巡礼者のかく語りき

自由気ままに書き綴る雑記帳

舞台『希薄』所感 ~追記編~

 先日更新した記事、舞台『希薄』の所感の追記であります。

 

 

 正直なところ、蛇足感が否めないのは重々承知してはおるのだが……
あの記事で感じた事を書き尽くしたとはとても言い難く燻っているモノがまだある。
これほどまで自分には
『想いを言葉にして余す事無く残す』能力が乏しいのかと改めて思い知らされた。
完全に書き尽くし残しておくのは不可能なのだろうが…
ただ、多くの事を残しておく事は出来る。
どこまで書き綴れるかは分からんが、自分の中で湧き立って来たモノを
これから書き殴っていこうと思う。

 

 

 

 痛み、そして…傷と傷跡

 


 観劇し、所感を書き綴ってから時間が経って
新たに湧き上がってきたのが『傷と傷跡』という句だった。
程度や傷の種類、大小は比較対象から除いて考えていくと、
作中の登場人物はそれぞれが傷を負い傷跡がある。
被災者側の人物は勿論の事、何か力になりたいという純然な想いを
無残に踏み躙られた里奈。
亡くなった真理恵が抱いた無念の思いを傷として考えてもそうだろうし
傍観者・他人事側である良己も当時の東京での事が傷となっていたり
弥生にしてもそうだろう。巧の演出家として感じた才が埋もれる事を
傷として捉えると暴論の域だが俺の中ではその解釈は成り立って
傷を負い、傷跡との向き合い方=それぞれの『今という刻』を
どう生きていくか?に繋がるのかとも感じられる。

 

 で、痛みだが……災害への痛覚がバカになるという件の台詞。
その当事者以外の日本人は天災に対しての認識は例えるならば
紙で指を少し切ってしまったり軽く擦り剥く程の認識で
痛覚がそれに慣れてしまっているのが現状だろう。
この国は大昔からただでさえ自然災害の多かった国だ。
世代を重ねていく毎に魂というかDNAにすり込まれているのかもしれない。

すり込まれたその認識を改めるのは困難な事だと思うし
それまで当たり前にあったモノが無慈悲に奪われて
そこに新しい価値観を入れる事に気持ちが持っていけない。
新しい事を入れるという事も痛みを伴い傷を負う事と同義なのではないだろうか。
当事者が受けた傷と痛みを分かち合う事も出来ない。
だが、その代わりになるかは分からんが、まず傷跡に寄り添い伝承していき
まずその事実が起こった事を知って、忘れない事だが…
逆に、忌まわしき記憶を『希薄』にして忘却する事も救いや癒しにも成り得る。

 

 刻を進める事を拒み続け忘却の彼方へと追いやる者。
純然な想いと性の尊厳を踏み躙られ呪詛の念を抱く者。
自責・後悔の念に駆られながら懸命に向き合う者……
傷跡との向き合い方は各々違うスタンスで描写されていた。
傷を負った→傷跡と向き合い頑張って前を向き頑張ろうという描写に
持っていく方向にはしないで人の様々な負の感情にもきっちりと踏み込んだからこそ
観劇して刻が経っても色々考えさせられるのだろう。

これは俺の勝手な印象で恐縮だが、本作で触れていた人の負の感情や
闇部の描写はおそらくマイルドな描写にしたと思う。
脚本・演出の日野祥太さんが見聞してきたモノの中では
もっとヘビーで凄惨なモノがあったと思えなくない……
だが、伝えたかったのは程度の問題ではなくて、
必ずしも傷跡と懸命に向き合い前を向いて進もうとしている人だけじゃなくて
負の感情に苛まれ行く先を見失っている人も存在している事実を
まず知る事だったのではないだろうか。

 

 

 

 踏み込む胆力と覚悟

 


 脚本・演出の日野祥平さんを筆頭に、この作品に携わった演者・スタッフは
相当な覚悟で臨まれたのは言うまでもないだろう。
これはあくまでも私見だが、より強い決意と覚悟を持って臨まれたのが
野々村良己役の服部善照さんと松岡未来役の吉岡茉祐さんだと思えてならなかった。

このお二方に共通しているのは東北に『縁』があるという事。
服部さんは東北の出身だそうで更には自衛隊員だった経歴の持ち主。
その彼が『他人事』の象徴的人物である野々村良己を演じるというのは
想像を絶するに難くない葛藤と覚悟があった事と思います。
そして自衛隊員の越野草一という人物がより血の通った人物に見えたのは
彼の経験が活きたモノだったと言えるだろう。
もしかすると被災者の負の感情を生々しく感じたのかもしれない。
良己の台詞にある被災者の視線が~という節は
彼が実際に体験した事なのかもしれません…
公演期間中の彼のツイートに出て来た『まっすぐ』という語句には
服部さんのこの舞台に懸けている並ならぬ決意と覚悟の様に思えてならなかった。


 吉岡茉祐さんは、改めて書くまでも無いが
彼女は東北復興支援を旗印に掲げた声優ユニットWake Up,Girls!』のメンバー。
言うなれば、復興支援しているタレントの立場にいる。
今作にて被災者の闇部を象徴している高松孝介の独白で
大丈夫や頑張れという言葉や歌は不愉快だという
彼女が今までやって来た活動を真っ向から批判する事を言っている。
だが、孝介を介して放たれた呪詛の言は現実にある事だ。
吉岡さんに託された松岡未来という人物は自責と後悔の念に捉われているが
その傷跡と懸命に向き合い未来へと進もうとする人物。
繋ぎ止めて今を生きる者が果たすべき使命『きちんと生きる』という台詞には
彼女なりの覚悟を示すモノだと思えるし
WUGの楽曲で『言の葉青葉』という楽曲で
彼女が担当するソロパートでこんな歌詞がある。

 


 がんばってねと かんたんに言えないよ

Wake Up,Girls!『言の葉青葉』より引用―

 


批判されてもなお、踏み込む事を諦めず傷跡に寄り添おうとする事…
それが正解なのかは誰にも分からないが踏み込んで知る事しかない。
勝手な話だが…次にこの楽曲が歌われる時の
ここのパートは今までよりも尊く深みを増した絶唱に進化しているでしょう。


そして、吉岡茉祐さんを介して
この作品と巡り合わせ出合えた『縁』には本当に感謝の念しかない。

 

 


 問題提起を投げかけ主張を押し付ける描写ではなく
人が生きる『今の刻』を綺麗事で済ませず清濁併せ呑む様な描写で表現したから
この『希薄』という作品が多くの人の心に響いて
『楔』を撃ち込んだと自分は思えます。
日野さんは再演は無いと言っています。
一方、高松孝介役の宮原奨伍さんは再演を熱望している。
複雑な問題だと思います。『今』でしか成立し得なかった演目であるし
知って忘れない為にも演じ継いでも貰いたい。
この舞台を観て感じるモノや導きだした『答え』はそれぞれに違うし
どれが正解でもない。皆違っていて、皆良いのだと俺は思っております。

 

 

 湧いてきたモノを書き殴った相変わらずの駄文ですが
知る事と忘れない為にブログに書いた。
無論全て思いの丈を書き尽くしたなんて言うつもりも実感も無い。
台本の最後にある締めの語句にあり『はじまり』が示すように
これから後に継いでいく事や思い返して意識する事が必要な事で使命感や大志とか
そういう大それた想いじゃなく単に感じた想いを
何らかの形で発信していく事で充分なんじゃないかと俺は思えます。


 改めまして、この『希薄』という作品に巡り合えた奇跡に賛辞と感謝をもって
本稿を締めたいと思う。

 

 

本当にありがとうございました。