巡礼者のかく語りき

自由気ままに書き綴る雑記帳

IDOLY PRIDEを斯く語りたいおっさん。

 今更な話ではあるが、自分の中で『IDOLY PRIDE』が熱い。
最近では気温の方も落ち着き過ごしやすくなったが、とにかく熱いのだ。

 

 

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何かのモノに段階を一切無視して突然惹き込まれてしまうというのは、割とありがちな様に勝手ながら思ってしまう。魂が鷲掴みされると言い換えてもいいのかもしれない。

鉄は熱いうちに打てという言葉がある様に、今、自分の中に滾っているモノを何とか言語化して残そうとこうしてPCを起動させ、こうしてキーボードをひたすらに叩いておる。

とはいえ、自分がこの『IDOLY PRIDE』で抱いている現時点でのインプレッションは、ポケットに入っている僅かな小銭程度のモノしかない。物語の世界観の考察やらコンテンツ全体の総評などという深い話がしたいワケでは無い。

本当に浅く安直に、『IDOLY PRIDE』の物語のコレに惹かれたとか、ここが激熱だったみたいな話がただしたいだけなのである。


と言うワケで、『IDOLY PRIDE』の話をしていこうと思う。

 

 

 

 

 おっさんが『IDOLY PRIDE』に惹かれた理由

 

 

 『IDOLY PRIDE』はサイバーエージェントグループとミュージックレイン、ストレートエッジの3社が展開するアイドルを題材としたメディアミックスプロジェクト。
2021年1月にテレビアニメが放送され、同年の6月にスマートフォン向けゲームアプリのサービスが開始された。これ自体に目新しい要素はなく近年ではよくある事だ。


 まず、自分が触れる切っ掛けになったのはアニメの方である。(ゲームの方は触れてない)
と、言ってもきちんと観たのは本放送ではなく、7月ぐらいから月曜の夕刻に再放送しているやつだったりする。

アイドルアニメの作品数は年を重ねていく毎に増えており、物語の描写についてはあらゆる手法が使い尽くされ、新鮮なインプレッションを与える作品を作り出すのは難しくなっていっている。作品の数が増えればそれは避けられない事ではありそれとどう向き合って新しい物語を紡げるのかを見る側は楽しみにしている部分であり求めている。


 アニメで描かれていた物語は、大雑把に言ってしまうと一部の要素を除いては数多あるアイドルアニメとの大きな違いはない。登場するアイドル達の苦悩と成長、共にある楽曲との縁と関わりとエモーション、ライバル達(ボスキャラ)との競い合い、変わりたいという想いと覚悟、アイドル達を陰で支えるOTONA達……etc

これは、あくまでも個人的な偏見かつ主観だが、上記に列挙したモノは、所謂アイドルを題材とした作品の描写においての鉄板・王道的な要素だと思っていて、数多存在するアイドルアニメにはこれらの要素を軸として物語が紡がれて、この『IDOLY PRIDE』という作品も、前述に列挙したいくつかの要素を盛り込んであり奇を衒わない(一部除く)物語が展開されていく。

一部の要素を除いて目新しさや奇を衒わないモノで、飛び抜けてめっちゃ面白い作品だと言われると微妙な所ではある……

だが、自分は『IDOLY PRIDE』を観て率直に感じたインプレッションは、同じアイドルを扱った作品である『Wake Up, Girls!』を観た時のインプレッションに近い魅力を感じたのだ。

で、この項目にて度々出ている『一部』という言葉。その一部の要素と前述に列挙した数多の要素がいい具合に絡み合い『IDOLY PRIDE』の物語が面白く魅力的な作品になっているのだと。

 


*以下の項目より、作中の盛大なネタバレが含まれております。

 

 

 

 

 

 VENUSプログラムがもたらすモノ

 

 『IDOLY PRIDE』の物語を語るにあたって避けられない用語。
どんなモノなのか?とざっくり言うと、作中でのアイドルにランクを付けるシステムとプログラムの名称で、パフォーマンスであったり、ライブでの集客数や観客の反応、ファンの総数やらの様々なデータを集計してAIがリアルタイムで判定して数値を出してランキングを決定する。

要は、トップアイドルになるならばこのシステムで1位もしくは最高ランクになれば叶う。
作中に登場するアイドルはデビュー後にこのシステムに登録されてトップを目指し日々闘っていくのである。

このプログラムによって、ライブで直に競い合う対バン形式のライブも存在する。

この辺りのデータの数値化設定やらは、ゲーム作品との繋がりもあるし、大会を勝ち抜いて栄冠を目指す『ラブライブ!』シリーズや、『Wake Up, Girls!』で描かれた『アイドルの祭典』に通じるモノでもある。そして、物語の要となっているのが新人アイドルの頂点を決める『NEXT VENUSグランプリ』と呼ばれる大会。登場アイドル達はコレに優勝する事が共通の目標。
 

平等かつ公平に評価される一方で、勝者と敗者が容赦なく決まる。AIが絶対的決定権を持つこのVENUSプログラムにおいて点数は良くなくても心揺さぶられる要素を出したアイドルを評価する事は有り得ないシビアなモノ。

表現の世界に満点と正解がないとよく言われるし自分も共感している。だが『IDOLY PRIDE』ではこの言葉に真っ向から喧嘩を吹っかける潔さ。アイドルを取り巻く状況はこのシステムによって過酷で残酷な現実がある。単にキラキラとしたモノだけを描かないで真逆の負の要素もきっちり描こうとしている様に感じられた。

 

 

 



 『IDOLY PRIDE』のアイコン(象徴)・長瀬麻奈

 

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 アニメのキービジュアルのセンターにいる人物が、長瀬麻奈。
この人物を取り巻く人間模様が、この作品の要となる要素でもある。


グループが主流となったアイドル界に、 彗星の如く現れたソロアイドル。
デビュー後瞬く間に人気を集め、「星降る奇跡」と呼ばれるようになった少女。
歌唱力・パフォーマンス力ともに優れたアイドルで、特にライブにかける情熱には目を見張るものがある。


ざっくり言ってしまえば、作中に登場する最強のアイドルでありメインヒロイン。


キービジュアルのセンターに描かれている事から、麻奈がこの作品の主人公なのかと思わせるし、1話も彼女がアイドルデビューして、VENUSプログラムのランキングを着々とアップしていって、ライブバトルでは負け知らずであり『NEXT VENUSグランプリ』も勝ち上がっていった。そんな最中、衝撃的な展開で物語は展開する。


ごく狭い自分の見解ではあるが、他のアイドルもの作品にはない展開。



メインヒロイン=麻奈が死ぬという展開である。



1話の後半で『NEXT VENUSグランプリ』の決勝に向かう途中に交通事故に遭い亡くなってしまう。

他のアイドル作品でも、人が亡くなるというのは描かれないワケじゃない。だが、その対象になるのはアイドル本人ではなく身内だったり縁のある人物だ。このシーンは非常に重たく悲劇的でアイドルアニメらしからぬ要素をぶち込んでショッキングである。

こういう表現は不謹慎ではあるが……麻奈の死を描くことによって彼女が伝説のアイドルの域にまで昇華して、マネージャーの牧野や様々な人物の生き様に影響を及ぼしていく。


 で、更に驚かせるのは……1話ラストで、麻奈が幽霊となって牧野の前に現れる事だ。
化けて出るという事は、現世に未練があるという事でもあり、生前に伝えられなかった想いがあるという事。麻奈の死と未練(伝えたかった想い)がこの作品の要の一つとなり、物語の後半で更なるエモーションへと繋がっていく。

 

 

 

 

 

 死人(長瀬麻奈)に魂を引っ張られた者達とその先の軌跡


  
 先の項でも触れたが、『IDOLY PRIDE』の物語の要の一つとなるのが長瀬麻奈の存在。
そして、彼女の死を切っ掛けにして生き様が変化した者達がいる。自分が最も惹かれた要素が麻奈の幻影を追い求める者達の存在と生き様だったりするのである。



特に、この四人のアイドルにその要素が色濃く出ている。



 

 

 

 長瀬琴乃

 

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 麻奈の妹で、麻奈の後を追ってアイドルを志す。VENUSプログラムの頂点を目指すという意識が強く、自他ともに厳しい。人付き合いがあまり得意ではなく友人も多くはない。
数年前のある出来事(麻奈の死)を切っ掛けに更に人との関わりを断つようになり、以降、一心不乱にアイドルを目指し、ひとりで練習に励むようになった。見た目の冷たさとは裏腹に、情熱を秘めている。

物語本編は彼女が姉・麻奈が所属していた『星見プロダクション』の新人アイドルオーディションに挑む所から始まる。

この人物の特徴は、不器用かつ面倒くさく扱いづらい。麻奈がアイドルになる前は仲のいい姉妹関係だったが、麻奈のアイドル活動が忙しくなると、接する機会が減ってしまった事によってストレスを感じ、心の底から麻奈を応援する事が出来なくなった。

『NEXT VENUSグランプリ』の決勝前夜(麻奈が亡くなる前夜)、決勝で琴乃を想う歌を歌うから観に来て欲しいと言う麻奈に彼女は心無い酷い言葉をぶつけてしまい、それが姉妹最期の交わした言葉になってしまう。

故に、アイドルは姉を奪った象徴と存在であり、最も忌むべきモノであったが……琴乃は姉の果たせなかった夢を叶えるべく意志を受け継いでアイドルへの軌跡を歩む。


天才の姉と比較される事は覚悟の上で。


 順風満帆ではないが、日々の努力に共に夢の軌跡を駆ける仲間達との繋がりと交流を経て、彼女は変わっていく。姉の幻影をただ追うのではなく、長瀬琴乃という個を認めさせ夢を叶えようと懸命にひた走る。それは琴乃が自分で切り拓いて選んだ琴乃だけにしか歩めない軌跡。不器用ながらも直向きな生き様を見せる琴乃に胸が熱くなったのは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 川咲さくら

 

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 胸の高鳴り(直感)に導かれる様にして『星見プロ』の門を叩いた天真爛漫な少女。元々はオーディションには応募してなくて飛び入りでオーディションを受ける。そこで彼女が聴かせた歌声は長瀬麻奈にそっくりだった。これには彼女が抱えるある秘密に起因している。


さくらは心臓に病を抱えていた。(これも重たい設定である…)


心臓移植しないと生命に関わる程のモノで、彼女は心臓移植手術を受けて以降は元気に生活が出来るまでに回復できた。更に、術後以降歌が上手くなったという。彼女の心臓にまつわる話についてもこの作品の重要な要の一つである。

物語の前半にて、彼女が何故アイドルを目指したのか?と問われるとさくらは『胸がドキドキしたから』と何とも捉えどころない不思議系な天然キャラだと思った。心臓に重い病を抱えたバックボーンの対比として、天然で朗らかな性質という両極端な人物像にしたのかと思ったら、心臓の鼓動=直感が、川咲さくらという人物の深みを描写している事になる。


さくらは、本編の三年前に心臓移植手術を受けている。


そして、その心臓のドナー(提供者)は……当時、事故死した長瀬麻奈だった。


臓器移植手術を受けた際、臓器提供者(ドナー)の記憶の一部が受け継がれる現象があると言われる事がある。(科学的根拠は無いらしい)さくらの歌声が麻奈の歌声に似ているというのはそれを織り込んだのだろう。麻奈の魂はさくらを依り代にして今もなお生きているのだと。そして、さくらは麻奈によって生命を繋ぎ留められた者。


 デビューして、『NEXT VENUSグランプリ』を勝ち抜くに連れて、さくらは『長瀬麻奈の歌声を継承した者』や『長瀬麻奈の再来』と持て囃されるようになる。それが原因で琴乃との関係が悪化してしまう。しかし、彼女は麻奈の魂で歌うのではなく川咲さくらの魂と歌声で歌っていく事を決意して闘いに挑んでいく。9話のEDは涙腺決壊必至である。

麻奈の心臓がさくらの胸に在るのは奇跡なのかもしれない。死の淵に立っていた者が生きる事を諦めなかったから掴めたチャンス。だからこそさくらは今自分が生きているこの刻を大事にしようとしている。『太陽』は彼女のイメージだという。さくらの生命を滾らせる様な生き様も自分の胸を熱くさせるモノだった。

 

 



 

 天動瑠依

 

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 ライバル(ボス)グループの一角である『TRINITYAiLE』の絶対的センター。
ダンス・歌・パフォーマンスの全てにおいて秀でており「百年に一人の天才」と言わしめる。

『TRINITYAiLE』は完全無欠なパフォーマンスで、すでに新人では異例の知名度を誇っている。ライブバトルでも連戦連勝を重ねて、長瀬麻奈の連勝記録に並ぼうとする勢いを見せる。

瑠依がひたすらに追い込んで努力を重ねるのは、彼女と母親を見捨てた父親を認めさせようとするモノから来ている。

で、その父親とは……彼女が所属している事務所『バンプロダクション』社長である
朝倉恭一。だが、朝倉は長瀬麻奈という伝説を超えるアイドルをプロデュースすることに心血を注いでいて、瑠依には興味を示さない。

瑠依がトップアイドルへと昇りつめ、なおかつ、長瀬麻奈を超えて父に自身の存在を認めてもらう事が彼女のアイドルとしてのアイデンティティであり弛まぬ努力の原動力になっている。
アイドルに憧れを抱いていたというのもあるだろうが、現在は朝倉に認められる事と麻奈を超えようとする想いの方が勝っているのだろう。


瑠依も朝倉もまた、長瀬麻奈の幻影に憑りつかれ、追う者である。

 

 

 

 

 

 神崎莉央

 

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 ライバル(ボス)グループの一角『LizNoir』のリーダー。長瀬麻奈の最大のライバル。
三年前の『NEXT VENUSグランプリ』決勝で麻奈が戦う予定だった相手でもある。
麻奈の事故によって決勝戦は不開催となり決着は付けられなかった。大会自体もそれ以降開催はされなかった模様。

勝つ事に貪欲であり、立ち塞がる者に対しては攻撃的な姿勢で接する。彼女のハングリー精神剝き出しなパーソナリティの背景にあったのは、母親に楽をさせたい一心で多く稼げるであろう手段としてアイドルの門を叩いたとされている。

ライバルへの対抗心でハングリーさのベクトルが向いたキャラは結構いるが、単に金を稼ぐ手段でアイドルを目指したキャラクターは、スポーツ系の作品に多く見られるモノで、アイドルものの作品では稀だと思うし異質である。だからこそ彼女の生き様に惹かれるモノがある。

しかし、麻奈のパフォーマンスをステージ袖で見て、圧倒され、認めたくないと感じながらも魅了されたと彼女は語り、アイドルとは何なのか?を考え自分なりのアイドル像を模索したという。圧倒的な差を痛感し負けを潔く認めて更なる高みへと挑んでいく。


 決着を付ける相手を失い、一時期活動を休止していたが、『NEXT VENUSグランプリ』が再び開催される事となり、麻奈が勝ち取れなかった優勝を目指し、麻奈を超えようと闘いに再び挑む。莉央が認めた唯一無二の宿敵の麻奈はもういない。だが、莉央の眼前には麻奈の背中が今もまだ見えるのだ。彼女にとって姿が現世に無くても麻奈との闘いは神聖で不可侵なモノ。


長瀬麻奈への執念は誰よりも強く激しく滾っている。そして、麻奈も莉央が存在していたからこそ頑張れたと言う。理屈では表現し切れないこの二人の物語も魅力を感じる要素だった。

 

 

 

 

 

 最後に……


 
 一話でいきなり主要人物が死ぬというショッキングな描写で面喰い、ラストまでそれが重要な要になりそれに関わる人物達のドラマになっている。長瀬麻奈自身の物語、星見プロのアイドル達の成長譚、ライバルたちの物語、楽曲との縁……タイトル通りアイドル達の生き様=プライドを描いていた様に思う。

冒頭でも触れたが、一部の驚きがあったものの、概ね、王道的な展開を逸脱せず真新しさはないがいい作品だったと素直に称賛を贈れる作品だった。

 

ここまでざっくりと、自分が『IDOLY PRIDE』に惹かれた要素について書き殴ったが、他にも書きたい要素や楽曲とかいろいろ掘り下げていきたい要素はまだある。

 

そんな想いを抱きつつ……この辺りで筆を置きたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

Team S ver.は王者の謳ではなく、反骨の魂を持つ挑戦者の謳。

 さて、今度はTeam S版の『リトル・チャレンジャー2015』の話だ。



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※Team M ver.の話は以下のリンクでしています。

 

akatonbo02.hatenablog.jp

 

 こちらのTeam S版では、島田真夢と入れ替わる形で相沢菜野花が加入している。
真夢以外のメンバーは、岩崎志保、近藤麻衣、吉川愛といったI-1一期生であり、所謂エース級メンバーで構成されたメンバーでもある。

各メンバーの歌唱振り分けは、オリジナル版からの変更がない。真夢が歌っていたパートはこの当時のI-1センターに就いていた志保かと思いきや、菜野花がそっくりそのまま真夢のパートを受け継いだ格好になっている。



そう、このTeam S版の要になっている人物は、相沢菜野花だと自分は思っている。



 こちらのバージョンでの真骨頂は菜野花の歌唱にある。



 オリジナル版での真夢やTeam M版での高科里佳の歌唱は、いたって素直というかなり振り構わない的な叩き上げの情熱を感じさせるような歌声を響かせている。それ故にこの『リトル・チャレンジャー』という楽曲が魂を奮い立たせる様なインプレッションを抱かせる『アンセム』になり得たモノと考えられる。


で、その菜野花の歌唱だが、真夢や里佳の歌唱とはまったく違うアプローチで歌われている。オリジナルとTeam M ver.と聴き比べてみると明らかに違っていて、真っ先に感じるのは軋轢の様な違和感が勝るモノだと自分は感じたし多くの人もそう感じたはず。

どんな歌唱をしているのかと言うと、真夢や里佳の様な真っ直ぐで素直な感じの歌唱ではなく、どこか気取ったようで格好つける凛とした感じの歌声に聴こえる。菜野花のこの格好つけた凛とした歌唱こそが、このTeam S ver.の要であると個人的に感じるのである。


 では、何故菜野花は真夢のバージョンとは歌い方を変えたのか?立場(パート)を継承したのならば、楽曲の世界観を損なわないようになぞった歌唱をするのが大方の意見だと思うが、あえてそこに異を唱え真っ向から抗っていったのは、菜野花の反骨の魂と野心がそうさせたと思えてならない。

島田真夢の脱退というのは、衝撃的な報であると同時に空いたフロントメンバーの一つの枠を勝ち取る絶好のチャンスが巡ってきたということでもある。チャンスの順番待ちに甘んじている者に未来はない。真夢の脱退に喜んだ者は少なくはないはず。菜野花も虎視眈々と野心を抱いていた者として、おそらくは喜んでいた者の一人だったのではないだろうか。

前述の通り、真夢と同じ歌い方をすれば多くの人に受け入れられる可能性は高い。逆に、変えてしまえばそれまで築いてきたイメージを壊し非難の的になってしまうリスクが高い。


だが、この変化に雄飛のチャンスがあると菜野花は感じ取った。


一人が抜けても代わりは幾らでもいるI-1。真に強い者だけが生き残れるI-1clubの絶対的な理の中で、同じ事をただなぞるだけのやり方では生き残って飛躍する機会はない。
真夢と同じ歌唱をしてもそうでなくても比較されるのは一緒。だとすれば、違った歌い方をしてやろうという賭けであり、居なくなった島田真夢の幻影に真っ向勝負を挑んだ。


 作中に生きるI-1ファンは、I-1のアンセムである『リトル・チャレンジャー Team S .ver』をどう捉えたのだろうか?菜野花を推すファンは彼女の抜擢を喜んだ事だろうし、真夢とは異なる歌唱も新しいモノとして受け入れられたのかもしれない。しかし、一方ではファンの間で疑問符を浮かべる人や非難する人もいるのだろう……それは、新世代のメンバーで構成されて歌ったTeam M ver.も同様なんだろうと妄想が膨らんだり。


変わらない想いというのは大事ではある。だが、世のあらゆるモノは同じ状態を保つことなく常に変化し続けているのが世の理でもある。だからこそ、変えようとする想いや一歩踏み出す勇気をもって動かなければ物事は変わらない。一つの結果として、相沢菜野花はこのチャンスをきっちり掴んで飛躍の刻と機を得た。

 

 岩崎志保がそうだった様に、相沢菜野花も島田真夢の幻影との戦いに挑んだ者だった。

 

表情や態度には出さないミステリアスで掴み所の無い貌が彼女の魅力だと思うが、菜野花は真夢に対して並ならない想いというのはあったはず。勝ちたい、超えたいという野心が真夢を見て、考えて、熟考して導き出された答えが、真夢と違う歌唱にチャレンジするというモノだった。

『考えない』というのがI-1の鉄の掟の一つとしてあるが、菜野花は島田真夢とは違う歌唱で『リトル・チャレンジャー』を歌う事を考えて実践した。行儀の良い順番待ちしている受け身の姿勢ではいつチャンスが巡って来るか分からない。見て、考える事を常にして来たからこそ彼女は強く輝く事が出来て、なおかつこの楽曲に新しい血を流せたのだと。


 純然な挑戦者の叩き上げの魂をもって謳われたオリジナル版と新しい未来を拓こうとする気概を持って謳われたTeam M版。そして、反骨の魂と野心を持った者(菜野花)が、オリジナル版とは違った血を流そうと挑んだ楽曲がこのTeam S ver.だと自分は勝手に感じてしまう。

どのバージョンが特別に優れていたりとか劣っているという議論は意味を持たない。
要となっている挑戦者魂を持つ者がこの楽曲にそれぞれ違った血を流した。


 島田真夢、相沢菜野花、高科里佳のアイドルとしての生き様が挑戦者の謳として成り立っている。この『リトル・チャレンジャー』という楽曲についての独自考察という怪文書の答としてはそれが一番しっくりきてる様な気がしている。

 

 

 

 

 

 

Team Mのジョーカー ~もう一つの挑戦者魂の謳。

 『リトル・チャレンジャー2015』という楽曲がある。

 


 この楽曲は、同名の別アレンジ版という位置付けにあたり、更には二つのバージョンに分かれた楽曲である。

オリジナル版の『リトル・チャレンジャー』では、島田真夢、岩崎志保、近藤麻衣、吉川愛による四人曲。作中でリリースされた時期のI-1でのセンターとキャプテン(リーダー)を含めたエース格にあたる四人でもあった。

作中での描写にもあるが、この楽曲のヒットを契機にして、I-1はトップアイドルへの軌跡を駆けあがる事となり、I-1の『アンセム』となった楽曲であるとも言える。

刻は流れ、色々な経緯があって……I-1隆盛の礎を築いた島田真夢は脱退したわけだが、
過去は消せないし遺されたモノとして、彼女が去った後でもI-1の代表曲としてメンバーによって歌い継がれていったと考えられるのが自然ではないだろうか。


 曲題にある2015とは西暦2015年の事。この年はI-1 clubにとっては変革の渦中にあった。
これまで続いて来た100万枚の売り上げ記録がこの年にリリースされた最新曲で途絶えた事を契機として、世代交代を名目としたセンター争いが勃発。

岩崎志保をセンターとした『Team S』と、次世代センター候補の最有力とされる鈴木萌歌をセンターに据えた『Team M』による二つのバージョンの新曲『運命の女神』をリリースして巻き返しに打って出た。これが続・劇場版で描かれたI-1の物語である。

で……『運命の女神』のカップリングに収録された『リトル・チャレンジャー2015』もまた、前述の二チームによって歌われた楽曲。
そして、このバージョンでは『要』となる人物が各チームに一人ずつ存在している。
前書きが長くなってしまったが……今回は『リトル・チャレンジャー2015』における要となる二人の人物について妄想を垂れ流そうと思う。

 

 

 『運命の女神』のCDジャケットには、トランプの絵柄にメンバーが描かれている。
ここで注目したいのが、『Team M』盤のジャケットには、鈴木萌歌、鈴木玲奈、小早川ティナの三人と、『Team S』盤には描かれてないジョーカーのカード。

 

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そう、『Team M』バージョンの『リトル・チャレンジャー』はこのジョーカーが要となっている。


トランプにおけるジョーカーの役割は多様だが、このジャケットに描かれた意味は
『切り札』としての意味ではないだろうかと考えている。そして、その人物が島田真夢が歌っていたパートを担当しているのである。ちなみにその人物は『運命の女神』では歌っていない。だからこの人物の姿はカードに描かれずジョーカーのままだった。


で、その人物の正体は……I-1clubの第5期生、高科里佳であると自分は思っている。


 『Wake Up, Girls!』のスピンオフコミック『リトル・チャレンジャー Wake Up, Girls! -side I-1 club-』の主人公である彼女が島田真夢のパートを歌う。単にスピンオフ作品の主役という要素のみで里佳がこのパートを歌っただけとは思えない。次期のセンター候補の鈴木萌歌ではなく、この中で最もキャリアが浅い高科里佳が真夢のパートを歌う意味があるが故の抜擢だったと。


 里佳と萌歌が駆けて来たアイドルの軌跡は対照的だ。


加入間もない頃からフロントメンバーに名を連ね、前述の通り、エリート街道まっしぐらで次期センターの最有力候補と評される逸材である萌歌。

一方、里佳の駆ける軌跡は対照的で、I-3(所謂三軍)に所属し、地道な下積み活動をしていた。

他の楽曲(真夢が在籍していた頃までのI-1楽曲)ならば、萌歌が真夢のパートを受け継ぐのが、自然であり世論も違和感を抱かないのだろう。

だが、『リトル・チャレンジャー』という、叩き上げの魂を謳う楽曲においては、萌歌の才能と順風満帆なキャリアが当時の島田真夢のパートを活かせず、楽曲を殺す事になりかねないと白木徹の本能が感じ取ったのだろう。

ただし、エリートと評される人物が、真夢のパートを歌っては駄目だというモノではない。
楽曲の力を引き出す一つのファクターは歌う者の生き様。叩き上げの魂を謳う『リトル・チャレンジャー』においては、萌歌、玲奈、ティナではなく、未熟で荒削りな叩き上げの魂を持った
里佳が真夢のパートを歌った方がより楽曲の力をもっと引き出せると。

白木さんは、高科里佳という存在におそらくは何か特殊なモノと未知の可能性を本能で感じたのだろう。でなければ、岩崎志保に背格好が近いというだけで志保のアンダー(代役)には抜擢しなかった様に思ってしまう。(根拠は無い)


そんな勝手な妄想をしつつ…今一度『リトル・チャレンジャー2015 -Team M ver.』を聴いてみようと考えておる今日この頃である。


……Team S ver.の方については、日を改めて書き殴っていこうと思う。

 

 

 

 

激熱な冬の陣へ。―Run Girls, Run!4周年記念ライブツアー振替公演決定の報に寄せて。

 『Run Girls, Run!』の4周年記念生配信番組を観た。
その番組内にて、最もランナー諸氏が待ち望んでいた『お知らせ』が彼女達から発表された。

 

youtu.be

 *その報が発表された時間から再生されます。

 

 


4周年記念ライブツアー『Run Girls, Run!4th Anniversary LIVE Run 4 You!!!』振替公演日決定の報であった。



メンバーからはこの様な力強いコメントが。

 

 

 

 

 

 本来なら、7月と8月に仙台と東京にて開催されたライブ。しかし、厚木那奈美さんがリハーサル中に足を負傷されてしまい、治療と静養の為に延期となっていた。


振替公演日は、宮城公演が11月27日(土)。東京公演が12月19日(日)となった。
 
気になるのはチケットの件だ。先日、巷を阿鼻叫喚の地獄絵図に陥らせたアニサマの件もあってナーバスになった人もおそらくいただろうが……以前申し込んで当選した同じ会場、同じ公演でそのまま使用可能であると。


振替公演が決定したというのは単純に喜ばしいモノ。おそらくはその振替公演の事に触れる『お知らせ』であるのは予想出来た事ではあるのだけれども、やっぱり嬉しい事なのだ。
今から3~4ヶ月と開催まで結構な間があるが、緊急事態の世情を鑑みるとこれぐらい時間を空けた方が安全なのかもしれない。


 で……ここまで(延期決定~振替日決定までの間)で印象深かったのは、厚木さんがTwitterやBlogに綴られた思いの丈だった。

 

ameblo.jp


 負傷してしまったのは、どうにもならない事態。しかし……厚木那奈美が負傷という事実は容赦なく本人や周りの人達、ファンにまとわりつくモノだ。厚木さんも、悔しい、不甲斐ないと発しているが本当に死ぬほど悔しく気が狂いそうになるほど自分を責めたのではと…勝手に考えを巡らせる。

今の世情、前とは全然変わってしまって表舞台に出れる機会が減ったなかにおいて、単に振替公演すればいいとは思えなかった。夏のこの日の一公演にしか参戦出来ないというファンの事を考えだしたら、本当に自分が許せなくなると思ったのかもしれない。


厚木さんはより深く他者へ寄り添えて慮れる人。これは自分だけが感じているモノじゃない。メンバーは勿論の事、ランナー諸氏も周知の事だと思っている。いいパフォーマンスで強く輝けるように限界を超えようと踏みこんだ。それも皆理解して納得しているし、世界で一番悔しい思いを抱いているのも厚木さんであるという事も皆分かっているのだ。


だから誰も、厚木さんを責めない。必ず今よりも強い輝きを魅せてくれると信じる。


負傷という事実は確かにマイナスだ。だがその逆、プラスでもある。
限界を超えようと踏みこんだら、その領域に踏み込むのはまだ時期尚早である事が知れたのは、傷を負いながら厚木さんが学んだ事なのではないだろうかと勝手に思っておる。


 昨年の夏、中止になってしまった3周年記念ライブ。そして4周年記念ライブの開催延期とアニバーサリーライブは、様々な事情によって開催が阻まれてしまった。振替開催が決まっても当日にならないと諸手を挙げて喜べない。二度あることは三度あるという無常な言葉が脳ミソをよぎってしまう。


だが……三度目の正直という一発逆転の可能性を秘めた希望の言葉がある。


想いのバトンが手からこぼれ落ちたかもしれない。駆ける者の一人が傷を負ってしまった。
これらの出来事は『Run Girls, Run!』にとっては生まれて欲しくなかった物語。
どこのどいつが彼女達の物語を紡いでおるのかはわからん。もう盛り上げる為の都合の悪いこれ以上のネガティブな脚色はいらない。

 
 彼女達は必死に手を差し伸べている。そして、我々もそうであり本気で差し伸べられた手は本気の想いを持ってきっちり握り返したい。

今の理不尽な世情でさえ、『災厄と逆境に抗う挑戦者』になる事で、物語を彩る演出に転換してしまったのだから。前述の通り、闘いまでの刻はまだまだある。あの三人はどんな僅かな刻ですら成長の糧に出来る強かさがある。


 やるからには万全の態勢と細心の注意を払っているだろうし、それが可能だと判断したからこそ振替公演に舵を取った決断は本当にありがたく感謝しかない。

無事に開催出来る事と、何事も起こらず無事に終演して感染者が出ない事を願うのみだ。


 まだ時間があるにも関わらず、この期間で予想を裏切って、期待に応える為の準備が始まっている事へのドキドキとワクワクを胸に秘め、あの三人に逢える未来の刻を思うとその日がとても楽しく待ち遠しい。そんな思いのままに筆を執った次第である。


 

 

4周年記念生配信の報に思う事。

 Twitterを徘徊しておったら、こんな報が飛び込んで来た。

 

 

 8月14日『Run Girls, Run!YouTube公式チャンネルにて4周年記念生配信が決定との事


そう言えば、昨年も3周年記念生配信があって、今年はやらないのかと思っていた矢先の事でもあった。おそらくは厚木さんが先日負傷してしまいその静養との兼ね合いで配信の日程がなかなか決めきれなかったのではと勝手に思う。


それはそれとして……どうしても気になってしまうのが告知にある『お知らせ』という言葉だ。


単に自分がアレルギー反応のように過敏に反応し過ぎてるだけでもあるし、ヘソが曲がりくねってポジティブな方向に捉えられないだけかもしれない。期待に胸膨らませるのは良い事ではあるが、ネガティブな事が発表されるという最悪の事態を想定する……

そんな事を脳ミソの奥で誰かが囁く様なインプレッション。そして、そんな自分勝手に考えてしまう自分自身にも腹が立っている。


とはいえ、まだ番組は配信されてもいないので、あれこれ考えてもどうにもならない。
ネガティブな事が発表という要素は脳ミソの端に追いやって、きっとポジティブな報がもたらされると信じて当日の配信を観ようと思っておる。



 さて、その『お知らせ』とは何だろうか?と想いを馳せてみる。



まず、筆頭に挙がるのは(そうあって欲しいが)、現在の所開催延期となっている
4周年記念ライブツアーRun Girls, Run!4th Anniversary LIVE Run 4 You!!!』の開催日発表なのか?新曲のリリース決定の報の二択が最も有力と考えている。


(ライブ開催の報だったら、これ以上の延期やら中止は止めてくれ。マジで…)


また、可能性として高いのが……遂にオフィシャルファンクラブが設立されるのか?厚木さんが何らかの個人アカウントの開設という線も無くはないだろう。


もしくは、何らかの大きなイベントに参戦決定の報。ただし、こういうのは彼女達が直に言うより先に公式の方が先に発表するだろうが……可能性はゼロではないと思われる。


 では……考えたくはないしあって欲しくないがネガティブな報だったら……
現在の世情を鑑みて、もう何度見たか分からない忌まわしき『開催中止』の報や、あえて書かないが最悪の報と……どうしても脳ミソを駆け巡ってしまうのだ。

ただ、希望的観測ではあるのだけれども、中止ならすでに発表している様にも思えている。
あえて配信で彼女達が直に言うとは(おそらく)思えない。RGRだけじゃなく、携わっている全ての関係者の皆様もライブを開催させるという強い意志をもって動いているはず。


一人のおっさんである自分がほざいた所で、何の意味もないだろうがそんな気がしている。


 今よりもっと強い『Run Girls, Run!』を魅せるから、必ずまた逢えると。センターの林鼓子さんは力強く我々に誓ってくれた。認められたい、運の巡り合わせに恵まれないと言われようと諦めずに駆けて来た。何度も言ってきたがネガティブな報がもたらされる可能性はゼロではない。でも、お知らせが朗報である可能性が高いと信じて待っている自分がいる。


 なんかライブ云々の話になってしまったが……ポジティブなお知らせだったらもう何でもいいので、当日の配信ではそうある事を願い、筆を置く事と致します。

 

 

 

 

 

負けてからが本当の勝負。

 東京オリンピックの男子サッカー。日本代表は準決勝に勝ち上がった。

しかし、スペインに敗れて三位決定戦へ…そして、銅メダルを賭けてメキシコとの戦いに挑んだが負けてしまい、メダル獲得はならず四位で大会を去った。


 海外で活躍する選手、フル代表にも選ばれる選手やJリーグでも活躍する選手を多く擁し、オーバーエイジに吉田、酒井、遠藤と海外で経験と実績のある選手を揃えて史上最強と称し、更にはホームで開催されるというこれ以上ない地の利と機を以ってしてもメダルには届かなかった。

選手達の口からはメダルを取るのは絶対条件だと言い、世の声もこの面子ならメダルを獲れるだろうと期待していただろうし、自分もそう願っていたものだ。


 グループリーグを三戦全勝で見事勝ち上がったのは良かったが、決勝トーナメントではまた違った戦いになった。

準々決勝で戦ったニュージーランドは、日本をよく研究し単純なフィジカル頼みのサッカーではなくハードワークを組織をきっちりさせたディフェンスで粘り強く対抗してきて、延長フルタイムを耐えてPKまでもつれた。結果、このPK戦を制して準決勝へ勝ち上がれたが流れの中では得点は最後まで奪えなかったのは、やっぱり決勝トーナメントの戦いはGLとはまるで別モノと痛感させられたのではないだろうか。


準決勝の相手は、金メダル候補にも挙げられるスペイン。
欧州の国はオリンピックに選手を出す事を嫌がるチームが多い。だが、スペインはEURO終り&新シーズン開幕前という時期にも関わらず、本気で金メダルを獲りに来ているメンバーで日本に乗り込んできた。

終始、主導権をスペインに握られるものの、何とか耐え忍んでこの試合も延長戦にもつれる。しかし、延長後半、アセンシオにゴールを許しそれが決勝点となり敗れてしまった。

アセンシオが決めたゴールだが、簡単なモノじゃなかったと思う。
DF陣の僅かな隙と、GK・谷が動いて僅かに空いたスペースに巻く様なカーブの軌道を描く見事なコントロールシュートは彼のスペックの高さが凝縮されたモノだろう。

僅かな動きと隙を見逃さない目と判断力。そのコースに撃つという決断力と勇気。
何よりもそれを可能にするアセンシオのスキルの高さを思い知らされた。


 で…三位決定戦は、GLでも戦ったメキシコ。

GLでは2-1と勝った相手。しかし……連戦の疲労の蓄積や対策を練られた挙句1-3で完敗。
前述にもあるが、日本はあと一歩の所でメダルを獲る事は叶わなかったワケである。


 史上最強と称され、地元開催でメダル獲得はマストとされたが手ぶらで大会を去った。
試合後に人目を憚らず悔しさで号泣している久保建英の姿は強烈な印象だった。
勝ってメダルを獲るという想いをもって全力を出し尽くして戦った。悔しいのは勿論久保だけじゃない。あのピッチに立った者、出れなかった者、チームスタッフ。全員が悔しい思いをした。本気で目指したから、勝ちたかったからこその感情なのだろう。


何故、勝てなかったのか?何がいけなかったのか?誰のせいなのか?采配そのもの?
と、まぁ、世の声は所謂戦犯探しに興じる者は少なくない。


あくまでも、私見や独り言の域だけれど、自分はこう思う。


誰が悪いとかそういうんじゃない。負けたのはただ弱かっただけだ。


選手のレベルは進化している。それは誰が見ても疑いのない真実としてあって技術もある。
だが、実際に戦った選手達は世界との差を痛感させられた。

技術そのもので圧倒されたというワケではなかった。けど、一手先の判断と連動性はまだまだ分厚い差がある様に思える。列強諸国は一手先の判断の早さとチームとしての連動性を突き詰める事が当たり前に練習や試合をしている。だが、日本もそれをやってはいるのだろうが、そのスタートラインにもまだ立っていないのかもしれない。


 そして、またしても突き付けられた現実が……ここぞという勝負所で勝てない。
単純にコレは選手だけの問題じゃない。指導者や強化をしていく協会の問題だ。大会が終わって何もかも(特に敗因)を有耶無耶にして来たツケだ。

選手の質は確かに上がったが、それを指導し戦術を構築する側の人材が足りないしまだまだ未熟。様々な試みにトライしたが結局は、特定の個の力頼りの攻撃パターンになってしまったのがそれを象徴してしまった様に感じる。

最後の決め手は個人のスキルに依るモノではあるのだけれども、それが常に発揮出来るものでもない。現に、堂安と久保が抑えられたら手詰まり状態になるシーンが多かった。
あと、この二人に三笘が割って入れなかったという事と、絶対的なストライカーの不在もある。
メンバーが固定され過ごす時間が多いクラブチームと集まってイメージを共有出来る時間が少ないナショナルチームのマネージメントは難しいモノではあるが……

スペインのポゼッションサッカーやドイツのゲーゲンプレスの様に明確な日本のスタイルをまず築いていかない事には始まらないのかもしれない。で、その戦術を基に選手の育成や様々なスタイルを持つ指導者を増やしていく。


 日本のサッカー協会が変わろうとする覚悟をもって臨まないと強化は叶わない。
現場で必死に戦って世界の差を思い知らされた選手達の声をまずは真摯に受け止めてくれ。負けを正直に認めろ。


そして、選手たちを見殺しにするな。

 

 最後になりますが……困難な世情での大会、連日の酷暑の中必死に全力を尽くして戦った代表選手、監督にスタッフの皆様本当にお疲れ様でした。

今度は所属チームでの闘いであったり、新天地や新シーズンの戦い、そして、W杯のアジア最終予選にこのチームから選ばれる選手もいることでしょう。この大会でそれぞれが得たモノは大きなモノと思います。それらを糧に今後の更なる雄飛を期待しております。

 

 

 

Run Girls, Run!4th Anniversaryに寄せて。

 何故、貴女達は駆け続ける?駆け続けられるのか?


憧れた世界に自らの両足で立っていられる事の喜びなのか?


全力全開で闘って喝采と称賛を浴びる事の快感を知ったからなのか?

 


明確な答えはおそらく存在しなくて、どれも正解だろう。
でも、一つ、根底としてあると思えるのは……何者でもなかった小さな存在が一歩一歩軌跡を踏みしめて遥か先に見える確固たる存在へ向かってきちんと進めているという証が彼女達を駆けさせる無尽蔵のエネルギー=心の光なんだと勝手ながら思っている。


 

 この1年の刻は『Run Girls, Run!』にとっていろいろな節目を迎えた様に感じる。



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 初めての配信ライブとなった『ランガリング・リンクライブ』。ちなみにこのライブは3周年記念のライブがコロナ過によって中止になってしまった代替のライブ。自分はこの東京公演のチケット当選していただけにこの中止の報は致し方無いが悔しいモノを感じた。あの場で『ランガリング・シンガソング』や三人のソロ楽曲を観れるかもと期待していたのだが……

もしかしたら大きなライブやイベント開催の報が発表されたかもしれない。
~たら、~ればを挙げ出すとキリがないが、グループがあの1年で失ってしまったモノや紡げなく叶えられなかった物語は計り知れないほど大きかった。

一つ誤解しないで欲しい事は、あの配信ライブががっかりする要素は一切無かったという事。
彼女達の本気の想いと魂は画面越しという境界を越えてパフォーマンスから凄く伝わってきたし、いつか来る現地参戦して直に観たいという期待を抱かせるのに充分過ぎる程のインパクトを残してくれた。


我々が悔しいと思う様に、彼女達もその思いは同様に抱いただろう。
それでも、前だけ見据え止まらずに駆け続けるRGRの三人と彼女達を支える多くの人々には感謝と敬意しかない。


現地イベントが中々開催されない状況でも、何かを我々に想いを伝えていきたいとして動画配信やオンラインでのサイン会などの供給を継続してくれた。

その供給面に於いて最も大きな出来事がメンバー個人のtwitterアカウントの開設。そして、林さんがSHOWROOMチャンネル『ココ・シャベル』を開設。森嶋さんが更新の止まっていたRun Girls, Run!TikTokアカウントを森嶋さんが引き継いだ。おそらく厚木さんも何らかの形で個人の配信チャンネルを開設すると思われる。外の広い世界から繋がれるツールを積極的に取り入れ、利用していく事は今後に大きく繋がっていく朗報ではないだろうか。


 で、外の世界と言えば、前にも書いたがRGRの配信番組『Run Girls, Run!の3人4脚自由形』でゲストに来られた山下七海さんが仰っていた外の場を見て感じる事で感じたモノやそれをホームである場に還元させる事の重要性。

その外の世界の大きな経験となったのが『舞台プロジェクト東京ドールズ THE GARDEN』への出演だろう。アフレコでの演技とはまた違うモノだっただろうし、ライブパートもあったりした。そこで魅せた彼女達のパフォーマンスは高く評価されたと聞く。

何よりも彼女達にとって大きな収穫になったとされるのは、外部からの刺激だったのではないだろうか。舞台作品は様々なフィールドで活動している表現者が集う場でもある。闘うフィールドが異なれば各々の闘い方は違って来るもの。これまでの常識が非常識に覆ったり非常識が新しい常識へと変わる。これは普段闘っている同業者との鎬では体験できない刺激的なモノだっただろう。

そして、最も大きな収穫は人脈という新たな縁。前述でも触れたが年齢やキャリアがまるで違う人達とコミュニケーションを取らなくてはならない状況に於いて、そこで得られた対人スキルやトークスキルは今後の彼女達の大きな武器になる。


 更に、大きな事と言えば、林鼓子さんがこの春高校を卒業されて社会人になった。
大学進学ではなく、声優として一社会人としてこれから生きると覚悟を決めて決断した。
故郷から出て学業と仕事を両立させていく事は本当に大変だったのは想像に難くない。

その大変だった生活も彼女の周りの人達が寄り添い支えてくれたと林さんは感謝の言葉を語る。周りの人達が彼女に寄り添い手を差し伸べられたのは、何よりも林さんが直向きに真摯に頑張って日々を闘っていたから。そんな彼女の人柄が周りの人達を動かし助けたのだと思える。


 卒業という意味では、RGRの活動に於いて最も縁深かった作品『キラッとプリ☆チャン』が終了。三年の刻で彼女達が得られた経験は本当に大きなモノで、林さん曰く青春は全てプリチャンに捧げたとまで言わしめた程にRGRの歴史に残るモノなのだろう。

作品は終わったが、彼女達が魂を懸けて吹き込んだキャラクターたちとの縁は途切れない。
挑戦する事の意義と変わろうとする本気の想いはこれからも彼女達の魂にあるものだと思えてならない。表現者としてこれほどまで強い縁で結びついた作品に関われたという事は、RGRにとって素晴らしい宝物ではないだろうか。

 

 彼女達が抱く遠い理想。当然ながら簡単に辿り着けたり手に入れられるモノでもない。
だからこそ止まってなんかいられない。いろいろチャレンジしていい事も悪い事も落とし込んでその成果がRGRの“血”と“肉”になる。

才能がなければどうしようもない、あってもどうしようもない。何一つままならない世界だからこそ、どこまで彼女達のエゴを貫き通せるか。どこまで己と仲間を信じて前へと駆けられるか。どんなに不格好で泥臭くて脛に傷を負いながらも駆ける事=生きる事を諦めない。

曖昧模糊な未来の刻と景色を鮮明にする。何者でもなかった小さな存在が“ジブン”という確固たる理想の存在になる為の闘いはまだまだこれから。

今後も、グループ活動という枠では得られない数多の縁との巡り逢いがもたらす経験や交流が、RGRというホームに活かされるのかは、各メンバーの意識やモチベーション、自身のこれからのキャリアや目標・夢を見据えたモノになっていくと思う。

これからの軌跡でその本気の想いを魅せ付けて欲しい。いまだに彼女達を認めない人達をねじ伏せて黙らせろ。運に見放されたのなら力ずくでも引き寄せろ。しぶとくて諦めの悪いこの三人ならきっとやってくれると信じている。もっと『Run Girls, Run!』を知ってもらいたい。

 

 若きセンターの歌姫・林鼓子の魂の絶唱を。

 

 愛嬌のファンタジスタ森嶋優花の躍動する姿を。

 

 魅惑と魔性の領域・厚木那奈美の流麗かつ凛とした佇まいを。

 

 三者三様、それぞれが異なる個の力と輝きの強さをもっと知ってもらいたいと願う。

 

 最後になりましたが……『Run Girls, Run!』結成4周年おめでとうございます!!!
Run Girls, Run!』でいられる刻を大切にして、この三人で何かを成し遂げたい想いを見ていきたい。駆ける軌跡に出来るだけ迫って応援していきたい。


RGR及び、林鼓子さん、森嶋優花さん、厚木那奈美さんの新たな年が幸多き事と更なる雄飛の機が多く訪れる事を願います。

 

そして、信じて待っています。


Run Girls, Run!4th Anniversary LIVE Run 4 You!!!』が無事に開催される刻を!!!