巡礼者のかく語りき

自由気ままに書き綴る雑記帳

あの刻に在ったイーハトーヴの風と縁の物語。 ―イーハトーヴシンガーズ第5回定期演奏会『story』(東京公演)所感。

 8月3日。杉並公会堂にて開催された
イーハトーヴシンガーズ第5回定期演奏会『story』(東京公演)に参戦して来た。

 

 

f:id:Akatonbo02:20190813230145j:plain



 

f:id:Akatonbo02:20190813230123j:plain

 

 記事にする順番が前後してしまったが、現地参戦はWUGのSSA以来となった。
ご存知の人も多いかと思うが、イーハトーヴシンガーズは昨年のWUGファイナルライブ(岩手公演)に出演された。その縁あってか会場には多くのワグナー諸氏が参戦されておりました。


イーハトーヴシンガーズは、岩手県盛岡市宮古市、東京都を拠点に活動する混声合唱団。自分が合唱を聴きに行くのはおそらく中学生以来で、しかもチケットを取って聴きに行くというのは自分にとっては初めての事だ。WUGが岩手公演でイーハトーヴシンガーズと共演してなかったら、クラシック系の楽曲を聴かない教養ゼロの人間である俺は聴きに来る事はなかった。七人が導いて繋いでくれた縁の記憶と物語はきっちりと生き続けているモノだというのを痛切に感じた。


では、何故。そんな奴がわざわざチケットを取ってまで参戦したのか?


それは…6月の岩手で開催された演奏会同様、WUG楽曲『言の葉青葉』が歌われるからだ。


勿論、七人やメンバーの誰かが歌うワケじゃない。
違う形ではあるものの、3月のSSA以来となる『言の葉 青葉』を聴く事が出来る。
WUGが終焉し、第二章の始めとなった現地参戦。そこで感じられた事をこれから書いていく。

 

 

 綴られていた”真愛”の情。

 

 パンフレット(プログラム)を入場の際に頂き、それを座席に着いて開演前に読み耽る。

合唱とクラシックコンサートのパンフレットという事で、仰々しい物言いにて綴られてるのかと構えてみたのだがそんな事は全然感じなかった。特に、指揮者の太田代さんによる全曲解説での語り口はユーモアを所々折り込みつつ締める所はきっちりと締めている件は、楽曲所感を書いておる自分にとって凄く参考になるところであった。

そして、活動の軌跡と記録の中に『Wake Up,Girls!』の名を刻んでくれた事……
末項にあったWUGとイーハトーヴシンガーズが写る写真は昨年の岩手公演のモノだ。


まだ公演が始まってもいない段階。でも、このパンフレットを読んで勝手に感じたイーハトーヴシンガーズの真愛の情は尊く、信じても良いと感じさせる。自分の中で囲ってしまっていた偏狭な枠がこの開演前の段階で外れてくれた様に思えたのである。


それと、このパンフレットにはある仕掛けが施されていたんだ。
仕掛けについては後述にて書く事にする。

 

 


 風と旅立ちの謳……再び。

 

 伴奏は舞台に鎮座しているグランドピアノのみ。それに50人以上の生の歌声が加わる。
本当にシンプルなモノで、合唱という歌唱表現に飾り立てる余計な要素はいらないのだと。生の歌声がそれを強烈に訴えかけて来てる様でもあるが……俺の残念かつ鈍感な聴覚では合唱という表現の良し悪しは全然分からない。尚且つ、合唱曲の知識も学生時代の音楽の授業で歌ったモノしか知らない。分からん、知らん尽くしでも楽しめるのか?開演前よりか敷居の高さは幾分低くはなったものの、抱いてしまい勝手に作ってしまった敷居そのものは無くなってはいない。だが、皆さんの生の歌声が説得力を持ち場を圧倒していったんだぜ……。


楽曲『イーハトーヴの風』。岩手県では学校でも歌い継がれている楽曲と聞いた。
そして、イーハトーヴという地。架空の理想郷の事だが、岩手の方にとっては魂の拠り所なのだろうし繋がりの強さは岩手の繋がりが薄い自分には到底計りがたい想いが込められているのだろう。
この楽曲は岩手の自然の風景と息吹、風の匂い、刻を重ねていっても変わらない魂の安らぎや生命への感謝が溢れた楽曲なのだと……。

茹だる様な灼熱の東京。でも、あの刻の会場で歌われた事により
魂にはイーハトーヴの風が吹いて感じられた……と俺は思っている。
 

『旅立ちの時 ~Asian Dream Song~』は『イーハトーヴの風』と同様にWUGの岩手公演に出演された時に歌われた楽曲。叙情的な曲の音運びと背を押し励ます様な詞の構成は、沁み入るようではあるのだけれども秘めている力強さを感じさせてくれる。あの日の岩手の夜でこの楽曲を歌われた事の意義は深くて重たい想いがあったのだと……。
当然ながら、あの日の雰囲気とは全然違うモノだが、当時参戦が叶わなかった俺には刻を経て想いがようやく届いた様にも思えてならなかったのである。

 

 

 先入観という食わず嫌いを打ち砕く調理(アレンジ)。

 

 第二部で披露された『魔笛』と『レクイエム』。
疎い俺でもこの二曲の名は聞いた事のあるバリバリのクラシック(オペラ&ミサ)楽曲。フル尺で披露するととんでもない時間になるので一部の披露となる。
曲題の『魔笛』の字面がやっぱりおどろおどろしい上に、自分にとって馴染みが薄いオペラであることから作風に関しては全くのノーデータである。もしかすると音楽の授業で触れてたかもしれないが、そんな大昔の事を俺の残念な脳ミソが覚えておるワケがないので初聴と言ってもいい。

全曲解説の『魔笛』の項では、モーツアルトの晩年の年の『明』の部分を表現してアレンジしたと書かれていました。それを踏まえ、実際観ていくと『明』の部分を表している様なコミカルテイストの演出になっていて、例えるなら未知の料理を初めて味わう日本人の舌に合う様な調理をした…的な。(分かりずらい例えだなww)で、調理アレンジされたモノだが、楽曲の物語にすんなりと入り込めて楽しむ事が出来たのである。


『レクイエム』。モーツアルトの生涯最後となった楽曲。
死者を悼む楽曲である属性からか、イメージ的にはRPGで全滅してゲームオーバーになってしまった時に流れる悲壮感満載の曲調なんだろうと勝手に思ってたんだが、実際に聴いてみるとだ…これまた先入観や偏見をいい意味でブッ壊していったんだぜ。

特に、3曲目の『Dies irae』。ここの章では死者を悼む哀祷の意を汲むというよりは、この楽曲の解説にあった様に何かへの怒りを感じさせる力強さがあったんだ。彼がどういった経緯で『レクイエム』を執筆したかについては色々な説があると言われるのでこれという確証立てるのは不可能ではあるけれど、要因の一つだと俺が勝手に思ったのは、やっぱり怒りから来たモノじゃないかと。

楽曲に限らず、絵画や文章等の創作物には表現者のその時に抱いている感情が反映され易いと聞いた事がある。作られたモノに感情が乗り移る……よく俺は血が流れると書くがそれなのだろう。
余命幾ばくもなかったモーツアルトのまだ生きたい!という想いと世の理に対しての怒り……それが刻を越え、イーハトーヴシンガーズの皆さんに想いが憑依したのだろうと思わせる程に圧倒された気がする。

 

 

 継承される“心の光”。

 

 『言の葉 青葉』。一部のラストとアンコールで歌われた。
この楽曲を披露する前に、太田代さんはこの楽曲への想いを語られていた。


WUGが解散してしまった今、『言の葉 青葉』を歌い継ぐのはイーハトーヴシンガーズしかいない。そして、この楽曲を世に伝える責任があって、歌い継いでいって後の世の教科書に載せられるまでにしたいと!
それは強い決意と覚悟が太田代さんの言の葉から伝わって来るモノだった。
ステージで歌う姿と同様に、本気の想いを感じられない言葉は見破られてしまうモノだと思う。逆に、本気の想い、決意、熱、覚悟を持って放つ言葉は重く意義のある生きた言葉になる。
言の葉 青葉』を歌う事となり、歌い継いでいく事を受け入れて次にすべき事が見えたのだと思えて来るのだ。WUGの岩手公演に臨む際に、混声四部合唱用にアレンジされたと奥野香耶さんはBlogにて語られていた。でだ…直に今回自分の耳で聴いて唖然としたんだぜ。


アレンジなんて生易しいモノじゃなかった。


魂はそのままで新たに生まれ変わってたんだよ……


原曲には無かった男声パートが加味された事で楽曲が持つ樹木の生命力の強さに重厚さと深みが加味された様に思える。勿論、女声パートも素晴らしく、厳しい季節を耐え忍んでそびえ立つ凜としてそびえ立っている木々を想像させられたのである。何言ってるか分からんし、どう称していいかのは俺の残念な語彙力では出来ないが……これは正当進化。期待を裏切らない進化と称すべきなのだろうな。


で…ここでようやくパンフレットに施された仕掛けについて書かせてもらう。
その仕掛けを発動させる方法はアンコールの時に告げられたんだぜ。


パンフレットにQRコードが記されていて、それを読み込むと画面には青葉の画像が映る。
参戦されたワグナー諸氏はサイリウムを持参しているが、そうじゃない層の方達は持っていないワケだ。WUGのイメージカラーであり、青葉の色でもある緑の心の光。一人でも多くの緑の光で照らす為のイーハトーヴシンガーズからの心遣いと楽曲に対しての敬意の念が溢れている様に思えてならなかった。

で……歌う表現者によって楽曲が持つ表情は変わるモノだ。
アンコールで披露した『言の葉 青葉』はWUGですら引き出せなかった領域を引き出したんだ。


その領域は、楽しさだったんだぜ。


この楽曲を直に聴いてそんな感情を抱くとは思わなかった。アンコールでは観客も確か一緒に歌う様に呼びかけていたと思うので、それも要因だったのだろう。


 ただずっと 一緒にいよう


Wake Up,Girls!言の葉 青葉』より引用


これは勝手な推測の域で恐縮ではあるのだけれど……ここの詞にイーハトーヴシンガーズが『言の葉 青葉』に懸けている想いの根幹を成していると思えるのです。
託された誓い、心の光で繋がる想いと魂。奏でられる旋律と歌われる声の音を皆で共有しひたすらに楽しむ事。


これまで、数多のポップス楽曲が合唱曲として生まれ変わって教科書に載り、多くの人が歌い継いだ。イーハトーヴシンガーズが『言の葉 青葉』を今後も歌い継いで行き、そして、他の合唱団や共に歌う人が段々と増えていく事でこの楽曲は朽ち果てずに東北の魂も受け継いで生き続けていくのだろう。


想いを継承し繋ぐ為には人が成す事。簡単じゃない事に踏み込み進む決断と覚悟を示してくれたイーハトーヴシンガーズの皆様には本当に感謝しかありません。

 

 


 最後に。

 

 
 ここに書き記した以外のアクトも本当に素晴らしかった。
ただただイーハトーヴシンガーズの合唱に、目と耳を傾けて聴き惚れた。楽曲を最初から最後まで集中して聴き、曲が終われば賛辞の拍手。聴く者を楽曲の世界に誘い傾聴させて音をただ楽しむだけ。
合唱という表現の奥深さを知ったなどと言うつもりはないが、その領域へと踏み込める為の入り口には立てたのかなと感じさせてもらえた様に自分なりに感じた事であった。


それはこの場に来なかったら絶対発見出来なかった。


そして、ここに導いてくれたのはWake Up,Girls!の七人がいたから。


彼女達が導いてくれたこの縁は大事にしたいと思う。


ライブとはまた違う類の音楽のチカラが間違いなくあの場と刻には在った。
それに出逢えた事が嬉しくあり、尊いモノだったと思える。


この刻でイーハトーヴシンガーズのコンサートを観れて本当に良かった。
イーハトーヴシンガーズの皆様、スタッフ、参戦された皆様に感謝を。

 

最後まで読んで下さりありがとうございました!

 

 

 

 

“高く跳べ“と魂が爆ぜた刻。~Run Girls, Run! 2nd Anniversary LIVE 1.2.3ジャンプ!!!参戦レポ

 8月4日。渋谷CLUB QUATTROで開催された『Run Girls, Run!』結成2周年記念ライブ

 

f:id:Akatonbo02:20190809232828j:plain

f:id:Akatonbo02:20190809232841j:plain



Run Girls, Run! 2nd Anniversary LIVE 1.2.3ジャンプ!!!に参戦して来た。


今回の記事はこのライブの参戦レポを色々と書き殴っていく。

 

 

 


結成から二年の刻が経ち、新たな挑戦の軌跡を駆けて行く『Run Girls,Run!』。
俺が直に彼女達三人を観るのは昨年の1stツアー東京公演以来となります。

簡潔に一言で表すと、本当に楽しくて素晴らしいライブでした。

全力全開で盛り上れたし、ランガの三人も活き活きと楽しんでパフォーマンスしていた。
変わろうとする想いと覚悟。未知の可能性。三種三様の個の力の輝き。
1stツアーでも感じさせてくれたこれらの要素を更にバージョンアップさせてこの戦に臨んで、その成果をきっちりと魅せ付けてくれた様に自分は思っています。


ただし……諸手を挙げて全てが素晴らしかったとは言い切れない。
何か引っ掛かってしまっているモノがあるんです。

自分は、彼女達三人をこれからも観ていくと決意した以上、これらを知らん振りするワケにはいかないので、引っ掛かったモノと真摯に向き合って今抱いている想いを書き殴っていこうと思う。

 

 

 

 駆けて、翔けて、懸け抜けてきた三つの星。

 

 自分が参戦したのは夜の部のみだが、この二周年記念ライブのチケットは昼夜ソールドアウト。
渋谷CLUB QUATTROの収容人数は約800人位と聞く。単純に今回の二周年ライブ昼夜公演共にソールドアウトという事実は『Run Girls,Run!』の存在と直に観たいという層が増えた事の証明だった様に俺個人は思っています。


『Run Girls,Run!』は止まらずに三人なりのやり方で成長しているのだと。


そして、ライブが開幕し三人がステージに登場して来る。
その彼女達が纏っていたのは、WUG新章の最終話で二次のランガ&現実のランガが昨年WUGと共演した『Green Leaves Fes』にて纏っていた衣裳。三人が勝ち取った初めての役である、歩、音芽、いつかの想いと魂も共に在ってこの二周年ライブに臨んだのだと……勝手に感じて胸が熱くなって来る衝動に駆られたのだ。

で、オープニングアクトで披露したのはデビューシングル『スライドライド』。
原初の楽曲である『カケル×カケル』ではなく、この楽曲を二周年ライブという特別な刻の初手に持って来たのは三人の意地の様に自分は思えた。そして何よりもこのアクトで驚愕させられたのは、三人の更に進化を遂げたパフォーマンスと楽曲の異常な進化だろう。この楽曲、リリース当初は一部酷評の声があったと聞く。おそらくその声を彼女達は聞いていると思えるのです。刻を経て彼女達はこの楽曲と向き合って共に闘って来た。
その闘いの成果が会場の異常な熱気と興奮なのだろう。


林さんの元々持っていた歌声の伸びやかさは健在であり、そこに更なる力強さが加味され、その佇まいと『我』は只ならぬモノを感じ、魅入ってしまった。

リーダーの森嶋さん。彼女はいつもどんな時でも笑顔全開、元気溌溂で歌い踊られている。毎度同じ様な事を書いてる気がするが…森嶋さんが停滞しておるという意味ではない。これが森嶋優花という表現者が勝ち抜く為に貫く『闘い方』なんだと改めて思わせられた。

厚木さんを観て…正直、圧倒され魅入られてしまった。ダンスの所作のキレが異次元の領域に突入してたんだよ……。人の身体ってあんなに鋭角的かつ滑らかで優雅に動けるモノなのかと、開いた口が塞がらないと言うのはまさしくこの事なんだぜ……。更にだ。彼女の歌声が以前より出ていた。と言うか、力強くなったと称するべきなのだろう。後のMCにて厚木さんは歌う事が楽しくなったと言っておられたので、様々な場で歌う事が多くなった事により自信を深めて来たのだろう。


『スライドライド』できっちりとライブの雰囲気に火を付け、続く『サクラジェラート』と『秋いろツイード』でまた違った彩りを付加させ…ランガのアンセム・ソング『カケル×カケル』で熱狂にブースト点火させ、もう止められない程にまで加速していってしまう。圧倒的な速度で突っ走る彼女達にこちらが出来る事は、何としても振り落とされずに付いて行き闘う事だけ。叩き上げの魂を存分に感じられた激熱なライブだった。

 

 

 

 継承される者と楽曲……縁への感謝。

 

 ランガの三人に最も縁深く、彼女達の遥か前を突っ走って来た『Wake Up,Girls!』。
終焉の刻が過ぎ去ってしまったこの刻であの七人の楽曲をライブで聴くのは叶わない事。


けど……聴けたんだ。歌ってくれたんだよ。WUG楽曲を。


歌われたのは『SHIFT』と『地下鉄ラビリンス』。


『SHIFT』とは転換点という意味を持つ語句。それと、世に認めてもらいたいという願望を謳った楽曲でもある。この節目・区切りという刻にこの楽曲を選んだのには彼女達なりのこれからの軌跡に懸ける想いというモノがある様にも感じられる。途中の『あー鍵が無い~』から始まる台詞パートがWUGのSSAライブと同様、あの場でもカットされていた。(…まぁ、あの会場でステージから降りるワケにはいかんだろうwww)


ランガの三人もきっとこの先に続く軌跡のドアの鍵はもう彼女達の手にあったのだろうと…。


そして…『地下鉄ラビリンス』。この楽曲も彼女達と縁の深い楽曲だ。
ダンス動画をアップしているし、『Green Leaves Fes』で永野愛理さんと共演し披露されている。都心の複雑に絡み合う路線模様を迷宮に準え、それに翻弄されながらも何とか順応していこうと苦闘していく…。

ランガの三人もまた、表現者の軌跡という名の出口と辿り着く先の景色が見えない迷宮を現在進行中の身。先が見えないというのは不安なモノ。だが、止まっていたままならこの迷宮からは絶対に出られないし未知の景色には辿り着けない。この楽曲を組み込んだのは変わろうとする想いを持って一歩踏み出す勇気を示す様に思えてならなかった。


ランガの三人にとっての、一番先のそれぞれに違う景色は何が見えたんだろうか?


そして……この二曲の披露順は、WUGのSSAで披露された順番通りだったりする。

 

 

 

 『悔しい』と吠えた三人を見殺しにするな。

 

 ここから書く事は、俺が勝手に感じただけの偏狭なモノ。
読み進んで不快に感じてしまったら容赦なく飛ばしてやって下さい。

 

この2周年記念ライブ、途中で興奮が醒め冷静になりすぎた所が自分の中であった。
その箇所だが……カバーソングコーナーなんだ。


あくまでも俺が勝手に感じている『Run Girls,Run!』のウイークポイントなのが、武器(ランガオリジナル楽曲)がまだ少ない事だと思っておる。実際、1stツアーや今回もカバーソングコーナーを設けなくてはならない状況があった。

一概にカバーコーナーが駄目と言いたいワケじゃない。ランガのライブに参戦される客層は様々な界隈から来られている。幅広い人達を楽しませようとしている事も分からんでもない。現に俺も1stツアーの東京夜公演で林さんが歌われた水樹さんの『ETERNAL BLAZE』でブチ上がったしな……ただ、今回歌われたカバーの楽曲の中で俺の知らん楽曲が来たので何か醒めた様な感覚になってしまっただけなのかもしれない。


で……MCの中、昨年のツアーに関する事で厚木那奈美さんが『1stツアーで会場を埋められなくて悔しかった』と仰られた。

(つらかったと言っていたかも知れんが…俺は悔しいと聴こえたのでそう書く)

単純にその事を悔やんでいるのは間違いなかったのだろうが、カバーを歌い公演を成立せざるを得ない状況に自分達がまだ居るという事に対して言っていたのではないだろうか?


ライブで自分達が何かの影響を受けたり、好きな楽曲を歌うのは楽しいものだろう。
でも、やっぱり表現者としては自分達の武器(楽曲)て本気の想いを伝えたい!と思っているのが本音なんじゃないだろうか。WUG楽曲を披露し歌い継いでくれるのはありがたい事ではあるのだけれども、WUGの魂に引っ張られる必要はないし、ホイホイ披露されると逆にありがたみが薄れていってしまう。暴言なのを承知で言ってしまうが、無い袖を振れない状況なのはどうにもならんが…やっぱり単独公演においてこれは安易な手段でしかないと俺は思うし、縁の薄い他のコンテンツや人の楽曲は尚更の事の様に思えるのである。



それで良いのか?いや、良くねぇだろ。おこがましいが無礼を承知で言う。

 


弱いと自覚してるのなら憮然とせず尚の事闘って認めさせてくれ。


安易な手段を選択し、それに逃げるな。


『悔しい』と吠え、闘う意思を示した彼女達三人の想いに応えろ。

 

 

寄り添ってやれるのはプロデュースするOTONA達だ。
安易な手段と上記では言ってしまったが、無策だったとは思っていない。夜の部はカバーコーナーをデュエット形式で魅せたし、歌に拘った全体の演目構成も見事だったと思う。後は楽曲が増える事だがこれはすぐには解決しない事なのは承知しておる。醒めてしまったとは書いたが、決して彼女達のパフォーマンスが見劣っていたワケじゃない。全力全開のパフォーマンスで魅せてくれた事は疑いようのない真実として在った。


こんなのは俺が書かなくても当事者達が痛感しておると思うし、申し訳ない事も承知してる。
でも、書きたかった。あの場で感じた事でもあったし、向き合わなきゃいけない事だから。

 

 

 終わらない物語。


 
 ラストアクトとなった『never-ending!!』。
この結成2周年ライブの要の楽曲だと思えるので単独項目で書かねばならないぜ。


奇を衒わない、もう気持ち良い位に真っ直ぐで清々しい雰囲気を持つ楽曲であり、共に軌跡を行く仲間との繋がりと絆。限界の向こう側と未知の可能性を信じて突き進む気概を描写しているのは、原初の楽曲『カケル×カケル』の系譜を踏襲している楽曲でもあるし、これまでの軌跡を思い返していく追憶の楽曲なのではと思える。彼女達が『never-ending!!』をこの節目となるライブの締めに持って来た事の意義は深くて尊い。この刻で歌われた事も当然ながら影響してるのだけれども、歌詞の一句一句がグサグサと突き刺さって来るんだぜ……。



 どこまでも走れ 止まっちゃいられない

 心ときめく夢をみよう (take a chance)

 ひとりじゃないさ 手を繋いで進むんだ

 まだ物語は 終わらない 未来へと


 ―Run Girls,Run! 『never-ending!!』より引用



披露の刻を待ち続けたのは、ランガだけじゃない。2周年ライブに参戦された方。参戦の叶わなかった方。彼女達に魅せられ本気の想いと魂に応えたい人達の総意だったに違いなかっただろう。
ちょいとニュアンスは違うが、詞にある『止まっちゃいられない』は1stツアータイトルに題された『止まってなんかいられない』を感じさせる様であり、何ともエモーショナルで胸熱になるじゃないか。


never-ending!!=まだ終わらない。この刻から始まる彼女達の新たな物語がそこには在って。
三人が願った言の葉を言い続け、叶う物語と景色を追いかけてみたいと思わせた。

 

 

 

 最後に。

 

 新曲のリリースも決定し。

 

 


そして…この2周年記念ライブの追加公演開催が決まった。

 

 


開催される地は、リーダー森嶋優花さんの出身地である京都。
彼女にとって凱旋公演となる。

 

ここからまた『Run Girls,Run!』はますます面白く魅力的になっていくだろう。

 

そんな彼女達の新たな一歩となったライブの参戦レポににて……
好き勝手に、尚且つ、上から目線の偏狭なもの言いで書き殴ってしまった部分もあるが…

全て偽り無い俺の本心を書き殴った。

会場に参戦して素直に感じた事は、良い事も悪い事も書き残そうと思い筆を執った次第です。でも、良い事の比率の方が多い素晴らしいライブだったのは間違いない事実だったんだ。

その証拠に、終演後は出し尽くした心地のいい疲労感を限界まで吠えダメージを受けた喉。だからこそあの刻と場で感じられた事は言語化して残しておきたかったのである。


久々の参戦レポ執筆で、書き方をすっかり忘れてしまい書きたい事が余す事無く書けたかどうか怪しいモノだけれども……

 

こんな参戦レポを最後まで読んで下さった方本当にありがとうございました。

 

 

 



 

第二章(初出社)開幕前夜。

 どうも。あかとんぼ弐号です。


いよいよ明日、新しい職場へ初出社。第二章の開幕であります。


今の心境ですが…まぁ、不安の方が多くのウェイトを占めていますがwww
やっぱり、4ヶ月間無職で過ごすと、『俺はきっちりと社会復帰できるんだろうか?』という不安が付き纏うのは事実としてあるものです。朝、きっちりと起きれるかどうかもそうだが……

何よりも、未経験の業種に踏み込んだので、全くのゼロからのスタート状態というワケじゃないが、まぁ……ほぼゼロ状態からの再出発なのであります。ただ、それを覚悟して未経験である業種へのチャレンジに踏み込んだ。

俺の場合、強制的にこちらの軌跡へと進まなくてはならなくなったが、その先の選択と決断は俺が決めた事。決断した軌跡が正しいかどうかは自分の行動で決まるモノ。これもまた『縁』が導いて結んでくれたモノでもあり、この決断が間違いではない事を証明していく。


それでは…明日からの仕事頑張ります!!

 

 

 

 

 

ご報告。―第二章へのKADODEへ…。

 どうも。あかとんぼ弐号です。

 

この度、転職先への採用が決まりました事をご報告致します。

 

当Blogでは、なるべく自分の趣味以外のプライベートを書く事はしない様にして来ましたが
今現在、俺の置かれている状況、そして、これからの事について一つの決着と決意表明の為に文章という形式で書き残したく筆を取らせてもらいました。

 

まず、俺が転職する事になった事情なんですが……
会社の事業縮小による会社都合での退職を告げられ転職する事となりました。


……。


会社都合での退職と言うと聞こえは良いが、要は戦力外通告。リストラである。

 


昔の話。あれは俺が20代の頃に職場の飲み会にて当時の上司がこんな事を言っていた。


『早い時期か遅い時期かは人によって違うが、働けなくなる時期は必ずやって来る』


当時の俺はいい加減に生きていた(今もあんま変わらんか…)その言葉の意味していた事を深くは受け止められてはいなかった。が……でも何か引っ掛かるモノはあって、あの刻の上司の言葉はこの歳になっても忘れずに残っている。年齢的な事、病気や怪我、会社の事情や制度…etc。挙げればキリ無いがそれは等しく訪れる世の理なんだと。そして、その刻が俺にも遂にやって来たというわけである。

昨年頃から人員整理が敢行されているのは聞いていて、今年に入って更に加速していった。で、部長に呼び出された時瞬時に悟った。今度切られるのは俺なんだと。


これは、負け惜しみ的な事ではないが……
正直な話、昨年の頭頃から今後の身の振り方を考えていたんです。あからさまに感じていた仕事量の低下と残業時間の減少。高齢化していく部署内の年齢層。迷走してんじゃねぇかと思わせる事業計画。これらの要素から感じてしまう負の印象。急速落下はしないだろうが、経営が上向く望みを会社からは感じられなかった。寧ろ、この機で会社を出る(追い出される形になってしまったが…)のはチャンスであると前向きに捉えられました。


そう思ってたならとっとと動けって話でもありますが…当時の俺は踏み出す勇気がなかった。


3月の頭から、7月のこの時期まで4ヶ月ちょっと。こんなに長期間休んでいた経験は高校の試験休み+夏休み以来。何をしてもいい。逆に何もしなくてもいい圧倒的に自由な時間がある。でも、この状況になって感じられた事がありました。自由すぎるよりはある程度の制約が存在するのはやっぱり人には必要なんだと。仕事や学業に追われながら、観たいテレビや映画とかあって、プレイしたいゲームがあって、表現したい事を絵や文章などの表現。やりたい事はいっぱいある。でも、やれなくて……だからこそ限られた時間の中でやる事と言うのに意味があって全力でそれらを楽しめる。それがその人それぞれの尊い時間であるのだと思えます。働けなくなってからコレは本当痛感しましたねぇ……。


そして、新たな職を探さなくてはならないわけで。
この歳になって初めて経験する転職活動。職探しは高校の就活以来25年振りだ。
当然、履歴書を書くのもそれ以来であり、しかも、職務経歴書を書くのは初めて。
取り敢えず書き殴ってそれを求人サイトの添削サービスやハローワークでの相談を受けてこれまでの業務経歴や自分の強みを見つめ直す。一つの組織に属したまま、自分独りの視点だけだったらおそらく気付けなかった事がいろいろと見つかったりもした。自己を見返していく時間が多くあったのは幸運な事ではあった。無い袖は振れない。これまでに培って来たモノを武器として闘うしか出来ない。


で…いろいろ応募したり、数社面接を受けて……つい先日採用が決まりました。


採用をいただいた所ですが、面接の感触は最悪な出来。正直、落ちたと思っていた。
本当、決まってくれて今はホッと胸を撫で下ろしております。


再来週の頭から、新しい職場で働いている自分がいます。勿論、大変なのは覚悟している。
休み過ぎたので、会社勤めに身体と精神のリズムを取り戻すのにどれだけ時間がかかるのかは不安ではありますが、第二章を頑張ってやっていきたいと思います。

 

 

 

 

消えない『縁』から託された楽曲達の物語。

 今回の記事は、ある楽曲達について別の切り口から導き出された独自考察となります。


 『Wake Up,Girls!』の作中に於いて、アイドル達が歌う楽曲を誰が制作したのか?という視点で描写される事が多くあるのは、この物語を観た事がある人は承知の事と思われる。

制作者が明言され、制作過程やアイドル達に渡る経緯が描かれる楽曲もあるが、その一方で、どこの誰が作ったのかが分からない(設定が明らかになっていない)楽曲もある。自分もそうだが、後者の誰が作ったのかが分からん楽曲について様々な考えを巡らせて、独自の考察・解釈を持たれる人は結構いたりするものである。


で、作中に於いて楽曲制作者として存在が明確になっているのは……
Twinkle、早坂さん、佐藤勝子さん(サファイア麗子さん)、bvex、WUG(Polaris作詞のみ)。

そして、これは妄想の域であり公式設定ではない解釈の可能性として囁かれるのが、白木さん(…この人は設定としておそらく既に存在してる気はする)と、最近になって新たに一部で湧き出てきた人物として、I-1の鈴木玲奈作詞説。

こいつは俺の導きだした独自考察ではないし、この説を提唱された方の考察・解釈が成されていない現時点で俺が迂闊にこの場で書けない事だが……一つ理由を挙げるのなら、彼女の趣味にある『詞を書く』という事に注視されて一つの説として浮上してきたとだけここでは書かせてもらう。


と、まぁ…前置きが長くなってしまったので本題へと移ります。

 
前述に挙げた楽曲クリエーター陣。その中でWUGと非常に『縁』深い人がいます。それは早坂さんではない。勿論、彼もWUGと非常に『縁』深い人物ではありますが、より七人と縁深い人がいるのです。


その人とは、Twinkle(トゥインクル)という全国で活躍する二人組女性デュオグループ。


彼女達の説明をざっくりすると……

下詰み時代、彼女達は丹下社長に世話になっておりその恩義から、難航していたデビュー曲『タチアガレ!』の作詞・作曲の提供者になっている。それ以降もWUGに忠告とアドバイスを送っている。七人にとっては先輩・姉貴分に当たる存在。続・劇場版後編『Beyond the Bottom』で、アイドルの祭典に臨む為の楽曲制作のオファーを出していたが、同時期に彼女達も全国ツアーを控えその準備でオファーを辞退したが
WUGとTwinkleとの縁は健在で、楽曲提供もおそらく続けてありその先の物語へと続いていく。


今回の独自考察記事は、Twinkleが七人に託した新しい楽曲について書き殴ってみようと思います。

毎度の如く個人の思考に過ぎませんが、お時間が許せばお付き合い頂ければ幸いです。

 

 

Chapter1/巡る七つの星と翼~HIGAWARI PRINCESS

 

 この楽曲の新たな物語が語られたのはソーシャルゲームWake Up, Girls! 新星の天使』内のストーリーで語られている。この楽曲が七人に渡った刻はアイドルの祭典・2016の前とみていいだろう。新章の前日譚を描いた漫画作品『Wake Up, Girls! エターナル・センシズ』内でも、仙台凱旋ライブのセットリストを考えていた際に『HIGAWARI PRINCESS』の存在を示唆している台詞があることから、この時点でWUGに渡っていたものと思われる。『新星の天使』での時間軸も、『エターナル・センシズ』内と同じく、続・劇場版後編『Beyond the Bottom』と新章の間を繋いだ物語として描かれたというワケである。

さて…WUGの下にどういう経緯で『HIGAWARI PRINCESS』が渡ったのかだが…これは『新星の天使』で描かれていたのである。

 作詞・作曲を手掛け提供したのは『Twinkle』によるモノだった。WUGの仙台での冠番組わぐばん!』を観たTwinkleの二人がそこからインスパイアされて、一人一人が主役として輝ける事を感じ、あえてメインボーカルを想定しない、誰がメインでも歌いこなせる楽曲であり、祭典用の楽曲として七人に授けた…とされている。

これを知ったのはつい数日前の話であり、まぁ、衝撃的な事でもある。


(様々な事情で単に俺が知らなかっただけなんだがな…)


 『BtB』で描かれていたアイドルの祭典・2015の本戦に臨むにあたって、未発表の新曲が必要となり、丹下社長は縁深い『Twinkle』に楽曲提供を依頼したが、多忙の為断らざるを得なかった。
二人にとっては、あの時果たせなかった事を果たしたかったという想いもあったと思えるだろうし、前述にある様に、この時点で見た今の七人の個性ならば歌えると信じて楽曲を託したのもあるのだろう。
話がずれてしまうが、ランガの三人をTwinkleが見て『カケル×カケル』を作ったとされていて、曲調をTwinkleの新境地だと久海菜々美が言及していた。
推測と暴論ではあるが…『HIGAWARI PRINCESS』の制作もTwinkleにとっての新しい挑戦だったのではないだろうか。

 

 

Chapter2/太陽~プラチナ・サンライズ

 

 ここからの項で書く事は、完全な著者の妄想全開であるという事を予め宣言しておく。


 
『エターナル・センシズ』で、仙台公演(新章のツアーの事ではない)のセトリ会議の際、片山実波と七瀬佳乃が『プラチナ・サンライズ』をライブで歌いたいという台詞があった。作中でこの楽曲が歌われる事は無かったが、持ち曲としての公式設定はあったのだろう。そして、一切の言及はなされていないが…『セブンティーン・クライシス』も持ち歌としてあるモノとして自分は捉えている。そして、前述の『HIGAWARI PRINCESS』同様、この二曲もTwinkleが制作したのではないだろうかと自分は思えるのである。


このBlogの考察記事は九割方暴論で書いておるがwww
これも完全な妄想と暴論の域の話だが…この際気にしては負けなのでこのまま進める。

 

WUGの為に書き下した楽曲でもあるのだろうが……
色々と考え(妄想)を巡らせた結果、ある別の解釈が導き出されたのである。
(無論、作中限定での楽曲の役割に於いてであるが。)


『プラチナ・サンライズ』は元々Twinkleの楽曲。もしくはリリースする新曲として制作していたのではないだろうかと。


 俺が言ったところで説得力の欠片すらないのは重々承知しておるが……これ、あながち的外れじゃない解釈だとも思っている。単純にそのままカバーバージョンとして提供したのか、原曲はTwinkleが歌い、実波と佳乃が歌うのは、メロディは原曲と一緒だが違う曲題(プラチナ・サンライズ)と詞をのせた楽曲という形という線もありうる。勿論、WUGの為だけの新曲として書き下ろした楽曲という線もある。

脱線するが、同じ曲に違う詞をのせた楽曲を同時にリリースされた楽曲という前例が実際に存在していて、氷室京介さんの『Claudia』と同時にリリースされたDAIGO☆STARDUST(現・DAIGO)のデビューシングル『MARIA』がそれになる。(曲調はアレンジされているが)興味が湧いた方はどうにかして聴いてみて下さい。

 『タチアガレ!』の詞にある『日差し』と『明けない夜』。この楽曲の題にもあるサンライズ=夜明けから結び付けていくとするなら、この楽曲は『タチアガレ!』の系譜を継ぐ楽曲なのだろう。対面での魂との対話。並走して互いに限界領域の行き着く所まで突っ走る。詞の構成を見ていくとこれは七人で歌うというかはデュエットで歌う事を前提として書かれ『プラチナ・サンライズ』は『闘い』=『決闘』を思わせる楽曲だと思える。
どういった経緯と時期に、実波と佳乃に『プラチナ・サンライズ』が託されたのかは分からない。
一つの説として当てはまると勝手ながら思えるのは、『タチアガレ!』を提供した頃WUGにまだ島田真夢は加入していなかった。その状況はTwinkleは知っていただろう。色々あって後に真夢が歌うソロパートは最初、実波が担当していた。詞に、『夜と朝がぶつかる』とある。自分が実波と佳乃の印象としてあるのは、実波=太陽(朝)、佳乃=月(夜)の印象なのだ。


Twinkleが感じたインスピレーションと楽曲『プラチナ・サンライズ』との相性が実波と佳乃に見事に合致し楽曲を託したのではないだろうか。

 

 


Chapter3/系譜を継ぐ楽曲~セブンティーン・クライシス

 

 『セブンティーン・クライシス』の存在自体、作中では一切言及されていない…。
だが、この楽曲とTwinkleという要素を加味して考えると存在を無視出来ない様に思えるのだ。


(まぁ、これも後付け感満載ではある……)


『プラチナ・サンライズ』と同様にこの楽曲もTwinkleから提供され
WUGの持ち歌としてあるものとして捉え考察を書き進めていく。

ダンスチューン色が強い曲調に注視してこの楽曲を見ていくと、bvexが制作した『素顔で KISS ME』と似系譜になるだろうが詞の世界観はまるで違う。『プラチナ・サンライズ』の項では、Twinkleが歌う楽曲、もしくはタイトルと詞を変え提供したと書いたが、『セブンティーン・クライシス』は最初からWUGへの新曲として書き下ろした楽曲であると思えるのです。その最たる理由はこれもTwinkle提供による楽曲『16歳のアガペー』の系譜を継ぐ後継・続編曲である事を強烈に印象付けさせているからでしょう。

メンバー構成、二つの楽曲の共通項と世界観については書き出すとまた長くなるので本稿では端折らせてもらうが…。とにかく、『16歳のアガペー』と『セブンティーン・クライシス』との結び付きは非常に大きなモノとしてあるという事だけは伝えておきたい。

この楽曲もどの時期に作られWUGに託されたのかは分からない。
『HIGAWARI PRINCESS』と同時期なのか?『BtB』作中でのプロモーション活動時に楽曲はもうあったという説も思い浮かぶ。……と、考え始めたらキリは無いし明確な答えも無いが……

詞にある『大人への階段』や危機・転換点を意味する『クライシス』という語句。
危機的状況と言えば、WUGは常に逆境と背合わせで軌跡を駆けてきた。それらを乗り越え七人は成長してここまで来た。それは『大人への階段』を登っていく事なのだろうし、転換点でもあるのだと。

 

 

 最後に。

 

f:id:Akatonbo02:20190715235538j:plain

 

 つい先日、ソーシャルゲームWake Up, Girls! 新星の天使』のサービスが終了した。
自分は、プレイする機会が無く、そんな奴がゲーム内でのエピソードについてモノを書くのはおこがましい事であるのは痛感している。更に言ってしまえばこの期に及んで終わった物語について、色々考えてもしょうがないじゃないかと思われる人もいるだろう。その意見に真っ向から噛み付いて反論して、『分かってくれ!』と叫ぶつもりもない。


けど、終わった物語を見返し、再考する事に資格や許可なんてモノは無い。


この独自考察を書く切っ掛けと楽曲に向き合い再考する機を終焉の刻で与えてくれた事。それは本当にありがたかった事だったのです。


運営、本当にお疲れ様でした。そして…描ききれなかった部分を補完する物語を別の形で紡いでいただいてありがとうございました。


相変わらず散漫としておりますが、こんなところで本稿を締めたいと思います。
最後まで読んで下さりありがとうございました。

 

 

 

 

 

終わりではなく、はじまり。『Wake Up, Girls! FINAL LIVE ~想い出のパレード~』Blu-ray所感。

 

f:id:Akatonbo02:20190701001701j:plain



 Wake Up, Girls! FINAL LIVE ~想い出のパレード~』Blu-rayを購入致しました。


少し前になるが、あの時売り切れてしまったパンフレットも事後物販で購入出来た。

 

無事に購入したのはいいが…正直な話、購入直後は観たい欲求は勿論あるのだけれども、参戦したあの刻と瞬間のインプレッションを大切にしたい躊躇いの心情とのせめぎ合いがあった。俺の中では踏ん切りはついていると思っていたが、なかなか簡単なモノではなかったらしい。生半可な覚悟では、あの地で紡がれた物語を受け入れる事は出来ない。

 

 

どれだけ嗤われ、傷ついても譲れなかった決起の物語。


言葉にして言い続けあの刻を記念日にした物語。


悔し涙が七つの星に変わり輝いた闘いの物語。


『大好き』と伝えられる体と心の物語。


当たり前の奇跡と生命の息吹に感謝する物語。

 

もう一つの巡り逢いの縁への奇跡と礼賛の物語。


虚構という抜け殻ではなく、本質という素顔の物語。


理性を置き去りにしてひたすらに楽しむ物語。

 

人間らしく在ろうとした少女の一歩踏み出す勇気と始まりの物語。


不揃いの中に在った深愛の物語。


星が煌く闇夜を翔け、眠ったチカラを解放する物語。


二人への真愛を叫ぶ魔性の物語。


紫の煌きが織り成す魅惑の領域での物語。


満腹まで余す事無く楽しみ尽くす物語。


感じるな、楽しめ!という魔法の言の葉の物語。


それぞれ違った形の原石が放つ七色の心の光の物語。

 

地図を失くしても強く願い辿り着いてわんさか楽しむ物語。


パーティの主役は七人のプリンセスだった物語。


完結してたはずの世界を変えた物語。


想いを塗り込めた空へ手を伸ばし、憧れを掴み取る物語。


想像出来る後悔よりも創造する明日へと踏み出す七つの感性と個の物語。


しんどい季節と涙があってこそ輝く極上の笑顔の物語。


悠久の刻が廻る物語。


今の自分と未来を信じて諦めなかった少女達が交わり響かせた物語。


One offを極めた“生命の謳”と純白の心の光で染まった“奇跡”の物語。


過ぎ去りし刻を尊ぶ決意と“起”の物語。


壊れる事すら厭わない爆ぜる魂と“承”の物語。


それぞれの未来へ翔び発つ“転”の物語。


永遠の別離の『さようなら』ではなく、また逢う為の『さようなら』の“結”の物語。

 

巡り巡って手に入れた鍵で未来へと転じる物語。


迷宮を彷徨いながらもひたすらに楽しんで突き進んだ物語。


望郷の念と、東北六県へ想いを馳せ、繋ぐ物語。


心の光が互いに導き、繋がり、輝いた物語。


この世界で生きるために…おしまいではなく、ここからはじまる為の終の物語。

 

 

3時間過ぎの刻の中で紡がれた、一つたりとも欠く事の出来ない尊い物語があった。
この物語(楽曲)へのインプレッションについては、あの刻と地で直に感じたモノを参戦レポという形式で書いたので、今更取り立てて書くようなことも無い。

akatonbo02.hatenablog.jp

 

*クソ長い駄文なのでご注意下さい



でも、あれから時間が経って、あの激熱な感動という記憶の輪郭がぼやけはじめて来たのも事実として感じている。そんな刻に約束の地で魅せ付けたあの七人の本気の想いと魂を観せられ、あの刻で感じた激熱な感動を記憶の底から引き上げる為に、まさに今、PCの画面と向き合いキーボードを叩いている。


だからこれは、参戦レポの追記・アフタートーク的なモノとして書かせてもらう。

 

 楽しかったこと、嬉しかったこと。

 つらかったこと、感動したこと。


 最後のステージの幕が上がる直前まで、

 今日ここにいるすべての人が

 次々に浮かびあがる様々な想い出に

 心を揺り動かされているでしょう。


 でもライブが始まったら想いは一つ。


 7人でのラストステージ、

 7人それぞれの新たなる門出。


 たくさんの想い出がパレードのように

 押し寄せる、胸踊る楽しいひとときを過ごそう。


 そしてパレードの幕が下りる瞬間、

 きっとみんなの胸に去来する言葉は……


 ありがとう


 ―『Wake Up, Girls! FINAL LIVE ~想い出のパレード~』パンフレット本文より引用

 

 

 

● 感情の大戦争

 

偉大なる先人(水樹奈々さん)曰く、『ライブとは闘いの場である』と。


そして…最初の挨拶でWUGのリーダー・青山吉能さんは吠えた。

 

今日はね、そのパワーを思う存分貰って、与えて、

そんな大戦争にしたいと思ってますので、

今日は宜しくお願いします!!!!!!!

 

参戦したあの日は、滾る衝動と興奮が勝っていて感じなかったモノだが、改めて観る環境と状況によって感じるインプレッションはまるで違うという事を思い知らされ、観終わって、彼女が言っていた『大戦争』という感情のぶつけ合いの意味を痛感した。


まず、胸に込み上げていたのがオープニングアクトの『タチアガレ!』だった。


このSSAにて『タチアガレ!』が歌われたのは2014年のアニサマ以来。
アニサマでもそうだったし、実際に俺がこれまで参戦したり観たWUGのライブでこの楽曲に対して湧かなかった涙腺を集中砲火される感覚。そうなった要因は、会場全体を俯瞰で捉えた景色、吉岡さんのソロパートの時に一瞬だけ七人側から会場を映した場面だ。


今までのライブ映像作品にも七人側からや会場全体を映した場面は存在している。

だが、涙腺まで集中砲火される事態にまでには至らなかった。


何故そうなったのか?それはこの地が、さいたまスーパーアリーナだったからと思ってる。


嗤われても言い続け必死に闘い……最期の刻で遂に叶って七人の足で立った約束の地。
フェスで観る景色じゃない。最初から最後まで彼女達七人が占領できる特別な刻。勿論、これが最期のライブだという事実があったからという事もあるし、何よりも自分が最も観たかった景色だったからでもある。


それだけじゃない。


『極上スマイル』にて盛大に歌詞すっ飛ばし2番のBメロを先に歌ってしまった高木美佑さんww自分の知る範囲だが、彼女が豪快に歌詞すっとばしたのは、2016年の3rdツアーの初陣となった舞浜公演(夜)で歌った『It's amazing showtime☆』以来だろう。

間違えないのが良いに越した事はないが、これもまた滅多に観られるものじゃない貴重なモノ。あの場でしか生まれなかった物語と称しても良いと俺は思っている。


少女交響曲』で魂と魂が激しくぶつかり合ったまゆしぃ&よっぴーの絶唱
彼女達が限界領域の向こう側まで踏み込んで、繋いだ互いの手を握り合う姿。


(俺の目にはそう見えたんだ…)


これはあの場で自分が観れなかった細部だ。繋いでいた時間は僅かだが、握り返す力と熱は強くて燃え滾るモノだった様に思えて来る。


Beyond the Bottom』で圧倒されて形容する言葉を失ったのはあの刻と同様だ。
白一色の心の光で染まったSSAの空間。昇華していたのは楽曲だけじゃなかった…七人の存在も何か人ならざる者へと昇華した様に思えてならない。何かを感じ取って形容しろではなく、まっさらな魂でただ受け入れて感じろ。と言う事なのだろうか?
おそらく数え切れない程このアクトを観たところで『答え』を導き出せないと思える……


Polaris』のクライマックス、吉岡茉祐さんのソロで白から赤に染まるあの光景。
瞬時に変化していくのでなく徐々に、まるで血が廻り渡って血と魂が宿っていくかの様な印象を思わせる。新章の最終話で闇夜に段々と灯って広がっていく白の光の場面を彷彿とさせる光景。灯る心の光の色は違うが…激熱であり感動で想いが込み上げて来る素敵な場面。


改めて挙げだすとキリが無くなるのでここまでにしますが
あの刻を思い出したり、あの刻で観れなかったものを観れて感激して涙して…心の底から笑い、本気の想いに魂が戦ぎ、滾って爆ぜたり、圧倒的な存在感と説得力で言葉を失う…
想いの相互循環なんてそんな優しいモノじゃない。ノーガードで殴り合う闘い。


青山さんが言っていた様にあの場は“感情の大戦争”だった戦場(いくさば)でした。

 

 

 

SSAなんだよね……

 

俺は、参戦時には一切メモを取らない。と言うかは取れない。


なので、俺が書いたこれまでの参戦レポはMCパートの大部分をすっ飛ばして書いてきている。今、こうして映像で観れてこの言葉にやっと気付いたワケでここに書いているのだが。


さて、この項の題にある『SSAなんだよね』という言葉。これは『Beyond the Bottom』後のMCとアンコール『地下鉄ラビリンス』後のMC内で青山さんが感慨深くSSAに今立っているという紛れもない真実をしみじみと感じている言葉を発していたのが印象的だった。

色々な想いや感情を抱いていたと思います。
青山さんだけじゃなく六人にも。ワグナー諸氏にも。

たった一日の最期の夢のステージに、それぞれの年月と、物語と、未来があった。
皆、真剣だった。潔かった。本気だった。魂懸けてた。


だからこそ、彼女の言の葉が魂に突き刺さって来たのだと。


『生きる』という言葉を青山さんはよく使われている。
彼女があの刻でSSAのステージに立っている事を幻ではなく、自らの両足でしっかりと立っているという現実を噛みしめ再確認し、『今を生きている』という実感を得たかったのだと思えてしまえるし、過ぎていく刻を惜しむ意味でもあったのだろう……


SSAなんだよね…』と彼女の万感の想いである言の葉は意義深くて重かった。

 

 

 

● あの七人に負けた……

 

 やっぱり、この七人“最強”なんです。


吉岡茉祐さんが手紙に綴られたこの言葉に一切の偽りは無く、深くて重い。

そして…誇らしげに戦友達を称え、微笑んで言う彼女は素敵でした。


人それぞれに感じた七人の強い輝きは違うモノだと思います。
あの刻に参戦して様々な位置の座席で観て感じたモノ、そしてこの映像を観て感じたモノがどれ一つとして完全に同じモノはない様に。


観た人の抱く唯一無二、あの七人が最強たる理があったのだと。


彼女達も、最初から強かったワケじゃない。弱いのなら尚の事闘えと…自らの弱さと真摯に向き合い、真っ向から限界と闘い抜いてここまで来た。

今までも、そして…終焉の瞬間までそいつを魅せつけて貫き通した。
改めてこの映像をあの時とは違った視点で観た率直なインプレッションが前述の言。約束の地・SSAという特別な場所での最期のライブだが、彼女達は何も特別な事をしたワケじゃない。奇を衒う事無くいつも通りに本気で、全力全開で、想いと魂を燃え滾らせて

『いつものWUGのライブ』のスタイルでやりきって、全てを出し尽くした。
それがいつも通りの、期待に応えて予想を裏切った素晴らしいライブに出来たのだと。


Wake Up,Girls!』の生き様と強さはここまで凄いモノになっていた。


本当に凄い、最強で最高の七人。完敗です。

 

 


● 無くならずに続いていく『縁』の記憶

 

3.8に参戦の叶わなかった人。
あの刻の記憶を呼び起こし感動を取り戻そうとされる人。


今とこれからの未来の刻で、
まだ『Wake Up,Girls!』を知らない、知ったばかりという人。


Wake Up,Girls!』から距離を置いて、また寄り添ってみようとされる人……

 

この映像を観終わって…参戦した3.8の記憶と別の視点で観て繋がった新しいインプレッションの余韻に浸り、置き去りになった感情を取り戻す為に書き殴った。
刻が経って記憶は薄れていってしまうモノではあるが、ほんの些細なきっかけで濃密に取り戻せる事だってある。でも、どう抗っても何もかもが変化していく事は逆らう事の出来ない自然の理。そして、人も離れていくのだろう。


けれど、どうにも出来ない事を受け入れて尚、吉岡さんは言葉にしてくれた。

 

忘れないで。ここにWUGがいたことを。

そして、みんなの中でWUGという存在が、

ずっと先の何億光年も輝ける想い出になってくれていれば、

物語は続いていきます。

 

 

物語は続く。続けて紡いでいく方法の一つとしてあるのが、今観たこのライブ映像だと。
懐かしくてまた会いたくなったら、何時でもこの縁の記憶を再生すればいい。
無くなるモノはあるが、残るモノもある。あの刻の記憶を呼び醒ます媒体が今存在している。これも当たり前な事じゃない奇跡なんだ。


そして…このBlu-ray Discのブックレットの裏表紙にはこう記されていた。
その言の葉をもって、本稿の締めとさせていただく。

 

      f:id:Akatonbo02:20190701001714j:plain


スペシャルサンクス Wake Up,Girls!を愛してくれた全ての皆様

 

何度でも叫んで語り継ぐよ。やっぱりあの七人は最強で最高だったと。

 

 

 

 

 

 

 

時空へのパレード ~叫び続ける想い~

 皆様こんばんは。あかとんぼ弐号です。


刻が経つのは早いもので今年も半年が経ちます。

昨年の今頃『Wake Up,Girls!』の解散の報が告げられ、遡る事三ヶ月前には、約束の地・さいたまスーパーアリーナにて


Wake Up, Girls! FINAL LIVE~想い出のパレード~が行われた。


今更、自分が何かを言うまでもなく、昨年のあの刻から終焉の刻までの物語は、掛け替えのない尊い物語として魂に刻み“第2章”の軌跡をそれぞれに歩んでいるのでしょう。
自分も約束の刻と地に参戦して全ての思いの丈を出し尽くし、あの場で直に感じたインプレッションを参戦レポに書けるだけ書き殴って決着をつけた。先の事は勿論分からんがおそらく、あの参戦レポ以上の長文は今後書かないでしょう。

そんな今の自分の状況は、完全に燃え尽きたとかロスに陥ったという事はなく
相も変わらず、WUGに関する事をこのBlogにひたすら書き殴っております。

 

 

◆無くならなくて、まだ続いている。

 


当Blog内では、度々、自分のWUGへの想いの根幹となる言の葉を綴って来ました。


Blogという媒体にて彼女達七人の軌跡や感謝を綴り記録と記憶として残す…
勝手だが、俺が出来る最良の形であり七人に対しての感謝の意を示す事。


そして…約束の地で、吉岡茉祐さんから未来を託されました。


Wake Up,Girls!をこれからもよろしくお願いします』と。


まぁ、それはWUGへの想いを一方的に受け取った勝手な約束ですが。


確かにユニット・Wake Up,Girls!は終わりました。改めて書くまでもなくそれは覆らない現実として今に存在している。完全にWUGが終わったかどうかは個人の解釈になると思いますが、三月が終わった刻と同時に終焉は存在しました。そして、七人がそれぞれ別の軌跡を歩んで行く事も応援したい。ただし、WUGへの想いというのはそことはまた違う所にあるものなんだ。

終焉の刻が過ぎて七人が、皆がそれぞれ新しい軌跡を歩んでいる今。燃え屑の様に未だに燻り続けて、未練がましく終わったモノに縋っている見苦しい奴と思われるでしょう。そんなのは重々承知しているし、分かってくれと訴える気は毛頭無い。俺の中にまだあるWUGへの想いを余す所無く出し尽くたその刻で、ようやく俺の中では『Wake Up,Girls!』の真のエンディングを迎えるのでしょう。


なので、俺にとって『Wake Up,Girls!』の本当のエンディングは、まだ先の未来の刻なのだと。

 

 


◆魂が囚われた呪縛の中でも…

 

ハッキリ言ってしまえば…
ここに書いているモノは完全な俺の自己満足。エゴの垂れ流しだ。


好き勝手、片手間で書いてると思われるかもしれませんが、インプレッションを言語化するのは本当にしんどいモノなのです……まして、解散したユニットについてだったり、過去のモノについて書く事は。で、更に輪をかけてしまうと、今のご時勢は受けて側(読む人)の人からしてみたら、長文をじっくり読むより目に留まる適度な文章の方が印象に残る=答えを導き易い風潮になっていってる様に思っています。

やめる=もう書かないと言うのは簡単なんです。それこそSSAの参戦レポで出し尽くして燃え尽きたと言ってしまえばそれまでなんで。でも、俺は書き続けるという決断をして今に至っています。


その理由は至極単純なモノなんです。
まだまだ彼女達が世に遺したものについて語り継ぎたい。様々な視点で触れて…


ドキドキして、ワクワクしたいんですよ。


自分なりに出来る事、WUGを通しBlogで言語化して記憶と記録として残す事。
見て全てを解釈出来たなんて言えたモノじゃない。もっと踏み込んで触れて感じたいんです。感じたインプレッションを書き記したモノを後世に遺したいなんて大それた事を言うつもりもない。万が一、自分の駄文を読んで直にWUGを知るきっかけとなってもらえたならそれはありがたい事だけれども、きっかけのそのまたきっかけ…喩えるなら、玄関の扉の足元に敷いてある足拭きマット程度でも構わない。俺なんかより素晴らしい文章を書く方は大勢います。色々な人、視点の解釈によって紡がれた言の葉に触れて、是非ともその先の領域に踏み込んでいただきたいと思います。


見つけてしまって、魂を掴まれ揺さぶられた。もう、俺は『Wake Up,Girls!』という存在から逃れられない…このコンテンツと添い遂げられる限り軌跡を歩み続けていく事が自分の“第2章”なのだと思わされたのであります。

 

 

 

◆真愛とその名を叫び続ける……何度でも。

 

終わったからといって、何も語ってはいけないなんて無いんです。
寧ろ、終わったからこそ声や言の葉をあげて紡いでいく事が必要なのではないでしょうか。人の魂に響いたインプレッションや思い入れはそれぞれに違って当たり前。

これも、過去の記事にも書いた事ですが、本気の想いを形にして解き放つ事に満点や正解や優劣なんてありませんし、資格なんて要りません。人それぞれ感じたインプレッションはその人の唯一無二で尊いモノと俺は思っています。キャラ・キャスト・曲・物語…何が観れた、何が聴けた…何でもいいです。本気の想いと魂を解き放って下さい。それに応える人は必ずいると思います。俺はその人なりの楽しみ方や本気の想いをただ知りたい。

本気の想いを放ったら、応えてくれる人は必ずいるものです。語り継いでいって、5年~10年後の未来の刻に知ってもらう為には多くの人が紡いだ本気の想いが必要なんです。

これから先の未来に於いても、俺は何度でもあの七人への真愛の情と名、楽曲について言の葉を紡いでいって全て出し尽くすまで叫び続けるでしょう。


縋っているワケでも未練から来ているモノでもない。
巡り逢いの縁の記憶と記録を辿れば、何度でも出逢えるものだ。


期待に応え、予想を裏切って、最高を更新し続けたあの七人の奇跡に。

 

 

 


*本稿は『トキノドロップ』(赤雪すずみさん)の
『はじめましてのパレード』企画に寄せて書かせていただきました(6月25日投稿)