。それを二人は思い知っているからこそ行き着く所の限界を越える為にそれぞれが踏み込んでいく。

背中を預けあえる存在でもあるし、でも絶対に負けたくない存在でもある。ハッキリ言ってキツいのは間違い無いんだが、彼女達はお互いに真っ向から向きあってそこから逃げずに戦い合った。それ故にこのアクトを観て来ていつも感じ最高を塗り替えて更新し続けている要因だと思えるのです。


こいつには負けられない。


こいつには勝てない、でも……逃げたくはない。


こいつなら行き着く所まで踏み込んで応えられる。

 

少女交響曲』の強さをこの場で語る事はしない。この駄文を読んでもし興味が湧いたら様々なWUGのライブ映像を観て感じていただきたい。とは言え、楽曲が劇的に変化するワケじゃなく、違いがどこに表れているのかと言うと、私見の域ですが歌う者の生き様じゃないかなと。歌というものは嘘や誤魔化しが出来ないもの。不器用で真っ向勝負しか出来ない二人にしか出来なかった闘いの賜物。歌いきって、互いに振り返り手を合わせて握り合い繋がる指は吉岡さんと青山さんとの間にある確固たる証なのだろう。
映像越しながらも、存分に感じた燃え滾る衝動と、身震いさせられ鳥肌が立つ感覚は参戦した時と比肩するモノだった。


『挨拶が遅れたけれど、私達がWake Up,Girls!だ!!!!!!!』


こんな事七人は言ってない。なので、これは俺の完全な妄想だけれども……ツアー最終章に懸けた七人の想いがオープニングアクトに凝縮されていた様に思えてならなかったのである。

 

 

 もう一人の『縁』深い者の秘めたる想いと言の葉


 千秋楽の舞台となっていたのはWUGの聖地である仙台。
この仙台の地に最も縁深い人と言えば、仙台出身である永野愛理さんだ。(彼女の魅せ場についての所感は後述にて書き殴る)だが、ここでこれから書く『縁』を持つ人とは、永野さんと同じく東北に縁深い岩手出身奥野香耶さんの事である。

奥野さんは、千秋楽開演前に綴られたBlogにこう書き綴っていた。

 

今日明日、すっごく行きたかったけど来られなかったワグナーさんのことも思いながら、

今日私たちはステージに立っていましたよ。気持ち届いてたらいいなぁ。

悔いのない仙台公演を。感謝の気持ちを、

送ります。


Wake Up,Girls! Official Blog 今日は記念日に@かやたんより引用

 


 そして迎えた千秋楽のステージ。最初の挨拶で彼女は言う。

 

失う事に慣れるときはこないからさ、

だから、今、この数時間皆さんと共有出来るこの時間を

私は“ここで生きる”という意識で、

頑張ってこの夜公演やっていきたいと思います。

なので、皆さんも生きると感じながら

今、この時間を生きていこうじゃありませんか!

 

 

 菊間夏夜のキャラクターソング『Into The Light』の歌詞にある『失う事に慣れるときはこないからさ』から始まる彼女の言葉。何故、この楽曲から詞を引用して彼女は挨拶の第一声としたのか?当然、奥野さんの真意を窺い知る事は無理な話だが…失うという自然の理からはどうしても逃れられないモノで、刻が経つにつれてそれは薄れていくことではあるのだけれども、完全に消し去る事というのは不可能な話で幾ら重ねようとも慣れるという事はない。
だが、引用した詞の後の歌詞はこうなっていて、ここに彼女の真意=ここで生きるが在る様に思えるんだ。

 

 後悔はするもんか 裸足で歩いたこの軌跡


 ―菊間夏夜(CV:奥野香耶)『Into The Light』より引用

 

 今しかないこの場と瞬間と最期の刻を、悔いなく駆け抜けようという奥野さんの覚悟と決意。
皆に呼びかける様に奥野さんが言ったのは、共にその刻を共有しようという意を込めて手を差し伸べたのではないだろうか?ここで生きる≒WUG最期の仙台公演の刻という一期一会の場で欠けてはならなかったモノがあった。
七人の想い、真夢達七人の魂、ワグナーの情熱。このFINALTOURの最期の刻まで全力全開で楽しみ尽くす為に、皆の想い、魂、情熱を繋ぐ為に…


そして……奥野さんの真愛の情と想いが凝縮され我々に伝えたかったのが
『ハートライン』での落ちサビ前の魂の叫びだったんじゃないだろうか。

 

 

ワグナーさんへ、私達と出逢ってくれてどうもありがとう!


いつもどんな時も気持ちを共有してくれてありがとう!


だから、今考えてる事もきっと一緒だよね?!


私達はワグナーさんへの愛を込めて歌いますッ!!


だから、ワグナーさんも私達への愛を叫んでッ!!!!!!!

 

 

 おそらく、彼女は信じたかったのだと思う。自分自身に問う意味があって…そして、情熱をぶつけて来るワグナー諸氏の闘い続ける覚悟を。俺が知りうる狭い範囲でしかないのだけれど…奥野さんがここまで感情を剥き出しにして混じりっけのない想いを解放したのは、5周年ライブでの『七人誰も欠けなくて良かった』の言と、あの刻…6月15日での解散発表での言。他にもあるのだろうが…俺の中ではこの二つの件が強烈に印象付いているんだ。

穿った見方で捉えるのならば、彼女の発した思いの丈は表現者のエゴという押し付けがましいモノになるのだろう。でも、あの刻と場にはそういうマイナスの感情は(全てではないのだろうが…)無かったのだと思える。
いろいろと飾り立てた言の葉なんて要らないし伝わらない。偽りの無い『我』を貫いてただ愛を叫べと。

 あの熱狂と興奮の中、奥野さんの言の葉を正確に一語一句洩らさず聞き取れたという方はどれだけいたのだろうか?いたのかもしれないし、また、聞き取れなかったのかもしれない。
だけど、変わろうとする想いを持って、一歩踏み出した奥野香耶さんの勇気とツアーの軌跡を駆け抜けて来た彼女の生き様を肌で感じられたからこそ、愛を叫ぶ事で奥野さんの真愛の想いに応えたのではないだろうか。



奥野香耶さん。刻と場の境界線を越えて届きました。貴女の真愛の想いは。

 


 


 咲き誇った深愛という名の花

 

 あくまでも個人的な所感であるが…仙台公演の『要』を担ったアクトは、永野愛理さんのソロ楽曲『桜色クレッシェンド』と『minority emotions』だと思っている。この二つの楽曲は、彼女が好きな花として挙げている『桜』をモチーフにした楽曲だ。誤解も招くといかんので弁明させてもらうが、この企画コーナーのアクトである、ソロダンスパート、『outlander rhapsody』、『ハートライン』が見劣りしていたという事ではなくて、これらのアクトの印象を打ち消してしまう凄まじさがあの二曲にはあったと思っている。

 


まずは『minority emotions』

 

 

youtu.be

 

イントロが奏でられた直後から、映像で間接的に観ていても何だか胸に込み上げ眼が潤んで来ていた……曲調自体が哀愁感の強いモノだという事も要因なんだけれども、永野さんの歌っている表情が儚げで憂いを漂わせ、楽曲の雰囲気にブーストをかけているんだ。でも、この楽曲の真に伝えたいのは多数に押し潰される哀愁ではない。少数だけれど強い感情を爆ぜさせようとあがく楽曲なんだ。

紅葉が彩る中で僅かに咲こうと模索する桜を描写しているサビを歌ってる彼女にスイッチが入って、双眸の光がより煌びやかになって歌声にも力強さが増してくる。『顔で歌う』という喩えがあるが、このアクトでの永野さんはまさしく『顔で歌っていた』のが印象深いんだな。永野さんの儚い『静』の表情と強固な決意を秘めた『動』の表情。この相反する彼女の生の表情が加味された事で楽曲に本当の意味で『血』が通った様に思えてならない。音源のみではこの領域にまで辿り着けなかったと断言してもいい。

 

 
そして…『桜色クレッシェンド』

 

youtu.be


 仙台公演の企画コーナーを締め括るアクトでもあるが、ここまでの会場で披露されて来た企画コーナーのラストを飾るアクトでもある。桜の持つ綺麗だけれど儚いイメージ。その中で頑張って背中を押せる様な応援ソングになれればという想いを込めて彼女はこの楽曲に携った。春の桜はツアーPartⅢの副題にある『KADODE』=門出の季節を彩るモノでもあるが、別れや不安という逆の意味でもあり、曲入り前の雨音もそうなのだろう。表があれば裏があるのは当たり前。ネガティブな要素から目を背けて無かった事にするのではなく、向き合って見る事でしか知り得ない事がある。雨もまた桜を惹き立たせる重要な要素なのだと。

2番のサビを歌いきった間奏部分の所で、永野さんが右手を宙に掲げて親指と人差し指で何かを摘んだ様にして掌を閉じ、その右手を左胸に寄せ、大切なモノをしまうかの様な所作を彼女は見せた。あくまでも俺の印象だけども永野さんのこの所作がアクトの『要』となった最重要箇所であると観ていて感じた。

ここは掌を握りしめる様な所作でも間違いではないのだろう。でも、永野さんはこの所作に意味を持たせる為に指で摘む所作をしていたんだ。散りゆく花びらが示すのは未来への希望といったポジティブ要素でもあり、同時に不安といったネガティブ要素もあり……そして『縁』の記憶やさまざまな想い。それらを慈しむ様に指でそっと摘んで左胸=心・魂にしまっておく。拒絶ではなく全てを受け入れようという想いなのかと…

 

 出会い 始まり 楽しさ 満ちた春は

 別れ 終わり 悲しさ 背負う春で

 心まじわり揺さぶられる交差点に 君は立つ

 選んで 進まなくちゃ  


 ―永野愛理 『桜色クレッシェンド』より引用

 

 無駄な事なんて何にもない、全てが必要であって必然な事でそれも世の理。結ぶ縁の記憶と物語が繋がって今、そして未来の刻があって良い事に変えられるのも自分次第なんだと。
上記の箇所はそれを感じさせるものであるし、何よりも永野さんがこの公演と企画に懸けている並ならぬ想いが迸っていた様に画面越しでも伝わって来ている。


そして…ラスサビに差し掛かったところで彼女が叫ぶんだ。

 

『仙台の皆さん!本当に、本当にありがとうございましたッ!!!!!!!』

 

スクリーンに映し出されたVTRには、楽天球団職員の皆さん、伊達武将隊、たびのレシピさん、喫茶ビジュウさん、熊谷屋さんからのWUGへの感謝を綴ったメッセージが流れた。
七人が繋ぎ、大切にしてきた『縁』への感謝を綴った文面に七人への想いが集約されている気がして胸が熱くなった。
ラスサビを歌う永野さんの声が若干震えている様に聴こえた。伴奏にあわせようとチューニングしていたのもあるのだろうが、涙で詰まっていた様にも思える……でも、歌声の力は失われてはいなかった。
全力で歌いきって、再び感謝の想いを叫び、晴れやかな表情で深くお辞儀をする永野さんとスクリーンに表示された


『仙台の皆さん、本当にありがとうございました!』


 桜色の文字で綴られたおそらく永野さん直筆の感謝の念だ……
この言の葉に『我』を貫く為に懸けた想い、意地と覚悟、繋がった『縁』への感謝。
あの場に確かに存在していたのは、永野愛理が深愛の理を説いた様に思えてならない。

 

 

 

 さようならのパレード ~細部に宿した想いと魂~

 

 映像となって観れるのはこの仙台公演と、SSAの二回のみ。
分水嶺、生命の楽曲となった『Beyond the Bottom』切り札、集大成となった『Polaris
この楽曲はそれらに続くピリオドとなる楽曲。終わる事と、また逢える事を願い謳う歌。寂しい心情を歌ってはいるが、それに囚われてしまうのではなく、未来の刻に想いを馳せ前進していこうという強い決意を感じさせ奮い立たせてくれる楽曲でもある。後に発売されるSSAの映像ではおそらくまた違ったインプレッションを感じるだろうからそれもまた楽しみなところではある。

作編曲された神前暁さん曰く、この楽曲はまだ完成していないと。
真に完成させるには、七人の身体を動かす魂という無尽蔵のエネルギーがそれを成しえる。そういう真意を込めて七人に楽曲を託したのだろうと。それを踏まえて、このアクトを観て感じたのが所々で魅せた七人の手と指の所作がこのアクトの要で真に楽曲を完成させる最後のピースだったと俺は考えていて、指、手での所作の極致に達したのがラスサビでの一連の所作だったと。

 

 願い続けていたい あの時約束したでしょう 立ちむかうこと


 ―Wake Up,Girls!『さようならのパレード』より引用 

 

 『約束した』のところでの小指を立てて指きりする所作。指きりは約束を厳守する誓いの証明とも言われている。『あの時(刻)』とはおそらくは終焉の刻を我々に告げた6月のあの日だろう……そして、誓ってもくれたんだ。七人でいられる刻を大切にして、この七人で何かを成し遂げたい『想いと魂』を偽らず魅せ付ける事を。そして、『立ち向かうこと』の箇所、左胸を拳で叩き、指を差し出し真上へ掲げる所作も心揺さぶられる。

七人が纏っているMEMORIAL衣裳(正式な名称は不明なのでMEMORIAL衣裳と書く…)には歴代WUG楽曲から七曲の衣裳のワッペンが付けられている。左胸の位置に付いているのは『Polaris』衣裳のワッペン。左胸は鳴り止む事の無い生命の鼓動(リズム)と魂を宿す心臓の位置でもある。左胸という位置に七人が詞を紡いだ楽曲『Polaris』衣裳のワッペンを付けたのは、より特別な想いがあるからなのだと。
この先も共に在る想いや根源を成すモノ、当たり前だった事への感謝…前方を力強く指し宙に突き上げた所作は未来への軌跡をまっしぐらに進もう!という決意を歌声のみでは表現しきれない領域を身体全体、指先という小さな部分に伝えたい想いを注ぎ込んだのだろう。意識して振り付けて歌う事で曲の更なる限界領域を開放した。


 SSAに参戦して観た時には気付けなかった点を今回映像で見る事が出来た。
SSAのアクトを映像を改めて見る時にはまた違うインプレッションを感じられるのだろう。

 

 

 タチアガレ!~始まりと終わりが集う地で架かる虹色の心の光~

 

 この楽曲のイントロが流れた瞬間に来る血の滾り、空気が変わる感覚が心地いい。
それは映像で観て聴いてもなんら変わりが無い。前の『Beyond the Bottom』の余韻に浸りきっていたところに轟かせた吉岡さんの『いくぞぉぉっ!!』という魂の叫びと彼女の叫びに呼応してワグナーがWake Up,Girls!と吠える。やっぱり、この楽曲は独特で『Beyond the Bottom』とはまた違うゾーンがあって強い。また、原初の楽曲を、最後の衣裳であるMEMORIAL衣裳で歌い舞い踊る姿はなんだか感慨深いモノを感じるじゃないか。


今回のアクトの胆となったのは、青山さんが絶唱するソロパートだ。


 あの刻、始まりと終わりが集う地でそれは訪れた。ソロパートを絶唱する青山さんの様子がいつもとは違うんだ。彼女の歌声がハッキリと聴き取れてしまう感極まった涙声だったのだ。単に彼女の中で込み上げたというモノじゃなく何かを双眸で見てという感じから来るモノだった。眸を潤ませていたのは青山さんだけじゃなく他のメンバーも眸を潤ませながら曲を歌いきった。彼女達が眸を潤ませたその理由は客席を映し出したに判明したあの光景……

 

虹を描き、灯された七色の心の光。

 

 仙台公演二日目の夜公演で『タチアガレ!』の青山さんの落ちサビソロパートに合わせて会場を虹をイメージした七色で塗り分けようという企画が立案され呼びかけられた。コレは、運営側からではなくワグナーから湧き上がった企画だと言う。折って発光するタイプのサイリウムを会場全ての席に配布し、来るべき刻と機で一斉に七色の光を灯そうというモノだったと聞く。

俺はこの公演に参戦してない当事者側の人間ではなかったので、どうと言うモノはなくあれこれこの件について書き散らかすのも違うので文にはしないが、いろいろと人によっては思うところがあったのは想像できるのである。
この楽曲ではこの色の光じゃなきゃ駄目だという人もいただろうし、推しの子以外の色を灯すのに抵抗があった人もいないとも限らないし、単にこの企画に対し思う所あって非協力の姿勢でいた人もいただろう。
ここに俺が今書き散らかしているのはあくまでも暴論の域の話。ただ、各々に複雑な感情と想いがあった様に感じてもいる。結果で見ればだ……見事に客席が七色の虹の心の光で染まった。暴論ついでに言ってしまえば、参戦された方達はこういう心情になったんじゃないだろうか?


大勢に心を委ねて流されるまま…やってみる価値はあるんじゃないか。


 これは俺の勝手な解釈。でも、各々の複雑な感情や想いの境界線を超えて、あの七人が喜ぶのを見たいという純然な想いが勝り、繋がって起こった奇跡の瞬間だったのはおそらく間違いない真実なのだと…始まりと終わりが集った地と刻であの虹色に輝く心の光を見て感じたのは本当に素晴らしい景色だったと。

そして、最初の挨拶で吉岡茉祐さんが言ったこの言葉を思い出した。

 

今日はここに居る七人と、そしてキャラクター達七人。

合わせて14人で立っているつもりで頑張りたいと思います。

 

 

 真夢、藍里、実波、佳乃、菜々美、夏夜、未夕の想いと魂もあの場に在り……
彼女達七人もこの虹色に輝く心の光を一緒に見てたのだと思えてならなかった。

 

 

 終わりに

 

 また、長い文章になってしまった……
観て感じた情報の波に呑まれて、置き去りになってしまった魂の欠片を取り戻す意を込めて書き殴って来たのだけれど、余す所無く取り戻せたとは到底言えるモノではなかった。
映像を観て書いてるのなら参戦レポ書くより簡単だろうと思えるだろうが、そんな簡単にはいかないモノであるのを痛感させられる。観返せば観返す毎に新しい発見や見落としたモノに気付かされ、それを基にいろいろ落とし込んで、またいろいろな所感が湧いて来る堂々巡りだ。このKADODEの物語を語り継ぐのは本当に簡単なモノじゃない。


最後の挨拶で、永野愛理さんは言った。

 

Wake Up,Girls!も解散はしてしまうんですけど


いつまでも皆さんの心に咲いていれば


ずっとWake Up,Girls!Wake Up,Girls!だと思います。


この七人でWake Up,Girls!なんです。

 

 

 咲く季節が違っても桜は桜のまま。秋に咲いても『秋桜』にはならないと彼女は言いました。
往く道はそれぞれ違えても、WUGでいられた刻が無くなる事ではなく、知る人一人一人が、想い、語り継ぐ事で生き続けるという事なのだろう。きっと答えは一つじゃないし、その答えの中に『本気』もある事と思います。楽曲、映像を何度も観て聴いて七人でいられた刻と生き様を噛みしめる。一度きりの限られたものじゃなく何度も観返せるというのは本当にありがたい事。


そして、これからの刻で知った人には是非とも観てもらいたい。


 『Wake Up, Girls! FINAL TOUR ‐HOME‐ ~PART III KADODE~』LIVE Blu-ray素晴らしい内容だった。今回俺が書いたのはほんの一部に過ぎない。
是非とも実際に観てその魅力を探して感動していただきたい。

 

 

最後まで読んで下さって本当にありがとうございました。
また次の記事でお会いしましょう。

 

 

 

 

WUG楽曲メドレー動画(第二弾)を作ってみた。

 どうも。あかとんぼ弐号です。

昨年末に血迷って作ってしまったWUG楽曲メドレーの動画。
つい先日、また血迷ってしまい第二弾を作ってしまいました。
YouTubeニコニコ動画に私の渾身の駄作がUPされております。

動画とは名ばかりで静止画に楽曲貼っつけただけのモノですが…

 

 

ニコニコ動画

nico.ms

 

YouTube

youtu.be

 

 

 楽曲の方は以下の通りとなっております。

 

7 Senses 

Knock out

One In A BillionWake Up,Girls! ver.―

ハートライン ―Wake Up,Girls! ver.―

君とプログレ

雫の冠

ユメ、まっすぐ。

Party! Party!

ぽんとPUSH! もっとSMILE!

Dice of Life!

ドラマティックを君と

プライド

シャリラ!

Non stop diamond hope~Mayu ver.~

GloriA

now is the time

あのね

Trouble!? Travel

解放区

七つの海のコンサート

minority emotions

スキノスキル

SHIFT

Glossy World

無限大ILLUSION 2017

カケル×カケル

Jewelry Wonderland

Polaris

海そしてシャッター通り

言葉の結晶

土曜日のフライト

さようならのパレード

 

 

で…カケル×カケル、Jewelry Wonderland、Polaris、さようならのパレードの四曲には
ちょっとした小細工をしてあります。

 


こんなのでも、Wake Up,Girls!の楽曲を知る切っ掛けになってもらえるのならば…という想いで勝手ながら作ってしまいました。

 

雑で拙い編集ではありますが、興味がありましたら観てやって下さい。