巡礼者のかく語りき

自由気ままに書き綴る雑記帳

Release of soul and Instinct(魂と本能の解放)/青山吉能ソロ楽曲・解放区所感

 今回のソロイベ楽曲の所感&独自考察を書くに当たって
最も自分が頭を悩ませたのが……書いていく順番と形式でした。
前回ソロ楽曲の時は、CD収録順で七人まとめて書いていく形式。

まず、書く形式ですが前回と同様にしようかと思っていましたが
聴き込んでおるうちに、前回以上の密度の濃さに驚愕し
ライブ参戦レポ並み…もしくはそれ以上のモノになってしまうのは明らかで
加えて、各曲で掘り下げて書きたい考察もありましたし

 

 

あとは……俺の気力が最後まで持たない事が判明したwww

 

 

そして、書いていく順番……コレは本当に悩み頭を本気で抱えました。
書きたい楽曲からにするのか?ソロイベントの公演順か?CDの収録順か?
様々な考えが頭を駆け巡った。
順番についてこんなに考えさせられた最大の要因は
今回所感を書き綴るこの楽曲の存在と俺に与えた印象が激熱なものだった。


で……もう、予め言っておきますが
今回の記事はいつも以上に熱苦しい文面になるかと思います。
初夏に差し掛かっているこの時期にも、周囲のあらゆる物を燃料として
燃やし尽くしてしまってこれしか暖を取るものがないという方におすすめします。

 


 解放区/青山吉能さん

 

 

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 まず、楽曲のみフルを初聴しての率直な第一印象は
ロックテイストとジャズテイスト、そのどちらの要素が主張し過ぎる事のない
疾走感溢れる曲調と青山さんの凜然で清涼感のある歌声との合致具合が見事。

青山さん曰く、この楽曲は自分から自分へと向けた応援歌との事。
応援歌によく見受けられる表現である前向きな語や背を押す様な語で
構成されてはいなくて、どちらかといえば
自身の負の感情に抗う心情や立ち向かう闘志を奮い湧かせていく様な
歌詞の描写が大きな特徴なのかと感じた。
特に、『負けない』と『超えたい』の語を繰り返している箇所は
激情する感情を描写していると思わせる。この辺の考察は後述にて書ければと。


そして、青山さんの歌唱も抗う事や感情を奮い立たせる事を
印象付けさせていく様な感じであり、歌い出しは感情を抑えた歌声で
サビ前へと突入していくあたりから、徐々に力強い歌声に変わっていき……
サビで、一気に抑え込んでいた感情が爆ぜるかの様な


解き放たれる彼女の歌声は"血の流れる絶唱"の域へと進化する。

 

 可能性へと挑みたい 

 誰のためでもないわたしだけの自由な意志で  

 おさえつけた情熱じゃ夢も見れない


 ―青山吉能『解放区』より引用

 

自身を覆い尽くそうとする負の感情に抗い
可能性に挑む気概を奮い立たせ、燃え滾り湧き立つ感情を解き放つ想いを込めた。
上記の部分は、その抗いや爆ぜる感情を表した歌詞ではないだろうか。


 度々書いて来ましたが、青山さんがこれまでに聴かせてくれた
所謂『ゾーン』の領域に突入している時の彼女の歌声を"絶唱"と称して来ました。
ですが…この楽曲での彼女の絶唱はこれまでとは一線を画した様な
聴き惚れされようという事じゃなく、叩き上げの魂を剥き出しにし
荒削りで形振り構わない激熱なもの。


楽曲に込めた一切の小細工と偽りがない青山吉能さんの真っ向から挑み
全てを出し尽す全力全開の想いと魂を存分に感じさせる激熱な楽曲だと思います。

 


 前回のソロ楽曲同様、いや、前回以上に
七曲それぞれに七人の本気の想いと魂が存分に込められた楽曲揃いですが
青山さんの『解放区』にはそれを特に強烈に熱く感じさせる。
前作の『わたしの樹』の続編的な楽曲であるという要素もあるのでしょうが
俺は、彼女が表現者(声優)となり初めて演じるキャラクターになった 
七瀬佳乃の存在を無視して捉える事が出来ないと考える。


 完全な妄想だが、その七瀬佳乃の4曲のキャラソン
『ステラ・ドライブ』『青い月のシャングリラ』
『Dice of Life!』『Non stop diamond hope~Yoshino ver~』の系譜
この『解放区』には継承されている様にも俺は思えてならない。

自分の中に眠る未知の可能性や、目標に向け直向きに挑む強固な決意。
いろいろな事に翻弄されながらも抗い挑み続ける直向きな姿勢。
努力が完全に報われる保障があるわけではないが
動かなきゃ何も変わらないし掴めないモノがある事。
この4種のキャラソンで表しているのはざっくりした表現で恐縮ですが
自らの可能性を信じて挑む気概を表した楽曲達。

常に真っ向勝負。気持ちで絶対に逃げず向かう気概。
不器用でも不恰好でも厭わない姿勢を七瀬佳乃と青山吉能さんから感じる。
青山さんに魂を吹き込まれた事で存在している佳乃と
佳乃の存在によって更なる可能性に挑戦出来る機を得た青山さん。
これは単にキャストとキャラクターとの境界を超えたものにも思えるし
佳乃のキャラソンの系譜も取り入れた事は
共に軌跡を歩んで来た七瀬佳乃への最大の敬意と感謝の様にも思えてならない。

 

 話を戻しますが、この楽曲は自分から自分にに向けた応援歌との事で
あと、万人に届かなくとも誰か一人に強烈な『楔』を撃ち込む楽曲になればいいと
青山さんはこの『解放区』に想いと魂を込めたそうです。


でも……それは単なる建前に過ぎないと俺は勝手に思っている。
勿論、青山さんも聴いた人全ての心に響かせるものを届ける事が
困難で厳しいものという事を痛感してるでしょう。
その領域に挑むというのは言わば神の領域へ挑むのと同義。
だが、彼女はそれを承知の上でその領域へと挑んでいる様に思えるんです。
彼女の本音として秘めてるのは聴いてくれた全ての人に響く絶唱を届けたい。
楽曲に込めた本気の想いを知ってもらいたいと思っているのではないでしょうか。
だからこそ、常に全力で挑み完全燃焼するかの様に出し尽くそうとしていく……

ソロイベントで彼女がこの楽曲のアクトの録画&限定配信によって
参戦出来なかった人達へ何としても
自分の絶唱を届けたいと思い立って行動を起こし実現へと導いた。
先述にも書いたが、『超えたい』『負けない』と歌詞にあるが
彼女の秘めている本音としておそらくあったのが一人でも多くの人へ
『魅せたい』『届けたい』!!という純然な気持ちではないかと思える。


 あと、気になっていた箇所がありまして……
いつかに期待してみても、いいんじゃない?という節の部分と
超えたいと負けないという部分であります。
『いつか』という語は彼女に巡って来る好機の機会と自分は解釈した。
この『いつか』という機は挑む事を諦めた者には巡って来ない。
諦めず、直向きに挑んで来た者にしか与えられない特権なのである。
なりたい自分になれるのか?と不安に苛まれたのはおそらく数え切れない
それでも諦めない、わたしはわたしになる≒理想の姿を思い描いて
雄飛の機と刻が必ず訪れると信じて
決して諦めずに自らを研鑽し雌伏の刻を耐え忍んだのではないでしょうか…
この節にも短いながらも青山さんの想いが秘めていると自分は感じている。


で、超えたいや負けないの箇所。この部分は繰り返しになっているんですが
単に終わらせた場合どうしても印象が薄くなってしまう。
上述にも書いたが、繰り返して表現していくと激情がダイレクトに伝わり易いし
解き放つ激情を表した様でもあり、また、自身を奮い立たせる表現で
ままならない状況だったり、折れそうな魂を奮起させる激熱さが堪らなくいい。

 

 自ら発信するものを介して多くの想いと魂が繋がる事……
一方通行の想いだけでは意味が無い。双方向や多数に想いを行き届かせる事。
それが、表現者青山吉能が思い描いた理想の形と姿なのでしょう。
けれども、全身全霊を込めた絶唱を響かせてもそれは叶わない事かもしれない
まして、表現するものには正解や満点が存在しない世界でもある。
完璧に歌ったと思っていても響かない時は響かないものだったりする。
彼女が挑む領域は雲を掴む様な行為。んな事、青山さんは痛感している。

それでもだ、万人に届けるのなんて無理とは言っていても
彼女は僅かな可能性をやっぱりどこかで頑なに信じていて挑んでいく。
諦めて立ち止まってしまったら、彼女が彼女ではなくなってしまう。
絶対に諦めないでただひたすらに走り続け
自分の意志(気持ち)を見失う事はなく貫く決意と覚悟がある。


立ち止まって考えている暇なんてない。
彼女は今後も直向きに形振り構わず全力で突っ走る事でしょう。
その道が険しい獣道だろうが、先に何が待ち受けているのか?
加えて見通しなんて全然分からない。

でも、青山さんはこれまでと何ら変わらずに直向きに諦めずに
更なる進化の為、なりたい理想の姿を求めて全力で走り続ける。
喩え途中で躓いて転んでも、あの屈託がなく目を細めた笑顔を見せて
また這い上がって走り出す。


 可能性は僅かなモノかもしれないが、挑む事は絶対に諦めない気概
理想の姿や目標を見失わず、己の信念を貫く事。
そして、獰猛で激熱な魂を感じさせ、同時に彼女の純然な想い…
青山吉能の偽らざる"本能"が存分に宿るこの楽曲へ
最大の礼賛の言と感謝の念をもって本稿を終えます。

 


 以上で『解放区』の所感&独自考察になります。
書きあげておいて、何と言うか……こいつは楽曲の所感と考察じゃねぇなとwww
まぁ、元々文面なんて破綻し放題の異端ブログなのでどうでも良いんですが。
取りあえず……思いの丈は余す所無く放出致しましたので
心地良い疲労感と充実感に暫く浸りたいと思います。

 

あと、記事のタイトルにある英文は一応翻訳かけましたが
適当感満載なんで緩~い目で受け流してやって下さいww

 

 最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

貫く信念と高邁な志。そして……縁(えにし)への感謝。/田中美海ソロ楽曲・Trouble!? Travel所感

 2018WUGソロ楽曲所感&独自考察シリーズ、今回でようやく折り返し点である。


ありがたい事に、現在俺の執筆への気力が高いレベルにあり
尚且つ刻の流れも味方しておるこの好機に
この萌え燃え滾る想いをPCのキーボードに打ち付けていこうじゃないの。

 

では……今回書き綴っていくのはこの楽曲。

 


 Trouble!? Travel/田中美海さん

 

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 明朗快活で牧歌的な雰囲気を漂わせたカントリーミュージック
アイリッシュポルカの様な)を彷彿させる軽快で疾走感と高揚感のある曲調。
そこに、田中さんの溌剌とした歌声が加わる事で
楽曲の持つポテンシャルを遺憾なく発揮され強さを増していく印象を抱いた。


前作の『狐草子』では和ロックテイストの曲調で
人間に恋慕の情を抱いた狐の心情を、切なさと艶やかさを前面に出して
彼女の表現力の幅と引き出しの奥深さが見事に発揮され
WUGの"ファンタジスタ"として新境地の輝きを魅せ付けた。


で、この楽曲での魅せ方は前作とは大幅に違うものに仕上がっていて
『狐草子』が変化球的な楽曲とするなら『Trouble!? Travel』は奇を衒わない

 

田中美海渾身の……ウイニングショット(決め球)的な楽曲と称していいだろう。

 

この辺はいまいち自分はよく分からんので、素人の意見だが
小節に振り分けられてる歌詞がおそらく多い部類の楽曲で
尚且つ、全体的にテンポが速く難易度が高い楽曲なのだが
きっちりと見事な歌声を聴かせてくれているのには
ファンタジスタとしての真骨頂を見事に発揮している。

 

 こんがらがった運命線に まだ見ぬ出会い求め走らすトレイン 

 四六時中新発見 胸を震わす人生はまるでトレジャー

 Ready! ひとりふたりと繋がり 希望は膨らみ
 
 気づけば大きな輪になり 笑顔がNecessary!


田中美海『Trouble!? Travel』より引用

 

この楽曲で彼女が伝えたい想い…
そして『TUNAGO』に対しての田中美海が出した答えは
WUGメンバー、彼女が演じるキャラクター達
楽曲、そして…彼女に惹かれ応援してくれるワグナー
彼女が表現者としてこれまでに出会って来た
『縁』(えにし)への感謝の気持ちなんじゃないのかと自分は思う。
上記の部分は繋がりの縁を表す歌詞ではないだろうか。

特に、ひとりふたりの所を人やキャラクターとの繋がりだけではなく
人ではないもの(楽曲)という解釈でも成り立つ様に自分は思えてならない。


 


 で……ここからは毎度の如く私見全開で独自考察を書き綴っていく。
 
 
*意気込んでおりますが、いつもの纏まりの無い駄文です。
また、俺の脳内妄想によって構成された記事ですので、予めご容赦くださいませ。


 曲題に用いられたTrouble(厄介事や災難に見舞われる)とTravel(旅)
最終的に田中さんが曲題を付けたかどうかは分かりませんが
表現者としての軌跡と避けられない困難を喩えてこういう題にし
先述に書いた巡り合いへの縁と感謝だけではなく
歌詞の節々からは彼女の『信念』を強く感じさせる。


瞼を閉じイメージとして浮かぶのが、欧州の田舎をモチーフにした地を
トランクを携え当ての無い旅をしている田中美海さんの姿。
最終目的地を設定してないのは勿論、当然地図なんて持っちゃいません。
行き当たりばったりのノープランな旅を彼女は存分に愉しんでいる。
旅の道中で巡り逢う様々な人や物への縁に感謝し……
そして、トラブルに遭う事も当然あるだろう。
でも、それも何か豪快に笑い飛ばして逆に愉しんじゃいそうな感じだ。



 これは、後付感は否めない部分なのは承知の上ではあるが
おそらくは関連してると思われるので触れておきます。

先日のバスツアー内で開催されたWUG結成5周年ライブの新衣装で
襷に彼女達のメッセージが綴られていました。
で、田中さんの襷に綴られていた言葉は"Never give up"

楽曲の考察とは逸脱してしまいますが
Troubleという単語と…田中美海さん。
本来ならこの件を持ち出すべきではないのかもしれないが……
この楽曲に込めた彼女の想いを自分なりに
勝手ながら汲み取る為には避けられないので書かせていだだく。

マイクトラブルに見舞われたアニサマ2014のバックステージで見せた彼女の涙
でも、顔はずっと上げていて一度も俯く事は無かった。
俯いたら自分の負けを認める事になる。胸を張り毅然とした姿を見せた。
そして後日、ブログに彼女はこの様に綴っていました。
悔しさは勿論あるけれど、それもバネにして更に成長していく事。
限界を越えてもっと先の領域へと邁進していく強固な決意と覚悟を示し
絶対に諦めずに挑み続けていく事……
俺が、彼女を見ていて感じさせる『強さ』と『信念』の源流の様なものと
"Never give up"という言葉を節目となるライブの衣装に綴った彼女の想いは
この事がきっかけとなり、これまでの田中さんを支えていた様に自分は感じる。


明確な到達地を定めない途方も無い旅の最中でどんな災難に遭うか分からない。
けれど、歌詞に綴られている以下の節からは


 トラブルさえ愉しみだわ 失敗さえ夢のカケラ


彼女はどんな苦難や災難に遭おうが恐れずに受け入れ
逆に自身の糧として吸収してやろうと絶対に諦めない気概を感じさせ
そして、田中さんの表現者としての『信念』と『矜持』の根幹を表したと
思われるのが以下に記した歌詞であり
この楽曲の最大の『要』を成す部分だと個人的に感じている。

 

  挑戦しない後悔より 舟をだそう大航海

  (中略)

  きっとなりたい自分へと 出逢えるから  


  『限界なんてないよ?』 フルコースで旅しなきゃ


    
 ―田中美海『Trouble!? Travel』より引用

 

ここでの『舟』は小船を指す語。
で、舟を彼女に巡って来た好機に差し替えて考えてみると
決して確約されたモノではないものだが
乗り込んで進んでみないと分からない事がその先の領域にはある。
挑まずに悔やむより、挑んで悔やむ事。
そこでの失敗は絶対に無駄にはならずに彼女の糧になっていくモノ。
限界の先の領域へと邁進し、どんな苦難に遭おうがそれすらも
愉しんでやろうという彼女の強さ・信念・矜持……
旅で巡り逢う『縁』は宝でもあり、喜びであり、必要不可欠で尊いもの。
それらの『縁』に感謝し田中美海さんの本気の想いと魂……
そして、彼女のハングリーで高邁な志をも存分に感じる楽曲にも思えます。


限界なんてないと告げ、未知の領域へと恐れずに邁進する
WUGのファンタジスタ田中美海の更なる雄飛を
楽しみにしつつ本稿を終わりとしたい。

 

 以上が『Trouble!? Travel』の所感&独自考察になります。
毎度ながら恐縮ですが……これはあくまでも俺個人の所感と考察であって
正解ではございませんので、悪しからずご容赦願います。


 

 

 

ワグナジオ復活の刻に寄せて。

 自分にとって、そして当ブログにとっても
今回取り上げる事項には触れない訳にはいかないので書かせてもらう。

 

 あれは、2016年の秋の事だった。
WUGの3rdツアーに参戦し、七人の執念と称してもいい本気の想いと魂を
直に感じ触発されるかの様に自分の中でも燃え滾るモノを感じていた。
そんな秋の何気無い一日の事だ。
TwitterのTLを流し見してた俺の目にとある番組配信を告げる書き込みを見た。
その番組名は『ワグナジオ』というWEBラジオ番組でした。

当時の俺は、二次創作的なものやユーザー側が発信していく類のものに関して
全然関心が無いし、否定的でも肯定的な姿勢でもなかった。
それはこの『ワグナジオ』も例外じゃなかった。
ただ……理由は分からんが何か引っ掛かるモノを本能的に感じて
そして、妙に気になって来たのでとりあえず初回の配信を聴いてみた。


 この番組はWUGが出演しているものではなく
ワグナーである、YOSUKE氏とドッピオ氏がパーソナリティを務める番組。
で、番組の主旨はWUGの本気の想いと魂に触発されたお二方が
居ても立ってもいられずにワグナー同士との繋がりを深めるべく始めた番組との事。

自分は今でこそ、色々な方と交流させていただいているが
この番組を聴くまでは自分はそこまでファン同士の繋がりを
求めていなかった様に思う。
普通にイベント参戦して、終わったらとっとと帰って参戦レポを書き綴る……
そういうスタンスの人間だった。

で、お二方が語られるWUGとワグナーへの熱い想いと情熱……
その想いに触れた俺はもの凄いインパクトを受けたのを今でも鮮明に憶えている。
そして……聴く回を重ねる毎に自分の価値観の浅さに気付かされた。
更には、番組にメールを送られるワグナー諸氏の
これまた燃え滾る情熱が、追い打ちをかけて来る。


 本気の熱い想いと魂は人を惹き付け熱は伝播していくモノ。
自分にとってもそれは例外じゃなく、微力ながらも何か出来る事があるはずと…
そんな時に思ったのが、彼女達七人の魅力や楽曲の魅力を
勝手に伝えていく記事を書こうと決意させた。

 

akatonbo02.hatenablog.jp

 

勿論、最下層ワグナーであり異端の駄文ブログの著者である俺のブログに
万人に伝える力があるなんて思っちゃいない。
でも、パーソナリティのお二方やワグナーの熱い想いに触発され
伝える媒体(ブログ)をやっておる者としては、じっとしている事が出来なかった。
そして、書くにあたって七人と楽曲の魅力を改めて見つめ直すきっかけにもなった。

当ブログを読んで下さった方は『熱いブログ』と評価してもらってます。
その要因となったのは、WUGの七人の本気の情熱に触発されたのは勿論だが
『ワグナジオ』もその要因なんです。

自分にとっては様々な事を気付かせ、見つめ直すきっかけをくれた
紛れもなく大事な番組だった。
いろんな意味で感謝し、その気持ちは今も変わらない。


 そして……暫くの休止期間を経て、つい先日復活の刻を迎えました。
本当に『ワグナジオ』には感謝の想いしかありません。
今後の配信を心待ちにし、本稿の締めにさせていただきます。

 

 

 

 

 

 

 

魅惑と狂気の領域の向こう側へ……/奥野香耶ソロ楽曲・あのね所感

 いきなりではありますが……
文章の節操の無さとグダグダ感に定評のある当ブログ。
今回の記事の内容は、これまで以上にまとまりが無く独り善がり感満載。


そういう事なので……まぁ、過度の期待はしないで読んで下さいww


 では、踏み込むかな、彼女が創り出した"魔性の限界領域"へと……

 


  あのね/奥野香耶さん

 

 

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 前作のソロ楽曲『Why am I』はイントロ前とアウトロ後に雨音が入っていました。
で、今作でも同様にイントロ前とアウトロ後にオルゴール調の音が入れられている。
上手く表現が出来ないが、あえてメロディ以外の異なる音を入れ
単なる楽曲という表現で収めるのではなく、一つの物語として形にする事が
奥野さんのディレクションの特徴と言うか、彼女の拘っている部分なのでしょう。


曲調は、軽快でミディアムテンポなワルツ調を彷彿とさせ
そこに奥野さんの柔和な歌声が加味される事で、聴き心地の良い楽曲になっている。
特に面白いと思った箇所は、1番と2番での奥野さんの歌声の使い分けだろう。

詳しい事は後述に書く独自考察の件になりますが
この楽曲は一組の男女の恋慕の情と
移り行く刻の中で変化していく想いを表現した楽曲だと自分は感じた。
1番では女性的な歌い方をしていて
2番になるとトーンを抑えた男性的な歌い方を思わせる。
この要素は、楽曲も一つの物語として捉えられているであろう
奥野さんの遊び心的なもの、歌い分けと言うか演じ分けと称した方が良く
先述に書いたが、彼女の強い拘りである様にも思えて面白い要素だと感じた。

歌詞の表現は、移り行く刻(季節)を思わせる語や言い回しが随所に散りばめていて
直接的に『春』や『夏の空』だったり、間接的な落ち葉(秋)、粉雪(冬)
この季節の移り行きという要素も、楽曲の物語性を強く印象付けさせるものと思える。
そして……刻の流れに沿う様にして
二人の想いが徐々に変化していく模様も見事に表現している。


 曲調のキャッチーさと奥野さんの歌声が見事に調和し聴き心地の良い楽曲。
しかし、聴き心地の良さに反してこの楽曲の世界観だが
移り行く刻の中で二人の想いが変化していく模様は
切なくも儚げな物寂しさやセンチメンタル的要素を感じさせる。
そして、彼女の歌唱も徐々に物寂しさを感じさせるものを印象付けさせていき
彼女の魅せ方、聴かせる力の強さ、そして楽曲の創り出す世界観に
登場してくる二人の人物が憑依した様な佇まいを強烈に思わせ
奥野香耶の創る魔性の領域に取り込んでいくのは流石と言わざるを得ない。

但し……真にこの楽曲の真意を掴みたいのであれば
奥野さんがソロイベのステージで魅せたものを観てないと残せないモノ。
あくまでも、ここに俺が書いている事は
楽曲を聴き、歌詞を見ただけの楽曲の表層部の所感に過ぎない。

なので……ここから書き綴っていく独自考察の件では
彼女の魔性の領域に踏み込み、この楽曲に彼女が込めた伝えたい想いを
私見の域と勝手な解釈によって書いていく。

 

 先述にも書いたが、この楽曲の全体像については
一組の男女の恋慕の情と移り行く季節の中での想いの変化を表現した楽曲。
聴き込むうちにまず俺が気になったのが
イントロ前とアウトロ後に挿入されているオルゴール調の音だ。
おそらく、奥野さんは単なる変化という意味合いじゃなく
このオルゴール調の音を仕掛けとして入れたのだと思える。
で、俺がこの音で気になった点は音の終わり方なんです。

最初の音の終わり方は、ゼンマイの回転が緩やかになった様な
不自然な音の終わり方となっているのに対し
最後の音の終わり方は、緩やかに音が終わる構成になっている。
このオルゴール調の音が表現する事を互いの想いとして仮定した場合
不自然さ≒互いの想いの微かなズレや未来の不安
緩やかに終わる音≒互いの関係の決着と終焉の刻を表すのではと思った。


勿論、このオルゴール調の音で全ての結論としていくのは無理があり過ぎるし
何より…奥野さんがこんな分かり易い解釈をさせる楽曲を世に出すワケが無いw


単なるラブソングとしてじゃなく
人の想いの複雑さ、繊細さ、不確定さ…etcだったり
根幹で抱く互いを想う親愛や恋慕の情の深さや熱は不変のモノであるけれど
互いの置かれている立場や移り行く刻の中で緩やかに変化してしまう互いの想い
信じていきたいのだけど、どこかでそれが揺らいでしまう……
人の感情ほどロジカルでは解明出来ないモノだと言う事なのでしょう。

 

  あれからきみと 全部が夢のように 知らない顔に戻る

  出会って 恋して 輝いた 春が来る前に忘れて行かなきゃ

  たったひとつだけの 想いを残して


 ―奥野香耶『あのね』より引用

 

 

人が見る夢で『儚い』という字になる……
想いのすれ違いや刻、立場に翻弄され抗いきれなかったのか
二人の恋慕の情は終焉の刻を迎えるが、互いの深い部分は完全に途切れていない。
共に過ごし思いやって輝いた刻は確かに存在した。
その想いを互いに胸に秘めて違う道を歩んでいく事を示す様な節と
想いを振り絞るかの様な奥野さんの歌唱が儚げでもあり
また、秘めた強さを表現している様にも思えます。

 

 

 楽曲の考察とは離れてしまいますが、ソロイベントにて奥野さんが魅せたモノ…
俺は実際に参戦してないので、参戦勢の感想から自分が勝手に解釈した印象は
昼公演を前編と銘打つとし、締めは多幸感を抱かせる所謂ハッピーエンド的なモノ。
観客の魂を包み込むかの様な魅惑的な領域に奥野さんが誘ったと言えるだろう。

しかし……夜の部・後編での締め方はハッキリ言って正気の沙汰じゃねぇ!!と
参戦してなく感想を見聞しただけでもその異様っぷりに戦慄を覚えた……
その締め方なんだが所謂バッドエンド的な終わり方であり
この楽曲の示す全体像をなぞらえたモノとの事……
それは、多幸感で包み込んだ観客の魂を粉々に握り潰したと言って良いだろう。


別の表現をするならば……圧し込んでいたもう一つの彼女の領域


奥野香耶さんと彼女を特推しされる方…本当にこんな表現してすみません!)

 

奥野香耶の『狂気の領域』をあえて魅せたと思えてならない……

 

ただ……彼女が魅せたこの狂気的な領域ですが
表現者にとっては寧ろ必要な要素だと俺は思っておりますし
奥野さんがこのソロイベントや楽曲で伝えたかった本気の想いと魂
そして『TUNAGO』という語に対しての彼女の答えだと思えてならない。

今迄よりも更に深く繋がろうとしていくには
表面上のモノだけじゃなく、今迄に見せて来なかったモノを許容出来るか否か?
奥野さんがワグナーに問うのは……
圧し込んでいた負の要素や狂気的なモノを見せられても
更に踏み込む決意と覚悟があるのか?だと俺は感じさせてもらった。

おそらく、それは俺だけじゃなくてワグナー各々が感じ取って
今後も彼女の見せる"魅惑と狂気"の領域へと踏み込む決意と覚悟が
きっちりと出来ているんじゃないかなと勝手に思いを馳せて
この楽曲の所感&独自考察の締めとさせていただきます。

 

 

 ソロイベント2018ソロ楽曲の所感&独自考察において
俺にとっての最大の山場となったのがこの楽曲の所感でした。
聴き心地の良さと歌詞が綴る世界観の複雑さが織り成す
不規則で変化の予測が困難な『魔球』的な楽曲の解釈には

 

本気で頭を抱えました……

 

ですが、自分なりに楽曲を聴き込み、集められる情報をかき集めながら
そして『あのね』と言う楽曲へと真っ向から向き合って
奥野香耶さんが『あのね』に込めた『真意』を見つけようと挑み
こうして色々と私見や暴論の域ですが書き綴ってみました。

それでも……やっぱり、奥野香耶さんの創る魔性の領域は
まだまだ深いモノである事を痛感させられ……まるで


『簡単に解釈出来ると思った?そんなに甘くはないよ私の領域は♪♪』


と、まぁ……奥野香耶さんが得意気に微笑んでる様に思えますwww


最後に一つだけ強烈に再確認させられたのは、やっぱり……


奥野香耶の存在自体がズルいッ!!!!!!!(勿論良い意味で)

 

 こんな感じで相変わらず好き勝手に書き殴って
思いの丈は出し尽くし今は充実感と心地の良い疲労感に浸っております。
楽曲のみの所感と独自考察を書くだけなんですが
ここまで考えさせられる方向へと導かされた奥野香耶さんの『個』の強さと
踏み込ませようとする魔性の領域に改めて感服致しました。


恐縮ではありますが、奥野香耶さんを特推しされている方の視点から見たら
見当違いも甚だしい駄文であるのは覚悟の上で書かせていただきました。
万が一でも共感してもらえたら、それは嬉しいですし
毎度の如く、おっさんが熱苦しいモノ書いてやがるなと思って
軽く受け流していただければ幸いであります。

 

 

 

 

野性と自由の“翼”を広げる刻/高木美佑ソロ楽曲・now is the time所感

 所感や考察系の記事を書き上げて
毎回悩むのが記事のタイトルをどうするのか?である。
曲題/アーティスト名~所感……と、まぁ普通に付ければ良いんでしょうが


(面倒になったら普通につけておる場合が殆どだがwww)


その決定に至るまでに、俺の脳内では普通に付ける派と一捻り入れよう派との
川中島関ヶ原に匹敵する激熱な闘いが繰り広げておるワケで……
当ブログは異端の部類にカテゴライズされている上に著者の俺も異端者なので
何か変化を付けていこうと考えてしまうのは俺の悪い癖だったりするのであります。
ただ、色々と考えたりしているのは楽しい刻だったりするので
止められそうにはないんですよコレがwww


さて……俺のどうでも良い四方山話はこの辺で切りあげて
とっとと本題であるWUGソロイベ2018楽曲所感&独自考察を書いていきます。
今回はこの楽曲について書き綴っていく。

 


 now is the time/高木美佑さん

 

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 前作のソロ楽曲『HELP ME! みゅーちゃん!』が
高木さんの渾身のストレート(直球)を堪能出来る楽曲だとするならば
今作は彼女の新境地を魅せ付ける変化球的な楽曲と称するべきだろう。

まず、曲調がWUG楽曲ではおそらくあまり無かったトランス調の打ち込みサウンド
KOTOKOさんの楽曲に代表されるI'veサウンドの系譜に連なる曲調。
また、素人の勝手な見解で恐縮だが……
楽曲自体のテンポが全体的に速い傾向にあるのでおそらく高難易度の楽曲。
だが、自分が聴いていて感じさせるのは楽曲に振り回される事無く
颯爽としてクールで凜然とした格好良さや、翳りの要素と艶っぽさを漂わせる様な…


"ファンタジスタ"高木美佑としての


新境地への野心的な挑戦を強烈に印象付け
尚且つ、彼女のユーティリティ性の高さを魅せ付ける楽曲となっていて
初聴後の率直な印象は
曲調と高木さんの歌声が絶妙で見事に合致しており鳥肌が立ちました。

 

私は私と 何も纏わずに描く予想図は

他の誰かが塗る色彩より 鮮やかで

  
まだ上手には歩けなくたって

ひとりひとつ 自分なりの煌めき


高木美佑『now is the time』より引用

 

何も纏わずの節は飾り繕った余所行きじゃない在りのままの自分で
予想図は彼女が思い描く表現者としての理想の姿。
自らの手で塗り上げる事で鮮やかに
たとえ、見栄えが良くなくても強く鮮明なオリジナルの煌めきを放つ事。
これらの節は高木さんの覚悟と信念が凝縮されている様でかなり心に突き刺さる。

 

 この楽曲を聴き、歌詞の紡ぐイメージとして視覚的に浮かんだ情景がある。
それは、サイバネティクスな電脳空間が創る灰色的な夜のビル群で
その灰色に覆われた世界で一点で微かに光を放つ場所へ疾走する高木美佑さん。
微かな光と言うのは、彼女が夢として抱いていた表現者(声優)の世界で
詞にある『過去と未来の狭間』というのは、示す通り過去と未来の彼女。
此処(現状の彼女のいる世界)はまやかしじゃない
自らの意思で動き、勝ち取り掴み取った彼女の居るべき世界で
表現者として今在る彼女の偽らざる姿でもある様に思える。


 また、別の観点で言うと微かな光の先は自由な領域という解釈も出来る。
『鎖』と言う語は、縛り繋ぎ止めるモノ、または『枷』にもなり得る。
で、解く鍵は彼女の思い描いている夢。
鍵は確かに彼女の手に握られてはいるが
刻が来ないのか、または彼女の踏み出す決意と覚悟が固まっていないのか?
いずれにせよ雌伏の刻を過ごしている現状とも捉えられる。
踏み出す決意と覚悟を決めて
抑圧の刻から雄飛への刻を表現しているのがこれらの節だろう。


感じた瞬間 それが合図よ right now

花開く時(そう)just nou

羽ばたく翼(ほら)just now


私見ですが、感じた瞬間~は決起の刻を嗅ぎ取った感覚で
花開くや羽ばたく~といった前向きな印象を与える単語は
先述にも書いた雄飛の刻を表現しているのではと思われる。

 

 因みにここから書き綴る独自考察は例によって自分の暴論であります。
彷徨いながらも微かな光へ向かって
全力で走り続けている高木さんを導いている存在がいる。
その存在は、彼女が表現者として共に軌跡を駆けて来た
もう一人の存在と称しても良い岡本未夕。
特に『一縷の希望』や『私は此処に』の節が未夕の存在を強く感じさせる。

ただ、未夕の存在に関してはこの項の書き出しにもある様に俺の暴論ですが……
高木さんと未夕との魂の繋がりはやっぱり無視出来ない要素で
ラストの『飛び立つんだ…』は未夕と共に
今後も軌跡を往く事を表現してる様に思えてならない。
俺は高木さんのソロイベの公演には参戦出来ませんでしたが
彼女が誤魔化しの一切きかない場で魅せたステージングとパフォーマンス
あの場には岡本未夕の想いと魂が間違い無くあって
共に本気の想いと魂を届け、繋ごうとしていた……と、俺は勝手に思っています。

 

 今迄に魅せて来た要素じゃなく、進化の為に未知の可能性へと挑戦する気概
そして、彼女の内に秘めていた燃え滾る想いと魂。
それらの要素を踏まえて尚、またこの表現になってしまい恐縮ですが
自分は『now is the time』という楽曲を
彼女の信念と野心、そして……挑戦者魂が込められた


"ファンタジスタ"高木美佑のアンセム・ソングと称し


楽曲の所感と独自考察の締め括りとさせていただきます。

 


 この楽曲に限った事ではありませんが、やっぱり彼女達の公演を観れていないと
アルバムに収録されている楽曲陣について書き綴る為には
どれだけの言葉を用いても語り尽くせないと思います。
でも、傾聴して自分が感じた楽曲の持つ力の強さだったりクオリティの高さ
そして…WUGの七人が楽曲に込めた想いと魂に触れて何もしないと言うのは
俺には出来る事じゃ無かったので、不恰好でグダグダな文になるのは覚悟の上で
拙く浅い語彙力をフルドライブさせて書き切ろうと決意致しました。


残りの楽曲についても、乱筆・乱文で恐縮ですが
読んでいただければ……と願っております。


最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

戦ぎ(そよぎ)爆(は)ぜる魂。…そして誓い。/吉岡茉祐ソロ楽曲・GloriA所感

 今更改めて書く事ではありませんが、自分がここに書いて来た
所感・考察系の記事は完全な私見での解釈によるモノとなっております。

 


 3月に東北にて開催されたWake Up,Girls!メンバーのソロイベント
「TUNAGO東北ろっけんソロイベントツアー」に併せて作られた楽曲。
前回のソロイベントの時に作られたソロ楽曲と同様これらの楽曲陣も
メンバーの七人がゼロの状態から作成に携わり
彼女達の伝え、届けたい『想い』と『魂』が込められた楽曲となっている。


 さて、お気付きの方もいるでしょうが……
この楽曲陣が収録されておるのはこのソロイベントにて発売された
パンフレットに同梱されておるCDに収録されたモノ。
以前にも書いたが俺はこのソロイベントに一公演も参戦していません。
じゃぁ何故そんな奴がフル尺を聴いた所感を書いているのか?
その疑問に対しての解は至って単純至極。

 

 

えぇ……購入しに行って来ました。郡山までwww

 

 

まぁ、何と言うか……自宅でじっとしてるのも何だし
通販されるのが何時になるか分かったモノでもないので
どうせならもう行ってしまえという感じになってしまったわけであるwww

 

と言う訳で、禊を済ませすっきりとした所で
今回書き綴っていくのはこちらの楽曲の所感&独自考察。

 

 


 GloriA / 吉岡茉祐さん

 

 

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 前作の『てがみ』と同様にこの楽曲の作詞も吉岡茉祐さんが担当。
『てがみ』では大切な人に宛てた彼女の純然たる想いと
親愛の念が存分に詰め込まれた尊い楽曲。


 そんな今作だが、前作とはまた違った別の路線に仕上がった楽曲になっている。
タイトルにGloriA=ラテン語で栄光の意味を持つ語に違わない
力強くあり、栄光に辿り着く為に傷を負う事や這い蹲りながらも突き進む意思……
表現者吉岡茉祐アイデンティティを示すかの様な闘う気概と誓い
それを強烈に思わせるのが以下の節だろう。



 ―己の剣で勝ち取る夢物語 信念を貫き動き出した


 吉岡茉祐『GloriA』より引用



そして『叫べ』や『放て』という句は爆ぜる感情を思い起こさせ
荒々しくも雄々しい執念をも思わせるかのような想いを綴る歌詞。

ハードロックテイストの重くこれまた力強い曲調と
無骨で荒々しくあり、また力強く激熱でこちらを捻じ伏せようとする激熱で
こちらの『熱』を引き出し奮い立たせるかの様な……


彼女の"絶唱"がこの楽曲に血を通わせる。


ラスサビに差し掛かった時に曲が高くなりそれに伴い
リミッターが解除されたかの様に力強くなる吉岡さんの絶唱がまた素晴らしい。

 

 あと、気になるのは詞の中で出て来る二人という句。
吉岡さんともう一人の人物なのか?人物指定されていない抽象的なものなのか?
あるいは人物とそうじゃないモノに対しての例えなのか?
更には双方共に人物ではないモノへの例えなのか?

勿論、この解釈に正解や満点は存在しません。
答えにはならないでしょうが上述に挙げたもの全部が俺個人の解釈で
その二人に対し、あるいは吉岡さん自身による吉岡さんの為の
アンセムソング的な楽曲の様にも思えてならない。


聴き終えた率直な印象だが……自分は吉岡茉祐さんに
こういうテイストの荒々しくも激熱な楽曲を歌って貰いたかったので
本当に満足度の高い楽曲だと思います。

 

 楽曲の概ねな所感は以上になります。

 

で……ここから書き綴る事は俺がこの『GloriA』という楽曲に対して
最も気になった点について書いていこうと思う。
冒頭にも書いた様にこのブログに書いているのは自分の私見全開によるモノ。
と、言うかは……妄想や戯言の類と称しても良い。
あくまでも、一個人の所感&独自考察という認識で捉えていただければ幸いです。


 自分が『GloriA』という楽曲で最も気になったのは……曲題の『GloriA』の表記だ。
俺は外国語はてんで疎いので分からんが


(俺の日本語の語彙力の方も怪しさ大爆発だがwww)


普通と言うか、まぁよく見られる表記は、全部大文字のGLORIAだったり
頭文字のみ大文字のGloria、全て小文字のgloriaでしょう。
ですが、この楽曲の表記は頭と最後の文字のみが大文字。
正直なところ見た印象は違和感の方が勝ったと言っても良いだろう。
あえてこういう表記にしたのは吉岡さんの明らかな意図があり
真に届けたい隠されたメッセージが込められているんじゃないかと勝手に思ってる。


 それについての独自考察(妄想)だが、違和感の正体は不完全さだと見ている。
不完全さと言うのは現状での吉岡さん自身の姿。
GloriA=栄光と言う言葉に込めたのは、彼女が描く理想の表現者としての姿を
表現する為にあえてこういう違和感のある表記にしたのかな……と思える。
だが、それを示すのは全部小文字や頭文字だけ大文字でも良いのでは?と思う。
確かに、不完全さや自身が表現者として弱い存在と言う事を示すのであれば
上述に挙げた全部小文字や頭文字のみ大文字表記でも良いはず。

ただ、その表記はあまりにもオーソドックスで新鮮味が無いと
彼女が思ったかどうかは分かりません。
ですが……あえて違和感を覚えさせる様な表記にし
そう感じ考えさせる方へと仕向けたのかなと思うのであります。

 

 そしてもう一つの仮説…予め言いますがこれは暴論・極論の域です。
なので……生温かい目で見てやって下さい。

 

この楽曲が歌われるイベントの地は東北の福島。
WUGの楽曲に『TUNAGO』という楽曲がある。
本来、TSUNAGOと七文字表記になるが六文字なのは東北六県に因んでいるから。
そしてGloriAも六文字表記になっている。
GloriAはラテン語だが英語ならGlory(五文字)という表記になる。
栄光という語を東北を盛り上げたいと同義にして置き換え
更には、東北六県を思い起こさせる六文字表記となるGloriAという表記にした……

ハッキリ言ってこの仮説、こじ付け感は否めない。
ですが……吉岡さんが抱く東北への想いを見聞すると
あながち俺が立てた暴論による仮説も当てはまる様な気がしてならない。


歌詞の中にある軌跡・奇跡、そして…祈り捧げると言う語は
彼女自身やWUGでのこれまでの軌跡や
色々な出会いに対しての奇跡への感謝の念を表現している様でもあり
東北がより盛り上がっていく事の願いを込めて曲題に用いたのかなと思う。

 

 俺の都合の良いおめでたい暴論の域の解釈もあるがwww
折角ゼロの状態から作り上げるのだから、自分の想いと魂をありったけ込めたい。
たかが曲題というモノじゃなく表記に至るまでの細部にまで拘った
吉岡茉祐さんの真摯な姿勢が『GloriA』の要なのかな……と
妄想の域で恐縮ではありますが、俺はそう思えてならなかった。

 

 

 以上で、自分の私見による『GloriA』所感と独自考察になります。
毎度ながら自分の想いの丈を好き勝手にぶちまけてしまいました。
彼女のソロイベの公演に参戦して無い奴が書いた
この記事を読まれて不快に感じられる方もおられると思います。
まぁ、元々当ブログは俺の醜態を余す所無く
曝しまくっておるモノなんで別にどうでも良いんですが
ただ……吉岡茉祐さんが『GloriA』という楽曲に込めた
純然で偽りが無い本気の想いと魂…そして誓いは間違いの無いモノです。


『GloriA』という楽曲に巡り合えた奇跡と感謝に想いを馳せて
本稿の締め括りとさせていただきます。


乱筆、乱文ではありましたが
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Green Leaves Fes参戦をお薦めしたい理由。

 刻の経つのは本当に早いものでして……
つい先日までソロイベやらバスツアーの話題で賑わってましたが
Green Leaves Fesの開催まで残り一ヶ月となっておるじゃないですか……


 さて、そんな今回の記事ですが……
Wake Up,Girls!のライブに参戦された事の無い方向けに
5/12(土)に開催されるGreen Leaves Fes参戦をお薦めしたい理由を
自分の拙い語彙力をフルドライブさせ
誰にも頼まれちゃいないのに勝手に書き綴っていきたいと思います。

 

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youtu.be

 

 

―6年目の活動を迎え、更にパワーアップしたWUGのパフォーマンス

 


 数々のタイアップや、メンバー個人があらゆる現場で闘い培って来た
表現者としてのスキルと経験が結集した時、七人はより力強く光り輝く。
そこにはWUGの七人の誰が欠けても成立しないモノであり
七人の歌、ダンス、パフォーマンス……
そして、全力全開で向かって来る本気の想いは観る人の魂をも揺さ振り
血を燃え滾らせ、心に響き湧き立たせていくと思っております。

コレは、映像で間接的に観ただけではおそらく完全に伝わりづらいモノだと
俺は思っておるので是非に会場にて直にその熱気を感じていただきたい。

 


―WUGだけではなく、妹分ユニットのRun Girls,Run!との初共演

 


 同一のライブイベントでの殴り合い共演はこのGreen Leaves Fesが初。
失うモノの無いランガの直向きな全力全開のパフォーマンス
WUGは先輩として同じ戦場(舞台)に立つライバルとして負けるワケにはいかない。
WUGフェスでは挑む者としてI-1に抗う立場だった七人だが
今回のGreen Leaves Fesでは迎え討つ立場である。
今までのライブでは観られなかった
また違う激熱なモノが観られるのではないだろうか?

自分は、ランガのステージパフォーマンスをまだ直に観ていないので
彼女達が魅せるパフォーマンスを楽しみにしておる。

 

 

―WUG単独公演では初となる最大規模の幕張イベントホール開催

 


 今回の戦場(会場)となる幕張イベントホールは最大で約9000人収容。
ここはオールスタンディングではなく座席があるので
オルスタに抵抗感や不安のある人やライブ初参戦の人には
比較的落ち着いて観る事が可能であり
スタンド席なら段差があるのでステージ全体が見やすいと思います。

(*個人の感覚です)

 

 

―最近WUGを知ったので楽曲がよく分からない……

 


 アニュータに加入しているのであれば、全てのWUG楽曲が聴けるはず。
(ちなみに俺は未加入なので真偽は不明ww)
それと、ベストアルバムが3枚リリースされておるので
CDもしくはDL販売にも対応しているのでそちらでも対応可能です。

そして、今回のセットリストの構成は楽曲をファン投票で募集する
新しい挑戦が組み込まれている。
それにより、今迄のWUGのライブでは披露されなかった楽曲や
披露機会の少ないレアクラスの楽曲が披露される可能性がある。

で、ライブがどんな雰囲気なのかを知りたい場合は
これまでにリリースされた1st~3rdツアーのライブBDや
WUGフェス2016の模様が収録されている新章BD1巻があります。

 

 

―1人で参戦する事への不安……

 


 大丈夫。俺も単独で参戦してますんでwww
こんなおっさんで良ければ話し相手になってやって下さい。

先述にも書きましたが会場が大きく
ツアーやWUGフェスと同じ大規模のライブとなるので多くのワグナーが集結。
現時点ではまだ分かりませんが、名刺交換的なオフ会が催される場合があるので
名刺を作ってそこに参加したり、開催日近くになるとツイッター上に
エンカを募る書き込みが増えると思いますのでそれを利用する手もあります。


あと、WUGを知った日が浅く、ライブ参戦が今回初めてor機会が少ない
……というのを引け目に感じて不安になっている人へ

暦が短いとか場数の経験が少ない事は本当に気にしないで良いし
純粋に彼女達を応援する気持ちがあればそれで良いと俺は思います。

 

 

―参戦後の興奮、昂りを誰かと共有したいッ!!!!!!!

 


 夜公演後に数名の方が打ち上げを数ヶ所で企画されておりますので
気になる方は検索されると宜しいかと。
(ただ、締め切りがありますのでなるべく早く決断された方が良いです)

これも、迷われているのであれば取りあえず参加するのを個人的には薦めます。
イベント後に共通の話で盛り上がれるのも楽しいし
色んな方の意見や考えを見聞するのは本当に面白いものだと自分は思います。

あとは、殆どの方が語彙力を遥か彼方へとすっ飛ばしてるのも面白いwww

 

 

―参戦を薦める真の理由

 


 WUGとランガが魅せてくれる彼女達の伝えたい本気の想いと魂は
予想を裏切り、期待に応えてくれます。
で、申し訳無いがコレは文字で伝えきれるモノじゃないので
是非とも現地に赴き参戦して直に体験してもらうしかありません。

彼女達を直に観て、会場の熱気を肌で感じ
何に魅せられ心に響くのかは各々で全く違うモノだと思います。
伝えたい想い、叩き上げの魂、未知の領域や限界に挑む姿……

そして、Wake Up,Girls!やRun Gils,Run!で……
ワクワクしたりドキドキしたいんだよな。


なので……参戦を検討されてる&迷われている皆様。
WUGとランガの強さと本当の力をその目で確かめに来て下さい。


願わくば、この記事や様々な方達が薦めていらっしゃる
このGreen Leaves Fes参戦を後押し出来る一助になれれば幸いであります。