巡礼者のかく語りき

自由気ままに書き綴る雑記帳

Run Girls,Run!1stツアー東京公演急遽参戦に寄せて。

 あれは……激熱で濃密な刻の中にあった5月の幕張での事。
自分は幕張イベントホールで開催された『Wake Up,Girls!』と『Run Girls,Run』の初の殴り合い合同イベント『Green Leaves Fes』に参戦しておりました。
あの『戦場』にてWUGの七人とRGRの三人がそれぞれに魅せてくれた本気の想いと魂に全開で燃え滾り楽しんだ。その模様は自分が後日書き殴った参戦レポが今迄自分が書き殴って来た参戦レポ史上最長の文章になってしまったwww

 

(冗談や誇張ではなく、本気で長いですwww)

 

akatonbo02.hatenablog.jp

 


 そのイベントの最中、WUGの5thツアー(6.15以降FINALと銘打つ事となったが…)とRGRの1stツアー開催決定の報が告げられた。
そして、このRGRのツアーの開催地だが、WUGの1stツアーと開催地(大阪・宮城・東京の三都市)が一緒なのである。
しかもだ。その三会場共にかつてWUGがライブやイベントを開催した会場なのである。


 大阪・ESAKA MUSE(1stツアー)

 宮城・SENDAI GIGS(五周年記念ライブ)

 東京・品川ステラボール(WUG初の単独イベント「イベント、やらせてください!」)


コイツはこの期になって何言ってやがるんだという各方面からのツッコミは華麗にスルーするとして…
この開催地と会場にしたのは、終焉の刻を迎えたWUGに対する当て付けの様に捉える人もおそらくいると思えなく無いが……


個人的にはWUGと同じ軌跡を往く事で、繋がった『縁』への最大の敬意と感謝を示して未知の領域へと進んで行く決意を表示したように思えてならない。


RGRの三人がデビューして一年の刻が経った。
彼女達に思っている事というのは人それぞれに違った印象があると思います。
WUGと同等の情熱を傾けて応援されている人、一線を引き距離をとられている人、今後どういう位置で見て行くかを見定めようとしている人…etc
自分のRGRへの向き合い方だが、一応楽曲は聴き、メンバーのBlogに目を通す位なモノで…まぁ、情熱的な方ではなくて、どちらかと言えば見定めているというスタンスに近いと思う。
で、コレだけはこの場で言っておくが、俺はRun Girls,Run!の三人にWake Up,Girls!の代替という見方は絶対にしていない。
確かに妹分的な見方を今までして来てはいたが、妹分=代替・義務感で応援するのは違う事だ。


……前置きが長くなったが、今週末(11月10日)はRGRの1stツアー千秋楽・東京公演である。
そして、夜公演のみだがそんな自分もつい先日この日がほぼ確実に空く事になったので急遽参戦を決意してチケットを購入した。
5月の幕張で観た彼女達三人の『個』の力は自分の印象に深く刻まれたモノだったし、あれからまた他のイベントで揉まれて更に成長を遂げた
彼女達が何を魅せて滾らせてくれるのかを純粋に観てみたいという想いと、今後追うに値するユニットかどうか見極めたい為である。


ステラボールという名は歌手・松任谷由実さんが「たくさんの星、新しい星が輝く場所」という意味を込めて命名したとの事。
WUGの七人がかつてこの場に立ちそれぞれの輝きを放った様にRGRの三人もそれ続こうとし更なる輝きを増そうとしている。


11月10日。Run Girls,Run本気の想いと魂、変わろうとする覚悟と決意を東京・ステラボールにて俺はきっちりと網膜と脳髄に焼き付けるつもりだ。

 

 

異端者による 『Wake Up,Girls!新章』独自考察【人物編2~I-1club編】

 今回も『Wake Up,Girls!新章』人物編独自考察I-1club編となります。
様々な捉え方が可能な良い意味で面白くもありますが、彼女達に関しては様々な解釈があると思われます。

 

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それ故に読み解くのが困難な人物達ですが
今回も俺なりの解釈にて彼女達の新章での物語を紐解いていこうと思います。
解釈が異なる部分もあるとは思いますが、これは俺なりの主観に基づくものですので予めご了承下さい。
では、巷に存在するであろうI-1過激派の影に戦々恐々しつつ独自考察を書き殴っていきます。

 

 

 

 

断行された『血』の入れ替え ―近藤麻衣から吉川愛へ託される未来…―

 


 変革の刻を迎えたI-1。時代の奔流を乗り切る…いや、頂点で輝き続ける為に白木さんは様々な策を打ち出しI-1の改革を断行する。全国各地にあるI-1シアターの休館や閉館では最早乗り切れる事態ではなくなりグループの再編に着手しなければならない状況へと追い込まれたと言っても良いだろう。その一つの策として大鉈が振るわれたのがI-1キャプテンの代替であった。

この代替、CDセールスの相次ぐミリオン割れやライブでの空席が目立ち出したり(エターナルセンシズの描写でそれがある)と…その責を問われてという事もあるのだろうが、それで収めるという単純な事じゃなく、世相に与えるインパクトと話題性の方を重視して決断したと考えるのがしっくり来ると思われます。

この報を聞いた時の麻衣の心境はいかがなモノだったのだろうか?当然、納得はしてはいないでしょう。彼女がいつ頃から束ねるキャプテンの地位に就いていたのかは分かりませんがおそらくはI-1黎明期から就いていたのでしょう。旗揚げから隆盛を極めそして今日に至るまでグループを牽引し統率してきた自負と矜持。

だが、同時に抱いていたのは緩やかに人気が翳りだし凋落の一途を辿ろうとしていくI-1を踏み留められなかったという責任や憤りを感じていたとも思われる。なんとか盛り返したいという想いは勿論あるが、白木さんの宣告に異を唱えて歯向かう事が今自分がすべき事じゃない。自身のエゴを貫くのではなくグループの未来を慮り、決断した白木徹が一度下した決断を断固として揺るがせない事を充分過ぎる程に理解していると思われる彼女は彼の宣告を潔く(ではないだろうが…)受け入れ後任に後事を託した……


これは自分の近藤麻衣へ対しての独自解釈なのですが、彼女をここまで支えて来たモノ…別の表現で喩えるなら『信念』や『覚悟』と称させてもらうがI-1を存続させるのは大前提としてあって、それを踏まえ今以上に隆盛させ尚且つ麻衣自身が輝き続ける事で、I-1を様々な事情で志を遂げられず無念の想いを抱き去ってしまったかつての同胞達に報いる事…麻衣なりの手向けと言ってもいいのではないでしょうか。

闘い続けるのは強くあり続ける為。魂が折れそうになったのは数え切れないほどあったはず。その彼女を支えたのが先述の去ってしまった同胞達への想いに応え続ける事なのだろう。

麻衣が背負っているモノはI-1を統率する者という地位だけじゃなく

志を遂げられなかった同胞達の想いを背負って最前線で輝く事が近藤麻衣の貫き通したい『信念』と『矜持』

それは一人のアイドル・近藤麻衣ではなくI-1clubの近藤麻衣として貫けなければ意味を成さない。キャプテンを解かれる宣告を潔く受け入れたのも去っていった者達への手向けの想いがあるからこそ…
無念や葛藤の思いはあれどもキャプテンの地位ではなくともその想いは貫けると最終的に麻衣は感じたと思えるのではなかろうか。

 

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 『頼んだよ……』


眸を潤ませ必死に涙を堪えながらも、決して顔は俯かずに次代のキャプテン・吉川愛に後事を託す。さながらそれは後継の儀式のようにも見えなくも無い。
そして…近藤麻衣の『信じてる』モノの為への新たな闘いがこの刻から始まったと思うのであります。

 

 

 


 次代キャプテンに任命されたのは、近藤麻衣と同じく旗揚げからI-1clubに在籍していた吉川愛。推測の域だが麻衣が潔く身を引く決意をさせたのは彼女が後任に就くからなのかと思えるんです。

自分はキャプテンの器ではないと頑なに拒否するが、愛になら後事を託せると麻衣は彼女を説く。麻衣の中では自分とは違う形でI-1を導いていけると感じたのかもしれない。

メンバーを叱咤激励し闘う姿勢を示して導く所謂『闘将』タイプだった近藤麻衣。愛は麻衣とは間逆のタイプで直向きに研鑽を重ねフロントメンバーに居続けられていてその努力の姿勢でもって奮起を促せられる『背中で引っ張る』タイプのリーダー像を白木さんは愛の中に見出していたと思い、彼女を次代のキャプテンに任命したと思います。行動で示すという点ではWUGのリーダー・七瀬佳乃と相通じる部分を感じさせます。
仕事での繋がりや志保の一件以降、愛と佳乃が個別で連絡を交わす間柄になったのは双方共に何か感じたモノがあったのかとも思わせますな。

頑なにキャプテン就任を拒み続けていたのには単に自分には務まらないという理由だけではなかったと思います。

現在のI-1本隊に彼女や麻衣、そして岩崎志保と同期である一期生は何人生き残っているのだろうと考えたのですが…島田真夢や黒川芹香のように脱退したのか、もしくは自分の進む別の軌跡を歩む為に去った者もいたりしておそらくはもうこの三人しか居ないのではと解釈している。で、黎明期よりI-1を統率してきた麻衣の姿を現在在籍しているメンバーの中では最も長い刻見て来ているからこそ、その重責や並大抵の覚悟では務まらない事を充分過ぎる程に痛感して更には彼女自身の性格もあり、自分には出来ないという判断に至ったのだろう。

一方、麻衣もまた最も長い刻の中で愛を見ていました。かつてはI-1とI-2を行き来していたが弛まぬ努力を重ねた末にフロントメンバーの地位を勝ち取った彼女の魂の強靭さを誰よりも知っている。
真夢や志保の様な天賦の才は無いと自覚し、才能が無いなら努力するしか生き残る術はないと常に努力し続けるのが吉川愛の信条であり『信じている闘い方』なのでしょう。

麻衣はおそらく自分には出来ない要素で愛がこれからのI-1を統率していけるという確信めいたモノを彼女に見出せたからだったと思えるのであります。
それを象徴する場面が12話の真夢と白木さんとの密会を雑誌記事にすっぱ抜かれ、それを見たI-1メンバーが動揺している場面での愛の台詞にある。

 

 

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 『私達は私達のやるべき事をやろう。そうすればきっと大丈夫。』

 

真夢と白木さんが会っていた真の理由を知っていたという要因はあったのかもしれないが、もし真相を知らずとも彼女は同じ事を言ってチームを引き締める事を言ったと思えます。
周囲がいくら騒ぎ立てようが関係ない。自分が今すべきなのは可能性を信じ続けて直向きに遥か高みへと挑戦し続けるだけ。今迄に彼女自身が信じて貫いてきた『闘い方』は絶対に曲げない。

 

 

  自分の事 信じてる


 ―I-1club『止まらない未来』より引用―

 


このたった一行の吉川愛のソロパートに、愛のこれまでの軌跡にて貫いてきた『信念』と『覚悟』、そして双眸に滾る力強い眼差しが周りを引っ張って行く。
愛の静かながらも燃え滾る魂の炎は周りを巻き込んで更に燃え盛っていく。

そこに自分は近藤麻衣とはまた違った異質な強さを吉川愛に見たと言えると思えます。

 

 

 

 


次世代の『血』に継承された"想いと魂"そして…"未来"

 

 


 これまた俺の中においては、"彼女"高科里佳の存在もまた新章のI-1を語るにあたり外す事の出来ない人物である。

彼女は描写の成されているI-1フロントメンバーでは最もキャリアの若い次世代の者であり、岩崎志保と背格好が似ている事から彼女のアンダー(代役)として抜擢された経歴を持つ。

志保に憧憬と尊敬の念を抱き、彼女の背を追い求めただ直向きに努力を重ねていき…2015年のアイドルの祭典ではフロントメンバーの一員にまで上り詰めた。そして新章においても引き続きフロントメンバーを務めていて、I-1改革の一手として新たに立ち上げたセンターユニットのメンバーにも名を連ね、アイドルとして順調にキャリアを重ねていっている姿が描かれております。

里佳がここまでの成長を遂げられたのは、彼女が憧憬と尊敬の念を抱き慕い、また師弟的な関係を感じさせる岩崎志保の存在は絶対的なモノでしょう。
続・劇場版後編『Beyond the Bottom』にて里佳が博多に発つ志保へ『私はこれまでもこれからも志保さんのアンダーです』と言っていた。この里佳の言、様々な解釈が出来ると勝手ながら思っております。

ポジティブな方へ解釈すれば、言にあるようにこれからも自分の目標の存在であると捉えられる事が出来ますが、裏を返してしまえば志保の背を追うだけで満足してしまってその末に待つ停滞という捉え方も成り立ってしまえる…

先述にあるように、新章での高科里佳の描かれ方は弛まぬ研鑽を重ねていって順調にキャリアを積んでいっている事から自分はこういう解釈へ辿り付きました。
岩崎志保への憧憬と尊敬の念は未だ失われずに持ち続けて、里佳の遥か先の軌跡を走り続けている"志保の幻影"を全力で追っているからこそ成しえた里佳自身の成長の賜物であると。

里佳の心中に存在している志保の姿はI-1club二代目センター・絶対王者としての岩崎志保の姿なのだと思います。その志保のアンダーであった事は里佳にとっては誇り』であり今日のアイドル・高科里佳の根幹を成している最重要な要素≒『魂の炎』なのだと。自分が不甲斐無ければ志保の存在を汚す事となってしまう。逆に里佳の輝きが更に強くなっていけば彼女の心中に在る志保もまた強く輝き続ける。

かつて、岩崎志保は"島田真夢の幻影"に囚われ(あえてこの字をあてさせてもらう)真夢に対して憎悪に近い感情を抱きながらも独り闘って来た。だが志保と里佳が決定的に違っていたと思われるのは、幻影に捉われていたという点では同じだが、彼女は負の感情を抱かず、ただ直向きに純粋な想いを持って"志保の幻影"を追い求め続けられ、尚且つ追いながらもその先の道がちゃんと見えていたように思えます。


そして、新章での高科里佳の最重要場面がこの場面であろう。

 

 

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 『あの、私ッ!!……』  『I-1の事頼んだわよ。』

 


ネクストストームのメンバーと共にI-1を脱退し博多へと発つ志保を空港まで追ってきた里佳に、志保はI-1の未来と魂を次代を担う里佳に託した。
彼女達に多くの言葉は必要ない。二人の魂が繋がり逢い里佳にしっかりと継承される…


【楽曲編】の『Jewelry Wonderland』の項でも触れたが高科里佳を要とする人物の一人と称しました。サビに入る前の節は彼女のソロパートであり、以降は『静』の曲調だったのが一気に爆ぜるように『動』の曲調へと変化していく堰を切るかのような役割を担う。

I-1の理念と魂が凝縮された集大成的な楽曲で、次世代の『血』である高科里佳がこの重責を担う意味は重大で尊いモノであるのでしょう。

変革の奔流に囚われたI-1clubだが自分を見失わずに真摯に自身と向き合いただ直向きに努力を重ね、去り行く者(志保)より"魂"と"未来"を託された高科里佳の描写はI-1の『陽』の要素を担っていたと自分は勝手ながら思えてなりませんでした。

 


 

 

 


運命に諍う少女と心の光が導いた『未来(あす)への答え』

 


 この『Wake Up,Girls!新章』における『もう一人の主人公』と称して差し支えない人物が、I-1club現センター・鈴木萌歌だと思っております。

 

旧章では、物語に絡んで来る機が少なく続・劇場版まではあまり語られる回数が決して多くはありませんでした。

その続・劇場版以降はI-1サイドの世代交代が物語の大きな要素でもあったので、その中で萌歌の心情描写が徐々に描かれていきました。I-1の四期生として加入しその天賦の才を覚醒させフロントメンバーへと駆け上がる所謂エリート街道を往き次期センターと噂されるほどの逸材で本人もそれを意識して、次代センターは自分だと主張している不遜で勝ち気なキャラとして萌歌は描かれていました。

当時の萌歌にとってのセンター観というモノは自分自身が一番強く輝けるポジションという認識で自分がセンターにいる事が最も相応しい場所であると思っていたでしょう

そして、萌歌は志保とのセンター争いに勝ち念願であったセンターのポジションを勝ち取りました。ですが…それは同時に圧し掛かる重圧と責任、更には先代センター・岩崎志保や初代センターであった島田真夢との幻影との闘いに身を投じる事でもあった。憧憬だけじゃ乗り切れない闘いであるという事を萌歌は身に染みて実感し、更に追い打ちをかけるように時勢の波による不況が襲い掛かっていって彼女からは奔放で不遜な振る舞いは鳴りを潜めていきました。その様子は危うさと脆さが同居するモノでした。


そんな中で望んだ2015年のアイドルの祭典で『私達が負けるわけないんだから』と自らを鼓舞するが…結果、I-1はWUGに敗北してしまう。

萌歌の中で島田真夢をどう捉えていたかの描写が無いのでこれは自分の私見ですが、おそらくは『過去の人間』として認識して完全に見下していたと自分は解釈しております。そんな存在に自分が負けたという現実…最大の屈辱感と挫折を真夢から与えられてしまった。

このまま敗者で良いとは当然思えないし、現・センターがこの程度と蔑まれたままじゃ終われない。萌歌は真夢に対しての認識を『所詮過去の人間』から『討ち倒すべき敵』という認識へと心情が変わったと思います。自分が先に進む為にはもう一度アイドルの祭典でWUGと真夢に勝つ事。だが、それはますます萌歌を追い込む事になっていったと思われます。真夢とWUGへの対抗意識は敵愾心となり顔を合わせる度に刺々しく熾烈な言葉を浴びせていく。(エターナルセンシズ5話、新章1話)

WUGが出場を辞退した2016年のアイドルの祭典にてI-1は見事優勝を飾りましたが、それは萌歌の望んだ結果では無かった。そう、WUGを打ち負かして優勝し自分が真夢よりも上だという完全勝利である事を世に示す事が萌歌が何よりも望んでいた最高の成果だった。彼女の中ではWUGと真夢に勝っていない優勝は最低のノルマでしかなかったわけであります。


新章4話で、萌歌はステージの奈落へと転落して負傷し長期離脱を余儀なくされ、更には『運すら味方につけられないセンターは不要』とセンターから外されてしまい心身共にかつてない逆境に萌歌は曝されてしまいますが、志保がI-1を脱退した事で再び立つ機(センターユニットへの参加)を得ます。しかしそれは…離脱した岩崎志保の穴埋め・代役としてでした。

納得はしてなくて屈辱的なモノを感じ拒むが返り咲けるチャンスを得た事は事実であり、萌歌自身形振り構っていられる状況ではない事を自覚していました。萌歌の中に芽生え出した『真のセンター』像に近づけるのなら縋れるモノには意地でもしがみ付いてやろうという生への執念と貪欲さがこの時の萌歌に生まれた新たな感情だったのだと思えます。


奮起して臨んだI-1のクリスマスライブ。ここでセンターユニットのセンターが決定するのだが、そのプレゼンターは特別ゲストのマキナXである事が白木さんから告げられる。

時勢の波は鈴木萌歌を濁流へと再び呑み込んだと言えるでしょう。一番の魅せ場を他者(マキナX)が掠め取る事や同時刻でライブをしている志保や真夢に直接闘うわけではないが決着を付けて勝つ事。

『私はあんなのには絶対負けない!』『私は負けない…しほっちにも誰にも…』

2015年のアイドルの祭典同様に自らに暗示をかける様に鼓舞していく。


そして、ライブ終盤センターが発表されて萌歌は見事センターに返り咲く事となりましたが萌歌の表情は敗北感を滲ませ涙を堪え悔しがっているモノでした。

 

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プレゼンターのマキナXがスクリーンに映し出される段取りでしたが、早坂さんの"悪戯"により代わりに映し出され会場に響いたのはWUGが歌う楽曲Polaris
しかも歌っているのはWUGだけじゃない。WUGが見せた心の光で繋がったネクストストーム、なまはげーず、各地でライブをしているアイドル達によるものでした。

音響トラブルに遭いながらも、本気の想いと魂を伝えたいと客席に降り立ち歌い続けるWUGと島田真夢の姿に萌歌は今迄の自分には無かった新たなモノ≒心の光が萌歌に灯ったのではないでしょうか。
さながら軌跡を闇に閉ざされた萌歌へ差し込んだ一筋の光なのかもしれません。

 

真夢や志保が萌歌に見せた心の光が彼女に導かせた『答え』は勝ち取ったセンターを辞退する事でした。萌歌にとっては真夢と志保との決着をつける事が最重要事項でありそこから先の領域で頂点に上り詰める事が萌歌の目指すべき真のセンターの姿なのかと思わせるのではないだろうか。

祖を築くが、絶望の淵に立たされながらも自らの原点を取り戻し決起した島田真夢。隆盛を遂げるも、その軌跡で見失い置き去りにしてしまった原初の魂を取り戻した岩崎志保。変革の刻に諍うも、徹底的に打ちのめされ逆境に曝されながらも心の光を灯し再起した鈴木萌歌。

I-1のセンターポジションに立つ選ばれし者は何かを失う事を運命付けられているのかもしれません。

真夢と志保の姿を見て今の萌歌自身に足りなかった決定的な差…その差は紙一重なのか、途轍もない差なのか、埋められるモノかは分からないが真夢と志保が放つ心の光の存在に萌歌はようやく辿り着けた。一度は勝ち取ったセンターの地位は実はきっちりと掴み取れたモノじゃなかった。真夢がWUGで、志保がネクストストームで、そして萌歌はI-1で『答え』に辿り着いた。

 

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それぞれの『軌跡』が『奇跡』≒『心の光』へと変わっていく。売れ続けなければ(≒勝ち続けなければ)誰も幸せになれないと白木さんの言にありました。その言葉は世の理なのでしょうが負ける事で得られるモノもありそれもまた世の理で、全てに意味があって未来へと繋がって結実していく。涙を堪えながら顔を上げて『Polaris』を歌う萌歌の双眸には並ならぬ決意と覚悟、そして……未来をしっかり見据えていると俺は思えてなりません。

 


 絶対王者として登場したI-1clubですが、彼女達もまたWUGと同様に悩みを抱き、限界領域へ挑む対等な存在で揺らぎ、葛藤の中にあった。
在り方は違えども同じ刻を生きているアイドルとしてだけではなく若者としての悩みや痛みを共感出来る『戦友』として日々を懸命に闘っている。

その視点でI-1サイドの彼女達の言動や行動を見ていくと、より深くI-1clubが理解出来て、より彼女達が魅力的に思えると思えて来るのであります。

I-1サイドを重視する姿勢もまた『Wake Up,Girls!』の違う魅力の一つであり作品を考察していくにあたり重要な要素であり、故にI-1clubに関して思考を巡らす事もまた作品を語る上で重要だと自分は思うのであります。

 


 ということで、長い駄文になってしまったがI-1club編の独自考察でございました。
余す事無く書ききった!とは断言出来ませんが…現時点で感じたモノは出し尽くし、俺にとっては今、これが限界です。
書き殴っていって感じたのは、I-1clubの物語も魅力的で好きなんだなと改めて思ってしまいました。

 


 最後まで読んでいただき、ありがとうございました!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

異端者による 『Wake Up,Girls!新章』独自考察【人物編1~Run Girls,Run!&マキナX編】

 異端者による『Wake Up,Girls!新章』独自考察シリーズもいよいよ
【人物編】に突入致します。

 

一気に書き切るのは俺の気力がまず持ちませんので数回に渡って書き殴っていく事と致します。で、重たい内容のモノを書くつもりも、そしてそんな語彙力が自分にはありませんのでww気軽に読んでいただければ幸いであります。あと、本稿の内容ですが、あくまでも自分の主観により書き殴ったものです。
読まれる方の主観とは全く異なる可能性が大いにありますので、読まれる前にその点は予めご了承願います。

 


では、毎度恒例の釈明大会はお開きにして本編へ移りたいと思います。
初回はRun Girls,Run!とマキナXの独自考察となります。

 

 

 

 

 

 

 Run Girls,Run!編

 

 


観る側から伝え届ける側への変遷

 


 彼女達三人については、『新章』の前日譚にあたるコミック作品
『エターナル・センシズ』まで遡る。
三人の立ち位置はWUGやI-1側の人物達とは異なり、芸能人ではない一般市民であり
大田組の面々と同じく『観る側』の人物。同じ中学校に通うWUGファンの同級生としての描写になっておるが、音芽以外の二人はさしてWUGに興味を抱いていない印象であり音芽の情熱に二人が巻き込まれて歩といつかは徐々にファンになっていくという描き方を『エターナル・センシズ』ではしていた様に思う。


WUGでは、島田真夢と林田藍里がクラスメイトというだけで他のメンバーは赤の他人同士という関係性だった。一方のランガはおそらく仲良し三人組として描く事でWUGとの対比を表現したのではないだろうか。
『新章』においても、音芽が歩・いつかを牽引していく様な感じで描いていくのかと思われたが、6話のバスツアー回以降、そして8話でのグリーンリーヴス襲撃wwでは完全に歩が音芽といつかを引っ張っていた様に自分は思えた。

 

 


決意し、駆け上がる刻

 

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『私、やっぱり諦めたくないッ!!!』

 

 

 

 所感の方にも書いたがここのシーンの画が俺は凄く好きだ。思う様な成果が望めずそれでも笑えと言われた。それがアイドルであり
好きや憧憬という感情では通用しないその領域へと踏み込む覚悟があるのか?
元・アイドルでもあった丹下社長の言葉は三人に重く圧し掛かる。
徹底的にきっちりと打ちのめされた格好になったが、歩の魂の火種は諦めたくないという想いと共に燃え上がっていく。
ここの画での歩の眼差しが決意と覚悟を滾らせた力強いモノとして描かれているのがまた良くて、決起し(Wake Up)、軌跡を駆け出した(Run)少女達(Girls)として自分が勝手に抱いているこの作品の核・理念の様なモノをきっちりと表現し、WUGに憧憬の念を抱き自分たちもそんな存在になりたいと願う
次世代のRun Girls,Run!という『血』がこの新章の物語にまた違う彩りを加味させたと自分は思えるのであります。

 

 

ここから始まった小さな存在の軌跡

 

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 研究生扱いとしてではあるが、歩・音芽・いつかはグリーンリーヴスに所属する事となった。自分達のレッスンをこなし、身近でWUGのレッスンを見たり、時には仕事でレッスンに来られないWUGメンバーの代役となったり、様々な雑用をしたりと……陰からツアー中のWUGを支えていく。
そんな三人に感謝し想いに応えてやりたいWUGの七人はツアー千秋楽の仙台公演に三人を出演させたいと丹下社長に嘆願する。正式なデビューはまだしていないものの、同じアイドルの同胞として……
12話のラストで彼女達三人はユニット名『Run Girls,Run!』の名と楽曲『カケル×カケル』を授けられ、WUGの前座ではあるがプロのステージに立つ事になる。
遂に迎えた三人の初陣。七人から彼女らに出陣前に絆の象徴であるシュシュを渡される。ステージは誤魔化しが効かない『戦場』一緒には立てないが共に闘う魂は三人と共に在る事…WUGからランガへの無言の激のようでもあり、エールのようでもある様に思えます。

 

しかし…現実は斯くも甘いモノではなかった。極度の緊張でいつかが最初の挨拶でミスをしてしまいます。これまで冷静でいて落ち着いた佇まいを見せて来た彼女らしからぬミスだったと言えるでしょう。
おそらく彼女は想定外の事象や極度の重圧への耐性がまだ弱いのでしょう。一方で戸惑っていた歩だがWUGから託されたシュシュを見て腹を括る。彼女は開き直ると強いタイプなのかもしれない。そして音芽は即座に観客に謝罪して挨拶をやり直す機転を利かせていく。この窮地にそれぞれの別の性格が垣間見えた演出は面白いものだと自分は思えた。

 

WUGに憧れ、その想いはやがて同じステージに立ちたいという目標へと進化した。自分達を前座ではあるが同じステージへと導いてくれた七人の想いに全力で応える事。
三人がこのステージで全うする最優先事項は上手く立ち回ることじゃなく、不恰好だろうが荒削りでも構わない偽りのない全力を解き放つ事。
目の前で本気で頑張っている者を直に観たら刺激を受ける。そして情熱は伝播していくモノ。歩・音芽・いつかの本気の想いと魂は観客にちゃんと伝わって彼女達に声援を送った。

 

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ステージから降りて来た彼女達三人の全力を出し尽くした充実感溢れる表情がまた良いじゃありませんか。

 

 最終話のラストで『アイドルの祭典』が復活する事を知るWUGとランガ。『WUGさんも出ますよね?』と尋ねる音芽の問いに菊間夏夜と久海菜々美はこう返答する。

 
 『言っとくけど他人事(ひとごと)じゃないよ』(夏夜)

 『そうよ。もうライバルなんだから』(菜々美)


憧れていた存在から後輩・妹分ではなく、対等のライバル(敵)として捉えてくれた事はいつかが言ったように光栄な事でしょう。
Run Girls,Run!の三人による本当の闘いの物語は
ここからが本編開始なのだと思えます。

 

 

 

 


 マキナX編

 


 最初に…この『マキナX』に関しては物語編でも書いたが描写が圧倒的に少なすぎるので……書き殴っていく為には俺の『妄想』と『暴論』をフルドライブさせるしかありません!!

(お前の記事はそれでしか書いてねぇじゃねぇか!と言うツッコミは重々承知しております…)

 

もはや200%(当社比)俺の妄想&暴論による独自考察を書き殴った項目となりますので、予めご理解とご了承の上読んでいただければありがたく思っております。
という逃げ口上はこれ位にして本編へ……

 

 


 
"人"であろうとした者と"人"を超えるモノ

 

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 自分が観て一番気になった点ですが……11話のこの場面でマキナを見た真夢が違う』と呟いた所だ。
かつて真夢は白木さんに『アイドルである前に人間』と言い放ち、そして12話で再び白木さんに『自分たちは歌い踊るだけの人形じゃない!』とまた言い放ちます。
人の手によって生み出されたマキナXに対して違和感、あるいは存在を認めたくないという拒絶感。人間らしさを貫き通そうとする真夢からは人を超えた『究極のアイドル』として生み出されたマキナXは不快な存在だと当時の自分は解釈しました。

ただし…彼女の存在をI-1以上の強大な存在として捉えたとするならば、単に真夢に不快感を抱かせるだけの描写にはしないだろうと思えて来るんです。
この項目の冒頭でも書いたように、あくまでも俺の妄想・暴論の域で恐縮だが…
マキナXに搭載されているAIシステムがある程度の感情や性格を有するモノだったと仮定すると、真夢の言った『違う』の意味がまた変化するのではないだろうか…
相容れないモノへの拒絶感ではなく、貴女はただ歌い踊るだけの"人形"で満足なのか?!という意味合いでの『違う』という言葉であり他人から与えられた役割で自分は幸せなのか?
もしくは、彼女にI-1時代の真夢自身の姿を重ねて見ていたのかもしれない。

更に、マキナXが楽曲に込められた想いを汲み取れる事が可能とするならば…Glossy World(光り輝く世界)という楽曲が人の心の光≒一つの理想郷を表しているようでもある。
早坂さんは彼女に新たな可能性は見出せなかったのかもしれない。そして時代を創る特別な存在でもないと言う。
彼女の名に冠された『X』という文字は未知という意味があると言います。枠組みの中できっちりと安定した成果で魅せられ、尚且つそれは余程の事態がなければぶれる事がない。
一方で人は様々な要因で枠組みから外れたりぶれたりしてしまう。しかし、限界を超えた底力が発揮されるとそれはもの凄い力を生み出す。
どちらが優れている・劣っているというモノじゃなく、『人とテクノロジーとの真の共存』を訴えたかったのかと思えても来る。

自分の妄想&暴論が導きだしたマキナXへの独自考察は、島田真夢が言った『違う…』という言葉を掘り下げていき、マキナXの在り方を認めて真夢自身の在り方へと巡り戻っていく。真夢達人間にしか引き出せない『人の心の光』とマキナXにしか引き出せない『人の心の光』があるのではないでしょうか。

 


 散々書き殴っておきながら恐縮でありますが、正直考察と呼べる代物とは思ってはおりませんが、現時点での俺ではコレが限界です。
是非ともこの妄想と暴論200%(当社比)の記事を読まれた方の『マキナX』論をお聞かせ頂きたい所存であります。

 

 


 という事で、WUG新章独自考察
【人物編1~Run Girls,Run!&マキナX編】をお届け致しました。
取り敢えずはこの様な感じで人物とそれに関連する事柄を絡めながらこれから書き殴っていきたいと思っております。
相変わらずの駄文ではありますが、今後も読んでいただければ幸いでございます。


乱筆・乱文でしたが最後まで読んで下さってありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

異端者による 『Wake Up,Girls!新章』独自考察【楽曲編】

 自分の勝手な持論で恐縮であるが…アイドルを題材とした作品において楽曲との関わり合いは欠かす事の出来ない重要な要素であると思っておる。
その楽曲に懸けている想いと魂。制作に携わり苦闘する軌跡を描いていたり楽曲が物語の根幹を成す要素であったりと様々であると言えるしそれはこのWUG新章も例外ではない。

 

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異端者(俺ww)による『Wake Up,Girls!新章』独自考察。
今回は、新章で使われた楽曲を自分の独断と偏見でいろいろと書き綴っていく。

とは言え…出て来た全ての楽曲を書いていくのは俺の気力がまず持たないのでww
根幹を成した楽曲と個人的に印象深かった楽曲を挙げて書き綴ろうと思う。
尚、楽曲そのものの考察ではなく、物語と人物との関わり合いに焦点を置いて考察(という妄想)しております。

 

 

 


 タチアガレ!

 

 

 2017年の3月13日(作中の日時)の仙台・勾当台公園にて、WUGに憧れを抱き少しでも近づきたいという想いを持つ三人の少女、速志歩・守島音芽・阿津木いつかがこの楽曲を舞い踊る。
『エターナル・センシズ』のラストで島田真夢はこの場に偶然居合わせ『わぐばん!』の収録の合間に、片山実波・菊間夏夜・岡本未夕が投稿されたダンス動画を観ていた。

この313という数字だが昨年のWUGの4thツアーのグッズ
(キーホルダー・ビブス・タオル)に刻まれた数字の一つであり藍里役の永野愛理さんがこの数字を考え刻んだとの事。
3月11日=311の次の素数がこの313という数字であり、次へ踏み出し進むという意味を込めて永野さんはこの数字を選択したそうです。

新章の物語で最初に登場したこの楽曲と3.13という日時と勾当台公園で次世代である歩・音芽・いつか(後のRun Girls,Run!)が舞い踊る事の意味
様々な要因が重なるWUGと歩・音芽・いつかとの『縁』はこの刻から繋がり始めて来た…と思われる。

 

 そして、最終話での仙台公演でWUGがこの楽曲を歌った事も胸が熱くなった。
クリスマス・イブと言えば七人のデビューライブもこの日で勾当台公園
野外ステージ。結成当初は確固たる信頼関係もステージ衣装もなかった…
しかし今は違う。揃いの衣装を身に纏い、七人を迎えてくれる観衆がいて
様々な苦難を経て強く血の繋がりより濃くなった七人の絆がある。
何度も壊れそうになった。でも前を向いて進む事を諦めずに続けて来たからこそこの日を迎えられた。

それは七人の楽曲への敬意と感謝の念を示すようでもあったと思えてならなかった。

 

 

 

 君とプログレ

 

 

 島田真夢と岩崎志保が主演したドラマ『夢見るふたり』の主題歌として登場した
I-1Clubの新曲。
アイドル戦国の世からアイドル不況時代へと刻は推移していく。
その時代の奔流に呑み込まれる形となったI-1。

まだ緩やかに流れていた刻の流れを急速にしたと考えられる最大の要因は、2015年のアイドルの祭典でのI-1の敗北であり優勝を飾ったのはI-1初代センターを勤めた島田真夢の在籍している『Wake Up,Girls!』だった。
I-1を追われた者の手でI-1に引導を渡される形となったのは何とも皮肉な話であろう…

 

2016年のアイドルの祭典でI-1は優勝を勝ち取るが、変わってしまった時勢の波はそう易々と変わるものではなかった。
二人の元・I-1のセンター、真夢と志保の共演という話題性に縋り付いてでも時勢の波を再びI-1主導の時代に引き寄せようと形振り構わないようにも捉えられ、プログレス=進化の形は決まった形ではない事を感じさせる。
ドラマの主人公であるヨウコとミツキの心情を描写した楽曲でもあるが、I-1側…特に、現・センターである鈴木萌歌の心情を描写している楽曲であるとこの新章の物語では役割を果たしているように自分は思えて来る。

 

 

 

 同じ夢を見てる

 

 

 君とプログレスの系譜を汲んでいるヨウコとミツキの心情描写を思わせる楽曲でもあるが、島田真夢と岩崎志保の関係と心情描写を表す楽曲であると思える。
自分の中ではどちらかと言うと、真夢と志保の関係と心情に寄り添った楽曲という認識で捉えている。

互いに認め合い、最も負けたくない相手。一度は途切れたかに思えたが『縁』はそれを許容せず二人を再び巡り会わせる。
(二人の関係性については人物編の独自考察にてじっくりと書き殴るつもりである)


一度敗れ、共に魂の奥底に眠っていた原初の想いを取り戻し、再び高み≒同じ夢へと挑む闘いに身を投じる。この『夢見るふたり』にて共演(競演)経た真夢と志保の関係は好敵手・宿敵という関係から、真の『戦友』へと昇華していったと思える。

 

 

 

 HIGAWARI PRINCESS

 


 本編では9話と最終話での登場。現実でもこの楽曲は東北地域のイオンCMソングとして使われた。作中では全国展開しているスーパーマーケット『ニャオン』の仙台ローカルのCMソングとして登場。

自分は9話でのチャリティライブでのこの楽曲の使われ方が印象的に思えた。
来てくれる観客を一人でも多く楽しませようと様々な魅せ方を模索して意気込んで臨んだWUGだがこの楽曲のアクトの最中七瀬佳乃は客席で自分達ではなく携帯端末をずっと見ている観客を目撃してしまった。

自分達に一切の興味を抱かない者…言わば、観客側の負の部分を見せる役割を与えられた楽曲とも捉えられる。興味を抱かない観客の描写は新章だけの描写ではなく、これまでのシリーズでも見られたモノだ。

一期のTVシリーズ(二話)での健康ランドでの営業や続・劇場版前編でWUGが出演したフェスでのトイレタイム扱いされた描写がそれに当たる。
この二つの項目よりはマイルドに描かれてるように思えなくも無いが、徹底的に無関心を貫く描写というのも結構厳しく背筋が凍えるような感覚になるが…
興味を抱かない観客の描写を踏襲してくれたのは個人的には嬉しい要素であった。

 

 

 

 

 Glossy World

 

 

 最先端の技術で生み出された次世代のアイドルであるマキナXに、稀代の天才サウンドプロデューサー・早坂相が書き下ろした楽曲。

完璧な存在であるバーチャルアイドルと楽曲との関係がもたらすモノに早坂さんは未知の可能性を見出し挑んでいく。
結果、この楽曲は全米のヒットチャートを賑わせる事となったが、早坂さんが求めていたのは単に世界的にヒットする楽曲を作り出すことではなかったと思える。
おそらく彼にとってヒットチャートを賑わせ成果を出す事は刺激的で面白い事ではなく、人とテクノロジーの融合≒Glossy World(光り輝く世界)が枠を壊し限界を超えられる存在であるかを見出したいのだろう。

そして、枠を壊すという事では早坂さん自身にも言える事だったのではないだろうかと思えてならなかった。

 

 

 

 カケル×カケル

 

 

 紆余曲折あって、グリーンリーヴスの研究生としてアイドルへの軌跡を行く事となった速志歩・守島音芽・阿津木いつかの三人。
自分たちのレッスンをこなしつつ、個々の仕事でレッスンに来られないWUGメンバーの代役を務めたり、直前でようやく決まった仙台公演の会場設営も手伝い
WUGの陰で献身的に動き続けてくれた三人の想いに応えてやりたいと思った七人は、千秋楽公演のステージに三人を上げてやりたいと丹下社長に訴え掛ける。

そんな七人の熱意に圧された丹下さんがTwinkleが三人のために作ったこの楽曲を渡す。
『これ(カケル×カケル)をこんなに早く出す事になるとは』と言う丹下さんの言から推測するとこれはWUGの楽曲としてではなく、Twinkleが事務所に来訪して歩達を初めて見た時に三人の為の楽曲として丹下さんが制作依頼をしたと考えるのが適切と考えられ、将来彼女達三人をユニットとしてデビューさせるプランを構想していたのだろう。


自分たちだけの楽曲とユニット『Run Girls,Run!』の名を授けられ、本番に向けてWUGからアドバイスをもらいレッスンに励む三人。
WUGの七人とランガの三人の『縁』が繋がって次世代に技術と魂を伝承していく。本番の刻に初陣に臨む三人に七人の絆を象徴するシュシュを渡したのもその一環だろう。

託された想いに応えるには、自分達の全力を出し尽くし限界領域へと踏み込む事。まだ小さな一歩だったかもしれない。だが、踏み込んで駆け出さなければ先へは進めない。
TwinkleがWUGに提供した『タチアガレ!』を舞い踊った三人。そして系譜を受け継ぐ姉妹曲と巡り合えた事…三人が諦めず必死に駆けて来たからこそ繋がった想いと『縁』と荒削りながらも突き進む覚悟。『Run Girls,Run!』なりの挑戦状的な楽曲と言えるかもしれない。

 

 

 


 Jewelry Wonderland


 

 自分の中ではこの楽曲の要となる人物が三人いる。まず一人目は高科里佳。
サビに突入する前の節『鏡を覗き込んだ さぁ!』と『開くMagical Box さぁ!』の部分でのソロパートは彼女が担当している。
この節以降から『静』の曲調だったのが一気に爆ぜるように『動』の曲調へと変化していき最高潮に盛り上がっていく。

鏡という句が志保のアンダーを務めていた時と解釈して、彼女越しに見えていたのであろう未来の里佳自身の姿。開くMagical Boxという句がI-1全体を指す句。
脱退した岩崎志保からI-1の未来を託された次世代の者である彼女がこの楽曲の堰を切る役割を担う事は何ともエモーショナルな感覚に浸ってしまう。

 


二人目が近藤麻衣。ラスサビ前での彼女のソロパートである以下の節が印象的だ。

 


 dancing レッスンは

 血のにじむような 自分が見てた部屋の中だけ

 Show Timeに見せる輝きこそ


 ―I-1 Club 『Jewelry Wonderland』より引用

 


I-1の黎明期からキャプテンとして束ねて来た者として、また一人のアイドルとしての矜持・覚悟・信念。ここの節々にはI-1への……そして彼女の想いが込められていると思える。
 

 

そして最後の一人が白木さん。この楽曲を誰が作ったのかという描写はありませんので完全な妄想と暴論ではあるが…作詞をしたのはおそらく白木さんではないかと思える。詞の紡ぎ出した世界観はI-1の理念と彼のアイドルへ抱いている想いが凝縮された集大成的なモノと捉えられる。

次世代の『血』である高科里佳とかつての『束ねる者』で理念を色濃く継ぐ者でもある近藤麻衣に先述のソロパートを託した事は、彼がまだ変革の刻で翻弄されながらも、なお刻の流れに抗う事、強くあり続ける為に闘い貪欲に挑み続けるからこそ強くなれる不屈の魂を彼女らに託したように思えなくもない。
人の限界を超えた力と心の光を誰よりも頑なに信じているのが白木徹という男なのだろう…

 

 

 

 7 Senses

 


 新章のOPテーマ曲。Senses=感覚、そして『7』という数字。作中において重点的に描かれた事の一つであるWUG七人の更なる個の成長を象徴する楽曲と言えるだろう。

詞の一節にある『過去と未来つながっている場所』という箇所も、過去の楽曲と新章にて登場する楽曲の系譜を表す要素でもある。
決起を象徴する『タチアガレ!』七人の闘いの楽曲『7 Girls war』再起を象徴する『少女交響曲分水嶺となる『Beyond the Bottom』そして……未来に繋がるあの楽曲。

Seven Senses Wake up Go!!!!!!!の節は、七人の秘められた更なる可能性を覚醒させただ直向きに前へと突き進む七人の生き様・懸けている想いと魂を象徴していると思えるので物語の関わりは最終話でのライブシーンのみで掘り下げた描写はなかったが挙げさせてもらった。

 

 

 

 Polaris

 

 

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 新章後半の物語は、この楽曲の制作過程(七人の作詞)に重点を置いた描写となる。作詞に悪戦苦闘するも七人が一所懸命に言葉と向き合い、今感じている事、伝えたい本当の想いや叩き上げの魂を境界線の存在しない空で繋いで輝く事。Polaris北極星はほぼ動かずに定位置で輝き旅人を導く光となる。

七人がそうありたいと願い、また想いを寄せる人達に導かれるような…
『想い』の相互循環を繋ぎ・導き・輝く……
そして、人の負の感情にも触れている。綺麗事だけで誤魔化さず真実と人に向き合う事。結束しようと紡いだ絆の糸は完全に繋がるまで何度も絡まり解れそうになった。
詞の無かったこの楽曲に『魂』を宿らせ血を通わせられるとWUGの本当の力と七人の心の光に早坂さんは懸けて七人にこの楽曲を託したように思えてならない。
そして…繋がった心の光は絶望の淵に落とされた鈴木萌歌に一つの『答』を導かせる。

 

闇があるから星は強く輝ける。その逆も然り。
この二つの要素は切り離せない密接な関係として成り立っている。
人の負の感情=闇とするならば人の心の光=星。星は夢や憧れ、貫きたい信念や覚悟、何かに縋りたい人の『性』(さが)のようにも捉えられる。
闇と向き合い、そこから光=人の心の光を見出す事。それは島田真夢が言う
『幸せの形』を表すモノなのかもしれない。

 


ひと粒の瞬きがボクを導いてく ココロから憧れた世界 満天の星空になる日まで


 ―Wake Up, Girls!Polaris』より引用

 

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人の意思の力(数多の星)が繋がって一つの"絵"となり、満点の星空(奇跡)が広がる。
人の心に光を灯し奇跡を起こせる存在が七人が導きだした理想のアイドル像としての
この『Polaris』という楽曲に七人が想いを込めて魂を懸けた楽曲と言えるのではないだろうか。

 

 

 


 最後に。

 

 

 …と、好き勝手にWUG新章の物語に関わった楽曲について書き殴ってみました。
本稿にて挙げた楽曲だけではなく、他に登場した楽曲にもそれぞれの物語がありますし、挙げた楽曲にもまだ秘めた物語があります。
無論、俺が書いた独自考察が完全な答であるとは思っちゃいません。本稿がきっかけとなってWUGの物語と楽曲の魅力を知る方が
一人でも多く増えてくれれば、ありがたく嬉しいものであります。

 

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

異端者による 『Wake Up,Girls!新章』独自考察【物語編】

 

皆様、爽涼の候いかがお過ごしでしょうか。あかとんぼ弐号でございます。

 

巷ではWake Up,Girls!のファイナルツアー PARTⅡ FANTASIAの
初陣である大阪公演が終了し余韻と興奮冷めやらないという所でしょう。


しかし、当ブログは刻の流れが通常と異なる時間に存在しておるwww
更に言えば俺は大阪公演には参戦しておらんので参戦レポは書けん。
なので…今回から数回に渡って

 

 

 

Wake Up,Girls!新章』の独自考察を進めて行きます。

 

 

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 今更感は充分に承知しておるがww
まぁ、こんな奴が一人いてもいいんじゃないかと思い勝手に書いてしまおう。
今回書き綴っていくのは『物語編』と称しまして
新章のストーリーについての独自考察となります。
とは言え、理路整然としている文章を書ける自信は微塵もございませんww
考察を書くにあたって、俺が観て感じた事をありのまま書き綴っているので
その辺りは緩い観点で一読頂ければありがたく思います。


……と、毎度の誰に向けて言っておるか分からん
釈明大会という名の自己防衛を入れながらこれからざっくりと書き進めていきます。

 

 

 

 

 
 

ぶっちゃけてしまうと、やらかした感は否めなかった……
 


 いきなり、話の芯を食うような物言いだが…『Wake Up,Girls!新章』を最後まで観て
所感を書いていた時にも強く印象深かったのがこの事だった。
そして……何を伝えたかったのかがいまいち見えて来なかったと言う声も聞いた。
では、何故そのような事態になったのか?自分はこう思っておる。


描写しようとしていた題材が多かった事と練り込みの甘さだったのではないかと。


そうなった最大の要因と思うのは全てにおいての時間が不足していたのだろう。
但し、時間が無かったというのはWUG新章だけの問題じゃない。
この業界全体にある事象でありそれを逃げ道として慮れる要素ではない。
与えられ限られたモノの中でいかに良いモノを作り出し魅せられるのかであり
そこは脚本と演出の力量が問われるモノなのだろう。
純粋に楽しめたという方もいれば、理念を壊された雑なモノという評価を下したり
まぁ、どちらかと言うのなら否定・拒絶される声の方が多く見受けられたわけだ。


これは俺の完全な妄想・暴論の域での話であるが……


練りこみが甘くなったと思った最大の要因は
元々あったシナリオをぶっ壊してゼロから作りだしたからだと勝手に思っておる。

 

 

 

 
 

葬り去られた"物語"


 

 で、元々というか『新章』の物語として基となり
構想にあったと考えるのが…2015年の冬開催された
Wake Up, Girls!Festa.2015 Beyond the Bottom Extend』終演後に流れた
Wake Up, Girls! 新プロジェクト始動!!』の映像内にて白木さんが言い放った

 

『I-1clubはWake Up,Girlsを吸収合併します。』の言。

 

そして、WUG-1グランプリと称し行われたWUGとI-1との
シャッフルユニットメンバー(WI7ners(ウィナーズ))を決める選挙があった。
たら~ればの話であるが、この物語で描かれたであろう事は
吸収合併してシャッフルユニット結成の流れとなって…
選ばれた者と選ばれなかった者の格差や葛藤などを盛り込みつつ
それぞれの個としての立ち位置を見据えて挑んで行く…的な展開に
おそらくなっていくのだろうと当時は感じたものだった。

だが、ご存知の通り『新章』はこの物語で披露されることはなかった。
これまでの刻の流れの中いろいろと起こってしまった外的要因(ゴタゴタ)によって
この物語は闇の彼方へと葬り去られた事となった。
俺ごときがこのゴタゴタについて書くつもりは無いので触れないが
(色々書いて厄介事に巻きこまれるのは面倒なので…)
それにより制作陣の総入れ替えやらストーリーを新たに作り出すまでに至った。
真相がどうかは伺い知るところではないし俺の暴論なのは百も承知だが
それまであったのをゼロから作り直したのはあながち的外れではないとは思う。


あくまでも、この件は俺の勝手な暴論の域の話だが……

 

 

 

 
変わる物語。新たな刻。
 

 

 前日譚である『エターナル・センシズ』の存在、次世代の『血』(ランガの登場)
I-1の変革の刻、未知の脅威(Vドル・マキナX)、業界の時勢の推移と世相
七人の挑戦と更なる『個』を掘り下げる描写、限界領域を超えた人の力…
これらの要素は、勿論描写し切れたとは言えないモノだったが
概ね普通に楽しんで観られたものだったと自分は思う。

だが、扱うモノが多く練りこみ不足感は否めず、主軸を何処に置いて観るか?
それは観る側の観点でいかようにも変化していくものだから
何とも言えない要素ではあるのだが、ただこのWUG新章の物語は
満遍なく描こうとしてしまったのかなという印象を受けた。
あとは、先述にも書いたが詰め込めるだけの話数と制作時間
シナリオを練りこむ時間が足りなかったというのもあったのだろう。
また~たら~ればの話で恐縮だが、7話での『わぐばん新章』が
制作時間があって本編で一話使えたのだったら
もっと掘り下げれた内容のモノが観れたのではなかろうかなとも思えてしまう。


自分はその影響を強く感じたのが、Vドル・マキナXの描写だった。
生身の人間の限界を超えパーフェクトな存在である者だが
けど、作中にて描かれたのは外資系スポンサーの資本力を重視したもので
肝心要であるマキナXの魅力や彼女の何に惹かれて熱狂しておるかが
全く伝わって来なかったように思えるが資本側の描写も
無視出来ない要素でもあるわけで描写の比率がおかしいモノと思えてしまい
単純に勿体無いように自分は感じた。
人間らしく在ろうする信念を貫く真夢と対極の存在であるマキナXとの関わり
俺はこの要素も観たかったんですがね……


 冒頭より様々な時間が無かったと書いておりますが『新章』単体のみだと
どうしても描写不足感は否めないんです。(注:個人の感想)
それを補い、イントロダクション的な位置に存在していたのが
前日譚を描いたコミック作品『エターナル・センシズ』だったと思っています。
2016年のアイドルの祭典にWUGが出場しなかった事と
一話でのWUGに対しての鈴木萌歌の敵愾心
アイドル戦国の世から不況時代へと移り行く時勢の波と白木さんの思惑。
七人が思い描く表現者としての現状と将来のビジョン。
丹下社長が新章にてメンバーを個で売り出していく経緯
歩達が一話冒頭にて勾当台公園で『タチアガレ!』を踊る事に至る軌跡。
旧章からこの作品を経由し、そして新章の物語へと繋いでいく。
練りこみが足りない部分を完全ではないが補完しているモノだったと言える。


 理念とかそういう思想を語る気は更々無いし語彙力も無いが
俺は『Wake Up,Girls!』という作品を再起・決起する少女達の物語だと思い観てきた。
で、作品の核を担っているのがその部分だと勝手に思っている。
WUGの七人は勿論、I-1、ネクストストーム、なまはげーず。
未知の領域へ挑戦する事、敗れてもなお諦めず起つ者、本当に大切にしたい想い
抗い様の無い理不尽に真っ向から向き合う事。
細部はそれぞれの立場と役割で異なっていくモノではあるのだが
再起・決起を広義的に捉えると共有出来る要素で解釈出来て
自分が普通に楽しんで観られた最大の要因だったのは
この『核』となった部分がぶれずにきっちりと描かれたからと思っておる。

 

 そして、ファン側視点である、大田組とランガ(歩、音芽、いつか)の物語。
大田組がWUGを応援していくスタンスがそれぞれ違うモノである事を
表現していたのも印象深いモノがあった。

大田はあくまでも裏方的で必要以上の接触をしない事を心がけるスタンスで
WUGを応援していく描写だったのは意外な印象だった。
一方で浅津、屋沢、城本は接触系のイベントにも積極的に参戦するスタンスで
描写していて本編中で描かれたバスツアーにも参加していた。
ファン仲間内で応援のスタンスが異なる事を描いた事は面白いと感じた。

 歩達ランガだが、彼女達の考察は人物編で書いていくので
本稿では細かくは書かないが、彼女達の視点・立ち位置は
WUGへの憧憬から目標へと決意し、業界へと踏み込んでいく
また別の形であるファンの姿と次世代のアイドルを同時に描いた。
新しい要素であり自分はこれまた面白く描いていたと思う。

 

 一期のTVシリーズと続・劇場版では、No.1アイドルを勝ち取るコンテストである
『アイドルの祭典』が物語の軸となっていって物語が展開されていった。
このアイドルの祭典で優勝する事を目指す事、その『闘い』の中で
それぞれが感じた勝敗より大切だったモノ
勝敗の外にあったモノ≒自分達らしさを見つけようとしていた。


『新章』ではこの要素を違う形にて描写したと思います。
全国ツアーの千秋楽であるホーム・仙台公演を成功させる事=成果を出す事。
そして成果を出し応援してくれる存在の想いに応える事
Wake Up,Idols!と称し志を共に有する他のアイドル達≒戦友と想いを繋ぐ事
明確な対決構図ではなく、別の表現でその模様を描写していた。

そして、最大の窮地(最終話のマイクトラブル)に
追い込まれた時に発揮される限界を超えた人間の底力。
七人は一人でも多くの観客に歌声=想いに応え、そして届けようと
ステージから客席へ跳び立ちました。


一期のTVシリーズの『アイドルの祭典』で足に傷を負った七瀬佳乃は
7 Girls war』のラスサビ前で足の怪我を省みずに跳んだ。
勝つ為じゃなく、貫きたかった佳乃の意地と魂が彼女を跳ばせた。
傷を負ったという広義的な解釈で捉えるならば当時の佳乃と同じだ。
声がきちんと届くかなんて問題じゃなく本能と七人の意識……
更に言えば、貫き通したかった『我』≒WUGらしさが
過去~今までの軌跡で七人が導き出した『答』だと自分は解釈させてもらった。


勿論、これは明確で絶対な『答』じゃなく数多にある『答』の一つにすぎません。
『答』は受け取った人それぞれの心に刻まれたモノだと思います。

 

 

 

最後に。
 


 放映当時には物語の内容や演出での様々な雑味に関して
非難や粗探しして鬼の首を取るかの如き言動を多く目にし賛同する声を聞いた。
所感記事の方にも書いたが、物語の何に注視して観ているのかは
人それぞれで異なっていくモノであるので、それについて俺がこの場で
どうこう言う気は無いし一々噛み付く事はしませんでしたし今もその気は無い。

確かに雑で一部に配慮がなかった描写があったのは事実。
それが要因で離れていった人は少なくなかったでしょう……
Wake Up,Girls!新章』様々な批判もありましたが、個人的には楽しく観れた作品。
こうして独自考察を書くに至ったのは
別に否定・拒絶側を納得させようと書いたわけじゃない。
単純に俺が観て感じた事を記録として残しておきたかっただけだ。


そして…本稿ならびに今後書き綴るWUG新章の独自考察(楽曲編・人物編)は
毎度の事で恐縮ですが俺の勝手な解釈に基づいて書き殴っただけです。
『ほう、そういう考察をしているのか』ぐらいの軽い気持ちで
読んでいただければ幸いと思っております。

 

 
乱筆、乱文にて誠に恐縮でしたが
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

 

 


 

舞台『希薄』所感 ~追記編~

 先日更新した記事、舞台『希薄』の所感の追記であります。

 

 

 正直なところ、蛇足感が否めないのは重々承知してはおるのだが……
あの記事で感じた事を書き尽くしたとはとても言い難く燻っているモノがまだある。
これほどまで自分には
『想いを言葉にして余す事無く残す』能力が乏しいのかと改めて思い知らされた。
完全に書き尽くし残しておくのは不可能なのだろうが…
ただ、多くの事を残しておく事は出来る。
どこまで書き綴れるかは分からんが、自分の中で湧き立って来たモノを
これから書き殴っていこうと思う。

 

 

 

痛み、そして…傷と傷跡

 


 観劇し、所感を書き綴ってから時間が経って
新たに湧き上がってきたのが『傷と傷跡』という句だった。
程度や傷の種類、大小は比較対象から除いて考えていくと、
作中の登場人物はそれぞれが傷を負い傷跡がある。
被災者側の人物は勿論の事、何か力になりたいという純然な想いを
無残に踏み躙られた里奈。
亡くなった真理恵が抱いた無念の思いを傷として考えてもそうだろうし
傍観者・他人事側である良己も当時の東京での事が傷となっていたり
弥生にしてもそうだろう。巧の演出家として感じた才が埋もれる事を
傷として捉えると暴論の域だが俺の中ではその解釈は成り立って
傷を負い、傷跡との向き合い方=それぞれの『今という刻』を
どう生きていくか?に繋がるのかとも感じられる。

 

 で、痛みだが……災害への痛覚がバカになるという件の台詞。
その当事者以外の日本人は天災に対しての認識は例えるならば
紙で指を少し切ってしまったり軽く擦り剥く程の認識で
痛覚がそれに慣れてしまっているのが現状だろう。
この国は大昔からただでさえ自然災害の多かった国だ。
世代を重ねていく毎に魂というかDNAにすり込まれているのかもしれない。

すり込まれたその認識を改めるのは困難な事だと思うし
それまで当たり前にあったモノが無慈悲に奪われて
そこに新しい価値観を入れる事に気持ちが持っていけない。
新しい事を入れるという事も痛みを伴い傷を負う事と同義なのではないだろうか。
当事者が受けた傷と痛みを分かち合う事も出来ない。
だが、その代わりになるかは分からんが、まず傷跡に寄り添い伝承していき
まずその事実が起こった事を知って、忘れない事だが…
逆に、忌まわしき記憶を『希薄』にして忘却する事も救いや癒しにも成り得る。

 

 刻を進める事を拒み続け忘却の彼方へと追いやる者。
純然な想いと性の尊厳を踏み躙られ呪詛の念を抱く者。
自責・後悔の念に駆られながら懸命に向き合う者……
傷跡との向き合い方は各々違うスタンスで描写されていた。
傷を負った→傷跡と向き合い頑張って前を向き頑張ろうという描写に
持っていく方向にはしないで人の様々な負の感情にもきっちりと踏み込んだからこそ
観劇して刻が経っても色々考えさせられるのだろう。

これは俺の勝手な印象で恐縮だが、本作で触れていた人の負の感情や
闇部の描写はおそらくマイルドな描写にしたと思う。
脚本・演出の日野祥太さんが見聞してきたモノの中では
もっとヘビーで凄惨なモノがあったと思えなくない……
だが、伝えたかったのは程度の問題ではなくて、
必ずしも傷跡と懸命に向き合い前を向いて進もうとしている人だけじゃなくて
負の感情に苛まれ行く先を見失っている人も存在している事実を
まず知る事だったのではないだろうか。

 

 

 

踏み込む胆力と覚悟

 


 脚本・演出の日野祥平さんを筆頭に、この作品に携わった演者・スタッフは
相当な覚悟で臨まれたのは言うまでもないだろう。
これはあくまでも私見だが、より強い決意と覚悟を持って臨まれたのが
野々村良己役の服部善照さんと松岡未来役の吉岡茉祐さんだと思えてならなかった。

このお二方に共通しているのは東北に『縁』があるという事。
服部さんは東北の出身だそうで更には自衛隊員だった経歴の持ち主。
その彼が『他人事』の象徴的人物である野々村良己を演じるというのは
想像を絶するに難くない葛藤と覚悟があった事と思います。
そして自衛隊員の越野草一という人物がより血の通った人物に見えたのは
彼の経験が活きたモノだったと言えるだろう。
もしかすると被災者の負の感情を生々しく感じたのかもしれない。
良己の台詞にある被災者の視線が~という節は
彼が実際に体験した事なのかもしれません…
公演期間中の彼のツイートに出て来た『まっすぐ』という語句には
服部さんのこの舞台に懸けている並ならぬ決意と覚悟の様に思えてならなかった。


 吉岡茉祐さんは、改めて書くまでも無いが
彼女は東北復興支援を旗印に掲げた声優ユニットWake Up,Girls!』のメンバー。
言うなれば、復興支援しているタレントの立場にいる。
今作にて被災者の闇部を象徴している高松孝介の独白で
大丈夫や頑張れという言葉や歌は不愉快だという
彼女が今までやって来た活動を真っ向から批判する事を言っている。
だが、孝介を介して放たれた呪詛の言は現実にある事だ。
吉岡さんに託された松岡未来という人物は自責と後悔の念に捉われているが
その傷跡と懸命に向き合い未来へと進もうとする人物。
繋ぎ止めて今を生きる者が果たすべき使命『きちんと生きる』という台詞には
彼女なりの覚悟を示すモノだと思えるし
WUGの楽曲で『言の葉青葉』という楽曲で
彼女が担当するソロパートでこんな歌詞がある。

 


 がんばってねと かんたんに言えないよ

Wake Up,Girls!『言の葉青葉』より引用―

 


批判されてもなお、踏み込む事を諦めず傷跡に寄り添おうとする事…
それが正解なのかは誰にも分からないが踏み込んで知る事しかない。
勝手な話だが…次にこの楽曲が歌われる時の
ここのパートは今までよりも尊く深みを増した絶唱に進化しているでしょう。


そして、吉岡茉祐さんを介して
この作品と巡り合わせ出合えた『縁』には本当に感謝の念しかない。

 

 


 問題提起を投げかけ主張を押し付ける描写ではなく
人が生きる『今の刻』を綺麗事で済ませず清濁併せ呑む様な描写で表現したから
この『希薄』という作品が多くの人の心に響いて
『楔』を撃ち込んだと自分は思えます。
日野さんは再演は無いと言っています。
一方、高松孝介役の宮原奨伍さんは再演を熱望している。
複雑な問題だと思います。『今』でしか成立し得なかった演目であるし
知って忘れない為にも演じ継いでも貰いたい。
この舞台を観て感じるモノや導きだした『答え』はそれぞれに違うし
どれが正解でもない。皆違っていて、皆良いのだと俺は思っております。

 

 

 湧いてきたモノを書き殴った相変わらずの駄文ですが
知る事と忘れない為にブログに書いた。
無論全て思いの丈を書き尽くしたなんて言うつもりも実感も無い。
台本の最後にある締めの語句にあり『はじまり』が示すように
これから後に継いでいく事や思い返して意識する事が必要な事で使命感や大志とか
そういう大それた想いじゃなく単に感じた想いを
何らかの形で発信していく事で充分なんじゃないかと俺は思えます。


 改めまして、この『希薄』という作品に巡り合えた奇跡に賛辞と感謝をもって
本稿を締めたいと思う。

 

 

本当にありがとうございました。

 

 

 

 

 

知る事。そして…忘れない事。演劇『希薄』所感

 9月16日、新宿サンモールスタジオで行われた演劇『希薄』を観て来た。
今回は『希薄』の感想を書き綴っていく。

 

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 まず初めに、この演劇を観に行こうと思ったのは
出演者に『Wake Up,Girls!』の吉岡茉祐さんが出演されている
という事が第一の切っ掛けだった。
しかし、開演してからTwitterのTLに流れて来る感想や評判を散見していくにつれ
それは単に素晴らしい演劇だったというだけじゃなく
で、ネタバレを配慮しているワケでもなく、どう表現して良いのかが分からない。
受け取って咀嚼してそれぞれの解釈の自由度が高く困難なモノなのかと思わされ
その領域がどんなモノなのか?踏み込んで何を俺は感じ取れるだろうか?
そんな感情を抱き、この時点では吉岡さんが出演しているからという事は
完全に俺の頭の中から無くなっていて、すぐさまこの日のチケットを予約した。

 

そして、終演後…その意味を思い知らされた。語彙力云々じゃなく表現出来ない。
所感を書くにあたってどういう切り口で書けば良いのかが全然見えてこない。
正直、書き出した現在も落し所が全く見えない状態で書き始めておる……

 


 開場し、ここの劇場は地下に下っていくのだが地下へ行く階段にまず目を奪われた。
踊り場には大量の張り紙があり、人を探している。無事を示す事。連絡先の記載。
それは報道で見た避難所の掲示板で舞台道具の一つで胸に突き刺さって来る。
客席に着くと、そこはブルーシートに覆われた舞台が異様な雰囲気を醸し出し
その空間はまるで刻の流れが通常の刻の流れとは違う感覚に陥らせた。

この劇場は席が50~60席位の小劇場。
だが、この作品のポテンシャルというか真に伝えたいモノを余す所なく出す為には
最適で最高の空間だったように自分は観て感じられた。
演者のマイクを通さない肉声による剥き出しの感情のぶつけ合いが
フィクションとドキュメンタリーの境界線の裾野を複雑に乱していく。


物語の主軸として描かれる時間軸は、震災から七年経った『今』の刻。
脚本を書かれた日野祥太さんによるとそれぞれの立場の『今』を描いたとの事。
ここからは登場人物の所感を書き綴っていく。

 

 

 

高松巧

 
 本作の主人公。岩手・大槌町で当時震災に遭い親を亡くして
兄と共に東京で暮らしている演出家。

彼の『今』は複雑で危ういモノの狭間で懸命に抗っているのかというのが
この『高松巧』という"人間"から感じた事。
巧が当時のトラウマに苛まれる姿は、失ったものの大きさ
刻を経ても終焉が来ず癒える事のない『傷』や『他人事』という語句への絶望感。
序盤の巧は、被災者の『闇部』側の立ち位置だったように思える。
だが、変わろうとする想いと覚悟をもって一歩踏み出し故郷に一度帰る決意をする。


終盤、彼は失明してしまう。


その意味しているモノの解釈はおそらく受け手に投げかけた
本作のメッセージであると自分は思えてならない。
都合の悪い事、見たくないモノを一方的に遮断する意味合いを込めた
『他人事』や『無関心』に対してという捉え方なのか
あるいは、未来へと邁進する為、過去に魂を引っ張られないような意味合いなのか
プラスとマイナスの要素は当人の心持ちでいかようにも変化していくものだと…
俺は双方の意味合いがあると勝手に解釈させてもらった。


 演じられた植田恭平さんの熱演…と言うよりは鬼気迫る魂を削ぎ落とす様な演技は
開演から終演まで圧倒されっ放しで本当に凄くて技術を凌駕した
限界領域へ踏み込んだ者が魅せる演技だと自分は感じさせてもらった。

 


高松孝介

 

 巧の兄で、巧と同様に当時被災し共に東京で暮らしている。


 彼は被災者の『闇部』を象徴している人物であり
私見だが、この『希薄』という作品の核を成している人物の様に感じられ
七年前のあの日から『刻』が止まってしまった人物でもあると思う。

クライマックスで彼が語る長台詞は『復興』と『無関心』という語句が
いかに残酷で無慈悲な語句なのかという事を思い知らされた…
故郷をもう帰る場所ではないと絶望に打ちひしがれ
『他人事』を貫く事で、魂と精神の安定を担っていて
彼の魂が完全に壊れなかったのは、唯一の家族・巧の存在だった。
だが、巧が一度故郷に帰ると言った時、孝介は裏切られ絶望の奈落へと墜ち……


そして……自らの生命を絶った。
止まった刻を再び進める事を拒み続けた彼は
終焉させる事を選択する事で救いを求めたのだろうか…


本作を単に綺麗事として描くのでなく
一つの結末としてあり得た事と『闇部』を魅せるという役を担った高松孝介という男。
この人物無しではこの『希薄』は成立し得なかったように自分は思える。

 

 


樋口里奈

 

 東京で巧と出会い交際している。彼女の『今』もまた複雑なものだった。
巧が被災者であると知ると態度が一変し拒絶していく。
阪神大震災で避難所生活の経験をしており、東北の震災を知り
被災地にボランティアへ向かったが、そこで被災者の『闇部』が彼女を飲み込む。
そこで遭った事は報道では決して触れられなかった事……

彼女は被災者から性的暴行をされてしまった。

自分は避難所での生活経験が無いので想像の域でしか書けないが
そこでの生活は一種の極限状態に追い込まれている状態。
本能の欲求が理性を上回った時、最期の箍はあっさりと壊れるのだろう。

当然だがこの事は報道なんてされずに闇へと葬り去られる。
そう、そんな事は無かった事で処理される。
たとえ被害報告したとしてもまともに取り合ってもらえず
泣き寝入りするしかなく誰にも言えず苦しんだのだろう……

純然な想いを抱き赴いたが『闇部』に呑まれ絶望へ墜とされた。
彼女の存在もまた『闇部』の一つを成すファクターだったのではないだろうか。

 

 


野々村良己

 

 東京で巧と一緒に建設業のアルバイトをしている青年。


 彼の立ち位置は『傍観者』側の人物であり、この表現が良いかは分からんが
ヒール(悪役)敵な役割で、被災者を嫌っていて『無関心』『他人事』を徹底してる。
だが、中途半端な覚悟で関わり迷惑になる位なら徹底して向き合わない事。
彼だけじゃなく『傍観者』側のこのスタンスは
正解ではないが、間違いでもないのだろう。


綺麗事にはしたくないのが本作の隠れたテーマだとするならば
彼の存在は必要悪な役割として不可欠であり
こちらは被災してない・赴いてない側の『闇部』を象徴している人物だったと思える。

 

 

笹部弥生


 東京の女優で、巧と同じ劇団で活動していた。


 彼女の立ち位置は、強引にでも前へと進ませようとしていく役目。
巧の演出家としての才を埋もれる事を惜しみ再起を促す。
『復興』のプラス要素を象徴している人物だったのではないだろうか。

 


大場春人

 

 巧とは同郷の幼馴染。巧は彼の父親の会社でアルバイトしている。

詳しい描写が成されていなかったが、東北と東京を仕事で行き来していて
被災し、祖母を亡くしながらも懸命に前へ進んでいってる立場の人物だと感じた。

 

 


越野草一

 

 自身も被災した自衛隊員で巧の命の恩人。


 孝介が『闇』を象徴している人物なら、彼は『陽』を象徴していると感じ
草一の台詞は一つが本当に重厚なモノだった様に思えました。
特に、きちんと逃げる事の重要性と生きる事を嫌がるなという台詞は
生への執着だったり、遺された・生命を拾った者が果たすべき事の様に思えるし
災害への痛覚が麻痺して慣れてしまっているくだりの台詞には
思わず背筋が凍りつく衝動を覚えてしまった……


で、彼もまた、大切な人(母親)を震災で亡くした。

 
彼が遺体と対面し、優しく語りかける場面は胸が張り裂けそうな思いだった。
肉親を亡くす事は身を切られるような思いなんです。
自分は親父を亡くしておりますが、きちんと死化粧して棺に入っていても
きっちり見送る覚悟をもって臨んでもその思いは払拭出来るものではない。
ましてや、理不尽な自然の猛威により奪われた生命
打ち上げられた時には泥まみれで、なおかつきちんと見送る事も
その時には叶わない困難な事だった……
その悲しみを飲み込み自衛隊員として多くの命を救う事で
懸命に必死に前を向こうとしている。
そんな秘めた『強さ』を感じさせる人物だったと思えます。


それを見事に表現された矢野竜司さんの熱演には
心揺さ振られる素晴らしいものを感じました。

 

 


松岡未来

 

 救えなかった母親の生命……彼女は重すぎる十字架を背負ってしまった。
それは後悔してもしきれないモノだ。

だが…彼女は『闇』に飲み込まれなかった。

故人に引っ張られて後悔の念に囚われ続けるのではなく
前を見据え日々を懸命に過ごして大切な存在への想いを忘れないで
しっかりと生き抜く事が遺された者が果たすべき使命のように思える。
エンディングにて彼女はすべき事が見つかり上京を果たす。
彼女の担う役割はその名が示す様に『未来』を象徴している人物なのだろう…


触れて良いモノか分からないし正解じゃないでしょうが
演じた吉岡茉祐さんがWUGの活動を経て培って来た想いが
松岡未来という人物に深みをもたらし、台詞に説得力を加味させたと感じたのは
俺の脳ミソの花畑が満開的なおめでたいモノなのは充分理解しておる。

 

 


松岡真理恵

 

 本作のヒロイン。巧の同郷の幼馴染。未来の姉。


 津波に飲み込まれそうになる時、死中に活を見出す為巧と飛び込んだ…
明確な描写は無いが、被災し亡くなり『刻』が完全に止まった側の人物。
彼女の登場場面は当時の回想か、巧の夢か精神世界での登場。
巧の中では真理恵の意思は生き続けているのでしょう。

真理恵の存在が示し伝えたかった事は、未来の項でも触れたが
被災し亡くなった方からの『今』を生きる者達へ
懸命にきっちりと生き抜けというエールにも捉えられる。

『刻』が止まったという立ち位置では孝介と同種ではあるが
彼女は巧に『きちんと生きて』と背を押す言葉を贈っている。
その遺志は妹の未来へと継承され未来の生きる指針となった。

 


 演者さんに関しては、書ききれない事もあるが
まず言いたいのは想いと魂が存分に込められた素晴らしい演技で
最大の賛辞と感謝の念を贈らせていただきます。

 

 

 

 

最後に……

 

 

 この国に生きる者として、恥ずかしながらこの震災について知らなかったモノが
あまりにも多すぎた事を痛感させられ『復興』という語句が
安易で残酷な意味を突きつけるモノなのかと思い知らされた。

何を成し遂げられた時が『復興』となるのか?
人口が被災前より多くなり経済が富む事で達成という単純なモノではないだろう。
被災し、心と身体に癒えない傷を負った方にとって終わりの見えない事なのだろう。


この喩えが正しいとは思えないが、俺の中では同義として湧いて来たので書くが
最たる例となるのが…広島と長崎の歴史的悲劇。
73年経っても、核被爆された方は今もなお後遺症に苦しめられている。
その方達にとっては現在は『復興』を成したと思えているのだろうか……
大袈裟な物言いになってしまうかもしれないが
同じ国と刻を生きる者として、まず知る事と忘れない事なのかなと思う。
そして踏み込む覚悟が出来たのならその先へと踏み込んで触れる。

 


 観劇して、改めて考えさせられた。完全に寄り添いは出来ないけど
知って、踏み込んで、そして伝承していく事は出来る。
何気無い日常が当然なモノじゃなく奇跡である事への感謝の念を忘れない事…
希薄≒物事に向かう気持ち・意欲などの弱い事にはしてはならない為にも
『希薄』という題に込められた想いを自分はそう解釈させてもらった。


 
 以上が『希薄』を観劇した所感となります。
一公演しか観れておりませんので、薄っぺらい駄文で恐縮ですが……
あの場で感じた事への自分なりの『答え』として書き殴りました。
単に素晴らしい舞台だったというものじゃなく、様々な解釈が出来て
絶対の答えが存在しない自由度の高さと物語のメッセージ性。
説得力のある魂を削るような限界領域を超えた演者の熱演。
それら全てを含めて本当に素晴らしい内容だった。本当にありがとうございました。

 

 魂にまで響き沁み入る素敵な舞台だった事と巡り逢えた縁に
心からの感謝の念をもって『希薄』の所感の締めとさせていただきます。