『Wake Up, Girls! FINAL TOUR ‐HOME‐ ~PART III KADODE~』購入しました。
Wake Up, Girls! FINAL TOUR - HOME -~ PART III KADODE~ [Blu-ray]
- アーティスト: Girls! Wake Up
- 出版社/メーカー: エイベックス・ピクチャーズ
- 発売日: 2019/05/31
- メディア: Blu-ray
- この商品を含むブログを見る
このLIVE Blu-rayに収録されているのは、千秋楽仙台公演二日目の夜の部。
全33公演の最後となる公演の模様が収録されておる。
で、観終わった率直な感想なんだが……感動した、滾って激熱だったという印象なのは言うに及ばず。ただ、これらの言葉による所感で結論付けられるのならばこうして記事を書き殴ろうとはしていない。俺はこの公演に参戦していない人間。現地の席で直に体感したインプレッションと、刻が経って映像を観たインプレッションとの間には埋めきれない確固たる差はどうしても出てしまうモノである。勿論、双方のインプレッションに優劣を付けるのは滑稽な事だと思うのである。
現地でのインプレッションとはまた違うインプレッション。
それでしか感じ得なかった驚きや発見があった。上述の様に単に感動し、激熱という言葉では表現しきれなくて、映像と音が押し寄せる情報が処理して咀嚼出来るキャパシティを遥かに越えてしまったんだ。だから、観終わった後の感情として湧き上がってあるのはどうしていいか分からない『無』の感情なのである。
同じく映像で観たWUG5周年ライブや、ファイナルツアーPart2~FANTASIA~を観た直後も似た様な感情になったものだが、今回のはそれを軽く凌駕してしまっている。
そう、この感覚は実際に現地参戦して全力を出し尽くした後に襲ってくる虚無感と一緒なんだ。身体的な疲労は俯瞰で観ていていた分それほどではないのだが、心、魂はそうじゃなかった。
抜け落ちてしまった魂の欠片を取り戻すという意味を込めて…これから、七人のKADODEと
約束の地・さいたまスーパーアリーナへのTABIJI(旅路)の物語を可能な限り書き殴っていこうと思う。
少女交響曲~絶唱vs絶唱~
PartⅡシリーズのクロージングアクトはこの楽曲で終わっているので、まさに『Continue』と言わんばかりである。この楽曲は『攻め』の楽曲。七人が最終章の初手に持ってきたのは奇を衒わない全力全開の滾る想いをぶつけられる楽曲だ。
まぁ……先に書いてしまうが、滾る想いが最高潮に達して『要』となっているのが、散々当BlogのWUGライブ参戦レポにも書いている吉岡茉祐さんと青山吉能さんのソロパートなんだ。
疑うこと 覚えたらキリないけど
みんな弱いよね 私も同じ
人と人とが つながるって奇跡 次の瞬間
この手は離れるから
ごめん、さよなら
―Wake Up,Girls!『少女交響曲』より引用
見出しに絶唱vs絶唱と書いた様に、ここは吉岡さんの血が燃え滾るプラスのパッションの絶唱と、青山さんの身震いさせられ鳥肌が立つマイナスのパッションの絶唱との闘い。単純に音をなぞって歌い上げればいいなんて歌い方はしていなくて生半可な覚悟で彼女達はこのパートを歌っちゃいないのです。どちらかの熱が暴走したらここのパートは死ぬ。それを二人は思い知っているからこそ行き着く所の限界を越える為にそれぞれが踏み込んでいく。
背中を預けあえる存在でもあるし、でも絶対に負けたくない存在でもある。ハッキリ言ってキツいのは間違い無いんだが、彼女達はお互いに真っ向から向きあってそこから逃げずに戦い合った。それ故にこのアクトを観て来ていつも感じ最高を塗り替えて更新し続けている要因だと思えるのです。
こいつには負けられない。
こいつには勝てない、でも……逃げたくはない。
こいつなら行き着く所まで踏み込んで応えられる。
『少女交響曲』の強さをこの場で語る事はしない。この駄文を読んでもし興味が湧いたら様々なWUGのライブ映像を観て感じていただきたい。とは言え、楽曲が劇的に変化するワケじゃなく、違いがどこに表れているのかと言うと、私見の域ですが歌う者の生き様じゃないかなと。歌というものは嘘や誤魔化しが出来ないもの。不器用で真っ向勝負しか出来ない二人にしか出来なかった闘いの賜物。歌いきって、互いに振り返り手を合わせて握り合い繋がる指は吉岡さんと青山さんとの間にある確固たる証なのだろう。
映像越しながらも、存分に感じた燃え滾る衝動と、身震いさせられ鳥肌が立つ感覚は参戦した時と比肩するモノだった。
『挨拶が遅れたけれど、私達がWake Up,Girls!だ!!!!!!!』
こんな事七人は言ってない。なので、これは俺の完全な妄想だけれども……ツアー最終章に懸けた七人の想いがオープニングアクトに凝縮されていた様に思えてならなかったのである。
もう一人の『縁』深い者の秘めたる想いと言の葉
千秋楽の舞台となっていたのはWUGの聖地である仙台。
この仙台の地に最も縁深い人と言えば、仙台出身である永野愛理さんだ。(彼女の魅せ場についての所感は後述にて書き殴る)だが、ここでこれから書く『縁』を持つ人とは、永野さんと同じく東北に縁深い岩手出身奥野香耶さんの事である。
奥野さんは、千秋楽開演前に綴られたBlogにこう書き綴っていた。
今日明日、すっごく行きたかったけど来られなかったワグナーさんのことも思いながら、
今日私たちはステージに立っていましたよ。気持ち届いてたらいいなぁ。
悔いのない仙台公演を。感謝の気持ちを、
送ります。
―Wake Up,Girls! Official Blog 今日は記念日に@かやたんより引用
そして迎えた千秋楽のステージ。最初の挨拶で彼女は言う。
失う事に慣れるときはこないからさ、
だから、今、この数時間皆さんと共有出来るこの時間を
私は“ここで生きる”という意識で、
頑張ってこの夜公演やっていきたいと思います。
なので、皆さんも生きると感じながら
今、この時間を生きていこうじゃありませんか!
菊間夏夜のキャラクターソング『Into The Light』の歌詞にある『失う事に慣れるときはこないからさ』から始まる彼女の言葉。何故、この楽曲から詞を引用して彼女は挨拶の第一声としたのか?当然、奥野さんの真意を窺い知る事は無理な話だが…失うという自然の理からはどうしても逃れられないモノで、刻が経つにつれてそれは薄れていくことではあるのだけれども、完全に消し去る事というのは不可能な話で幾ら重ねようとも慣れるという事はない。
だが、引用した詞の後の歌詞はこうなっていて、ここに彼女の真意=ここで生きるが在る様に思えるんだ。
後悔はするもんか 裸足で歩いたこの軌跡
―菊間夏夜(CV:奥野香耶)『Into The Light』より引用
今しかないこの場と瞬間と最期の刻を、悔いなく駆け抜けようという奥野さんの覚悟と決意。
皆に呼びかける様に奥野さんが言ったのは、共にその刻を共有しようという意を込めて手を差し伸べたのではないだろうか?ここで生きる≒WUG最期の仙台公演の刻という一期一会の場で欠けてはならなかったモノがあった。
七人の想い、真夢達七人の魂、ワグナーの情熱。このFINALTOURの最期の刻まで全力全開で楽しみ尽くす為に、皆の想い、魂、情熱を繋ぐ為に…
そして……奥野さんの真愛の情と想いが凝縮され我々に伝えたかったのが
『ハートライン』での落ちサビ前の魂の叫びだったんじゃないだろうか。
ワグナーさんへ、私達と出逢ってくれてどうもありがとう!
いつもどんな時も気持ちを共有してくれてありがとう!
だから、今考えてる事もきっと一緒だよね?!
私達はワグナーさんへの愛を込めて歌いますッ!!
だから、ワグナーさんも私達への愛を叫んでッ!!!!!!!
おそらく、彼女は信じたかったのだと思う。自分自身に問う意味があって…そして、情熱をぶつけて来るワグナー諸氏の闘い続ける覚悟を。俺が知りうる狭い範囲でしかないのだけれど…奥野さんがここまで感情を剥き出しにして混じりっけのない想いを解放したのは、5周年ライブでの『七人誰も欠けなくて良かった』の言と、あの刻…6月15日での解散発表での言。他にもあるのだろうが…俺の中ではこの二つの件が強烈に印象付いているんだ。
穿った見方で捉えるのならば、彼女の発した思いの丈は表現者のエゴという押し付けがましいモノになるのだろう。でも、あの刻と場にはそういうマイナスの感情は(全てではないのだろうが…)無かったのだと思える。
いろいろと飾り立てた言の葉なんて要らないし伝わらない。偽りの無い『我』を貫いてただ愛を叫べと。
あの熱狂と興奮の中、奥野さんの言の葉を正確に一語一句洩らさず聞き取れたという方はどれだけいたのだろうか?いたのかもしれないし、また、聞き取れなかったのかもしれない。
だけど、変わろうとする想いを持って、一歩踏み出した奥野香耶さんの勇気とツアーの軌跡を駆け抜けて来た彼女の生き様を肌で感じられたからこそ、愛を叫ぶ事で奥野さんの真愛の想いに応えたのではないだろうか。
奥野香耶さん。刻と場の境界線を越えて届きました。貴女の真愛の想いは。
咲き誇った“深愛”という名の花
あくまでも個人的な所感であるが…仙台公演の『要』を担ったアクトは、永野愛理さんのソロ楽曲『桜色クレッシェンド』と『minority emotions』だと思っている。この二つの楽曲は、彼女が好きな花として挙げている『桜』をモチーフにした楽曲だ。誤解も招くといかんので弁明させてもらうが、この企画コーナーのアクトである、ソロダンスパート、『outlander rhapsody』、『ハートライン』が見劣りしていたという事ではなくて、これらのアクトの印象を打ち消してしまう凄まじさがあの二曲にはあったと思っている。
まずは『minority emotions』
イントロが奏でられた直後から、映像で間接的に観ていても何だか胸に込み上げ眼が潤んで来ていた……曲調自体が哀愁感の強いモノだという事も要因なんだけれども、永野さんの歌っている表情が儚げで憂いを漂わせ、楽曲の雰囲気にブーストをかけているんだ。でも、この楽曲の真に伝えたいのは多数に押し潰される哀愁ではない。少数だけれど強い感情を爆ぜさせようとあがく楽曲なんだ。
紅葉が彩る中で僅かに咲こうと模索する桜を描写しているサビを歌ってる彼女にスイッチが入って、双眸の光がより煌びやかになって歌声にも力強さが増してくる。『顔で歌う』という喩えがあるが、このアクトでの永野さんはまさしく『顔で歌っていた』のが印象深いんだな。永野さんの儚い『静』の表情と強固な決意を秘めた『動』の表情。この相反する彼女の生の表情が加味された事で楽曲に本当の意味で『血』が通った様に思えてならない。音源のみではこの領域にまで辿り着けなかったと断言してもいい。
そして…『桜色クレッシェンド』
仙台公演の企画コーナーを締め括るアクトでもあるが、ここまでの会場で披露されて来た企画コーナーのラストを飾るアクトでもある。桜の持つ綺麗だけれど儚いイメージ。その中で頑張って背中を押せる様な応援ソングになれればという想いを込めて彼女はこの楽曲に携った。春の桜はツアーPartⅢの副題にある『KADODE』=門出の季節を彩るモノでもあるが、別れや不安という逆の意味でもあり、曲入り前の雨音もそうなのだろう。表があれば裏があるのは当たり前。ネガティブな要素から目を背けて無かった事にするのではなく、向き合って見る事でしか知り得ない事がある。雨もまた桜を惹き立たせる重要な要素なのだと。
2番のサビを歌いきった間奏部分の所で、永野さんが右手を宙に掲げて親指と人差し指で何かを摘んだ様にして掌を閉じ、その右手を左胸に寄せ、大切なモノをしまうかの様な所作を彼女は見せた。あくまでも俺の印象だけども永野さんのこの所作がアクトの『要』となった最重要箇所であると観ていて感じた。
ここは掌を握りしめる様な所作でも間違いではないのだろう。でも、永野さんはこの所作に意味を持たせる為に指で摘む所作をしていたんだ。散りゆく花びらが示すのは未来への希望といったポジティブ要素でもあり、同時に不安といったネガティブ要素もあり……そして『縁』の記憶やさまざまな想い。それらを慈しむ様に指でそっと摘んで左胸=心・魂にしまっておく。拒絶ではなく全てを受け入れようという想いなのかと…
出会い 始まり 楽しさ 満ちた春は
別れ 終わり 悲しさ 背負う春で
心まじわり揺さぶられる交差点に 君は立つ
選んで 進まなくちゃ
―永野愛理 『桜色クレッシェンド』より引用
無駄な事なんて何にもない、全てが必要であって必然な事でそれも世の理。結ぶ縁の記憶と物語が繋がって今、そして未来の刻があって良い事に変えられるのも自分次第なんだと。
上記の箇所はそれを感じさせるものであるし、何よりも永野さんがこの公演と企画に懸けている並ならぬ想いが迸っていた様に画面越しでも伝わって来ている。
そして…ラスサビに差し掛かったところで彼女が叫ぶんだ。
『仙台の皆さん!本当に、本当にありがとうございましたッ!!!!!!!』
スクリーンに映し出されたVTRには、楽天球団職員の皆さん、伊達武将隊、たびのレシピさん、喫茶ビジュウさん、熊谷屋さんからのWUGへの感謝を綴ったメッセージが流れた。
七人が繋ぎ、大切にしてきた『縁』への感謝を綴った文面に七人への想いが集約されている気がして胸が熱くなった。
ラスサビを歌う永野さんの声が若干震えている様に聴こえた。伴奏にあわせようとチューニングしていたのもあるのだろうが、涙で詰まっていた様にも思える……でも、歌声の力は失われてはいなかった。
全力で歌いきって、再び感謝の想いを叫び、晴れやかな表情で深くお辞儀をする永野さんとスクリーンに表示された
『仙台の皆さん、本当にありがとうございました!』と
桜色の文字で綴られたおそらく永野さん直筆の感謝の念だ……
この言の葉に『我』を貫く為に懸けた想い、意地と覚悟、繋がった『縁』への感謝。
あの場に確かに存在していたのは、永野愛理が深愛の理を説いた様に思えてならない。
さようならのパレード ~細部に宿した想いと魂~
映像となって観れるのはこの仙台公演と、SSAの二回のみ。
分水嶺、生命の楽曲となった『Beyond the Bottom』切り札、集大成となった『Polaris』
この楽曲はそれらに続くピリオドとなる楽曲。終わる事と、また逢える事を願い謳う歌。寂しい心情を歌ってはいるが、それに囚われてしまうのではなく、未来の刻に想いを馳せ前進していこうという強い決意を感じさせ奮い立たせてくれる楽曲でもある。後に発売されるSSAの映像ではおそらくまた違ったインプレッションを感じるだろうからそれもまた楽しみなところではある。
作編曲された神前暁さん曰く、この楽曲はまだ完成していないと。
真に完成させるには、七人の身体を動かす魂という無尽蔵のエネルギーがそれを成しえる。そういう真意を込めて七人に楽曲を託したのだろうと。それを踏まえて、このアクトを観て感じたのが所々で魅せた七人の手と指の所作がこのアクトの要で真に楽曲を完成させる最後のピースだったと俺は考えていて、指、手での所作の極致に達したのがラスサビでの一連の所作だったと。
願い続けていたい あの時約束したでしょう 立ちむかうこと
―Wake Up,Girls!『さようならのパレード』より引用
『約束した』のところでの小指を立てて指きりする所作。指きりは約束を厳守する誓いの証明とも言われている。『あの時(刻)』とはおそらくは終焉の刻を我々に告げた6月のあの日だろう……そして、誓ってもくれたんだ。七人でいられる刻を大切にして、この七人で何かを成し遂げたい『想いと魂』を偽らず魅せ付ける事を。そして、『立ち向かうこと』の箇所、左胸を拳で叩き、指を差し出し真上へ掲げる所作も心揺さぶられる。
七人が纏っているMEMORIAL衣裳(正式な名称は不明なのでMEMORIAL衣裳と書く…)には歴代WUG楽曲から七曲の衣裳のワッペンが付けられている。左胸の位置に付いているのは『Polaris』衣裳のワッペン。左胸は鳴り止む事の無い生命の鼓動(リズム)と魂を宿す心臓の位置でもある。左胸という位置に七人が詞を紡いだ楽曲『Polaris』衣裳のワッペンを付けたのは、より特別な想いがあるからなのだと。
この先も共に在る想いや根源を成すモノ、当たり前だった事への感謝…前方を力強く指し宙に突き上げた所作は未来への軌跡をまっしぐらに進もう!という決意を歌声のみでは表現しきれない領域を身体全体、指先という小さな部分に伝えたい想いを注ぎ込んだのだろう。意識して振り付けて歌う事で曲の更なる限界領域を開放した。
SSAに参戦して観た時には気付けなかった点を今回映像で見る事が出来た。
SSAのアクトを映像を改めて見る時にはまた違うインプレッションを感じられるのだろう。
タチアガレ!~始まりと終わりが集う地で架かる虹色の心の光~
この楽曲のイントロが流れた瞬間に来る血の滾り、空気が変わる感覚が心地いい。
それは映像で観て聴いてもなんら変わりが無い。前の『Beyond the Bottom』の余韻に浸りきっていたところに轟かせた吉岡さんの『いくぞぉぉっ!!』という魂の叫びと彼女の叫びに呼応してワグナーが\Wake Up,Girls!/と吠える。やっぱり、この楽曲は独特で『Beyond the Bottom』とはまた違うゾーンがあって強い。また、原初の楽曲を、最後の衣裳であるMEMORIAL衣裳で歌い舞い踊る姿はなんだか感慨深いモノを感じるじゃないか。
今回のアクトの胆となったのは、青山さんが絶唱するソロパートだ。
あの刻、始まりと終わりが集う地でそれは訪れた。ソロパートを絶唱する青山さんの様子がいつもとは違うんだ。彼女の歌声がハッキリと聴き取れてしまう感極まった涙声だったのだ。単に彼女の中で込み上げたというモノじゃなく何かを双眸で見てという感じから来るモノだった。眸を潤ませていたのは青山さんだけじゃなく他のメンバーも眸を潤ませながら曲を歌いきった。彼女達が眸を潤ませたその理由は客席を映し出したに判明したあの光景……
虹を描き、灯された七色の心の光。
仙台公演二日目の夜公演で『タチアガレ!』の青山さんの落ちサビソロパートに合わせて会場を虹をイメージした七色で塗り分けようという企画が立案され呼びかけられた。コレは、運営側からではなくワグナーから湧き上がった企画だと言う。折って発光するタイプのサイリウムを会場全ての席に配布し、来るべき刻と機で一斉に七色の光を灯そうというモノだったと聞く。
俺はこの公演に参戦してない当事者側の人間ではなかったので、どうと言うモノはなくあれこれこの件について書き散らかすのも違うので文にはしないが、いろいろと人によっては思うところがあったのは想像できるのである。
この楽曲ではこの色の光じゃなきゃ駄目だという人もいただろうし、推しの子以外の色を灯すのに抵抗があった人もいないとも限らないし、単にこの企画に対し思う所あって非協力の姿勢でいた人もいただろう。
ここに俺が今書き散らかしているのはあくまでも暴論の域の話。ただ、各々に複雑な感情と想いがあった様に感じてもいる。結果で見ればだ……見事に客席が七色の虹の心の光で染まった。暴論ついでに言ってしまえば、参戦された方達はこういう心情になったんじゃないだろうか?
大勢に心を委ねて流されるまま…やってみる価値はあるんじゃないか。
これは俺の勝手な解釈。でも、各々の複雑な感情や想いの境界線を超えて、あの七人が喜ぶのを見たいという純然な想いが勝り、繋がって起こった奇跡の瞬間だったのはおそらく間違いない真実なのだと…始まりと終わりが集った地と刻であの虹色に輝く心の光を見て感じたのは本当に素晴らしい景色だったと。
そして、最初の挨拶で吉岡茉祐さんが言ったこの言葉を思い出した。
今日はここに居る七人と、そしてキャラクター達七人。
合わせて14人で立っているつもりで頑張りたいと思います。
真夢、藍里、実波、佳乃、菜々美、夏夜、未夕の想いと魂もあの場に在り……
彼女達七人もこの虹色に輝く心の光を一緒に見てたのだと思えてならなかった。
終わりに
また、長い文章になってしまった……
観て感じた情報の波に呑まれて、置き去りになってしまった魂の欠片を取り戻す意を込めて書き殴って来たのだけれど、余す所無く取り戻せたとは到底言えるモノではなかった。
映像を観て書いてるのなら参戦レポ書くより簡単だろうと思えるだろうが、そんな簡単にはいかないモノであるのを痛感させられる。観返せば観返す毎に新しい発見や見落としたモノに気付かされ、それを基にいろいろ落とし込んで、またいろいろな所感が湧いて来る堂々巡りだ。このKADODEの物語を語り継ぐのは本当に簡単なモノじゃない。
最後の挨拶で、永野愛理さんは言った。
Wake Up,Girls!も解散はしてしまうんですけど
いつまでも皆さんの心に咲いていれば
ずっとWake Up,Girls!はWake Up,Girls!だと思います。
この七人でWake Up,Girls!なんです。
咲く季節が違っても桜は桜のまま。秋に咲いても『秋桜』にはならないと彼女は言いました。
往く道はそれぞれ違えても、WUGでいられた刻が無くなる事ではなく、知る人一人一人が、想い、語り継ぐ事で生き続けるという事なのだろう。きっと答えは一つじゃないし、その答えの中に『本気』もある事と思います。楽曲、映像を何度も観て聴いて七人でいられた刻と生き様を噛みしめる。一度きりの限られたものじゃなく何度も観返せるというのは本当にありがたい事。
そして、これからの刻で知った人には是非とも観てもらいたい。
『Wake Up, Girls! FINAL TOUR ‐HOME‐ ~PART III KADODE~』LIVE Blu-ray素晴らしい内容だった。今回俺が書いたのはほんの一部に過ぎない。
是非とも実際に観てその魅力を探して感動していただきたい。
最後まで読んで下さって本当にありがとうございました。
また次の記事でお会いしましょう。