巡礼者のかく語りき

自由気ままに書き綴る雑記帳

『Wake Up,Girls! Solo event2018 WUGLOVE URA』―七人の『縁』の記憶とURAの物語。

 

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 Wake Up,Girls! Solo event2018 WUGLOVE URA』


表があれば裏は必ず存在する。それは覆らない自然の理。
思えば、あの頃はその言の葉の意味を深く考えられていなかったのだろう。

 これは昨年開催されたWUGメンバーによるソロイベントのパンフレット。
昨年に発売されていたパンフレットは『OMOTE』(表)と題された黒一色が特徴的だった。で、今回は『URA』(裏)と題されていて、カバーの色に用いられている白色、逆さの文字、東北のマップが左右反転されたモノとなっている。

パンフレットはソロイベツアーでの七人の公演の模様や、オフショットの写真集になっていて
そして、同梱されている二枚のBlu-rayディスク。
Disc1にはバスツアーの際に開催されたWUG五周年ライブの模様が
Disc2は当時の七人のドキュメンタリーとソロイベから五ヶ月経った刻でのインタビューにバスツアーといわきで開催されていたチャリティライブの裏側の映像が収録されている。

 
2018年の三月、雪景色の青森の地に立つ青山吉能さん。
東北六県を駆け巡るソロイベントツアーの初陣に臨む彼女の姿がその地にあった。
七人の『縁』の記憶の物語は青山さんから紡がれていく。
そして、もう一つの七人の『縁の記憶』がそこには確かに在った……

 


注:以下、ネタバレ全開で所感を書き殴っているので、未視聴の方はご注意願います。

 

 

 

 

 

 

 

 

青山吉能の縁の記憶とURAの物語

 

 

私、結構ひけらかすタイプですよ。なんでも喋っちゃう、喋らないことないくらい。

でも、スイッチがありますね。自己嫌悪が大きい。

逃げる事も自分でできちゃうんですよ。でも、抱えることもできちゃうんですよ。

だから、結局どっちも逃げてるっていうか

自分でろくに抱えもせず、人に全部押し付けたりもせず

すごい中途半端で、それが嫌だなって思います。

 

 

 偽りの無い本気の想いを魅せ付けて来た青山さん。
限界に挑み、全力を出し尽くそうとする者の信念の根幹と成り得るこの言葉。良い所も悪い所も包み隠さず、偽らず、誤魔化さないで曝け出す事。
人の懐に入るのが上手いというか、生真面目で不器用だけれども人柄の良さが言葉から滲み出ている様で、彼女が目を細くしたあのクシャッとした屈託のない笑顔は青山さんの人柄を如実に表している様に思える。

 

今回の曲(解放区)は、受け止められない人がいても仕方ないと思ってるので

必死に必死に、歌を届けるというか歌詞を伝えることを自分の中でやれてたら

それでもし、お客さんにも受け止められてたら120点になるなって思います。

 


 ソロイベント楽曲『解放区』に詰め込んだ青山さんの伝えたい本気の想い。
この楽曲は、自分へ向けた応援歌としての楽曲で、万人に届かなくとも誰か一人に強烈な『楔』を撃ち込む楽曲になればいいと青山さんはこの『解放区』に想いと魂を込めたと語っていた。
受け止められない人がいても仕方ない。でも、伝えたい想いを偽りたくは無い。そして……青山さんが動き、あの伝説の公演に繋がる。

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距離と刻の壁を越えて繋がった青山さんの伝えたい本気の想いと魂。
青山さんの想いに応え、参戦して様々な形で届けてくれたワグナー諸氏。
あの刻で感じた滾る記憶は今でも忘れられないモノだ。

 

 

 

 

田中美海の縁の記憶とURAの物語

 

目立つのは好きですけど注目されるのは好きじゃない。矛盾してますよね。

自分を表現するのが割りと好きで

『自分じゃない何かになる』みたいなのが凄く好きだったんですよね。

田中美海を見てほしい”ってわけではないって事は

声優って本当にぴったりだなって当時は思ってましたね。

 

 

 田中さんは青山さんとは真逆で自分をひけらかさないタイプ。
あくまでも私見だけれど、どちらかと言えば田中美海が演じるキャラが彼女を知る切っ掛けというかは、田中美海という表現者に魅力を感じて惹かれていく人の比率が多いのではと思える。俺が彼女と知る機になった経緯は後者だ。
おそらくはこの事に田中さんは気付かれていると思う。抱える矛盾を彼女がどう消化しているのかは勿論窺い知る事は叶わない。

田中美海さんを見ていて感じる底無し感と畏怖すら感じさせる冷徹さの同居する冷静さ……山下さんや奥野さんとはまた違った意味での謎深い部分を垣間見られる、田中美海の『URA』なのではないだろうか。

 

 

毎回反省もあるんですけど、それを新たな成長に変えて一人で頑張った事を

七人が居る所にもってきて、他の子をサポートできたりとか

自分で目で見たもので他の子達を補う事ができたらいいなって思ったのが目標ですかね。

 

 

 ソロイベから五ヶ月を経た刻での言葉。
この言葉にも彼女なりの冷静でいて俯瞰的に見て得た答えなのだろう。
圧倒的な個の力と導く力を田中さんは持っている。けれども、WUGでの彼女は違う。前述の他の子をサポートという言にある様に田中さんは表立って牽引していく…喩えが悪いが出しゃばるという事は一切見せずに
他を活かす役割に徹していた彼女の姿勢は、俺が初めて彼女を見た頃からブレる事はなかった。田中美海のブレない強固な信念と矜持がこの言葉には込められている様に思えるのである。

 

 

 

 

山下七海の縁の記憶とURAの物語

 

 

声質で採ってもらえたんですよ。

男の子に変な声って、からかわれたことあったんですけど

この業界に入ってから知りました。私の声ってちょっと特徴があるんだなって。

 

 

 

 山下七海さんは歌手になる事を夢見てWUGのオーディションの門を叩いた。歌手もそうだが、声優も自分の声を武器とする表現者だ。
彼女も言っているが、山下さんの声は確かに独特なモノがある。物事には必ずプラスとマイナスの面が存在している。彼女の声質が通常世界ではマイナスの要因と成り得てしまうのが、だが、声優の世界ではその負の要素は彼女の類稀な才・資質とするプラスの要因へと変化する。それまでは知らなかったかもしれない。でも、自分が持つGift(天性の才能)に向き合い努力し続けて日々を闘い、信頼を勝ち取っていった。
自分を信じる力は努力を重ねた力に比例する。才能に甘んじず、真摯に自身との対話を怠らなかったから今、山下さんが強く輝いているのだと思える。

 

私も今までやってきて、主役っていうよりはその脇のちょっと変な子

変わった子の方が合ってるんだろうなっていうのは思います。

 
 これもまた、山下七海さんの唯一無二の才能。
山下さんも自己分析能力が高く、俯瞰的視野の鋭い人で本能を偽る事の無い人なのだろう。そして、何か違うモノが見え、嗅ぎ分けている雰囲気を彼女から感じる事がある。言い換えれば別の可能性を感じている様にも捉えられる。
その変わった子という彼女の答えが、ななみんワールド≒魅惑の領域なのかもしれない。

 

始まるモノは終わるんだなと。

 

 ソロイベの公演を終えた山下さんの言葉。
公演を終えた安堵の表情と言葉にも捉えられるが、WUGが解散した今の刻にてこの言葉を聞いてみるとそれだけでは無い気がしてならない。

解散の最終決断を彼女達が下した時期は勿論分からないし、これは完全な私見だ。ただ、解散の話というモノはおそらく昨年の三月にはあって七人は知っていたと思える。
安堵の念があったのだろうけれども、覚悟はあれども向き合わなければならない終焉という現実を受け入れる為にも捉えられなくもない。
軽いコメントと彼女は言っているが、そうでもいないと負の感情に囚われてしまうのだと…

あくまでもこいつは俺の妄想と暴論。真の答えは彼女達七人にしか分からない。
ただ……あながち無関係と一蹴される事とも思えないのである。

 

 

 

 

吉岡茉祐の縁の記憶とURAの物語

 

 

いま戴いたものは全力でやるし、全てのチャンスを逃したくないんですよね。

何でもやります、何でもできるようになりたいですってスタンスは変わらずに

絞りたくないですよね、絞っちゃったら終わりな気がして。

 

 

 ソロイベントにて吉岡さんは今後の目標として『何でも屋』になると掲げ、誓った。
彼女が言う『何でも屋』は表現の枠に囚われずに様々な表現方法に挑むという事。

吉岡さんのこの言を伝聞で聞いた時、俺の魂を揺り動かしたあの人の面影が浮かんで来て、これまではおぼろげだった存在があの時確かな存在へと変わった刻でもある。

話が脱線するが、俺の魂を揺り動かしたあの人とは、水樹奈々さんだ。

水樹さんに関してはここで改めて書かないが、彼女もまた様々な挑戦をしている表現者だ。
こちらの血を滾らせる様な攻撃的で激熱なパフォーマンスと魂の絶唱。何よりも熱く滾らせて惹かれるのが双眸の光の力強さだ。前例が無いなら自分で作ってしまえばいいと水樹さんは言った。吉岡さんも絞ったら終わりだと言った。
貪欲に遥かな高みへと挑み続ける気概と姿勢は彼女達の信念を表しているのだろう。

吉岡さんにしか表現出来ないモノや可能性は未知数。
彼女の『URA』の物語を観て、その未知の可能性を追いかけていきたい。
そう改めて思わせた縁の記憶でもあった。

 

誰か一人が欠けたらもうWUGじゃないんですよ。

今の、高木・青山・奥野・永野・山下・田中・で、吉岡。

七人がWake Up,Girls!っていう所に所属してるからこそのWUGなのであって…

誰かが入れ替わるとか、誰かが減るとか、更に増えるとか、そういう次元で生きてないっていうか。

 
 仲間であり、戦友でもあり、ライバルでもある存在。
前述の言にある様に、誰が欠けても、増えてもいけない唯一無二の存在。七人の共通意識・絆としてここまでの軌跡を駆け、七人でいられる刻を大切にして何かを成し遂げたい想いが確かに存在している。
区切りを経てまた始めていく為に言葉にする事で、その想いの本質が見えてより明確になり、思考が深まり関係性や認識が強まると思える。再確認という意味もありつつ決意・覚悟を決める意味もあったのだろうと。

何故このタイミング(結成から五年)で、改めて吉岡さんがこの言葉を言った真意は分からない。
これも私見による後付けでしかないのだけれども、これもまた『URA』の物語なのだろう。

 

 

 

 

永野愛理の縁の記憶とURAの物語

 

七年経っても(元の街には)変われてないので

(この現状を)本当に、他の県の人知らないと思うんですよね。

やっぱり、(実際に)見た人じゃないと。だから、もっともっと知って欲しいなって。

来るだけでも気持ち変わると思うので、来てくれる人が増えたらいいなって、思います。

 

 

 先日、自分はこの地を訪れる機会があった。そこには間接的な見聞では伝わらなかった景色がこの地にはあって知る事が出来て、彼女のこの言葉がズシリと響いて来る。
自分の感覚での話だが…おそらく、石巻を訪れていない時にこれを観ていたらここまで重く響いては来ないだろう。無関心というのはそういう事なのだろうと。
当然、訪れたからと言って、当事者に成り得る訳ではない。ただ、今の世の中広狭と時期の差はあれども色々な入り口があって知る切っ掛けは多いものだ。で、そこに寄って行って自分が踏み込めるか否か?踏み込めば得るモノは必ずある。良くも悪くも。
知り得たモノが有益で更に知りたい欲求となり、次へのアクションを起こす要因になるのか、逆に不必要なモノとして処分してしまうモノか。これらの選択は直に知り得ていないと出来ない選択でもあると思える。

そして…彼女が居る日和山公園は生命を繋ぎ止めた地。
その地でこの言葉を言ったからこそ永野さんの言葉が更に重みがあるのだと感じられる。

 

みんな一緒のもの(譲れない想い)を持ってるからこそ、

ぶつかり合う時も、もちろんある。

それって、本当に意味の無い戦いではなく

皆がみんなWUGが好きで、曲が好きで、

ファンの人が好きでぶつかるものなんですよね。

耳を傾けて色んな方向から考えることの大切さがあって

一回、自分の中に落としこんで考えるって事は大事なんだなって。

 

 考察を書く者の端くれとして、永野さんのこの言葉には響くモノがある。
特に、耳を傾けて色んな方向から触れて考える事は本当に重要な事だと思う。考察の定義なんぞ俺には分からんのでこいつは完全な持論なのだけれども、永野さんの言にある様に要を成すのは対象への譲れない想いだと思っている。譲れない想いを貫く事は大事。でも、自分の狭量な偏見でもある事も同時に認識しておかなくてはならない。
色々な考えや意見に積極的に触れ多角的視点で捉えて、知識や考え方の幅を広げる事。俺が言うのはおこがましい話であるが、七人の事や楽曲の独自考察をしていく中で知っていった難しさと楽しさ、考えをぶつけ合い、相容れないからと言って拒絶するのでなく落とし込んで考え抜く事。本当に尊いモノなんだと思える。

 

 

 

 

奥野香耶の縁の記憶とURAの物語

 

今回も青森とか秋田、山形もソロイベントの中に入ってて、

やっぱりこういうイベントが無いと

なかなか行く機会が無いと思うんですよね、ファンの方々も。

だから、すごい良い機会だなと思って。

その地の美味しいものとかきっと食べたんじゃないかなって

思ったりすると、すごい嬉しいですね。

今回のソロイベもそうですけど沢山来れたらいいなって、

変わらずそれは思います。

 

 

 奥野さんの故郷と東北への想いと深愛の情が溢れる言葉。
彼女を知り、切っ掛けとなって行く事を決意して訪れた地で色々な事に触れて楽しんでもらえる事は本当に嬉しいものだろう。それは訪れる側も同じ事。実際に行ってみないと分からない事は本当に多い。いつもとは違う土地の空気は様々な刺激を五感にもたらす。感じた刺激が基となり色んな幅と奥行きが広がっていくものだと思える。


 

ソロイベの内容が、夜公演は特に強烈だったので鮮明に覚えてます。

終わった後、お客さんの席からカヤたんコールが聞こえてきて

私はそれに対して一回血迷って

『出た方がいいかな』って思ったんですけど

スタッフさんからの指示で『絶対に出ないで下さい』って言われて

これは出ないで『みんな頑張って』って思って

裏で複雑な気持ちでしたけど、楽しかったです。

 

 

 俺はこの伝説として語り継がれる奥野さんのソロイベの公演には参戦出来なかった側の人間。ただ、参戦された人達の所感を散見して大体の内容を知る事が出来た。

あの夜の異様な雰囲気は今でも忘れられない。間接的に知っただけでも感じられてしまう彼女が解放した一種の狂気的な領域に戦慄し畏怖の念を抱いたものだ……
もし、あの公演に参戦し、参戦レポが書けたのかと自身に問いかけてみても、おそらくは非常に難産なモノとなるか、もしくは書けないだろう。


参戦してないので何とも言えないのだが、あの公演が伝説と称される最大の要因と個人的に思える要となったのが、終演後に奥野さんが一切客の前に現れなかった事で、奥野さんの紡いだ物語の世界に観客=先輩の魂に楔を撃ち込み捕えた事だと思える。~たら、ればの話ではあるのだけれど、あそこで奥野さんが出て行ったらただの素晴らしい公演になっただけだろう。伝説にまで昇華したのは先述にある様に観客の魂を現実に戻してリセットするのでなく演目の世界観に問答無用で捕えたまま終えた事。出て行く、行かないの差は紙一重なのかもしれないが、その細部にまで拘り抜いたからと思えてならない。

 

 

 

 

高木美佑の縁の記憶とURAの物語

 

新しい事するの大好きかもしれないです。

色々挑戦して、自分が心から楽しんでるっていうのを見て

見守ってくれてるような感じがしてて、自分の中では。

有難いですけど、置いてけぼりにしてないかは心配ですけど

『(私が)楽しんでる姿を見るのが楽しい』って思ってくれたら

私は嬉しいなって思って、ソロイベントはやってますね。

 

 

 
 固定観念に囚われる事無く積極的にいろいろな挑戦をして尚且つ全力でそれを楽しむ。
同時に、それが独り善がりなモノとして受け手を置き去りにしてしまう事を懸念している。パフォーマーの視点とユーティリティ性の高さは勿論の事、プロデューサーの視点や嗅覚も彼女は非凡なモノを持っている様に思う。
どうすれば自分だけじゃなくて、対価を支払って見てくれる人を楽しませる事が出来るのかを考えて挑む。一方通行では意味を成さない想いの循環が高木さんが重んじている表現の形。


高木さんがが心底楽しんで躍動する姿を見てこちらも楽しくなるのは、彼女のそんな心遣いが感じられるからなのだろう。

 

 

聖地の“仙台MACANA”っていう場所でやるっていうのが

一番大きかったので、私の中では。

岡本未夕ちゃんらしいことは絶対しようと思って

今回は私も聖地でキャラクターを演じる身として、

岡本未夕としての一緒にやってきてよかったなとか

そういう部分を出せたらなと思って、前半はいつものソロイベとは違う感じにしようって思いました。

 

 

 高木美佑の『TUNAGO』の答え。それは岡本未夕との繋がりなのだろう。
思い返すと、彼女の最初のソロイベ(2015年)もアニメの2話を再現したステージになっていた。聖地・仙台のステージで軌跡を共に駆けてきた未夕への感謝の念を示して魂を共有させる事だったと思える。
『元気を届け、元気をもらおう!』劇中の岡本未夕の台詞だが、高木さんの中にもこの想いは生き続けていて、仙台の地で境界を越えた二人の魂が繋がった。

袖振り合うも多生の縁という諺がある。
高木美佑さんと岡本未夕が巡り逢えたのも深い縁があったからなのだと勝手に思っておる。

 

 

 

 青森の地での青山吉能さんの縁の記憶から始まって、秋田の田中美海さん、
山形の山下七海さん、福島の吉岡茉祐さん、宮城・石巻永野愛理さん、
岩手の奥野香耶さん、宮城・仙台の高木美佑さん。

終焉の刻を告げた後での七人への想い、彼女達のワグナーへの想い……

そして…未来の軌跡への想い。

 

解散したという現実の刻にいるからこそ『URA』という言葉が重いモノだった事。
この記憶は『URA』の物語。そして逆もまた真なりという事実があった。

どれ一つとして欠けてはならなかった七人の偽り無い想いがこの『URA』の物語にはあった。
この縁の記憶の所感を書くにあたって、自分が挙げた彼女達の言の葉はほんの一部に過ぎない。挙げた以外にも彼女達が言の葉に乗せた想いがあるし、それを余す所無く書ききる事は出来ないだろう。それは七人が本気で挑んで駆け抜けて来た軌跡が濃密だった事の証明に他ならない。


あの七人を繋いでいて間に流れているのは、血の繋がりよりも濃いモノだったのだと。