巡礼者のかく語りき

自由気ままに書き綴る雑記帳

鳴りやまない生命のパレード ―上手に思い出すという事―

 あの七人は謳った。『忘れないで。でも上手に忘れて』と。


こんな物言いをすると不快に思われるだろうが、俺個人の意見としては、彼女達がメロディに乗せて謳ったこのフレーズは彼女達のエゴ丸出しな魂の叫び。


だが、コレは単にエゴの叫びだと一蹴も出来ない。


忘れようと思えば思うほど、脳ミソにはしっかりと焼き付いてしまう……何とも皮肉な話であり、
そのジレンマを謳った様にも思えて来て、逆に『思い出さないで。でも上手に思い出して』と謳っている様にも思ってしまう。


歴史は上手に思い出すモノであるし、物を見て知り認識して、本当に知っていく事が一つの力であるという意見もある。


コレが、良いか悪いかなどと論ずるつもりはないし、単純に分けられるモノでもないのだ。

 

 


 つい先日、こんなツイートを目にした。(ここから本題)

 

 

 

 

 Wake Up,Girls!想い出のパレードBD同時再生上映会2021

 


 ちなみにコレは、公式のイベントではない。一人のワグナーが呼びかけた非公式な上映会。
要約すると、2021年3月8日にWUGのSSAファイナルライブのBDを各々で再生して観てその感想や熱いインプレッションをネットの海へと投げつけて感情を共有しようというモノだ。

必要なのは『Wake Up, Girls! FINAL LIVE ~想い出のパレード~』Blu-rayディスク。もしくは、『Wake Up, Girls! LIVE ALBUM ~想い出のパレード~』のCDやDL販売の音源。


この呼びかけは、昨年にもあって……その時は公式で『Wake Up, Girls! FINAL LIVE ~想い出のパレード~』上映会が各地の映画館にて開催されるはずだったが、知っての通りこの時期は
コロナウィルスの感染拡大を防ぐため、急遽上映会は中止になった経緯がある。


だが…話はそれで終わりではない。


あの七人が諦めが悪かった様に、ワグナーもまた諦めが悪い。ファンは推しに似ていくという説があるが……往生際の悪さ(褒めてる)は筋金入りだ。過去の例を見てもそうだったりする。

代表的なのが#~は諦めないというハッシュタグで色々呟きまくって実現にこぎつけた案件が幾つか存在している。

それと同じノリで昨年、Wake Up, Girls! FINAL LIVE ~想い出のパレード~ BD同時再生を非公式かつ自主的に呼びかけた所、色々な人達がそれに乗っかった。


本気の想いと魂による熱は他の人も巻き込む。


当時、ツイッターのトレンドで上位に入ったり、更にはWUG楽曲の作詞家、作曲家陣達が今だから言える話をSNS上にアップしたり、ファンもまたそれぞれの今だから言える話を思い思いにネットの海へと投げつけた。


それが、今年もまた非公式ながら開催される事になった。


この呼びかけ、様々な想いを抱いているだろう。


肯定的に捉えて乗っかり楽しもうとされる人。

一方で、あのライブから二年経ったんだからもういいんじゃないかと冷めて捉える人。

あの刻では間に合わなかったけど、雰囲気だけでも楽しみたいと思う人。


各々がライブ円盤購入して、個人で観りゃいいだけの話ではあるのだけれども、今の時代他者と繋がれるツールは沢山あってどうせならいろいろ巻き込んでやろうと。
その流れを快く迎え入れるか、鬱陶しいモノとして拒絶するかは個人の価値観次第だが…


俺は、こういうの嫌いではない。


むしろ、二年前、WUGに間に合わなかった人やごく最近WUGを知った人が参戦して欲しいと願っておる。歴が浅いとか情熱が薄いなんてモノは関係ない。その視点でしか捉えられないインプレッションは新鮮で面白いモノだと思っている。そもそも想いの熱量を比較するのはおかしな話だ。


そして、そのインプレッションをどうか言葉に乗せて解き放って欲しい。

そこには綺麗な整った文章なんて必要ありません。ただ感じた想いの丈をぶちまけりゃいい。


 ある楽曲の歌声やダンスが良かった。あそこのパートで見せた表情や佇まいが良い。
イメージとして見えたモノを書いていくのだっていいし、推しの子がただ可愛いと言うだけだっていい。

きっとそれは簡単なのではないでしょうか。

その想いの傍らに、この言の葉をつければその想いは誰かに伝わります。


#WUG_SSA #WUGSSA同時再生2021

 

 このライブタイトルをなぞる様に、皆さんの想いが繋がって列を成しパレードになって、もっと遠くへ多くの人に想いが届けばと切に願い、これにて筆を置かせていただく。