巡礼者のかく語りき

自由気ままに書き綴る雑記帳

浅見春那のボーカルの凄い所を斯く語るーNot Lonely!!!! Vol.3開催に寄せて。

 どうも。あかとんぼ弐号でございます。
つい先日、TwitterのTLを流し見しておったらこんなtweetを目にした。



 

 コレは『ガールズフィストGT!!!!』藤森月(ふじもりるな)役の井上杏奈さんのtweet
その記述の中でひと際俺の網膜に強烈に焼き付いたのが『本番での爆発力』というワードに、3/19に控えたワンマンLIVEに向けてレッスンされている、ボーカルの浅見春那さんの写真だった。

要約すると、浅見さんのLIVEでのパフォーマンスの爆発力がとにかく凄いという意味なのだろうと。コレ見た時、俺も膝を叩いて首がもげそうになる程に頷きまくっておったワケだ……


そうなのよ。浅見さんのボーカルって凄いのよ……って。


 さて、ここからが本題。浅見春那のボーカリストの真髄とは?そして、爆発力とは何なのか?
もう間近に迫った『ガールズフィストGT!!!!』のワンマンLIVEに向けて、全力全開で楽しみ尽くしてHIGHになって灰になる為に、ボーカリスト・浅見春那の凄い所と爆発力を再確認して言語化してみようと思う。

 ちなみに……今から書き殴っていくモノは、あくまでも自分の私見に依ったモノと言うか……単なる自分の独り言。完全な偏見でもって書き殴ってますので見当違いが含まれている可能性は多分にあると思いますので、その点は予めご了承下さいという事と、本当に暇すぎて畳の目の数を数えたり天井のシミを数えるしかやる事がなくなったら、時間潰しの一つの手段程度として読んでいただくと嬉しく思います。

 

 

 

 クセの無い聴き心地のいい歌声という『武器』


 まず、浅見さんのボーカルを聴いてみて抱いたファーストインプレッションが、クセの無い聴き心地の良さだった。彼女の歌声をレーダーチャートで表すならば、どこも尖った部分の無い綺麗な図形が描かれていく様に勝手ながら思うのだ。

コレは、聴く人それぞれのインプレッションに依るモノなので、あくまでも自分のインプレッションだけれども……どこか尖ったクセのある歌声というのは、実質的には下手ではないのだが、そう聴こえてしまいがちになってしまう。その尖ってるクセの部分がリスナーの感性に上手い事ハマれば、強烈なインプレッションとして刻まれるが、ハマらない人には本当にハマらない……と、いう事になる。

くどい様だが、浅見さんの歌声はクセが無い。高音域が際立って突出しているでもなく、低音域がバリバリに響いて来るモノでもない。これもまた、人それぞれの受け取り方があるんだけど、一つの捉え方としてそのクセの無さは物足りない感じに捉えられなくもないが……ただ、クセが無い分聴覚にスッと響きやすいのではないだろうかと勝手ながら思う。

彼女……浅見さんが自分自身の歌声をどういう感じで捉えているのかは分からない。でも、一つ確かなモノとして自分が感じられたのは、浅見さんはこのクセの無さを最大の武器として戦う道を選択して表現者としての日々を今生きているのだと。

 そして、そのクセの無い歌声を最大限に活かす戦い方を浅見春那は持っていた。

 

 変幻自在の『貌』で謳う


 顔(貌)で謳うって表現を聞いた事があると思う。LIVEでの浅見さんの歌い方はまさしく『貌』で謳っているのだ。彼女に対しての贔屓目があるのは承知の上で言うが、コレが出来るからこそ俺は彼女のクセの無い歌声が物足りないというインプレッションにはならない。

楽曲によって、彼女が魅せる表情は多彩なモノ。楽しく朗らかな楽曲では、全身で楽しさを表現しつつ生き生きと笑顔全開で謳い、可愛らしい楽曲では、彼女が元々持っているナチュラルなキュートさを振りまき謳う。まあ、これらの要素はそんなに驚くモノではないと思う。彼女の歌声の本質というかベースになってるのは朗らかさとナチュラルな可愛さだから。それがちゃんとあるからこそ、これから挙げていく要素が際立ったインプレッションとなる。

 『ガールズフィスト!!!!』の楽曲はパンクロックテイスト。定義はいろいろあるけれど、パンクの精神みたいなヤツの一つとしてあるのは、叩き上げの魂を爆音に乗せて思いの丈を曝け出して謳う。

激熱でハードな楽曲を謳われる時の浅見春那の『貌』。これはマジでカッコいいんだよ……コレは誇張や過言でもない。彼女が歌っている所の数をそこまで見てない奴が何言ってやがると思われるでしょうが……本当にカッコいいとしか評せなくなってしまう。普段、不可思議でどこかフリーダムな振る舞いを見せている姿からは想像も及ばないから、そのギャップでもって圧倒されて魅了されるのだと。

浅見さんの謳っている表情や立ち姿は勿論の事、何よりも歌声の質がパワフルでエネルギッシュさを纏った生々しい歌声へと昇華している。コレは、初めて見た頃から刻が経つにつれて何かグッと重心みたいなモノが増していってる印象。技術云々じゃない。ただ単純に『私の謳を聴けッ!!!!』という想いと魂が爆ぜて成せるモノなのだろう。それでいて、歌声が爆音に負けないでちゃんと楽曲の詞がスッと入って来て楽曲として成立されている。


そして、何よりも俺が撃ち抜かれたのが、カッコよさと見事に共存されてるエロさだ。


 挙げといてどう表現していいか分かっていないが……パフォーマンスしている時にフッとした一つ一つの目配せだったり、特に低音域で歌っている歌声に艶やかさが乗っかっているみたいな。多分、狙ってやってないし出そうとして出してる感が一切ない。これも浅見さんの素の部分だと思う。だから、惹かれていって魅了されるんだろう。そういう部分を含んで素敵だと思える。

 


 
 爆発力=限界突破した者の強さ


 ここから好き勝手書く事が浅見春那のボーカルの真骨頂。ただ音をなぞって謳うだけじゃ多くの人のエモーショナルな感情は揺さぶられず、血を滾らせて興奮へ誘う事は出来ない。

楽曲が持つ世界観を掴んで、それぞれの楽曲にあった『貌』で謳う。浅見さんはその世界観を把握して、そこに入り込むスピードが尋常じゃないモノを持っていると思わされる。じゃなきゃ前述で触れた変幻自在の顔で歌うのは出来ないと。演技していると言い換えるのがしっくり来るかもしれない。

 そして、浅見さんの入り込むスピードの尋常じゃない所はもう一つ存在していて……限界領域の先(=所謂ゾーンってヤツ)に躊躇いなく突っ込める所ではないだろうか。人の本能として、これ以上限界の先へ突っ込むのはヤバいと無意識の内にリミッターをかけて突っ込まない様にするモノ。浅見さん自身、自覚されているのかは分からないが……彼女は迷うことなくその限界の先に躊躇なく踏み込んでいってる様に感じてしまうのだ。

 そうして、別のスイッチが入った時の浅見春那は本当に強い。コレは理屈じゃ説明出来ない。
おそらく、それが井上さんが言っていた爆発力の正体なのかもしれない。客席から観ている我々よりも、ずっと近くで浅見さんの強さを肌で感じたインプレッションなのどと。

 

 

 

 大切な伝えたいモノは本気の魂


 ここまで散々好き勝手に、自分が抱いている浅見春那のボーカルの凄い部分を書き殴ってまいりました。余す所無く書き切ったッ!!!!と言うつもりは無いし、そんな事は到底言えない。でも、一つ言えるなら、ここまで挙げて来たモノを活かす事が出来るのは、浅見春那の本気の魂から滾る燃料しかない。

どんなに優れて秀でたモノを持っていても、そいつをちゃんと引き出せるのは、その人の本気の魂在りきだと思うのです。前述した限界の先に踏み込むのもそうだ。彼女はいろいろ背負っているのだろう。そして、そこにちゃんと向き合い受け止めて、自分を強く持てる意識。そうした一つ一つの明確な意識の積み重ねによって、表現者・浅見春那が出来上がっていく。それが、彼女の本気の魂へと繋がっているのだと。

 歌というモノは嘘がつけないモノだと言われる。それは、謳う者の生き様と本気がそこに在るから。勿論、ステージで謳う浅見さんの伝えたい本気の想いと魂は周りにすぐ伝わって来る。そして、観ている人達にもちゃんと届いている。それらが感じられるからこそ本気で応援したくなるのです。


 それぐらい、浅見春那のボーカルは人を惹き付ける力のある謳だと思うのです。

 

 

 

 最後に


 と、言うワケで……自分が勝手に感じている浅見春那のボーカルの凄いと思う所を語ってしまいました……まあ、いるか分かりませんが、こんなまとまりの無い怪文書を最後まで読んで下さってありがとうございました。

 自分よりも長い期間、浅見さんを見て来た人からしたらこの怪文書の記述は間違っている点とか解釈違いしかないと思っています。冒頭の四方山話でも言った様に完全な私見&偏見まみれからの個人的な所感。読んでて気を悪くされたり、怒りが込み上げられたという人もいるのでしょう……それにつきましては自分の語彙力や文章力の拙さ故でしかありません。

ただ、本文中にも書いた様に、浅見春那さんのボーカルは感情に訴え掛けてエモーショナルなモノを揺さぶる魅力溢れるモノなのは間違っていないと思えるのです。

 
 3月19日のワンマンLIVEは、『ガールズフィスト!!!!』としては久しぶりになる声出し解禁だという。
自分はその頃のガールズフィストLIVEの雰囲気を知らない者。観客の興奮に満ちた声を浴びた時の浅見さんのボーカルがどんな凄い進化を遂げるのかは、今から本当に楽しみにして筆を置きたいと思います。