巡礼者のかく語りき

自由気ままに書き綴る雑記帳

そこに在った変わらないHOME~NANA MIZUKI LIVE EXPRESS 2019 FINAL 参戦レポ

 9月15日。千葉・ZOZOマリンスタジアムにて開催された水樹奈々さんのライブ

 

f:id:Akatonbo02:20190924001425j:plain

 

 



NANA MIZUKI LIVE EXPRESS 2019 FINALに参戦して来ました。

 


水樹さんのライブ現地参戦は本当に久しぶりだった。
記憶の糸を辿った所、前に水樹さんのライブ現地参戦出来たのは2017年の『LIVE ZIPANGU』の東京公演以来だった。1月のSSAでのオーケストラライブもマリアナ海溝に匹敵するほどの深~い諸事情によりそれも参戦出来なかったもので、今回のツアーでの参戦は是非ともしたかったんだ。そして、それは自分にとって意外な形で叶う事となった。

WUGで繋がったフォロワーさんと呑んだ時の事。水樹さんの話になり、その方のお知り合いの方に話を通して自分の分のチケットも予約してくれると。で…後日、自分の分もチケットの方が無事取れたと連絡を頂き参戦出来る事となった。繋がった縁に感謝して、これから魂の参戦レポを書き殴りたいと思う。

 

 

*色んな想いをぶちまけますので長くなると思いますwww

 

 

 


 開戦前~帰ってきたソウルプレイス・原点。

 

 俺にとってのライブのソウルプレイス・原点は水樹さんのスタジアムモードでのライブだ。
こういう感覚になっているのは、始めてライブに参戦したのが水樹さんの西武ドームのライブ(2009年)だったからだと思う。入場してスタンド席へと繋がるゲートを抜けると視覚に飛び込む向かい側のスタンド席とステージ…。ZOZOマリンでは感じなかったが、嗅覚に感じて来る炎の特効用燃料の匂い、そして……聴覚に訴え掛ける客入りBGMとしてスピーカーから流れておる謎の洋楽。


これだよ……この感覚なんだよ。


上手く表現出来んが…帰って来た感覚、安心感に浸らせてくれるのは。
そして、開演の刻を待ちきれなくて滾って背筋が身震いする感覚もこれまた健在なんだ。これほどまでに魂が爆ぜて戦ぐのは半年前のSSAでのあの七人の最期の闘い以来だ。俺の中では、水樹さんがこれから魅せるパフォーマンスへの信頼度は揺るぎないモノとして魂に刻まれておる。彼女なら絶対に期待に応えて、予想を裏切って満足……いや、全てを出し尽くさせて燃え尽きさせてくれると。


大丈夫。ここの戦場(いくさば)は何も変わっちゃいなかった。きっちりと闘える。

 

 

 


 1 WHAT YOU WANT

 

 何度も書いてる気がするが…この叩き上げの魂と開幕から一切出し惜しみなしの攻めの姿勢から迸る熱が『あぁ、水樹奈々のライブに参戦しているんだな』と脳ミソと肌で実感し、『そう!俺はコレを見に来たんだ!!』と魂を滾らせ心を戦がせるんだと。厳かなイントロとゴリゴリとした骨太で荒々しさを感じさせる曲調が叩き上げの魂を感じさせてくれる攻めの楽曲で、このLIVE EXPRESS という闘いは始まった。

余計なモノを削ぎ落として洗練するのでなく、また、余計に飾り立てる事もしない。ありのままの飾らないシンプルな本気の想いを突きつける。彼女もまた何ら変わらないこれまで通りに魅せて来た闘い方を示した。
言わば、このオープニングアクトであるこの楽曲は火入れとしてのアンセム・ソングなのだろう。それを象徴してると思わせるのが以下の節だと自分は思うのである。


 無謀と見るか 好機と見るか

 道なき未知を拓くのは 揺るぎない闘志

 例え どんな窮地だって折れず


水樹奈々『WHAT YOU WANT』より引用


水樹奈々の強さは今更俺如きがここで語った所で仕方がないだろう。でも、彼女も最初から強かったワケじゃない。弱い自分を認めそこから目を背けないで偽らずに闘って来た。強いから闘っているのではなく闘い続けるからこそ強くなれたのだと改めながら思い知らされたオープニングアクトだった。

 

 

 

 

 2 Poison Lily

 

 この楽曲もまた、攻めの楽曲じゃないか。
『WHAT YOU WANT』が、打撃的なモノで撃ちつける様な直情的攻撃性の楽曲。攻撃的な楽曲という広義なカテゴリーで括るならこの楽曲もそうであるが、攻撃性のベクトルは全然違うモノで狂気的な情念で魅せる楽曲なんだ。

曲名にあるPoison=毒、詞にも在る猛毒という語…そして、この楽曲は歳上の女性に恋焦がれ翻弄される男性の心情描写を主観として表現されている。これ以上踏み込んだら魔性の毒に侵され狂気に呑まれてしまうが踏み込みたい、何か抗えない『性』(さが)がその先に踏み込ませる衝動に駆られ、翻弄される心情を表現したかのようなどこか不規則・トリッキーな曲調がこの楽曲の『毒』な要素として演出の落差をもたらす。

前…と、言っても2018年の『LIVE GATE』のLVでだが……その時はあまり前述の様な印象は抱かなかったのだけれども、おそらく今回実際に観て聴いた時のインプレッションがやっぱり強烈だったんだろうな。これまた水樹さんの魅せ方の新たな面が見られた気がしております。ちなみに公演が終わってからは何度も何度も聴いています。

 

 

 

 3 革命デュアリズム

 

 畳み掛けるようなイントロが響き、こちらのテンションは益々滾ってくるが…
おいおい、こいつぁデュエットソングだ。西川さんのパートはどうするんだよ?と思ったら……



あ……皆で歌うのねwwww

 


一緒に歌うスタイルなのが水樹さんのライブ披露ではスタンダードのレギュレーションとなったのかもしれない。でも、そちらの本気の想いと魂を魅せて欲しい。そして、一緒に闘おう、想いを共に歌う事で共有しようと手を差し出してくれる。

そんな本気で差し出した手を払い除けるなんて出来ない。成程、そういう事なのかと。この楽曲を序盤のアクトに持って来たのは水樹さんから我々への果たし状であり、願いだったのだろう。

 

(注:著者の妄想&暴論だがwww)

 

血が流れる生の咆哮を届かせようと双方向で互いに響かせる。水樹さんはその形が追い求めている理想の音楽だとかつて語られた。その特別な枠の中にファンを囲ってもらえたという事は純粋に嬉しかったモノなんだ。
そして、彼女の想いに全力全開で応えてやりたいと再び魂を燃え滾らせたんだ。

 

 

 

 4 What cheer?

 

 

 な……なにィッ!

 


俺のこの言葉がイントロを聴いた瞬間の率直なインプレッションであった……意外も意外、この楽曲をやるなんて微塵も思わなかったから感動と衝撃のあまり膝から崩れ落ちそうになったんだぜ…。

もうね、久々すぎてテンションの振り切れ方の方向がいつもと違う方向へと逝ってしまったのよ。この楽曲は初期の楽曲の部類にはあるけれど比較的披露される事は多い様に思えるが、やっぱり刻の経過により最近は披露の機が少なくなって来ている様に勝手ながら感じる所ではある。だからなんだろうな…単に滾ってぶち上がるというかは何か感極まって涙腺刺激されまくって泣きかけてた様に思えるんだよな。

初期の頃のライブ定番楽曲の未だ尚衰えないチカラを改めて思い知らされたと同時に、感慨深さをも感じられた素晴らしいアクトだった。

 

 

 

 5 Heartbeat

 

 現地で聴いた時は、聴いた事は勿論あるんだが楽曲のタイトルが出てこなかったが…ただ、あの刻に感じた確証があったんだ。それは間違いなくこの楽曲、昔(10年以上)前の楽曲だと。
いやね……予測不能のSランク級レア楽曲をいきなりぶち込む荒業を平気で水樹さんはやって来るのは恒例行事ではあるのだけれども……


この楽曲は想定外だったんだぜ……


(ちなみに7年振りらしい)


正直な話、この楽曲のアクトの詳細は全然覚えちゃいません。
聴いておる間『いやーマジか……』しか呟いてなかった様に思う。通常だったら何とか思い出そうとするモノなのだろうが…この時は曲名を何とか思い出そうという事は完全に脳ミソからすっ飛ばしていた。それほどまでにこのアクトの余韻に浸りきりたかったのだろうと。

 

 

 

 6 REBELLION

 

 REBELLION=反乱、反抗の意を持つ言葉に相応しい闘いの謳。激熱でパワフルな楽曲ではあるのだが、どちらかと言えば聴き惚れつつ魂の奥底から燃え滾るモノを沸々させる要素の方での激熱な楽曲なのだと。

それと、単純に歌われるのが本当に最近のライブという事もあって浸透率みたいなモノがまだ薄くて曲の持つイメージに比例した盛り上がり方とは違う印象を抱いたからかもしれない。ただ、それに関しては今後歌い継いで楽曲が進化していく事でまた違ったこの楽曲の秘めていた表情がいろいろと浮かび上がっていくモノなのだろう。

この楽曲に秘められた進化の可能性は未知数なのだ。

 

 

 

 7 Naked Soldier

 

 疾走感&爽快感たっぷりの曲調(我ながら意味分からん例えだなwww)は、また違ったライブのインプレッションをもたらせてくれる。ただね、現地で聴いた時…例によって曲名がすんなり出てこなかったんだよねww

で…このアクトも『REBELLION』同様に滾ってぶち上がるというかはじっくりと水樹さんの歌声を傾聴して場の雰囲気にその身を委ねる。彼女の高音域の歌声の聴き心地の良さに聴き惚れてしまっているからよりそう感じたのだろう。

音源で聴いた時の感覚と実際に歌う場に赴いて聴いた時の感覚は全然違って聴こえる事もあり、それは自分がライブに参戦する様になってから感じる事の出来た事で未知の感性の領域が開かれた。この巡り逢いへの奇跡には本当に感謝したいものである。

 

 

 

 8 真冬の観覧車

 

 このアクトは、ツアーの企画コーナーによる楽曲披露となった。
『39 EXPRESS』(サンキュー・エクスプレス)と題し、水樹さんが三十代に入ってから一度も歌われなかった楽曲を歌うという企画で、ツアータイトルのEXPRESS=配達にも掛けたモノだという。そして、曲紹介で水樹さんは言った。


『18年振りにこの楽曲を歌います……聴いて下さい。“真冬の観覧車”』


1stアルバム『supersonic girl』に収録されており、ライブで披露したのは2001年のクリスマスライブのみだ。18年の刻を経て、これはとんでもない場に立ち会っちまったぜ……と戦々恐々として俺の膝は言う事を聞かない。


おそらく膝から崩れ落ちそうになり変な声が出てしまったのは俺だけじゃないはずだ……。

 

水樹さんのライブは夏や冬でも彼女の誕生日近くの1月に開催されることが殆どだ。故に、真冬という語と更に詞にあるMerry Christmasの語からこの楽曲は披露される場と刻が限られてしまうのだと。
だからこそ限られた披露の刻が何よりも尊いモノなのだろうと思うワケである。水樹さんのイメージカラーの青と真冬の雪を思わせる純白の光で客席が染まった絶景と彼女の絶唱とが視覚と聴覚と魂に心地良く沁み渡っていく。


 いちばん (Very Very Special)

 だいじなきみへ (Love You)

 わたしから Merry Merty Christmas

 こころから Merry White Christmas

 

水樹奈々『真冬の観覧車』より引用


あの刻は冬でもクリスマスでもない。でも、とても特別な刻でもあったからこそこの節々がグッと来てしまったんだよ。恋慕の情を歌ったラブソングであるのだけれど、観覧車の巡りを刻の流れに準え、詞の解釈を彼女とファンとの関係としての純然な想いへの感謝の意を込めて届けてくれたのだと……勝手ながら感じてしまったのである。


言うまでもなく、最高の想いが詰まったプレゼントが届きました。

 

 

 

 9 New Sensation

 

 実は、今回初めてライブで聴く事が出来た楽曲だった。それが叶った事が嬉しくてね。


嬉しさのあまり、腰が抜けそうになってしまったんだぜ……


前のアクト『真冬の観覧車』にて沁み入る様な感慨深さの余韻から、一気にまたライブの雰囲気を強引に激熱モードへと引きずり込む力業。これも水樹奈々ライブの真骨頂だと思う。


 一度きりの人生 楽しむべきだよね絶対

 望んでばかりで 意味なく落ちたり

 アリエナイ!なんて 驚いちゃう暇もない

 まだまだ 力とかあるんじゃない?


 ―水樹奈々『New Sensation』より引用

 

この強引な力業に驚いておる場合じゃない。この瞬間のインプレッションは本当に一瞬の尊いモノだからこそ全力全開で楽しむ。で、俺がこの楽曲で好きな箇所があるんだ。その箇所だが、落ちサビ前の間奏とアウトロでのギターのメロディである。演奏の良し悪しなんて分からん自分ではあるがww今回それがようやく生で聴けたのは本当に嬉しかったんだよなぁ……。

 

 

 

 10 Take a chance

 

 何なんだ今回のライブは……コイツも懐かしい楽曲で初めて生で聴けたわwww
エモーショナルとノスタルジーの暴力で俺の脳ミソはもう何かいろいろ考える事を放棄してただ流されるままに楽しむだけ。考えるな、感じろの境地ですな。序盤の激熱な構成とはまた趣きが違う攻め方でまた異なるインプレッションとエモーションを撃ち込んでいく。


『同じ攻め方はしない。それでもついて来れるのか?』


これまでに培って来たモノは伊達じゃない。様々な魅せ方が出来てきたからこそ、彼女は今も尚最前線で闘い続けられ輝き続けられる。この段違いの説得力に、自分は形容する言葉を持ち合わられていないのである。

 

 

 

 11 SUMMER PIRATES

 

 音源で聴いた時普通にライブ映えするだろうと妙な確信を抱いておったが、想像以上の合致具合は見事と唸るしかなかった。ポップロック感満載の軽妙かつ爽快感溢れるサマーソング。野外の会場の開放感が楽曲の持つ世界観を増幅していた様に思える。まぁ、真昼間の快晴な空模様なら尚の事良かったのだろうがwwwそれはそれとして……特に、サビ部分でまた一段高くテンションのギアがシフトしていく感はライブで聴くとまた楽しさが倍増されて良い♪

夏の楽曲という事から、おそらく今後披露の場は限られてしまうかもしれないし……もしくはそれを覆してライブの季節に関係なくセットリストに入れていくかは分からないし面白い。レアな楽曲となるのか?定番曲へと進化していくのか今後楽しみな楽曲がまた増えた様に思える。

 

 

 

 12 HIGH-STEPPER

 

 これまたレア曲じゃないか……(披露は2011年のLIVE JOURNEY 2011のみとの事。)
サイバーチックなロック系の楽曲はこれまた違う魅せ方で撃ち抜きに来る。変化球的な印象の楽曲だけれども、根底から来る叩き上げの魂をもきっちりと感じられ以下の節はこの楽曲の要となる箇所だと思えて来る。


 Keep on tryin' days いつかはGlory days

 止まない雨は I can stopカラフルな宙(そら)見せるから


 ―水樹奈々『HIGH-STEPPER』より引用


言い続ける事、自分を信じて挑み続けられる者が掴めるモノがある事。そうやって水樹さんは闘い続けて我々に様々な景色を見せてくれた。『HIGH-STEPPER』は堂々として歩くという意味があるとも言う。ステージ上の彼女はその言葉に違わないド真ん中で堂々とした立ち振る舞いで歌い踊っていた。その姿に畏怖と格好良さを感じて見惚れてしまったんだよね。

 

 

 

 13 Take a shot

 

 この曲のイントロが流れた瞬間のおおっ!というどよめきと空気が変わる感覚が心地いい。
俺が生で聴くのは初めて水樹さんのライブに参戦したLIVE DIAMOND 2009以来だ。あの刻も、イントロが流れた瞬間に滾って魂が爆ぜたのを鮮明に覚えておる。これもやってくれるとは思ってなかったから驚きで戸惑ったが、瞬間湯沸しの如き滾り方で驚きをあっさり凌駕したんだ。

そういう衝動に駆られるのはこの楽曲がリリースされた頃の楽曲にやっぱり時分の思い入れが強い事ではあるのだけども、単純にこの楽曲の力が強いし、何かギラギラとしたモノを滾らせていた頃の水樹さんを彷彿させるんだ。
歌は嘘がつけないモノと彼女は言っていた。この楽曲を直に聴き俺が水樹さんにあの頃の叩き上げの魂を変わらずに感じられたのは、彼女が真摯に直向きに誤魔化さずに軌跡を駆けていた事の証明だったのだと勝手ながら思わざるを得なかったんだ。

 

 

 

 14 PROTECTION

 

 水樹楽曲の元祖・タオル曲。(…合ってるよな?)この楽曲も血の滾りを抑えられん楽曲だ。
PROTECTION=保護の意味だが、この楽曲は全然正反対の攻撃的な『攻め』の楽曲。曲調とそれがもたらす激熱な雰囲気から前向きな応援ソングと捉えるのが自然だと思う。が…詞のみで解釈していくと、裏切り、悲しみ、苦しみ等とストレートかつ暗いネガティブな言葉が散りばめられていたりしている。荒削りな叩き上げの魂を謳ってもいるが、詞にもある『勝ち組』になってやる!という反骨の魂をも感じられる楽曲なのだと。


 それは分かり切った事だと知ってても

 迷わす様な人達がいるよ
 
 邪魔されても 築き上げて行こうね
 
 祈るだけじゃ サマにならないから
 
 目を閉じずに夢見よう


 ―水樹奈々『PROTECTION』より引用


今も尚、最前線で闘い続ける水樹奈々の『信念』がこの節々から迸っていると俺は思える。
水樹楽曲のタオル曲はこの他にも色々とある。けど、この楽曲を今回のセットリストへ組み込んだのは彼女の並みならぬ懸けた想いがあったからなのだろうと。そして、皆で振ったタオルと拳は反骨の魂のシンボルとしての旗印に思えてならなかったんだ。変わろうとする想いは大事。でも、変わらない想いも大事だというメッセージにも感じられた。

 

 

 

 15 METANIOIA

 

 映像パートが明けて、ステージに登場して来た水樹ライブ恒例の”乗り物”


今回登場したのは……全長18mのトレーラーwwww


お前、何言ってんの?wwwとコレを読まれた人は思うでしょう。でもな、コレ…現実なんだよ。俺の座席はステージを真横から観る感じの席だったんだが、センターステージに繋がる花道をそのトレーラーが進んで陣取るんだ。

他で例えるなら……SSAアニサマのステージ上に街でよく見かける宣伝用のトレーラーが花道に居座っているのを想像していただけるとこのヤバさとバカバカしさ(褒め言葉)が理解出来ると思います。これまでのライブにも様々な乗り物が登場してきたが…今回のは何と言うか、視覚へのインパクトが強烈すぎるwww更にだ……容赦なくステージ際から吹き上げる炎とモニターに映された水樹さんにも炎を纏う映像加工が成されておった。

勿論、視覚だけのインパクトでは終わらない。楽曲も強烈で激熱な極悪仕様だwww更に水樹さんのギアが明らかにまた上がって来ているんだよ。ここからは彼女の魂の絶唱モード突入なんだと。
そう、俺はこれを直に聴きに来てんだよ。リミッターなんてぶっ壊し余力を残し守る事なんて微塵も考えちゃいない水樹奈々”魂の絶唱を。

 

 

 

 16 TESTAMENT
 


 水樹さんの絶唱が響き、臨界点を超えろと言わんばかりのカウントダウンが始まる。


 7・6・5・4・3・2・1……


 \AXZ(アクシズ)!!!!!!!/

 


狂気にも似た興奮の中、臨界点を突破して魂が爆ぜ吠えた本能からの叫び。
詞にある『本能が示す鼓動に委ねろ』とある様に脳ミソで考えるのじゃなく本能でただ感じろと。

おそらく考えて臨むとこの楽曲に呑まれてしまう狂気を孕んだ楽曲とも言えるし、直にアクトを観てそれを痛烈に感じたんだ。狂気的な要素も表現者にとっては必要なモノで、彼女が限定解除して魅せた表情だと勝手ながら思うのである。魂に火が付く楽曲でもあるし、骨まで喰らわれてしまう激熱な楽曲。そしてその火に狂気という名の油を注ぎこむ……

前に観たのは2018年の『LIVE GATE』のLV。あの刻ではどうしても伝わって来なかった本気の想いの生の温度が否応なく伝わって俺の魂を揺さぶり爆ぜさせた圧巻のアクトだった。

 

 

 

 17 FINAL COMMANDER

 

 『METANIOIA』→『TESTAMENT』と繋がってきたシンフォギア組曲のラストを飾った楽曲。
これもまた奇を衒わない王道的なド直球のシンフォニック・ロックでひたすらに清々しく激熱だ。『METANIOIA』で火を付けて、『TESTAMENT』でその火に油を注いだだけじゃ飽き足らず、この人はまた更にありったけの燃料をぶち込んでんだよwww

もう、全弾くれてやると言わんばかりにだ。臨界点を超えた二段目のブースト加速じゃない。その更に上……限界領域を超えたEXTRAブーストを点けろと。当然ながら我々を煽るだけ煽っただけじゃない。水樹さんの絶唱にもEXTRAブーストが点いてしまっているんだぜ……。

聴く者を捻じ伏せる激熱な絶唱でもあり……凄みに戦慄して鳥肌立って身震いした絶唱だ…。プラスのパッションとマイナスのパッションが見事に合致した血が流れる魂の絶唱!!!!!!!
隙なんてありゃしない。徹底的にきっちりと打ちのめされたとんでもないアクトだったぜ……。

 

 

 

 18 UNBREAKABLE

 

 俺の中では、ライブにおいてイントロが流れた瞬間に身構え血が滾る楽曲が数曲あります。
水樹さんの楽曲では『The place of happiness』と『ETERNAL BLAZE』です。
激熱要素の強い楽曲でその衝動は湧き立つのですが、上記の二曲は明らかに一線を画しておるのであります。まぁ、伝わりづらいでしょうが…魂が鷲掴みされる様な感覚と称すれば良いのかもしれない。
実を言うと、この『UNBREAKABLE』もその2曲の仲間入りを果たしそうなのです。


 今、誓うUNBREAKABLE どこまでも広がる

 世界は 僕たちを 試している

 それでも UNBREAKABLE

 終われないと叫ぶ


 ―水樹奈々『UNBREAKABLE』より引用


UNBREAKABLE=壊れないという意を持つ言葉。これまた水樹さんのアイデンティティを示した闘いの楽曲だと思っている。前例なんて要らない。自分がその前例となると誓いこれまで闘って来た。そんな彼女を嗤った人は少なくはないでしょう。削られる可能性、現実とはあまりにかけ離れた夢。でも彼女はその信念を壊さずに挑む事を諦めず試し続けた。この節々は彼女の心情や信念を表している様に思えて来てしまう。

そして…ラストの『We're gonna fly』
ここでの高音の絶唱はまるで翼を広げ大空に翔ける様を彷彿させて堪らなく素晴らしかった…。

 

 

 

 19 suddenly~巡り合えて~


 これまた生で聴くのが初めましての楽曲だった。巡り逢いというのは突然なモノだと……


 ねぇ、あの時出逢えなくても 巡り合えてたはずだよ

 偶然の導きじゃない suddenly 現れたね


 ―水樹奈々『suddenly~巡り合えて~』より引用


この詞がこれほどまでの説得力を持つ事になるなんて、リリース当時(2002年)の俺は想像すらしていなくて、また膝から崩れ落ちそうになったんだぜ……
ライブで定番披露される楽曲でも、披露される場に立ち会う縁に恵まれない事は意外と多かったりすると思う。楽曲が増え年代が古くなればそれは比例して多くもなる。今回自分は聴く事が叶った。

巡り逢いの縁の奇跡は楽曲との巡り逢いにも適応されると思う。
この縁の奇跡には本当に感謝したいものであります。

 

 

 

 20 Astrogation

 

 野外の夜空の下で聴くこの楽曲は何とも形容し難いエモーションを感じる。
この楽曲も熱く盛り上がる楽曲なんですが、声上げて盛り上るというかは野外の開放感に身を委ねて楽曲の持つ空(宙)を翔ける世界観に浸りたかったんだと思える。


で……落ちサビ前の間奏だったと記憶しているが、突如夜空に花火が打ち上がった。


遡る事七年前でのマリンスタジアムのライブでも花火が打ち上がったと聞く。そして、今回も花火を打ち上げるだろうと予想された人も多かったと思う。
俺の居た三塁側の席からは本当に近くてそりゃもう凄い迫力だった。


このライブはこのアクトが何もかも持っていったと言いますか、この楽曲に溶けていったと称すべきかと。それ位のインパクトを残したと言っても良いと思いました。

 

 

 

 21 サーチライト

 

 本編のラストナンバー。曲入り前に水樹さんは皆にこう言った。


『この楽曲を真に完成させるには皆さんの力が必要』だと。


 この光はどこまでも 照らせる気がしてるんだ

 まだ見ぬ新しい世界を 繋がっていく仲間を


 ―水樹奈々『サーチライト』より引用


サイリウムではなく携帯電話のライトで場を照らして欲しいと。彼女の願いと共に続々とサイリウムの光とは違う光が灯されその光がもたらす景色はまた違う彩りで場内を優しく照らす。
そして、自分達がその手に握っている機械は想いを遥か彼方へと羽撃かせ繋がる事も出来るモノでそちらの意味合いも込めて携帯のライトを灯して欲しいと願って水樹さんは呼びかけた様に思えてならないのだ……。


 何もない 何もない 闇の中で知った

 この痛みは絶対 無駄じゃないこと


 ―水樹奈々『サーチライト』より引用


ままならない事、嫌な事や悲しい事……痛みを負う事は生きていく上で避けられない事象。でも、それは一つも無駄なモノじゃない。意味があって未来の自分を作っていくものだと。沁み入る様に…また柔和に優しく言の葉を紡いでいく水樹さんの歌声に耳を傾け…人の心の光で灯された景色を見て、心にそれらを刻み込む……。

何かその理屈では計れない力があの刻と場には満ちていた様に思えた。

 

 

 

 EN1 No Limit

 

 踏み込まないと見えないモノがあるから。未知の領域の景色を感じたいから。そこでしか得られないモノがあるから。そこに行き着く所まで行くしかないと知ってしまったら我々は踏み込んじゃうんですよwww
くどい様だが……この楽曲も聴きたかったんで披露してくれて本当に嬉しかったのよね。

限界無し、制限なしという訳が示す様に、アッパーなビートで攻勢は絶対に崩さず、最後の最後まで決して走る事は止めない。あれだけ本編中歌い踊って更にはステージの端から端まで駆け抜けてるにも関わらずそのバイタリティは衰えちゃいない。そんな姿を見せられちゃこっちもそれに全力で応えたい。

 

 

 

 EN2 十字架のスプレッド

 

 いやね、コレは本当に意外過ぎて想像出来なかった。その上、非常に語りにくい……。
この楽曲も久々に披露されたと言う。(後日調べたら2011年の夏ツアー以来とか)刻を越えてとんでもない荷物が届けられてしまったといったところか。

勿論、先の事は分からんけれど、おそらく次にこの楽曲が披露される機はしばらく間が空くかもしれないwwwそう考えるとこの場にいられて聴けたのは本当に貴重な事だった様に思えるのであった。

 

 

 

 EN3 Born Free

 

 自己との対話がテーマとなっているからなのだろう。先の2曲とは違う落差のある魅せ方で楽曲の雰囲気に酔わせ
今後も歌い継いで進化させて欲しい楽曲の一つでもあった。


 何度でも立ち上がり 

 虹を架け 明日へ 

 喜びも 悲しみも 総て奏でよう

  
 ―水樹奈々『Born Free』より引用


正解なんて存在してないし人それぞれで違うし、急いで探す必要もない。
この瞬間に生きて足掻いて生きようとする意志を貫き通す。何度躓いて転んでも。

しっとりとした中にも秘めている力強さを感じさせる水樹さんの絶唱が本当に堪らない…。

 

 

 

 EN4 POWER GATE

 

 水樹奈々のアンセム・ソング。満を持しての披露だ。
この楽曲には、ライブを経て歌い継いでいく毎に楽曲も進化していく事を自分に教えてくれた楽曲でもある。特殊なコンセプトのライブを除けば最も披露されて間違いなく歌われる楽曲。散々言っておる気がするが、コイツを聴かんと水樹さんのライブに参戦した実感が湧かない。

そして、この楽曲のチカラは凄まじく強く…闘って来た刻の重みを感じる。
オープニングアクトか?と錯覚してしまう程に場内の盛り上がりが尋常じゃない熱量は健在で未だ衰えるどころかまた強さを増しているんだよ。本当に名曲だと深々と思える。

 

 

 

 DEN ETERNAL BLAZE

 

 激熱な闘いを締め括るグランド・フィナーレ
正真正銘のラストナンバーを飾るのは、水樹奈々のもう一つのアンセム・ソングであり立ち塞がった様々な前例をぶっ壊して来たこの楽曲だ。
水樹さんの歌い出しからイントロで場内が炎を思わせる橙の光で染まっていく。何度観てもこの光景は素晴らしく、血が滾っていく衝動を抑えられないんだ。


 あの日胸に灯った永遠の炎

 深い闇解き放って 自由のトビラ開いてく

 強く果てない未来へ

 そう、きっと ここから始まる……


 水樹奈々ETERNAL BLAZE』より引用


ここで立ち止まる気は微塵も無い。魂の炎を更に燃え滾らせて遥か高みへとまたここから爆進していくという水樹さんの強固な信念と闘う意思を感じる節に思える。
圧倒的な説得力、懸けてる想いと魂、そして…渾身の絶唱。本家本元の『ETERNAL BLAZE』やっぱり凄ぇんだわ…と感嘆の念しか出なかった圧巻のラストアクトだった。

 

 

 


 あとがき

 

 今回の公演で、水樹さんはソロライブ200公演の節目を迎えたとの事。
昔の楽曲を多くセットリストに組み込んだのはそういう背景があったからなのかとも思えて来るしその想いは嬉しいモノだと勝手に思ってしまった。自分にとってはどこを切り取っても文句の付けようがない構成でドキドキして、ワクワクさせてもらった素晴らしいライブだった。


で、毎回痛感させられるんだよ。


やっぱり、この人凄ぇな……と。


いつも通りの水樹奈々のライブをやりきって、予想を裏切り、期待に応えてくれた。
変わらないものがあの場にあったのがやっぱり嬉しいものだったんだと。そして、今後も水樹さんはこれまで以上に凄いモノを魅せて夢中にさせてくれるのだろう。それを是非観たい。


長い文章になってしまったが……それだけの想いをあの場に参戦出来て受け止めたと思う。


最後になりますが、一緒に参戦しようとお声をかけていただいた自分のフォロワーさんと、自分の分もチケットを手配していただいたそのフォロワーさんのお知り合い様に心からの感謝を。


最後まで読んで下さりありがとうございました!!

 

 

 

 

『いろいろ詰め込んでみました!』を観た所感。

 9月7日、北沢タウンホールで行われたイベント『いろいろ詰め込んでみました!』に参戦。

 

f:id:Akatonbo02:20190908211113j:plain

f:id:Akatonbo02:20190908211055j:plain

f:id:Akatonbo02:20190908211102j:plain




イベントの開催が決まって発表された時から観たいと思わされ、チケットが発売されたらすぐさま購入させてもらった。いろいろ詰め込んだと題している様に、朗読劇、トークコーナー、ライブパートと……単純にライブのみで感じられるエモーショナルなモノとはまた違うモノが感じられるだろうという根拠の無い確信を抱いたものである。

中々機が俺の中ではこれまで合わなかったもので舞台作品を観に赴いたのは昨年の丁度この時期に観に行ったナナシノ()さんの『希薄』以来だ。舞台劇や朗読という演目は場面の情景が視覚情報に多く在るモノじゃない。一つしかない舞台上という限られた領域で情景や人物の印象を観客の心象に刻み込む演出が必要となる。それ故、映像作品以上に舞台演目がもたらす観劇側の想像力をかき立てさせる要素は大きなモノがある様にも思える。

本当、久しぶりに舞台演目を観劇する機会が非常に楽しみだったもので、昨日は心躍りつつ会場へと向かったものである。で……新鮮なインプレッションとエモーショナルは素晴らしいモノでその感覚は観終わって時間がたったこの瞬間も褪せる事無く俺の中に刻まれ残っている。そんな『いろいろ詰め込んでみました!』(7日夜公演)の所感をこれから思い出せる限りの範囲で書いていこうと思う。

 


まずは、リーディングライブ『フィクションとノンフィクションのあいだ』の所感から。


 この物語は、ある家族に起こった一年の事象を扱った物語。
で、物語の原案となっているのは出演者の一人でもあり、このイベントのプロデューサーでもある水原ゆきさんのお兄様の話との事だと。物語の内容だが、明確な始まりと終わりと救いとなる正解とは何なのか?と…結構メッセージ性の強い寓話的な物語だった様に思える。特に、焦点が当たって描写されていたのが人の感情からもたらす距離感だったと思う。


何処から始まっていたか、それはきちんと終わったのか?各々の歪みの根幹はそもそも何だったのか?果たして正解が在るか?いろんな問題がそれぞれに存在していて嫌でもそいつには向き合わなきゃならない。舞台の床に乱雑かつ大量に待ち散らかした大量の紙が人の感情の複雑さという事を視覚に強烈に訴え掛けていたのである。作中ではその紙を鬱積を晴らすかの様に豪快にばら撒いたり、丁寧に片付けようとしたりと……単純にモノを扱うのではなくて人の感情への接し方を模していた様にも感じられる。

その背景や人物を関連付ける要因が、『フィクションとノンフィクションのあいだ』の世界での距離感の様なモノを表現していた様にも思えて来る。そして、これは題にある様にフィクションの世界に収まらず現実の世界にも今起こっている事象でリアリティがある話なのだと。吉岡茉祐さんが演じられた兄がその要素の根幹を担っていた。

演技の良し悪しなんてモノは俺にはさっぱり分からないし…どうしても彼女を中心に観てしまうのだが……素晴らしい演技だったと思う。特に、引き篭もってから刻が経つにつれて徐々に蝕まれ壊れていく過程が生々しく演じられ、怒気がこもった叫びの場面での“圧”がもの凄くて圧倒されてしまったんだよね。単純に怒りをぶちまけるモノじゃなく、自らその道(引き篭もる事)の選択を決意したけども世から隔離されてしまう事への疎外感と恐怖感も込められている様にも感じられた。どこか鬼気迫っていて背筋がぞわっとなる感覚に陥った。


そして、この物語を紐解くのに重要な語が存在している。それは『リフレクション』という語だ。


劇中にて語られるアイドルグループの名称でもあるのだが、反射という意味でも使われている。
想いを伝え返す相互循環が出来るグループだから推している旨を熱弁していて、想いを完全に反射≒想いを返すという意味を込めて『完射』という造語を感謝の意を込めて兄は言うのだけれども……実際の所、登場人物達は上手く想いを反射出来ていないのだ。思い通りにならず屈折してしまったり、距離感によって届かなかったり……けれど、届けようとはしているんだ。あと一歩踏み込めれば、あと数ミリ手を伸ばせたらと。逆に、これ以上踏み込まない、手を差し伸べない方がいいとも捉える事も出来る。

踏み込まなければ人には触れられない。それは真実なのだろう。
だが、その逆もまた然りでもある。どれも正解だし正解でもないあやふやなモノだと。


で…リフレクションには内省という意味もある。
内省を象徴していたのが、楠世蓮さんが演じたもう一人の兄だと思う。
もう一人の兄は実在の人物ではなく、兄の心情の一つ・陽(ポジティブ)な感情、人格。
反目しているのだけれど、拒絶にまでは至っていないだな。兄の中ではこのまま引き篭もりのままじゃいけないという想いが根幹としてまだ残っている。故に陽の感情であるもう一人の兄は在り続けられる。僅かな光ではあるのだろうが……再起する希望の光は兄に差し込んでるのだと彼(もう一人の兄)の存在が証明している様にも感じられる。


その間で苦悩していた象徴的な人物が、山下まみさんが演じられた母親じゃないだろうか。
どちらかと言うと引き篭もっていた息子(兄)への接し方は、真正面に向き合って前を向かせる事と背を押す事を躊躇っていて、ある種の”諦め”の境地に至っていた様に思える。彼女がその境地に至った真相が物語後半で解き明かされるのである。

物語序盤に彼女は風邪を患い、それが長引いて治らないとこぼした。
劇中で彼女が実際に患った病気は明らかになっていないが重病であり、彼女は終盤で亡くなってしまう。私見の域だが……母親は自分の死期をおそらく分かっていたのだろう。家族のすれ違いを口実とし、別居という選択を選んだのは向き合う事から逃げたのではなく、余計な心配をさせまいとした母親としての情がある様にも思えてならない。そして、通院先で兄のバイトの同僚の少女(演:楠田亜衣奈さん)に会った際に語った言葉が印象深い。


『あの子(兄)と一緒に多摩川の土手を散歩して欲しい。』


本来の台詞は失念してしまったが、概ねこのような想いを少女に伝え兄の行く末を託した……。諦めの境地に至ったと前述では書いたが息子に向き合う事は最期まで諦めていなくて、懸命に母として最期の刻まで向き合おうとしていたのではないだろうかと。会う事は叶わなかったが何度も彼を訪ねて来てくれた少女に希望を見い出せたのが母親にとっての救いだったのかもしれない……。


真正面からぶつかり合って思いの丈を余す事無く伝えられればいいのかもしれないが
実際問題そんな簡単で正解というモノじゃない。別の方向や角度で屈折、緩和させながらも想いを何とか伝えようとしてその方法を日々模索して挑んでいく。無駄なんだけれど無駄じゃないある種の自然の理なのだとも捉えられそれが自分の身にもいずれ降りかかって来ないとも限らない他人事ではなく、何時自分が当事者に成り得る事というのを思い知らされた。観終わって率直かつ単純な所感がすんなり出てこない。本当、色々と考えさせられた演目だったと思う。ラストの場面が取り敢えずの着地点なんだけども、それが絶対的な正解じゃなく観る側でいろいろ想像して欲しいというメッセージであるとも思えてきてしまう深くあり重い演目だったと感じた。


演者の皆様の熱演、物語のメッセージ性、フィクションとノンフィクションの狭間のせめぎ合い
全ての要素が織り交ざった面白い内容には本当に感嘆致しました。

 

 

リーディングライブが終わり、お次はトークコーナー。


 事前にTwitterで募った質問から選抜したテーマに沿って繰り広げられる流れ。
ここで印象深かったのは、山下まみさんの話術だった。
場の雰囲気を敏感に察知して話の切り口を開いたり、言葉端というかワードへのレシーブ力の高さ。そしてそこからの展開力……。朗読パートで魅せたシリアスな演技とのギャップには面食らったものであるww

 

そして、ラストの演目となったライブパート。


 吉岡さんと山下さんのユニット『projectM』の楽曲と
水原さん、吉岡さん、山下さん、楠さんによる楽曲『リフレクション』披露。

共にライブ映えする盛り上れて滾れる曲調。自分としては、WUGのSSA以来となったまゆしぃの歌い踊る姿がまた観られた事が本当に嬉しかったんだよね。

 

 
 イベントの題に違わず、いろんな要素をありったけ詰め込んだ濃密なイベントだった。
シリアスな朗読劇でいろいろと考えさせられたインプレッション。トークコーナーで大いに笑ったインプレッション。ライブパートで燃え滾って楽しんだインプレッション。と……様々なインプレッションは感情の大戦争となった。
本当、綺麗さっぱりここまできっちりと打ちのめされると清々しさすら感じるモノなんだと。次の開催があるのなら、また観たいと思わせてくれたイベントでした。

初日の夜公演しか観る事が出来なかったし、あの場で感じられたインプレッションを記憶の片隅からどうにか引きずり出して書き殴った有様なもので、見当違いな部分が多々あるとは思いますが……大目に見て頂けると幸いでございます。


また一つ新しいインプレッションが刻まれた事に感謝しこの所感記事を締めたいと思う。


ここまで読んで下さり本当にありがとうございました!!

 

 

 

 

WUG楽曲 ライナーノーツ #23 ハートライン

 どうも。WUG楽曲ライナーノーツシリーズのお時間です。


……えぇ、まだ続いてるし、続くんですよ。残念ながらwww


今回もMay'nさんと組んでいたコラボユニット『Wake Up,May'n!』からの楽曲から
最終楽章となった楽曲『ハートライン』について色々書いていこうと思います。

 

 

 

 


 ハートライン (Wake Up, May'n!)/Wake Up,Girls ver.

 

 

f:id:Akatonbo02:20190901210914j:plain

 

 この楽曲のバージョンは三種類存在しております。
楽曲配信アプリ『ANiUTa』の独占配信で聴ける『Wake Up, May'n!』正規バージョン。『Wake Up,Girls!』の単独ライブやラストアルバム『Wake Up,MEMORIAL』に収録されたWUGのみのバージョン。
最後に、May'nさんのミニアルバム『YELL!!』に収録されたMay'nさんのソロバージョンがある。曲調は、イントロから明朗かつ軽快で楽しいテンポを刻んでそこに一切奇を衒う要素は感じられない正統派のド直球な曲調。単純に盛り上がりが掴みやすい特性があり、オープニングの火付け、中盤での雰囲気の仕切り直し、クライマックスでの畳み掛け…と。ライブに於いてはどこの順番で披露しても外れ・裏切りのない汎用性の高さを持つ楽曲だと思える。


上述の様に、メロディ自体にパンチ力と言うか、説得力の強さが窺い知れるものなんだけれど、それを加味させて楽曲全体を強い楽曲としているのが、詞の紡いでいる世界観と『ハートライン』という曲題なんだ。
縁の感謝と出逢いの奇跡を謳う始まりの楽曲『One In A Billion』の系譜を引き継いでもいるし、繋ぐ縁を謳う『TUNAGO』と同じでもあるし、更には続編・『終』の楽曲としての面もあるWUGの『タチアガレ!』と『さようならのパレード』の関係性に自分は近しきモノをつい最近だがこの『ハートライン』には感じられたものだ。


曲題に冠した『ハートライン』。ハートの形を記した表現なのはおそらく合っているのだろう。ここからは個人の解釈によるモノだが、ハートという語は目視では写らない『想い』や『魂』。ラインは想いと魂を繋ぐ『絆』の比喩表現であると勝手ながら解釈している。

それは、人の目でその決まった形を確認する事は出来なくて人それぞれに象る形は違う。詞にある『描くハートは違う』はその事を強く訴えてるのだろうし、人の個性に当てはめそれぞれの個性は違うモノであり尊重すべき事なのだろう。

それと、詞の節々には繋がりの強さを印象付けさせる語句が多く散りばめられている。
『結んで』『手を取り合って輪になって』『重なり合って響いて』『歩幅合わせて』『meet you』『with you』と……楽曲の細部に至るまでに縁の繋がりの強靭さを窺わせる要素に溢れている。May'nさんからWUGへ。WUGからMay'nさんへ。『Wake Up, May'n!』から受け取り側の人へ。受け取り側から『Wake Up, May'n!』へ……想いと魂の相互循環がそこには見えないけれども確かに存在している様に思わずにはいられない。

 

 で、私見の域で恐縮だが、この楽曲の『要』を担っていた所がこの節だと思う。

 


 分からずに空回り もう離れてしまった糸も

 時が経ち新しい未来へ 

 いつかまた出会えるはずだよ もう一度スタート


 ―Wake Up,May'n 『ハートライン』より引用


ここからのパートは、WUGバージョンでは青山さん、吉岡さん、全員の順へと歌い継いでいく。
どうしても、俺の中では青山さんと吉岡さんが歌い継ぐ絶唱vs絶唱パートに激熱で滾るインプレッションを抱いてしまうんだぜ……。ただ音源のみを聴いてこんなインプレッションを抱いたワケじゃない。彼女達の歌う姿を実際に観て俺の中で沸々と燃え滾って来たのである。吉岡茉祐青山吉能のベクトルの違う不器用なパッションがWUGバージョンとしての新しい血を流していってるのだと。

初披露の4thライブツアーでのアクトでは、二人は背中合わせで歌っていた。互いに歌い継ぐ中で彼女達の歌声を聴き自らを振るい立たせていたのだろう……背中で互いの熱を感じるかの様な佇まい。彼女達からは背中合わせのネガティブな意味である気まずさは微塵もなくて、『戦友』として背を預けている感じがして来る様でもある……。あれから刻が経ちファイナルツアー・パートⅡではまた違って、彼女達は真正面から対峙し互いの絶唱と向き合っていたんだ。彼女達は笑いながら、もっと貴女の絶唱を私の魂に響かせろ!と対話して…じゃねぇな。あれは想いという拳でノーガードの殴り合いを心底楽しんでいる様に観て思ったものだwww

最後の披露となったファイナルツアーパートⅢ・仙台千秋楽では、七人全員でこのパートを謳いワグナーは七人に愛の言の葉を叫ぶ。横一線に並んで肩を組みながら、想いの相互循環を成そうと輪になろうという意義が込められたのだと勝手ながら思ってしまったものだ。

 

そして…ラスサビに、この楽曲が真に伝えたい想いと魂が集約されていると思えて来る。


 結んで ほどいて 途切れないように meet you!

 はじめましての瞬間を忘れない

 進んで 止まって 歩幅合わせて with you!

 悩んで出した正解を君と一緒に繋ごう

 みんなに届くように繋ごう


 ―Wake Up,May'n『ハートライン』より引用

 

 WUGが終焉を迎え、七人はそれぞれ違う軌跡へと歩みを始めた。
でも、そこまでの道標での本気の想いや魂が綺麗さっぱり消えて無くなるモノではない。

May'nさんがこの楽曲を歌い継いでいるし、繋がった縁の記憶は解かれても途切れる事無く魂に刻まれているのだと。楽曲が存在し続けている限り、聴けばいつでもその頃を思い出せる切っ掛けにも成り得る。だからこその『初めましての瞬間を忘れない』の意味が尊い言の葉となるのだろう。出会えた頃の新鮮なインプレッション、縁との巡り合わせへの奇跡。絆の繋がりへの感謝……。曲題に冠している『ハートライン』のハートの語のもう一つの解釈は愛情という解釈も成り立つ様にも思えても来てしまえる『Wake Up,May'n』としての『終』の楽曲に相応しい深くて、真実の、信頼による愛に溢れる楽曲ではないだろうかという『Wake Up,May'n』からのメッセージソングとして完結したように思えてならないのである。

 

毎度ながら、ライナーノーツとしての体を成しているのか疑問ではありますが……『こういう解釈もあるのか』という一つの可能性として本稿を受け止めていただければありがたいものです。

 


最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

 

 

相沢菜野花の隠された『貌』(かお)

 題に付けた『貌』という字。ぼう、かおとも読まれる。
自分がこれから考察を書こうと思っておる人物に、最も相応しいと思った字でもある。


と、いう事で…今回はこの人物の独自考察。

 

 

 

f:id:Akatonbo02:20190825223111j:plain



I-1club/相沢菜野花について書き殴っていきたいと思う

 

 


『暴論』でしか語られない今回の記事。
予めご理解ご了承の上、気が向いたら読んでいただければ幸いでございます。

 

 

 

 

 

 Introduction/相沢菜野花とは?

 

 まず、彼女がどういう人物か?コレについて判明している事柄を挙げてみる。


眼鏡が特徴的なI-1club二期生。フロントメンバーの七人の一角を担う。因みに同期は鈴木玲奈。愛称は『ナノカス』。捉えどころのない奇矯な言動が目立つ事から『へっぽこ番長』とも称される。

物語本編で描かれるI-1レッスンの休憩時間では、話のネタを振り会話の輪の中心にいるといったムードメーカーな印象。情報通な面があり、I-1の内部情報や業界の世情に敏感でそれらを収集しているといった描写がある。
また、腹の内がなかなか読めないが、実は虎視眈々とセンターの位置を狙っているとの事。特に印象深いのは『新章』3話で、久海菜々美と岡本未夕と共に出演したバラエティ番組で披露した軽妙なトークスキルでバラエティタレントとしての商品価値の高さを魅せ付けた。


これらが現在までに公にされておる(全てではないが……)相沢菜野花の人物像と言うべきか。


自分の中での彼女のイメージだが、直情的なメンバーの多いI-1の中では何と言うか『曲者』感を醸し出している。前述にある虎視眈々とセンターの位置を狙うという事も本心ではあるのだろうが、それすらもカモフラージュ化させている様にも捉えられなくもない……。かつて、久海菜々美がWUGはステップアップの為の踏み台的な物言いをした様に、菜野花の中でI-1clubは自分のステップアップでしかないという野心を胸に抱いているのかもしれない。
強かであり、易々と腹の内は曝け出さない。腹の底の見えなさ具合で言うとWUGの大人達である丹下社長、早坂さん、白木さんに比肩する程で、愛想の良さがその奥深さに拍車をかけてる……と、この独自考察を書く前の自分なりの相沢菜野花評である。

それ故に紐解いていくのが極めて困難な人物であるのだが……
だが、全く手がかりがないワケじゃなかった。(少ないのは確かではあるが……)

 

 

 

 

 

 Chapter1/I-1の二期生~谷間の世代の反骨の魂。

 

 前の項でも書いたが、菜野花はオーディションを勝ち抜きI-1の二期生として加入した。
どういった経緯を経て彼女がアイドルとして生きていこうと決意し、I-1の門を叩いたのかは残念ながら分からない。昔からの夢だったのか?普通に進学し、就職する自分の未来が想像できなかったのか?I-1を創設した白木徹に興味があったのか?あるいは……一期生のオーディションを受けていて落選してそのリベンジとして再び受けたのか?……と、まぁ、挙げ出すとキリがない。

初代センター・島田真夢。二代目センター・岩崎志保。初代キャプテン・近藤麻衣。二代目キャプテン・吉川愛。脱退してしまうが、真夢や志保と並び称されるほどの才覚を持っていた黒川芹香と…厚く高い一期生の壁。
後の世代では、ソロ楽曲『DATTE』を与えられる程の歌唱力を持つ三期生の小早川ティナ。世代の壁をすっ飛ばす勢いで駆け上がり三代目センターとなった四期生の鈴木萌歌。
前後の世代である種のバケモノ揃いに挟まれたと言っても良いのだろう。いつ頃にフロントメンバーに名を連ねるのかもこれまた不明であるが、そのバケモノ揃いのメンバーと比較すると二期生は谷間の世代と呼ばれていたのだろうと思えなくもない。勿論、菜野花や玲奈は『私達の世代は谷間じゃない』と思いながらやってはいたのだろうし、全部がネガティブだったワケではないだろう。


『いつか見ていろ。私達はここからなんだ。』と叩き上げの反骨の魂が彼女らに在ったのだろうと。


あくまでも私見の域だが、二期生に反骨心の強さをより感じるのはこういう背景があったからと思えてならないのである。

 

 

 

 

 

 Chapter2/生き残る為に考え抜く。

 

 相沢菜野花のトレードマークと言えば…
彼女自身が『眼鏡は本体』と言う事から、眼鏡である事は改めて書く事じゃない。眼鏡を掛けるのは目の屈折異常(視力)を補正する器具というのがまぁ、一般的な解釈として第一に挙がる要素であるだろう。


ただ……菜野花自身、視力が良くないという描写は一切ない。(多分…)


これも暴論の域だが…菜野花が掛けている眼鏡のレンズには度が入っていない、所謂伊達眼鏡ではないかと思い込んでおる。


自分は眼鏡を掛けていないので分からんのだが、激しく舞い踊るのであれば眼鏡は動きを妨げてしまう様に思えるのです。(掛けていてもダンスをそつなく踊る事は可能なのだろうが……)
単に描写が成されていないだけで、本当に視力が良くないのか?なら、コンタクトレンズを着ければ良いのかもしれないが彼女の眼に合うモノがなかったのかもしれない……。だが、この考察でコンタクトレンズに関して述べた所で何の意味もない事なので、彼女は視力が普通に良くて眼鏡をかけていなかったとしてこのまま進めさせてもらう。

 

『休まない、愚痴らない、考えない、いつも感謝!!!!』


 I-1clubの鉄の掟として、白木徹が提唱する『アイドルの心得』。
その中でここから特筆していくのは『考えない』の言についてである。

白木さんは言う。『最高のパフォーマンスを生みだす者は、連日の徹底した努力とそれに裏打ちされたメンタルのみ』と。菜野花だけじゃなく、I-1に加入した者はオーディションを勝ち抜いて選ばれた者のみ加入が認められる。
故にある程度以上のパフォーマンススキルは備わっている。扉は開け、厳しい環境に身を置き彼女の奥底にあるモノを揺さぶってくれたのだろう。が、そこで芽が出たのかどうか不確定だ。ただひたすらに考えずに徹底的に努力を重ねていくのか?逆に考え抜いてどうすれば自分らしく輝けるのかを探求していくのか?

菜野花が導きだした一つの結論が、極限まで削ぎ落とすのではなく、装飾する事。
見る人の視覚に訴える外見=眼鏡を掛ける事だった様に思えるのだと。


そして、菜野花がもう一つ重視していたのが『情報』だろう。


情報の重要性は古来から説かれていた事である。
より正確な情報を握っているかによって優位に立てる。これもまた人間が『考える』事を始めた頃から情報を頼り重要とされて来たとされている。表現者としてもそれは変わらないモノで、ファンが表現者に何を今求めているのか?世の時勢に合うのか?もしくは、新しいブームを生み出す切っ掛けとなるのか?特に菜野花は眼鏡を掛けるというセルフプロデュースをしているから情報の重要性に注目したのはおそらくは間違いないだろう。

それと、単なる噂話のネタとして業界の情報を集めているわけじゃないと思える。
いつかは終わる刻の為、身の振り方をおそらく視野に捉え準備しているのだろうと。

『考えない』と外からの情報をシャットアウトし、直向きに研鑽を重ねるのも一つのやり方。
だが、彼女は逆に『高い意識で考える』事を実践したという所に、自分は強かな曲者的要素を彼女に感じる部分ではあると思います。


周囲の者達と同じ事をしていては飛び出せないと、彼女は悟ったのだろう。頑張り続けるからってどうにか報われる所じゃない。誰が抜けてもいけないWUGとは違って、一人が抜けても代わりは幾らでもいるI-1。真に強い者だけが生き残れる。それがI-1clubの絶対的な理。その中でどうしたら生き残れるか努力し脳ミソをフル回転させて彼女自身が導きだしたのだと。才能もあったというのは間違いないと思いますが、何よりも『考える』事と状況を把握する才能に恵まれ、アイドルとしての生存本能と闘争本能が彼女に生き抜くための知恵≒戦術となったのだと思えてならないのである。

 

 

 

 

 

 Chapter3/ミステリアスな貌(かお)

 

 彼女、相沢菜野花は作中にて様々な表情を見せた。
中でも特に自分が印象深かった三つの場面を挙げてみようと思う。


まずは、続劇場版・前篇で、レッスンの休憩中にてI-1のミリオン割れの件をネタとして話す場面で、I-1の次世代センター育成という事に触れそれを志保がいる前で口に出した。彼女はすかさずに気まずさを窺わせる表情を見せ、志保を気遣う素振りを見せたが……おそらく、コレはうっかり口を滑らせたのではなく、ワザと志保が聞こえる様に言った様に思える。何の意図があってワザと志保を煽る様な物言いをしたのかは色々な憶測が出来てしまい、少なくとも、ネガティブな要素を匂わせるモノは無いとは思うのだが……まぁ、挙げたもののコレについては自分もよく分からんというのが率直な印象でもある。


続いては、続・劇場版の後篇。アイドルの祭典の前日に控え室で、WUG、ネクストストーム、I-1のメンバーが揃う場面。菜野花は言う。『ここで早くも頂上決戦の幕開け』だと。けど、そんな物言いとは裏腹に会話を交わす雰囲気は共に鎬を削って切磋琢磨した戦友との久々の対話を楽しんでいる“同窓会”的な和やかさを感じさせる。で、煽った菜野花当人も楽しんで輪に入っている。


彼女も楽しみだったのだろう。自分の先を走っていた島田真夢と岩崎志保と闘える事が。


2016年冬の幕張にて開催された『Wake Up, Girls!Festa. 2016 SUPER LIVE』。
パンフレットの最初の見開きページは出演キャスト陣のサインとコメントが綴られている。
菜野花役の福原香織さんが添えていた言葉は……


『誰よりも努力は続けて来たつもりです。負けない。』


彼女が島田真夢や岩崎志保を意識しないワケはなかったと思えるのです。I-1メンバーに真夢が復帰した事をネットの情報から拾い知らせたのは菜野花だったりする。単に話のネタとしてストックしたのかもしれないと言えばそれまでだろうが……ただ、そう決め付けられない様々な想いがあるのだろうと自分は思えてならないのである。

掴み所のない強かさはあるのだろう。だが、魂に灯る火は激しく燃え滾っている。
この激熱な要素も彼女が持つ『貌』のうちの一つなのだろう。


そして、最後。冒頭にも少し書いたが……
『新章』3話での、菜々美、未夕と共演した全国ネットのバラエティ番組収録。TV局の廊下で鉢合わせ普通に挨拶を交わした後での表情。一見、無表情にも捉えられるが、自分はそう思えないのである。

 

f:id:Akatonbo02:20190825223022j:plain


彼女は生き残る為の術として様々な情報を集め、考え、一つの道としてバラエティタレントとしての自らの商品価値を高めていったと思われる。ある意味ではこの現場は彼女の戦場(いくさば)でもあるとも言えるだろう。
無表情≒感情が無いワケじゃなくて、あれはスイッチが彼女の中で切り替わった事だとも思えて来る。


『誰だろうが、私の前を走らせるつもりは微塵も無い』


実際の所、菜々美と未夕は場の雰囲気に呑まれてしまいインパクトは残せなかった。そして、菜野花は見事に強烈なインパクトを残した。この成果は彼女が『考える』ことを常に実践し継続して来た賜物だった様に自分は勝手ながら思えてきたのであります。

 

 

 

 Last chapter/見えないものも信じてる。

 

 コレはI-1clubの楽曲『止まらない未来』ラスサビで菜野花が歌うソロパートの節だ。
この見えないものだが、菜野花の心情、彼女が生き残る為の寄り代としている『考える』事、見えない『情報』…。彼女の中では目に捉えられない不確定なモノに何らかの明るい要素を見い出している様にも感じられる。

そして、眼鏡で彼女自身まだ知らない真実の『貌』(かお)をも見えなくもしている。私見の域ではあるのだけれど、自分の中で導き出されたのは、『人間である前にアイドルである事』に対して菜野花なりの答えが、本来の彼女の本質≒貌を悟らせない事≒見えないものを信じる事なのではないだろうかと現時点では思えてきているのであります。

 

 

 と、いう事で…相沢菜野花について、今自分が書ける事全てを出し尽くした独自考察です……。


正直、上手く書けたなどと言える代物じゃありませんが、自分にとってはコレが限界。分かりずらい文になってしまったのは自覚しておりますが…是非ともI-1や菜野花推しの方々にとっての相沢菜野花論をお聞きしたいものであります。独自考察なんぞと言ってしまっておるので異論があるとは思います。それにつきましては、コメントやTwitterに直にぶちまけていただければと。

まぁ……正解や満点の答えが存在していないので意見をぶつけ合うしかありませんが……。

 

 

最後に、ここまで読んで下さって本当にありがとうございました!!

 

 

 

 

 

あの刻に在ったイーハトーヴの風と縁の物語。 ―イーハトーヴシンガーズ第5回定期演奏会『story』(東京公演)所感。

 8月3日。杉並公会堂にて開催された
イーハトーヴシンガーズ第5回定期演奏会『story』(東京公演)に参戦して来た。

 

 

f:id:Akatonbo02:20190813230145j:plain



 

f:id:Akatonbo02:20190813230123j:plain

 

 記事にする順番が前後してしまったが、現地参戦はWUGのSSA以来となった。
ご存知の人も多いかと思うが、イーハトーヴシンガーズは昨年のWUGファイナルライブ(岩手公演)に出演された。その縁あってか会場には多くのワグナー諸氏が参戦されておりました。


イーハトーヴシンガーズは、岩手県盛岡市宮古市、東京都を拠点に活動する混声合唱団。自分が合唱を聴きに行くのはおそらく中学生以来で、しかもチケットを取って聴きに行くというのは自分にとっては初めての事だ。WUGが岩手公演でイーハトーヴシンガーズと共演してなかったら、クラシック系の楽曲を聴かない教養ゼロの人間である俺は聴きに来る事はなかった。七人が導いて繋いでくれた縁の記憶と物語はきっちりと生き続けているモノだというのを痛切に感じた。


では、何故。そんな奴がわざわざチケットを取ってまで参戦したのか?


それは…6月の岩手で開催された演奏会同様、WUG楽曲『言の葉青葉』が歌われるからだ。


勿論、七人やメンバーの誰かが歌うワケじゃない。
違う形ではあるものの、3月のSSA以来となる『言の葉 青葉』を聴く事が出来る。
WUGが終焉し、第二章の始めとなった現地参戦。そこで感じられた事をこれから書いていく。

 

 

 綴られていた”真愛”の情。

 

 パンフレット(プログラム)を入場の際に頂き、それを座席に着いて開演前に読み耽る。

合唱とクラシックコンサートのパンフレットという事で、仰々しい物言いにて綴られてるのかと構えてみたのだがそんな事は全然感じなかった。特に、指揮者の太田代さんによる全曲解説での語り口はユーモアを所々折り込みつつ締める所はきっちりと締めている件は、楽曲所感を書いておる自分にとって凄く参考になるところであった。

そして、活動の軌跡と記録の中に『Wake Up,Girls!』の名を刻んでくれた事……
末項にあったWUGとイーハトーヴシンガーズが写る写真は昨年の岩手公演のモノだ。


まだ公演が始まってもいない段階。でも、このパンフレットを読んで勝手に感じたイーハトーヴシンガーズの真愛の情は尊く、信じても良いと感じさせる。自分の中で囲ってしまっていた偏狭な枠がこの開演前の段階で外れてくれた様に思えたのである。


それと、このパンフレットにはある仕掛けが施されていたんだ。
仕掛けについては後述にて書く事にする。

 

 


 風と旅立ちの謳……再び。

 

 伴奏は舞台に鎮座しているグランドピアノのみ。それに50人以上の生の歌声が加わる。
本当にシンプルなモノで、合唱という歌唱表現に飾り立てる余計な要素はいらないのだと。生の歌声がそれを強烈に訴えかけて来てる様でもあるが……俺の残念かつ鈍感な聴覚では合唱という表現の良し悪しは全然分からない。尚且つ、合唱曲の知識も学生時代の音楽の授業で歌ったモノしか知らない。分からん、知らん尽くしでも楽しめるのか?開演前よりか敷居の高さは幾分低くはなったものの、抱いてしまい勝手に作ってしまった敷居そのものは無くなってはいない。だが、皆さんの生の歌声が説得力を持ち場を圧倒していったんだぜ……。


楽曲『イーハトーヴの風』。岩手県では学校でも歌い継がれている楽曲と聞いた。
そして、イーハトーヴという地。架空の理想郷の事だが、岩手の方にとっては魂の拠り所なのだろうし繋がりの強さは岩手の繋がりが薄い自分には到底計りがたい想いが込められているのだろう。
この楽曲は岩手の自然の風景と息吹、風の匂い、刻を重ねていっても変わらない魂の安らぎや生命への感謝が溢れた楽曲なのだと……。

茹だる様な灼熱の東京。でも、あの刻の会場で歌われた事により
魂にはイーハトーヴの風が吹いて感じられた……と俺は思っている。
 

『旅立ちの時 ~Asian Dream Song~』は『イーハトーヴの風』と同様にWUGの岩手公演に出演された時に歌われた楽曲。叙情的な曲の音運びと背を押し励ます様な詞の構成は、沁み入るようではあるのだけれども秘めている力強さを感じさせてくれる。あの日の岩手の夜でこの楽曲を歌われた事の意義は深くて重たい想いがあったのだと……。
当然ながら、あの日の雰囲気とは全然違うモノだが、当時参戦が叶わなかった俺には刻を経て想いがようやく届いた様にも思えてならなかったのである。

 

 

 先入観という食わず嫌いを打ち砕く調理(アレンジ)。

 

 第二部で披露された『魔笛』と『レクイエム』。
疎い俺でもこの二曲の名は聞いた事のあるバリバリのクラシック(オペラ&ミサ)楽曲。フル尺で披露するととんでもない時間になるので一部の披露となる。
曲題の『魔笛』の字面がやっぱりおどろおどろしい上に、自分にとって馴染みが薄いオペラであることから作風に関しては全くのノーデータである。もしかすると音楽の授業で触れてたかもしれないが、そんな大昔の事を俺の残念な脳ミソが覚えておるワケがないので初聴と言ってもいい。

全曲解説の『魔笛』の項では、モーツアルトの晩年の年の『明』の部分を表現してアレンジしたと書かれていました。それを踏まえ、実際観ていくと『明』の部分を表している様なコミカルテイストの演出になっていて、例えるなら未知の料理を初めて味わう日本人の舌に合う様な調理をした…的な。(分かりずらい例えだなww)で、調理アレンジされたモノだが、楽曲の物語にすんなりと入り込めて楽しむ事が出来たのである。


『レクイエム』。モーツアルトの生涯最後となった楽曲。
死者を悼む楽曲である属性からか、イメージ的にはRPGで全滅してゲームオーバーになってしまった時に流れる悲壮感満載の曲調なんだろうと勝手に思ってたんだが、実際に聴いてみるとだ…これまた先入観や偏見をいい意味でブッ壊していったんだぜ。

特に、3曲目の『Dies irae』。ここの章では死者を悼む哀祷の意を汲むというよりは、この楽曲の解説にあった様に何かへの怒りを感じさせる力強さがあったんだ。彼がどういった経緯で『レクイエム』を執筆したかについては色々な説があると言われるのでこれという確証立てるのは不可能ではあるけれど、要因の一つだと俺が勝手に思ったのは、やっぱり怒りから来たモノじゃないかと。

楽曲に限らず、絵画や文章等の創作物には表現者のその時に抱いている感情が反映され易いと聞いた事がある。作られたモノに感情が乗り移る……よく俺は血が流れると書くがそれなのだろう。
余命幾ばくもなかったモーツアルトのまだ生きたい!という想いと世の理に対しての怒り……それが刻を越え、イーハトーヴシンガーズの皆さんに想いが憑依したのだろうと思わせる程に圧倒された気がする。

 

 

 継承される“心の光”。

 

 『言の葉 青葉』。一部のラストとアンコールで歌われた。
この楽曲を披露する前に、太田代さんはこの楽曲への想いを語られていた。


WUGが解散してしまった今、『言の葉 青葉』を歌い継ぐのはイーハトーヴシンガーズしかいない。そして、この楽曲を世に伝える責任があって、歌い継いでいって後の世の教科書に載せられるまでにしたいと!
それは強い決意と覚悟が太田代さんの言の葉から伝わって来るモノだった。
ステージで歌う姿と同様に、本気の想いを感じられない言葉は見破られてしまうモノだと思う。逆に、本気の想い、決意、熱、覚悟を持って放つ言葉は重く意義のある生きた言葉になる。
言の葉 青葉』を歌う事となり、歌い継いでいく事を受け入れて次にすべき事が見えたのだと思えて来るのだ。WUGの岩手公演に臨む際に、混声四部合唱用にアレンジされたと奥野香耶さんはBlogにて語られていた。でだ…直に今回自分の耳で聴いて唖然としたんだぜ。


アレンジなんて生易しいモノじゃなかった。


魂はそのままで新たに生まれ変わってたんだよ……


原曲には無かった男声パートが加味された事で楽曲が持つ樹木の生命力の強さに重厚さと深みが加味された様に思える。勿論、女声パートも素晴らしく、厳しい季節を耐え忍んでそびえ立つ凜としてそびえ立っている木々を想像させられたのである。何言ってるか分からんし、どう称していいかのは俺の残念な語彙力では出来ないが……これは正当進化。期待を裏切らない進化と称すべきなのだろうな。


で…ここでようやくパンフレットに施された仕掛けについて書かせてもらう。
その仕掛けを発動させる方法はアンコールの時に告げられたんだぜ。


パンフレットにQRコードが記されていて、それを読み込むと画面には青葉の画像が映る。
参戦されたワグナー諸氏はサイリウムを持参しているが、そうじゃない層の方達は持っていないワケだ。WUGのイメージカラーであり、青葉の色でもある緑の心の光。一人でも多くの緑の光で照らす為のイーハトーヴシンガーズからの心遣いと楽曲に対しての敬意の念が溢れている様に思えてならなかった。

で……歌う表現者によって楽曲が持つ表情は変わるモノだ。
アンコールで披露した『言の葉 青葉』はWUGですら引き出せなかった領域を引き出したんだ。


その領域は、楽しさだったんだぜ。


この楽曲を直に聴いてそんな感情を抱くとは思わなかった。アンコールでは観客も確か一緒に歌う様に呼びかけていたと思うので、それも要因だったのだろう。


 ただずっと 一緒にいよう


Wake Up,Girls!言の葉 青葉』より引用


これは勝手な推測の域で恐縮ではあるのだけれど……ここの詞にイーハトーヴシンガーズが『言の葉 青葉』に懸けている想いの根幹を成していると思えるのです。
託された誓い、心の光で繋がる想いと魂。奏でられる旋律と歌われる声の音を皆で共有しひたすらに楽しむ事。


これまで、数多のポップス楽曲が合唱曲として生まれ変わって教科書に載り、多くの人が歌い継いだ。イーハトーヴシンガーズが『言の葉 青葉』を今後も歌い継いで行き、そして、他の合唱団や共に歌う人が段々と増えていく事でこの楽曲は朽ち果てずに東北の魂も受け継いで生き続けていくのだろう。


想いを継承し繋ぐ為には人が成す事。簡単じゃない事に踏み込み進む決断と覚悟を示してくれたイーハトーヴシンガーズの皆様には本当に感謝しかありません。

 

 


 最後に。

 

 
 ここに書き記した以外のアクトも本当に素晴らしかった。
ただただイーハトーヴシンガーズの合唱に、目と耳を傾けて聴き惚れた。楽曲を最初から最後まで集中して聴き、曲が終われば賛辞の拍手。聴く者を楽曲の世界に誘い傾聴させて音をただ楽しむだけ。
合唱という表現の奥深さを知ったなどと言うつもりはないが、その領域へと踏み込める為の入り口には立てたのかなと感じさせてもらえた様に自分なりに感じた事であった。


それはこの場に来なかったら絶対発見出来なかった。


そして、ここに導いてくれたのはWake Up,Girls!の七人がいたから。


彼女達が導いてくれたこの縁は大事にしたいと思う。


ライブとはまた違う類の音楽のチカラが間違いなくあの場と刻には在った。
それに出逢えた事が嬉しくあり、尊いモノだったと思える。


この刻でイーハトーヴシンガーズのコンサートを観れて本当に良かった。
イーハトーヴシンガーズの皆様、スタッフ、参戦された皆様に感謝を。

 

最後まで読んで下さりありがとうございました!

 

 

 

 

“高く跳べ“と魂が爆ぜた刻。~Run Girls, Run! 2nd Anniversary LIVE 1.2.3ジャンプ!!!参戦レポ

 8月4日。渋谷CLUB QUATTROで開催された『Run Girls, Run!』結成2周年記念ライブ

 

f:id:Akatonbo02:20190809232828j:plain

f:id:Akatonbo02:20190809232841j:plain



Run Girls, Run! 2nd Anniversary LIVE 1.2.3ジャンプ!!!に参戦して来た。


今回の記事はこのライブの参戦レポを色々と書き殴っていく。

 

 

 


結成から二年の刻が経ち、新たな挑戦の軌跡を駆けて行く『Run Girls,Run!』。
俺が直に彼女達三人を観るのは昨年の1stツアー東京公演以来となります。

簡潔に一言で表すと、本当に楽しくて素晴らしいライブでした。

全力全開で盛り上れたし、ランガの三人も活き活きと楽しんでパフォーマンスしていた。
変わろうとする想いと覚悟。未知の可能性。三種三様の個の力の輝き。
1stツアーでも感じさせてくれたこれらの要素を更にバージョンアップさせてこの戦に臨んで、その成果をきっちりと魅せ付けてくれた様に自分は思っています。


ただし……諸手を挙げて全てが素晴らしかったとは言い切れない。
何か引っ掛かってしまっているモノがあるんです。

自分は、彼女達三人をこれからも観ていくと決意した以上、これらを知らん振りするワケにはいかないので、引っ掛かったモノと真摯に向き合って今抱いている想いを書き殴っていこうと思う。

 

 

 

 駆けて、翔けて、懸け抜けてきた三つの星。

 

 自分が参戦したのは夜の部のみだが、この二周年記念ライブのチケットは昼夜ソールドアウト。
渋谷CLUB QUATTROの収容人数は約800人位と聞く。単純に今回の二周年ライブ昼夜公演共にソールドアウトという事実は『Run Girls,Run!』の存在と直に観たいという層が増えた事の証明だった様に俺個人は思っています。


『Run Girls,Run!』は止まらずに三人なりのやり方で成長しているのだと。


そして、ライブが開幕し三人がステージに登場して来る。
その彼女達が纏っていたのは、WUG新章の最終話で二次のランガ&現実のランガが昨年WUGと共演した『Green Leaves Fes』にて纏っていた衣裳。三人が勝ち取った初めての役である、歩、音芽、いつかの想いと魂も共に在ってこの二周年ライブに臨んだのだと……勝手に感じて胸が熱くなって来る衝動に駆られたのだ。

で、オープニングアクトで披露したのはデビューシングル『スライドライド』。
原初の楽曲である『カケル×カケル』ではなく、この楽曲を二周年ライブという特別な刻の初手に持って来たのは三人の意地の様に自分は思えた。そして何よりもこのアクトで驚愕させられたのは、三人の更に進化を遂げたパフォーマンスと楽曲の異常な進化だろう。この楽曲、リリース当初は一部酷評の声があったと聞く。おそらくその声を彼女達は聞いていると思えるのです。刻を経て彼女達はこの楽曲と向き合って共に闘って来た。
その闘いの成果が会場の異常な熱気と興奮なのだろう。


林さんの元々持っていた歌声の伸びやかさは健在であり、そこに更なる力強さが加味され、その佇まいと『我』は只ならぬモノを感じ、魅入ってしまった。

リーダーの森嶋さん。彼女はいつもどんな時でも笑顔全開、元気溌溂で歌い踊られている。毎度同じ様な事を書いてる気がするが…森嶋さんが停滞しておるという意味ではない。これが森嶋優花という表現者が勝ち抜く為に貫く『闘い方』なんだと改めて思わせられた。

厚木さんを観て…正直、圧倒され魅入られてしまった。ダンスの所作のキレが異次元の領域に突入してたんだよ……。人の身体ってあんなに鋭角的かつ滑らかで優雅に動けるモノなのかと、開いた口が塞がらないと言うのはまさしくこの事なんだぜ……。更にだ。彼女の歌声が以前より出ていた。と言うか、力強くなったと称するべきなのだろう。後のMCにて厚木さんは歌う事が楽しくなったと言っておられたので、様々な場で歌う事が多くなった事により自信を深めて来たのだろう。


『スライドライド』できっちりとライブの雰囲気に火を付け、続く『サクラジェラート』と『秋いろツイード』でまた違った彩りを付加させ…ランガのアンセム・ソング『カケル×カケル』で熱狂にブースト点火させ、もう止められない程にまで加速していってしまう。圧倒的な速度で突っ走る彼女達にこちらが出来る事は、何としても振り落とされずに付いて行き闘う事だけ。叩き上げの魂を存分に感じられた激熱なライブだった。

 

 

 

 継承される者と楽曲……縁への感謝。

 

 ランガの三人に最も縁深く、彼女達の遥か前を突っ走って来た『Wake Up,Girls!』。
終焉の刻が過ぎ去ってしまったこの刻であの七人の楽曲をライブで聴くのは叶わない事。


けど……聴けたんだ。歌ってくれたんだよ。WUG楽曲を。


歌われたのは『SHIFT』と『地下鉄ラビリンス』。


『SHIFT』とは転換点という意味を持つ語句。それと、世に認めてもらいたいという願望を謳った楽曲でもある。この節目・区切りという刻にこの楽曲を選んだのには彼女達なりのこれからの軌跡に懸ける想いというモノがある様にも感じられる。途中の『あー鍵が無い~』から始まる台詞パートがWUGのSSAライブと同様、あの場でもカットされていた。(…まぁ、あの会場でステージから降りるワケにはいかんだろうwww)


ランガの三人もきっとこの先に続く軌跡のドアの鍵はもう彼女達の手にあったのだろうと…。


そして…『地下鉄ラビリンス』。この楽曲も彼女達と縁の深い楽曲だ。
ダンス動画をアップしているし、『Green Leaves Fes』で永野愛理さんと共演し披露されている。都心の複雑に絡み合う路線模様を迷宮に準え、それに翻弄されながらも何とか順応していこうと苦闘していく…。

ランガの三人もまた、表現者の軌跡という名の出口と辿り着く先の景色が見えない迷宮を現在進行中の身。先が見えないというのは不安なモノ。だが、止まっていたままならこの迷宮からは絶対に出られないし未知の景色には辿り着けない。この楽曲を組み込んだのは変わろうとする想いを持って一歩踏み出す勇気を示す様に思えてならなかった。


ランガの三人にとっての、一番先のそれぞれに違う景色は何が見えたんだろうか?


そして……この二曲の披露順は、WUGのSSAで披露された順番通りだったりする。

 

 

 

 『悔しい』と吠えた三人を見殺しにするな。

 

 ここから書く事は、俺が勝手に感じただけの偏狭なモノ。
読み進んで不快に感じてしまったら容赦なく飛ばしてやって下さい。

 

この2周年記念ライブ、途中で興奮が醒め冷静になりすぎた所が自分の中であった。
その箇所だが……カバーソングコーナーなんだ。


あくまでも俺が勝手に感じている『Run Girls,Run!』のウイークポイントなのが、武器(ランガオリジナル楽曲)がまだ少ない事だと思っておる。実際、1stツアーや今回もカバーソングコーナーを設けなくてはならない状況があった。

一概にカバーコーナーが駄目と言いたいワケじゃない。ランガのライブに参戦される客層は様々な界隈から来られている。幅広い人達を楽しませようとしている事も分からんでもない。現に俺も1stツアーの東京夜公演で林さんが歌われた水樹さんの『ETERNAL BLAZE』でブチ上がったしな……ただ、今回歌われたカバーの楽曲の中で俺の知らん楽曲が来たので何か醒めた様な感覚になってしまっただけなのかもしれない。


で……MCの中、昨年のツアーに関する事で厚木那奈美さんが『1stツアーで会場を埋められなくて悔しかった』と仰られた。

(つらかったと言っていたかも知れんが…俺は悔しいと聴こえたのでそう書く)

単純にその事を悔やんでいるのは間違いなかったのだろうが、カバーを歌い公演を成立せざるを得ない状況に自分達がまだ居るという事に対して言っていたのではないだろうか?


ライブで自分達が何かの影響を受けたり、好きな楽曲を歌うのは楽しいものだろう。
でも、やっぱり表現者としては自分達の武器(楽曲)て本気の想いを伝えたい!と思っているのが本音なんじゃないだろうか。WUG楽曲を披露し歌い継いでくれるのはありがたい事ではあるのだけれども、WUGの魂に引っ張られる必要はないし、ホイホイ披露されると逆にありがたみが薄れていってしまう。暴言なのを承知で言ってしまうが、無い袖を振れない状況なのはどうにもならんが…やっぱり単独公演においてこれは安易な手段でしかないと俺は思うし、縁の薄い他のコンテンツや人の楽曲は尚更の事の様に思えるのである。



それで良いのか?いや、良くねぇだろ。おこがましいが無礼を承知で言う。

 


弱いと自覚してるのなら憮然とせず尚の事闘って認めさせてくれ。


安易な手段を選択し、それに逃げるな。


『悔しい』と吠え、闘う意思を示した彼女達三人の想いに応えろ。

 

 

寄り添ってやれるのはプロデュースするOTONA達だ。
安易な手段と上記では言ってしまったが、無策だったとは思っていない。夜の部はカバーコーナーをデュエット形式で魅せたし、歌に拘った全体の演目構成も見事だったと思う。後は楽曲が増える事だがこれはすぐには解決しない事なのは承知しておる。醒めてしまったとは書いたが、決して彼女達のパフォーマンスが見劣っていたワケじゃない。全力全開のパフォーマンスで魅せてくれた事は疑いようのない真実として在った。


こんなのは俺が書かなくても当事者達が痛感しておると思うし、申し訳ない事も承知してる。
でも、書きたかった。あの場で感じた事でもあったし、向き合わなきゃいけない事だから。

 

 

 終わらない物語。


 
 ラストアクトとなった『never-ending!!』。
この結成2周年ライブの要の楽曲だと思えるので単独項目で書かねばならないぜ。


奇を衒わない、もう気持ち良い位に真っ直ぐで清々しい雰囲気を持つ楽曲であり、共に軌跡を行く仲間との繋がりと絆。限界の向こう側と未知の可能性を信じて突き進む気概を描写しているのは、原初の楽曲『カケル×カケル』の系譜を踏襲している楽曲でもあるし、これまでの軌跡を思い返していく追憶の楽曲なのではと思える。彼女達が『never-ending!!』をこの節目となるライブの締めに持って来た事の意義は深くて尊い。この刻で歌われた事も当然ながら影響してるのだけれども、歌詞の一句一句がグサグサと突き刺さって来るんだぜ……。



 どこまでも走れ 止まっちゃいられない

 心ときめく夢をみよう (take a chance)

 ひとりじゃないさ 手を繋いで進むんだ

 まだ物語は 終わらない 未来へと


 ―Run Girls,Run! 『never-ending!!』より引用



披露の刻を待ち続けたのは、ランガだけじゃない。2周年ライブに参戦された方。参戦の叶わなかった方。彼女達に魅せられ本気の想いと魂に応えたい人達の総意だったに違いなかっただろう。
ちょいとニュアンスは違うが、詞にある『止まっちゃいられない』は1stツアータイトルに題された『止まってなんかいられない』を感じさせる様であり、何ともエモーショナルで胸熱になるじゃないか。


never-ending!!=まだ終わらない。この刻から始まる彼女達の新たな物語がそこには在って。
三人が願った言の葉を言い続け、叶う物語と景色を追いかけてみたいと思わせた。

 

 

 

 最後に。

 

 新曲のリリースも決定し。

 

 


そして…この2周年記念ライブの追加公演開催が決まった。

 

 


開催される地は、リーダー森嶋優花さんの出身地である京都。
彼女にとって凱旋公演となる。

 

ここからまた『Run Girls,Run!』はますます面白く魅力的になっていくだろう。

 

そんな彼女達の新たな一歩となったライブの参戦レポににて……
好き勝手に、尚且つ、上から目線の偏狭なもの言いで書き殴ってしまった部分もあるが…

全て偽り無い俺の本心を書き殴った。

会場に参戦して素直に感じた事は、良い事も悪い事も書き残そうと思い筆を執った次第です。でも、良い事の比率の方が多い素晴らしいライブだったのは間違いない事実だったんだ。

その証拠に、終演後は出し尽くした心地のいい疲労感を限界まで吠えダメージを受けた喉。だからこそあの刻と場で感じられた事は言語化して残しておきたかったのである。


久々の参戦レポ執筆で、書き方をすっかり忘れてしまい書きたい事が余す事無く書けたかどうか怪しいモノだけれども……

 

こんな参戦レポを最後まで読んで下さった方本当にありがとうございました。

 

 

 



 

第二章(初出社)開幕前夜。

 どうも。あかとんぼ弐号です。


いよいよ明日、新しい職場へ初出社。第二章の開幕であります。


今の心境ですが…まぁ、不安の方が多くのウェイトを占めていますがwww
やっぱり、4ヶ月間無職で過ごすと、『俺はきっちりと社会復帰できるんだろうか?』という不安が付き纏うのは事実としてあるものです。朝、きっちりと起きれるかどうかもそうだが……

何よりも、未経験の業種に踏み込んだので、全くのゼロからのスタート状態というワケじゃないが、まぁ……ほぼゼロ状態からの再出発なのであります。ただ、それを覚悟して未経験である業種へのチャレンジに踏み込んだ。

俺の場合、強制的にこちらの軌跡へと進まなくてはならなくなったが、その先の選択と決断は俺が決めた事。決断した軌跡が正しいかどうかは自分の行動で決まるモノ。これもまた『縁』が導いて結んでくれたモノでもあり、この決断が間違いではない事を証明していく。


それでは…明日からの仕事頑張ります!!