今回の記事は、ある楽曲達について別の切り口から導き出された独自考察となります。
『Wake Up,Girls!』の作中に於いて、アイドル達が歌う楽曲を誰が制作したのか?という視点で描写される事が多くあるのは、この物語を観た事がある人は承知の事と思われる。
制作者が明言され、制作過程やアイドル達に渡る経緯が描かれる楽曲もあるが、その一方で、どこの誰が作ったのかが分からない(設定が明らかになっていない)楽曲もある。自分もそうだが、後者の誰が作ったのかが分からん楽曲について様々な考えを巡らせて、独自の考察・解釈を持たれる人は結構いたりするものである。
で、作中に於いて楽曲制作者として存在が明確になっているのは……
Twinkle、早坂さん、佐藤勝子さん(サファイア麗子さん)、bvex、WUG(Polaris作詞のみ)。
そして、これは妄想の域であり公式設定ではない解釈の可能性として囁かれるのが、白木さん(…この人は設定としておそらく既に存在してる気はする)と、最近になって新たに一部で湧き出てきた人物として、I-1の鈴木玲奈作詞説。
こいつは俺の導きだした独自考察ではないし、この説を提唱された方の考察・解釈が成されていない現時点で俺が迂闊にこの場で書けない事だが……一つ理由を挙げるのなら、彼女の趣味にある『詞を書く』という事に注視されて一つの説として浮上してきたとだけここでは書かせてもらう。
と、まぁ…前置きが長くなってしまったので本題へと移ります。
前述に挙げた楽曲クリエーター陣。その中でWUGと非常に『縁』深い人がいます。それは早坂さんではない。勿論、彼もWUGと非常に『縁』深い人物ではありますが、より七人と縁深い人がいるのです。
その人とは、Twinkle(トゥインクル)という全国で活躍する二人組女性デュオグループ。
彼女達の説明をざっくりすると……
下詰み時代、彼女達は丹下社長に世話になっておりその恩義から、難航していたデビュー曲『タチアガレ!』の作詞・作曲の提供者になっている。それ以降もWUGに忠告とアドバイスを送っている。七人にとっては先輩・姉貴分に当たる存在。続・劇場版後編『Beyond the Bottom』で、アイドルの祭典に臨む為の楽曲制作のオファーを出していたが、同時期に彼女達も全国ツアーを控えその準備でオファーを辞退したが
WUGとTwinkleとの縁は健在で、楽曲提供もおそらく続けてありその先の物語へと続いていく。
今回の独自考察記事は、Twinkleが七人に託した新しい楽曲について書き殴ってみようと思います。
毎度の如く個人の思考に過ぎませんが、お時間が許せばお付き合い頂ければ幸いです。
Chapter1/巡る七つの星と翼~HIGAWARI PRINCESS
この楽曲の新たな物語が語られたのはソーシャルゲーム『Wake Up, Girls! 新星の天使』内のストーリーで語られている。この楽曲が七人に渡った刻はアイドルの祭典・2016の前とみていいだろう。新章の前日譚を描いた漫画作品『Wake Up, Girls! エターナル・センシズ』内でも、仙台凱旋ライブのセットリストを考えていた際に『HIGAWARI PRINCESS』の存在を示唆している台詞があることから、この時点でWUGに渡っていたものと思われる。『新星の天使』での時間軸も、『エターナル・センシズ』内と同じく、続・劇場版後編『Beyond the Bottom』と新章の間を繋いだ物語として描かれたというワケである。
さて…WUGの下にどういう経緯で『HIGAWARI PRINCESS』が渡ったのかだが…これは『新星の天使』で描かれていたのである。
作詞・作曲を手掛け提供したのは『Twinkle』によるモノだった。WUGの仙台での冠番組『わぐばん!』を観たTwinkleの二人がそこからインスパイアされて、一人一人が主役として輝ける事を感じ、あえてメインボーカルを想定しない、誰がメインでも歌いこなせる楽曲であり、祭典用の楽曲として七人に授けた…とされている。
これを知ったのはつい数日前の話であり、まぁ、衝撃的な事でもある。
(様々な事情で単に俺が知らなかっただけなんだがな…)
『BtB』で描かれていたアイドルの祭典・2015の本戦に臨むにあたって、未発表の新曲が必要となり、丹下社長は縁深い『Twinkle』に楽曲提供を依頼したが、多忙の為断らざるを得なかった。
二人にとっては、あの時果たせなかった事を果たしたかったという想いもあったと思えるだろうし、前述にある様に、この時点で見た今の七人の個性ならば歌えると信じて楽曲を託したのもあるのだろう。
話がずれてしまうが、ランガの三人をTwinkleが見て『カケル×カケル』を作ったとされていて、曲調をTwinkleの新境地だと久海菜々美が言及していた。
推測と暴論ではあるが…『HIGAWARI PRINCESS』の制作もTwinkleにとっての新しい挑戦だったのではないだろうか。
Chapter2/月と太陽~プラチナ・サンライズ
ここからの項で書く事は、完全な著者の妄想全開であるという事を予め宣言しておく。
『エターナル・センシズ』で、仙台公演(新章のツアーの事ではない)のセトリ会議の際、片山実波と七瀬佳乃が『プラチナ・サンライズ』をライブで歌いたいという台詞があった。作中でこの楽曲が歌われる事は無かったが、持ち曲としての公式設定はあったのだろう。そして、一切の言及はなされていないが…『セブンティーン・クライシス』も持ち歌としてあるモノとして自分は捉えている。そして、前述の『HIGAWARI PRINCESS』同様、この二曲もTwinkleが制作したのではないだろうかと自分は思えるのである。
このBlogの考察記事は九割方暴論で書いておるがwww
これも完全な妄想と暴論の域の話だが…この際気にしては負けなのでこのまま進める。
WUGの為に書き下した楽曲でもあるのだろうが……
色々と考え(妄想)を巡らせた結果、ある別の解釈が導き出されたのである。
(無論、作中限定での楽曲の役割に於いてであるが。)
『プラチナ・サンライズ』は元々Twinkleの楽曲。もしくはリリースする新曲として制作していたのではないだろうかと。
俺が言ったところで説得力の欠片すらないのは重々承知しておるが……これ、あながち的外れじゃない解釈だとも思っている。単純にそのままカバーバージョンとして提供したのか、原曲はTwinkleが歌い、実波と佳乃が歌うのは、メロディは原曲と一緒だが違う曲題(プラチナ・サンライズ)と詞をのせた楽曲という形という線もありうる。勿論、WUGの為だけの新曲として書き下ろした楽曲という線もある。
脱線するが、同じ曲に違う詞をのせた楽曲を同時にリリースされた楽曲という前例が実際に存在していて、氷室京介さんの『Claudia』と同時にリリースされたDAIGO☆STARDUST(現・DAIGO)のデビューシングル『MARIA』がそれになる。(曲調はアレンジされているが)興味が湧いた方はどうにかして聴いてみて下さい。
『タチアガレ!』の詞にある『日差し』と『明けない夜』。この楽曲の題にもあるサンライズ=夜明けから結び付けていくとするなら、この楽曲は『タチアガレ!』の系譜を継ぐ楽曲なのだろう。対面での魂との対話。並走して互いに限界領域の行き着く所まで突っ走る。詞の構成を見ていくとこれは七人で歌うというかはデュエットで歌う事を前提として書かれ『プラチナ・サンライズ』は『闘い』=『決闘』を思わせる楽曲だと思える。
どういった経緯と時期に、実波と佳乃に『プラチナ・サンライズ』が託されたのかは分からない。
一つの説として当てはまると勝手ながら思えるのは、『タチアガレ!』を提供した頃WUGにまだ島田真夢は加入していなかった。その状況はTwinkleは知っていただろう。色々あって後に真夢が歌うソロパートは最初、実波が担当していた。詞に、『夜と朝がぶつかる』とある。自分が実波と佳乃の印象としてあるのは、実波=太陽(朝)、佳乃=月(夜)の印象なのだ。
Twinkleが感じたインスピレーションと楽曲『プラチナ・サンライズ』との相性が実波と佳乃に見事に合致し楽曲を託したのではないだろうか。
Chapter3/系譜を継ぐ楽曲~セブンティーン・クライシス
『セブンティーン・クライシス』の存在自体、作中では一切言及されていない…。
だが、この楽曲とTwinkleという要素を加味して考えると存在を無視出来ない様に思えるのだ。
(まぁ、これも後付け感満載ではある……)
『プラチナ・サンライズ』と同様にこの楽曲もTwinkleから提供され
WUGの持ち歌としてあるものとして捉え考察を書き進めていく。
ダンスチューン色が強い曲調に注視してこの楽曲を見ていくと、bvexが制作した『素顔で KISS ME』と似系譜になるだろうが詞の世界観はまるで違う。『プラチナ・サンライズ』の項では、Twinkleが歌う楽曲、もしくはタイトルと詞を変え提供したと書いたが、『セブンティーン・クライシス』は最初からWUGへの新曲として書き下ろした楽曲であると思えるのです。その最たる理由はこれもTwinkle提供による楽曲『16歳のアガペー』の系譜を継ぐ後継・続編曲である事を強烈に印象付けさせているからでしょう。
メンバー構成、二つの楽曲の共通項と世界観については書き出すとまた長くなるので本稿では端折らせてもらうが…。とにかく、『16歳のアガペー』と『セブンティーン・クライシス』との結び付きは非常に大きなモノとしてあるという事だけは伝えておきたい。
この楽曲もどの時期に作られWUGに託されたのかは分からない。
『HIGAWARI PRINCESS』と同時期なのか?『BtB』作中でのプロモーション活動時に楽曲はもうあったという説も思い浮かぶ。……と、考え始めたらキリは無いし明確な答えも無いが……
詞にある『大人への階段』や危機・転換点を意味する『クライシス』という語句。
危機的状況と言えば、WUGは常に逆境と背合わせで軌跡を駆けてきた。それらを乗り越え七人は成長してここまで来た。それは『大人への階段』を登っていく事なのだろうし、転換点でもあるのだと。
最後に。
つい先日、ソーシャルゲーム『Wake Up, Girls! 新星の天使』のサービスが終了した。
自分は、プレイする機会が無く、そんな奴がゲーム内でのエピソードについてモノを書くのはおこがましい事であるのは痛感している。更に言ってしまえばこの期に及んで終わった物語について、色々考えてもしょうがないじゃないかと思われる人もいるだろう。その意見に真っ向から噛み付いて反論して、『分かってくれ!』と叫ぶつもりもない。
けど、終わった物語を見返し、再考する事に資格や許可なんてモノは無い。
この独自考察を書く切っ掛けと楽曲に向き合い再考する機を終焉の刻で与えてくれた事。それは本当にありがたかった事だったのです。
運営、本当にお疲れ様でした。そして…描ききれなかった部分を補完する物語を別の形で紡いでいただいてありがとうございました。
相変わらず散漫としておりますが、こんなところで本稿を締めたいと思います。
最後まで読んで下さりありがとうございました。