巡礼者のかく語りき

自由気ままに書き綴る雑記帳

異端者による 『Wake Up,Girls!新章』独自考察【楽曲編】

 自分の勝手な持論で恐縮であるが…アイドルを題材とした作品において楽曲との関わり合いは欠かす事の出来ない重要な要素であると思っておる。
その楽曲に懸けている想いと魂。制作に携わり苦闘する軌跡を描いていたり楽曲が物語の根幹を成す要素であったりと様々であると言えるし
それはこのWUG新章も例外ではない。

 

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異端者(俺ww)による『Wake Up,Girls!新章』独自考察。
今回は、新章で使われた楽曲を自分の独断と偏見でいろいろと書き綴っていく。
とは言え…出て来た全ての楽曲を書いていくのは
俺の気力がまず持たないのでww根幹を成した楽曲と個人的に印象深かった楽曲を挙げて書き綴ろうと思う。
尚、楽曲そのものの考察ではなく、物語と人物との関わり合いに焦点を置いて考察
(という妄想)しております。

 

 

 


 タチアガレ!

 

 

 2017年の3月13日(作中の日時)の仙台・勾当台公園にて、WUGに憧れを抱き少しでも近づきたいという想いを持つ三人の少女
速志歩・守島音芽・阿津木いつかがこの楽曲を舞い踊る。『エターナル・センシズ』のラストで島田真夢はこの場に偶然居合わせ『わぐばん!』の収録の合間に、片山実波・菊間夏夜・岡本未夕が投稿されたダンス動画を観ていた。
この313という数字だが昨年のWUGの4thツアーのグッズ
(キーホルダー・ビブス・タオル)に刻まれた数字の一つであり
藍里役の永野愛理さんがこの数字を考え刻んだとの事。
3月11日=311の次の素数がこの313という数字であり、次へ踏み出し進むという意味を込めて永野さんはこの数字を選択したそうです。
新章の物語で最初に登場したこの楽曲と3.13という日時と勾当台公園で次世代である歩・音芽・いつか(後のRun Grls,Run!)が舞い踊る事の意味
様々な要因が重なるWUGと歩・音芽・いつかとの『縁』は
この刻から繋がり始めて来た…と思われる。

 

そして、最終話での仙台公演でWUGがこの楽曲を歌った事も胸が熱くなった。
クリスマス・イブと言えば七人のデビューライブもこの日で勾当台公園
野外ステージ。結成当初は確固たる信頼関係もステージ衣装もなかった…
しかし今は違う。揃いの衣装を身に纏い、七人を迎えてくれる観衆がいて
様々な苦難を経て強く血の繋がりより濃くなった七人の絆がある。
何度も壊れそうになった。でも前を向いて進む事を諦めずに続けて来たからこそこの日を迎えられた。
それは七人の楽曲への敬意と感謝の念を示すようでもあったと思えてならなかった。

 

 

 

 君とプログレ

 

 

 島田真夢と岩崎志保が主演したドラマ『夢見るふたり』の主題歌として
登場したI-1Clubの新曲。
アイドル戦国の世からアイドル不況時代へと刻は推移していく。その時代の奔流に呑み込まれる形となったI-1。
まだ緩やかに流れていた刻の流れを急速にしたと考えられる最大の要因は、2015年のアイドルの祭典でのI-1の敗北であり優勝を飾ったのはI-1初代センターを勤めた島田真夢の在籍している『Wake Up,Girls!』だった。
I-1を追われた者の手でI-1に引導を渡される形となったのは何とも皮肉な話であろう…

 

2016年のアイドルの祭典でI-1は優勝を勝ち取るが、変わってしまった時勢の波はそう易々と変わるものではなかった。
二人の元・I-1のセンター、真夢と志保の共演という話題性に縋り付いてでも時勢の波を再びI-1主導の時代に引き寄せようと形振り構わないようにも捉えられ
プログレス=進化の形は決まった形ではない事を感じさせる。
ドラマの主人公であるヨウコとミツキの心情を描写した楽曲でもあるが、I-1側…特に、現・センターである鈴木萌歌の心情を描写している楽曲であるとこの新章の物語では役割を果たしているように自分は思えて来る。

 

 

 

 同じ夢を見てる

 

 

 君とプログレスの系譜を汲んでいるヨウコとミツキの心情描写を思わせる楽曲でもあるが、島田真夢と岩崎志保の関係と心情描写を表す楽曲であると思える。
自分の中ではどちらかと言うと、真夢と志保の関係と心情に寄り添った楽曲という認識で捉えている。
互いに認め合い、最も負けたくない相手。一度は途切れたかに思えたが『縁』はそれを許容せず二人を再び巡り会わせる。
(二人の関係性については人物編の独自考察にてじっくりと書き殴るつもりである)


一度敗れ、共に魂の奥底に眠っていた原初の想いを取り戻し、再び高み≒同じ夢へと挑む闘いに身を投じる。この『夢見るふたり』にて共演(競演)経た真夢と志保の関係は好敵手・宿敵という関係から、真の『戦友』へと昇華していったと思える。

 

 

 

 HIGAWARI PRINCESS

 


 本編では9話と最終話での登場。現実でもこの楽曲は東北地域のイオンCMソングとして使われた。作中では全国展開しているスーパーマーケット『ニャオン』の仙台ローカルのCMソングとして登場。
自分は9話でのチャリティライブでのこの楽曲の使われ方が印象的に思えた。
来てくれる観客を一人でも多く楽しませようと様々な魅せ方を模索して意気込んで臨んだWUGだが、この楽曲のアクトの最中七瀬佳乃は客席で自分達ではなく携帯端末をずっと見ている観客を目撃してしまった。
自分達に一切の興味を抱かない者…言わば、観客側の負の部分を見せる役割を与えられた楽曲とも捉えられる。興味を抱かない観客の描写は新章だけの描写ではなく、これまでのシリーズでも見られたモノだ。
一期のTVシリーズ(二話)での健康ランドでの営業や続・劇場版前編でWUGが出演したフェスでのトイレタイム扱いされた描写がそれに当たる。
この二つの項目よりはマイルドに描かれてるように思えなくも無いが、徹底的に無関心を貫く描写というのも結構厳しく背筋が凍えるような感覚になるが…
興味を抱かない観客の描写を踏襲してくれたのは個人的には嬉しい要素であった。

 

 

 

 

 Glossy World

 

 

 最先端の技術で生み出された次世代のアイドルであるマキナXに、稀代の天才サウンドプロデューサー・早坂相が書き下ろした楽曲。
完璧な存在であるバーチャルアイドルと楽曲との関係がもたらすモノに早坂さんは未知の可能性を見出し挑んでいく。
結果、この楽曲は全米のヒットチャートを賑わせる事となったが、早坂さんが求めていたのは単に世界的にヒットする楽曲を作り出すことではなかったと思える。
おそらく彼にとってヒットチャートを賑わせ成果を出す事は刺激的で面白い事ではなく、人とテクノロジーの融合≒Glossy World(光り輝く世界)が枠を壊し限界を超えられる存在であるかを見出したいのだろう。
そして、枠を壊すという事では早坂さん自身にも言える事だったのではないだろうかと思えてならなかった。

 

 

 

 カケル×カケル

 

 

 紆余曲折あって、グリーンリーヴスの研究生としてアイドルへの軌跡を行く事となった速志歩・守島音芽・阿津木いつかの三人。
自分たちのレッスンをこなしつつ、個々の仕事でレッスンに来られないWUGメンバーの代役を務めたり、直前でようやく決まった仙台公演の会場設営も手伝い
WUGの陰で献身的に動き続けてくれた三人の想いに応えてやりたいと思った七人は、千秋楽公演のステージに三人を上げてやりたいと丹下社長に訴え掛ける。
そんな七人の熱意に圧された丹下さんがTwinkleが三人のために作ったこの楽曲を渡す。
『これ(カケル×カケル)をこんなに早く出す事になるとは』と言う丹下さんの言から推測するとこれはWUGの楽曲としてではなく
Twinkleが事務所に来訪して歩達を初めて見た時に三人の為の楽曲として
丹下さんが制作依頼をしたと考えるのが適切と考えられ
将来、彼女達三人をユニットとしてデビューさせるプランを構想していたのだろう。


自分たちだけの楽曲とユニット『Run Girls,Run!』の名を授けられ、本番に向けてWUGからアドバイスをもらいレッスンに励む三人。
WUGの七人とランガの三人の『縁』が繋がって次世代に技術と魂を伝承していく。本番の刻に初陣に臨む三人に七人の絆を象徴するシュシュを渡したのもその一環だろう。
託された想いに応えるには、自分達の全力を出し尽くし限界領域へと踏み込む事。まだ小さな一歩だったかもしれない。だが、踏み込んで駆け出さなければ先へは進めない。
TwinkleがWUGに提供した『タチアガレ!』を舞い踊った三人。そして系譜を受け継ぐ姉妹曲と巡り合えた事…
三人が諦めず必死に駆けて来たからこそ繋がった想いと『縁』と荒削りながらも突き進む覚悟。『Run Girls,Run!』なりの挑戦状的な楽曲と言えるかもしれない。

 

 

 


 Jewelry Wonderland


 

 自分の中ではこの楽曲の要となる人物が三人いる。まず一人目は高科里佳。
サビに突入する前の節『鏡を覗き込んだ さぁ!』と『開くMagical Box さぁ!』の部分でのソロパートは彼女が担当している。
この節以降から『静』の曲調だったのが一気に爆ぜるように『動』の曲調へと変化していき最高潮に盛り上がっていく。
鏡という句が志保のアンダーを務めていた時と解釈して、彼女越しに見えていたのであろう未来の里佳自身の姿。開くMagical Boxという句がI-1全体を指す句。
脱退した岩崎志保からI-1の未来を託された次世代の者である彼女がこの楽曲の堰を切る役割を担う事は何ともエモーショナルな感覚に浸ってしまう。

 


二人目が近藤麻衣。ラスサビ前での彼女のソロパートである以下の節が印象的だ。

 


 dancing レッスンは

 血のにじむような 自分が見てた部屋の中だけ

 Show Timeに見せる輝きこそ


 ―I-1 Club 『Jewelry Wonderland』より引用

 


I-1の黎明期からキャプテンとして束ねて来た者として、また一人のアイドルとしての矜持・覚悟・信念。ここの節々にはI-1への……そして彼女の想いが込められていると思える。
 

 

そして最後の一人が白木さん。この楽曲を誰が作ったのかという描写はありませんので完全な妄想と暴論ではあるが…作詞をしたのはおそらく白木さんではないかと思える。詞の紡ぎ出した世界観はI-1の理念と彼のアイドルへ抱いている想いが凝縮された集大成的なモノと捉えられる。
次世代の『血』である高科里佳とかつての『束ねる者』で理念を色濃く継ぐ者でもある近藤麻衣に先述のソロパートを託した事は
彼がまだ変革の刻で翻弄されながらも、なお刻の流れに抗う事、強くあり続ける為に闘い貪欲に挑み続けるからこそ強くなれる不屈の魂を彼女らに託したように思えなくもない。
人の限界を超えた力と心の光を誰よりも頑なに信じているのが白木徹という男なのだろう…

 

 

 

 7 Senses

 


 新章のOPテーマ曲。Senses=感覚、そして『7』という数字。作中において重点的に描かれた事の一つであるWUG七人の更なる個の成長を象徴する楽曲と言えるだろう。
詞の一節にある『過去と未来つながっている場所』という箇所も、過去の楽曲と新章にて登場する楽曲の系譜を表す要素でもある。
決起を象徴する『タチアガレ!』七人の闘いの楽曲『7 Girls war』再起を象徴する『少女交響曲分水嶺となる『Beyond the Bottom』そして……未来に繋がるあの楽曲。
Seven Senses Wake up Go!!!!!!!の節は、七人の秘められた更なる可能性を覚醒させただ直向きに前へと突き進む七人の生き様・懸けている想いと魂を象徴していると思えるので
物語の関わりは最終話でのライブシーンのみで掘り下げた描写はなかったが挙げさせてもらった。

 

 

 

  Polaris

 

 

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 新章後半の物語は、この楽曲の制作過程(七人の作詞)に重点を置いた描写となる。作詞に悪戦苦闘するも七人が一所懸命に言葉と向き合い
今感じている事、伝えたい本当の想いや叩き上げの魂を境界線の存在しない空で繋いで輝く事。Polaris北極星はほぼ動かずに定位置で輝き旅人を導く光となる。
七人がそうありたいと願い、また想いを寄せる人達に導かれるような…『想い』の相互循環を繋ぎ・導き・輝く……
そして、人の負の感情にも触れている。綺麗事だけで誤魔化さず真実と人に向き合う事。結束しようと紡いだ絆の糸は完全に繋がるまで何度も絡まり解れそうになった。
詞の無かったこの楽曲に『魂』を宿らせ血を通わせられるとWUGの本当の力と七人の心の光に早坂さんは懸けて七人にこの楽曲を託したように思えてならない。
そして…繋がった心の光は絶望の淵に落とされた鈴木萌歌に一つの『答』を導かせる。

 

闇があるから星は強く輝ける。その逆も然り。この二つの要素は切り離せない密接な関係として成り立っている。
人の負の感情=闇とするならば人の心の光=星。星は夢や憧れ、貫きたい信念や覚悟、何かに縋りたい人の『性』(さが)のようにも捉えられる。
闇と向き合い、そこから光=人の心の光を見出す事。それは島田真夢が言う
『幸せの形』を表すモノなのかもしれない。

 


ひと粒の瞬きがボクを導いてく ココロから憧れた世界 満天の星空になる日まで


 ―Wake Up, Girls!Polaris』より引用

 

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人の意思の力(数多の星)が繋がって一つの"絵"となり、満点の星空(奇跡)が広がる。
人の心に光を灯し奇跡を起こせる存在が七人が導きだした理想のアイドル像としての
この『Polaris』という楽曲に七人が想いを込めて魂を懸けた楽曲と言えるのではないだろうか。

 

 

 


 最後に。

 

 

 …と、好き勝手にWUG新章の物語に関わった楽曲について書き殴ってみました。
本稿にて挙げた楽曲だけではなく、他に登場した楽曲にもそれぞれの物語がありますし、挙げた楽曲にもまだ秘めた物語があります。
無論、俺が書いた独自考察が完全な答であるとは思っちゃいません。本稿がきっかけとなってWUGの物語と楽曲の魅力を知る方が
一人でも多く増えてくれれば、ありがたく嬉しいものであります。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

異端者による 『Wake Up,Girls!新章』独自考察【物語編】

 

皆様、爽涼の候いかがお過ごしでしょうか。あかとんぼ弐号でございます。

 

巷ではWake Up,Girls!のファイナルツアー PARTⅡ FANTASIAの
初陣である大阪公演が終了し余韻と興奮冷めやらないという所でしょう。


しかし、当ブログは刻の流れが通常と異なる時間に存在しておるwww
更に言えば俺は大阪公演には参戦しておらんので参戦レポは書けん。
なので…今回から数回に渡って

 

 

 

Wake Up,Girls!新章』の独自考察を進めて行きます。

 

 

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 今更感は充分に承知しておるがww
まぁ、こんな奴が一人いてもいいんじゃないかと思い勝手に書いてしまおう。
今回書き綴っていくのは『物語編』と称しまして
新章のストーリーについての独自考察となります。
とは言え、理路整然としている文章を書ける自信は微塵もございませんww
考察を書くにあたって、俺が観て感じた事をありのまま書き綴っているので
その辺りは緩い観点で一読頂ければありがたく思います。


……と、毎度の誰に向けて言っておるか分からん
釈明大会という名の自己防衛を入れながらこれからざっくりと書き進めていきます。

 

 

 

 

 
 

 ・ぶっちゃけてしまうと、やらかした感は否めなかった……
 


 いきなり、話の芯を食うような物言いだが…『Wake Up,Girls!新章』を最後まで観て
所感を書いていた時にも強く印象深かったのがこの事だった。
そして……何を伝えたかったのかがいまいち見えて来なかったと言う声も聞いた。
では、何故そのような事態になったのか?自分はこう思っておる。


描写しようとしていた題材が多かった事と練り込みの甘さだったのではないかと。


そうなった最大の要因と思うのは全てにおいての時間が不足していたのだろう。
但し、時間が無かったというのはWUG新章だけの問題じゃない。
この業界全体にある事象でありそれを逃げ道として慮れる要素ではない。
与えられ限られたモノの中でいかに良いモノを作り出し魅せられるのかであり
そこは脚本と演出の力量が問われるモノなのだろう。
純粋に楽しめたという方もいれば、理念を壊された雑なモノという評価を下したり
まぁ、どちらかと言うのなら否定・拒絶される声の方が多く見受けられたわけだ。


これは俺の完全な妄想・暴論の域での話であるが……


練りこみが甘くなったと思った最大の要因は
元々あったシナリオをぶっ壊してゼロから作りだしたからだと勝手に思っておる。

 

 

 

 
 

 ・葬り去られた"物語"


 

 で、元々というか『新章』の物語として基となり
構想にあったと考えるのが…2015年の冬開催された
Wake Up, Girls!Festa.2015 Beyond the Bottom Extend』終演後に流れた
Wake Up, Girls! 新プロジェクト始動!!』の映像内にて白木さんが言い放った

 

『I-1clubはWake Up,Girlsを吸収合併します。』の言。

 

そして、WUG-1グランプリと称し行われたWUGとI-1との
シャッフルユニットメンバー(WI7ners(ウィナーズ))を決める選挙があった。
たら~ればの話であるが、この物語で描かれたであろう事は
吸収合併してシャッフルユニット結成の流れとなって…
選ばれた者と選ばれなかった者の格差や葛藤などを盛り込みつつ
それぞれの個としての立ち位置を見据えて挑んで行く…的な展開に
おそらくなっていくのだろうと当時は感じたものだった。

だが、ご存知の通り『新章』はこの物語で披露されることはなかった。
これまでの刻の流れの中いろいろと起こってしまった外的要因(ゴタゴタ)によって
この物語は闇の彼方へと葬り去られた事となった。
俺ごときがこのゴタゴタについて書くつもりは無いので触れないが
(色々書いて厄介事に巻きこまれるのは面倒なので…)
それにより制作陣の総入れ替えやらストーリーを新たに作り出すまでに至った。
真相がどうかは伺い知るところではないし俺の暴論なのは百も承知だが
それまであったのをゼロから作り直したのはあながち的外れではないとは思う。


あくまでも、この件は俺の勝手な暴論の域の話だが……

 

 

 

 
 ・変わる物語。新たな刻。
 

 

 前日譚である『エターナル・センシズ』の存在、次世代の『血』(ランガの登場)
I-1の変革の刻、未知の脅威(Vドル・マキナX)、業界の時勢の推移と世相
七人の挑戦と更なる『個』を掘り下げる描写、限界領域を超えた人の力…
これらの要素は、勿論描写し切れたとは言えないモノだったが
概ね普通に楽しんで観られたものだったと自分は思う。

だが、扱うモノが多く練りこみ不足感は否めず、主軸を何処に置いて観るか?
それは観る側の観点でいかようにも変化していくものだから
何とも言えない要素ではあるのだが、ただこのWUG新章の物語は
満遍なく描こうとしてしまったのかなという印象を受けた。
あとは、先述にも書いたが詰め込めるだけの話数と制作時間
シナリオを練りこむ時間が足りなかったというのもあったのだろう。
また~たら~ればの話で恐縮だが、7話での『わぐばん新章』が
制作時間があって本編で一話使えたのだったら
もっと掘り下げれた内容のモノが観れたのではなかろうかなとも思えてしまう。


自分はその影響を強く感じたのが、Vドル・マキナXの描写だった。
生身の人間の限界を超えパーフェクトな存在である者だが
けど、作中にて描かれたのは外資系スポンサーの資本力を重視したもので
肝心要であるマキナXの魅力や彼女の何に惹かれて熱狂しておるかが
全く伝わって来なかったように思えるが資本側の描写も
無視出来ない要素でもあるわけで描写の比率がおかしいモノと思えてしまい
単純に勿体無いように自分は感じた。
人間らしく在ろうする信念を貫く真夢と対極の存在であるマキナXとの関わり
俺はこの要素も観たかったんですがね……


 冒頭より様々な時間が無かったと書いておりますが『新章』単体のみだと
どうしても描写不足感は否めないんです。(注:個人の感想)
それを補い、イントロダクション的な位置に存在していたのが
前日譚を描いたコミック作品『エターナル・センシズ』だったと思っています。
2016年のアイドルの祭典にWUGが出場しなかった事と
一話でのWUGに対しての鈴木萌歌の敵愾心
アイドル戦国の世から不況時代へと移り行く時勢の波と白木さんの思惑。
七人が思い描く表現者としての現状と将来のビジョン。
丹下社長が新章にてメンバーを個で売り出していく経緯
歩達が一話冒頭にて勾当台公園で『タチアガレ!』を踊る事に至る軌跡。
旧章からこの作品を経由し、そして新章の物語へと繋いでいく。
練りこみが足りない部分を完全ではないが補完しているモノだったと言える。


 理念とかそういう思想を語る気は更々無いし語彙力も無いが
俺は『Wake Up,Girls!』という作品を再起・決起する少女達の物語だと思い観てきた。
で、作品の核を担っているのがその部分だと勝手に思っている。
WUGの七人は勿論、I-1、ネクストストーム、なまはげーず。
未知の領域へ挑戦する事、敗れてもなお諦めず起つ者、本当に大切にしたい想い
抗い様の無い理不尽に真っ向から向き合う事。
細部はそれぞれの立場と役割で異なっていくモノではあるのだが
再起・決起を広義的に捉えると共有出来る要素で解釈出来て
自分が普通に楽しんで観られた最大の要因だったのは
この『核』となった部分がぶれずにきっちりと描かれたからと思っておる。

 

 そして、ファン側視点である、大田組とランガ(歩、音芽、いつか)の物語。
大田組がWUGを応援していくスタンスがそれぞれ違うモノである事を
表現していたのも印象深いモノがあった。

大田はあくまでも裏方的で必要以上の接触をしない事を心がけるスタンスで
WUGを応援していく描写だったのは意外な印象だった。
一方で浅津、屋沢、城本は接触系のイベントにも積極的に参戦するスタンスで
描写していて本編中で描かれたバスツアーにも参加していた。
ファン仲間内で応援のスタンスが異なる事を描いた事は面白いと感じた。

 歩達ランガだが、彼女達の考察は人物編で書いていくので
本稿では細かくは書かないが、彼女達の視点・立ち位置は
WUGへの憧憬から目標へと決意し、業界へと踏み込んでいく
また別の形であるファンの姿と次世代のアイドルを同時に描いた。
新しい要素であり自分はこれまた面白く描いていたと思う。

 

 一期のTVシリーズと続・劇場版では、No.1アイドルを勝ち取るコンテストである
『アイドルの祭典』が物語の軸となっていって物語が展開されていった。
このアイドルの祭典で優勝する事を目指す事、その『闘い』の中で
それぞれが感じた勝敗より大切だったモノ
勝敗の外にあったモノ≒自分達らしさを見つけようとしていた。


『新章』ではこの要素を違う形にて描写したと思います。
全国ツアーの千秋楽であるホーム・仙台公演を成功させる事=成果を出す事。
そして成果を出し応援してくれる存在の想いに応える事
Wake Up,Idols!と称し志を共に有する他のアイドル達≒戦友と想いを繋ぐ事
明確な対決構図ではなく、別の表現でその模様を描写していた。

そして、最大の窮地(最終話のマイクトラブル)に
追い込まれた時に発揮される限界を超えた人間の底力。
七人は一人でも多くの観客に歌声=想いに応え、そして届けようと
ステージから客席へ跳び立ちました。


一期のTVシリーズの『アイドルの祭典』で足に傷を負った七瀬佳乃は
7 Girls war』のラスサビ前で足の怪我を省みずに跳んだ。
勝つ為じゃなく、貫きたかった佳乃の意地と魂が彼女を跳ばせた。
傷を負ったという広義的な解釈で捉えるならば当時の佳乃と同じだ。
声がきちんと届くかなんて問題じゃなく本能と七人の意識……
更に言えば、貫き通したかった『我』≒WUGらしさが
過去~今までの軌跡で七人が導き出した『答』だと自分は解釈させてもらった。


勿論、これは明確で絶対な『答』じゃなく数多にある『答』の一つにすぎません。
『答』は受け取った人それぞれの心に刻まれたモノだと思います。

 

 

 

 ・最後に。
 


 放映当時には物語の内容や演出での様々な雑味に関して
非難や粗探しして鬼の首を取るかの如き言動を多く目にし賛同する声を聞いた。
所感記事の方にも書いたが、物語の何に注視して観ているのかは
人それぞれで異なっていくモノであるので、それについて俺がこの場で
どうこう言う気は無いし一々噛み付く事はしませんでしたし今もその気は無い。

確かに雑で一部に配慮がなかった描写があったのは事実。
それが要因で離れていった人は少なくなかったでしょう……
Wake Up,Girls!新章』様々な批判もありましたが、個人的には楽しく観れた作品。
こうして独自考察を書くに至ったのは
別に否定・拒絶側を納得させようと書いたわけじゃない。
単純に俺が観て感じた事を記録として残しておきたかっただけだ。


そして…本稿ならびに今後書き綴るWUG新章の独自考察(楽曲編・人物編)は
毎度の事で恐縮ですが俺の勝手な解釈に基づいて書き殴っただけです。
『ほう、そういう考察をしているのか』ぐらいの軽い気持ちで
読んでいただければ幸いと思っております。

 

 
乱筆、乱文にて誠に恐縮でしたが
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

 

 


 

舞台『希薄』所感 ~追記編~

 先日更新した記事、舞台『希薄』の所感の追記であります。

 

 

 正直なところ、蛇足感が否めないのは重々承知してはおるのだが……
あの記事で感じた事を書き尽くしたとはとても言い難く燻っているモノがまだある。
これほどまで自分には
『想いを言葉にして余す事無く残す』能力が乏しいのかと改めて思い知らされた。
完全に書き尽くし残しておくのは不可能なのだろうが…
ただ、多くの事を残しておく事は出来る。
どこまで書き綴れるかは分からんが、自分の中で湧き立って来たモノを
これから書き殴っていこうと思う。

 

 

 

 痛み、そして…傷と傷跡

 


 観劇し、所感を書き綴ってから時間が経って
新たに湧き上がってきたのが『傷と傷跡』という句だった。
程度や傷の種類、大小は比較対象から除いて考えていくと、
作中の登場人物はそれぞれが傷を負い傷跡がある。
被災者側の人物は勿論の事、何か力になりたいという純然な想いを
無残に踏み躙られた里奈。
亡くなった真理恵が抱いた無念の思いを傷として考えてもそうだろうし
傍観者・他人事側である良己も当時の東京での事が傷となっていたり
弥生にしてもそうだろう。巧の演出家として感じた才が埋もれる事を
傷として捉えると暴論の域だが俺の中ではその解釈は成り立って
傷を負い、傷跡との向き合い方=それぞれの『今という刻』を
どう生きていくか?に繋がるのかとも感じられる。

 

 で、痛みだが……災害への痛覚がバカになるという件の台詞。
その当事者以外の日本人は天災に対しての認識は例えるならば
紙で指を少し切ってしまったり軽く擦り剥く程の認識で
痛覚がそれに慣れてしまっているのが現状だろう。
この国は大昔からただでさえ自然災害の多かった国だ。
世代を重ねていく毎に魂というかDNAにすり込まれているのかもしれない。

すり込まれたその認識を改めるのは困難な事だと思うし
それまで当たり前にあったモノが無慈悲に奪われて
そこに新しい価値観を入れる事に気持ちが持っていけない。
新しい事を入れるという事も痛みを伴い傷を負う事と同義なのではないだろうか。
当事者が受けた傷と痛みを分かち合う事も出来ない。
だが、その代わりになるかは分からんが、まず傷跡に寄り添い伝承していき
まずその事実が起こった事を知って、忘れない事だが…
逆に、忌まわしき記憶を『希薄』にして忘却する事も救いや癒しにも成り得る。

 

 刻を進める事を拒み続け忘却の彼方へと追いやる者。
純然な想いと性の尊厳を踏み躙られ呪詛の念を抱く者。
自責・後悔の念に駆られながら懸命に向き合う者……
傷跡との向き合い方は各々違うスタンスで描写されていた。
傷を負った→傷跡と向き合い頑張って前を向き頑張ろうという描写に
持っていく方向にはしないで人の様々な負の感情にもきっちりと踏み込んだからこそ
観劇して刻が経っても色々考えさせられるのだろう。

これは俺の勝手な印象で恐縮だが、本作で触れていた人の負の感情や
闇部の描写はおそらくマイルドな描写にしたと思う。
脚本・演出の日野祥太さんが見聞してきたモノの中では
もっとヘビーで凄惨なモノがあったと思えなくない……
だが、伝えたかったのは程度の問題ではなくて、
必ずしも傷跡と懸命に向き合い前を向いて進もうとしている人だけじゃなくて
負の感情に苛まれ行く先を見失っている人も存在している事実を
まず知る事だったのではないだろうか。

 

 

 

 踏み込む胆力と覚悟

 


 脚本・演出の日野祥平さんを筆頭に、この作品に携わった演者・スタッフは
相当な覚悟で臨まれたのは言うまでもないだろう。
これはあくまでも私見だが、より強い決意と覚悟を持って臨まれたのが
野々村良己役の服部善照さんと松岡未来役の吉岡茉祐さんだと思えてならなかった。

このお二方に共通しているのは東北に『縁』があるという事。
服部さんは東北の出身だそうで更には自衛隊員だった経歴の持ち主。
その彼が『他人事』の象徴的人物である野々村良己を演じるというのは
想像を絶するに難くない葛藤と覚悟があった事と思います。
そして自衛隊員の越野草一という人物がより血の通った人物に見えたのは
彼の経験が活きたモノだったと言えるだろう。
もしかすると被災者の負の感情を生々しく感じたのかもしれない。
良己の台詞にある被災者の視線が~という節は
彼が実際に体験した事なのかもしれません…
公演期間中の彼のツイートに出て来た『まっすぐ』という語句には
服部さんのこの舞台に懸けている並ならぬ決意と覚悟の様に思えてならなかった。


 吉岡茉祐さんは、改めて書くまでも無いが
彼女は東北復興支援を旗印に掲げた声優ユニットWake Up,Girls!』のメンバー。
言うなれば、復興支援しているタレントの立場にいる。
今作にて被災者の闇部を象徴している高松孝介の独白で
大丈夫や頑張れという言葉や歌は不愉快だという
彼女が今までやって来た活動を真っ向から批判する事を言っている。
だが、孝介を介して放たれた呪詛の言は現実にある事だ。
吉岡さんに託された松岡未来という人物は自責と後悔の念に捉われているが
その傷跡と懸命に向き合い未来へと進もうとする人物。
繋ぎ止めて今を生きる者が果たすべき使命『きちんと生きる』という台詞には
彼女なりの覚悟を示すモノだと思えるし
WUGの楽曲で『言の葉青葉』という楽曲で
彼女が担当するソロパートでこんな歌詞がある。

 


 がんばってねと かんたんに言えないよ

Wake Up,Girls!『言の葉青葉』より引用―

 


批判されてもなお、踏み込む事を諦めず傷跡に寄り添おうとする事…
それが正解なのかは誰にも分からないが踏み込んで知る事しかない。
勝手な話だが…次にこの楽曲が歌われる時の
ここのパートは今までよりも尊く深みを増した絶唱に進化しているでしょう。


そして、吉岡茉祐さんを介して
この作品と巡り合わせ出合えた『縁』には本当に感謝の念しかない。

 

 


 問題提起を投げかけ主張を押し付ける描写ではなく
人が生きる『今の刻』を綺麗事で済ませず清濁併せ呑む様な描写で表現したから
この『希薄』という作品が多くの人の心に響いて
『楔』を撃ち込んだと自分は思えます。
日野さんは再演は無いと言っています。
一方、高松孝介役の宮原奨伍さんは再演を熱望している。
複雑な問題だと思います。『今』でしか成立し得なかった演目であるし
知って忘れない為にも演じ継いでも貰いたい。
この舞台を観て感じるモノや導きだした『答え』はそれぞれに違うし
どれが正解でもない。皆違っていて、皆良いのだと俺は思っております。

 

 

 湧いてきたモノを書き殴った相変わらずの駄文ですが
知る事と忘れない為にブログに書いた。
無論全て思いの丈を書き尽くしたなんて言うつもりも実感も無い。
台本の最後にある締めの語句にあり『はじまり』が示すように
これから後に継いでいく事や思い返して意識する事が必要な事で使命感や大志とか
そういう大それた想いじゃなく単に感じた想いを
何らかの形で発信していく事で充分なんじゃないかと俺は思えます。


 改めまして、この『希薄』という作品に巡り合えた奇跡に賛辞と感謝をもって
本稿を締めたいと思う。

 

 

本当にありがとうございました。

 

 

 

 

 

知る事。そして…忘れない事。演劇『希薄』所感

 9月16日、新宿サンモールスタジオで行われた演劇『希薄』を観て来た。
今回は『希薄』の感想を書き綴っていく。

 

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 まず初めに、この演劇を観に行こうと思ったのは
出演者に『Wake Up,Girls!』の吉岡茉祐さんが出演されている
という事が第一の切っ掛けだった。
しかし、開演してからTwitterのTLに流れて来る感想や評判を散見していくにつれ
それは単に素晴らしい演劇だったというだけじゃなく
で、ネタバレを配慮しているワケでもなく、どう表現して良いのかが分からない。
受け取って咀嚼してそれぞれの解釈の自由度が高く困難なモノなのかと思わされ
その領域がどんなモノなのか?踏み込んで何を俺は感じ取れるだろうか?
そんな感情を抱き、この時点では吉岡さんが出演しているからという事は
完全に俺の頭の中から無くなっていて、すぐさまこの日のチケットを予約した。

 

そして、終演後…その意味を思い知らされた。語彙力云々じゃなく表現出来ない。
所感を書くにあたってどういう切り口で書けば良いのかが全然見えてこない。
正直、書き出した現在も落し所が全く見えない状態で書き始めておる……

 


 開場し、ここの劇場は地下に下っていくのだが
地下へ行く階段にまず目を奪われた。
踊り場には大量の張り紙があり、人を探している。無事を示す事。連絡先の記載。
それは報道で見た避難所の掲示板で舞台道具の一つで胸に突き刺さって来る。
客席に着くと、そこはブルーシートに覆われた舞台が異様な雰囲気を醸し出し
その空間はまるで刻の流れが通常の刻の流れとは違う感覚に陥らせた。

この劇場は席が50~60席位の小劇場。
だが、この作品のポテンシャルというか真に伝えたいモノを余す所なく出す為には
最適で最高の空間だったように自分は観て感じられた。
演者のマイクを通さない肉声による剥き出しの感情のぶつけ合いが
フィクションとドキュメンタリーの境界線の裾野を複雑に乱していく。


物語の主軸として描かれる時間軸は、震災から七年経った『今』の刻。
脚本を書かれた日野祥太さんによるとそれぞれの立場の『今』を描いたとの事。
ここからは登場人物の所感を書き綴っていく。

 

 

 

 高松巧

 
 本作の主人公。岩手・大槌町で当時震災に遭い親を亡くして
兄と共に東京で暮らしている演出家。

彼の『今』は複雑で危ういモノの狭間で懸命に抗っているのかというのが
この『高松巧』という"人間"から感じた事。
巧が当時のトラウマに苛まれる姿は、失ったものの大きさ
刻を経ても終焉が来ず癒える事のない『傷』や『他人事』という語句への絶望感。
序盤の巧は、被災者の『闇部』側の立ち位置だったように思える。
だが、変わろうとする想いと覚悟をもって一歩踏み出し故郷に一度帰る決意をする。


終盤、彼は失明してしまう。


その意味しているモノの解釈はおそらく受け手に投げかけた
本作のメッセージであると自分は思えてならない。
都合の悪い事、見たくないモノを一方的に遮断する意味合いを込めた
『他人事』や『無関心』に対してという捉え方なのか
あるいは、未来へと邁進する為、過去に魂を引っ張られないような意味合いなのか
プラスとマイナスの要素は当人の心持ちでいかようにも変化していくものだと…
俺は双方の意味合いがあると勝手に解釈させてもらった。


 演じられた植田恭平さんの熱演…と言うよりは鬼気迫る魂を削ぎ落とす様な演技は
開演から終演まで圧倒されっ放しで本当に凄くて技術を凌駕した
限界領域へ踏み込んだ者が魅せる演技だと自分は感じさせてもらった。

 


 高松孝介

 

 巧の兄で、巧と同様に当時被災し共に東京で暮らしている。


 彼は被災者の『闇部』を象徴している人物であり
私見だが、この『希薄』という作品の核を成している人物の様に感じられ
七年前のあの日から『刻』が止まってしまった人物でもあると思う。

クライマックスで彼が語る長台詞は『復興』と『無関心』という語句が
いかに残酷で無慈悲な語句なのかという事を思い知らされた…
故郷をもう帰る場所ではないと絶望に打ちひしがれ
『他人事』を貫く事で、魂と精神の安定を担っていて
彼の魂が完全に壊れなかったのは、唯一の家族・巧の存在だった。
だが、巧が一度故郷に帰ると言った時、孝介は裏切られ絶望の奈落へと墜ち……


そして……自らの生命を絶った。
止まった刻を再び進める事を拒み続けた彼は
終焉させる事を選択する事で救いを求めたのだろうか…


本作を単に綺麗事として描くのでなく
一つの結末としてあり得た事と『闇部』を魅せるという役を担った高松孝介という男。
この人物無しではこの『希薄』は成立し得なかったように自分は思える。

 

 


 樋口里奈

 

 東京で巧と出会い交際している。彼女の『今』もまた複雑なものだった。
巧が被災者であると知ると態度が一変し拒絶していく。
阪神大震災で避難所生活の経験をしており、東北の震災を知り
被災地にボランティアへ向かったが、そこで被災者の『闇部』が彼女を飲み込む。
そこで遭った事は報道では決して触れられなかった事……

彼女は被災者から性的暴行をされてしまった。

自分は避難所での生活経験が無いので想像の域でしか書けないが
そこでの生活は一種の極限状態に追い込まれている状態。
本能の欲求が理性を上回った時、最期の箍はあっさりと壊れるのだろう。

当然だがこの事は報道なんてされずに闇へと葬り去られる。
そう、そんな事は無かった事で処理される。
たとえ被害報告したとしてもまともに取り合ってもらえず
泣き寝入りするしかなく誰にも言えず苦しんだのだろう……

純然な想いを抱き赴いたが『闇部』に呑まれ絶望へ墜とされた。
彼女の存在もまた『闇部』の一つを成すファクターだったのではないだろうか。

 

 


 野々村良己

 

 東京で巧と一緒に建設業のアルバイトをしている青年。


 彼の立ち位置は『傍観者』側の人物であり、この表現が良いかは分からんが
ヒール(悪役)敵な役割で、被災者を嫌っていて『無関心』『他人事』を徹底してる。
だが、中途半端な覚悟で関わり迷惑になる位なら徹底して向き合わない事。
彼だけじゃなく『傍観者』側のこのスタンスは
正解ではないが、間違いでもないのだろう。


綺麗事にはしたくないのが本作の隠れたテーマだとするならば
彼の存在は必要悪な役割として不可欠であり
こちらは被災してない・赴いてない側の『闇部』を象徴している人物だったと思える。

 

 

 笹部弥生


 東京の女優で、巧と同じ劇団で活動していた。


 彼女の立ち位置は、強引にでも前へと進ませようとしていく役目。
巧の演出家としての才を埋もれる事を惜しみ再起を促す。
『復興』のプラス要素を象徴している人物だったのではないだろうか。

 


 大場春人

 

 巧とは同郷の幼馴染。巧は彼の父親の会社でアルバイトしている。

詳しい描写が成されていなかったが、東北と東京を仕事で行き来していて
被災し、祖母を亡くしながらも懸命に前へ進んでいってる立場の人物だと感じた。

 

 


 越野草一

 

 自身も被災した自衛隊員で巧の命の恩人。


 孝介が『闇』を象徴している人物なら、彼は『陽』を象徴していると感じ
草一の台詞は一つが本当に重厚なモノだった様に思えました。
特に、きちんと逃げる事の重要性と生きる事を嫌がるなという台詞は
生への執着だったり、遺された・生命を拾った者が果たすべき事の様に思えるし
災害への痛覚が麻痺して慣れてしまっているくだりの台詞には
思わず背筋が凍りつく衝動を覚えてしまった……


で、彼もまた、大切な人(母親)を震災で亡くした。

 
彼が遺体と対面し、優しく語りかける場面は胸が張り裂けそうな思いだった。
肉親を亡くす事は身を切られるような思いなんです。
自分は親父を亡くしておりますが、きちんと死化粧して棺に入っていても
きっちり見送る覚悟をもって臨んでもその思いは払拭出来るものではない。
ましてや、理不尽な自然の猛威により奪われた生命
打ち上げられた時には泥まみれで、なおかつきちんと見送る事も
その時には叶わない困難な事だった……
その悲しみを飲み込み自衛隊員として多くの命を救う事で
懸命に必死に前を向こうとしている。
そんな秘めた『強さ』を感じさせる人物だったと思えます。


それを見事に表現された矢野竜司さんの熱演には
心揺さ振られる素晴らしいものを感じました。

 

 


 松岡未来

 

 救えなかった母親の生命……彼女は重すぎる十字架を背負ってしまった。
それは後悔してもしきれないモノだ。

だが…彼女は『闇』に飲み込まれなかった。

故人に引っ張られて後悔の念に囚われ続けるのではなく
前を見据え日々を懸命に過ごして大切な存在への想いを忘れないで
しっかりと生き抜く事が遺された者が果たすべき使命のように思える。
エンディングにて彼女はすべき事が見つかり上京を果たす。
彼女の担う役割はその名が示す様に『未来』を象徴している人物なのだろう…


触れて良いモノか分からないし正解じゃないでしょうが
演じた吉岡茉祐さんがWUGの活動を経て培って来た想いが
松岡未来という人物に深みをもたらし、台詞に説得力を加味させたと感じたのは
俺の脳ミソの花畑が満開的なおめでたいモノなのは充分理解しておる。

 

 


 松岡真理恵

 

 本作のヒロイン。巧の同郷の幼馴染。未来の姉。


 津波に飲み込まれそうになる時、死中に活を見出す為巧と飛び込んだ…
明確な描写は無いが、被災し亡くなり『刻』が完全に止まった側の人物。
彼女の登場場面は当時の回想か、巧の夢か精神世界での登場。
巧の中では真理恵の意思は生き続けているのでしょう。

真理恵の存在が示し伝えたかった事は、未来の項でも触れたが
被災し亡くなった方からの『今』を生きる者達へ
懸命にきっちりと生き抜けというエールにも捉えられる。

『刻』が止まったという立ち位置では孝介と同種ではあるが
彼女は巧に『きちんと生きて』と背を押す言葉を贈っている。
その遺志は妹の未来へと継承され未来の生きる指針となった。

 


 演者さんに関しては、書ききれない事もあるが
まず言いたいのは想いと魂が存分に込められた素晴らしい演技で
最大の賛辞と感謝の念を贈らせていただきます。

 

 

 

 

 最後に……

 

 

 この国に生きる者として、恥ずかしながらこの震災について知らなかったモノが
あまりにも多すぎた事を痛感させられ『復興』という語句が
安易で残酷な意味を突きつけるモノなのかと思い知らされた。

何を成し遂げられた時が『復興』となるのか?
人口が被災前より多くなり経済が富む事で達成という単純なモノではないだろう。
被災し、心と身体に癒えない傷を負った方にとって終わりの見えない事なのだろう。


この喩えが正しいとは思えないが、俺の中では同義として湧いて来たので書くが
最たる例となるのが…広島と長崎の歴史的悲劇。
73年経っても、核被爆された方は今もなお後遺症に苦しめられている。
その方達にとっては現在は『復興』を成したと思えているのだろうか……
大袈裟な物言いになってしまうかもしれないが
同じ国と刻を生きる者として、まず知る事と忘れない事なのかなと思う。
そして踏み込む覚悟が出来たのならその先へと踏み込んで触れる。

 


 観劇して、改めて考えさせられた。完全に寄り添いは出来ないけど
知って、踏み込んで、そして伝承していく事は出来る。
何気無い日常が当然なモノじゃなく奇跡である事への感謝の念を忘れない事…
希薄≒物事に向かう気持ち・意欲などの弱い事にはしてはならない為にも
『希薄』という題に込められた想いを自分はそう解釈させてもらった。


 
 以上が『希薄』を観劇した所感となります。
一公演しか観れておりませんので、薄っぺらい駄文で恐縮ですが……
あの場で感じた事への自分なりの『答え』として書き殴りました。
単に素晴らしい舞台だったというものじゃなく、様々な解釈が出来て
絶対の答えが存在しない自由度の高さと物語のメッセージ性。
説得力のある魂を削るような限界領域を超えた演者の熱演。
それら全てを含めて本当に素晴らしい内容だった。本当にありがとうございました。

 

 魂にまで響き沁み入る素敵な舞台だった事と巡り逢えた縁に
心からの感謝の念をもって『希薄』の所感の締めとさせていただきます。

 


 

 

 

あれから…そして、これからの刻へ……

 今回の記事の内容ですが……独り言&チラシの裏
書き殴った落書き程度のモノとして捉えていただけると幸いでございます。

 

 

 


 あれから……Wake Up,Girls!の解散発表から三ヶ月の刻が経過しようとしておる。
思い返してみると、この三ヶ月は激熱で濃密な刻だったように思えてならない。
ファイナルツアー・PARTI Start It Up,の公演
最期となるもう一つの『闘い』となったアニサマ2018への出演。
八王子と川崎でのファンミーティングの開催。

当初は円盤化の予定が無かったWUG舞台・青葉の軌跡の円盤化
更には、2017年ソロイベのパンフレットの再販(受注生産)
WUG5周年記念ライブ映像や様々な特典映像が収録された
2018ソロイベントツアーパンフレット『URA』完全受注生産決定の報。


暦の上ではあの三ヶ月という時期は『夏』
WUGとして過ごせる最期の夏を彼女達七人とワグナー諸氏は全力で駆け抜け
それぞれが自分だけのかけがえのない『物語』を綴ったのだと…
そして俺も、参戦出来たファイナルツアーにて感じた七人の本気の伝えたい想いと
叩き上げの魂を自分の持ち得る全てを出し尽くしこのブログに書き殴った。
あの日から今日までの刻は、もう三ヶ月も過ぎたのかという感覚である。

 

 解散の報を受けて自分が書いた記事の方にも書きましたが
七人が身を切るような辛い決断の末、前を向く決意と覚悟を示した。
俺は、限られた刻で『前を向く事』を決断した彼女達の背を押して
自分の出来る範囲だが最良の形で七人に対しての感謝の意を示す事。
その気持ちは勿論今でも変わらずにある。

ただ……自分の中では吹っ切って前に進む決意をしたものの
どこか『寂しい』という感情が片隅に蠢いているのも現状としてあって
いくら考えようとも明確な答えなんてモノは出ないのは分かっちゃいるが
どうしても考えてしまう自分がいてしまう……
やっぱり、今もなお俺の脳裏と網膜にこびり付いておるのは
解散発表での彼女達の完全に納得していない悔しさを窺わせる表情と声なんだ。

 


 これから書き殴る事項は完全な机上の空論ですが……

 

今後の活動をしていくにあたりプロデュース側からは
七人には現実的な数字等をを開示した。
それは活動初期からしていたのかもしれませんが
数字と照らし合せ、今後どうすべきなのか?おそらく最終ジャッジとされたのが
5月に開催されるGreen Leaves Fesを埋めてみせろと。
しかし……Green Leaves Fesの成果は納得のいく数字を出せなかった。
七人が頑張ってもどうにもならない事態が訪れてしまった事になってしまった。

これは俺の愚痴で、~たら~ればの話だが……
運営サイドは僅かな故障を見逃さない眼と、それを丁寧に修復していく繊細さ
これが備わってなかったように思えてならない。
(持っていたのかもしれんが、見るべき点を見誤っていたようにも思える。)

 

で……突きつけられたのだろう。下方修正してでも生き永らえる道を行くのか?
あるいは自らで終焉の刻を決断する権利。
話し合って決めたという七人の言葉を信用するならばこの二択なのかとも思える。
(もしくは、終焉の刻の決断という一択だけなのかもしれんが……)


 俺が書くまででもなく、彼女達は熟孝し悩みまくって話し込んだ事でしょう。
そしてこの可能性も無いとは思いたい…が、ゼロでも無いと思うので書いてしまうが
七人はこれまで様々な外的要因で振り回されて来たと思えてならない。
そして、それぞれが外の現場で感じた事と現状とのズレみたいなモノを
直に感じたのもあり、もう外的要因に色々と振り回されるのが耐えられなくなった…
あと、成果を出せなかった事への悔しさや無力感もあったかもしれない。
プロフェッショナルならそんな事で嫌気が差してどうする?という意見もあるだろう。
だが、彼女達はまだ若い。いくら頑張ってもなんだかんだ方々から難癖つけられちゃ
面白くないという感情を少なからず持っていたと思うが
それを圧し込んでそれぞれの本気の伝えたい想いを我々に魅せてくれた。
毎度書いてるが、その事には本当に感謝と敬意の念しか湧かない。


 この感情を抱いたまま、本気の想いが伝えられて叶えたい事が出来るのか?
下方修正して継続していく事が自分達の想いを誤魔化した
偽りのものになってしまう事であり、それはワグナーの想いと魂を裏切る行為…
どう彼女達が思ったのかは分からんけども
七人の持つ信念に反する事はどうしても出来ないし許容し難かったと思いたい。
ならば、幕引き・終焉の刻は自分達で決断し決着を付けて先へ進む事。
生半可な覚悟じゃない、身を切る様な思いをして七人は決断した……
何度も書いて申し訳ないが、俺は七人の決断を尊重して最期まで応援するだけ。

 

 と、まぁ……グダグダ書き殴ったが、コレは完全な自分の私見です。
真相なんて当事者でない俺がいくら突き止めようと分かるわけないので
話し合って決断に至ったという七人の言葉と覚悟を信じるしか出来ない。
それぞれで辿り着き信じた『答え』を携えてこれからの刻と向き合う事が
重要であり、すべき事のように思えます。

 


 これからの刻を自分はどう向き合っていくのか?
終焉後、自分のスタンスがどんな感じのモノになるのかは
やっぱりその刻になってみないと分からないというのが正直なところだ。


でも、一つ確実な事がある。それはこの駄文ブログの事だ。


自称・WUGブログの人としてはwww
こいつは終焉の刻が過ぎても閉鎖する気は微塵も無いし
当然WUG関連の記事を削除する気も無い。
俺の中で書きたい事が完全に尽きるまで彼女達の事は書いていきたい。
前にも書いたが解散してしまったからといって
何かを残す事をやってはいけないなんて事は無いし
きっとその本気の想いは誰かに届き応えてくれると俺は思います。
このクソ熱苦しい駄文をふとした時に読んで、WUGへ想いを馳せる切っ掛けに
なり得る事が出来たのなら、本当にありがたい事のように思えます。


そして、WUGを介して繋がる事の出来た人達とも終焉後も関わりを持ち続けたい。
直にお会い出来る機会は減ってしまうでしょうが、今後も可能な限りお会いしたいし
様々な事を語り合いながら盃を酌み交したりしたいものであります。

 

 終焉の刻というものは避けようもない世の理だが
自分に影響を与えてきた存在がその刻を迎えてしまう寂しさは慣れないものだろう。
でも、それ以上の感動を与えてくれた事もまた真実なのである。
あれから三ヶ月経ち色々と考えてみて……
ぶちまけたいモノは出し尽くし自分の中では気持ちの決着が付いた。


あとはもう、直向きに自分の出来得る最良の形で七人を変わらず応援するだけだ。
その想いは六月の『あの日』から何も変わっちゃいない。
改めて自分の想いを再確認して魂が清爽な感覚になったところで
この独り言・チラシの裏に書き殴った落書きを締める事に致します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

WUG楽曲 ライナーノーツ #19 Glossy World/無限大ILLUSION 2017

 WUG楽曲ライナーノーツ第19回は
ベストアルバム『Wake Up, Best!3』からこの二曲を紹介していく。

 

 

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 Glossy World/マキナX(三森すずこ

 


 ヴァーチャルアイドル(Vドル)・マキナXの楽曲。
作中、Vドル陣営は世界でも活躍している音楽プロデューサーである
早坂さんをプロジェクトに加え、この楽曲を引提げ世界に打って出て行く事となる。
最新のテクノロジーと最高レベルの楽曲との組み合わせが表現する世界観は
曲に銘打ったGlossy World(光沢のある≒光り輝く世界)を表現したものなのだろう。


 曲調は、奇を衒わないという感じのエレクトロ・ポップ調が特徴。
エレクトロ・ポップの特徴として挙げられておるのは
電子音を強調していてどこかロボット的な無機質な冷淡さを連想させる。
このような曲調にしたのは、ヴァーチャルアイドル≒テクノロジーによって
造られた存在であるという事を聴き手に強く印象付けさせる意図があるようであり
他のアイドルであるWUGとI-1とのハッキリとした区別化なのかとも思えなくもなくて
マキナXのキャラソンという面でこの楽曲を捉えて考えてみると
歌っている三森さんの歌声が無機質感的なものを自分は感じた。


 俺の全くアテにならん鈍感かつ雑な聴覚での解釈で恐縮だが……
あえて三森さんは無機質感を強調させるような歌唱をしていると思う。
私見だが、WUGとI-1の楽曲は人間くさい生々しさを感じさせる楽曲揃い。
だが…この楽曲でその要素を感じさせてはいけない。
それが仮想の存在と生身の人間との垣根のように思えるんです。
なので、この楽曲で血の通う要素を感じさせるのじゃなく
WUG、I-1楽曲とは一線を画した無機質なものを感じさせるのが肝要と思える。

 

 さて…この楽曲で自分が気になっているのは作中で誰が作詞したのかであるが…
作詞家についての言及が無いので、おそらくは早坂さんなんだろうとは思うので
彼が作詞したという事で独自考察させてもらう。

 

 退屈なリアルと 不満気なセオリー

 曖昧な笑顔で 何をごまかした?

 直感の引力 信じてみるなら 

 運命にできるよ 目映いGlossy Magic


 ―マキナX(三森すずこ)『Glossy World』より引用

 

 自身が面白いか、面白くないかを行動基準とし刺激を求めている早坂さん。
与えられた役割を高いレベルで完璧にこなす存在のマキナXに
自分の作った楽曲がどの様な相乗効果ももたらすのか?
ある意味で彼の未知への領域への挑戦という解釈にも捉えられる。
彼の直感がシャングリラ=理想郷(彼が理想としている領域)
あるいは早坂さんにとってのGlossy World(光沢のある≒光り輝く世界)へ
機械仕掛けの未知の存在=マキナXが導くと直感したのだろうかと思える。


 この楽曲はまだライブでの披露がされていません。(2018.9月時点)
WUGがカバーするなら楽曲の持つ無機質感をどう表現してくれるのかが
非常に興味深く、楽しみな所である。
 

 


 

 無限大ILLUSION 2017/なまはげーず

 


 秋田を拠点とするユニット『男鹿なまはげーず』の楽曲。
Wake Up, Best!2に収録されていたのはこの楽曲のショートバージョン。
フルバージョンが初披露されたのは2017年の冬の幕張の陣
Wake Up, Girls!Festa.2017 TRINITYでネクストストームが披露。
そして…先日のWUGファイナルツアーPART1・大宮公演にてWUGが披露した。


 ハードロック調の骨太感とエネルギッシュ溢れる力強い曲調に
抗い様の無い理不尽なモノに対して真っ向から抗う強固な意志と覚悟を表す歌詞
この二つの要素が見事に混ざり合い血の流れる『生命の歌』であり
何度打ちのめされようと再起し限界まで挑もうとする『闘いの歌』だと思えて来る。


 おっかねからって立ち止まる そいだばだめだ

 なまがまじな気持ちでアイドルやっでねぇ

 おめたち!私らは止まらない 覚悟しておけよ!


 ―なまはげーず『無限大ILLUSION 2017』より引用


 上記の節は台詞パートになっており、如何なる状況に追い込まれてもなお
真っ向から抗い、挑む事を諦めない不退転の決意と覚悟の漲る
言わば、この楽曲の『核』を成す重要な箇所だと自分は思える。
この辺りは『タチアガレ!』での吉岡さんのソロパートを彷彿させる
激熱なモノを感じさせてもらえる。

 

 新章にて事務所が無くなり解散したが、燃え滾る情熱と魂は持ち続け
そして、頑張るWUGを見て触発され
志を掲げ未来を切り拓き、夢を咲かせる為にフリーとして再起したなまはげーず。
自分がこれまでに書き殴ってきたWUG楽曲ライナーノーツシリーズ内で
呆れられるほど使ってきたフレーズで恐縮であるが……
この楽曲は、WUGの『タチアガレ!』I-1の『リトル・チャレンジャー』
ネクストストームの『レザレクション』ランガの『カケル×カケル』の系譜である


なまはげーずのアンセム・ソングと勝手ながら称させていただく。

 

 『Glossy World』『無限大ILLUSION 2017』この二曲も
WUG、I-1、ネクストストーム、ランガの楽曲陣に勝るとも劣らない
力の強い楽曲である事を自分の拙い語彙力と文で恐縮であるが
伝わる事を願いつつ本稿を締め括らせていただく。

 

 

 これまでに書き綴ってきたライナーノーツですが……
紹介の順番が変わっているのは読まれた方はご承知でしょう。
これは、最初に書いた『タチアガレ!』以外は適当なのでありますwww
あ……適当なのは紹介の順番のみなんで
記事の方は駄文ですが、自分の想いと魂を込めて書いておりますので
読んでいただければ幸いであります。

 

 

 

 

 

季節外れの"桜"が咲き乱れても良いじゃないか。

 この零細駄文ブログにて、どこまで力になれるか分からんし
全くの徒労に終わるのかもしれないが…扉は叩かなきゃ開かないので
自分も微力ながら後方支援をさせていただく。

 

 

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 挙げた画像は、9月2日に開催されるWake Up,Girls!のファンクラブイベント
わぐらぶ限定ファンミーティングにて、永野愛理さんがおそらくイベントにて
歌われるであろうソロイベ楽曲『桜色クレシェンド』と『minority emotions』で
ピンクのサイリウム一色で客席を染め上げ
満開の桜を咲き誇らせようという呼びかけであります。

 


 『桜』は永野さんが大好きな花との事。
そして、二曲のソロイベ楽曲は『桜』をテーマにしている楽曲でもあります。
ワグナーとの繋がりを最重視されて、編集長として彼女は様々な事を企画し
一人でも多くの人を喜ばせようと懸命に動いたと思います。
勿論、全ての人を満足させるなんてのは雲を掴む様な途方も無い話だが
永野さんの心意気というのは多くの人の心に響いたと勝手ながら思える。


 さて、そんな俺だが、残念ながらこのファンミーティングには参戦出来ない……
そこでおこがましい話で恐縮ではあるが……俺の想いと魂を参戦される方に勝手に託し


何より…永野愛理さんの願いを叶えて下さい。


上記にも書いたが、彼女はいつもワグナーに寄り添って繋がろうとしてくれました。
で、二曲のソロイベ楽曲はおそらくこのファンミーティングが
最期の披露になってしまうかもしれません。
前回の八王子でのファンミーティング同様に
永野さんが想い描いていた桜色の光に染まる景色を見せてやれないだろうか?
彼女の想いに応えてあげる事が、永野さんへの最大の感謝の念と思えるのです。

 

ワグナーの本気の想いと魂
そして……繋がろうとする想いがあれば叶えるのは容易いでしょう。


俺は参戦された皆さんなら必ず叶えてくれると信じております。

 

 9月2日。川崎の地に満開の"桜"の光が咲き乱れる事を切に願い
支援になったかならんか分からん支離滅裂な駄文を終えたいと思います。