巡礼者のかく語りき

自由気ままに書き綴る雑記帳

令和の刻の訪れに寄せて。

 平成の刻が終わり、令和の刻が訪れた。

 


とは言え…元号が変わり、数日が経ったが改めてまた何か仰々しい目標を立てようという気はない。
年始にこのBlogに書いた様に意識してやっていきたいと思えるのは自分が興味を惹かれた事には積極的に触れていき、この駄文Blogも書き続けていく事は変わらずにある。
身体の細胞が若返るのは不可能ですから、自分の感性がドキドキしワクワクさせるモノに触れていって気持ちは若くいようという意欲を持ち続ける事なのが肝要なんだろう。

 
 こいつは俺の偏見混じりの意見なんだけれども、巷でよく聞く『~歳にもなって○○が好きなのはおかしい』や『~歳になってもまだやっているのか?』という言葉がある。諸外国の事は分からんが、日本人という人種はとりわけこの傾向や思想を持つ人が大勢いる。それが別に悪いとかケチを付けるものではないのだけれども、俺はこの言い回しあまり好きではない。と、言うかは嫌いなんだがね。
ロクに触れてもいない者が自分の惹かれるモノに、とやかく言われる筋合いは無い。
無論、それが他人や社会に迷惑をかけてしまうのであるのならやめるべきなのだが、自己責任が負える範囲であるなら他人がとやかく言うモノではないと思う。
だからと言って思うがままに情熱や愛情を叫んでいくのではなく、過剰になり過ぎない事を慮る事は忘れてはならない部分ではある。


 話は戻るが、前述の興味を抱いた事へのアプローチであるが、何も目新しいモノである必要は無い。むしろ過去の世に出回ったモノから得られるモノだってまだまだ多くあるし、それを知ってみたい欲求がありそれが自分の新たな糧に成り得る。今の時代、情報を容易に得られる手段は数多くあるが、それを鵜呑みにするのでなく直に見聞して感じたインプレッションは何時の世になっても鮮やかで強烈。全てでは無いが軽視してもいけない。それも忘れてはならない事だ。

そして、自分がこれまでに影響を受けたモノをまた見つめ直す事も忘れずにやっていきたい。掘り下げていきたいモノは変わらずに追い求めて、新しいモノに積極的に触れていって得られたモノを活かせれば…と思っている。無理をしない事、自然に、本能と好奇心の赴くままに。



 令和の刻でも、自分を待ち受けて関わる様々な『縁』があるのだろう。
これまでの縁や未だに巡り逢えてない縁に想いを馳せつつ…
関わった縁に感謝を忘れずに訪れた新たな刻を懸命に生きていきたい。