この記事のタイトルは、ある芸人が吠えた言葉を引用させてもらいました。
その理由は、今の状況を痛感させる言葉として最も適したモノだと直感したから。
つい先日、ネットにてこんな記事を拝読した。自分は読了した後思い知らされたのだ……
自分があまりにも知らな過ぎた事やその方向に視点が行かなかった狭く浅い視野、徹底的に己の無知・無関心を突き付けられ打ちのめされたのだ。
で、その記事がこちら。
緒方恵美さん「逃げちゃダメだ」――コロナ禍によるライブエンタメ業界の危機を語る https://t.co/8G7fDDvUB5
— ASCII.jp (@asciijpeditors) 2021年4月24日
緒方恵美さんの覚悟「完売しても200万赤字。でも続けなきゃ滅ぶ」――【会場700人】の場合は黒字になるが、【会場200人+配信500人】だと赤字になってしまう理由とは? https://t.co/HsIdpUk01E
— ASCII.jp (@asciijpeditors) 2021年4月25日
緒方恵美さんと言えば、『新世紀エヴァンゲリオン』碇シンジ役などで知られる人気声優。
一方で、音楽活動もされていてこれまでに数多くの楽曲リリースやライブを開催されたアーティストの顔も持ち、更には事務所を設立して経営者としての顔も持っている。
インタビュー記事のタイトルに『逃げちゃダメだ』や『滅びる』とあるが、これは大袈裟なモノではない。突き付けられた現実なんだと。
緒方さんだけではなくエンタメに携わり糧を得る人達が決死の覚悟を抱き、あらゆる方法でもって闘い、カタチは違えどもライブが観られるという『当たり前』を提供する事の困難と苦悩を、緒方さんは演じる側と運営に携わる者としてかなり赤裸々に語られていた。
まず、無観客ライブのパフォーマンスに於いて何が最も難しいのか?緒方さんは観客不在によって、どこを見て歌えばいいのか分からなくなったと言う。カメラに視線を向けて歌えばいいと言うだろうが、配信ライブでその方法は出来ないらしい。
テレビの収録であれば複数カメラがあっても演者を撮っているカメラにはランプが点いて、そのカメラの向こう側に観客がいる事をイメージして視線を合わせてパフォーマンスする事が容易になる。観ているというのが分かるだけで動きやすくなるというのは共感できるモノで観る側も画面からこちら側をしっかり見ているんだなと意識の共有が出来る。
しかし、配信ライブではランプの光が演出の妨げになってしまうというので、ランプを点けないという。複数あるカメラのどれで撮っているのか分からない中で観客の存在と視線を意識してパフォーマンスするのは非常に困難なモノ。初めて無観客配信ライブを開催したアーテイストがまずぶつかる壁だと語られた。
そして、もう一つ困難だと言うのが、観客の生のリアクションとテンションの空気感と温度。
これはオンラインがリアルにどう抗っても絶対に勝てない要素だ。
パフォーマーには様々なタイプがある。特に、観客の情熱と熱狂を直に感じてそれをエネルギーに変換してギアを上げてブースト加速していくタイプのパフォーマーにとって観客の生の爆ぜるパッションを感じられないのは致命的なものだろうし、楽曲の雰囲気や質にも影響をもたらしていく。それは観ている側も同じモノではあるが……キツイのは演者側の方なのだと記事を読んで痛感させられた。
で…もっと厳しいのは、運営サイドだと言う。
ライブを開催するスタイルは様々ある。感染対策を厳重にして、観客を最大キャパの半数及び極少数に限定したり、無観客の配信ライブだったり、観客を入れつつ配信も同時にやる等。これは本当に運営サイドが配慮し苦心して動き続けている。
配信ライブのチケットを購入された方はご存じだと思うが、配信ライブは現地参戦のチケットとは異なり、抽選が無かったり申し込み期限が長い場合がほとんどだと思う。これはより多くの人が観られる様に配慮してくれているからだろう。
だが、この配信チケット特有の売れ方が運営側のメンタルを追い込んでいくと緒方さんは言う。
提供する側としては、やっぱり多くの人が購入してくれているという事実は、有難くて嬉しいモノで時間とお金を使ってくれている。要は自分達に期待をしてくれていると言ってもいい。
その期待に応えたいという想いは表現者がライブに臨む際への大きなモチベーションになるモノと考えられるし、演出にも影響されていくのだろう。
でも、ギリギリの段顔まで売れ行きが芳しくない事が直や間接的に伝わってしまったら、不安に苛まれその感情を抱きながらステージに立つ事になってしまう。
更に深刻なのが、ほとんどのアーティストが配信ライブを開催しても赤字になってしまう事が今の現状としてあると。
配信ライブのメリットは、参戦への敷居が低い事と全てではないがチケット代金の安さ。
コンテンツにもよりけりではあるが、現地参戦の半額近くまで抑えられているモノがある。
しかし、そこに大きな落とし穴があったのだ。
例えば、家族四人(父親、母親、五歳以上の子供二人)が現地参戦する場合、
四人分のチケット代金を支払わなければならない。だが、配信チケットの場合一枚分の代金を支払って購入して観るのはネットに繋がるディスプレイで四人で観れてしまう。全部がそうではないが単純に利益は減少してしまうのだ。
そして、配信するための機材設備や人件費だけも通常のライブよりかかり、なおかつ今は感染対策を講じないと開催すら叶わないのでそこにかける人やモノへの費用もあるし、トラブル対処にも人を割かなければいけない。
現地でのグッズ販売が抑えられてしまったことでの収入減も大きな痛出らしい。
当然ながら、そこでしか購入出来ないモノは記念の品であり購買意欲をそそるモノでもある。
通販で購入出来るシステムを設けている場合もあるが、受付やら配送の手配でまた設備そこで業務に当たる人への人件費が発生する。
多くの資本を持つレーベルやコンテンツでも、そのダメージは軽いモノではなく、開催に二の足を踏む。そうでもない所だとそのダメージは本当に致命的で死活問題だ。中には、傷を負う事(赤字覚悟)で経営者の自腹で補填するケースもあるという。
何でもかんでも配信にすりゃいいとか、過去のライブを配信しろだのとはこの現状を知ったら軽々しく言えたモノではない……素人の動画配信とはワケが違う。
配信ライブという形態が『当たり前』になってしまったその影では、身と魂を極限まで削って血を流している人達がいたという事実から目を背けては駄目なのだ。
この窮状はそこまで深刻かつ、瀕死の状態にあるとも思われる。依然として、ライブを取り巻く現状は厳しいし、この先どうなるのかも見えない。しかし、動かなければ炎が消えて死ぬ。この現状を逃げずに闘う事で訴えかけていくしかできない。それは、出演する者達だけではなく、運営側や現場で共に闘っている多くのスタッフ達もそうなのだと。
そして、事態が好転し満員で開催できる様になった未来の刻でライブを開催し運営出来るノウハウや技術を持つ人達や会場が無いという事態はあってはならない。先人達が想いと魂を懸けて道を創り、次世代の者に未来を託せる為には今を闘うしかない。
それぞれの居場所を守る闘いだけではなく、未来を切り開く闘いをしているのだ。
そう、これは『人と場と刻』を守る闘いなんだ。
その闘いは誰もが出来るモノではない。でも、今はそれを出来る人に託すしか出来ない。
でも、動いて闘う事を諦めず続けていければ続く者がきっと現れるし観ている人にも伝わって届く。
その日を一刻でも早く奪還出来る近道は、不要不急の外出を控え事態が治まるのを待つしかない。耐え忍ぶという事は非常にキツイし魂が削り取られる感覚を抱くだろう。
その厳しい情勢を我々が闘う為に必要なのは…やっぱりエンターテイメントのチカラなんだ。
音楽や演劇、スポーツや格闘技を観て没入している僅かな刻の間の意識は現実から解き放たれ、その後はさまざまな感情を抱いて観た人の活力になる。こういう楽しみが控えているから頑張れるし、大変な時間も乗り越えられるモチベーションアップになる。
我慢するだけでは解決しないし、辛抱強くあるためにもエネルギーは必要。
極論を言うと、ただ生きる上に於いて日々のメシを様々な栄養素を摂れるサプリメントだけ食ってればいい事だが、それはただの作業でしかない。
我々が感じたいのはこのラーメンが美味かった、ここのカレーが美味いというその感覚。しかし、お上は不要不急の忌むべきモノの象徴にしてエンタメ関連の開催制限をかける。コレが現在、エンターテインメント業界の窮状に繋がると思う。
ライブは日々の生活に必要なモノではないのかもしれない。だが、そこに人が関わっているなら糧を得て生きている人がいるのだ。数多の業種と同様に必要不可欠な業種。
前述の通り音楽等で心の平穏や活力をもらっている人はこの世の中たくさんいる。
身体が健やかなのは言うまでもないが、心と魂が健やかなのも同等で大事なモノ。どちらも欠けてはいけないんだ。
緒方さんがインタビューにてここまでぶちまけ、吠えたのは、しんどいという業界の現状を多くの人に知って理解して欲しかったのと、不要なモノの象徴として槍玉に挙げる否定側の人やお上への『怒り』の感情であったと自分は勝手に捉えてしまった。
誰かが声を上げなければ届く事はない。文字になっているから緒方さんの感情までは分からないが相当な想いや覚悟があったのは間違いはないのだろう。
当たり前が形を変わって戻って来て刻が経って、我々はそれに慣れて感謝する事を忘れてしまったのだろう……それは人の性でもあるし業でもある。緒方さんが吠えたのは我々への警鐘でもあるのだろうと思い知らされた。
変わるモノはあるけれど、変わらないモノもある。
提供するカタチや手段は多種多様に増えた。でも、それは人の手が無ければカタチにならないし届けられない。双方の関係はこの先どんなにテクノロジーが発達しても不変なモノだと思う。
難しい状況だが、こういう窮状を助けられる立場の人が知って手を差し伸べて欲しいと願いつつ、我々も何か力になれる手段を模索して動かなければいけないのだと。
最後に、配信でもライブを観れる『当たり前』を守られている数多の表現者の皆様。
緒方さんが覚悟を持って矢面に立ってインタビューで叫んだ業界の現状と怒りは、皆様の総意だと思い知らされました。そうして守ってくれた事には本当に感謝の念しか湧いて来ません。本当にありがとうございます!
そして、このインタビュー記事がより多くの人や支援できる立場の人に届き、何らかのサポートを受けられる段階まで至る事を願いつつ『当たり前の奇跡』に感謝して筆を置きたいと思います。