どうも。あかとんぼ弐号です。
本稿は『Wake Up, Girls! Advent Calendar 2020』12日目 の担当記事になります。 一昨年、昨年に続いて、Wake Up, Girls! Advent Calendar へ寄稿致しました。今年もまた宜しくお願い致します。
adventar.org
一昨年に書いたモノ
akatonbo02.hatenablog.jp
昨年に書いたモノ
akatonbo02.hatenablog.jp
『Wake Up, Girls!』関連の愛がある記事なら何でもOKという事が 『Wake Up, Girls! Advent Calendar 』のレギュレーション。
今年も、持っている全部をまたぶつけるチャンスが与えられた気がした。 毎年、情熱滾る素晴らしい記事(俺の書いたモノは除外) ばかりだが、今年はその熱量が異様に違ってきていて、参加された方々のロジック&エモーションが溢れ出る素晴らしい記事揃いに慄くばかり……
語彙力&文章力のない自分が寄稿するのは甚だ場違い感満載であるが、自分に出来る限界まで踏み込んである二曲の話をこれから書き殴ってみようと思います。
その楽曲は『TUNAGO』と『Polaris 』。
これから書き殴る楽曲の解釈と考察については、あくまでも自分の主観によるモノ。 これが正しいというつもりは微塵も ありません。
読まれる方の主観とは全く異なる可能性が大いにありますので、読まれる前にその点は予めご了承願います。
私たちが架け橋となって たくさんのつながりができますようにと願い。
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そして……刻を越え、ずっと先の何億光年も輝ける思い出の様にと七人は誓う。
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約束の地で迎えた最期の刻で、手を差し伸べ肩を組み合って謳う七人の姿は どんな言の葉の賛辞をもって形容しても霞んでしまう程に綺麗だった。
それは、燃え尽きる前に一瞬だけ爆ぜて燃え盛るモノではなく ずっと先の未来の刻へ燃え続ける為の希望の火のように。
そして、そんな七人の傍らには、確かにもう七人の少女達の姿があった。
血の繋がりよりも濃く固い縁で繋がった者達、全ての刻に意味を持たせるアンセム 。
数多のWUG楽曲の中に於いて、彼女達七人を取り巻くあらゆる『縁』との繋がりに感謝の念とこの七人にしか謳う事が出来ないアンセム でありOnly oneの極致 にある楽曲。Only one ってなんぞや?と思われたら……島田真夢の劇中の台詞
『私たちじゃなきゃ駄目って曲が歌いたい』 がOnly oneの極致 だと思ってもらえればいい。
生命の謳である『Beyond the Bottom 』や原初の楽曲にしてアンセム である 『タチアガレ!』もこのOnly oneの系譜に存在している楽曲だが、この二曲とはまた違うOnly oneの極致に存在する特殊で特別な楽曲が『TUNAGO』と『Polaris 』だと自分は思っている。
まぁ、Only oneだのアンセム だのと勝手に言っておるのは俺だけだが……
『TUNAGO』はWUGに最も深い縁がある東北の地への想いが色濃く反映されている。 更にはそこだけには限らない望郷の念をテーマにしている楽曲。また、魂の拠り所や、巡り逢いと関わり合いの『縁』も故郷の一部である様にも捉えられ、季節の巡りを『円』という捉え方も出来る様に思える。
曲名がヘボン式 ローマ字で7文字の『TSUNAGO』ではなく、訓令式 ローマ字の6文字の『TUNAGO』となっているのは東北6県の『6』 に因んでいる為であると 作詞された只野菜摘 氏は言及している。
楽曲がリリースした2017年。この年はWUGにとって様々な繋がりのあった年でもある。 色々なその繋がりへの詳細な言及は本稿では省くが、アニメの新作『新章』へと至るのもその一つだ。但し、この楽曲とアニメサイドへの繋がりは全く無い。
そして、『Polaris 』。この楽曲の最大の特色が、詞をWUGメンバー七人が綴った事だ。
wakeupgirls3.jp
この楽曲もメッセージ性の強い楽曲で、一方通行だけの想いだけじゃ意味の無い双方向へと想いを巡らせ行き来させる事。曲題のPolaris =北極星 とその近くで輝く北斗七星をWUGとファンとの関係性になぞらえ盛り込み、東北の地への想いや人の抱くネガティブな感情や性(さが)も詞に綴られているため、WUG楽曲の集大成と呼ぶに相応しい楽曲となった。
楽曲のみで捉えた時、前述でも触れているが『TUNAGO』はアニメサイドのWUGとは全く繋がりの無い楽曲。 一方『Polaris 』は『Wake Up, Girls! 新章 』の挿入歌であり、後半の物語の核になる楽曲。更には、アニメ本編だけに留まらず、舞台二作目『青葉の軌跡』にも『Polaris 』へ繋がる軌跡を匂わせる演出が織り込まれている。
これだけを見るとこの二曲の直接的な繋がりは濃いモノじゃない。 『TUNAGO』はアニメの楽曲ではなく、アーティスト・WUGの『貌』(かお)として謳った楽曲。
でも、この二曲は濃い繋がりを持つ楽曲だと思っている。 繋げている要素は、前述にある東北の地への想いは勿論。縁への感謝の想いであると。 そして、巡り廻る刻の流れや魂、生命の繋がりにまでその想いは込められている。 WUGが見せた『貌』はそれぞれ違うが魂は失っていない。
彼女達は『Polaris 』の一節にこんな言の葉を綴った。それがありとあらゆる繋がりを指し示す言の葉であると感じられるのだ。
その言の葉は『未来と今ツナグ』 である。
これは二曲共通に出て来るフレーズ。今の瞬間の繋がりだけを謳うのではなく、未来の刻への想いと願いを込めた。いつかは終わってしまう事を七人は覚悟して、自らに諭す意味合いもあったのかもしれないと自分は勝手に思っている。
終わらせる事で凝縮された刻の輝きが尊い モノになる。
終わらせる事で新しい夢が生まれる。
七人はきっちり終わらせる事に意味があると信じて覚悟して決断した。
Wake Up, Girls!の活動が終焉を迎えた今の刻。 でも、彼女達がその六年の軌跡で本気で繋いで来たモノに嘘は無い。 誰の替わりもきかないこの七人にしかできないパフォーマンスと絆があった。
『ふるさとがにぎわい広がっていく』 と『TUNAGO』のサビの節にあり『つながってみちびいて輝いて』 の節にて『Polaris 』は歌い終わる。私見 の域ではあるのだけれど……これらの楽曲の系譜の根幹を成す要素であり、七人の夢と願いなのかもしれない。
『ふるさと』は東北を指す言葉なのは間違いない。だが、彼女達自身=WUGの事 を指している様に自分はここ最近思えて来ている。更に言うと彼女達の軌跡にはこの『ふるさと』を守り、盛り立てようとする闘いの軌跡でもあったと思えるのだ。
『TUNAGO』のサビの振付を皆で一緒に踊ろうと、4thツアーが開幕する前に呼びかけた。その呼びかけに応えてツアーを経ていく毎にその人数は増していって、更にはサビの一節を皆が合唱する事態にまで昇華した。 楽曲というモノは成長するモノ。単純に歌う者の生き様だったり技量や経験でそれを成す事もあるが、観客を巻き込んで成長していくケースもある。『Polaris 』も『TUNAGO』と同系譜の楽曲と評したのはもう一つの理由は、この楽曲も同じ経緯でもって成長を遂げた繋がりの楽曲だという事。特に、『Polaris 』の場合それが顕著だ。
最期となった『Wake Up, Girls! FINAL TOUR - HOME -』その全ての公演で謳われただけではなく、詞を紡ぐ過程をあの七人(真夢達)の魂を憑依させて、朗読劇という形式でこの楽曲の物語に更なる彩りと魂を込めた。間奏で七人は客席側ではなくそれぞれが向かい合って『円』 となる。その円舞の中に七人の傍らに常に寄り添った真夢達の魂も円に加わっているのだろう。
最も特徴的なのは、ラスサビにてメンバー七人が横一直線に並んで肩を組んでシンガロングする所で観客も一緒に肩を組んで歌う所だろう。この暗黙的な流れも、ファイナルツアーを経ていく毎に定着し、それに伴う形として落ちサビを謳う吉岡茉祐 さんのパートの所で、彼女のイメージカラーである赤にブレードの光を変えていく行為も定着していった。
相応しい表現ではないのは承知だが、個人的にこれは言い続けていく。
純白で輝く心の光が、吉岡茉祐 の”魂の絶唱 ” で血を流したような赤の光に染まっていく。 それは、『Polaris 』という楽曲が真に生命が宿った刻。
たら~ればの話だが、ステージを囲む様な座席の配置になっていれば……肩を組んだ繋がりが円になる。これも生命の繋がりと称していいと思えてしまう。
『円』と『縁』は切れなければ終わる事のないワルツの様なモノ。 巡り逢い、惹かれて、繋がる。バラバラで雑多な輝きの個を一括りの円と縁に繋げた。 それは客席にいた人達も同じ。だから、いろんなモノを導いて繋がって、輝かせたのだと。
…まぁ、ここまで散々書き殴っておいてアレだけれども、ライブ<楽曲の物語・世界観の方向性で書いていこうとしたが、書き殴っていくうちに熱を帯びていってしまい結局の所はベクトルが完全に入れ替わった形になってしまったが……
ただ、ライブという特殊で特別な刻と場があって、想いと魂を共有して繋がろうと七人はその手を差し出し、ワグナー諸氏は、その差し出された手を払い除けるのではなく繋がろうと応えた偽り無い真実は何よりも尊い モノだと思えてならない。
そして、その『ふるさと』=WUGへ導かれる広がりは終焉の刻を過ぎてもなお、新しい広がりを続けてこんな声をよく耳にする。
『解散しちゃったけど、今更ながらWUGにハマった』
『解散後、初めてWUGを観た』…etc
続いていようが、終わってしまっていようが、良いモノは良いんだと声をあげて吠える。 それは異論を挟めるモノじゃない。でも、負い目や申し訳なさを感じるだろう、中には一部の心無いアホがほざく『今更知っても遅い』とか『いい時を知らない奴』なんて戯言なんざ聞く耳 持たなくていい。そう、我慢せずに『好き』という思いの丈を吐き出せばいい。
散って枯れて、記憶から忘れ去られても、僅かな切っ掛けと巡る季節の刻を経て再び芽吹いてやがて花を咲かせ新たに円を形作り縁を繋ぐ。
悩むときがある 答え見つけ出す 紡いできた時間があるから 包み込む力にできる
―Wake Up, Girls!『TUNAGO』より引用
アンフェアの理で満ちた世の中だが、あらゆるモノが絶対に逃れる事が出来ないフェアな理が存在している。
それは、刻(季節)の巡りは平等に存在している事だ。
WUGメンバーではなく、新たな軌跡を一人の声優・表現者 として日々を生きているあの七人。そして、WUGが存在していない今を生きる我々。変わった事はあるけども、季節の巡りは淡々と何事も無かったかのように変わらずに流れている。
永遠不変なモノはなく全てのものは移り変わって、あらゆるものは思い通りにならない。
けど、七人が残したあらゆるモノは『アーカイブ 』として今も尚在り続けている。
それはきっと、これから未来の刻で新たに知り、惹かれていく人は増えていくのだろう。
楽曲からか、ライブ映像なのか、人に薦められたか、七人の誰かが出演している作品や番組だったりを観てという分かり易い要素からか。また、何か見えないモノに引き寄せられるオカルトチックな要素なのか……
何の要素が切っ掛けになってWUGという『円』 の中へ導かれて辿り着いたのかは人それぞれ。人が巡り出逢える『縁』 は限られたモノだと思う。それに繋がれるという事は奇跡でもあり、当たり前の事じゃない。それは声高らかに吠えて誇っていい。
踏み込んだ先は、アウェーじゃない。それぞれの『ふるさと』=『HOME』。
どこから始まろうと遅いなんて事はない。いつだっていい。WUGはまだ間に合う のだから。
これまでのワグナーとの繋がりが広がったものがあったからこそ『点と点が結んだ場所が繋がって輝く一つの絵になる』 と七人は謳った。
WUGの何かに触れて感じたそのままの想いがその人にしか表現できない『絵』となる。 それは『絵』という言葉に拘らずどんなカタチでもいい。解き放ってみて下さい。 難しい事ではあるけど、それが物語が続いていって未来の刻で新しく知ってもらえる事に繋がっていくのだと。
自分も完全に書きたい事が尽き果てるまでWUGについて書く事はやめない。
これまでBlogに書いて来た記事は色々ある。作品や楽曲の所感や考察。 参戦したWUGライブのレポ。メンバーの魅力について書き殴ったモノ……etc
現に今ここに書き殴った楽曲の独自考察は、過去に記事として挙げたヤツだ。
別の角度や今の刻で新しく感じた要素に焦点を当てて、再考して導き出されたモノがあった。一つの結論に捉われず、様々な視点と感性で向かい合ってまた考えるのは本当に大事で面白いものでそれは作品に深みが広がっていく。これに気付かせてくれたのもWUG。
この駄文Blogに220記事以上もWUGに関する記事を書き殴っておいてまだ尽きないのかと辟易されるでしょうが……(苦笑)終わった今だからこそ動いて伝え続けるべきだと勝手ながら思うのです。まだまだ彼女達が世に遺したものについて語り継ぎたい。 様々な視点で触れて…ドキドキして、ワクワクしたい。
ただの自己満足とエゴなのは承知の上だ。終わったモノに未だに縋っている見苦しいヤツだと嗤いたきゃ嗤えばいい。嗤っているだけで何もしてないお前らの為に書いてるワケじゃねぇ。書きたいから書いておるだけだ。
一つの作品でここまで書き殴ったのは『Wake Up, Girls!』が初めてだ。 そこまで書く事へのモチベーションを突き動かされたのは、WUGが人の何かを変えて実際に動かせる程の力を持つ作品だからなのだろう。それは今も続くモノだ。
それを発信して証明したい。あの七人が残してくれたモノ、自分の中の色々なモノを繋げてくれた対象への感謝を叫び続けたい。それが今なお続く俺の第二章の闘いなのだ。
少しでも…この小さな場所から一人でも多くの方に『Wake Up, Girls!』を知って欲しい。 そんな一心で執っている行動で円と縁が広がってくれるのならこんなに嬉しい事はない。
あとがき
今年の記事も、何とか無事に書き終える事が出来ました。
(内容の出来については知らん。ボロクソに叩かれる未来しか見えないwww)
今年も、前の二回同様にLIVE会場で聴いたWUG楽曲へのインプレッションを書き殴ろうか?あるいは、五年前のこの日に開催された WUGフェス2015『Wake Up, Girls!Festa. 2015 Beyond the Bottom Extend.』 に思いを耽る的な記事を書き殴ろうかと考えておりました。
(12/12に寄稿エントリーした理由はその為だったりしている……)
ただ、毎回同じテイストの記事ばかりになってしまう事と、冬の幕張に関しては一昨年のAdvent Calendarの中に書いてもいるし、色々と考えた末にそれが本当に今の自分が書きたいモノではない答に辿り着き、今のWUG界隈の状況を思わせる様な二つの楽曲『TUNAGO』と『Polaris 』の新しい解釈を形にして今回はそれを世に解き放ちたいと思い筆を執らせていただきました。
ロジックやエモーションの欠片も無い、ただただ熱苦しく見苦しい駄文ではありますが……最後まで読んで下さり、本当にありがとうございました。