巡礼者のかく語りき

自由気ままに書き綴る雑記帳

Wake Up, Girls! FINAL TOUR ‐HOME‐ ~PART III KADODE~ LIVE Blu-ray所感

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Wake Up, Girls! FINAL TOUR ‐HOME‐ ~PART III KADODE~』購入しました。

 

 

Wake Up, Girls!  FINAL TOUR - HOME -~ PART III KADODE~ [Blu-ray]

Wake Up, Girls! FINAL TOUR - HOME -~ PART III KADODE~ [Blu-ray]

 

 


このLIVE Blu-rayに収録されているのは、千秋楽仙台公演二日目の夜の部。
全33公演の最後となる公演の模様が収録されておる。

で、観終わった率直な感想なんだが……感動した、滾って激熱だったという印象なのは言うに及ばず。ただ、これらの言葉による所感で結論付けられるのならばこうして記事を書き殴ろうとはしていない。俺はこの公演に参戦していない人間。現地の席で直に体感したインプレッションと、刻が経って映像を観たインプレッションとの間には埋めきれない確固たる差はどうしても出てしまうモノである。勿論、双方のインプレッションに優劣を付けるのは滑稽な事だと思うのである。

現地でのインプレッションとはまた違うインプレッション。
それでしか感じ得なかった驚きや発見があった。上述の様に単に感動し、激熱という言葉では表現しきれなくて、映像と音が押し寄せる情報が処理して咀嚼出来るキャパシティを遥かに越えてしまったんだ。だから、観終わった後の感情として湧き上がってあるのはどうしていいか分からない『無』の感情なのである。

同じく映像で観たWUG5周年ライブや、ファイナルツアーPart2~FANTASIA~を観た直後も似た様な感情になったものだが、今回のはそれを軽く凌駕してしまっている。
そう、この感覚は実際に現地参戦して全力を出し尽くした後に襲ってくる虚無感と一緒なんだ。身体的な疲労は俯瞰で観ていていた分それほどではないのだが、心、魂はそうじゃなかった。


抜け落ちてしまった魂の欠片を取り戻すという意味を込めて…これから、七人のKADODE
約束の地・さいたまスーパーアリーナへのTABIJI(旅路)の物語を可能な限り書き殴っていこうと思う。

 

 

 

少女交響曲絶唱vs絶唱


 PartⅡシリーズのクロージングアクトはこの楽曲で終わっているので、まさに『Continue』と言わんばかりである。この楽曲は『攻め』の楽曲。七人が最終章の初手に持ってきたのは奇を衒わない全力全開の滾る想いをぶつけられる楽曲だ。

まぁ……先に書いてしまうが、滾る想いが最高潮に達して『要』となっているのが、散々当BlogのWUGライブ参戦レポにも書いている吉岡茉祐さんと青山吉能さんのソロパートなんだ。

 

 疑うこと 覚えたらキリないけど

 みんな弱いよね 私も同じ

 人と人とが つながるって奇跡 次の瞬間

 この手は離れるから

 ごめん、さよなら


 Wake Up,Girls!少女交響曲』より引用

 

見出しに絶唱vs絶唱と書いた様に、ここは吉岡さんの血が燃え滾るプラスのパッションの絶唱と、青山さんの身震いさせられ鳥肌が立つマイナスのパッションの絶唱との闘い。単純に音をなぞって歌い上げればいいなんて歌い方はしていなくて生半可な覚悟で彼女達はこのパートを歌っちゃいないのです。どちらかの熱が暴走したらここのパートは死ぬ。それを二人は思い知っているからこそ行き着く所の限界を越える為にそれぞれが踏み込んでいく。

背中を預けあえる存在でもあるし、でも絶対に負けたくない存在でもある。ハッキリ言ってキツいのは間違い無いんだが、彼女達はお互いに真っ向から向きあってそこから逃げずに戦い合った。それ故にこのアクトを観て来ていつも感じ最高を塗り替えて更新し続けている要因だと思えるのです。


こいつには負けられない。


こいつには勝てない、でも……逃げたくはない。


こいつなら行き着く所まで踏み込んで応えられる。

 

少女交響曲』の強さをこの場で語る事はしない。この駄文を読んでもし興味が湧いたら様々なWUGのライブ映像を観て感じていただきたい。とは言え、楽曲が劇的に変化するワケじゃなく、違いがどこに表れているのかと言うと、私見の域ですが歌う者の生き様じゃないかなと。歌というものは嘘や誤魔化しが出来ないもの。不器用で真っ向勝負しか出来ない二人にしか出来なかった闘いの賜物。歌いきって、互いに振り返り手を合わせて握り合い繋がる指は吉岡さんと青山さんとの間にある確固たる証なのだろう。
映像越しながらも、存分に感じた燃え滾る衝動と、身震いさせられ鳥肌が立つ感覚は参戦した時と比肩するモノだった。


『挨拶が遅れたけれど、私達がWake Up,Girls!だ!!!!!!!』


こんな事七人は言ってない。なので、これは俺の完全な妄想だけれども……ツアー最終章に懸けた七人の想いがオープニングアクトに凝縮されていた様に思えてならなかったのである。

 

 

もう一人の『縁』深い者の秘めたる想いと言の葉


 千秋楽の舞台となっていたのはWUGの聖地である仙台。
この仙台の地に最も縁深い人と言えば、仙台出身である永野愛理さんだ。(彼女の魅せ場についての所感は後述にて書き殴る)だが、ここでこれから書く『縁』を持つ人とは、永野さんと同じく東北に縁深い岩手出身奥野香耶さんの事である。

奥野さんは、千秋楽開演前に綴られたBlogにこう書き綴っていた。

 

今日明日、すっごく行きたかったけど来られなかったワグナーさんのことも思いながら、

今日私たちはステージに立っていましたよ。気持ち届いてたらいいなぁ。

悔いのない仙台公演を。感謝の気持ちを、

送ります。


Wake Up,Girls! Official Blog 今日は記念日に@かやたんより引用

 


 そして迎えた千秋楽のステージ。最初の挨拶で彼女は言う。

 

失う事に慣れるときはこないからさ、

だから、今、この数時間皆さんと共有出来るこの時間を

私は“ここで生きる”という意識で、

頑張ってこの夜公演やっていきたいと思います。

なので、皆さんも生きると感じながら

今、この時間を生きていこうじゃありませんか!

 

 

菊間夏夜のキャラクターソング『Into The Light』の歌詞にある『失う事に慣れるときはこないからさ』から始まる彼女の言葉。何故、この楽曲から詞を引用して彼女は挨拶の第一声としたのか?当然、奥野さんの真意を窺い知る事は無理な話だが…失うという自然の理からはどうしても逃れられないモノで、刻が経つにつれてそれは薄れていくことではあるのだけれども、完全に消し去る事というのは不可能な話で幾ら重ねようとも慣れるという事はない。
だが、引用した詞の後の歌詞はこうなっていて、ここに彼女の真意=ここで生きるが在る様に思えるんだ。

 

 後悔はするもんか 裸足で歩いたこの軌跡


 ―菊間夏夜(CV:奥野香耶)『Into The Light』より引用

 

 今しかないこの場と瞬間と最期の刻を、悔いなく駆け抜けようという奥野さんの覚悟と決意。
皆に呼びかける様に奥野さんが言ったのは、共にその刻を共有しようという意を込めて手を差し伸べたのではないだろうか?ここで生きる≒WUG最期の仙台公演の刻という一期一会の場で欠けてはならなかったモノがあった。
七人の想い、真夢達七人の魂、ワグナーの情熱。このFINALTOURの最期の刻まで全力全開で楽しみ尽くす為に、皆の想い、魂、情熱を繋ぐ為に…


そして……奥野さんの真愛の情と想いが凝縮され我々に伝えたかったのが
『ハートライン』での落ちサビ前の魂の叫びだったんじゃないだろうか。

 

 

ワグナーさんへ、私達と出逢ってくれてどうもありがとう!


いつもどんな時も気持ちを共有してくれてありがとう!


だから、今考えてる事もきっと一緒だよね?!


私達はワグナーさんへの愛を込めて歌いますッ!!


だから、ワグナーさんも私達への愛を叫んでッ!!!!!!!

 

 

 おそらく、彼女は信じたかったのだと思う。自分自身に問う意味があって…そして、情熱をぶつけて来るワグナー諸氏の闘い続ける覚悟を。俺が知りうる狭い範囲でしかないのだけれど…奥野さんがここまで感情を剥き出しにして混じりっけのない想いを解放したのは、5周年ライブでの『七人誰も欠けなくて良かった』の言と、あの刻…6月15日での解散発表での言。他にもあるのだろうが…俺の中ではこの二つの件が強烈に印象付いているんだ。

穿った見方で捉えるのならば、彼女の発した思いの丈は表現者のエゴという押し付けがましいモノになるのだろう。でも、あの刻と場にはそういうマイナスの感情は(全てではないのだろうが…)無かったのだと思える。
いろいろと飾り立てた言の葉なんて要らないし伝わらない。偽りの無い『我』を貫いてただ愛を叫べと。

あの熱狂と興奮の中、奥野さんの言の葉を正確に一語一句洩らさず聞き取れたという方はどれだけいたのだろうか?いたのかもしれないし、また、聞き取れなかったのかもしれない。
だけど、変わろうとする想いを持って、一歩踏み出した奥野香耶さんの勇気とツアーの軌跡を駆け抜けて来た彼女の生き様を肌で感じられたからこそ、愛を叫ぶ事で奥野さんの真愛の想いに応えたのではないだろうか。



奥野香耶さん。刻と場の境界線を越えて届きました。貴女の真愛の想いは。

 


 


咲き誇った深愛という名の花

 

 あくまでも個人的な所感であるが…仙台公演の『要』を担ったアクトは、永野愛理さんのソロ楽曲『桜色クレッシェンド』と『minority emotions』だと思っている。この二つの楽曲は、彼女が好きな花として挙げている『桜』をモチーフにした楽曲だ。誤解も招くといかんので弁明させてもらうが、この企画コーナーのアクトである、ソロダンスパート、『outlander rhapsody』、『ハートライン』が見劣りしていたという事ではなくて、これらのアクトの印象を打ち消してしまう凄まじさがあの二曲にはあったと思っている。

 


まずは『minority emotions』

 

youtu.be

 

イントロが奏でられた直後から、映像で間接的に観ていても何だか胸に込み上げ眼が潤んで来ていた……曲調自体が哀愁感の強いモノだという事も要因なんだけれども、永野さんの歌っている表情が儚げで憂いを漂わせ、楽曲の雰囲気にブーストをかけているんだ。でも、この楽曲の真に伝えたいのは多数に押し潰される哀愁ではない。少数だけれど強い感情を爆ぜさせようとあがく楽曲なんだ。

紅葉が彩る中で僅かに咲こうと模索する桜を描写しているサビを歌ってる彼女にスイッチが入って、双眸の光がより煌びやかになって歌声にも力強さが増してくる。『顔で歌う』という喩えがあるが、このアクトでの永野さんはまさしく『顔で歌っていた』のが印象深いんだな。永野さんの儚い『静』の表情と強固な決意を秘めた『動』の表情。この相反する彼女の生の表情が加味された事で楽曲に本当の意味で『血』が通った様に思えてならない。音源のみではこの領域にまで辿り着けなかったと断言してもいい。

 

 
そして…『桜色クレッシェンド』

 

youtu.be


仙台公演の企画コーナーを締め括るアクトでもあるが、ここまでの会場で披露されて来た企画コーナーのラストを飾るアクトでもある。桜の持つ綺麗だけれど儚いイメージ。その中で頑張って背中を押せる様な応援ソングになれればという想いを込めて彼女はこの楽曲に携った。春の桜はツアーPartⅢの副題にある『KADODE』=門出の季節を彩るモノでもあるが、別れや不安という逆の意味でもあり、曲入り前の雨音もそうなのだろう。表があれば裏があるのは当たり前。ネガティブな要素から目を背けて無かった事にするのではなく、向き合って見る事でしか知り得ない事がある。雨もまた桜を惹き立たせる重要な要素なのだと。

2番のサビを歌いきった間奏部分の所で、永野さんが右手を宙に掲げて親指と人差し指で何かを摘んだ様にして掌を閉じ、その右手を左胸に寄せ、大切なモノをしまうかの様な所作を彼女は見せた。あくまでも俺の印象だけども永野さんのこの所作がアクトの『要』となった最重要箇所であると観ていて感じた。

ここは掌を握りしめる様な所作でも間違いではないのだろう。でも、永野さんはこの所作に意味を持たせる為に指で摘む所作をしていたんだ。散りゆく花びらが示すのは未来への希望といったポジティブ要素でもあり、同時に不安といったネガティブ要素もあり……そして『縁』の記憶やさまざまな想い。それらを慈しむ様に指でそっと摘んで左胸=心・魂にしまっておく。拒絶ではなく全てを受け入れようという想いなのかと…

 

 出会い 始まり 楽しさ 満ちた春は

 別れ 終わり 悲しさ 背負う春で

 心まじわり揺さぶられる交差点に 君は立つ

 選んで 進まなくちゃ  


 ―永野愛理 『桜色クレッシェンド』より引用

 

無駄な事なんて何にもない、全てが必要であって必然な事でそれも世の理。結ぶ縁の記憶と物語が繋がって今、そして未来の刻があって良い事に変えられるのも自分次第なんだと。
上記の箇所はそれを感じさせるものであるし、何よりも永野さんがこの公演と企画に懸けている並ならぬ想いが迸っていた様に画面越しでも伝わって来ている。


そして…ラスサビに差し掛かったところで彼女が叫ぶんだ。

 

『仙台の皆さん!本当に、本当にありがとうございましたッ!!!!!!!』

 

スクリーンに映し出されたVTRには、楽天球団職員の皆さん、伊達武将隊、たびのレシピさん、喫茶ビジュウさん、熊谷屋さんからのWUGへの感謝を綴ったメッセージが流れた。
七人が繋ぎ、大切にしてきた『縁』への感謝を綴った文面に七人への想いが集約されている気がして胸が熱くなった。
ラスサビを歌う永野さんの声が若干震えている様に聴こえた。伴奏にあわせようとチューニングしていたのもあるのだろうが、涙で詰まっていた様にも思える……でも、歌声の力は失われてはいなかった。
全力で歌いきって、再び感謝の想いを叫び、晴れやかな表情で深くお辞儀をする永野さんとスクリーンに表示された


『仙台の皆さん、本当にありがとうございました!』


桜色の文字で綴られたおそらく永野さん直筆の感謝の念だ……
この言の葉に『我』を貫く為に懸けた想い、意地と覚悟、繋がった『縁』への感謝。
あの場に確かに存在していたのは、永野愛理が深愛の理を説いた様に思えてならない。

 

 

 

さようならのパレード ~細部に宿した想いと魂~

 

 映像となって観れるのはこの仙台公演と、SSAの二回のみ。
分水嶺、生命の楽曲となった『Beyond the Bottom』切り札、集大成となった『Polaris
この楽曲はそれらに続くピリオドとなる楽曲。終わる事と、また逢える事を願い謳う歌。寂しい心情を歌ってはいるが、それに囚われてしまうのではなく、未来の刻に想いを馳せ前進していこうという強い決意を感じさせ奮い立たせてくれる楽曲でもある。後に発売されるSSAの映像ではおそらくまた違ったインプレッションを感じるだろうからそれもまた楽しみなところではある。

作編曲された神前暁さん曰く、この楽曲はまだ完成していないと。
真に完成させるには、七人の身体を動かす魂という無尽蔵のエネルギーがそれを成しえる。そういう真意を込めて七人に楽曲を託したのだろうと。それを踏まえて、このアクトを観て感じたのが所々で魅せた七人の手と指の所作がこのアクトの要で真に楽曲を完成させる最後のピースだったと俺は考えていて、指、手での所作の極致に達したのがラスサビでの一連の所作だったと。

 

 願い続けていたい あの時約束したでしょう 立ちむかうこと


 ―Wake Up,Girls!『さようならのパレード』より引用 

 

『約束した』のところでの小指を立てて指きりする所作。指きりは約束を厳守する誓いの証明とも言われている。『あの時(刻)』とはおそらくは終焉の刻を我々に告げた6月のあの日だろう……そして、誓ってもくれたんだ。七人でいられる刻を大切にして、この七人で何かを成し遂げたい『想いと魂』を偽らず魅せ付ける事を。そして、『立ち向かうこと』の箇所、左胸を拳で叩き、指を差し出し真上へ掲げる所作も心揺さぶられる。

七人が纏っているMEMORIAL衣裳(正式な名称は不明なのでMEMORIAL衣裳と書く…)には歴代WUG楽曲から七曲の衣裳のワッペンが付けられている。左胸の位置に付いているのは『Polaris』衣裳のワッペン。左胸は鳴り止む事の無い生命の鼓動(リズム)と魂を宿す心臓の位置でもある。左胸という位置に七人が詞を紡いだ楽曲『Polaris』衣裳のワッペンを付けたのは、より特別な想いがあるからなのだと。
この先も共に在る想いや根源を成すモノ、当たり前だった事への感謝…前方を力強く指し宙に突き上げた所作は未来への軌跡をまっしぐらに進もう!という決意を歌声のみでは表現しきれない領域を身体全体、指先という小さな部分に伝えたい想いを注ぎ込んだのだろう。意識して振り付けて歌う事で曲の更なる限界領域を開放した。


SSAに参戦して観た時には気付けなかった点を今回映像で見る事が出来た。
SSAのアクトを映像を改めて見る時にはまた違うインプレッションを感じられるのだろう。

 

 

タチアガレ!~始まりと終わりが集う地で架かる虹色の心の光~

 

 この楽曲のイントロが流れた瞬間に来る血の滾り、空気が変わる感覚が心地いい。
それは映像で観て聴いてもなんら変わりが無い。前の『Beyond the Bottom』の余韻に浸りきっていたところに轟かせた吉岡さんの『いくぞぉぉっ!!』という魂の叫びと彼女の叫びに呼応してワグナーがWake Up,Girls!と吠える。やっぱり、この楽曲は独特で『Beyond the Bottom』とはまた違うゾーンがあって強い。また、原初の楽曲を、最後の衣裳であるMEMORIAL衣裳で歌い舞い踊る姿はなんだか感慨深いモノを感じるじゃないか。


今回のアクトの胆となったのは、青山さんが絶唱するソロパートだ。


あの刻、始まりと終わりが集う地でそれは訪れた。ソロパートを絶唱する青山さんの様子がいつもとは違うんだ。彼女の歌声がハッキリと聴き取れてしまう感極まった涙声だったのだ。単に彼女の中で込み上げたというモノじゃなく何かを双眸で見てという感じから来るモノだった。眸を潤ませていたのは青山さんだけじゃなく他のメンバーも眸を潤ませながら曲を歌いきった。彼女達が眸を潤ませたその理由は客席を映し出したに判明したあの光景……

 

虹を描き、灯された七色の心の光。

 

仙台公演二日目の夜公演で『タチアガレ!』の青山さんの落ちサビソロパートに合わせて会場を虹をイメージした七色で塗り分けようという企画が立案され呼びかけられた。コレは、運営側からではなくワグナーから湧き上がった企画だと言う。折って発光するタイプのサイリウムを会場全ての席に配布し、来るべき刻と機で一斉に七色の光を灯そうというモノだったと聞く。

俺はこの公演に参戦してない当事者側の人間ではなかったので、どうと言うモノはなくあれこれこの件について書き散らかすのも違うので文にはしないが、いろいろと人によっては思うところがあったのは想像できるのである。
この楽曲ではこの色の光じゃなきゃ駄目だという人もいただろうし、推しの子以外の色を灯すのに抵抗があった人もいないとも限らないし、単にこの企画に対し思う所あって非協力の姿勢でいた人もいただろう。
ここに俺が今書き散らかしているのはあくまでも暴論の域の話。ただ、各々に複雑な感情と想いがあった様に感じてもいる。結果で見ればだ……見事に客席が七色の虹の心の光で染まった。暴論ついでに言ってしまえば、参戦された方達はこういう心情になったんじゃないだろうか?


大勢に心を委ねて流されるまま…やってみる価値はあるんじゃないか。


これは俺の勝手な解釈。でも、各々の複雑な感情や想いの境界線を超えて、あの七人が喜ぶのを見たいという純然な想いが勝り、繋がって起こった奇跡の瞬間だったのはおそらく間違いない真実なのだと…始まりと終わりが集った地と刻であの虹色に輝く心の光を見て感じたのは本当に素晴らしい景色だったと。

そして、最初の挨拶で吉岡茉祐さんが言ったこの言葉を思い出した。

 

今日はここに居る七人と、そしてキャラクター達七人。

合わせて14人で立っているつもりで頑張りたいと思います。

 

 

真夢、藍里、実波、佳乃、菜々美、夏夜、未夕の想いと魂もあの場に在り……
彼女達七人もこの虹色に輝く心の光を一緒に見てたのだと思えてならなかった。

 

 

終わりに

 

 また、長い文章になってしまった……
観て感じた情報の波に呑まれて、置き去りになってしまった魂の欠片を取り戻す意を込めて書き殴って来たのだけれど、余す所無く取り戻せたとは到底言えるモノではなかった。
映像を観て書いてるのなら参戦レポ書くより簡単だろうと思えるだろうが、そんな簡単にはいかないモノであるのを痛感させられる。観返せば観返す毎に新しい発見や見落としたモノに気付かされ、それを基にいろいろ落とし込んで、またいろいろな所感が湧いて来る堂々巡りだ。このKADODEの物語を語り継ぐのは本当に簡単なモノじゃない。


最後の挨拶で、永野愛理さんは言った。

 

Wake Up,Girls!も解散はしてしまうんですけど


いつまでも皆さんの心に咲いていれば


ずっとWake Up,Girls!Wake Up,Girls!だと思います。


この七人でWake Up,Girls!なんです。

 

 

咲く季節が違っても桜は桜のまま。秋に咲いても『秋桜』にはならないと彼女は言いました。
往く道はそれぞれ違えても、WUGでいられた刻が無くなる事ではなく、知る人一人一人が、想い、語り継ぐ事で生き続けるという事なのだろう。きっと答えは一つじゃないし、その答えの中に『本気』もある事と思います。楽曲、映像を何度も観て聴いて七人でいられた刻と生き様を噛みしめる。一度きりの限られたものじゃなく何度も観返せるというのは本当にありがたい事。


そして、これからの刻で知った人には是非とも観てもらいたい。


Wake Up, Girls! FINAL TOUR ‐HOME‐ ~PART III KADODE~』LIVE Blu-ray素晴らしい内容だった。今回俺が書いたのはほんの一部に過ぎないの、是非とも実際に観てその魅力を探して感動していただきたい。

 

 

最後まで読んで下さって本当にありがとうございました。
また次の記事でお会いしましょう。

 

 

 

 

WUG楽曲メドレー動画(第二弾)を作ってみた。

 どうも。あかとんぼ弐号です。

昨年末に血迷って作ってしまったWUG楽曲メドレーの動画。
つい先日、また血迷ってしまい第二弾を作ってしまいました。
YouTubeニコニコ動画に私の渾身の駄作がUPされております。

動画とは名ばかりで静止画に楽曲貼っつけただけのモノですが…

 

 

ニコニコ動画

nico.ms

 

YouTube

youtu.be

 

 

 楽曲の方は以下の通りとなっております。

 

7 Senses 

Knock out

One In A BillionWake Up,Girls! ver.―

ハートライン ―Wake Up,Girls! ver.―

君とプログレ

雫の冠

ユメ、まっすぐ。

Party! Party!

ぽんとPUSH! もっとSMILE!

Dice of Life!

ドラマティックを君と

プライド

シャリラ!

Non stop diamond hope~Mayu ver.~

GloriA

now is the time

あのね

Trouble!? Travel

解放区

七つの海のコンサート

minority emotions

スキノスキル

SHIFT

Glossy World

無限大ILLUSION 2017

カケル×カケル

Jewelry Wonderland

Polaris

海そしてシャッター通り

言葉の結晶

土曜日のフライト

さようならのパレード

 

 

で…カケル×カケル、Jewelry Wonderland、Polaris、さようならのパレードの四曲には
ちょっとした小細工をしてあります。

 


こんなのでも、Wake Up,Girls!の楽曲を知る切っ掛けになってもらえるのならば…という想いで勝手ながら作ってしまいました。

 

雑で拙い編集ではありますが、興味がありましたら観てやって下さい。

 

 

 

Wake Up,Girls!結成5周年ライブ所感 ―あの刻の譲れない想い。

 

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 正直…WUG結成5周年ライブが映像で観れる機と縁は無いと無意識的に思っていた。


ところが、で…ある。


昨年の夏に開催されたファンミーティングで発表されたある一つの報に衝撃を受けた。

Wake Up,Girls! Solo event2018 WUGLOVE URA』パンフレットの受注販売。
同梱されるBlu-rayの収録内容はこの年の三月に開催されたメンバーのソロイベントツアーの裏側に密着したドキュメンタリー映像とファンクラブイベントであったバスツアーの裏側映像。

そして、このバスツアー内で開催されたWake Up,Girls!結成5周年ライブが収録されていると。


これは、自分の偏見ではあるのだけれども、ファンクラブイベント内のライブを円盤化されているケースは稀な事の様に思っていた。無論、このパンフレットはファンクラブ会員の受注によって販売されるが、それでもこのライブの模様が円盤化されるという事は無いと思っていたものだ。そんな叶わないと思っていた事が叶う機がやって来た。

勿論、あの刻と場で現地参戦して、直に感じられる現場の熱や筆舌にし難い同等な感動を映像に観て感じとるのは不可能なのを承知の上。だが、それ以前にライブを観られるというのはやっぱり嬉しいモノなのである。


 5周年ライブの模様は、自分は参戦しておらんので
知っている情報は披露された楽曲だけである。
その結果、沢山の驚きや発見があったので書き記そうと思う。

 

 

注:以下、ネタバレ全開で所感を書き殴っているので、未視聴の方はご注意願います。

 

 

 

 

 

5周年記念という刻に込められた七人の想いと魂

 

 俺が、このライブ映像を観る前に、ソロイベツアーのドキュメンタリーを先に観た。
その中で一人のメンバーがライブのセットリストに対しての拘りと想いを語っていた。


その人とは、永野愛理さん。永野さんはその中でこの様な事を語られていた。

 

伝えたい想いをまず一個決めるんですよね。

想いはここにあるんだ、っていうものを

一個決めた上で肉付けしていくというか。

(中略)

意味の無いセトリだと頑張れないから。

だから、意味の無いセトリなんて一個も無いんですよね。

Wake Up,Girls!のライブにとって。

 

 

永野さんの言葉を噛みしめて、この5周年ライブのセットリストを見ていく。

 


 セットリスト


1 HIGAWARI PRINCESS (全員ver.)
2 恋?で愛?で暴君です!
3 One In A Billion
4 7 Girls War
5 セブンティーン・クライシス
6 プラチナ・サンライズ
7 地下鉄ラビリンス
8 ワグ・ズーズー
9 ジェラ
10 止まらない未来
11 リトルチャレンジャー
12 TUNAGO
13 16歳のアガペー
14 僕らのフロンティア
15 スキノスキル
16 少女交響曲
17 素顔でKISS ME
18 Beyond the Bottom


EN1 Polaris
EN2 言の葉青葉
EN3 ゆき模様 恋のもよう
EN4 7 Senses


WEN タチアガレ!

 


 永野さんが言う、このライブで七人が伝えたい譲れない想いの『核』となるのはこの5周年ライブで初披露となった楽曲『Polaris』だろう。で、こいつは俺の持論なのだが、セットリストの『核』を決め、そこから全体に意味を持たせる為には楽曲の意味を際立たせる為の幾つかの『章』を作ってやる事だと思っている。

だから、永野さんからこの言葉を聞いた時には思わず膝を叩いたものである。

そして、会場となったSENDAI GIGS (仙台ギグス)のステージ設置にも、彼女達の想いが反映されている様に思える。メインステージから客席のど真ん中をぶち抜く様な花道とセンターステージ。間違いない。この設置にした真意は『Polaris』の為なのだと。

勿論、それだけの単純な理由ではないだろう。直に感じたワケではないのであくまでも想像の域でしか書けないが…この会場だが、幕張やさいたまスーパーアリーナの様な規模はない。でもだ。この場に参戦された人達を楽しませようと七人の距離感を出来うる限りで近く感じさせようとする配慮がされていた。

Wake Up,Girls!の結成5周年ライブは、このステージ構成でなければ成立しなかったライブだった。
七人の伝えたかった本気の想いと魂を表現し、最高のライブとする為に細部まで拘ったモノで、これでなければならなかった。

 

 


東北六県を繋いで来た想いと魂/HIGAWARI PRINCESS (全員ver.)


 開演して流れた映像映されるのは……東北六県を巡り、繋いできた七人。

青森の青山吉能さん、秋田の田中美海さん、山形の山下七海さん、福島の吉岡茉祐さん

宮城・石巻永野愛理さん、岩手の奥野香耶さん、宮城・仙台の高木美佑さん。


東北六県を巡り、繋いできたツアーのファイナルとなるこの結成5周年ライブという終の物語がこれから始まる。そんなライブのオープニングアクトとなったHIGAWARI PRINCESSの全員ver。

このプリンセス七人バージョンは5周年ライブと、SSAでのファイナルライブの二回のみの披露だった。この楽曲は、東北地域限定で放映されていたAEON(イオン)のCMソングだ。勝手な印象だが、この楽曲を仙台の地で披露する事の意義はとても重いものだと思う。

このバージョンの正確なパート割は分からんが、歌い出しを担ったのは東北出身の永野さんと奥野さん。彼女達が初手を担う事でよりこの楽曲の意義が深いモノとなっていくのだろう。

そして、このライブはこの楽曲だけでなく全編生バンドの演奏となっている。バンドメンバーの方々も彼女達と共に東北を駆けてきた戦友でもある。
結成から五年の刻で、東北の地でそれぞれが紡いで来た物語があった。そのどれもが唯一無二の物語でその主役は七人全員なのだと。

 

 

 

ここから始まった新たな物語/地下鉄ラビリンス


 ステージ上にいるのは前に披露したユニット楽曲『プラチナ・サンライズ』を歌った田中さんと青山さんのみ。前奏が奏でられても、他のメンバーは姿を現さない。
それもそのはず。他の五人は客席の間に設けられた通路に姿を現したからだ。

さながら、迷宮と化している東京の地下鉄網を表現しているようであり、ステージは都心の中心部を模していてそこへと集約していくかの様でもある。

この客席の間の通路から出現する演出だが、後のGreen Leaves Fesやファイナルツアーにもきっちり継承された演出。

演出も物語の一つとして括れるのならば、ここでの演出も新しい物語なのだろう。

 

 


嫉妬・未来の刻・挑戦者魂の謳/ジェラ・止まらない未来・リトル・チャレンジャー


 この三曲は作中のボスユニット・I-1clubの楽曲。
WUGもこれまでのライブで歌い継いで来た楽曲でもある。

数あるI-1楽曲の中でも、この三曲を5周年ライブという節目にセットリストに組み込んだ真意。
あくまでもこれは、俺の暴論の域と後付けであるという前提で書いてしまうが……WUGの解散が根幹にあると思えてならないのである。

無論、当時の彼女達の腹の中は窺い知れるものではないが、いつかは終わる事であるのは覚悟していただろう。そして、話として出ていたとも思われる。そんな思いをそれぞれ抱きながら、ソロイベツアー、バスツアー、5周年ライブへと臨んでいたのだろう。この選出も意味があるモノだろう。


ジェラは、歌詞に綴られている嫉妬の語が象徴的な楽曲。
嫉妬という語に良いイメージを持たれる人はおそらくは少ないと思う。ただ、嫉妬の念が純然な、あいつに勝ちたい、切磋琢磨して高め合いたいというプラスの感情へ変換して捉えられるとも思える。

I-1では、岩崎志保と鈴木萌歌の関係性を謳った楽曲なのだと捉えられる。WUGでは?と考えると、俺は七瀬佳乃=青山吉能さんの楽曲ではないかと感じている。それを強く感じられるのがソロイベツアーのドキュメンタリーの映像内で、青山さんが語られていたこの言葉だ。

 

ライバルは自分以外、言っちゃえば。

みんなの良いところをすごいわかってしまう分、

もっと頑張んないとって思う。

 

声優になりたい事を家族に言った時に、笑われたんですよ。

『絶対に上手くいくわけないし、辞めれば?』(笑)みたいな感じで

言われたのがあって、そういうのがあったのは悔しかった。

(中略)

私が『理解してほしい』って説得した訳でもないから

正直私は『見とけよ』くらいにしか思ってなかったので。

 

 

雌伏の刻に遭っても絶やす事無く滾らせ続けた反骨の魂と炎。
上記にある、良い所をすごくわかってしまうの言にある様に、青山さんは他者の才・迸る気を感知するアンテナが敏感な方と見える。言ってしまえばWUGという括りを取り払ってしまえば彼女らは一人の表現者でライバルだ。

特に青山さんはその意識がより強く在って、嫉妬の念が生み出すエネルギーを上手く変換出来る人なのではないだろうか。誰にも負けたくないという想い、自分の夢を叶える為には『闘う』という選択肢を貫き通す事。頑なに、彼女が信じて貫いた想いが凝縮されている様に思えても来てしまう。そして、その想いは六人にも同様なのだ。


 薔薇が咲いた窓辺 選ばれる時を待つ

 そうよ、準備はもう できているわ

 ―I-1club『ジェラ』より引用


七人の中では、もうある覚悟は決まっていたのかもしれない。
未知の領域へと挑む闘いへの準備が……

 

 

 WUGバージョンでの披露はおそらく3rdツアー以来となった『止まらない未来』
これも後付け感満載ではあるが、当時先の展開(未来)に不安を抱え臨んだ3rdツアー、結成5周年という節目になる年と解散という終焉の刻への想い……まだ見えない未来に畏怖の念を抱いて不安になる点では当時と被る要素であるだろう。

しかしだ、当時とまるっきり違うのは終着点=終焉の刻が定められている事なんだ。
でも、動く刻を止める事、何人も自然の理という枠から逃れる事は出来ない。人の眼が前にしか付いていないのは前に向かって進む使命の為なのだと。

彼女達がここまでの軌跡を駆ける為に歌詞にある自転車で来たとしよう。その軌跡は平坦な走り易い道じゃなかった。

荒れ放題の獣道に対応する為に努力を重ねてその自転車をカスタマイズして来た。で、その自転車を走らせるペダルを漕ぐのはそれぞれの気持ち・魂だ。どんなに高性能な自転車でもその自転車を乗りこなす魂が無いとその自転車はただの置物。

ならば、ペダルを漕がせるのが魂ならどうすればいいのか?想いや夢、それぞれが背負っている何か、それらが在って受け止めて自分らしく在ろうとする意思を信じる事。それがペダルを漕がせる魂の持つ無尽蔵のエネルギーとなる。歌というモノは嘘がつけないモノであり、歌う者の生き様が反映される。

駆けて来た過去の軌跡、辿り着いた結成5周年という現在、そして未来の刻。彼女達が巡った刻とこれからの刻、全ての時間軸に意味を持たせる為にこの楽曲を組み込んだ

きみのこと、見えるもの、見えないもの、自分のこと……


『信じてる』という四文字の言の葉に詰め込んだ、ありったけの本気と想いと覚悟。


3rdツアーの時とはまた違うムードある、ジャジー&ファンク感のあるお洒落なメロディが、この楽曲に更なる深みを加味させている様に思える。


 
 そして、リトル・チャレンジャー。

 


I-1ゾーンがあって、一つの節目となるこのライブで披露されない理由はないだろう。
ハイレベルな演出とそれを成立させるハイレベルなパフォーマンスがWUGには出来る。

彼女達のパフォーマンスがハイレベルだからこそ、ライブの世界観に惹き込まれて圧倒されて燃え滾る衝動を覚えてしまうのだ。
けど、洗練された中にも感じられる彼女達の『叩き上げの魂』を存分に感じられる楽曲が幾つか存在する。I-1楽曲の中では『リトルチャレンジャー』がそれに当たるモノと思える。


 輝くチャンスは誰にでもある

 だから素直に 今を吐き出せ

 今だ!いざ行け! リトル・チャレンジャー


 ―I-1club『リトル・チャレンジャー』より引用


 叩き上げの挑戦者魂を燃え滾らせて、未知の軌跡へと踏み出していく。
変わらない想いは大事。でも、変わろうとする覚悟と一歩踏み出す勇気も大事。

彼女達が自身に問いかけているのだろう。

闘う準備と踏み込む覚悟は出来ているのか?と……

 

 

 

 

点で繋いできた相互の想い/TUNAGO

 

東北六県を巡り、繋ぐツアーに題された『TUNAGO』という言の葉。
静寂が場を支配し、響いているのは演奏と七人の清廉な歌声だけである。

コールも起こらなければ手拍子も起こらない。七人の歌声や伴奏に耳を傾け、目で七人の舞い踊る姿を見て、心に沁み入るモノを感じ…『聴く』事に集中しようと想いと魂が繋がる。

映像を観て、間接的な感覚であってもこの雰囲気に呑み込まれて傾聴させてしまうモノがある。


 きみの想いも きみの想いも

 未来と今を 夢と命を

 きみの想いと 僕の想いと

 愛を込めてGo TUNAGO


 ―Wake Up,Girls!『TUNAGO』より引用


七人が東北の地での個の闘いを経て掴んだ『TUNAGO』という語への答え。
そして、彼女達がこれまでに繋いできたモノに偽りが無かった事の証と説得力。

 

 

 


七つの瞬く星が繋がり一つの『星座』(絵)になる刻/Polaris

 

 東北六県の各地に瞬く星々は『Polaris』を紡ぐ詞と共に満天の空へと翔び発つ。


そして、七瀬佳乃の言葉を青山吉能さんの生の声で魂が繋がる。



 この曲の歌詞はみんなで一所懸命に考えました。

 私達が今感じている事…

 みんなに伝えたい事……

 大切な沢山の想いを込めて………聴いて下さい。『Polaris



 島田真夢は、声を届けようと客席に舞い降りる時に言った。

(これは俺が勝手に付け足したもので、ライブでは言っていない。)


 私達に今出来る事は精一杯歌う事だけ。一人でも沢山の人に届くように!!!!!!!


 繋がって…

 導いて……

 輝く………。七つの星の謳の物語がここ仙台から始まった。


 冒頭にも書いたが、結成5周年ライブにてWUGの七人が伝えたい譲れない想いの『核』を成す楽曲が『Polaris』だと思っている。

ここまでに披露出来る機は色々あったと彼女達は言う。楽曲が完成したら、多くの人に聴いて欲しいのが表現者としての本音であり願いだろう。冬の幕張(WUGフェス2017)で披露する事も出来たとも言っていたがそれは叶う事が無かった。

で、福島・いわきでのチャリティライブでも披露はされなかった。幕張やいわきでの初披露が駄目だという事ではない。前述に書いたが早く聴いてもらいたいというのが七人の本音なのはおそらく間違い無いだろうから。

でも、七人はその気持ちを押し込んだのだろう。ライブで披露される楽曲には、最適な出し所や刻があるもの。幕張やいわきはその機と刻ではなく披露を見送る決意を七人はしたのだと。

Polaris』という楽曲の初披露に意味を持たせて、楽曲の価値というか、One offとしての重みを持たせる為には聖地・仙台での初披露が絶対条件であり、東北を巡り繋ぐツアーのファイナルで披露する事の意味としても繋がっていく。

新章の作中に於いても、真夢達はプロモーション活動としてメンバー個々でゲリラライブを行う描写があった。二次のキャラと三次の彼女達との狭間にある境界線を越えて繋げる事でまた楽曲の持つ力と重みが違ったモノになる。正解や満点が付けられないのが表現の世界の理ではある。でも、だ。それを承知の上で俺は言いたい。


このライブでの『Polaris』初披露は正解であり、満点だと。


七人の『URA』の物語とこのアクトを観て改めて思い知らされた。

Polaris』の初披露はこの機と場と刻でしか在り得なかった……

 

 


そして…ここからまた始まる。/タチアガレ!

 

 Wake Up,Girls!のセンター・吉岡茉祐は言の葉に想いを込め解き放った。


 

 この曲が私達の始まりの曲です。

 持ち曲がまだ無かった頃から歌って来た曲ですね。

 そんな曲を、ここ…5周年4月1日に歌える事を本当に嬉しく思います。

 

 

順風満帆じゃなかったここまでの軌跡。寧ろ、常に逆境と背中合わせだった。

理想と現実の狭間で思い悩んだり、心無い言葉に惑わされたり自分たちがちゃんと前進しているのかどうか不安を抱えていたり、徹底的にきっちりと打ちのめされ涙を流した事やぶつかり合いぶっ壊れかけたりしそうになった事も何度もあったでしょう。

でも……彼女達七人は諦めずに必死に前を向いて挑む事を止めなかった。

 

 Wake Up! この祈りよ届け

 今 夢に向かうよ 両手伸ばして

 Stand Up! 迷いなく走り出そう

 この世界で 生きるために


 ―Wake Up,Girls!『タチアガレ!』より引用


 七人でいられる刻を大切にして この七人で何かを成し遂げたい『想い』を遂げる為に、進化・成長を重ねても変わらない想いが七人の中にぶれずに存在している。
日々の闘い、同業者との凌ぎ合い、受け取り側との闘い、自分自身との闘い……
彼女達の中にしかない『芯』が彼女達をもっと強く輝かせる。

真の目標を見失わずにそれぞれの信念を貫く為に。

 

 

 

見えるモノと見えないモノへの感動


 観ていて……胸に熱く滾る衝動が起きて込み上げて来るモノがあった。


演出やパフォーマンスに感動した事は勿論なのだが、それ以上に七人の偽り無い本気の想いと魂を感じた事が要因だ。

正直な話…参戦して直に感じる独特の『熱』がもたらす感動を映像では感じづらいと思った。でも、違った。あの七人を俺は侮っていたつもりはないが、どこかにその心情があったのだろう。

目と耳で感じた感動だけじゃなく、魂に突き刺さる七人の本気の想いを
画面越しからでも存分に魅せ付ける圧倒的な説得力。

刻と場を越えても、伝わる想いと情熱が確かに在った七人の『URA』の物語と縁と懸けて来た記憶の物語。またクソ長い駄文になってしまったが、それでもこのライブを観て感じた感動を余す事無く書ききれてはいないだろう。

ここには書けなかった他のアクトも本当に素晴らしいモノだったというのは言うまでもない。


思えば…自分が惹かれ、七人を応援しようと決意させた切っ掛けが2015年のソロイベントの配信放送だった。あれから直に彼女達のパフォーマンスを観る機会が増えていった事で俺の中で感覚がいろいろ麻痺してしまったのだろう。

終焉の刻が過ぎ、あの七人が揃ってのパフォーマンスを直に観れる事は叶わんが、七人が残したWake Up,Girls!の楽曲と記録は残っていて触れることは出来る。

 

そして、今後もあの七人の事や楽曲の事を語り継ぐ事は出来る限り続けていく。

 

 

 

 

 

 

 

『Wake Up,Girls! Solo event2018 WUGLOVE URA』―七人の『縁』の記憶とURAの物語。

 

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 Wake Up,Girls! Solo event2018 WUGLOVE URA』


表があれば裏は必ず存在する。それは覆らない自然の理。
思えば、あの頃はその言の葉の意味を深く考えられていなかったのだろう。

 これは昨年開催されたWUGメンバーによるソロイベントのパンフレット。
昨年に発売されていたパンフレットは『OMOTE』(表)と題された黒一色が特徴的だった。で、今回は『URA』(裏)と題されていて、カバーの色に用いられている白色、逆さの文字、東北のマップが左右反転されたモノとなっている。

パンフレットはソロイベツアーでの七人の公演の模様や、オフショットの写真集になっていて
そして、同梱されている二枚のBlu-rayディスク。
Disc1にはバスツアーの際に開催されたWUG五周年ライブの模様が
Disc2は当時の七人のドキュメンタリーとソロイベから五ヶ月経った刻でのインタビューにバスツアーといわきで開催されていたチャリティライブの裏側の映像が収録されている。

 
2018年の三月、雪景色の青森の地に立つ青山吉能さん。
東北六県を駆け巡るソロイベントツアーの初陣に臨む彼女の姿がその地にあった。
七人の『縁』の記憶の物語は青山さんから紡がれていく。
そして、もう一つの七人の『縁の記憶』がそこには確かに在った……

 


注:以下、ネタバレ全開で所感を書き殴っているので、未視聴の方はご注意願います。

 

 

 

 

 

 

 

 

青山吉能の縁の記憶とURAの物語

 

 

私、結構ひけらかすタイプですよ。なんでも喋っちゃう、喋らないことないくらい。

でも、スイッチがありますね。自己嫌悪が大きい。

逃げる事も自分でできちゃうんですよ。でも、抱えることもできちゃうんですよ。

だから、結局どっちも逃げてるっていうか

自分でろくに抱えもせず、人に全部押し付けたりもせず

すごい中途半端で、それが嫌だなって思います。

 

 

 偽りの無い本気の想いを魅せ付けて来た青山さん。
限界に挑み、全力を出し尽くそうとする者の信念の根幹と成り得るこの言葉。良い所も悪い所も包み隠さず、偽らず、誤魔化さないで曝け出す事。
人の懐に入るのが上手いというか、生真面目で不器用だけれども人柄の良さが言葉から滲み出ている様で、彼女が目を細くしたあのクシャッとした屈託のない笑顔は青山さんの人柄を如実に表している様に思える。

 

今回の曲(解放区)は、受け止められない人がいても仕方ないと思ってるので

必死に必死に、歌を届けるというか歌詞を伝えることを自分の中でやれてたら

それでもし、お客さんにも受け止められてたら120点になるなって思います。

 


 ソロイベント楽曲『解放区』に詰め込んだ青山さんの伝えたい本気の想い。
この楽曲は、自分へ向けた応援歌としての楽曲で、万人に届かなくとも誰か一人に強烈な『楔』を撃ち込む楽曲になればいいと青山さんはこの『解放区』に想いと魂を込めたと語っていた。
受け止められない人がいても仕方ない。でも、伝えたい想いを偽りたくは無い。そして……青山さんが動き、あの伝説の公演に繋がる。

akatonbo02.hatenablog.jp


距離と刻の壁を越えて繋がった青山さんの伝えたい本気の想いと魂。
青山さんの想いに応え、参戦して様々な形で届けてくれたワグナー諸氏。
あの刻で感じた滾る記憶は今でも忘れられないモノだ。

 

 

 

 

田中美海の縁の記憶とURAの物語

 

目立つのは好きですけど注目されるのは好きじゃない。矛盾してますよね。

自分を表現するのが割りと好きで

『自分じゃない何かになる』みたいなのが凄く好きだったんですよね。

田中美海を見てほしい”ってわけではないって事は

声優って本当にぴったりだなって当時は思ってましたね。

 

 

 田中さんは青山さんとは真逆で自分をひけらかさないタイプ。
あくまでも私見だけれど、どちらかと言えば田中美海が演じるキャラが彼女を知る切っ掛けというかは、田中美海という表現者に魅力を感じて惹かれていく人の比率が多いのではと思える。俺が彼女と知る機になった経緯は後者だ。
おそらくはこの事に田中さんは気付かれていると思う。抱える矛盾を彼女がどう消化しているのかは勿論窺い知る事は叶わない。

田中美海さんを見ていて感じる底無し感と畏怖すら感じさせる冷徹さの同居する冷静さ……山下さんや奥野さんとはまた違った意味での謎深い部分を垣間見られる、田中美海の『URA』なのではないだろうか。

 

 

毎回反省もあるんですけど、それを新たな成長に変えて一人で頑張った事を

七人が居る所にもってきて、他の子をサポートできたりとか

自分で目で見たもので他の子達を補う事ができたらいいなって思ったのが目標ですかね。

 

 

 ソロイベから五ヶ月を経た刻での言葉。
この言葉にも彼女なりの冷静でいて俯瞰的に見て得た答えなのだろう。
圧倒的な個の力と導く力を田中さんは持っている。けれども、WUGでの彼女は違う。前述の他の子をサポートという言にある様に田中さんは表立って牽引していく…喩えが悪いが出しゃばるという事は一切見せずに
他を活かす役割に徹していた彼女の姿勢は、俺が初めて彼女を見た頃からブレる事はなかった。田中美海のブレない強固な信念と矜持がこの言葉には込められている様に思えるのである。

 

 

 

 

山下七海の縁の記憶とURAの物語

 

 

声質で採ってもらえたんですよ。

男の子に変な声って、からかわれたことあったんですけど

この業界に入ってから知りました。私の声ってちょっと特徴があるんだなって。

 

 

 

 山下七海さんは歌手になる事を夢見てWUGのオーディションの門を叩いた。歌手もそうだが、声優も自分の声を武器とする表現者だ。
彼女も言っているが、山下さんの声は確かに独特なモノがある。物事には必ずプラスとマイナスの面が存在している。彼女の声質が通常世界ではマイナスの要因と成り得てしまうのが、だが、声優の世界ではその負の要素は彼女の類稀な才・資質とするプラスの要因へと変化する。それまでは知らなかったかもしれない。でも、自分が持つGift(天性の才能)に向き合い努力し続けて日々を闘い、信頼を勝ち取っていった。
自分を信じる力は努力を重ねた力に比例する。才能に甘んじず、真摯に自身との対話を怠らなかったから今、山下さんが強く輝いているのだと思える。

 

私も今までやってきて、主役っていうよりはその脇のちょっと変な子

変わった子の方が合ってるんだろうなっていうのは思います。

 
 これもまた、山下七海さんの唯一無二の才能。
山下さんも自己分析能力が高く、俯瞰的視野の鋭い人で本能を偽る事の無い人なのだろう。そして、何か違うモノが見え、嗅ぎ分けている雰囲気を彼女から感じる事がある。言い換えれば別の可能性を感じている様にも捉えられる。
その変わった子という彼女の答えが、ななみんワールド≒魅惑の領域なのかもしれない。

 

始まるモノは終わるんだなと。

 

 ソロイベの公演を終えた山下さんの言葉。
公演を終えた安堵の表情と言葉にも捉えられるが、WUGが解散した今の刻にてこの言葉を聞いてみるとそれだけでは無い気がしてならない。

解散の最終決断を彼女達が下した時期は勿論分からないし、これは完全な私見だ。ただ、解散の話というモノはおそらく昨年の三月にはあって七人は知っていたと思える。
安堵の念があったのだろうけれども、覚悟はあれども向き合わなければならない終焉という現実を受け入れる為にも捉えられなくもない。
軽いコメントと彼女は言っているが、そうでもいないと負の感情に囚われてしまうのだと…

あくまでもこいつは俺の妄想と暴論。真の答えは彼女達七人にしか分からない。
ただ……あながち無関係と一蹴される事とも思えないのである。

 

 

 

 

吉岡茉祐の縁の記憶とURAの物語

 

 

いま戴いたものは全力でやるし、全てのチャンスを逃したくないんですよね。

何でもやります、何でもできるようになりたいですってスタンスは変わらずに

絞りたくないですよね、絞っちゃったら終わりな気がして。

 

 

 ソロイベントにて吉岡さんは今後の目標として『何でも屋』になると掲げ、誓った。
彼女が言う『何でも屋』は表現の枠に囚われずに様々な表現方法に挑むという事。

吉岡さんのこの言を伝聞で聞いた時、俺の魂を揺り動かしたあの人の面影が浮かんで来て、これまではおぼろげだった存在があの時確かな存在へと変わった刻でもある。

話が脱線するが、俺の魂を揺り動かしたあの人とは、水樹奈々さんだ。

水樹さんに関してはここで改めて書かないが、彼女もまた様々な挑戦をしている表現者だ。
こちらの血を滾らせる様な攻撃的で激熱なパフォーマンスと魂の絶唱。何よりも熱く滾らせて惹かれるのが双眸の光の力強さだ。前例が無いなら自分で作ってしまえばいいと水樹さんは言った。吉岡さんも絞ったら終わりだと言った。
貪欲に遥かな高みへと挑み続ける気概と姿勢は彼女達の信念を表しているのだろう。

吉岡さんにしか表現出来ないモノや可能性は未知数。
彼女の『URA』の物語を観て、その未知の可能性を追いかけていきたい。
そう改めて思わせた縁の記憶でもあった。

 

誰か一人が欠けたらもうWUGじゃないんですよ。

今の、高木・青山・奥野・永野・山下・田中・で、吉岡。

七人がWake Up,Girls!っていう所に所属してるからこそのWUGなのであって…

誰かが入れ替わるとか、誰かが減るとか、更に増えるとか、そういう次元で生きてないっていうか。

 
 仲間であり、戦友でもあり、ライバルでもある存在。
前述の言にある様に、誰が欠けても、増えてもいけない唯一無二の存在。七人の共通意識・絆としてここまでの軌跡を駆け、七人でいられる刻を大切にして何かを成し遂げたい想いが確かに存在している。
区切りを経てまた始めていく為に言葉にする事で、その想いの本質が見えてより明確になり、思考が深まり関係性や認識が強まると思える。再確認という意味もありつつ決意・覚悟を決める意味もあったのだろうと。

何故このタイミング(結成から五年)で、改めて吉岡さんがこの言葉を言った真意は分からない。
これも私見による後付けでしかないのだけれども、これもまた『URA』の物語なのだろう。

 

 

 

 

永野愛理の縁の記憶とURAの物語

 

七年経っても(元の街には)変われてないので

(この現状を)本当に、他の県の人知らないと思うんですよね。

やっぱり、(実際に)見た人じゃないと。だから、もっともっと知って欲しいなって。

来るだけでも気持ち変わると思うので、来てくれる人が増えたらいいなって、思います。

 

 

 先日、自分はこの地を訪れる機会があった。そこには間接的な見聞では伝わらなかった景色がこの地にはあって知る事が出来て、彼女のこの言葉がズシリと響いて来る。
自分の感覚での話だが…おそらく、石巻を訪れていない時にこれを観ていたらここまで重く響いては来ないだろう。無関心というのはそういう事なのだろうと。
当然、訪れたからと言って、当事者に成り得る訳ではない。ただ、今の世の中広狭と時期の差はあれども色々な入り口があって知る切っ掛けは多いものだ。で、そこに寄って行って自分が踏み込めるか否か?踏み込めば得るモノは必ずある。良くも悪くも。
知り得たモノが有益で更に知りたい欲求となり、次へのアクションを起こす要因になるのか、逆に不必要なモノとして処分してしまうモノか。これらの選択は直に知り得ていないと出来ない選択でもあると思える。

そして…彼女が居る日和山公園は生命を繋ぎ止めた地。
その地でこの言葉を言ったからこそ永野さんの言葉が更に重みがあるのだと感じられる。

 

みんな一緒のもの(譲れない想い)を持ってるからこそ、

ぶつかり合う時も、もちろんある。

それって、本当に意味の無い戦いではなく

皆がみんなWUGが好きで、曲が好きで、

ファンの人が好きでぶつかるものなんですよね。

耳を傾けて色んな方向から考えることの大切さがあって

一回、自分の中に落としこんで考えるって事は大事なんだなって。

 

 考察を書く者の端くれとして、永野さんのこの言葉には響くモノがある。
特に、耳を傾けて色んな方向から触れて考える事は本当に重要な事だと思う。考察の定義なんぞ俺には分からんのでこいつは完全な持論なのだけれども、永野さんの言にある様に要を成すのは対象への譲れない想いだと思っている。譲れない想いを貫く事は大事。でも、自分の狭量な偏見でもある事も同時に認識しておかなくてはならない。
色々な考えや意見に積極的に触れ多角的視点で捉えて、知識や考え方の幅を広げる事。俺が言うのはおこがましい話であるが、七人の事や楽曲の独自考察をしていく中で知っていった難しさと楽しさ、考えをぶつけ合い、相容れないからと言って拒絶するのでなく落とし込んで考え抜く事。本当に尊いモノなんだと思える。

 

 

 

 

奥野香耶の縁の記憶とURAの物語

 

今回も青森とか秋田、山形もソロイベントの中に入ってて、

やっぱりこういうイベントが無いと

なかなか行く機会が無いと思うんですよね、ファンの方々も。

だから、すごい良い機会だなと思って。

その地の美味しいものとかきっと食べたんじゃないかなって

思ったりすると、すごい嬉しいですね。

今回のソロイベもそうですけど沢山来れたらいいなって、

変わらずそれは思います。

 

 

 奥野さんの故郷と東北への想いと深愛の情が溢れる言葉。
彼女を知り、切っ掛けとなって行く事を決意して訪れた地で色々な事に触れて楽しんでもらえる事は本当に嬉しいものだろう。それは訪れる側も同じ事。実際に行ってみないと分からない事は本当に多い。いつもとは違う土地の空気は様々な刺激を五感にもたらす。感じた刺激が基となり色んな幅と奥行きが広がっていくものだと思える。


 

ソロイベの内容が、夜公演は特に強烈だったので鮮明に覚えてます。

終わった後、お客さんの席からカヤたんコールが聞こえてきて

私はそれに対して一回血迷って

『出た方がいいかな』って思ったんですけど

スタッフさんからの指示で『絶対に出ないで下さい』って言われて

これは出ないで『みんな頑張って』って思って

裏で複雑な気持ちでしたけど、楽しかったです。

 

 

 俺はこの伝説として語り継がれる奥野さんのソロイベの公演には参戦出来なかった側の人間。ただ、参戦された人達の所感を散見して大体の内容を知る事が出来た。

あの夜の異様な雰囲気は今でも忘れられない。間接的に知っただけでも感じられてしまう彼女が解放した一種の狂気的な領域に戦慄し畏怖の念を抱いたものだ……
もし、あの公演に参戦し、参戦レポが書けたのかと自身に問いかけてみても、おそらくは非常に難産なモノとなるか、もしくは書けないだろう。


参戦してないので何とも言えないのだが、あの公演が伝説と称される最大の要因と個人的に思える要となったのが、終演後に奥野さんが一切客の前に現れなかった事で、奥野さんの紡いだ物語の世界に観客=先輩の魂に楔を撃ち込み捕えた事だと思える。~たら、ればの話ではあるのだけれど、あそこで奥野さんが出て行ったらただの素晴らしい公演になっただけだろう。伝説にまで昇華したのは先述にある様に観客の魂を現実に戻してリセットするのでなく演目の世界観に問答無用で捕えたまま終えた事。出て行く、行かないの差は紙一重なのかもしれないが、その細部にまで拘り抜いたからと思えてならない。

 

 

 

 

高木美佑の縁の記憶とURAの物語

 

新しい事するの大好きかもしれないです。

色々挑戦して、自分が心から楽しんでるっていうのを見て

見守ってくれてるような感じがしてて、自分の中では。

有難いですけど、置いてけぼりにしてないかは心配ですけど

『(私が)楽しんでる姿を見るのが楽しい』って思ってくれたら

私は嬉しいなって思って、ソロイベントはやってますね。

 

 

 
 固定観念に囚われる事無く積極的にいろいろな挑戦をして尚且つ全力でそれを楽しむ。
同時に、それが独り善がりなモノとして受け手を置き去りにしてしまう事を懸念している。パフォーマーの視点とユーティリティ性の高さは勿論の事、プロデューサーの視点や嗅覚も彼女は非凡なモノを持っている様に思う。
どうすれば自分だけじゃなくて、対価を支払って見てくれる人を楽しませる事が出来るのかを考えて挑む。一方通行では意味を成さない想いの循環が高木さんが重んじている表現の形。


高木さんがが心底楽しんで躍動する姿を見てこちらも楽しくなるのは、彼女のそんな心遣いが感じられるからなのだろう。

 

 

聖地の“仙台MACANA”っていう場所でやるっていうのが

一番大きかったので、私の中では。

岡本未夕ちゃんらしいことは絶対しようと思って

今回は私も聖地でキャラクターを演じる身として、

岡本未夕としての一緒にやってきてよかったなとか

そういう部分を出せたらなと思って、前半はいつものソロイベとは違う感じにしようって思いました。

 

 

 高木美佑の『TUNAGO』の答え。それは岡本未夕との繋がりなのだろう。
思い返すと、彼女の最初のソロイベ(2015年)もアニメの2話を再現したステージになっていた。聖地・仙台のステージで軌跡を共に駆けてきた未夕への感謝の念を示して魂を共有させる事だったと思える。
『元気を届け、元気をもらおう!』劇中の岡本未夕の台詞だが、高木さんの中にもこの想いは生き続けていて、仙台の地で境界を越えた二人の魂が繋がった。

袖振り合うも多生の縁という諺がある。
高木美佑さんと岡本未夕が巡り逢えたのも深い縁があったからなのだと勝手に思っておる。

 

 

 

 青森の地での青山吉能さんの縁の記憶から始まって、秋田の田中美海さん、
山形の山下七海さん、福島の吉岡茉祐さん、宮城・石巻永野愛理さん、
岩手の奥野香耶さん、宮城・仙台の高木美佑さん。

終焉の刻を告げた後での七人への想い、彼女達のワグナーへの想い……

そして…未来の軌跡への想い。

 

解散したという現実の刻にいるからこそ『URA』という言葉が重いモノだった事。
この記憶は『URA』の物語。そして逆もまた真なりという事実があった。

どれ一つとして欠けてはならなかった七人の偽り無い想いがこの『URA』の物語にはあった。
この縁の記憶の所感を書くにあたって、自分が挙げた彼女達の言の葉はほんの一部に過ぎない。挙げた以外にも彼女達が言の葉に乗せた想いがあるし、それを余す所無く書ききる事は出来ないだろう。それは七人が本気で挑んで駆け抜けて来た軌跡が濃密だった事の証明に他ならない。


あの七人を繋いでいて間に流れているのは、血の繋がりよりも濃いモノだったのだと。

 

 

 

 

 

outlander rhapsodyがver.FANTASIAに昇華した物語。

 どうも。あかとんぼ弐号でございます。

今回もまた『Wake Up, Girls! FINAL TOUR ‐HOME- PartⅡ~FANTASIA~』に関してです。

…円盤の所感を6000字以上書いておいてまだ書き足らんのか!と思われるでしょうがww今回は、ある楽曲に関しての新しい解釈について散文的なモノとして書き殴っておきたいと思い筆を取りました。
という事で毎度ながらの完全な自己満足でございますのでお気楽にお読み下さればと思います。


 で、そのある楽曲ですが『outlander rhapsody』です。
このファイナルツアーPartⅡに於いても数多くの楽曲が披露されたが、このPartⅡシリーズで最も強烈な印象を残したのがこの楽曲でした。


まずは前提として、何故この楽曲が印象に残る曲になったのか?という点から書いていく。


 PartⅡシリーズでは、ドラゴンに人々のイマジネーションが奪われ、ドラゴンを倒す為に八人の勇者を集めてドラゴンを倒すまでの物語としての演出がとられた。オープニングアクトの『スキノスキル』『outlander rhapsody』『リトル・チャレンジャー』はこの物語の中にて披露された。『outlander rhapsody』はドラゴンとの最終決戦の場面…所謂物語のクライマックスを担う楽曲として用いられる。
ライブ用にアレンジされた、2番終わり~Cメロまでの間奏部ではドラゴンに苦戦する四人(マユ、ヨシノ、ナナミ、カヤ)と、援軍として馳せ参じた三人(アイリ、ミナミ、ミユ)の姿が描かれドラゴンを討ち果たす。
強大な敵に果敢に挑み、絶体絶命の危機的状況にある者達に加勢して共闘し形勢逆転する流れ…ベタな展開と言ってしまえばそれまでだが、王道でいて激熱なモノです。


そう、ここなんです。PartⅡシリーズの要となった『outlander rhapsody』の更に要となった所が、この間奏部分に詰め込まれたと思えるのです。
そして…『outlander rhapsody ―ver.FANTASIA』に至る物語を紐解いていく鍵は、
もう一つのユニット楽曲『タイトロープラナウェイ』とドラゴンの存在であるのだと。

 

 


ドラゴンの象徴と存在

 

 ドラゴン=竜を退治する物語は古来から東洋や西洋で数多く存在しています。
自然の脅威としての存在であったり、人間に災いをもたらす存在であったりと様々。
または、権力の象徴としても捉えられてもいてドラゴン=強敵という印象にも繋がっていく。色々とドラゴンの存在への解釈はあるのだけれど、ここでの扱われ方として自分が解釈したのは人に仇なす=災いをもたらす存在がフィーチャーされてたと思えて、仇なす存在としてドラゴンを掘り下げていくと、人間の心に棲む悪と破壊的な力の象徴であり、人間の内面世界の居住者であるとも言われているらしいのです。

広義的に解釈すれば、人の負の感情(ネガティブな感情)としての解釈がドラゴンの存在として成り立っていて、『outlander rhapsody』の詞の一節に魔物という句がある様に、この物語のドラゴンは魔物の象徴であり、街や大人達という句はイマジネーションを奪われた世界の人々と置き換えて解釈出来る。人の負の感情を魔物という存在で具現化したモノは無数にあるが、ドラゴンという存在で表現させたのは、強大な敵としての権力的な象徴であり、見る側に伝わり易いメジャーな存在である魔物の種であるドラゴンをあてがったのだと思えます。

この物語でのドラゴンですが…八つの首を持つドラゴンとして扱われています。
八つ首の竜として真っ先に名前が出て来るモノと言えば…八岐大蛇(ヤマタノオロチ)が挙がって来ます。
細かい事は端折りますが、八岐大蛇の記述の中には生贄を喰らうという描写がある。この物語での生贄とは前述に挙げた人々から奪ったイマジネーションに繋がるモノと思われます。

そして…ドラゴンの持つ八つの首。

ドラゴンの存在を、人のネガティブな感情の具現化としての象徴という意味として考えてみると、未来への不安と恐怖という意味にも捉えられる様に思えるのです。ここで言う未来とはWUG解散後の刻。
PartⅡシリーズでは、解散という事実に向き合う事を印象付けさせる演目やMCでの言動が目立っていたとの事。このドラゴンの持つ八つの首はWUGの七人とワグナーを模したモノだったのではないでしょうか。

 斬り落とした首の行方がどうなっていったかは知る由もないのですが…八岐大蛇の首はそれぞれ違う方向を向いているとの記述があるとの事なので、彼女達七人とワグナーそれぞれの未来の刻へ往く事を喩えていた様にも思えなくもありません。

 

 


『タイトロープラナウェイ』から『outlander rhapsody』に繋がる物語

 

 この目で円盤を見るまでは、こんな事は微塵も思わなかった。
それぞれが独立した楽曲のアクトを披露したに過ぎなかっただけだと思ったが、違ったんです。


 もう一つのユニット楽曲である『タイトロープラナウェイ』。
この楽曲は『outlander rhapsody』に至る物語へ繋ぐアナザーストーリーとして存在し、PartⅠにて披露されたのではないでしょうか。

マユ達とは遠く離れた地で伝説の剣を持つ者同士として、アイリ、ミナミ、ミユが出逢い旅立った。旅の中で、もしかすると彼女達はマユ達よりも先にドラゴンに立ち向かったのかもしれない。

だが…ドラゴンに返り討ちに遭った彼女達三人の絆にヒビが刻まれてしまいます。



 心をこめていてもダメなものがあると はじめて思い知った

 僕の失敗 きみもねそうでしょ


 ―Wake Up,Girls!『タイトロープラナウエイ』より引用



 ここの節は、若さ故の無謀な挑戦によって犯した過ちの比喩表現にも思えます。気持ちがこもってなければ駄目な事はあるが、いくら込めていてもどうにもならない事象が存在してしまうのも世の理。1番のサビにあるタイトロープの句はヒビが刻まれいつ壊れるか分からない三人の絆を不安定な綱渡りという意味として描写していると思えます。

拗れて、ヒビ割れは更に進行していく……粉々に砕け散るのを何とか食い止めているのは、詞にある『同じTシャツ』=同じ志を抱く同士=ドラゴンを倒す者としての想いなのだと。


 描かれた胸のロゴや 熱い文字を

 ずっと かかげて忘れないで 選びとろう それぞれの道を


 ―Wake Up,Girls! 『タイトロープラナウエイ』より引用



何度も書いてますが自分の中では
この節々がこの楽曲の最も『要』となる箇所と思っています。

向き合わなければならない現実から眼を背けずに真っ向から変わろうとする想いと覚悟を持って砂埃舞う軌跡に踏み出す。2番サビと大サビでのタイトロープの意味は1番の意味とは違って来まして、危険を冒すという意味で捉えていると思えるのです。不退転の覚悟を決め危険を承知の上でドラゴンに再戦を挑んでいく。刻を同じくしてドラゴンに決戦を挑んでいるマユ達に出逢えたのは狭き道=奇跡なのかもしれないけれど
狭き道を往ったから、『タイトロープラナウェイ』が無関係な楽曲ではなく繋がる物語として在った事の証明だった。

あの刻で苦戦する四人に助太刀したアイリ・ミナミ・ミユの姿とPartⅠで彼女達によって紡がれた物語が…『outlander rhapsody ―ver.FANTASIA』の物語へと昇華させる為に必要な最後のピースだと思えてしまったのです。

 


 この駄文Blogでの楽曲所感に於いて『アンセム・ソング』と称する楽曲が色々とあります。WUG楽曲に於いては『タチアガレ!』や『少女交響曲』がそれに相応しいと思っています。
そして、このPartⅡシリーズで新たに『アンセム・ソング』が誕生しました。
勿論その楽曲は『outlander rhapsody』です。


 PartⅢシリーズから約束の地SSAに至るまでの軌跡で魅せ付けた七人の狂った輝きは
まさに、outlander=異端者と称するに相応しいものだったのではないでしょうか。
PartⅡの刻と軌跡に於いて楽曲を進化させて『アンセム・ソング』の域までに化けさせた。その瞬間に自分は立ち会えませんでしたが、その刻の記録を知る事が出来た事と残されているという事実は本当に喜ばしくこれから多くの人に語り継がれるモノだと思います。

 

感じた事をそのまま書き殴った推敲なんぞ一切してない
暴論全開の駄文で恐縮ですが、これにて本稿を締めさせていただきます。
最後まで読んで下さりありがとうございました。

 

 

 


 

 

 

令和の刻の訪れに寄せて。

 平成の刻が終わり、令和の刻が訪れた。

 


とは言え…元号が変わり、数日が経ったが改めてまた何か仰々しい目標を立てようという気はない。
年始にこのBlogに書いた様に意識してやっていきたいと思えるのは自分が興味を惹かれた事には積極的に触れていき、この駄文Blogも書き続けていく事は変わらずにある。
身体の細胞が若返るのは不可能ですから、自分の感性がドキドキしワクワクさせるモノに触れていって気持ちは若くいようという意欲を持ち続ける事なのが肝要なんだろう。

 
 こいつは俺の偏見混じりの意見なんだけれども、巷でよく聞く『~歳にもなって○○が好きなのはおかしい』や『~歳になってもまだやっているのか?』という言葉がある。諸外国の事は分からんが、日本人という人種はとりわけこの傾向や思想を持つ人が大勢いる。それが別に悪いとかケチを付けるものではないのだけれども、俺はこの言い回しあまり好きではない。と、言うかは嫌いなんだがね。
ロクに触れてもいない者が自分の惹かれるモノに、とやかく言われる筋合いは無い。
無論、それが他人や社会に迷惑をかけてしまうのであるのならやめるべきなのだが、自己責任が負える範囲であるなら他人がとやかく言うモノではないと思う。
だからと言って思うがままに情熱や愛情を叫んでいくのではなく、過剰になり過ぎない事を慮る事は忘れてはならない部分ではある。


 話は戻るが、前述の興味を抱いた事へのアプローチであるが、何も目新しいモノである必要は無い。むしろ過去の世に出回ったモノから得られるモノだってまだまだ多くあるし、それを知ってみたい欲求がありそれが自分の新たな糧に成り得る。今の時代、情報を容易に得られる手段は数多くあるが、それを鵜呑みにするのでなく直に見聞して感じたインプレッションは何時の世になっても鮮やかで強烈。全てでは無いが軽視してもいけない。それも忘れてはならない事だ。

そして、自分がこれまでに影響を受けたモノをまた見つめ直す事も忘れずにやっていきたい。掘り下げていきたいモノは変わらずに追い求めて、新しいモノに積極的に触れていって得られたモノを活かせれば…と思っている。無理をしない事、自然に、本能と好奇心の赴くままに。



 令和の刻でも、自分を待ち受けて関わる様々な『縁』があるのだろう。
これまでの縁や未だに巡り逢えてない縁に想いを馳せつつ…
関わった縁に感謝を忘れずに訪れた新たな刻を懸命に生きていきたい。

 

 

 

 

 

 

 

Blu-ray『Wake Up, Girls! FINAL TOUR ‐HOME- PARTⅡFANTASIA 』所感

 Wake Up, Girls! FINAL TOUR ‐HOME- PARTⅡFANTASIA 
神奈川・横須賀公演(夜の部)を収録したBlu-rayを先日購入。

 

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Wake Up, Girls!  FINAL TOUR - HOME -~ PART II FANTASIA ~ [Blu-ray]

Wake Up, Girls! FINAL TOUR - HOME -~ PART II FANTASIA ~ [Blu-ray]

 

 



観終わっての率直な所感だが……
映像で観るだけでも素晴らしいライブだったと言わざる得ない濃密なライブだった。
それ故に、この感動を書き残したくて、今俺はノートPCのキーボードと向き合っておる。
だから、今ここで、Wake Up, Girls! FINAL TOUR ‐HOME- PARTⅡFANTASIA ~
神奈川・横須賀公演(夜の部)のライブ映像を観た所感を書き殴ろうと思う。

とは言え、全てのアクトの所感を書くとキリが無いので…
特に印象深く、心に突き刺さったアクトを幾つか挙げて書いていく。


 

 


 序章~スキノスキル



 まず、開幕して流れたナレーションがこれまでのWUGのライブ演出とはまた一線を画した構成になっていると感じさせた。ナレーションの内容がこれから披露される物語のプロローグという形に変化していくわけだ。
物語は人間と妖精が共存していた時代の話で、世界は邪悪なドラゴンによって支配され、人間は想像する力=イマジネーションを失っていた。
そんな中、七人の妖精達=Wake Up,Girls!は八人の勇者を探し出しドラゴンを倒し、人々にイマジネーションを取り戻す使命を与えられ旅立ち…完結していた世界を変えていく為に『スキノスキル』は謳われる。

この『スキノスキル』で印象的だったのは、終始掛かっていた紗幕(薄い幕)の存在だ。

紗幕にファンタジー感満載の映像を映し出し、幕におぼろげに映しだされた(妖精の)七人の歌い舞い踊る姿は幻想的に観えるものである。ステージ奥のスクリーンに映すよりもステージ前方を覆った幕に背景映像を映す方がより視覚への印象は全然違うモノになるだろう。そして、視覚から入った幻想的なイメージは楽曲の雰囲気を更に助長させ深みを増していく。

 

 

 

 outlander rhapsody

 

 先に言っておく。ここの所感、ちょいと長くなります……

 


 
 PARTⅡシリーズの頃、各公演が終演しこの楽曲のアクトを絶賛していく声を多く見聞していたものだが俺はPARTⅡシリーズに参戦しておらんかったので正直な所半信半疑で捉えていた。
そして…ようやくこのアクトを観れる機が訪れ叶った。映像という形式ではあるが圧倒的とも言える演出の説得力はぐぅの音を出す暇も与えちゃくれなかった。で…直に観たからこそ当時このアクトを絶賛していた理由を痛感させられた。『outlander rhapsody』がPARTⅡシリーズの要を担う楽曲の一つであった事の意味を。

 その意味であるが、それはPARTⅡの題に付けられた『FANTASIA』に直接結び付く。
『FANTASIA』という語句は様々な意味を持つ語句だ。空想、幻想の意味もあるし、クラシック音楽のジャンルの一つである幻想曲もそうだ。で…こいつは俺の勝手な見立てではあるのだが、WUG楽曲全体に於いてファンタジー要素を強調している楽曲はそんなに多くはない。(最も、そいつは俺の主観であり受け取り側の解釈にもよるのだが…)そんな中でもオープニングアクトに用いられた『スキノスキル』とこの『outlander rhapsody』はとりわけファンタジー色が強い楽曲であると思えるのである。そして更に言ってしまえば、 rhapsody(ラプソディ=狂詩曲)は諸説あるが自由なファンタジー風の楽曲を意味し、また、寄せ集めやごた混ぜの意味があるとも言われ
異なる曲調をメドレーのように繋げるという特色を持つ楽想でもあるともいわれてもいる。



……前置きが長くなってしまったので、アクトの所感に戻ろう。



 この『outlander rhapsody』という楽曲は全体曲ではなく、吉岡茉祐さん、青山吉能さん、山下七海さん、奥野香耶さんの四人によるユニット曲だ。アクトの背景で描写されているのは、人々から想像力を奪ったドラゴンとの決戦がテーマとして描かれている。伝説の剣を携えた四人が佇み、イントロで吉岡さんと青山さんによる勇ましいコーラス(…でいいのか?)は士気を高揚させる鬨(とき)の声を彷彿させる。
そして、紗幕に映された爆ぜる炎と共に一気に下される幕。個人的な印象だが視覚に見える情報が曖昧な状況から解き放たれて視覚に一気に情報として飛び込む=ステージが鮮明に見えるというのは、感情を昂らせ爆ぜさせる最大の要因であると思っている。それに拍車をかけるアップテンポの曲調。盛り上がらないワケがない。

このアクトの要となる箇所なんだが、2番終わり~Cメロまでの間奏部だろう。
正規のバージョンではなく、ライブ用にアレンジされたモノが奏でられた。
で…間奏が奏でられる中でドラゴンと闘い、苦戦を余儀なくされる四人。


(まぁ、八人揃わなきゃコイツ倒せねぇからな……)


でもだ。苦戦している四人に希望の星が舞い降りるんだよ。タイトロープ(この場合、危険を冒して駆けつけたという意味の方で)を潜り抜けて来た……四人と同じく伝説の剣を携えたアイリ・ミナミ・ミユの姿が。


自分でもよく分かっている。俺がこれから書く事がこじつけに過ぎない事は。
でも書きたいんだ。このアクトを今になって観れて感じた一つの答えとして。
で…ここから話が脱線するが少しの間ご容謝願いたい。

 …彼女達三人が歌うもう一つのユニット楽曲『タイトロープラナウェイ』
ファイナルツアーPARTⅠ千秋楽の大宮にてこの楽曲は歌われた……
前述に書いたが、狂詩曲の楽想の一つである異なる曲調を繋ぐ楽曲として『タイトロープラナウェイ』も含まれていた様にも自分は思えてならない。無関係ではなくて三人の物語として…


描かれた胸のロゴや 熱い文字を

ずっと かかげて忘れないで 選びとろう それぞれの道を


Wake Up,Girls! 『タイトロープ ラナウエイ』より引用


変わろうとする想いと覚悟、そして一歩踏み出す勇気を示しその先の物語へと繋ぐ。
『outlander rhapsody‐ver.FANTASIA』の物語へと繋ぐ為に『タイトロープラナウェイ』が大宮の地で謳われた意義があったのだと。

 

けれども、ドラゴンを倒すにはあと一人足りない。

七人は口々に言の葉を放った。


『皆の…(ワグナーの)Wake Up,Powerを、声を届けて欲しいと。』


 最後の八人目、いや…必要だったのは人と言う存在ではなかったのかもしれない。
想いの力=人の心の光だったのではないだろうか。
皆のWake Up,Girls!という魂の咆哮…心の光は七人の『剣』に宿った。
七人が剣を一閃すると、ドラゴンに最期の刻が訪れ討ち果たされ、そして、アウトロのコーラスは勝ち鬨を彷彿させるイマジネーションの力を奪還した奇跡と勇気の物語の終焉でもあった。チープな表現になってしまうのだろうが……この物語(アクト)は


『outlander rhapsody ‐ver.FANTASIA』と銘打つ楽曲へと昇華していた。

 

もしも時が 忘れていくためにあるのなら

僕らは 冒険の旅人を続ける


Wake Up,Girls!『outlander rhapsody』より引用


 時(刻)の流れはどうにもならないモノ。刻の経過で忘れゆく事は自然の摂理だ。でも、その為だけじゃない語り継いで繋いでいく事も出来る。冒険の旅人という節は語り継いでいく事への喩えなのだろう。

そして、七人が携えていた『剣』はただの演出の道具ではなく、彼女達の想いとこの楽曲の詞にもある『勇気』を貫き通したいシンボルとしての役割を担っていたと思えてならない。

 

 


 リトル・チャレンジャー

 

 ドラゴンを討ち果たして終わりじゃない。ここからまた新しい物語が始まる。光の剣を空高く掲げた七人の先には荒れ果てた世界が広がっている。エピローグでもあるがプロローグでもある。

 そして、この楽曲にも『勇気』という句がある。精密な地図や精巧なコンパスがあっても、未知の領域に踏み込む勇気が欠けてしまっては宝の持ち腐れ。この楽曲のアクトで描写していると思われるのはその後の未来への挑戦であると思えて来る。今現在、終焉の刻が過ぎた彼女達はそれぞれの未来への軌跡を歩み出した。
散り散りにはなったが点での繋がりは途絶えてはいなくて、むしろ離れた分、より強く結び付いている様にも思えなくもない。

 

 


 Knock out

 

 

 一瞬の暗闇が明け、クールでダンサブルな旋律が流れ、彼女達が纏う漆黒の衣裳の視覚効果が相まって凛然たる色香薫る雰囲気を漂わせ
闇夜のビル街を彷彿させる様な目まぐるしく変わっていく色とりどりの照明はこれまでのアクトとはまた違ったムーディな空間を作り出していた。

そのムーディな空間で歌い踊る七人の姿に見惚れ、俺の右のBRAIN(右脳)はクリティカルな一撃を受けたかの様に揺れまくっておるんだ。
右脳が司る空間的な認識能力がやられてしまっている所に、このアクトの一番の見どころだと自分が思ってるアウトロのコーラス部分で七人がソロでアピールするパートがやって来るのだ。

で……中でも強烈な一撃を見舞ったのが二人おりまして、まず、一人目の青山さん。
舞い踊った後の締めで、宙に指でハートを描きその指でハートを突く(撃ち抜く)仕草。まぁ、ここだけでも素敵な場面で網膜が焼き付きそうなんですが……

次の人が非常にマズい人なんです。

ちなみに次のそのマズい人である山下さんなんですが……彼女は両方の手でそっと口付けて少し溜めてから、まるで小鳥を野生に帰すかのような慈愛に満ちた投げキスの仕草。あんた、この子(ななみん)にんな事させたら

Knock out通り越してオーバーキル状態になるの分かるじゃないの……

山下七海さんのパフォーマーとしてのあまりに完成されすぎた美技に思わず息を呑んだ。

 

 


 Jewelry Wonderland

 

 

 本家のI-1本隊が纏う純白の衣裳とはまた違った視覚的な印象がこの楽曲に深みをもたらしている様にも感じる。
WUGが纏う漆黒の衣裳、黒という色の持つイメージの一つとしてあるのが優雅さ。(諸説あります)

この楽曲と『Knock out』。WUGが歌っても全く違和感の無い普遍性・汎用性が高い楽曲だと感じた。勿論、その要素が感じられたからといって、これらの楽曲への評価が下がるという意味ではない。
寧ろ、歌う人の素の力がダイレクトに楽曲に反映される様に思えるのである。I-1本隊が歌えばI-1にしか出せない良さがダイレクトに感じられ、WUGが歌えばWUGらしさがダイレクトに表れる。
楽曲が違うが、作中にて島田真夢が『極上スマイル』をI-1が歌っても全く違和感がなかったという台詞があった。違和感が無い=それが汎用性と普遍性の高さの証明でI-1の集大成楽曲と勝手に自分が称しているが、WUGサイドで見てもその解釈が成り立つと勝手ながら思えるのである。それを強く印象付けられたのがWUGのリーダーズ青山吉能さんと奥野香耶さんの担当している落ちサビでのソロパートなんだ。

 
Jewelry Wonderland

綺麗ごとだけで終わらせないよ この気持ち

sing 経験の財産を身につけて歌いましょう


―I-1club『Jewelry Wonderland』より引用


 このパートは奥野さんが歌っている。彼女の特徴の一つでもある柔和な歌声は、ティナ(安野希世乃さん)が歌われるオリジナルとはまた違う響き方を感じる。今にして感じることではあるが、奥野さんが内に秘めた想いがこのパートの節々に込められ、彼女の歌声に反映されているのだろう。ここを歌っている時の奥野さんの姿なんだが、魂を削るというか…湧き出すモノを余す所なくしぼり出す様に見えるんだ。
でも、彼女の歌う姿に悲壮感は一切感じないどころか楽しそうに優しげに歌っているんだ。あと、去り際の笑顔が可愛くてズルいwww


dancing レッスンは

血のにじむような 自分が見てた部屋のなかだけ

Show Timeに見せる輝きへと


―I-1club『Jewelry Wonderland』より引用


 そして……この楽曲の最大の『要』と、俺が勝手に思っておるパート。
本家では任を解かれてしまったがI-1の理念を体現している近藤麻衣(加藤英美里さん)のパートをWUGのリーダーである青山さんが歌う。

青山さん曰く、加藤さんの『強さ』を借りて歌ったと言った。それは同時に近藤麻衣の魂を宿らせる事でもあり、ひいては、七瀬佳乃の魂をも宿らせることでもあって…
感情剥き出しで、力強く、遥か彼方へ届けという想いが詰まった歌声の伸び。このゾーンに突入した青山吉能血の流れる魂の絶唱は本当に強いんだ。
で、歌い終わりの青山さんの身体をくねらせて歩く所作がまたエロ艶やかなのよ……

『要』となるパートを期待以上のモノをきっちり魅せ付けてくれた
WUGのリーダーズの底力。素晴らしかったの一言に尽きる最高のアクトだった。

 

 

 

 約束の刻と約束の地・さいたまスーパーアリーナへ…

 

 この横須賀公演といえば…
2019年3月8日に開催されるファイナルライブ開催の報が告げられた日でもあった。

1stツアーからファイナルツアーまでの軌跡が映像として流れ…
七人の直筆のメッセージも流れて……(もう、この時点で涙腺がやられてる…)

そして…あの文字が映し出されるんだ。


FINAL LIVE in さいたまスーパーアリーナの文字が!!!!!!!


この報を知った時の事は過去記事に書き殴っておるので改めて書かない。

 

akatonbo02.hatenablog.jp

 

 


 

 全てが終わった今だから言ってしまうが、公演が決定して嬉しかったのは当然あった。ただ…あの広大なSSAにどれだけ集まれるのかという不安の方が大きかった。
開催されるのは平日の夜というのがやっぱり最大の要因だっただろう。その不安は当然彼女達の中にもあったはず。
もっと強くなって皆を大きな会場へ連れて行くと誓い…まだ終わらない!終わらせない!!と闘志を滾らせ約束の刻まで七人は全力で闘い抜いた。


そして、辿り着いた約束の刻と地での13000通りの奇跡の物語があった。

 

 

 


 Beyond the Bottom

 

SSAでのファイナルライブ決定の報の後で披露されたこの楽曲。
七人が登場する前に、続・劇場版後編『Beyond the Bottom』最終決戦前のあの台詞が再現されるんだ。これは音源じゃない。七人の生の声と言の葉でだ……

 

『いつもの力を出そう!』

『想いを込めて届けよう!』

『元気を届け、元気をもらおう!』

『思いっきり楽しもう!』

『悔いのない様にやろう!』

『私たちらしさをここで見つけよう!』

『この七人しか出来ないパフォーマンスをしよう!』


『いくぞ!』『がんばっぺ!!』

 

Wake Up,Girls!

 

登場し、しかも七人が纏っているのは『Beyond the Bottom』の純白の衣裳だ。
あの報の後での…衣裳と楽曲がきっちり揃った完全な『Beyond the Bottom』披露。

この公演は『Beyond the Bottom』が要であり、全てを持っていったと言っても良いだろう。


島田真夢と吉岡茉祐の魂。

林田藍里と永野愛理の魂。

片山実波と田中美海の魂。

七瀬佳乃と青山吉能の魂。

久海菜々美と山下七海の魂。

菊間夏夜と奥野香耶の魂。

岡本未夕と高木美佑の魂。



 互いの境界線を越えて繋がりあった双方の魂が織り成す
誰よりも純然で、清廉で、煌びやかで…生命の謳と称するに相応しい特別なアクトだ。
SSA発表の映像には羽が舞っていたが、あれは七人それぞれの『翼』なのだろう。

この後に控えているPART3『KADODE』へ、そして約束の地へと羽撃いた……
文句なんて付けようが無い。圧倒的な説得力で魅せ付けられたとしか言い様がなかった。I-1アリーナでアイドルの祭典を制したWUGとさいたまスーパーアリーナの単独公演の機と刻を得た現実のWUG。肩を並べた両者が向かうのは新たな軌跡なのだと。

SSAファイナルライブの報からの曲入りでの真夢達による台詞の再現。
そして、楽曲『Beyond the Bottom』の圧倒的な説得力。
何とも言えないカタルシスをこの一連の演出から感じ
素晴らしいと言う賞賛の言しか表現出来ないアクトだった。


 

 

 以上がWUGファイナルツアーPARTⅡFANTASIA 千秋楽公演円盤の所感となる。
俺はこの公演への参戦が叶わなかったのでこの円盤で初見となった。
記事の尺上、断腸の思いで6曲+SSA決定の報に絞らせてもらったが
収録されている他の楽曲も素晴らしいアクトだった。

冒頭にも書いたが、濃密で激熱なライブだった事が映像越しでも伝わって来た。
この感動を書き始めたが、終わってみれば6000字を越える文量になって…
参戦レポまでとはいかないが、そこそこに熱苦しいモノにはなってしまった。


続けて発売されるPART3『KADODE』のライブ円盤も楽しみである。