巡礼者のかく語りき

自由気ままに書き綴る雑記帳

outlander rhapsodyがver.FANTASIAに昇華した物語。

 どうも。あかとんぼ弐号でございます。

今回もまた『Wake Up, Girls! FINAL TOUR ‐HOME- PartⅡ~FANTASIA~』に関してです。

…円盤の所感を6000字以上書いておいてまだ書き足らんのか!と思われるでしょうがww今回は、ある楽曲に関しての新しい解釈について散文的なモノとして書き殴っておきたいと思い筆を取りました。
という事で毎度ながらの完全な自己満足でございますのでお気楽にお読み下さればと思います。


 で、そのある楽曲ですが『outlander rhapsody』です。
このファイナルツアーPartⅡに於いても数多くの楽曲が披露されたが、このPartⅡシリーズで最も強烈な印象を残したのがこの楽曲でした。


まずは前提として、何故この楽曲が印象に残る曲になったのか?という点から書いていく。


 PartⅡシリーズでは、ドラゴンに人々のイマジネーションが奪われ、ドラゴンを倒す為に八人の勇者を集めてドラゴンを倒すまでの物語としての演出がとられた。オープニングアクトの『スキノスキル』『outlander rhapsody』『リトル・チャレンジャー』はこの物語の中にて披露された。『outlander rhapsody』はドラゴンとの最終決戦の場面…所謂物語のクライマックスを担う楽曲として用いられる。
ライブ用にアレンジされた、2番終わり~Cメロまでの間奏部ではドラゴンに苦戦する四人(マユ、ヨシノ、ナナミ、カヤ)と、援軍として馳せ参じた三人(アイリ、ミナミ、ミユ)の姿が描かれドラゴンを討ち果たす。
強大な敵に果敢に挑み、絶体絶命の危機的状況にある者達に加勢して共闘し形勢逆転する流れ…ベタな展開と言ってしまえばそれまでだが、王道でいて激熱なモノです。


そう、ここなんです。PartⅡシリーズの要となった『outlander rhapsody』の更に要となった所が、この間奏部分に詰め込まれたと思えるのです。
そして…『outlander rhapsody ―ver.FANTASIA』に至る物語を紐解いていく鍵は、
もう一つのユニット楽曲『タイトロープラナウェイ』とドラゴンの存在であるのだと。

 

 


ドラゴンの象徴と存在

 

 ドラゴン=竜を退治する物語は古来から東洋や西洋で数多く存在しています。
自然の脅威としての存在であったり、人間に災いをもたらす存在であったりと様々。
または、権力の象徴としても捉えられてもいてドラゴン=強敵という印象にも繋がっていく。色々とドラゴンの存在への解釈はあるのだけれど、ここでの扱われ方として自分が解釈したのは人に仇なす=災いをもたらす存在がフィーチャーされてたと思えて、仇なす存在としてドラゴンを掘り下げていくと、人間の心に棲む悪と破壊的な力の象徴であり、人間の内面世界の居住者であるとも言われているらしいのです。

広義的に解釈すれば、人の負の感情(ネガティブな感情)としての解釈がドラゴンの存在として成り立っていて、『outlander rhapsody』の詞の一節に魔物という句がある様に、この物語のドラゴンは魔物の象徴であり、街や大人達という句はイマジネーションを奪われた世界の人々と置き換えて解釈出来る。人の負の感情を魔物という存在で具現化したモノは無数にあるが、ドラゴンという存在で表現させたのは、強大な敵としての権力的な象徴であり、見る側に伝わり易いメジャーな存在である魔物の種であるドラゴンをあてがったのだと思えます。

この物語でのドラゴンですが…八つの首を持つドラゴンとして扱われています。
八つ首の竜として真っ先に名前が出て来るモノと言えば…八岐大蛇(ヤマタノオロチ)が挙がって来ます。
細かい事は端折りますが、八岐大蛇の記述の中には生贄を喰らうという描写がある。この物語での生贄とは前述に挙げた人々から奪ったイマジネーションに繋がるモノと思われます。

そして…ドラゴンの持つ八つの首。

ドラゴンの存在を、人のネガティブな感情の具現化としての象徴という意味として考えてみると、未来への不安と恐怖という意味にも捉えられる様に思えるのです。ここで言う未来とはWUG解散後の刻。
PartⅡシリーズでは、解散という事実に向き合う事を印象付けさせる演目やMCでの言動が目立っていたとの事。このドラゴンの持つ八つの首はWUGの七人とワグナーを模したモノだったのではないでしょうか。

 斬り落とした首の行方がどうなっていったかは知る由もないのですが…八岐大蛇の首はそれぞれ違う方向を向いているとの記述があるとの事なので、彼女達七人とワグナーそれぞれの未来の刻へ往く事を喩えていた様にも思えなくもありません。

 

 


『タイトロープラナウェイ』から『outlander rhapsody』に繋がる物語

 

 この目で円盤を見るまでは、こんな事は微塵も思わなかった。
それぞれが独立した楽曲のアクトを披露したに過ぎなかっただけだと思ったが、違ったんです。


 もう一つのユニット楽曲である『タイトロープラナウェイ』。
この楽曲は『outlander rhapsody』に至る物語へ繋ぐアナザーストーリーとして存在し、PartⅠにて披露されたのではないでしょうか。

マユ達とは遠く離れた地で伝説の剣を持つ者同士として、アイリ、ミナミ、ミユが出逢い旅立った。旅の中で、もしかすると彼女達はマユ達よりも先にドラゴンに立ち向かったのかもしれない。

だが…ドラゴンに返り討ちに遭った彼女達三人の絆にヒビが刻まれてしまいます。



 心をこめていてもダメなものがあると はじめて思い知った

 僕の失敗 きみもねそうでしょ


 ―Wake Up,Girls!『タイトロープラナウエイ』より引用



 ここの節は、若さ故の無謀な挑戦によって犯した過ちの比喩表現にも思えます。気持ちがこもってなければ駄目な事はあるが、いくら込めていてもどうにもならない事象が存在してしまうのも世の理。1番のサビにあるタイトロープの句はヒビが刻まれいつ壊れるか分からない三人の絆を不安定な綱渡りという意味として描写していると思えます。

拗れて、ヒビ割れは更に進行していく……粉々に砕け散るのを何とか食い止めているのは、詞にある『同じTシャツ』=同じ志を抱く同士=ドラゴンを倒す者としての想いなのだと。


 描かれた胸のロゴや 熱い文字を

 ずっと かかげて忘れないで 選びとろう それぞれの道を


 ―Wake Up,Girls! 『タイトロープラナウエイ』より引用



何度も書いてますが自分の中では
この節々がこの楽曲の最も『要』となる箇所と思っています。

向き合わなければならない現実から眼を背けずに真っ向から変わろうとする想いと覚悟を持って砂埃舞う軌跡に踏み出す。2番サビと大サビでのタイトロープの意味は1番の意味とは違って来まして、危険を冒すという意味で捉えていると思えるのです。不退転の覚悟を決め危険を承知の上でドラゴンに再戦を挑んでいく。刻を同じくしてドラゴンに決戦を挑んでいるマユ達に出逢えたのは狭き道=奇跡なのかもしれないけれど
狭き道を往ったから、『タイトロープラナウェイ』が無関係な楽曲ではなく繋がる物語として在った事の証明だった。

あの刻で苦戦する四人に助太刀したアイリ・ミナミ・ミユの姿とPartⅠで彼女達によって紡がれた物語が…『outlander rhapsody ―ver.FANTASIA』の物語へと昇華させる為に必要な最後のピースだと思えてしまったのです。

 


 この駄文Blogでの楽曲所感に於いて『アンセム・ソング』と称する楽曲が色々とあります。WUG楽曲に於いては『タチアガレ!』や『少女交響曲』がそれに相応しいと思っています。
そして、このPartⅡシリーズで新たに『アンセム・ソング』が誕生しました。
勿論その楽曲は『outlander rhapsody』です。


 PartⅢシリーズから約束の地SSAに至るまでの軌跡で魅せ付けた七人の狂った輝きは
まさに、outlander=異端者と称するに相応しいものだったのではないでしょうか。
PartⅡの刻と軌跡に於いて楽曲を進化させて『アンセム・ソング』の域までに化けさせた。その瞬間に自分は立ち会えませんでしたが、その刻の記録を知る事が出来た事と残されているという事実は本当に喜ばしくこれから多くの人に語り継がれるモノだと思います。

 

感じた事をそのまま書き殴った推敲なんぞ一切してない
暴論全開の駄文で恐縮ですが、これにて本稿を締めさせていただきます。
最後まで読んで下さりありがとうございました。