巡礼者のかく語りき

自由気ままに書き綴る雑記帳

知る事。そして…忘れない事。演劇『希薄』所感

 9月16日、新宿サンモールスタジオで行われた演劇『希薄』を観て来た。
今回は『希薄』の感想を書き綴っていく。

 

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 まず初めに、この演劇を観に行こうと思ったのは
出演者に『Wake Up,Girls!』の吉岡茉祐さんが出演されている
という事が第一の切っ掛けだった。
しかし、開演してからTwitterのTLに流れて来る感想や評判を散見していくにつれ
それは単に素晴らしい演劇だったというだけじゃなく
で、ネタバレを配慮しているワケでもなく、どう表現して良いのかが分からない。
受け取って咀嚼してそれぞれの解釈の自由度が高く困難なモノなのかと思わされ
その領域がどんなモノなのか?踏み込んで何を俺は感じ取れるだろうか?
そんな感情を抱き、この時点では吉岡さんが出演しているからという事は
完全に俺の頭の中から無くなっていて、すぐさまこの日のチケットを予約した。

 

そして、終演後…その意味を思い知らされた。語彙力云々じゃなく表現出来ない。
所感を書くにあたってどういう切り口で書けば良いのかが全然見えてこない。
正直、書き出した現在も落し所が全く見えない状態で書き始めておる……

 


 開場し、ここの劇場は地下に下っていくのだが地下へ行く階段にまず目を奪われた。
踊り場には大量の張り紙があり、人を探している。無事を示す事。連絡先の記載。
それは報道で見た避難所の掲示板で舞台道具の一つで胸に突き刺さって来る。
客席に着くと、そこはブルーシートに覆われた舞台が異様な雰囲気を醸し出し
その空間はまるで刻の流れが通常の刻の流れとは違う感覚に陥らせた。

この劇場は席が50~60席位の小劇場。
だが、この作品のポテンシャルというか真に伝えたいモノを余す所なく出す為には
最適で最高の空間だったように自分は観て感じられた。
演者のマイクを通さない肉声による剥き出しの感情のぶつけ合いが
フィクションとドキュメンタリーの境界線の裾野を複雑に乱していく。


物語の主軸として描かれる時間軸は、震災から七年経った『今』の刻。
脚本を書かれた日野祥太さんによるとそれぞれの立場の『今』を描いたとの事。
ここからは登場人物の所感を書き綴っていく。

 

 

 

 高松巧

 
 本作の主人公。岩手・大槌町で当時震災に遭い親を亡くして
兄と共に東京で暮らしている演出家。

彼の『今』は複雑で危ういモノの狭間で懸命に抗っているのかというのが
この『高松巧』という"人間"から感じた事。
巧が当時のトラウマに苛まれる姿は、失ったものの大きさ
刻を経ても終焉が来ず癒える事のない『傷』や『他人事』という語句への絶望感。
序盤の巧は、被災者の『闇部』側の立ち位置だったように思える。
だが、変わろうとする想いと覚悟をもって一歩踏み出し故郷に一度帰る決意をする。


終盤、彼は失明してしまう。


その意味しているモノの解釈はおそらく受け手に投げかけた
本作のメッセージであると自分は思えてならない。
都合の悪い事、見たくないモノを一方的に遮断する意味合いを込めた
『他人事』や『無関心』に対してという捉え方なのか
あるいは、未来へと邁進する為、過去に魂を引っ張られないような意味合いなのか
プラスとマイナスの要素は当人の心持ちでいかようにも変化していくものだと…
俺は双方の意味合いがあると勝手に解釈させてもらった。


 演じられた植田恭平さんの熱演…と言うよりは鬼気迫る魂を削ぎ落とす様な演技は
開演から終演まで圧倒されっ放しで本当に凄くて技術を凌駕した
限界領域へ踏み込んだ者が魅せる演技だと自分は感じさせてもらった。

 


 高松孝介

 

 巧の兄で、巧と同様に当時被災し共に東京で暮らしている。


 彼は被災者の『闇部』を象徴している人物であり
私見だが、この『希薄』という作品の核を成している人物の様に感じられ
七年前のあの日から『刻』が止まってしまった人物でもあると思う。

クライマックスで彼が語る長台詞は『復興』と『無関心』という語句が
いかに残酷で無慈悲な語句なのかという事を思い知らされた…
故郷をもう帰る場所ではないと絶望に打ちひしがれ
『他人事』を貫く事で、魂と精神の安定を担っていて
彼の魂が完全に壊れなかったのは、唯一の家族・巧の存在だった。
だが、巧が一度故郷に帰ると言った時、孝介は裏切られ絶望の奈落へと墜ち……


そして……自らの生命を絶った。
止まった刻を再び進める事を拒み続けた彼は
終焉させる事を選択する事で救いを求めたのだろうか…


本作を単に綺麗事として描くのでなく
一つの結末としてあり得た事と『闇部』を魅せるという役を担った高松孝介という男。
この人物無しではこの『希薄』は成立し得なかったように自分は思える。

 

 


 樋口里奈

 

 東京で巧と出会い交際している。彼女の『今』もまた複雑なものだった。
巧が被災者であると知ると態度が一変し拒絶していく。
阪神大震災で避難所生活の経験をしており、東北の震災を知り
被災地にボランティアへ向かったが、そこで被災者の『闇部』が彼女を飲み込む。
そこで遭った事は報道では決して触れられなかった事……

彼女は被災者から性的暴行をされてしまった。

自分は避難所での生活経験が無いので想像の域でしか書けないが
そこでの生活は一種の極限状態に追い込まれている状態。
本能の欲求が理性を上回った時、最期の箍はあっさりと壊れるのだろう。

当然だがこの事は報道なんてされずに闇へと葬り去られる。
そう、そんな事は無かった事で処理される。
たとえ被害報告したとしてもまともに取り合ってもらえず
泣き寝入りするしかなく誰にも言えず苦しんだのだろう……

純然な想いを抱き赴いたが『闇部』に呑まれ絶望へ墜とされた。
彼女の存在もまた『闇部』の一つを成すファクターだったのではないだろうか。

 

 


 野々村良己

 

 東京で巧と一緒に建設業のアルバイトをしている青年。


 彼の立ち位置は『傍観者』側の人物であり、この表現が良いかは分からんが
ヒール(悪役)敵な役割で、被災者を嫌っていて『無関心』『他人事』を徹底してる。
だが、中途半端な覚悟で関わり迷惑になる位なら徹底して向き合わない事。
彼だけじゃなく『傍観者』側のこのスタンスは
正解ではないが、間違いでもないのだろう。


綺麗事にはしたくないのが本作の隠れたテーマだとするならば
彼の存在は必要悪な役割として不可欠であり
こちらは被災してない・赴いてない側の『闇部』を象徴している人物だったと思える。

 

 

 笹部弥生


 東京の女優で、巧と同じ劇団で活動していた。


 彼女の立ち位置は、強引にでも前へと進ませようとしていく役目。
巧の演出家としての才を埋もれる事を惜しみ再起を促す。
『復興』のプラス要素を象徴している人物だったのではないだろうか。

 


 大場春人

 

 巧とは同郷の幼馴染。巧は彼の父親の会社でアルバイトしている。

詳しい描写が成されていなかったが、東北と東京を仕事で行き来していて
被災し、祖母を亡くしながらも懸命に前へ進んでいってる立場の人物だと感じた。

 

 


 越野草一

 

 自身も被災した自衛隊員で巧の命の恩人。


 孝介が『闇』を象徴している人物なら、彼は『陽』を象徴していると感じ
草一の台詞は一つが本当に重厚なモノだった様に思えました。
特に、きちんと逃げる事の重要性と生きる事を嫌がるなという台詞は
生への執着だったり、遺された・生命を拾った者が果たすべき事の様に思えるし
災害への痛覚が麻痺して慣れてしまっているくだりの台詞には
思わず背筋が凍りつく衝動を覚えてしまった……


で、彼もまた、大切な人(母親)を震災で亡くした。

 
彼が遺体と対面し、優しく語りかける場面は胸が張り裂けそうな思いだった。
肉親を亡くす事は身を切られるような思いなんです。
自分は親父を亡くしておりますが、きちんと死化粧して棺に入っていても
きっちり見送る覚悟をもって臨んでもその思いは払拭出来るものではない。
ましてや、理不尽な自然の猛威により奪われた生命
打ち上げられた時には泥まみれで、なおかつきちんと見送る事も
その時には叶わない困難な事だった……
その悲しみを飲み込み自衛隊員として多くの命を救う事で
懸命に必死に前を向こうとしている。
そんな秘めた『強さ』を感じさせる人物だったと思えます。


それを見事に表現された矢野竜司さんの熱演には
心揺さ振られる素晴らしいものを感じました。

 

 


 松岡未来

 

 救えなかった母親の生命……彼女は重すぎる十字架を背負ってしまった。
それは後悔してもしきれないモノだ。

だが…彼女は『闇』に飲み込まれなかった。

故人に引っ張られて後悔の念に囚われ続けるのではなく
前を見据え日々を懸命に過ごして大切な存在への想いを忘れないで
しっかりと生き抜く事が遺された者が果たすべき使命のように思える。
エンディングにて彼女はすべき事が見つかり上京を果たす。
彼女の担う役割はその名が示す様に『未来』を象徴している人物なのだろう…


触れて良いモノか分からないし正解じゃないでしょうが
演じた吉岡茉祐さんがWUGの活動を経て培って来た想いが
松岡未来という人物に深みをもたらし、台詞に説得力を加味させたと感じたのは
俺の脳ミソの花畑が満開的なおめでたいモノなのは充分理解しておる。

 

 


 松岡真理恵

 

 本作のヒロイン。巧の同郷の幼馴染。未来の姉。


 津波に飲み込まれそうになる時、死中に活を見出す為巧と飛び込んだ…
明確な描写は無いが、被災し亡くなり『刻』が完全に止まった側の人物。
彼女の登場場面は当時の回想か、巧の夢か精神世界での登場。
巧の中では真理恵の意思は生き続けているのでしょう。

真理恵の存在が示し伝えたかった事は、未来の項でも触れたが
被災し亡くなった方からの『今』を生きる者達へ
懸命にきっちりと生き抜けというエールにも捉えられる。

『刻』が止まったという立ち位置では孝介と同種ではあるが
彼女は巧に『きちんと生きて』と背を押す言葉を贈っている。
その遺志は妹の未来へと継承され未来の生きる指針となった。

 


 演者さんに関しては、書ききれない事もあるが
まず言いたいのは想いと魂が存分に込められた素晴らしい演技で
最大の賛辞と感謝の念を贈らせていただきます。

 

 

 

 

 最後に……

 

 

 この国に生きる者として、恥ずかしながらこの震災について知らなかったモノが
あまりにも多すぎた事を痛感させられ『復興』という語句が
安易で残酷な意味を突きつけるモノなのかと思い知らされた。

何を成し遂げられた時が『復興』となるのか?
人口が被災前より多くなり経済が富む事で達成という単純なモノではないだろう。
被災し、心と身体に癒えない傷を負った方にとって終わりの見えない事なのだろう。


この喩えが正しいとは思えないが、俺の中では同義として湧いて来たので書くが
最たる例となるのが…広島と長崎の歴史的悲劇。
73年経っても、核被爆された方は今もなお後遺症に苦しめられている。
その方達にとっては現在は『復興』を成したと思えているのだろうか……
大袈裟な物言いになってしまうかもしれないが
同じ国と刻を生きる者として、まず知る事と忘れない事なのかなと思う。
そして踏み込む覚悟が出来たのならその先へと踏み込んで触れる。

 


 観劇して、改めて考えさせられた。完全に寄り添いは出来ないけど
知って、踏み込んで、そして伝承していく事は出来る。
何気無い日常が当然なモノじゃなく奇跡である事への感謝の念を忘れない事…
希薄≒物事に向かう気持ち・意欲などの弱い事にはしてはならない為にも
『希薄』という題に込められた想いを自分はそう解釈させてもらった。


 
 以上が『希薄』を観劇した所感となります。
一公演しか観れておりませんので、薄っぺらい駄文で恐縮ですが……
あの場で感じた事への自分なりの『答え』として書き殴りました。
単に素晴らしい舞台だったというものじゃなく、様々な解釈が出来て
絶対の答えが存在しない自由度の高さと物語のメッセージ性。
説得力のある魂を削るような限界領域を超えた演者の熱演。
それら全てを含めて本当に素晴らしい内容だった。本当にありがとうございました。

 

 魂にまで響き沁み入る素敵な舞台だった事と巡り逢えた縁に
心からの感謝の念をもって『希薄』の所感の締めとさせていただきます。