巡礼者のかく語りき

自由気ままに書き綴る雑記帳

もう一つの『ありがとう』~約束の地での『未来』への謳に寄せて。

 今年も、この日……3月8日が普通にやって来た。


人によっては、誕生日であったり、命日でもあったり……新しい生活の門出の日だったり、何もないいつも通りの日だったりと多種多様。

 
そして、想いを巡らせる特別な日でもある。


その、想いというヤツだが……人の捉え方によっては過去の想い出に魂を引っ張られた未練にしか捉えられないかもしれないが、歴史に想いを馳せる事は悪い事ではないと思える。
この3月8日という一日は、自分にとって一つの歴史に想いを馳せる特別な一日だという事だ。

だからこそ、今からここに何の恥ずかしげもない妄想に塗れた文章を書き殴るなんて思考でもって筆を執った。


 遡る事、二年前のこの日は『Wake Up, Girls! FINAL LIVE~想い出のパレード~』が開催された日。でも、今回書き殴っていくのはこのライブ本編の事じゃなく本番に先駆けて行われた公開リハーサル。そこでしか謳われなかったある楽曲について思う所をいろいろ書いていこうと思う。


ちなみに……当時の俺はこのリハーサルには参戦しておらん。
だから、ここから書く事は謳われた楽曲の真意みたいなモノを妄想全開にて好き勝手に書き殴った一人のおっさんの妄言。あの刻と場に参戦された方でもしこの駄文を読んで下さって解釈の補足や訂正、俺への苦情等ございましたらどんどん仰って下さい。

 

 

 

 『未来』という刻への想いと覚悟

 

 2019.3.8。其れは一つの魂の炎が消えた日だが、七色の魂の炎に火が点いた日でもある。
縁起でもない物言いだが……命日でもあるし、誕生日でもあった『未来』の軌跡への第一歩。


ある人……永野愛理さんはかつてこんな事を言っていた。

 

  意味の無いセトリだと頑張れないから。

  だから、意味の無いセトリなんて一個も無いんですよね。

  Wake Up,Girls!のライブにとって。

 

 意味のないセトリ。ライブ本番にて謳われる諸々の楽曲の事を指しているのは当然だが、それは公開リハーサルに於いても同様なモノがあると自分は思えてならないのだと。
リハーサルという名目はあれど、七人とワグナー諸氏にとっては本番の戦と変わりないテンションをもって臨んだのだろう。

この本文内で幾度も出ている『未来』という言葉。数多あるWUG楽曲の中で『未来』と名付けられた楽曲はこの楽曲『止まらない未来』しかない。そして、このリハーサルでしか披露されていない楽曲。

『止まらない未来』という楽曲はWUGの楽曲ではなく、アニメ作中で登場するライバル(ボス)ユニットであるI-1clubの楽曲。本番でこの楽曲は歌わないという事で歌ったという。


 I-1楽曲をWUGが歌う事は、WUGのライブに於いて魅力の一つだと思っている。
初期の頃からファイナルライブツアーまでの軌跡の中にて幾度も七人によって歌われて来た。ファイナルツアーでもある楽曲を除いて変わらず披露されて来た。


そう、『止まらない未来』以外の楽曲はだ。

 

 さて、ここからは俺の完全な推測の域である事を予め言っておく。


何故、『止まらない未来』をファイナルツアーの中で一度も歌わずに最期のライブが開催される『約束の地』さいたまスーパーアリーナまで取っておいたのか?

歌う機会はおそらく幾らでもあったし作れたはず。でも、彼女達は頑として歌う事はなかった。

楽曲を披露する最適な機会というのは必ずあるモノ。その刻と機と場が必ず来ると信じて七人は大切にとっておいたのかもしれない。

SSAは作中に於いて、I-1アリーナのモデルとなった地。ライブ本編で歌われるのがいいのだろうが、最期のライブではそれは無粋な行為だと思うしあくまでもカバーという要素は払拭出来ない。だが、公開リハーサルという隠れ蓑を纏えば無粋な要素も隠せる……

『止まらない未来』という楽曲は、I-1が勝負と矜持を懸けた楽曲だと思っている。
この日から未来の刻へと挑む七人は、強くあろうとするために止まらずに闘い続けるI-1clubの絶対王者としての魂に寄り添おうとして歌う事を決意したのかもしれない。


この楽曲は、鈴木萌歌のセンター楽曲でもある。彼女は『新章』の最終回にてWUGが歌う『polaris』を歌うという描写がなされている。それは何か見えない力によって背を押されたかのようにはにかみながらも吹っ切れた様に歌った。

これも、妄想の域なんだけれど……WUGの傍らにI-1メンバー達の魂もこの『約束の地・刻』に寄り添ってWUGの背中を押してあげていた……と思いたいのだ。

 

 

 

  見えないものも、自分の事も信じてる。そして、その先へ……

 

 

 『これからもたくさんの「ありがとう」を届けさせてください!!』


 『今日、ファイナルを迎えても、関係なく私に根付いています。だから、絶対つないでいく!』


 『私を信じて、ついてきてください!』


 『Wake Up, Girls!をこれからもよろしくお願いします!』


 『満開だけが魅力のすべてではない桜。そんな桜のような人間に私はなります。』


 『ちゃんと私がここに選ばれた意味を作らなければと想う気持ちは、明日以降も変わりません。』


 『これからも元気で生きてください!』

 

 これらは七人が誓った未来の刻への誓いの言の葉。自分はこう捉えている。


想いの相互循環という信念をこれからも貫き通す事。


駆け抜けた六年の刻と軌跡が自らの核となり未来の刻へと駆け出すと一歩になると。


ただ真っ直ぐに自分を信じてついて来いと。最高の景色を魅せてやるからと。導き、期待に応え続ける者としての矜持を示し……


あの刻に確かに存在していた事実を未来へと語り継ぐ事を我々に託した。


皆を愛し愛される愛の理を持ち、そう在りたい、なりたいと誓う。


ここで生きる事への意味を魂に刻んで未来へ臨むという事。


ただただ、未来の刻をしっかり生きろと。

 

 出逢いがあれば別れもある。それは避ける事の出来ない自然の理。
そして、人の眸が背中に付いていないのは前…即ち未来へと向かって生きる為。
七人は未来への刻へ踏み出す事に怯えちゃいなかった。これらの言の葉は彼女達の本能からの声なのだと。

未来の刻とは目に見えないモノ。未知の存在を恐れるのは人の本能だとも言われる。
だが、そのネガティブな感情は悪い気を引き寄せてしまう。


 いつも通りを 進んでいても
 
 違う風景のように見える そんな日は

 
 何かに出逢うかもしれない

 
 楽しみに おそれないで

 
 ―I-1club『止まらない未来』より引用
 


 自分は、当時前職を辞して新しい軌跡への岐路にあった。
この先どうなるかは本当に分からんかったし、未知の領域に不安や怖れを抱いていた。
今だから言ってしまうが手紙を読む所で、青山吉能さんが『みんなの人生も、明日から第2章です。』と言った時、胸に鋭い楔が撃ち込まれた感覚を抱いたモノだ。

未来への不安という点では、俺だけではなく多くのワグナー諸氏が同様に抱いていた様にも思える。

きっちりと受け入れて前に進める人もいたり、人生の岐路に立っていた人もいただろう。
あの刻を境に燃え尽きた人もいるだろう。ありとあらゆる生き方を取り巻く様に刻の流れは悠然と淡々と刻み進んでいっている。これも自然の理だ。


未来に怯えず、今の刻を全力で生きる。難しい事だし綺麗事。ポジティブな感情を抱いたとしてもそう上手く事は運ばないモノだ。でも、この七人が遺した数多の想いや魂とこれから紡がれる新しい『物語』が、我々の魂に何度でも火を点けてくれる。


その魂の炎は見えないが誰にでもあるその人にしか見えないモノ。それを信じる事が自分自身を信じられる事に繋がっているのではないだろうか。

 

 

 最後に……この言葉を綴って筆を置きたいと思う。

 


当時、直に聴く事は叶わなかったけれど……
SSAで『止まらない未来』を謳ってくれて、本当にありがとう。

 

 

 

 

 

『夢でまたね』へのFirst impressionと繋がる系譜

 今回の記事、ある楽曲についての独自考察・所感になりますが……
いつも以上に、暴論&妄想全開のエゴを満たしたいだけとなったモノとなっていて、それが一部の方にとっては非常に不快極まりないモノと捉えられるかもしれません。

ただ、誤解しないでいただきたいのは、この楽曲や携わった人達への敬意や尊ぶ心情は持ち合わせて、この楽曲に対しきちんと向き合い考えて導き出した『解』を文章という形式にて解き放ちたいを思って筆を執った所存。これも一つの解釈と所感という事でどうか暖かい目をもって読んでいだだけると幸いであります。

 

その楽曲がこちらの楽曲となる。

 

 

 
 夢でまたね/奧野香耶

 

 

 まず、この楽曲は2021年2月28日に開催された奧野香耶さんのバースディイベント
『ポチャッコ♡かやたんのらぶらぶバースデーPARTY』で歌われた楽曲。
で、そのイベントのグッズの一つにこの楽曲の音源が販売された。

このイベントは、現地開催だけではなく有料配信にて視聴する事が出来る。
(3/7の23:59までアーカイブが残って視聴可能)


楽曲のテーマになっているのは、『かやたん』(おそらく奧野香耶という存在とは別の存在か?)というキャラクターのキャラクターソングだという事が奧野さんの口から発せられたモノである。
この楽曲はそういう楽曲であると表現者が明言した以上それ以外の解釈をする事や、なおかつ、イベントのパンフレットにこの楽曲の制作秘話らしいモノが記載されたというからそれ以外の解釈をしてしまう事はタブー以外の何物でもない……


だが、この楽曲を聴き、その後に奧野さんが歌ったある楽曲がその概念を壊したのだ。

 

その楽曲は昼公演で歌われた『あのね』である。

 

 そして、『夢でまたね』という楽曲は『あのね』の系譜を継ぎ、続編としての位置にある楽曲。
詞の構成と言葉選びとを照らし合わせてみるとその関連性はより強いモノではないかと思えてしまうのだ。

前述でも触れたが『夢でまたね』という楽曲は『かやたん』のキャラソンだと。で、『かやたん』と『ポチャッコ』との絆を謳った楽曲でもある。一方で『あのね』は一組の男女の恋愛模様をテーマにした楽曲。

恋慕の情を一旦取り払って掘り下げて考えていくと、二人の縁と繋がりをテーマにしている事はこの二曲に共通している事ではないだろうかと自分は感じたのだ。


 『あのね』で描写しているのは、二人の間で共有している根幹の想いはあるけれども、距離と刻のすれ違いによって関係が終焉してしまう経過だと。

で、『夢でまたね』で描写されているのは『あのね』の後の刻の心情描写だと解釈した。
『かやたん』の存在を『あのね』で描かれる少女だとして歌詞を紐解いていくと楽曲の世界観が繋がっている様に思えるのだ。何しろ『夢でまたね』の制作陣は『あのね』を作った人達。
作詞は、奧野さんと古屋真氏。作曲は重永亮介氏によるモノ。楽曲の繋がりの強さを印象付けさせても不思議の無い要素で、それを自分が確信したのが以下の節々だ。

 

 夢の中で会いたい 星空アン・ドゥ・トロワ 

 思い出を巡ろうよ 手を繋いで

 叶わなかった恋の行方も あの日言えなかった言葉も

 抱きしめてぐっと手繰り寄せたら 胸の奥で光ってる大切なオルゴール
 

 ―奧野香耶『夢でまたね』より引用

 

 歌詞の方は配信観ながら文字起こししたモノなので正確ではないが……
上記の箇所が『あのね』との関連性を強いモノとさせる箇所だと感じた。

この楽曲の曲調は、まるで夢の中にいるかの様な浮遊感やヒーリング的な聴き心地の良いモノになっている印象。奧野さんの歌声も曲調に摺り寄せた柔和な歌声になっている。
また、夢というモノは心象世界を模している様にも捉えられる。

ちなみに、バースディイベントの夜の部に於いて、もう一つの奧野さんのソロ楽曲である『Why am I』が歌われた。『Why am I』で描写されているのは、過去の自分と対話している内省的な要素。この楽曲は違う人による制作だが、奧野さんが歌うという枠で括られているし世界観の繋がりがあると思える。

話がずれたので戻すが……上記の節々がこの楽曲の要になっている箇所だと自分は考えている。少女の夢(心象世界)では想いを素直に伝えられなくて叶わなかった恋模様への後悔の念が窺え、二人との絆の象徴になるオルゴールを大事に持っている。おそらく『あのね』のイントロとアウトロで流れるオルゴールはコイツなのだろう。

物理的なモノかもしれないし、形は無いシンボル的なモノかは明確な描写がないが、少女と彼との想いの繋がりはまだ消えていなくて残っている。ちなみにこのオルゴールは最後の一音が無いらしいという考察があるという。音が鳴らない=壊れている。二人の拗れた関係を示すモノでもあったのだ。


そして、少女はこう願う。

in my dream(私の夢の中で) stay with me(私と一緒にいて)と。


 奧野さんの三曲のソロ楽曲で共通されているのは、最後で吹っ切れた心情描写が詞に盛り込まれている点である。壊れたオルゴールや負の感情を抱きながらも前向きになっていく。
雨はやがて止んで青空が覗き、季節が巡って春が来て、しっかりと道を歩んでいく。
互いに想いを寄せた刻の想い出を胸に抱いて、彼の姿は傍らに無くてもだ。

奧野さんがこのバースディイベントで『Why am I』や『あのね』を謳った事は彼女のソロ楽曲という括りだけという単純な事ではないと自分は勝手ながら思えてならないのである。
取り巻く全てに意味があり無駄ではない。それは偶然の産物ではなく必然な縁なのだと。

 

 

 と、まあ……配信を観て強烈なインプレッションを抱き
『夢でまたね』という楽曲についての事を好き勝手に書き殴ってしまいました。
後日、通販にてこのバースディイベントのグッズが購入出来るとの事で、音源をじっくり傾聴してパンフレットに記載された楽曲についての事を照らし合わせて書くのが良かったのですが……
ファーストインプレッションを残しておきたいという想いが勝って書きたい想いが芽生えました。

冒頭にも書きましたが、ここまで書いたモノは完全な暴論&妄想による自分のエゴを満たしたいだけのモノで、これが正解で最適なモノなんて言うつもりは一切ありません。

奧野香耶さんを特別に推しているワケでは無い自分がこれを書く事は非常におこがましい事。
彼女の独自の領域に1%も踏み込めていないが……踏み込もうとする努力はしたつもりだと思っています。


 見当違いなのは承知の上。でも、感じた事は偽り無く書きたかった。
後日、購入出来るようになったら音源とパンフレットを見てもっと『夢でまたね』にきっちりと向き合いたいものであります。

 

 

 

 

2021Jリーグ開幕ッ!!

 昨日、今季のJリーグが開幕した。
今季もまた見どころが多くありそうなシーズンになる根拠のない予感がしている次第だ。


 昨季、圧倒的で理不尽なまでのアタッキング・フットボールで優勝を飾った川崎フロンターレの連覇なるのか?それをどう止めていくのか的な川崎包囲網が形成され闘っていくのか。

Jリーグの最大の魅力である(注:俺の勝手な見解だが)どこが優勝&躍進していくか読めない群雄割拠的な乱戦になっていくのか?

更に、今季は参戦チームが二枠増えて20チームあり、なおかつ降格が下位4チームになるという
これまた異例なシーズンでもある。


 前述の通り、川崎フロンターレの戦力充実度が他のチームより抜けているという事実があって昨日観た開幕戦での試合を観た感じだと、今季も手強い(なんてモノではない……)インプレッションを抱いてしまったのである。

で、ダークホース的な存在の最右翼に挙げられているのが、オフに大規模補強をした清水エスパルス。守備と堅実な戦術構築に定評のあるロティーナを招聘し、各ポジションに的確な補強をして来ている印象。問題は戦術や新加入選手が十分なフィットするまでの時間だが基本戦術が守備重視だろうから大崩れはないと見ているがどうなるか。


(ちなみに、開幕戦の鹿島線は勝ったとの事)

 

 さて、俺が応援しておるFC東京の開幕戦は、アウェーにて浦和レッズと闘った。
どこが相手でも簡単な試合ではないが、浦和はやっぱり特別な位置にいる存在だ。


試合は、後半に先制されるが終了間際にセットプレーから森重のゴールにて追いついてそのままドローという結果に。2012年のホーム浦和戦のゴールを彷彿させる激熱なヘッドだった……


開幕戦という事もあっただろうが、ウチの動きは固くよろしいモノではなかったのかもしれないが、それ以上に浦和の動きが全然違った。前線からアグレッシブに動いてプレスに行くスタイルは本当に厄介で中盤でこちらにボールが収まりずらく、そこから攻撃の組み立てに苦心していた印象。特に、小泉と明本の動きの質がダントツに良かった。迂闊なパスなんか出そうモンならすかさず寄せられ刈られて自陣深くで起点作られるぞ。他のチームは気を付けた方がいい。


さて、FC東京の方だが……前述の様に動きはよろしくなかったし、個の力頼りの攻撃は相変わらずだったが、新加入でJ1デビューの渡邊凌磨のプレーは面白いモノを感じた。ハードワーク出来てきっちり走れる走力が持ち味との事なので今後もっと活躍出来そうな感じだ。

一方で、アンカーに入ったアルトゥ―ル・シルバ。コ…じゃなく彼のアンカーは危なかっしい事この上ない。球捌けない、ポジショニングもよろしくないの三点盛だ。彼を使うのはインサイドハーフが最適な様にも思える。勿論、この一戦だけで判断を決められるモノではないが……


 ネガティブなインプレッションが多くある難しい試合ではあったが、その中で勝ち点を取れた事やクリアしなければならない課題を突き付けられた事は収穫であり前向きに捉えたい。
次節はホーム開幕戦。ココは落としてはならない闘い頑張って勝って欲しいモノである。

 

 

 

 

RGR楽曲ライナーノーツ#13 ランガリング・シンガソング

 どうも。RGR楽曲私的ライナーノーツシリーズのお時間です。

 

 

今回で、『Run Girls, Run!』の1stアルバム『Run Girls, World!』に収録された楽曲解釈&所感は最後になる。

 

この楽曲は、1stアルバムにおけるリードトラック。それはこのアルバムの中で最も世間にアピールしたい楽曲。だからこそ一番最初のトラックではなくラストトラックに据える事に意味があったと自分は勝手に思っているのだ。

 


 

 

 
  ランガリング・シンガソング

 

 

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www.youtube.com


 
 原初の楽曲『カケル×カケル』、デビューシングル『スライドライド』、ターニングポイント的な『Break the Blue!!』『never-ending!!』と繋いできたアンセムとしての系譜に連なる楽曲。ただし、これは自分が勝手にほざいておるだけなので、曲調や世界観でみると『カケル×カケル』の続編的な楽曲だというのが多くの人の見解ではないだろうか。


そして、『Run Girls, Run!』が勝負を仕掛ける為の『闘いの謳』でもある。


 この楽曲を『闘いの謳』と自分が評したのは、これまでのRGR楽曲にはなかった『生々しさ』や『泥臭さ』といった生きようという執念めいたモノを感じたからである。軽快で疾走感溢れるバンドサウンドからは生々しさと泥臭い執念は感じられない。だが、歌う彼女達はそうじゃなかった。
今、抱いているむき出しの感情を余すところなくぶつける歌い方をしている。それに惹かれてしまうのだ。


三人はオーディションを勝ち抜いた結果『Run Girls, Run!』のメンバーとなった。
当然ながら、勝ち抜く為には技術的に光る『上手い』モノがあった事も要因だったと思う。
但し、その『上手い』要素は表現者としての一つの要素でしかないのも事実としてあり、それのみで闘って渡っていけるほど易しい世界ではない。それは彼女達が実際に表現の世界でこれまで闘って来て痛感させられたことだと思える。歌い出しの最初の節はその心情を表しているのではないだろうか。

 

 走るために生まれてきた

 でもまだ たりない たりない


 ―Run Girls, Run!『ランガリング・シンガソング』より引用

 

 楽曲の進行と並行する様に、燃え滾る情熱をメロディに乗せていくのではなく、最初から全力全開で今の彼女達が感じている想いと魂を解放するかの如く『たりない』と吠える。それによってこの楽曲が生々しい執念を謳う『闘いの謳』であるという事を強烈に訴えかける。

包み隠さない生の感情を曝す事で、この楽曲が今までの楽曲とは違ったベクトルで魅せて聴かせる事への興味をリスナーへと印象付けさせていく。だからこそ詞の所々に散りばめられたネガティブなワードが更なるエモーションを引き立たせていく。

 

 くやしさから 見上げたんだ 理想はまだ遠い

 眩しい光に澄んだその眼に 到らない私は映ってますか

 なにかと比べて落ちこむことで 少しずつライフを削ってしまう


 ―Run Girls, Run!『ランガリング・シンガソング』より引用

 

 
 林さんは、この楽曲を今の自分達に共感できるポイントがすごく多い楽曲と評し、森嶋さんは、胸がグッと熱くなる楽曲と評し、厚木さんは、暗いかと思うが、いつもは見せないありのままの三人を表現している楽曲であると評されている。

これらの節はこの楽曲のネガティブ……負の感情の極致になる要素で三人が抱く感情でもあるのだろう。特に、『至らない私』と『なにかと比べて落ち込む』のワードが突き刺さって来る。

世の中を生きていく上で……何かと比較したりされたりは絶対に避けられない理と人の性(さが)だ。彼女達が身を置く表現の世界は正解や満点が無いけど、時には比較して白黒付けなければならない矛盾が存在しているのも事実で、他者から認められるというのもその中に含まれる。

駆ける事を止めるのは簡単。だが、徹底的に打ちのめされても彼女達にその選択肢はない。
何故なら、駆ける事を諦めるのは生きる事を諦めて死ぬ事と同義で、『ゴールで死ぬ』という詞はそれを直に表していてハッキリと『いやだ!!!』と吠えている。それは彼女達の生きようとする執念と本能の叫びなのだろう。

ちなみにここは二番のサビ前からサビへと至る箇所。
敢えて盛り上がる箇所にてネガティブなワードを歌う事で、弱い自分達を受け入れて現状に抗い変わりたいという本気の想いと闘う意志を示す。それがこの楽曲を『闘いの謳』であるというインプレッションを植え付けるモノだと勝手ながら思ってしまうのである。

 

 そして……まだ『ランガリング・シンガソング』という楽曲は真に完成していない。
詞を紡いで、メロディを奏で、彼女達が歌って形になってリリースされていてもだ。別の言い方すると、魂は宿っているが血が流れていない状態だ。


自分がその解釈に至ったカギになったのが、『ランガリング・シンガソング』という曲題とアルバムの(CD+Blu-ray版の方の)ジャケット写真。


 まず、曲題の方で気になるのが『リング』と『シンガソング』というワードだ。
『リング』は指輪ではなく輪(環)になるという意味で付けられたと思える。彼女達が手を取り合った絆でもあるし、彼女達とランナーとの繋がりという意味でもあるのだろう。また、MVで彼女達が手紙を渡されて読むシーンがあるが、その手紙はランナー諸氏からのモノだと表現していると言う。これも、『輪』の一旦を成す要素だと思う。

手紙の件だけではなく、この楽曲のMVでは彼女達の日常を描いたモノになっている。
休日の過ごし方やレッスンだったり、着飾って歌い踊る姿。どれもRGRには欠かせない日常の姿だ。これは見せなくて他の要素で演出しても問題の無い事だが、この楽曲のテーマとされる生々しい感情を見せるという事を考えてみると、現実のRGRと映像でのRGRを摺り寄せリンクさせる事は意味がちゃんとあって、等身大のありのまま今という刻を生きている私達を見て欲しいというメッセージに結びついているのだろう。


想いを文章という形にする人がいて、それを受け取る人達がいる。
想いを形にする為の手段は、文章に限らず多種多様に現在の世では存在するが、たった一つ変わらない事がある。


それは、人しか放つ事が出来なくて、人しか受け取る事しか出来ない事だ。


彼女達がこれまでの軌跡を駆けて来た中で、色々な想いのカタチを受け取って返した事だろう。
それは思い出になって彼女達の大きな糧にもなっていると思う。それがあったからこの楽曲をきっちりと歌う事が出来て、『私達の為の楽曲なんだ!』と言う三人の言葉がちゃんと意味のあるモノだと感じられる。この楽曲に叩き上げの荒削りな魂を感じるのはその影響があるのだと思う。


で、それ(ランガとランナーとの繋がり)をビジュアル化したのが、ジャケットの写真だ。

 

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走っている三人がゴールテープを切り、それぞれがどこか遠くの方を見ている構図になっている。ゴールとは言っても終わったのではなく一つの区切りとしてのゴールという意味だと考えられる。そして、彼女達が見ているのは未来の軌跡でもあり、ステージから見ているランナーでもある様にも見えなくない。


リリース当時のインタビューの中で、彼女達はこの楽曲をライブで自分達が歌った際に彼女達がどういう心情になっているのか?また、ランナーがどういうインプレッションとレスポンスになるのかは未知の領域だと語った。曲題の『シンガソング』=『sing a song』は彼女達が歌う意味でもあるが……けど、皆で歌うという意味の『シンガロング』にも掛かっていると自分は思えてならないのだ。それを証明し、この楽曲の要となる箇所がある。

 

 

 好きだよ 好きだよ 叫んでいる

 (Run Girls, Run!)

 とどいて とどいて 熱い想い

    (のせて走れ!)


 ―Run Girls, Run!『ランガリング・シンガソング』より引用

 

 

 彼女達は偽り無い本気の想いをとどけたいと謳い、ランナー諸氏は彼女達の名を叫ぶ。
この箇所を彼女達とランナー諸氏が一緒に歌った時、この楽曲に血が流れて真に完成する。
観客の前で歌われる事は叶ったが、現状、諸々の制限があって一緒に歌うという事はまだ叶っていない(……はず)

それが叶った刻と機会と場で……音と彼女達の歌声が更に熱を帯びて、メロデイは血が流れて全身に巡って魂が鼓動する。瞼を閉じてRGRが歌いランナーが吠える光景と音をイメージするだけで心が戦いで魂が爆ぜる衝動に駆られてしまう……本物の現場にてそれが観れて体験したい……!!!

 
 この楽曲は勝ち残って生き延びる為に彼女達がココロから引き抜いた『剣』。
綻び、折れかけた事は数え切れないが、彼女達は熱を与えて叩きまくって鍛え上げた。

 

 ユニットの略称が付けられた彼女達だけの楽曲をより強くしようという気持ち。

 林鼓子の伸びやかで張りがある力強い歌声。


 森嶋優花の溌剌で低音域に秘められた凛とした歌声。


 厚木那奈美の繊細ながらも芯がきっちりされた柔和な歌声による三者三様の個の力。

 
   そして、まだ伸び代が未知数な将来の可能性……

 
まさに、『Run Girls, Run!』の為だけに作られた楽曲。
誰の為でもない、まごう事無く純然にRGRを輝かせる為のアンセム

歌う者に相応しい楽曲と、楽曲に相応しい歌う者。
それがきっちりと一部の隙間なく揃った。そんな偽り無い本気の想いが詰まった楽曲が弱いワケがない。だからこそこの楽曲を初めてのアルバムのリードトラック&ラストトラックに据えた。
何かのタイアップという後ろ盾はこの楽曲には無く、完全に退路を断つ潔さ。
その潔さも『闘いの謳』というインプレッションを濃密なモノにしているのだ。


それは、綺麗に締め括る為じゃない。ここから突き進む為に覚悟を持って肚を括った。
闘う準備は出来ている。過去から今、そして未来の刻に……全ての縁と時間軸に意味を持たせて止まらずに駆けるだけ。彼女達の眸は前を見据えて前に向かう為にあるのだから。

 

 

 

 

 

後工程にはきっちりと伝えなきゃ駄目だという話。

 言った、言わないでトラブルになるのはよくある話である。

 


自分の職場にて、先日その言った言わないの類のトラブルが自分の所属部署じゃない所で起きた。それが分かったというか、大事にまでなったのは会議の席で議題に上がったそうな。

その言った言わないの内容を言う前に、製造業の業務の流れをざっくりと説明していくと……

営業が客先から仕事を取って来る&直に製品の制作依頼が来て、まず製品の概要や仕様、そして納期を記載した作業指示書を作成して、設計→製作→仕上げ→包装・発送へと
流れていく仕組みにウチの職場はなっている。


で、言った言わないのトラブルが一番高い確率で起こるのが、次工程の受け渡しの所だ。


製品なり、書類を決められた所に置いておくだけでも何の滞りも無く次工程の業務に移れる事はあるけれども、イレギュラーのケースで流れてきたモノに対してはそれでは通じないモノだ。

作業が遅れてギリギリの日程、特殊な工程を後工程でしなくてはならない物、受け取る側の人がまだ業務に慣れていない人……etc

口頭で伝える事が一番多いが、その置き場所にいつも人が居るとも限らない。
何か一筆注意事項を書いたメモを添えておくか、後で時間を見計らって電話するか、その部署にあるPCへメールするとか伝える方法は口頭以外にもある。そして、その進展状況の確認やら情報の共有もしなくてはならない。

何の問題も無ければ、その決められた受け渡しの場所にモノや書類を置くのは良いが、そうでない特殊なモノを何の考えなしに、置いとけばいいだろ的な考えでおくのはあってはならない。
サイコメトラーニュータイプがいればいいのだが、そんな人間ウチの職場にはおらん。


話を戻して、そのトラブルは自分の所属する隣の部署であった。隣の部署とは陸続きでそうそう広いスペースは無い為、隣から声は駄々洩れでこんな声が聞こえた。


 『誰だ、ここにコレ(製品)置いたの?』

 『いや~分からないです。』

 『これ何も書いてないし、仕様や期限が全く分からん。』

 『あーそんなのやってる時間はない。後に回そう』


はい、色々やらかしてますね。この犯人は営業の人間だ。
前述にあるここに置いとけば後はそこの仕上げ部署の人がやってくれるだろう。という浅はかな考えでただモノを置き去りにしただけだ。しかもそいつは常習犯だ。


ちなみにその置いた製品は特殊なモノで納期の余裕もそんなにない。書置きも無けりゃ後で連絡もなかったらしい。勿論、進展状況の確認や相談もしちゃいない。案の定、納期遅延にまで発展したらしい。


仕上げ部門のほうから逆に置いた奴に対して連絡すればいい話でもあるが、そもそも特殊なケースの仕事に対してきっちりと後に伝える事を怠った奴が一番の問題。こいつのせいで、作業の手を止めて余計な情報確認の時間が浪費される。場合によってはスケジュールの大幅な変更をしなければならないし、相談して情報を互いに共有しなくてはいけない。


 議題に挙がった会議の話になるが……ウチは月二回会議があって、各部署がそれぞれ連絡事項や作業進展なり報告事項を挙げるワケだが、その巻き込まれた部署の人がそのトラブルを挙げたのはそうとう頭に来たのだろう。そりゃそうだ。勝手な都合でスケジュールを乱されて、その伝わらなかった情報に振り回されて、数字(=成果)が出なきゃ仕上げ部門が叩かれてはたまったものではないし、何より脳ミソが怒りで煮え滾る。

俺はその会議には出てないので、それを出席した上司から聞いたんだけれど、その議題のせいで会議が長引いたそうな……

ちなみに、その会議にやらかした営業も出席した(させられたのだろう)が、その連絡を怠った理由だが……


『忙しそうだったから、伝えられなかった』との事。


いくら何でもその言い訳は無いわ。もっと考えられんかったのか……
忙しいとは言えその伝達事項に掛かる時間はそう多いモノじゃないし、状況を察したのならば一筆書いたモノを残していくなり、後で連絡すれば良かっただろうに。もっとも、そいつが本気で反省しているかも怪しい。だからこそそいつを会議の場に出したのかもしれないが。

個人的な意見だが、そいつは本気で反省していないと思う。だからその程度の考えなしの弁明しか出来ないし、それで切り抜けられると思ってるのだと。

そのやらかした営業の人、経験の未熟な人ではなくベテランの人だってのが驚きだ。

でも、その域に達した人間はおそらく今後変わる事はないと思っている。

そいつの尻拭いを後工程の人間が負担するのは腹立たしい事この上ないが……こちらに要らぬ火の粉が降りかからない為には常に先手を打ってそうするしかないのだ。

前の職場でも一部いたが、製造関係の営業職の人はア〇が多いのか?

 

(個人の偏見です)

 


 自分の勝手な思い込みで仕事するなという言葉があるが、全てを察するなんて不可能だ。
きっちりと伝える為の手段を幾つかやらなければならないし、それは最低限の事でもある。他の部署で起こった事ではあるが、自分もそのうちやらかしかねない事ではあるので今回の事を教訓にし襟を正していこうと思う今日この頃であります。

 

 

 

 

 

 

鳴りやまない生命のパレード ―上手に思い出すという事―

 あの七人は謳った。『忘れないで。でも上手に忘れて』と。


こんな物言いをすると不快に思われるだろうが、俺個人の意見としては、彼女達がメロディに乗せて謳ったこのフレーズは彼女達のエゴ丸出しな魂の叫び。


だが、コレは単にエゴの叫びだと一蹴も出来ない。


忘れようと思えば思うほど、脳ミソにはしっかりと焼き付いてしまう……何とも皮肉な話であり、
そのジレンマを謳った様にも思えて来て、逆に『思い出さないで。でも上手に思い出して』と謳っている様にも思ってしまう。


歴史は上手に思い出すモノであるし、物を見て知り認識して、本当に知っていく事が一つの力であるという意見もある。


コレが、良いか悪いかなどと論ずるつもりはないし、単純に分けられるモノでもないのだ。

 

 


 つい先日、こんなツイートを目にした。(ここから本題)

 

 

 

 

 Wake Up,Girls!想い出のパレードBD同時再生上映会2021

 


 ちなみにコレは、公式のイベントではない。一人のワグナーが呼びかけた非公式な上映会。
要約すると、2021年3月8日にWUGのSSAファイナルライブのBDを各々で再生して観てその感想や熱いインプレッションをネットの海へと投げつけて感情を共有しようというモノだ。

必要なのは『Wake Up, Girls! FINAL LIVE ~想い出のパレード~』Blu-rayディスク。もしくは、『Wake Up, Girls! LIVE ALBUM ~想い出のパレード~』のCDやDL販売の音源。


この呼びかけは、昨年にもあって……その時は公式で『Wake Up, Girls! FINAL LIVE ~想い出のパレード~』上映会が各地の映画館にて開催されるはずだったが、知っての通りこの時期は
コロナウィルスの感染拡大を防ぐため、急遽上映会は中止になった経緯がある。


だが…話はそれで終わりではない。


あの七人が諦めが悪かった様に、ワグナーもまた諦めが悪い。ファンは推しに似ていくという説があるが……往生際の悪さ(褒めてる)は筋金入りだ。過去の例を見てもそうだったりする。

代表的なのが#~は諦めないというハッシュタグで色々呟きまくって実現にこぎつけた案件が幾つか存在している。

それと同じノリで昨年、Wake Up, Girls! FINAL LIVE ~想い出のパレード~ BD同時再生を非公式かつ自主的に呼びかけた所、色々な人達がそれに乗っかった。


本気の想いと魂による熱は他の人も巻き込む。


当時、ツイッターのトレンドで上位に入ったり、更にはWUG楽曲の作詞家、作曲家陣達が今だから言える話をSNS上にアップしたり、ファンもまたそれぞれの今だから言える話を思い思いにネットの海へと投げつけた。


それが、今年もまた非公式ながら開催される事になった。


この呼びかけ、様々な想いを抱いているだろう。


肯定的に捉えて乗っかり楽しもうとされる人。

一方で、あのライブから二年経ったんだからもういいんじゃないかと冷めて捉える人。

あの刻では間に合わなかったけど、雰囲気だけでも楽しみたいと思う人。


各々がライブ円盤購入して、個人で観りゃいいだけの話ではあるのだけれども、今の時代他者と繋がれるツールは沢山あってどうせならいろいろ巻き込んでやろうと。
その流れを快く迎え入れるか、鬱陶しいモノとして拒絶するかは個人の価値観次第だが…


俺は、こういうの嫌いではない。


むしろ、二年前、WUGに間に合わなかった人やごく最近WUGを知った人が参戦して欲しいと願っておる。歴が浅いとか情熱が薄いなんてモノは関係ない。その視点でしか捉えられないインプレッションは新鮮で面白いモノだと思っている。そもそも想いの熱量を比較するのはおかしな話だ。


そして、そのインプレッションをどうか言葉に乗せて解き放って欲しい。

そこには綺麗な整った文章なんて必要ありません。ただ感じた想いの丈をぶちまけりゃいい。


 ある楽曲の歌声やダンスが良かった。あそこのパートで見せた表情や佇まいが良い。
イメージとして見えたモノを書いていくのだっていいし、推しの子がただ可愛いと言うだけだっていい。

きっとそれは簡単なのではないでしょうか。

その想いの傍らに、この言の葉をつければその想いは誰かに伝わります。


#WUG_SSA #WUGSSA同時再生2021

 

 このライブタイトルをなぞる様に、皆さんの想いが繋がって列を成しパレードになって、もっと遠くへ多くの人に想いが届けばと切に願い、これにて筆を置かせていただく。

 

 

 

 

 

Jewelry Wonderlandに惹かれて、魅せられて……

 突然だが、I-1clubの楽曲で何が最も好きかと問われたら……

 

 

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 自分はJewelry Wonderland』を挙げる。迷いは無い。即決だ。

 


 何をもって、この楽曲に自分の魂が惹き寄せられて魅せられたのか?単に曲調が良いのもあるし、詞が紡ぐ世界観も良いモノ。


しかし、自分が最もこの楽曲に魂を揺さぶられた要素は、曲調や詞の世界観ではない。


謳うI-1 clubの生き様や生き残ろうとする執念。生々しい要素がこの楽曲の『核』を担っている。
その要素は、自分のエモーショナルな感情を強く刺激して惹かれるモノ。

 個人的な感覚で恐縮だが、この楽曲のみならずWUG楽曲には生々しい要素を感じてしまう楽曲が多くあって、物語に登場してくるグループに必ずそういう楽曲がある。それは、絶対王者のボス・グループであるI-1とて例外じゃない。物語の中の刻を生きているというしがらみの中にいて、その理からはどうやっても逃れられないのだ。ただの偶然なのか、きっちりと意図されて楽曲を制作していったのかは分からないが…


その要素を紐解く切っ掛けになる言を、奧野香耶さんはインタビューで仰っていた。

 

 

 

 7人で激しくダンスをして、雰囲気もすごく楽しそうなんだけど、

 どこか儚さがあるというか。明るい中にそういった影みたいなものが見え隠れするのが、


『WUG』の楽曲っぽさなのかもしれないなって思います。

 

 

 奧野さんが仰ったこの言葉が、自分がWUG楽曲に抱いている生々しい要素だと感じる。
それは、I-1もそうだし、ネクストストームや『カケル×カケル』もそうだ。だから、それは全くの偶然ではなく、意図して制作されていて『ただ明るいだけの楽曲』にしていない事を『MONACA』の田中秀和氏は仰られてもいた。あながち、自分が抱いたこの感覚は間違っていなかった事は嬉しいモノだったりする。


と、言うワケで、これから『Jewelry Wonderland』の何に魂を揺さぶられて好きだという事を書き殴っていこうと思う。で、毎度の事ながらの妄想&虚言であり、この楽曲の解釈は100%正しいなどというつもりは毛頭無い。自分はただこの楽曲が好きなだけのリスナーのうちの一人でしかない。


ちなみに『何故、この機で?』と問われると……


この記事を投稿するのは、1月31日。今から三年前のこの日にこの楽曲はリリースされた。
楽曲のリリース日は誕生日と言ってもいいと自分は思っている。三年という刻は一つの区切りだったりもする。そんな時期だから『Jewelry Wonderland』に想いを馳せて一筆したためたくなっただけなんだよね。

 

 

 

 


  Chapter1/ジャケットに描かれたモノクロの鈴木萌歌の生き様

 

 この楽曲はI-1楽曲『君とプログレス』のカップリング楽曲でもある。
リリース当時は特に気に留めなかったが、色々と独自考察を重ねていく内にモノクロで描かれた彼女の『WUG新章』での心情描写に繋がっているモノではないかと思えてしまうのだ。

萌歌が岩崎志保とのセンター争いを制し、決戦用楽曲『止まらない未来』で青い衣裳を身に纏って、『青』という色が彼女のイメージカラーとなった。


だが、I-1は『アイドルの祭典』=WUGに勝つ事は叶わなかった。次の年の『アイドルの祭典』で優勝はしたが萌歌の望む形=WUGを負かしてという結果ではなかった。
そんな彼女に追い打ちをかけるかの様に『新章』での萌歌はことごとく運に見放され、更には負傷まで負ってしまい新しいI-1の体制でセンターの座を剥奪されてしまう。


与えられた萌歌の『青』という魂の色は彩りを失くした。徹底的に打ちのめされたなんて優しいモノじゃない。木っ端微塵に何もかも壊され焼き尽くされて灰になったと見てもいい。彼女のアイドルとしてのキャリアに消す事の出来ない自分が負けたという現実…最大の屈辱感と挫折という傷が付いてしまった。


 言っておくが、灰になってモノクロになったと冗談やふざけて言ってるワケではない。
真面目にコレを書いていてその解釈をしている。『新章』の鈴木萌歌は輝く魂の色が無いのだ。
彼女にあてがわれた『青』は真の魂の色ではなかったのかもしれなく、実は何も掴み取っていなかったのだとも思える。でも、そこに望みがある。

以下の節は萌歌の生き残ろうとする強い意志……執念が滲みだしている箇所であり、自分がこの楽曲に生々しさを最も感じる部分である。

 


 知ってるの 私も 私も おんなじ
 
 (ほかの場所で生きられないの)
 
 
 ―I-1club『Jewelry Wonderland』より引用

 


 この楽曲はI-1の楽曲でもあるのは勿論だが、同時に鈴木萌歌のキャラクターソングでもあると勝手に思っている。

前述にある様にWUGに負けて以降、辛酸を嘗めて来た萌歌だがアイドルとして生きる事を諦めていない。岩崎志保がI-1を脱退した代わりとして彼女は返り咲く機を与えられるが、それは彼女の望んだ形ではない。それを突っぱねる事は出来たが、そうしなかったのは生きる事と自分の魂の色を取り戻す事……形振り構わず生きようとする意志を感じてしまうのだ。


 物語のエンディングで、萌歌は再びI-1のセンターの座に返り咲くが……彼女はその座を返上したとある。この時点でも彼女の魂の色はまだ確定されていないモノクロのままなのだろう。

何を思って萌歌がセンターを辞退したかは分からないが、彩りの無いモノクロのままの自分では駄目だと彼女は痛感していたのかもしれない。与えられる未来ではなく自身の力で勝ち取る未来に真の価値=真のセンターの姿があると。


苦悩を謳う楽曲でもあるが、自身にしか彩る事の出来ない色を探す闘いの謳でもあると自分は思えて、その要素が堪らなくて魂を揺さぶられてしまうのである。

 

 

 

 


  Chapter2/白を纏う事の意味

 

 

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 『Jewelry Wonderland』でI-1が纏う衣裳の色はこれまでのI-1ではおそらく無かった『白』を基調とした衣裳。頭に王冠の飾りがあるのはアイドル界の絶対王者の証だという事を誇示している様に見える。ここで語っていくのは『白』という要素である。


ちなみに、WUGの『Polaris』衣裳のティアラは各々形状が違う。
これは雑多な個性=WUGのアイデンティティを模しているのかと思っている。


 『白』という色のイメージは、光を反射する最も明るい色。
ポジティブでクリーンなイメージがあって、エンターテイメントと携わるアイドルを神聖で無垢な希望の存在として捉えていると思われる白木さんの信念が伺えて、楽曲が醸し出す上品でお洒落な魅力を一層際立だせていて、洗練され尽くされて一部の隙も見当たらない。

そして、白色には何か物事を始めたり、中途半端に放ったらかしっぱなしになっていた事などを一度全部手放し、心機一転また一から新たに再出発するという意味もあると言われてもいて、『新章』でのI-1の立ち位置的に再出発=アイドル業界を盛り立てる要素に繋がり……尚且つ、前述の項で触れたモノクロの鈴木萌歌の空虚というネガティブなイメージにも捉えられる。


 絶対王者としての変わらない洗練された矜持を持ちながらも、時勢の波に抗い変わろうとする想いと覚悟を持って、I-1では纏わなかった白を基調とした衣裳で『白星』を勝ち取る闘いへ赴く。


 洗練されたお洒落なインプレッションの中に潜んでいる生きる事への執念。
相反する要素なのは承知だが、『闘いの謳』であり『生命の謳』でもある様に自分はこの楽曲の『白』は表していて更に魅力を感じていると思うのである。

 

 

 

 

 

  Chapter3/変わらない魂、変わった血

 

 

 WUG楽曲の集大成となった『Polaris』は、東北への想いとメンバー達の絆に加えて人の負の感情まで含めている壮大な楽曲で自分は『アンセムソング』でもあると思っている。


で、『Jewelry Wonderland』も『Polaris』に比肩し、I-1楽曲の集大成と称するに相応しい楽曲。


 曲の冒頭からサビの間は、落ち着いた『静』の要素でメロディが構成されていて
詞もそれに伴ってなのか内省的な心情を描写している様に捉えられる。2番の冒頭の詞はそれを強く感じさせる。



 シークレットな ハートの深くに沈めた

 人間的な感情 宝石箱も持っている


 ―I-1club『Jewelry Wonderland』より引用



 I-1の一員であるならば、人としての感情を抑え込みアイドルとしての役目を全うする事。
ここでの『宝石箱』とは、I-1メンバーの事を指していてシークレットなハートに人の感情を沈める=抑え込む事なのだろう。特に2番の詞は負の感情を表に出した詞が多くある様に思う。


 で、サビ直前のパートを謳うある人物が負の要素を纏う『静』から、輝きを増す『動』へと舵をきっていく。この流れはこの楽曲の『要』の一つを成す要素で、リスナーのテンションも昂らせる。


そのある人物とは、I-1の新しい『血』である高科里佳(CV:上田麗奈)である。


里佳が歌うパートの詞にある『鏡を覗きこんだ』と『開くMagical Box』は抑え込んだ感情を解き放つ事を例えている様に感じる。自分は彼女達がいるのは鏡の中や箱の中だと思っていて、そこから飛び出して未知の領域へと進んで行くかのように里佳の歌声がポジティブで弾けたモノになる。

さながら、未知の領域へ導く役割を若い『血』である高科里佳に託したとも捉えられる。

 

 では、変わらない魂とは何か?その答えを持つ人物が謳うパートが二つ目の『要』だ。

 


 Dancing レッスンは

 血のにじむような 自分が見てた部屋の中だけ

 Show Timeに見せる輝きこそ


 ―I-1club『Jewelry Wonderland』より引用

 


 このパート、落ちサビを謳うのは近藤麻衣である。
ここの詞にI-1……白木さんの信念、変わらない魂の象徴があると思えるのだ。

そして、I-1がステージに出陣する際にキャプテンが鼓舞するために吠えるあの言葉。

 

 誰よりも激しく! 誰よりも美しく! 誰よりも正確に!

 

麻衣もキャプテンの任に就いていた頃に数え切れない程吠えてきた言葉。
最高のパフォーマンスを生み出す者は、連日の徹底した血の滲む様な努力とそれに裏打ちされたメンタル。でも、その努力している様子はファンの前で悟らせない事(自分の部屋の中だけ)が肝要。要はその細かい部分に於いても人間らしさを感じさせてはならない。

『神は細部に宿る』という格言があるが、I-1はそれを実践させている。

白木徹という男はアイドルを神聖な存在として捉えている。
ほんの些細な綻びによって神聖なモノが穢れて台無しになる。それはおそらく彼の中では忌むべき過去の傷跡として疼くのだろう。だからこそI-1では完璧なモノを追い求める。

そして、彼の信念をキャプテンの任を解かれてもなお、ステージの上で実践しようと懸命に闘う麻衣の胸中にあるのは彼女自身が輝き続ける事。

麻衣が謳うここのパートには、白木徹の信念もあるが、同時に近藤麻衣の貫くべき信念……変わらないI-1の魂が凝縮されている。神の領域へ挑もうとしているが人間の持つ生々しい要素も表している様にも思えてしまう。


でも、その相反する要素に魂が揺さぶられて、この楽曲がまた魅力的に感じられるのだ。

 

 

 

 

 

  終わりに

 

 

 長々と語ってみましたが、いかがだったでしょうか。
拙いながらも『Jewelry Wonderland』に惹かれて好きだという想いを吐き出してみました。

当然ですが、ここに書いて来たモノはあくまでも個人が感じて惹かれた要素をただ書き殴っただけで、それが楽曲全体の雰囲気を決定づけるモノではないし、この解釈が正解だというつもりもありません。

冒頭の件にもありますが、『Jewelry Wonderland』に想いを馳せてただ好きだという事を叫びたかっただけです。

劇中の場と刻を生きているI-1の少女達は、完璧な存在ではない。
WUGの七人の少女達と同様に、何かに翻弄されながらも抗い生きようと闘っている。

そんな彼女達に寄り添って物語を彩る楽曲陣は本当に素晴らしい。
他の楽曲についても踏み込んで何か書き残せればという想いは変わらずに自分の中にある。


そんな願いを以って、そろそろ筆を置かせていただきます。

 

 

 ここまで読んで下さって、本当にありがとうございました。